3-1 はじめに
第 2 章では,DF および AAP が経口投与後に前胃から速やかに吸収される可能 性が示唆された。DF と AAP の MAT はそれぞれ 1.6 h および 2.9 h と速く,到達 に長時間かかるとされる十二指腸ではなく,それ以前の複胃での吸収が示唆さ れた。複胃の中でもルーメンは特に膨大な容積を有し、通過および滞留に時間 を要する[56]。単胃動物で胃が主な薬物吸収の場とならないのは,吸収面積が 小さいためである[74,85]が,ルーメン内腔には大小の柔毛が存在し,単胃動 物の胃に比べて明らかに表面積が大きい。よって,第 2 章の AAP および DF は複 胃の中でもルーメンから吸収された可能性が考えられた。また一方で,他の単 胃動物で胃排出率(gastric emptying rate,以下 GER)の指標に使われている AAP は,ヤギ[24]と同様にウシでもルーメンからの吸収が示唆され,指標として 使用できないことが示唆された。
獣医領域では多種多様な動物の治療を行うため,対象動物種における薬物動 態の報告がない場合もあるため,さまざまな動物種に既にin vitro や他の動物 種で得られている薬物動態データを当てはめて投与計画を検討しなければなら ない。薬物のin vitro データを in vivo で検討する際,薬物の透過性と溶解度 による生物薬剤学上の分類,pH,動物種による消化管通過時間,薬物の溶解度 の相互関係を理解することが重要である[51]。薬物吸収に注目した場合,この 消化管通過時間の中でも吸収の主な場となる十二指腸到達までの時間,つまり 胃排出時間(gastric emptying time,以下 GET)が重要な因子となる。また,第 2 章から DF および AAP のルーメンでの薬物吸収が示唆されたが,GET が判明し なければルーメンからの吸収は証明できない。しかし,ウシを含む反芻動物成 獣における薬物経口投与による胃排出時間の報告はない。
32
一般的な単胃動物における GER を評価する方法は,AAP 経口投与後の血中濃度 測定法,X-ray を用いた画像診断検査,放射性同位体を用いたシンチグラフィな ど多数が存在する[91]。しかし,ウシにおける画像診断法は容易ではないため,
AAP による GER 評価法を応用する必要がある。その方法は,胃で吸収されない薬 物である AAP を経口投与後,経時的な血中濃度測定を行い,小腸到達とともに 薬物血中濃度が上昇することで判定される。しかし,本研究では,第 2 章から ルーメンでの DF および AAP の吸収が示唆されているため,単胃動物と同様の小 腸到達までの胃排出ではなく,薬物のルーメン排出時間を評価したい。よって,
ルーメンで吸収も分解もされない物質を使用し,そのルーメン液中の動態から,
ルーメン排出時間を検討することとした。反芻獣では,大量のアルカリ性唾液
(pH8-8.4)の流入や反芻,ルーメン運動によりルーメン内は常に撹拌されてい るが,その膨大な容積から全体への撹拌は時間を要すると考えられる。経鼻カ テーテルを使用したルーメン液採取では,採取部位の特定や同部位からの経時 採取は不可能である。よって正確なルーメン液採取のためにルーメンフィステ ル牛を作製した。
胃排出を評価する薬物としてルーメンにおいて吸収されず,多量の微生物叢 の発酵分解からも安定な物質としてイオジキサノール(IDX)を検討した。IDX は分子量が 1550 と大きい非イオン性等浸透圧造影剤[77]であり,体内での代謝を 受けず,タンパク結合は非常にわずか[34,80]である。非イオン性のヨウ素は消 化管からの吸収はほとんどないと報告[34]されていることから,IDX は消化管吸 収されないと考えられる。一方で,ウシルーメン液中での IDX の安定性は報告 されていない。
以上から,第 3 章ではウシでのルーメン排出時間を測定することを目的とし,
