3-1. 序論
バナジウムは体内に微量に存在する金属であり、細胞分裂促進作用、抗糖尿病作用、発 がんおよび抗がん作用、薬物の酸化的脱メチル化反応の阻害など様々な生理活性を有する ことが報告されている1,2。バナジウムは -1 から +5 までの酸化数をとり、3価はバナディ ックイオン、4価はバナジル、5価はバナデイトと呼ばれる。バナジウムの毒性は酸化数に 依存し、+4の酸化数をもつバナジウムは、+5の酸化数をもつバナジウムよりも毒性が低い ことが示唆されている3。また、健康なラットにバナデイト錯体を投与すると、ラットの体 内において酸化数 +4のバナジルとしての存在が明らかにされている4。バナジル錯体のイ ンスリン様活性が明らかにされて以来、糖尿病の治療薬候補として長年研究が行われてい る。無機塩の硫酸バナジウム (VOSO4) と比較して、バナジル錯体の方が細胞の脂質二重膜 透過性を高めることが明らかになっている5。
これまでにビス(マルトレート) オキソバナジウム錯体が B 細胞である ヒトバーキット リンパ腫細胞株であるRamos細胞 に対するアポトーシス誘導活性が報告されている。また、
VO(Me-phen)2 が ヒト卵巣がん細胞株であるPA-1細胞、SKOV-3細胞、ES-2細胞、OVCAR-3 細胞およびヒト白血病細胞株である NALM-6 細胞、MOLT-3細胞、HL-60細胞およびホジ キンリンパ球細胞株である HS445 細胞、多発性骨髄腫細胞である U266BL 細胞、ARH77 細胞、HS-SULTAN 細胞に対するアポトーシス誘導活性が報告されている 6-10。しかし、他 の配位様式をもつバナジウム錯体のアポトーシス誘導活性についての報告例はない。ビス
(マルトレート)オキソバナジウム錯体は、バナジウムが 4 つの酸素原子を配位している O4
配位様式であり、VO (Me-phen)2は、バナジウムが4つの窒素原子を配位しているN4配位様
38 式である。
O O
Me O
V O
O O Me
O N
N V O N
N 2+
Me
Me Me
Me
図3-1. アポトーシス誘導活性を示すバナジル錯体
そこで本章では、3種の配位様式を有するバナジル錯体を合成し、アポトーシス誘導活性 の評価を目的とした。ピリジノンを配位子として有するO4配位様式のバナジル錯体 (1a-e) と(2a-c)を合成した。8-ヒドロキシキノリンを有する N2O2配位様式のバナジル錯体 (3a-h)、
2-フェニル-3-ヒドロキシ-4(1H)-キノリンチオンを配位子とする S2O2配位様式のバナジル錯
体4を合成し、それら錯体のU937細胞に対する細胞増殖阻害活性とアポトーシス誘導活性 について論じる。
N O
O V O
O N O
Me R
R Me
N O
R O
V
O O N
O R
a: R = CH3 b: R = CH2CH3 c: R = CH2CH2CH3
O N
V O O
N Me R2O2S
SO2R Me
N O
S V O
O N S
Me
Me
OMe
OMe a: R = CH3
b: R = (CH2)3CH3 c: R = (CH2)5CH3 d: R = (CH2)9CH3 e: R = (CH2)13CH3
a: R = NH(CH2)7CH3 b: R = NH(CH2)9CH3 c: R = NH(CH2)11CH3 d: R = N(CH3)2 e: R = N((CH2)4CH3)2 f: R = N((CH2)7CH3)2 g: R = N((CH2)9CH3)2 h: R = N((CH2)11CH3)2 1
2
3 4
図 3-2. 目的化合物
ビス(マルトレート)オキソバナジウム錯体 VO (Me-phen)2
39
3-2. 結果と考察
錯体1a-bは既知の方法で合成した11。1-アルキル-2-メチル-3-ヒドロキシ-4(1H)-ピリジノ ン5c-eは、マルトールと塩酸水溶液中で種々のアミンと反応させた後、VOSO4 と反応させ バナジル錯体1c-eを得た (スキーム3-1)。次に、ピリジノン類を有するバナジル錯体2を合 成するため、配位子6a-c の合成を行った。1-アルキル-3-ヒドロキシ-2-(1H)-ピリジノン6a-c
