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ま  態、 孝  弘

ドキュメント内 『宗教研究』185号(39巻2輯) (ページ 39-43)

      た  否を、 

定  額  白 

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お っ  さ 

定  分  て 

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他 

  

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ニ 珪の困㌔ 仁 コロ 田 1  ︵已下︒や二の・︶︒むしろ︑里童 日 にある 八 我は在るものである V の的 0 当ヨニ田 のけヨ ︵我は有りて 在  るものなり︶という表現が適切であるとしてい る ︵ 日卜 ・ b. め ︶の︶︒このような 神は ︑ 八 崇敬の うちの絶対的現存 V    に 与えられるが︵Ⅱ 卜 ‑ やめかの・Ⅹ < 私が神につい て形 づくるすべての  観念は︑この現存の抽象的な表現︑或はその 知 性化 V ︵門下 ‑ ワ oA の・︶てあり︑マルセルに ょ れば ︑ 神についての表象 

  

殉教 日 ば目おを区別する︒自殺は︑自己の解放 と 同時に自己を廃滅することおの 痒ち bq@ 縛で あるが︵目下︐ 

  殉教は︑自己を他者にいわばあ けね たすことで︑ 人はそこにおいて最も自由な者になるとされる ︵ り ︵・門戸︐ 

めトト ・︶︒  ち ・ め 00. ︶ 

ち ・ ト ㏄ 下︐  〜ので ‑/ い飴岸 ︵ 0 コ OH コ ののの叶のコロコ い のⅡ こいトコ のの臣の︶の 

音 

のの コ偲隠 ︵ 巴卜 ︐ b. 

鑓 

. ︶とも云い得よう ︒同様に彼は自殺と  る ︵ 芭下 ・フト㏄ P  の ヰ の口 ご : や︐ ㏄のめ |ダ ︶︒ 枇比 って ︑ 八 最も自律的な存在は︑ある意味では最も捉 われているⅤ︶ 6 コ の    い ︒自律は︑ 八 他律 V  す 簿 ︒ コ ︒田のと共に八 律 にもとづいて人を管理することで︑八所有 に属する概念であ    神への忠実は ︑ 私の目白にもとづいて成立する が ︑ 八 自由 V  目のⅡ︵かは 八 自律 V au ︵ o コ ヨ げ のことではな 

  

り切 

ヰ 

Ⅹ  寺河   

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の人が参加すべ き 霊的な世界が開けるが︑そこに こそ最も完全な生があるとマルセルは主張する ︵目り・で・のの・ ‑ 田卜 ︐  祈りにもなるのだと彼は云うのである︵門ト・ ち ︶ 目︒ド ︶︒希望はまさしく信仰に由来し︵㌔・Ⅱ チ ゃお 8 ︑その 頃 ︵ 鵬 ︶ 域は ︑そのまま祈りの領域である︵由ナ・やさ g P お ・︶︒マルセルにおける人間の最も本来的 なあり方は ︑ 神の愛 い す 曲 ﹁〜荻につつまれた 八 他者との交わり V に 生 きることである︒即ち ︑八 われわれ V をつっ と神 秘の内には︑すべて    な 希望の河口は︑直接見ことのできる領域には 存在しないが︑それ故にこそ︑持てるものを失っ た人の祈りが︑真の  された時には︑すでに 八 希望 V ではあり得ない のである︒マルセルは ︑ 河の流れが︑何か障害に 会った時に生じる 新 

しい動きのように︑私の意図が途を断たれた 時 に ︑その領域は︑そのまま 八 希望 V になり得るの だと 去 らもそのよ う 

あ  あ 

し  る  る 

  

希望は  ぎ    

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マルセルのく 信仰 下 とその存立の 機制 

︵ ︶第三節の註 を参照︒ 

︵ ︶ 下 子のまの リヨ仁だ Ⅰの 呂セ ︵ プの Ⅰの田のせですのにも 同 様の叙述がある︒マルセルは︑カミュに対しては好意 的である︵ 簗 

目し︒ ワトぎ ・・生出・ や寮 ︐痒の三 チ ︶︒ 

︵ ︶大文字の八托身 V H お銭尽︵ ざコ とは区別される ︵ オと や お︐ゑ のけ 宇 ・ ︐ オ ケやトト P, 旨し︒ ワ のの・ ‑ ︒ チロ ト ︒ やヂ鮒し 

︵ ︶ 八 実存 においては︑時間も現在にもとづく 一 つの統一をもつ︒過去は︑その 八 質料的なもの 三 ヨぃ鯨 ﹁ ぎ壬弘は変  うないとしても︑われわれの観点でのⅠの球注ぎのによっ て ︑さまざまの価値と色あいを示すものとされ︑また ︑この 八観 

  点 は︑現在と共に動くものである レ︐やト か・︶︒ 従 つて過去は︑現在における 八私 によって読みとら れるべ き も  の 下 ︐ ロ ・ ㏄ 6. ぎ日 ・ え ・カト・︶とマルセルは云 う の 前に開けている時間 即ち将来 は︑ 私の死に 至って終り     となる時間である ト ・ⅠⅠ︶〜・︶︒但しハイデ ガ ー やサ ルトルにおけるような分析はみられない 第一節の註 Ⅱを参照︒㈹ 

