五 思想、 よりみた弥勒の 著作 あ
6 所
。 取
が た と
右図の
結び付い
る点に注
ところ
同楡伽論 ヒ
巻セ 十三
に見られ
顕現 と
境 と有 よ う に︑所収・熊取には三菱が考えられるが︑
別と顕現 と
﹂と舌口われ
目 すべきである︒ ︵ 鬨 ︶
︒しかるに︑
に 分類し︑ 的山︶
別論頒 L 等
6 所収︑能取とは︑全く縁遠いものである︒
公
Ⅲ︶顕現
いう概念は︑第一章第三顧 に︑
情 と自我と 了 別として顕現する識が生ずる ︵ ゎ 3 ︶
︑具体的には何を意
論 のみを図示するに
に ︑﹁虚妄分別とは︑
( 轍 ) 34
五 思想よりみた 弥勒の著作
中
大乗 荘
厳 刀 疋 分 " " " ふ a 冊
方 Ⅱ
経
珊頒
が田く
田由
訳
目口目
し Ⅱ ひ捧き目き かヌしのめ)目し
出目肖せせ
Ⅱ の "@ の Ⅰ 刀 か い ⅠⅠ ' " し @ っ """ の ⅠⅠ @"" Ⅰ ⅠⅠ
呂
ⅩⅡⅩ・
x.
ロ
の 所
目 載
目
公 碩
卜
する︒口中辺分別論
ット 訳を表にまとめてみよ ヌ ︒︵ 9 ︶
ること︑認識される ︵ 駆 ︶ こと︑見られることである︒
︵ く くリ Ⅰ ︶
ぎで 再 リガ二㎏ 曲
コ曲という ︵ 5 47
︶
との関係の上に行う
ゑ であり︑具体的に
顕現 ︵㏄︶ 味 での顕現である︒
虚
︒ し
てみよう︒
先ず︑養三十六に次のような所説がある︒
等
現 ︵㏄︶
る
は無
説と
讐え ︵㏄︶
︑次
面非役俸︒ ︵ 5 ︶ 想 掌中所有自性
ここで︑白箸
なる所収・熊取
内容的には一致
られ︑その 讐え
のような文が見 ﹁大乗荘厳経論 L
する﹂という 意
安分別や所収・
かし︑その先駆
五
ている︒即ち ︑ ︵・ W ︶ カェ性
されるが︑空性の基本的
うない︒
駝 内容の概念であると結論出来るであろう︒
は ︑思考方法及び表現 方 と笘
里ピ コリ がとは同一 著 0 部分の ている︒ られ得る以上の
と 捉えられ
相応せしめ
ことが明白となった︒
そ 相違すれ ︵Ⅱ︶
︑そこでは︑
仕法 説之 ︵㏄︶
ヴゴ い せ曲 ヱ ︵ 冊 ︶ 田甘 囲 い ︵Ⅱ ヱゼ ㏄ こゴ倒すゴ 引こ 笘 田でⅡど目 コ曲ヱ 為空 ︒ 於
ヰ の仲のが 隼 観為空 ︒復白船 此 金美 是 育郎曲金 故 如実知育︒ 如是者 為 悟入空性 如 られる︒
にみるなら
得される 肯
次に ︑他
ピ
ココム︒二所収と能取
を 比較する
㈲この
故通して 体
得るであろう︒
づ HHHl べ 辞
を 直接︑
次の諸父
られていることが判明する︒
l べ ︐ノミ・の・ レ ・ ︐ロ ︐ 団単 ︐ p. ㌧︶
臣ゼい の せ ㏄ 団討 組目リヨ︶︵ け 2 ︶
田所収と能取との 無 ︵二の無︶
切所収と能取との無の有︵二の無の有︶
︒右の二要素のう
ものである︒︵ 3 7 ︶ しかる
﹁所収と能取との 無
検討が必要であるか
と ︑﹁所収と能取との
る ︒したがって ︑こ
︑実践的・認識論的
(38) 38
M
れていることが判明した︒ よって︑
有でもなく無で 成相 が有であるから無で 3みた
﹂との 二 要素が含ま
取 と能取とを離れ
とである︒これはまた︑
することである︒以上の ︵ 5 ︶
(h) (S) (f) (e) @d) (c) (b)
した︒︵ 目 lN の・
田ヴは ・・ ロ ・㏄ づ︐コ ・は 収 l ㏄の︶
いと説かれる︒︵目 @ か︐ヨ田: ロ ・ 窩 ︐ p.8
0 ︵ 患 T Ⅱ㏄ ︑円ヴミ ・・ づ ・ か ㏄ ︑ト ・ トの ︶
熊 取︶の無の吉