は 3-メトキシ-2(1H)-ピリドンに対応するヨウ化アルキルを反応させ、三臭化ホウ素の脱保
護より得られた後12、VOSO4と反応させバナジル錯体2a-c を得た (スキーム3-2) 13。キノ リンを有するバナジル錯体を合成するため、8-ヒドロキシキノリン誘導体7の合成を行った。
8-ヒドロキシ-2-メチルキノリノンとクロロスルホン酸を反応させた後、各種アミンとの反 応により得た14。オキソバナジウム錯体3は、7とVO(acac)2 との反応により得た (スキー ム 3-3)。キノリンの3位にフェニル基を有するバナジル錯体4は、まずN-メチルアントラ ニル酸を炭酸カリウム存在下で2-ブロモ-4’-メトキシアセトフェノンとの反応によりp-メト キシフェナシルN-メトキシアントラニレート8を得た後、ポリリン酸 (PPA) 中で環化させ 9とし、続いてP2S5を用いてカルボニル基をチオカルボニル基の変換により10を得た。10
とVO(acac)2との反応によりバナジル錯体4を得た (スキーム 3-4)。
O OH Me O
N OH Me O
VOSO4 N
O Me
O R
V O
O N Me
O
R
R ii) RNH2
iii) H2/10% Pd-c
1
a: R = CH3 b: R = (CH2)3CH3
c: R = (CH2)5CH3 d: R = (CH2)9CH3 e: R = (CH2)13CH3
5 i) BnCl/KOH
RNH2/dil.HCl
Scheme 3-1
40
NH O OMe
ii) BBr3 i) R-I/KOH
N O
OH
R 6
VOSO4
N O
R O
V
O O N
O R
2
a: R = CH3 b: R = CH2CH3 c: R = CH2CH2CH3
Scheme 3-2
N Me ii) R2NH
i) ClSO3H VO(acac)2
O N
V O O
N
3 OH
N Me OH
SO2NR2
7
Me R2NO2S
Me
SO2NR2
a: R = NH(CH2)7CH3
b: R = NH(CH2)9CH3 c: R = NH(CH2)11CH3 d: R = N(CH3)2 e: R = N((CH2)4CH3)2 f: R = N((CH2)7CH3)2
g: R = N((CH2)9CH3)2 h: R = N((CH2)11CH3)2
Scheme 3-3
K2CO3 NH
OH O
Me MeO
O Br
NH O O
Me O
OMe
8
PPA
N O
OH
Me OMe
P2S5/Et3N
N S
OH
Me OMe
9 10
VO(acac)2 N O S
V O
O N Me S
OMe
OMe
Me
4
Scheme 3-4
DMSOで溶解させた化合物3c-fについて可視吸収スペクトルを測定した結果、dd遷移にも
とづく718-747 nmの吸収が観察されたことにより、3c-fが4価のバナジル錯体であること
が明らかになった (Table 3-1)15。バナジル錯体の Electron Spin Resonance (ESR)スペクトルは、
1c-e、3a-c、および3f-h対してg = 2付近に観測され、1V核 (l=7/2) の不対電子とする8つ の線の超微細分裂スペクトルが観測された (図3-3)。これにより、不対電子をもつ単核バナ ジウム種であることが示唆された。ESRスペクトルから算出したg-値とA-値をTable 3-2に まとめた。化合物1c-dは、報告されたVO(O4) 値と一致した16。
41
Table 3-1. バナジル錯体 3a-cおよび3fのUV測定結果 Complex max ()
3a 718 (18) 3b 720 (20) 3c 718 (18) 3f 747 (8)
251.693 271.693 291.693 311.693 331.693 351.693 371.693 391.693
