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Υ 氏 は法人組 織の寄贈で築 く

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B00K REVIEW

E. Υ 氏 は法人組 織の寄贈で築 く

.

ロ ー タ リ ー 財 団 へ の

協 力 あ れ こ れ

1917年に ロータ リー財団が創立 されて以来 この建設の ために使 われた れんが"はあ らゆる寸法

,あ

らゆ る変 化に とんだ ものであ り,そ して幸運 に も無数 に上つたの であ る

 

この結果 と して953名の特別 な学生が海外 に留 学す ることが出来

,貧

困家庭が食物 を給 され,そ して専 Fl職に属する15名の人が外国 におけるそれぞれの研究分

お じいさんは 10弗札で築 く

貴方が米国,  オハイオ州バー ンス ビノし又はインデアナ 州 ココその ロータ リアンであるとすると お じいさん"

になるには10ドルい ります

 

お じいさん達が この寄付を ロータ リー財団に文Jして行 なうと温い感謝を受けます.

W.J氏が遺 言を少 し変更す る決心 をした時は,まだ65歳で健康で した

(いまで もそうです)彼はその夫人に相談 をしてその財産の相当額 を慈 善的事業 日的のために残す ことを決めました

 WJ氏

はこれまで ロ ー タ リー財団を尊敬 して来ました。以前に幾人かの ロータ リー奨学生に会 ったこともあ ります

.然

し彼は ロータ リー財団ICついて もっと知 りたいと思 ったのでイ リノイリ11エバ ンス トン市の国 際 ロータ リー1事務局内の ロータ リー財団宛 に手紙 を書 きました。 ロータ リー財団事務局では彼に対 していろいろの資 料や数字 を提供 し遺産寄贈の場合の模範書式をlnl封して送 りました。同氏はこれ を彼の弁護十に見せて新 らしい遺 言 書 を作 ってもらいました

 WJ氏

が財団に語 った ところによると遣贈額は45,0∞ ドルを超えるそ うです

 

これは18

人の ロータ リー財団奨学生 を採用するのに充分な額であ ります。

ニュー・ ジャジー州の リパーサイ ドでは同地の ロータ リアンは月に1巨1非常に安価 な昼食 をとりそれで節約 し た金 を財団に寄付 しています。 これによって 3年 間に同 クラブがなした寄付は 1名 当 り60ドルであ りました.

ロータ リー財団に対する寄付財源 として今まで殆ん ど手のつけられて いない

,そ

れでいて とて もよい方法があ ります

 

それは何か価1直のあ る 目的のために費用 を出す ことをその予算の中に認めている先見的な会樹:

が行 なっているものであ ります

 

この典型的実例 として次のようなもの があ ります。われわれが

E.Yと

呼ぶ会社の重役は取締役会で慈善 目的のために使 うべ く30,000ドルを取 ってあ る と い うことを聞き

,そ

してその会社の副社長がその金の支出の責任者に任命 されたことを知lったので彼はFtl際ロータ リ ーか らロータ リー財団に関する文献を入手 して副社長に見せ同財団の目的を簡単に説明 しました

.そ

の結果として同 Цオ団へ1000ドルの法人組織の寄付がなされました。

1933年 ロー タ リー財団 が創立せ られてか ら,16年にす ぎなか った頃 ミシガ ン州1ハイ ラ ン ドパ ー クの ロー タ リー

・ クラブは ロータ リー財団 を受取 人 とオ旨定 してH・ ハル バー・ パ ア ローイ氏のために養老保険 に入 りました 40

年来の会員であ り同 クラブの会長 をしたこともある ハル

"は

ロータ リー財団及び同財団の事業について深い関心 を 持 ってました

 

同 クラブではこの保険証 こそ努力にむ くいる理想的な方法であると思 ったのであ ります

 

毎年の保険 金支払は同 クラブの経常支出 とな り,その保険証は段 々と価値 を増 して1953年にその養老保険の総計金額は忠実なる

ロータ リアン,バアローイ氏の名前で ローク リー財団に贈呈 され ました.

42

lzu> THE ROTARY̲NO‐TOヽ10

ロータ リー財団に深い関心 をもっていた力几フオノしニ ア地区の元ガバナーH・ カー トラン ド氏の功労 を讃えこ れ を記念すべ く同地区の13のロータ リー・ クラブが同ガ バナーの名で財│・Jjに寄付 しました

 

国際 ロータ リーの前

会長だったフランク・L。 マルホーラン ド氏が逝去 した後

,オ

ハイオ州 トレ ド・ ロータリー・ クラブはそこの会員で あった同志 を讃えて言己念寄付 をしました。 アイオワ州ガーナー 。ロータ リー・ クラブの行 っていることちこれ と同 じ ような もので

