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◎対談◎ 江戸の医案を読む 第 14 回

ドキュメント内 0125_1_no5 (ページ 66-75)

舌上苔ナシ。ソノ腹痛ノ状タルヤ,右ノ小腹ヨリ起リ上 ガリテ心下ニ至リ,之ヲ按ズルニ気衝痞結セリ。加之(ノ ミ)ナラズ,其腹痛ノ発熱トヤ,毎ニ夜間ニオイテシ,

昼日然ルコトナシ。余,以テ畜血トナシ,桃核承気湯ヲ 投ズルニ,水瀉四五行ニシテ,前症頓ニ去レリ。時ニ明 治十二年五月ナリ。是ニ由リ之ヲ考フル時ハ,成氏桃核 承気湯ヲ以テ,下熱散血ノ剤ニシテ,破血ノ義ニアラズ ト云フハ寔ニ誣ヒザルナリ。

秋葉 前回に引き続いて山田業精・業広の『井見集附 録』から比較的短いものを読んでいきたいと思います。

まずは桃核承気湯治験という医案です。若い男性が突 然の雨に遇って熱を発し,その後も熱がずっと続いて

「大いに渇し,腰腹疼痛す」,そしてときどきこの痛み が心胸を衝くという状態です。

平馬 初めは風寒・風湿の邪を受けたかぜのような感 染症だったのでしょう。「爾来」ということで,どの くらい経過しているのかはっきりわかりませんが,熱 や腰とお腹の痛みが何日か続いている状態です。小柴 胡湯を用いているところからみると,たぶん熱はずっ と続いていたわけではなく,ときどき上がったり下 がったりということだったのでしょう。

秋葉 最初に診た医者が小柴胡湯を投じたのは,どう いったところを手がかりにしているのでしょうか。

平馬 詳しく書かれていないのでわかりませんが,熱 型などが小柴胡湯の適応だったのかもしれません。

秋葉 「疫となし」と書いてありますね。疫というのは?

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■山田業広(やまだなりひろ)

 1808(文化5)年,高崎藩侯侍医の長男として生まれ る。17 歳で父に代わって高崎侯に仕える。19 歳より朝川 善庵に儒学を,伊沢蘭軒に医学を学ぶ。蘭軒没後,多紀元 堅・池田京水につく。1837(天保8)年,江戸本郷に開業。

1857(安政4)年,江戸医学館の講師となる。1869(明治2)

年,高崎藩の医学校督学となり,翌年藩政改革により医学 大教授に任ぜられる。1874(明治7)年,再び上京し開業。

1879(明治 12)年,温知社を創立し,漢方存続運動の先 頭に立つ。1881(明治 14)年没。子の業精が父の業績を 継ぐ。著作は 38 部あるといわれているが,『傷寒論札記』『金 匱要略札記』『(新編)金匱要略集注』が影印出版されている。

■山田業精(やまだなりきよ)

 1850( 嘉 永 3) 年, 山 田 業 広 の 第 二 子 と し て 江 戸 本 郷に生まれる。幼名は千太郎,のちに元昌,秀俊,業精 と改めた。字は于勤,号は静斎。儒学を芳野金陵に学ぶ。

1869(明治2)年,大学東校(東京大学の前身)で西洋 医学を学ぶが,のちに中退。1871(明治4)年,高崎の 父のもとで診療に従事する。「漢洋道不異論」を唱え,古 典とともに西洋医学も参考にすべきだとした。1907(明 治 40)年没。

平馬直樹先生

えたのでしょう。『黄帝内経』によると,人の体表面 を温めている衛気は起きている間は体をグルグル回 り,寝ている間は体の内側に収まるため,血分に熱が こもると寝ている間に熱が高くなるという考え方があ ります。この場合も夜間において発熱がひどくなって いますので,血分に問題があると考えたのでしょう。

秋葉 この畜血とは血分のなかでも特別なものですか?

平馬 血のめぐりが悪くなって病的な状態になり,人 体を攻撃している場合は,それが痛みや気が衝き上げ たりする原因になります。今の言葉でいうと瘀血とだ いたい同じ意味と考えてよいと思います。

秋葉 そこで桃核承気湯で瘀血を攻下した。そうする と,「水瀉四五行にして」スッと治ったということで 平馬 この場合は広く流行病の意味かと思います。こ

の頃に何かの感染症が流行していたのかもしれません。

秋葉 なるほど。何日か経っており,急性期を過ぎて いたので少陽病と考え,小柴胡湯を投じた。そして,「腹 痛時に劇発するにより」と,かなり激しい痛みが起こ るので,小建中湯に転じた。しかし「効なし」と,痛 みにも熱にも効かなかったというわけですね。そこで 業精に依頼があった。いくつかの所見が書かれていま すが,この辺のところから何がわかるのでしょうか。