20 mT
図3-3. 3aのESRスペクトル
Table 3-2. バナジル錯体1c-e、3a-cおよび3f-hのESRスペクトル Complex g-value A-value (mT)
1c 1.973 9.68
1d 1.974 9.56
1e 1.973 9.63
3a 1.977 9.25
3b 1.982 9.24
3c 1.978 9.18
3f 1.979 9.14
3g 1.979 8.87
3h 1.986 8.69
合成したオキソバナジウム錯体のU937細胞に対する1a-bと2a-c、3d-e、4の増殖阻害活
42
DMSO 1a 1b 2a 2b 2c 3d 3e 4 性は、培地中最終濃度50 Mとして添加したバナジウム錯体を添加後24時間培養し、U937 細胞の生存率を算出により評価した。DMSO を添加した細胞の生存率を 100%とした (図 3-4)。
バナジル錯体の細胞増殖阻害活性は2a<2b<2c<3d<1a<<1b<3e4の順に高くなり、1b、3e および4が特に高い活性を示した。同様の骨格を有する錯体を比較すると、 3-ヒドロキシ-2-メチルピリジノン類を配位子とする錯体では1a<1b, 3-ヒドロキシピリジノン類を配位子と する錯体では2a<2b<2c、キノリン類を配位子とする錯体では3d<3eとなり、より長いアル キル鎖を有する錯体が高い活性を示す傾向が認められた。長鎖のアルキル鎖をもつバナジ ル錯体である1b、2cおよび3eは、高い細胞増殖阻害を示した。化合物の疎水性の増加が、
細胞膜透過性を向上し活性を高める一つの要因として考えられる。
1b-d、3a-cおよび3e-hの増殖阻害活性は、培地中際異臭濃度 10 Mとして添加したバナジ
ウム錯体を添加後、24時間培養しU937細胞の生存率を測定した。ここでDMSOを添加した
*
*
* *
* *
* *
図3-4. 化合物で処理したU937細胞の生存率 (%). DMSO をコントロールとし、
化合物 50 M 投与後 24 時間後の生存率を示す。有意差の検定は、Student's t-test で 行い,*P <0.05 のとき有意差があるとした。グラフは、3回投与実験を行い、それ ぞれ1回測定を行った。
43
0 20 40 60 80 100
V iabi lit y ( % )
DMSO 1b 1c 1d 3a 3b 3c 3e 3f 3g 3h 細胞の生存率を100%とした (図3-5)。錯体1eは、DMSOに対する溶解性が低く本実験では使 用できなかった。
N-モノアルキル化したキノリノン錯体の細胞増殖阻害活性は3a-cにおいて、3a<3b<3cの順
で高くなり、長鎖のアルキル鎖をもつ3cの活性か最も低く、アルキル鎖の長さが活性に影響 を与えなかった。N,N-ジアルキル化した錯体 3f-hは、3eとN-モノアルキル化した錯体 3a-c よりも細胞増殖阻害活性が低かった。キノリノン配位子を有する錯体は、より長鎖のアル キル鎖をもつ錯体の活性が低かったことから、錯体の疎水性と細胞増殖阻害活性に関係が 確認されなかった。
ピリジノン配位子をもつ錯体の細胞増殖阻害活性は、1b-dにおいて、1b<1c<1dの順で高 くなり、アルキル鎖の伸長により細胞増殖阻害活性が高くなり、錯体の疎水性が細胞増殖 阻害活性を高める要因の一つと推測された。合成した錯体の中では1dが、最も高い細胞増 殖阻害活性を示した。
次に、高い細胞増殖阻害活性を示したピリジノン配位子をもつバナジウム錯体 1b-d の U937細胞に対するIC50値 をTable 3-3に示す。IC50値は1b>1c>1dの順に小さくなり、錯体 図3-5. 化合物で処理したU937細胞の生存率 (%). DMSO をコントロールとし、
1b-d、3a-cおよび3e-hの化合物 10 M 投与後 24 時間後の生存率を示す。有意差の
検定は、Student's t-test で行い,*P <0.05 のとき有意差があるとした。グラフは、3 回投与実験を行い、それぞれ1回測定を行った。
*
*
* * *
*
