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同和教育の全体像をどうとらえるかというところに力点がおかれている。同和教育を 進めるうえで、これまでやってきた道徳教育とどうからませればよいか、時間的な配 分も含め、特設時間の位置づけがとりくみの第1点としてある。第2は歴史的な部落 解放のあゆみと現在ある差別についての理解である。第3は、同和読本等学習教材を

どのように活用し、授業を構築するかの点である。以上の3つの点を満たすには書物 を読み、話を聴き、先進校を視察し、地域の実態に触れるということが第4点である この方式は、今日も少しも変っていない。ただ、これらの中で何を学び何を吸収す るかが教師各自の力量と大いにかかわってくる。

4.実践交流の隆盛− 昭和40年代前期

(1)年間計画、実践目標の設定

昭和40年度になると、「人権尊重の教育」ということばが前面に出てきている。

いわゆる同和対策審議会答申が政府に出されるという画期的な年の反映であろうか。

加古川市の昭和40年度の学校教育指導助言の方針には、その「努力事項」として

「人間尊重教育の重視」が、次のように言区われている。

「 校種を問わず、人権尊重に徹する校閲の経営は本市の特色である。特殊教育にお ける精薄学級(中学5、小学7)、養護学校(身体不自由児)や同和教育の推進は 人権尊重の端的なあらわれである。担当者が孤立化、特殊化しないよう、じゅうぶ んの理解と協力が望ましい。また、行きすぎた準備教育や、別勉などは却って人間 迫害ではなかろうか。人間尊重教育は節力即応教育ではなかろうか。」

としている。これは、同和教育だけをことさら取り上げようとするのではなく、心身 にハンディを背負った児童・生徒が持てる辞力を最大限に発揮できるよう条件整備に あたろうとしている。担当教師が孤立無援の状態に置かれることのないよう配慮した 学校園の経営を示唆している。

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昭和33年に発足したと言われる加古川市の同和教育研究協議会も、市の同和教育 主任会におんぶされた活動ではあったが、組織的に一応の体裁を整えつつ県と市の闇 のパイプ役としての役割をはたしてきた。教育委員会としての指導助言を単なる上意 下達に終わらせることなく、学校現場の側から自主的な教育研究の組織体をつくり、

現場の実践を支えようとするものであった。従って・各学校の創意工夫や自主的な活 動を援助していったのである。

昭和42年度には指導助言の方針として、「学校教育体制の確立」が第−に掲げら れ、「生徒指導の徹底」と「学習指導の深化」がその両輪として出てきている。そし て「人間尊重教育の重視」をさらに具体化して同和教育の推進の中に生かしている。

「改訂同和読本の採用や同和教育スライド等資料の整備活用をはかり、学力補充学 級の開設や現職教育の実施と相まって、人間尊重の意識を高め、差別をなくする実 践力を身につけさせたい0」餌

(4)教育の制度と方針の成立

昭和41年度が対外的に活動し、他所にあるすばらしい知識や実践を数多く吸収し て、自校へ持ち帰える為の一年間であるとするならば、昭和42年度は、そこで得た ものを内部的に消化し自校の実践をいかに太らせていくかといった内部的充実が諜せ られた一ヶ年であった。質料の効果的な活用を意図しながらも、根本は指導者となる べき現職者の教育に重点がおかれている。現実問題への対応と実践力の向上がその中 心におかれたのであった。

昭和43年度では、これまでの「人間尊重教育の重視」から「人権尊重教育の徹底」

というタイトルに変わってきている。

「同和対策審議会答申」が盾和40年に出され、「特別措置法」等の立法化が叫け ばれる中で兵庫県としても「同和対策基本要綱」や「同和教育基本方針」を策定して いく年でもあった。従って加古川市の指導助言の方針の「人権尊重教育の徹底」の頃 には、兵厘県の「同和教育方針」の冒頭と同じような文言になっている。

「    同和教育基本方針

昭和43年3月15日

兵 庫 県 教 育 委 員 会 同和教育の本質は、人権尊重の精神に徹し、日本社会の歴史的発展過程において 形成された身分制度に基づく差別や、現代社会の矛盾からくるもろもろの差別につ

いて正しく認識し、その解消に積極的な意欲をもった人間を育てることである。

われわれは、日本国憲法や教育基本法の精神にのっとり、基本的人権を尊重する

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教育、とくに同和教育の徹底を期するため、差別の実態を正しく把握し、具体的な目 標と方法を明確にして、あらゆる教育の機会と場でその指導に努める。」㊥

