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〱 暮 れ

ドキュメント内 覚 一 本 『 平 家 物 語 (ページ 68-84)

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親 子 言 ひあ は せ ける は

「東 国 の 方へ 落 く だり

、 伊 豆 国の 流 人

、前 右 兵 衛佐 頼 朝 をた の ば や とは 思 へ 共、 そ

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同時 代 に 成立 し た 軍記 物 語 の

『保 元 物 語』 に は 為朝 の 最 期の 場 面 で「 家 に 火を さ い て、 腹 かき 切 つ てぞ 伏 し にけ る

」と あ る が、 こ の 一例 の み で ある

『 平治 物 語

』に は 敵 を攻 撃・ 捕 縛 す るた め に 火を 放 つ 場面 は あ った が

、戦 う 者 が自 ら の 屋敷 を 焼 く場 面 は な かっ た

。 共通 し て いる の は 館を 焼 い て いる の が 敗北 者 側 であ る 点 であ る

。 生活 拠 点 であ る 家 を焼 く とい う こ とは 二 度 とこ の 場 に戻 っ て くる こ と はな い と い う状 況 で しか 成 り 立た な い

。遠 成

・家 成 は 自害 を 決 め、 競 は 討ち 死 に を覚 悟 し て出 発 し た

。平 家 一 門は 都 落 ち以 降 舟 で漂 泊 の身 と な り最 後 は 壇之 浦 に 沈ん だ

。 頼政 も 平 家に 一 矢 報 いる こ と なく 自 害 して 果 て た。 出 発時 に 館 を焼 く と いう 行 為 を加 え る こと で

、 戦い に 掛 け る頼 政 の 覚悟 の 程 を示 そ う とし た ので は な いだ ろ う か。 もう 一 点 時刻 が 変 更さ れ て い る箇 所 が ある

。 そ れは 平 等 院で の 合 戦の 後 に 平家 軍 が 京に 帰 って き た 場面 で あ る。 巻 第 四「 若 宮 出家

」に は平 家 軍 が討 ち 取 った 人 々 の首 を 持 って

「 夕 に 及て 六 波 羅へ か え り入 る

」と あ る

。 しか し

『玉 葉

』 の二 十 六 日 条に

午 刻 検 非違 使 季 貞為 前 大 将軍 使 参 院、 時 忠 卿相 逢

、 申 云、 頼 政 党類 併 誅 殺了

、 切 彼入 道

・ 兼 綱併 郎 従 十余 人 首 了 と

ある の で 戦い は 午 前中 に 終 わっ た よ うで あ る

。一 日 か か った と す るこ と で 頼政 軍 が 簡単 に 敗れ た の では な く

、平 家 軍 と全 力 で 戦っ た 大 規模 な 戦 闘 であ っ た と描 く ね らい が あ った の では な い だろ う か

。 第

五項

討 ち死 にか ら 自害 へ

、 首の 行方 頼 政 の最 期 に つい て は 先行 研 究 概観 で も 触れ た よ う に『 平 家 物 語』 で は 平等 院 で 自害 し た こ とに な っ てい る が