* * *
44
1d が最も高い活性を示すことがわかった。これらの結果から、錯体のアルキル鎖が長くな るほど、IC50値の活性が低くなり細胞増殖阻害活性の上昇が明らかになった。特に1dのIC50 値は抗がん剤として知られているシスプラチンよりもU937細胞に対する細胞増殖阻害活性 が高かった。
数値は、3回の平均値と標準偏差を示す。
Cisplatinを基準として、有意差の検定は、Student's t-test で行い,
*P <0.05のとき有意差があるとした。
ピリジノン配位子をもつバナジル錯体のアルキル鎖の伸長により化合物の疎水性が増加 し、細胞増殖阻害活性も向上した。ヒトがん細胞に対して細胞増殖阻害活性をもつ化合物 の構造活性相関について研究されている中で、化合物の分配係数が化合物の疎水性の指標 として使用されている17-19。近年、バナジル錯体の疎水性がインスリン様活性を示す一つの 因子として示されている 20が、錯体の疎水性とヒトがん細胞に対しての細胞増殖阻害活性 との間の関係は、明らかではない。そこで、バナジル錯体3a-cおよび 3e-hと1b-dの疎水 性を評価するために、分配係数 (log P)を測定し、その結果をTable 3-4に示した。キノリン 錯体 (3a-c および3e-h)では 3a<3b3e<3c<3f<3g<3hの順に疎水性が高くなり、分子量の上 昇と同様であった (Table 3-4)。キノリン錯体である3a-cおよび3e-hは、それらの疎水性と 活性に相関がなかった (図3-6)。対照的に、ピリジノン配位子の錯体のlog P値の順序は、
1b<1c<1dの順で疎水性が高くなり、その化合物の抗増殖阻害活性と同様な傾向であった。
Table 3-3. 化合物で処理したU937細胞のIC50値 Compound IC50 value (M)
1b 58.96±8.85 1c 19.45±3.08 1d 1.52±0.37*
Cisplatin 15.61±3.84
45 0
2 4 6 8 10
0 20 40 60 80 100
U937細胞の生存率 (%)
logP
図3-7より、ピリジノン錯体のlog PとIC50値は、直線関係にあることが明らかとなった。
これらの結果から、ピリジノン錯体1b-dの疎水性が、細胞増殖阻害活性に影響を与えるこ とがわかった。
Table 3-4. 化合物の分配係数と分子量
complex log P MW
1b 2.95 427.39
1c 3.23 483.49
1d 4.16 595.71
1e 6.03 707.92
3a 3.62 765.88
3b 3.95 821.98
3c 4.38 878.09
3e 3.96 821.98
3f 5.57 990.30
3g 6.74 1102.51
3h 8.09 1214.73
3a 3b
3c 3f
3g 3h
U937細胞の生存率 (%)
図3-6. 錯体3a-cおよび3f-hの分配係数とIC50値の関係図 3e
46
r2 = 0.9939 0
1 2 3 4 5
0 0.5 1 1.5 2
log IC50
logP
第二章でアポトーシス誘導活性の評価としてアネキシンVとPIの染色およびDNA断片 化を検出したことから本実験においても同様な検出を行った。図3-8にアガロースゲル電気 泳動の結果を、図3-9にアネキシンVとPIによる染色後の蛍光顕微鏡写真を示す。電気泳 動において、錯体1cまたは1dで処理した細胞のDNAは、アガロース電気泳動において、
ラダーが確認されたため、その細胞死がアポトーシス由来と示唆された。しかし、錯体 1b で処理した場合においてはラダーが不鮮明なため、アポトーシス以外の原因で細胞死が起 こったものと考えられる。錯体1c-dで処理したU937細胞は、アネキシンVの染色による 緑色の蛍光が観察され、PI 染色による赤い蛍光は観測されなかったことから、細胞死の割 合は、アポトーシス由来が有意であると確認された。
図3-7. 錯体1b-dの分配係数とIC50値の関係図 1b 1c
1d
log IC50