ず ︶マルセル 

冗 

存在Ⅴ概念については︑第一節の 註 Ⅱを参照︒   

︵ 騰 ︶マルセルは よ く ブ ーバーミ・ 辺ご汀き と比較され るが︑プーパーにおいても八枚 ここは︑ 八 それ 駝に 転じる小計  している︒ 

註 

︵ 上 ︶マルセルド抽象の精神 の例として︑たとえ ぱ マルクス主義をあげる︵ ヨ し・ や冑 ・ 等 ㌔その他 

参照のこと︒ 

  ︵ ︶執着が強い場ムロには︑所有している対象が ︑逆 に八社 を支配する現象を起こす︒マルセルはここ 

巴ふコぃ ︵ ざコ ぎの日がみられると云 う かかる対象が思 想や観念の場合には︑ファナチス ムや イデオロ 

している︵山下︑や い下 トー ダ 目安・︶︒ 

︵ ︶不安については 由づで 主題的に扱われている   

︵ ︶マルセルは ︑八 ここで私はハイデガ ︑及びお そらくはキ ェ ルケゴールとも一致している と云う 

  なお︑彼は八所有 を時間の関数であるとも述べてい る ︵内申・や㏄のの・︶︒  出目︒ ロの 等を 

に凡主体の疎外 

|グ が成立すると 

︵Ⅱ ン ・ つ ・︶つ め ・︶︒    Ⅰの 日 0 二片ののの 紙 としては げ しく糾弾 し︑愛 と 希望の回復を主張  マルセルはこのような人間把握にもとづいて︑ 世 界を︑ 真の目 白 ︑愛の矢われてしまった世界︑ 技術が越権をふる 

㌣。 Ⅰ @‑."‑.  Ⅰ "     丁     

                  Ⅱ・ 

  

︵は︶第一節の註Ⅱ参照︒ 

︵ ︐ 

じ八 

第一次的反省 及び 八 第二次的反省 は ︑夫 々 よ甫甑 コ ぎざ 守拝 ナ︑つ ・③・︶︒ つ ﹁の ヨ あお み詩甑 ︒ コ ︵由く 円 ・ つ ・㏄ つび ・︶ 

ぺ ひコ︒Ⅹ @o コ のの り コ隼の寄 ︵已下 で ・ ト Ⅱの・︶ Ⅱ ふ 下の メ @0 コ ル守 ののり コ 年のつ け ざ りぃコい の︵㌧ 下︐づ ・Ⅱ り ・︶ Ⅰひ曲の五 二 %‑ 八ロの 偉 Ⅹ ‑ ひヨ の  つ年 ‑ のの い目 ︒の︵㌧ 下 つ ・ の の・︶ のひい︒コロのⅡ 臥 二の臣︒ 臣 ︵門下︐ つ ぃ乙 ・︶などとも云われる公チ目し ︐ Ⅰ目凹︐哀史Ⅰ つ ・の H. の神  の日ヰ ・︶︒マルセルの術語は︑このようにかなり自由に 使われる︒第一節の詳騰及び㏄ か 参照︒ 

︵ 巧 ︶第一節の註 44"f 参照︒ 

︵㏄︶マルセルの 八 希望 は ︑八 :・を希望する とい ぅ 形式をもつものではない︒むしろ︑一種の八体験 ︑或は主体の 

  境 位を表示する概念とみるべ き ものである︵㌔・めナ・Ⅰ Ⅰ︶の︒︶ ま ・ 等 ㌔ 

︵ 

し耳 

苗の第一部参照︒なお︑マルセルは︑一九二 三年に ︑八 こわれた世界 V  汀呂 ︒ まり帯怒 という 戯曲を発表して 

  

TII Ⅰ TI Ⅰ  て 把握された 八 実存 は ︑八 われわれ については︑ そのままには存立し得ない︒ここにもマルセルが実存 的立場をふ 

  まえながら︑なお 八 実存主義 にとどまらなかった 事 由が了解される︒第一節の註 参照︒  ものであり︑また 八 私が 汝と 交わるには︑汝に伺って 自分から積極的に一歩踏みたさなければならない︵ 旨 い しヴの ﹁一ざ ダ     ヒコ Ⅰ し 二︶つい 0, いいオ 0n オのコせ 定田田 押 01. ︶とされる   

      ︵Ⅱ︶マルセルにおいては︑信仰も︑のちにみるよ う に︑ つねに 八 拒否 の可能性を含むものとされる︒       

︵ ぱ ︶ 前註 参照︒ 八 現存 は対象化されやすいものだ が ︵内臣︐ ワぎ且 お印| Ⅰ 八愛 が欲求された 場 合 には︑柏手の 

    背信の可能性が八 私 を不安にし︑不随意性を介して ふたたび絶望へ傾くものとなる 宜 チめ ン ・ やお Ⅱ ︐鮭 ト 旬の 1 の ト ・ 

ト ㍉㎏ lP 鼠し ‑ やき・︶ っ 

  なお︑ 八 現存 にあっては︑先にみた 八 実存 が ︑い わば入仏性 ヨ藍バ ︵かにおいて変性していると云える      を 強く云う意味で八実存 をみるなら︑すでにマルセ かめ八 現存 に︑実存性はないが︑逆に云えば︑実存 に ︑いわば 

  ム 已まれた 八 存在 が︑現存ではさらに深まったものと も 云えよう︒いずれにせよ︑マルセルのい う八 私の身 体 を介し 

  

  

マルセルのく 信仰 ノ とその存立の 機制 

は  め  て  的  で  の  さ 、 

、  時  あ  と  で  あ  扱  せ、 

しか 

八私  間駒  得 り  ころ 

りいる、 

のの 

V  な  る  で  あ  入  可  は 

と  る  と  "   り  間  有色 

、  こ  い  人  得  は  佳  さ 

ドキュメント内 『宗教研究』185号(39巻2輯) (ページ 39-43)

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