、実 際 は 南都 へ の 逃走 中 に 討ち 取 ら れ た。 こ れ まで は

『 玉葉

』 や

『山 槐 記』 が 主 に史 料 と して 活 用 され て い たが そ れ 以外 の 記 録 類で も

『親 経 卿 記』 二 十 六日 条

黎 明 人 々云

、大 王併 頼 政 法 師 出 園 城 寺 向 南 都 了

中 略) 上 奏 云

、頼 政 法 師 已追 捕 了

、 其 外賊 虜 皆 以伏 誅

、 単騎 少 々 猶以 逃 走

、官 軍 乗 勝 追之

、 前 運定 至 栗 前山 辺 歟

、且 為 子 細 所令 上 奏 也者

、 頼 政法 師 以 下梟 首 上 洛事

、 聞 此 由之 後

、 左右 歓 呼 皆称 万 歳

、須 臾 使 又 馳参 了

、 頼政 以 下 梟首 了

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『明 月 記

』二 十 六 日条

謀 叛 之 輩引 率 三 井寺 衆 徒

、夜 中 過 山階 赴 南 京。 官 軍 追之

、於 宇治 合 戦

、遂 奔 至 于 南京

。 賊 徒 多 梟首

。 と

あり

、 頼 政と 以 仁 王は 二 十 五日 の 夜 から 二 十 六日 の 明 け 方に か け て三 井 寺 から 南 都 へ向 け て出 発 し てお り

、 宇治 か ら 南都 に 向 かう 途 中 で頼 政 は 討 ち取 ら れ たこ と が わか る

『山 槐 記

』二 十六 日 条 によ る と 平景 高 が 頼政

、 藤原 忠 清84

が 兼 綱

、唱 の首 を 取 り、 仲綱 は 生 死不 明 と され て い る。 一方

、『 平 家 物語

』で は 全 員平 等 院 で討 ち 死 にか 自 害 で あり

、「 一 所 で死 ぬ

」 とい う 類 型が 見 ら れ、 最 期 の地 の 違 いも 先 行 研 究概 観 と 第二 章 で 触れ た 通 り、

「 一所 で 死 ぬ」 と い う類 型 に よっ て 木 津川 か ら 平等 院 に 改 編さ れ た と考 え る

。 では

、 な ぜ討 ち 死 にで は な く 自害 で 辞 世の 歌 ま で詠 ま せ たの だ ろ うか

。 戦 にお け る 死は 自 害か 討 ち 死に が 大 多数 で あ り、 生 け 捕り に な って 処 刑 さ れる と い う例 も あ るが 数 は 少な い

。ま た

、 辞世 の 歌 を詠 ん だ のは 頼 政 のみ で あ る。 同 じ く 文武 に 長 けた と 評 され て い る忠 度 の場 合

、 討ち 取 ら れた 後 に 箙に 結 び つけ ら れ た歌 が 発 見 され た と いう 流 れ のた め 死 に臨 ん で詠 ん だ もの で は ない

。 歌 の内 容 も ゆ

き く れば 木 の した か げ を やど と せ ば花 や こ よひ の あ るじ な ら まし と

忠度 の 人 生に 関 係 する も の では な い

。な ぜ こ のよ う な 独 自の 要 素 が入 れ ら れて い る のだ ろ うか

『平 家 物 語』 は 物 語前 半 に お いて 人 物 の在 り 方 とそ の 死 を強 く 結 びつ け て

、各 人 物 に合 わ せた 死 に 方を 描 く とい う 傾 向が あ る

。た と え ば清 盛 は 病 死で あ る が、 悪 行 の報 い と して 熱 病の 様 が 描か れ て いる

。 明

る 廿 八日 よ り

、重 病 を うけ 給 へ りと て

、 京中

・ 六 波 羅、

「 す は、 し つ る事 を

」 とぞ さ ゝ や きけ る

( 中 略

) 入 道 相 国の 北 の 方二 位 の 夢に 見 給 ひけ る 事 こそ お そ ろ しけ れ

(中 略

) 二位 殿 夢 の心 に

「 あれ は い づく よ り ぞ」 と 御 たづ ね あ れば

「 閻 魔の 庁 よ り、 平 家 太政 入 道 殿の 御 迎 に 参ッ て 候

」と 申

「さ れ 其 札は 何 と いふ 札 ぞ

」 とと は せ 給へ ば

「南 閻 浮 堤金 銅 十 六 丈の 盧 舎 那仏 焼 ほ ろぼ し た まへ る 罪 によ ッ て

、 無間 の 底 に堕 ち 給 ふべ き よ し、 閻 魔 の 庁に 御 定 め候 が

、 無間 の

「 無」 を ば かゝ れ て

「間

」 の 字を ば い まだ か ゝ れぬ 也

」 と ぞ申 け る

( 中 略

84

こ の 条の 最 後 の方

に「 後 聞

、被 切頸 輩

、」 と あり 藤 原 忠綱 が 兼 綱と 唱 の 首を 取 っ た とあ る

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日 ご ろ つく り を かれ し 罪 業ば か り や獄 率 と なッ て 迎 へ に来 り け ん。 清盛