ルーメン液中での IDX の安定性試験を行ったうえで,ルーメンフィステル牛に おけるルーメン内投与後のルーメン液中 IDX の動態を検討した。
33 3-2. 実験材料および方法
3-2-1. 使用動物
帯広畜産大学にて飼養されているホルスタイン種雌 5 頭(3~13 歳齢,546~884 kg)
を実験に使用した。5 頭のうち,2 頭は数年前よりフィステルが装着されており、分娩 後空胎で搾乳していない 3 頭には,本研究を行うに当たり,新たにフィステルを装着し た。乾草飽食,自由飲水,実験前日よりタイストール牛舎にて飼養した。
3-2-2. フィステル牛作出
フィステル装着は以下の要領で行った。
T13-L1 硬膜外麻酔下(0.5 mlキシラジン+3 mlリドカイン)立位にて左膁部皮膚を 直径 10 cm 切除し,皮膚と第一胃壁漿膜面を癒着を目的として縫合を行った。縫合後 は,約 1 週間ラップにて術創を保護するウェットドレッシング療法にて縫合部を癒合さ せた。術部完全癒合後,T13-L1 硬膜外麻酔下にて第一壁を術創の大きさ(10 ㎝)に 合わせて切除し,ルーメンカニューレを装着した。使用したカニューレは Bar Diamond 社#2C(成牛用,内径 10 cm×厚さ 7.5 cm×最大径 26 cm)である。
3-2-3 使用薬物
IDX は注射用製剤(Visipaque®)として第一三共(株)より購入した。本章の実験に 用いたその他の試薬類は特級あるいは HPLC 用のものを使用した。なお,IDX の化学 構造は Fig. 3-1 に示す。
34 3-2-4. 薬物投与試験
IDX 溶液 50 mlをルーメンフィステル開口部より漏斗を使用してルーメン中層へ投 与した。投与量は 27.5 g/頭であった。投与後 10 min,20 min,30 min,1 h,1.5 h,2 h,
3 h,4 h,6 h,8 h,22 h 後にルーメンフィステル開口部より用手にてルーメン中央部の ルーメン液を遠沈管に採取した。ルーメン液は採取後直ちに pH を測定した。採取した ルーメン液は 1600 g,10 min 遠心分離後,上清を採取し,‐20℃で測定まで冷凍保存 した。
3-2-5. ルーメン液中 IDX 濃度測定
ルーメン液中 IDX 濃度は UV 検出器を用いた高速液体クロマトグラフィー(HPLC)
を用いて行った[17]。ルーメン液 1 mlにジエチルエーテル 2 mlを加えて撹拌した。5℃
条件下で 3000 g,10 min 遠心分離した。遠心後下層(水相)を 0.45-m HPLC シリン ジフィルター{Chromatodisc®,4P,倉敷紡績(株)}で濾過した。濾過液 50 lをマイク ロシリンジで HPLC に注入した。
HPLC システム(島津製作所)は第 2 章と同一のものを用いた。分析分離は逆相 ODS カラム{Mightysil RP-18 GP®,4.6m×250 mm,関東化学(株)}を使用し て行った。移動相は0.1%ギ酸ナトリウム溶液(w/v,2N リン酸で pH4.0 に調整)を A 液,アセトニトリルを B 液とし,以下のグラディエント条件で測定した。A 液を 0.5 ml /min の流速で移動相として用い,サンプル注入後 2.2 min から 30 sec かけてアセトニ トリルの濃度が移動相の 10%を占めるように B 液を混合した。注入後 25 min までこの 移動相を維持した。その後,A 液を移動相とし,20 min 経過した後に次のサンプルを 注入した。イオジキサノールの保持時間は約 20 min であった。移動相の流速は 1 ml /min,UV 検出波長は 254 nm であった。
35 3-2-6. ルーメン液中の IDX 安定性
ホルスタイン成牛(東京農工大牧場)からルーメン液を経鼻カテーテルを用いてお よそ 50 ml採取した。採取後,速やかに安定性試験を以下の要領で実施した。ルーメ ン液 950lに対し,control 群には蒸留水 50 l,sample 群には 1.1 mg/ ml IDX を 50l加えて撹拌し,39℃恒温水槽にて 24 h インキュベートした。その後ジエチルエー テルを加え,3-2-5.に示されているルーメン液中 IDX 濃度測定と同様の方法で濃度測 定を行った。