「   学校教育指導助言の方針(昭和43年度)

加古川市教育委員会 人権尊重教育の徹底

日本社会の歴史的発展過程において形成された身分制度に基づく差別や、社会矛 盾からくるいろいろな差別に対する正しい認識と、その解消に積極的な意欲をもつ

人間を育てるには、教育の全領域を通じ、人権尊重の精神に徹しなければならない。

とくに教師と子ども、子どもと子どもどうしの人間関係を重視するとともに、同 和教育推進指導体制の確立と・実践活動の焦点化をはからなければならない0」⑳ 両者は、身分制度に基づく差別(部落差別)を中核にすえ、その他、社会矛盾から くるもろもろの差別(一般差別)をも正しく認識し、その解消に積極的な意欲をもつ 人間の育成をともにめざしている。

県の基本方針によれば、「同和教育の徹底を期すために、①差別実態の正しい把握 と、⑧具体的目標や方法の設定と、③あらゆる教育の機会をとらえた指導の大切さ」

を述べている。

これを受けて、市の指導助言の方針では、やや具体的に「④教師と子どもの人間関 係の重視をあげ、⑧同和教育の推進指導体制を確立することが、実際の活動を効果的

なものにする」と述べている。

つまり、加古川市として、県が言う⑧の具体的な目標や方法の設定を「教師と子ど もの人間関係」、「推進指導体制の確立」に重点を置いて肉付けをしているのである。

昭和44年の「同和対策事業特別措置法」に先がけての県や市の同和教育基本方針 の策定であったとみてよい。

(5)現職者教育の重視

昭和44年の加古川市の「教育要覧」にも前掲の指導助言の方針をまとめる形で、

加古川市の同和教育の基本方針として「同和対策審議会の答申、同和対策事業特別措 置法の精神および県教委の基本方針を根幹とし、人間尊重の精神に徹し、いわれなき 差別の解消に積極的な意欲をもつ人間を育てる0」鋤 と記されている0さらに「重 点目標」以下数卿こわたり、全市的なとりくみが掲載されている。

「    く 重点目標 >

○ 入間尊重の精神を基盤として、同和教育の徹底を期する。

○ 学校教育の全領域にわたって同和教育の推進費はかる。

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○ 家庭、学校.社会がコンビを組んで同和教育の充実に努める。

② 学習指導等の徹底

44年3月に道徳、同和学習指導計画基準表の中学校編、10月に小学校編改訂 版をそれぞれ作成し、全教員に配布、同和学習指導の基準を示す。

③ 研究推進校の指定

44〜45年度2年連続で乎荘小学校を指定、同校の研究主題は学級づくりを基 盤とした「みんながともに伸びる同和教育」教育の全領域を通じて同和教育を着実 かつ強力に推進し、44年12月に中間発表を開催。

「重点目標」に向けて、各小・中学校とも道徳や同和学習の指導計画が十分達成で きるようその基準となるものを明示する一方、特に積極的に研究する指定校を設け、

そこから実践内容を学びとり、各校とも質的な向上をめざしたのであった。

中でも「部落の歴史」を直接担当する中学校教員の現職教育に重点をおき、単なる 社会科的な歴史学習にならない為にも、また、舌たらずな説明が差別言辞となること 等をもふまえ、差別解消の意欲をもつ指導のあり方を研修させた。教師としては、こ

れまでの学習体験が不足している分野だけにその意気込みもひとしおであった。

(6)同和教育の浸透

昭和45年度には、加古川市制施行20周年を迎え、加古川町北在家に新庁舎の落 成をみた。昭和36年より指定を受けていた地方財政再建準用団体をようやく離脱し 臨海部埋め立てによる金沢町の誕生とともに工業開発の枢軸に神戸製鋼所が位置した のであった。以前は止むなく抑制傾向にあった「地域開発、社会開発」が前面に押し 出され、従来の「産業経済開発本位」の市政から「文化面の拡充」の市政へと大きな 転換をみるところとなった。

入口は、新市制誕生の昭和25年当初の約4万9千人から10年ごとに4万八ずつ 増え、昭和45年には、約12万7千人となり、小学校や中学校、幼稚園等の建設に

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