が 熱 病で 死 ん だの は 確 かで あ る が、 そ の 死に 悪 行 の 報い と い う意 味 を 付加 さ せ てい る

。 他に も 鹿 ケ谷 陰 謀 事件 の 中 心 人物 で あ り、 讒 言 によ り 明 雲を 配 流 にさ せ た 西光 は 巻 第二

「 西光 被 斬

」で 捕 縛 され て 清 盛か ら

「 本 よ りを の れ らが や う なる 下 﨟 のは て を

、君 の 召 し つか は せ 給ひ て

、 なさ る ま じき 官 職 を なし た び

、父 子 共 に過 分 の ふる ま ひ する と 見 し にあ は せ て、 あ や また ぬ 天 台の 座 主 流 罪に 申 お こな ひ

、 天下 の 大 事ひ き 出 いて

、 剰 此 一門 ほ ろ ぼす べ き 謀反 に く みし て

げ るや つ な り。

」 と

言わ れ て

「 さ も さう ず

。 入道 殿 こ そ過 分 の 事を ば の 給へ

( 中 略) 御 辺 は、 故 刑 部卿 忠 盛 の子 で お は せし か ど も、 十 四 五ま で は 出仕 も し 給は ず

。 故 中御 門 藤 中納 言 家 成卿 の 辺 に立 ち 入 給 ひし を ば

、京 童 は 高平 太 と こそ 言 ひ しか

。 保 延 の比

、 大 将軍 承 り

、海 賊 の 張本 卅 余 人 から め 進 ぜら れ し 勧賞 に 四 品し て 四 位の 兵 衛 佐 と申 し し をだ に

、 過分 と こ そ時 の 人 〻 は申 あ は れし か

。 殿上 の ま じは り を だに く ら は れし 人 の 子で

、 太 政大 臣 ま でな り あ が ッた る や 過分 な る らむ

。 侍 品の 者 の 受領

・ 検 非 違使 に な る事

、 先 例・ 傍 例 なき に あ ら ず。 な じ かは 過 分 なる べ き

」 と

逆に 清 盛 が過 分 の 身で あ る と罵 っ た

。こ の 後 拷問 を 受 け た末 に 口 を裂 か れ て五 条 西 朱雀 で 処刑 さ れ た。 他 に も陰 謀 に 関わ っ た 人々 が 配 流先 で 殺 さ れた り 処 刑さ れ た りし た 最 後に こ