3-2-7. ルーメン液中 IDX 濃度の動態解析
投与後 1~2 h 以降は,ルーメン液中のイオジキサノール濃度の対数値が時間の 経過とともに直線的に減少したので,以下の式を終末の直線相に適合した。
= 0 −
ここで,C0は IDX 濃度の時間ゼロの外挿値で,時間ゼロで IDX 濃度が均一になって いると仮定した場合の濃度に対応する。k は濃度を対数値で示したときの直線相の傾 きを示す。以上の式を用いて,Program MULTI を用いた非線形最小二乗法によって C0と k の値を算出した。
36 3-3 結果
IDX をルーメン液に添加し,39℃で 24 h インキュベートした後の回収率は 92.1
±3.01%(Mean±S.D.,n=5)であった。
5 頭で得られたルーメン液 pH の平均値は 6.4(範囲は pH 6.1~6.6)であり,
IDX 投与による各個体のルーメン液 pH 変化はほとんど認められなかった。
ルーメン内投与後のルーメン液中 IDX 濃度推移を Fig.3-2 に示した。IDX 濃度 の対数値は投与後 1.5 h までは急激に減少し,以後緩やかに直線的に減少した。
投与 22 h 後には 90%以上の IDX の排出が認められた。
解析によって得られた動態パラメーターを Table.3-1 に示した。ルーメン内 初期 IDX 濃度(C0)281.0±88.4 g/ml,直線相の半減期は 7.11±1.46 h であっ た。C0と投与量から算出したルーメン液の見かけの容積は 106±34 lであった。
37 3-4.考察
24h インキュベート後のルーメン液中 IDX の回収率は 92%であり,ルーメン液 内で IDX が安定であることが確認された。
Fig.3-2 から明らかなように,投与直後から投与後 1~1.5 h までは IDX 濃度 が急激に減少した。この急激な減少は,ルーメンの膨大な容積(100-225l,[5])
に対し,投与液量が50 mlと微量であり,ルーメン液全体への IDX の拡散に時間 を要したためであると考えられた。IDX は水溶性で胃壁を透過できない。また,
ルーメン液中では安定である。このことは,急激な減少の後の直線相では,ル ーメン液中で IDX は均一に拡散しており,その濃度の減少は胃排出によること を意味するものと考えられた。したがって,直線相における半減期が胃排出速 度の指標として有用であることが本実験で示唆された。
初期 IDX 濃度 C0において個体間の大きな差が認められ,その結果算出された 見かけ上のルーメン液容積にも大きな差が認められた(Table. 3-1)。同じ反芻 獣であるシカにおいて第 1・2 胃容積は体重と相関関係がある報告されている [89]ことおよび本研究では個体により約 340 ㎏も体重が異なっていた(546~884 kg)ことから,ルーメン容積にも大きな差が認められた可能性が考えられる。
IDX は分子量>1500 と大きく,タンパク結合が非常に少ないかなく,非常に 短い半減期で代謝分解されず,腎から再吸収されることなく,急速に尿中に排泄 される(実験動物[34]およびヒト[80])。このため,腎の糸球体濾過率を測定す るために用いられる[4]。非イオン性のヨウ素は消化管からの吸収はほとんど ない[34]と報告されている。また,成獣を含むウシへの IDX 静脈内投与による 分布容(Vd)は 200ml/kg 未満であり,血中と細胞外液のみに分布することが報 告されている[57]。このことは,IDX 細胞膜を透過できないために組織には移行 できないことを意味している。以上から,IDX はルーメン内から吸収されず,本 研究よりルーメン液内にて安定であるため,そのルーメン内濃度の消失はその まま胃排出指標に使用できると考えられる。