田ヴ田 Ⅰ・ @ づ ・ 恰ツ ト %. コ
いべ 1ト㏄ ︑ゆト ー㌧の︶
る ︒︵Ⅹ せ Ⅰ〜 丁 Ho ゲヨ困 : ロ ・し凹㌃ トひ ︶
最高我の空性︑︵
れパ ー HO ︑ ロ ・ H Ⅱ べ ・ ロ ・ H ひ ︶お ︵ 1% ぃ ・ ロ ・の m, ︶︵・の 1 べ ︶
面を具えていること
よって有であるから
の 非存在が即ち 円成 ︵ 穏 ︶
性の最高の存在であると述べている︒
いずれも﹁ 無 ﹂と
性 に関して︑﹁中辺
いることが判明した︒
る ︒そして︑
法性の相である︒︵ 9 7 ︶
回説の法性に住するが故に︒︵ 0 8 ︶
︑﹁所収と能取との
現 的には全く認めら ︵ 羽 ︶
れに相応する思想であろう︒
ぃ 以上︑﹁中辺分別
れるだけで︑組織的
を 列記してみると︑
(40)
性 において人法二無我を得るから有ではなく︑ 無我の我︑清浄なる
五 % 想 よりみた弥勒の 著作
㏄︶において︑左巴 柿守
うことになる︒
口 えば︑顕現の場合
等 の悪事 が 虚妄分別
別における所収と能
考えて︑﹁所収と能取
い ると晃敏 す 立場 ︵ 6 8 ︶ よ
ると考えられ得る︒
有することが判明
・思考方法において
41 (41)
有 ︒生知 即是 勝義臣 ︵ あ ︶ 性 赤星法性︒ ㈲ 云 何彼名書 取 牢者︒
性如実無 倒 ︒ 謂於如 前
空 ︒ 於此 一切 色等想事
松美 無起 増益 執 ︒木船
金美景育郎出会 故 如実知育︒如是名馬悟入竺
故於 比色 等想 事由枝 色等 仮説性 注 説 之為
知 ︒ 謂於北 中英唯事︒ 於 唯事中小肴 唯仮 ︒ 不
実 真如 離言 自性︒如是 名 為書 取 生者︒︵ 4 8 ︶
際 構造に
分別自性に収めた点とが相異する︒
︒別であると定義してしる︵ J ︒ ︑ 1 9 ︶
の叶倒 ︶ ︑ 基づいてよ
㈲不寂静 と ロ とは︑詳しくは 意 省二ロ
によって分別される
であり︑その虚妄分別によっ
分別自性であり︑虚妄分別にお
分別論﹂の 三 自性説は︑虚妄 分
ころに特徴がある︒
日ム ト に述べられている︒
よれ
とま︑目言1月
ま︵︵
8 8 ︑所分別 ︶ 相 |り 顕現したもの︵ づ守プゼ囲コ ㏄︶ ︑ て 分別される対象︵の︵︵す か ︶が︑具体的
いて所分別自性たる所収と能取とが 無
別に基盤をおいて組立てられていると
︵ 寸迂 ㏄︶の如き 想 ︵落田宮囲
舌
︶と議
の 論がいかに三目
とから︑して説か
(42)
︵ v ︶一一百 性
五 思想よりみた 弥勒の著
であり︑ 依他 自性
性 ︵ 円 成案自性︶は︑真如である︒
名 舌口によって
仮立穏
ら ︑両説の意味する 趙 )
論 L の説は︑初期の
性者 謂 立前説 口 ﹂:︵ 9 4 ︶
によれば︑ 無 とは︑ 一
明 されている︒この
﹂の右と︑それぞれ
容の定義がなされて
る 点が﹁中辺分別論 ヒ よりも煩雑である︒
であるが︑より 羅
れない︒
一目性説に関する叙文を記す︒
者 讃衆縁生他力 所起
︵・ 1 ︶
しない︒
るといい得るであろう︒そしてロ中辺分別論 L
より考察したものが﹁ 法 法性分別 ヒ である︒
異点 をまとめてみよう︒ 第一章で取扱われて ぃ
相異した新しい表現 ︵ 舘 ︶
荘厳経論﹂の思想を
通 辺
個 の 光 介 以
%
ミカ現
の 雄 性 の 以 一別
的語 用ず
" 別 論 上 "中ら概のの
『 か三上
説口ロ
中 辺 ろ 念 者 典分 て を 察 型
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