平馬 「其脈浮緩」で,まだ邪が表にも残っているの がわかります。そして「舌上苔なし」は業精のほかの 医案の書き方からみると,それほど異常所見はなかっ たという意味でしょう。ここでは,大小便の状態にポ イントを置いて診察をしているように思われます。小 便は快利していて大便は不通であることから,水の病 ではなく,何かほかのメカニズムがあるのだと考えて 診察を進めていったのでしょう。

秋葉 続けて腹痛についての描写があります。小腹は 臍から下腹部にかけての部分ですね。下から上に上 がってくる痛みで,触れるとみぞおちが痞えて結ぼれ ている。そして夜間に腹痛と発熱がある。「昼日然る ことなし」とわざわざ断っていますので,この辺がポ イントでしょうか。そして「余,以て畜血となし」と いうことですが,どういうところから畜血と考えたの でしょうか。

平馬 大便が通らず,ときどき下腹部から気が上に衝 き上げてくるような痛み発作が起こる,これは腸管の 気のめぐりが悪くなって,脾胃の昇降が妨げられてい るわけです。その原因は何かともう一歩踏み込んで考

桃核承気湯で血分の熱を下しながら 外証を取り除く

すね。この症例から少し外れるかもしれませんが,疎 経活血湯の条文に夜痛みが重くなるのは血が原因だ,

というようなものがありましたが,同じようなことで しょうか。

平馬 そうですね。よく痛みは気のめぐりが悪い痛み と,血のめぐりが悪い痛みとに分けられます。例えば お腹にガスが溜まって痛むのは気のめぐりが原因で,

治まったり楽になったりします。一方,バットで殴ら れて青あざができたところがズキズキ痛むのは血のめ ぐりが原因で,持続的な痛みと夜になると余計に痛む という特徴があります。

秋葉 つまりこの場合は血のめぐりに問題があるわけ ですね。

平馬 この症例では精神は平常でしたが,『傷寒論』

の桃核承気湯の条文を見ると,「太陽病解せず,熱膀 胱に結,其人狂の如く,血自ずから下る」とあるよう に,桃核承気湯は精神に興奮症状があるときによく使 います。そして,血が下れば自己治癒力で血分の熱は 取れます。また,「其の外解せざる者は,尚未だ攻む べからず」と,外証がある場合は,大承気湯のような もので直接下法を使って攻めるのは慎重にした方がよ い。それから,「当に先ず其の外を解し,外解し已って,

但小腹急結する者は,乃ち之を攻むべし」と,外証が ある程度治まってから使うのが桃核承気湯の本来の姿 です。

秋葉 この場合,外証というのは表証と考えてもよい ですか。

平馬 そうです。この症例ではまだ外証が残っている 間に使っていますが,一番のポイントは,下すことに よって血分にこもっている熱を体外に排出し,その外 証も取ってしまうということです。先ほどの条文の「血 自ずから下る」は,このような自然な経過があるといっ ているのですが,この例の場合,桃核承気湯がその作 用を助けているということも考えられます。

秋葉 熱に対して桃核承気湯というのは,なかなかわ

れわれは手が出ない領域かなと思います。先ほどの「其 人狂の如く」というのは血が上に上がることで精神の バランスが崩れてしまう感じでしょうか。

平馬 下焦に血の停滞があるため気のめぐりも影響さ れ,下ることができずに便通も悪くなり,それが上に 上って衝き上げてくる。さらに上に衝き上げると精神 症状も出てくるということですね。

秋葉 下を通してやれば気の流れがよくなり,上に衝 き上げる力がなくなってよくなっていく。これはかな り日常診療でも使えそうな感じがしますね。最後の2 行が実に感慨深く書いてありますが,この成氏桃核承 気湯とは? 

