• 検索結果がありません。

? す

ドキュメント内 真宗研究29号全 (ページ 188-197)

I¥ 

⑧正信{島・文類偶・二門偽・念仏和讃の 真宗声明について

ア、正信f品 風説状況

注 と

i/K  1 i尿 j照 派 I

( 

) 

( 

(.)  ̲)  C' 

舌 々 行 ( J

中 相 子 ~ J

if  f

一 坤

持 試 み

← 

Cl 

l e  

lJ\ 

]ム

。 。

。 。

真四勾目下

。 。

行四句目下

。 。

草問句目F C 

中拍子真読

。 。

•J-i 7 J .0 

l

r e

I  I 

ートトト什~r

'11  91 

i  i  I 

真 説

A 種 類

 

③例時作法の依用状況

大 高 仏 仏 興 木

回 寺

i i

iijt(Al  (Bl  i尿 i L

。。。。。 。

七仏通戒f

賞 昏 偏 無 常 f r

四 奉 詩

( 

甲 念 仏 C C 

漢音弥陀経 C C  (.  、),、_

2」ハ

。。

f ( 

。。

七仏通戒1

初 夜 f

九 戸 念 仏

。 。。 。

1銭 悔

1i̲ 念 門

WJ  tlJ  常 日 P  τ4 1T 

f

稿

ii pg 

t44 戸 戸 50  56  45 

真宗声明について イ、文類偶

~

J 7 7 i尿 J

。 。

真四句目下

。 。

行四句目下 C'  草四句目下

\へ

rJ

律曲一越調

大 原 流 IC 

工、念仏・和讃重構造

O

誠照寺派一つ一一

出雲寺派一C

O

O

仏光寺派一︵︶一一

O

OO

O

本願寺派一O

! 

積一直

iii¥ 

ウ、二門偶

I 以

iii<  t 1

律曲賞鐙調

棒 読 み

。 。

大 原 流

~

l~- ilif<  ilf<  fL  i

一 首 引 \ ・

二 首 号J11 

三 首 号J11 

。。。。。

五 首 引II

六 首 号11 

。。 。。

七 首 引II

。。

九 首 引II

十二首号/11

一 首 ヲ | も

四 首 引If

五 首 引II

オ、和讃号|声

八記念講演﹀

真宗における安心問題

111清沢・住田両先生を機縁としてーーー

︵同

朋大

学長

︶ 真宗における安心問題︑ナフタイトルとして︑清沢満之先生と住田智見先生のお二方を機縁として︑と言う講題を

出しておいたのであります︒これは︑実は最近真宗連合学会︑日本印度学仏教学会等学会活動は年々盛んになって行

きま

す︒

した

がっ

て︑

そう言う面においては柳も不安はありませんが︑その反面︑果して信心・安心と言うことが︑

そのように盛んになっていっているか︒かつては念仏の声が津々浦々に至るまで︑よく聞こえたものであります︒ま

た我々の農村におきましでも︑念仏の声が聞こえ朝夕勤行の声が聞こえたものでありましたが︑最近はほとんどそう

いう声が聞こえなくなってきました︒そういうことで真宗がいよいよ興隆するということがいえるであろうか︒大袈

裟にいえばこういう危機感をひしひしと︑私は感じており︑それがいったいどこに問題があるか︑どういうことか

らそうなってきたのであるか︑ということを考えておるわけであります︒

率直に申しますと︑私も︑清沢先生のみ教えが︑今日︑特に大谷派教団に浸透してきておるのでありまして︑

いうところに清沢先生の心が本当に受け止められておるか︒現実は︑教学の現代化ということによって︑教学の研究

真宗

にお

ける

安心

問題

一八

真宗

にお

るけ

安心

問題

はいよいよ盛んになっております︒

しかしながら︑今申しまむたように︑念仏の声が聞こえなくなってきておるので はないか︒そういうところにも一つの大きな原因があるのではないか︑

ということから︑私の方の同朋大学の創立者︑

住田

智見

講師

︑ この住田先生と清沢先生の関わりを通しまして︑現実の安心の問題というものを考えていく︑

そう

う手がかりを経まして

この問題を考えていきたいということで参ったのであります︒

ところが︑実は私は始終︑住田先生のみ教えを受けてきておりまして︑清沢先生に就きましてはほとんど触れてお らなかったのであります︒

一般にいわれておりますように︑清沢先生のご信心は親驚聖人のご信心とは異質のもので

J h p

fTLカ

という批判が︑既に清沢先生のご生存中から出ておるのであります︒無我愛運動を提唱した伊藤証信先生

にい

した

まし

ても

︑ また直弟の多田鼎先生にいたしましでも︑

そういうような批判をしていらっしゃる︒そういうも

のを

ん読

でみ

ます

と︑

なるほどそうだなという感じを受けるのであります︒そうした清沢先生のご信念が親驚聖人の ご信心と異質であるということが︑根本的な原因であるかどうかということであります︒そういうことを明らかにす ることも︑問題を解決する一つの鍵ではないか︑