,同

クラブの会員が死亡す るとクラブ会計はその会員の記念 として25ドノしを, ロータ リー財団に寄付 し ます

 

この記念寄付の意図 と目的を説明す る適当な手紙が死亡会員の直系家族に送付 されます

A・ ア リー・ アスガー氏は昨年 オ レゴンリ11パシフイ ック大学のロータ リー財団奨学生であ りました。 そこにいる間,彼は多 くの団体の前で彼 の故郷のフイジー諸島の文化 と風俗についての話を しました

 

その話の 中で聴衆の関心 をもっともそそった ものは イスラ′、教の ことであ りまし た。 アメ リカ人は殆 どこれについて何 も知 らなか ったのであ ります

 

永続的平和は単なる寛容 によってのみでな く 他国の人々の信仰や習慣及び伝統 を愛す ることによつてのみ可能であると信 じたア リー君は,  クリスチ ャン達にこの イスラム教 を説明す るパ ンフレットを出版 しその販売か ら得たすべての純益 をロータ リー財団に寄付 tま した

あ るものは記念 の 贈物で築 く

ア リー氏は 本で築 く

ゼーンズビルは 誕生 日で築 く

この クラブは 企画で築 く

チ ャック

"は

魚で築 く

この人達は大 きな 贈物で築 く

て更に5,000ドルを寄付 しました。 カルフォノしニア州ベ ーカースフ ィル ドの 3人 の ロータ リアンも大口寄付をし ました。 即ちF・ ジェピイ氏が10,OCXlドル, F・ トフ リ

ツク氏 も10,OCЮドル, ヘ ンリイ・ プランデ ツト氏が20,0 00ドルを寄付 しました

.ニ

ューヨーク州 ジェネバの元地 区 ガバナー・ ハー リイ・ ホーベイ氏が彼の経営するマー ケ ツト・ バスケ ツト会社の株1000株をロータ リー財団に 遺贈,この株の時価は 総計 28,000ド ルでした

 

,シ

カゴの ロータ リアン

,サ

ーキス・H。 ナヒガ ン氏は彼の 財産の うち50,OC10ドノしの分前 を財団に遺贈 しました。

ゼー ンズビルの ロータ リー・ クラブでは誕生祝のお返 しのtle物をす ることが習慣 となってます.誕生 目を迎え た各会員は 1ド ルを̀̀ロータ リー財団誕生基金

"に

寄付 する機会 を与えられるのであ ります

ケ ンタッキー州マジノンビル・ ロータ リー・ クラブでは100%ロー タ リー財団 クラブになるために資金 を調達す る方法 を考えた結 果, ロータ リアン演出による音楽劇 を行な うことにしそれをやった ところ三晩つづ けて総計2,800人の観客 を集め1,2∞ ドル の純益 をあげま した

 

これは

100%ク ラブr̲なる日標 を充分 に達 してお釣 りが出ました。そしてまたこれはクラブが これまでやった うちで最 も面白 い劇の一つとな りました.一寸 その性質上異なってはいましたが同 じく成功 したもので

,ケ

ンタッキー州 コー ビン・

クラブによって行 なわれた競売があ ります

 

純益は ロータ リー財団へ送 られま した.競売品は同地の商人によって寄 付 された ものでゴノじフ袋か ら生 きている豚に至 るまで様々でした

チヤールズ・ レス リー博士は魚 を釣 りました

 

カール

・ ネル ソン氏はそれを油揚げにして祝宴 を張 り

,そ

れに 参カロした ミブ リー州 カークウ ツドの ロータ リアン達か ら 1ド ルづつ集めそして集 った金 を財団 に送付 しました

ロータリー財団建設者の うちのあるものは請負師に■、さわしいような 規模で建設 をしました

 

ニュー・ ジャジイ州ニュー トンのハー リ。L・

ジョー ンズ氏が10,000ドルを同財団に寄付 した ところ,夫人は夫の熱差 に動か され

― ― ― ― ― ―

親子夫婦の愛 こそ第 一の道 であ り,国民全 体の義務 とその結合関 │ 係です

 

これ らの道は │ 神 々か らきてお ります。│

その他 の道は人間の作 った もので ございます.│

ヴォルテ"ル

ロ ー タ リー の友‑1月 1185) 43

― 青 少 年 問 題

戦後の 日本の青少年は良 くなった とい う見方 と,悪く なった,  とい う見方 とがあ ります.恐らく

,そ

の両面が あるので しょう。 そして問題になっている青少年の数は 善良な青少年に比 して,ずっとす くない ことも事実であ ります。

 

しか し,すくない とはいって も

,そ

の ような青 少年が存在す ること自体が,大きな問題であるばか りで な く

,そ

れが青少年の もつ或 る傾向を端的に現わ してい ることを考えるとき

,そ

れは重大な警告であることはい うまで もあ りません

 

しか も,  この不良化の傾向は

,な

かなか阻上できないのです.