れ ら は言 ふ か ひな き 物 の秀 で

、 いろ う ま じき 事 に い ろひ

、 あ やま た ぬ 天台 座 主 流罪 に 申 お こな ひ

、 果報 や 尽 きに け ん

、山 王 大 師の 神 罰

・ 冥罰 を 立 どこ ろ に かう ぶ ッ て、 か ゝ る 目に あ へ りけ り

。 と

締め て い る。 因 果 応報 と も 言え る が

、『 平 家 物語

』 の 中 で口 を 裂 かれ て 死 ぬの は 西 光の み であ る

。 記録 類 を 見る と

『愚 昧 記

』治 承 元 年六 月 二 日条

西 光 頸 今斬 了

、 於五 条 坊 門朱 雀 切 之云 〻

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『百 錬 抄

』治 承 元 年六 月 一 日条

入 道 相 国召

取 権大 納 言 成親

。 右 近少 将 成 経。 左 衛 門尉 師 光 法師

法 名 西光

( 中略

) 入

夜 師光 法 師

被 梟 首

。 と

、処 刑 さ れた こ と はあ る が 口を 裂 か れた と い う記 述 は な い。 言 葉 によ っ て 世を 乱 し

、清 盛 に反 逆 し てみ せ た こと か ら

「口 を 裂 かれ る

」 とい う 要 素 が追 加 さ れた と 考 えら れ る

。 この よ う に死 の 様 相を そ の 人 物の 生 き 方に 強 く 結び つ け て詳 し く 描く の は 物語 前 半 に顕 著 であ る

。 死の 場 面 は合 戦 の 話が 増 加 する 物 語 後半 か ら 増 えて い く が、

「 討 たれ 給 ひ ぬ」

「 討死 し て げ

「腹 か き きつ て

」 など 簡 単 にし か 描 かれ な く なる

。 した が っ て、 物 語 前半 に あ る 頼政 の 最 期は 頼 政 の人 生 を 象徴 す る 描き 方 が され て い ると い える

① 不遇 の 人 生だ っ た

②武 人 で あり 歌 人 とし て も 優 れて い た とい う 二 つの 要 素 を盛 り 込む た め には 討 ち 死に で は 歌を 詠 ま せる こ と がで き な い ため

、 辞 世の 歌 を 詠み

、 自 害と い う描 き 方 にな っ た と考 え ら れる

。 櫻井 陽 子 氏85

は 頼 政の 辞 世 の歌 に つ いて

、頼 政の 挙 兵 の 理由 は 平 家の 横 暴 への 憤 懣 で あり 晩 年に 不 遇 を意 識 さ せる 話 は 描か れ て いな か っ たと し た う えで 次 の よう に 述 べて い る

。 覚

一 本 にお い て は歌 の

「 詞

」を 強 調 し、 死 と 直結 し て 描く こ と で、 社 会 的な 不 遇 は人 生 の 不 遇へ と 置 き換 え ら れ、 歌 自 体に 頼 政 の失 意 の 人 生と 無 念 の死 を 象 徴さ せ

、 全人 生 の 総 決算 を 読 み込 む 試 みが な さ れる

。 そ の結 果

、 地 の文 に 言 及さ れ て いる 和 歌 の数 寄 よ り も、 物 語 の表 面 に は書 か れ てこ な か った 頼 政 の 人生 に 対 する 屈 折 した

「 心 情」 が 想 起 され

、 そ れが 蜂 起 に接 合 し

、物 語 に 整合 性 が 生 じる

。 こ のよ う な 解釈 は 和 歌を 物 語 に 整合 さ せ る営 み で あり

、 頼 政挙 兵 の 動機 を め ぐ って 物 語 を整 合 的 に解 釈 す る営 み で も ある

。 覚 一本 は こ うし た 解 釈を 可 能 にす る テ キ スト で あ る。 延

慶本 で は 頼政 は

「 身 ハ 六代 之 賢 君ニ 仕 テ

、齢 八 旬 之衰 老 ニ 及。 官 位 已烈 祖 ニ 越 ヘ、 武 略等 倫 ニ 恥ヂ ズ

。 道 ノ 為

、家 ノ 為

、慶 ハ 有 レド モ 恨 ハ無 シ

。 と

人生 に 満 足し て い ると 言 っ てい る

。 確か に こ れで は 平 家 の専 横 へ の義 憤 か ら謀 叛 を 起こ し 失敗 し た とい う 流 れに は 合 わな い

。 平家 の 悪 行が 巻 第 五 の「 都 遷

」で 頂 点 に達 す る こと を 考え る と

、頼 政 は 平家 に 滅 ぼさ れ た 者と し て 俊寛 同 様 歎 きの 中 で 死ん で い く方 が 話 の流 れ と「 平 家 の悪 行 と 滅亡

」 と いう 主 題 に合 っ て いる

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櫻 井 陽子

「 源 頼政 の 和 歌の 考 察

― 延慶 本 を 中心 に

」櫻 井 陽 子『 平 家 物 語の 形 成 と受 容

』 第 四章

、 汲 古書 院

、 二〇

〇 一 年

ドキュメント内 覚 一 本 『 平 家 物 語 (ページ 68-84)

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