思と

いま

す︒

ところで︑住田先生と清沢先生との関わりですが︑住田先生が亡くなりましてから遺稿集を編集いたしました︒学

問的

なも

のは

﹃真

宗教

学の

研究

﹂︑

可教

信行

証の

研究

L

それ

から

﹁異

義史

の研

究﹄

とい

う一

一一

冊の

立派

な書

物と

して

刊 行致しました︒そしてもう一冊︑先生の随筆とか俳句とか︑あるいはお手紙とか︑そういう柔らかいものをまとめま

Lた﹃白牽の光﹄というものがあります︒

先生のみ教えに接する手頃な︑大変によい書物であります︒今日はなかなか再版がせられませんので入手困難と思 われますが︑私共戦争前より戦後に一日一って︑遺稿を全部刊行したのであります︒そういう深い因縁がありまして︑住

回先生のみ教えには

いつ

も触

れさ

てせ

もら

い︑

またみ教えを仰いできておるのであります︒その﹃白署の光﹄の中

に︑住問先生が清沢先生との出会いを書いていらっしゃるのであります︒

調べてみますと昭和五十年に︑我々の先輩の諏訪義譲先生が︑

ちょうど福井の専照寺で聞かれました真宗連合学会

で︑清沢先生と住田先生の出会いの問題を発表せられております︒簡単でありますが︑その核心に触れた問題が既に

発表されております︒

記憶に残っておるお方もあろうかと思いますが︑その中に︑諏訪先生も︑清沢先生のご信念は異質ではないかとい ちことを考えておった︒ところが今︑住田先生の﹃白事の光﹄を通し︑あるいはまた住田先生のご自坊にある日記類

を調査しておりまして︑

たまたまそこから見ることのできた︑そういうものを通して︑この両師の関係を見直したと いうことをおっしゃっているのであり烹す︒ところが︑

そういうことを通して︑住田先生と清沢先生のご信心︑ご信

念というものが異質でなくして同質であることまでは感じとったけれども︑果してどうしてそれが同質であるかとい

うことは

これは私の専門ではないから後に譲る︑

ということを書き残しておられるのであります︒

そういうことが一つ︑私の頭の中に問題として残っており︑

またその問題を明らかにしていくことが︑今申しまし

たように今日の問題として重大な意義を持つということを思っておるのであります︒

実は清沢先生に対する私の従来の考え方も︑どうも異質である︑

とても我々は清沢先生についていけない︑

という

ことが先入観としてあるものですから︑先生の全集があるということは知りながらも︑

それを読む機会を得なかった

ので

あり

ます

︒ ところがその問︑清沢先生の生誕百年の記念の講演会が豊橋で行われております︒この時には︑時の法政大学の総 長でありました谷川徹三先生と︑金子大栄先生のお二人が講演をなさっておるのであります︒それを読むと︑谷川先 生は初めのところに︑清沢先生のご信心というものは今の妙好人の信仰とは程遠い隔たりがある︒けれども清沢先生

真宗

にお

ける

安心

問題

真宗

にお

ける

安心

問題

  /¥  はできるだけ妙好人の信仰に近づけるように︑努力をなさっておるのであって︑本質的には全く一つに帰するのだ︑

という立場からご講演をなさっております︒

金子大栄先生はまた︑清沢先生の学問︑とても私はついていけない︒

きればといって︑あの清沢先生から離れることもできないと︒実に金子先生はうまいことを仰っしつ

そして秀れた︑知識というものには︑

つい

ah

パネ

zノ −

£ ︑ ヨ バ

h p

tl

VII

− 

ているのであります︒離れることのできないという点について︑私は清沢先生の門下生であるという自覚を持って︑

今日

はこ

こに

まかりまいったのである︑とお話をなさっているのであります︒

そういうことを見ましでも︑谷川先生といい金子先生といい︑

立派

な︑

そして清沢先生に長年私淑しながらその教

学を学んでこられた先生方においですら︑なおかっそういう言葉が出ておるということであります︒そこでいよいよ

hHι

︑ 1t 

﹂れはとても清沢先生にはついていけない︒

早叫

が信

念﹄

を読

みま

しで

も︑

﹃絶対他力の大道﹄を読みまして

も︑どうもそこに親驚聖人のみ教え︑ご信仰に相応したような味わいを汲み取ることができない︒

いっ

てみ

れば

︑ かつてあの叡山の千日の回蜂行を成就された︑葉上照澄という方がいらっしゃる︒あの方が千日の 回峰行を成就されてその後︑各地で講演をしていらっしゃるのであります︒その講演の中に︑私は自力の極限を尽く して︑初めて他力のおかげを知ったということをいっていらっしゃるのであります︒だいぶん前でありますが︑その お言葉は私の心の中に深く刻みつけられておりまして︑忘れることができません︒

千日の一同峰行︑最後は一日に二十一里を回るに︑夜の零時に出発して︑夜の十一時に帰ってくる︒わずか一時間し か休む時聞がない︒零時になれば出発するという︒こういうことを重ねることは︑これは人間技ではなレ︒当時私の 門徒の中にも軍隊生活を長らくやっていた方がいて︑実はこういうような問題があるが︑あんたたち軍隊時代はどう であったかと聞きますと︑

とてもとても二十一里の行軍てものは︑﹂れはいくら頑張ってもさ日と続きませんよ︑と

ドキュメント内 真宗研究29号全 (ページ 188-197)

関連したドキュメント