わが国の青少年問題は,昨年の「太陽族」論議以来特 に世人の関心の的になってお りますが,最近の青少年非 行の特徴 として,最高裁家庭局の森田宗一氏は「性,暴,

集」の 3つ を挙げてお ります

.即

ちその非行は,性的,

暴力的,及び集団的になっているとい うのです。まこと に寒心にたえない所です。

しか し, これは 日本特有の現象なので しょうか。私が 今夏 2カ 月にわたって欧州の国々をめ ぐり見開 して来た 処によ ります と,軽重の差 こそあれ,青少年問題に悩ん でいない国は,殆どないようです。わが太陽族に対 して 英国には「テデ ィ 。ボーイズ」 (マンボ族に似た もの)

西独 には「ハル プ・ シュタルケ」(半分大人), ス ゥエー デンには「スキ ンクヌッテ」(皮ジャンパー族)があ り,

ノ連でさえ

,テ

デ ィ・ ボーイズの ソ連版 ともうべ き「ス テ ィル ヴアキ」(ス タイル・ボーイズ

)の

問題 を もって いるとい うことです。

これ らの国々には,富んだ国,進んだ福祉国家,戦敗 国,戦勝国

,中

立国

,そ

れか ら共産主義の国までお るの ですが, それが例外な く青少年問題に当面 していること は

,そ

こに, これ らの国情の差異 をこえた,何か共通の 原因があることを思わせ るのです。

その有力な原因の一つ として挙げられているのは,  こ れ らの国々の青少年が一様 に,心のよ り処を失 って,強

い情緒的不安定に陥っているとい うことです。いつの戦 争で も,  それに伴 う青少年の自由制限 と,手の廻 りかね る処か らくる放任 とが重 り合 って,大人に対す る青少11 の不信感を植えつけ,両者の間のみぞを深める傾向を生 むといわれていますが

,そ

の点では,第2次 世界大戦の 影響は実に広 く,  そして深い ものがあった ようです。 そ れに加えて,困窮のため

,あ

るいはその反対に高い生活

じて い な い

年 団 体 ―

東京

RC 

日本

YMCA同

盟総主事

 

水準 を維持す るために家庭外で働 く母親が多 くなって来 たこと,家庭が単 なる寝 る所 と化 して温か さを失 ってき たこと

,そ

のほか,家庭の分裂,分散な どによる家庭の 影響力の減退 もあ って、青少年の多 くは しっか りと結び ついて,心と心の通 じる場 をどこに も持 ち得な くなって 来たのが現状であ り

,そ

の もつ不安感 をますます深めて 来たのです。英国な どで も,社会保障による青少年の生 活の安定は表画的な ものに過 ぎず

,そ

の底には深い不安 定感 をか くしていることが指摘 されています。

青少年が このよ うl 心の安定 を失 っていることの一つ の現われは,世界 を通 じて見 られ る,大人に対する強い 反抗であ ります.よ く「理由なき反抗」 とい うことがい われ ますが,本当は「理由のわか らない反抗」 とい うべ きで しょう

 

即 ちどんな行動に も,本人が意識す ると否 とに拘 らず,何らかの原因のないものはないのです。わ か らない とい う理由で原因を無視することは

,ち

ょうど 発熱 している小供 を, しか りつけて

,な

おそ うとした り その小供 を裸に して熱 をさまそ うとす るのに も似た乱暴 なや り方であ りましょう。青少年が,ふてぶてしく反抗 するとき,実は最 もみ じめな気持 をか くしていると見て よいで しょう

また この,  よ り処 を失 った心の不安定は,堪えがたい

ものであ りますか ら,何かに依 りたよつて,その安定 を とり戻そ うとする結果,少年 をか って, 日標のはっきり しているように見える,極右,極左の運動に走 らせた り する傾向を示す ことも無視できない所です。

大 人 へ の 不 信

以Lのような世界の青少年 に共通の1悩み を眺めて,振

返 って 日本の青少年の現状 を見るとき, その もつ不安定 感は,次の ような 日本の特殊事情により,一そ う深刻 な

もの となっていることを見出すのです.

1.敗戦によって,大人に対す る不信が深め られた こ と,「もうだまされないぞ」 とか「大人の手には乗 らな いぞ」 とかい うことばは,終戦当時ほ どではあ りません が,今で も耳にします

 

そ してわれわれ大人は,今の若 い人たちが,「ほ しが りません勝つまでは」 とけなげに歯 を くい しばっていた当時の小供であることを,  とか く忘 れがちです。

2.戦後わが国で進め られ て来た民主化の過程が,大

人の間 よりも,青少年の間に深 く浸透 した こと, そのた

少 年 は大 人 信

とを

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TOMO

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