平馬 『傷寒論』106 条の桃核承気湯の条文に対して,

成無己の『注解傷寒論』の解説では「桃核承気湯を与 え,下熱散血す」という記載があるのを指しているの だと思います。父親の業広も『注解傷寒論』を高く評 価しています。

秋葉 ここに破血と散血という言葉が出てきますが,

どのような違いがあるのですか。

近世漢方治験選集 13 山田業広・山田業精『井見集附録』名著出版 江戸の医案を読む 第 14 回/山田業広・山田業精『井見集附録』より̶̶その 4

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食あたりで脾胃に溜まった食傷・食積・

飲邪を黄連湯加茯苓でさばく

(近世漢方治験選集 13 山田業広・山田業精 『井見集附録』 

名著出版 p.122 〜 123 より)

傷食霍乱

 三吉泰令ノ老母年六十餘ナリ。一日食ニ傷ラレ心腹 絞痛シ,前日喫スル所ノ食物盡ク吐出セリ。而シテ其 ノ痛ミ毫モ去ラズ。一医ノ治ヲ受クレドモ寸効ナク,

却テ痛ミ甚シ。其ノ方法タルヤ,外ニハ皮下注射ヲ施 シ,内ハ水薬ヲ投ズト云フ。是ニ至リ,急ニ余ヲ招ク。

診スルニ傷食ヨリ来ル霍乱ナリ。舌上微白苔,喜渇シ テ冷水ヲ欲ス。其ノ脉沈緊,心下右方急痛セリ。乃チ,

黄連湯加茯苓ヲ与フルニ漸々快クナリタリ。而シテ心 下ノ候タル,按ズレバ痛ミ,按ゼザレバ痛マズ。大便 今ニ通ゼズ。因テ大甘丸ヲ兼用シテ全治セリ。其人,

嘔劇シキニヨリ,洋医与フル所ノ水薬ハ勿論,一切ノ 飲物納マラザルニ,余ガ与フル所ノ薬ニ至(リ)テ ハ,吐スルコトアルナシ。亦一奇ト謂フベシ。時ニ明 治十三年十一月。

秋葉 次は,食に傷られて霍乱を起こしたという症例 です。

平馬 食あたりで起こった一連の症候かと思います。

「心腹絞痛し」ですので,胸からお腹にかけての広い 範囲で絞られるように痛みがあり,長く続いている。

そして食べたものを吐いてしまう。

秋葉 他医によって皮下注射や水薬による治療があっ

たが,ひとつもよくならなった。そして業精が呼ばれ,

すぐに「傷食より来る霍乱なり」と診ています。霍乱 というと吐き下しですが,これはいわゆる食あたりと いうことでよろしいのでしょうか。

平馬 この場合は下ってはいないので,吐くことが主 症状の霍乱という判断でしょうね。

秋葉 これに対して黄連湯加茯苓を与えてよくなって いるわけですが,黄連湯加茯苓を処方するに至るまで にどのような考えがあったのでしょうか。

平馬 しばしば喉が渇いて冷たいものが欲しくなるこ とから,やはり胸に熱がこもっている所見と考えられ ます。そして吐いてしまうのは心下のところで脾胃の 気がうまく通っていないということになるかと思いま す。上に熱があって下には邪があるという黄連湯の症 候は,「胸中に熱あり,胃中に邪気あり,腹中痛み,

嘔吐せんと欲する」とぴったり合うことになりますね。

秋葉 「心下右方急痛せり」とありますからまさにそ うですね。この黄連湯の構成は,確か小柴胡湯に近い ような内容でしたね。

平馬 小柴胡湯に近いですし,半夏瀉心湯にも近いで す。心下で脾胃の気が塞がっているものを半夏・乾姜 と黄連を組み合わせてさばくというのが半夏瀉心湯の 方意です。黄連湯の「胃中に邪気あり」の邪気を寒邪 ととらえ,そのために黄芩を去り桂枝が入っていると 解釈することがありますが,私は寒邪でなくてもよい と思います。

秋葉 他の邪でもよいということですね。

平馬 ここでは黄連湯加茯苓という処方になっている ので,水飲の邪もあるかもしれません。半夏と茯苓の 組み合わせによって,心下の水飲をさばく力が出てき ます。食あたりによって脾胃に食傷も食積も溜まって いるだけでなく,飲邪も溜まっている状態だったかも しれません。

秋葉 それをさばくことでだんだんよくなっていっ た。しかし,「心下の候たる,按ずれば痛み,按ぜざ れば痛まず」と,自覚はないけれども圧痛が残ってい ます。また,大便がまだ通じないので大甘丸,つまり 大黄甘草湯の丸剤を使っています。

平馬 瘀血の治療は一般的に活血という言葉がよく使 われ,強い活血のことを破血といいます。桃核承気湯 は活血と下法が組み合わさっており,作用がそれだけ 強いので破血という言い方をすることもありますが,

この場合は強い活血作用だけでなく,血分の熱を解熱 する作用と合わせて血のめぐりや働きを正常に戻すこ とを期待しているために散血といっているのではない かと思います。

秋葉 わかりました。大変面白いですね。

江戸の医案を読む 第 14 回/山田業広・山田業精『井見集附録』より̶̶その 4

ドキュメント内 0125_1_no5 (ページ 66-75)

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