トップPDF 『外国語学部紀要』発刊に際して 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

『外国語学部紀要』発刊に際して 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

『外国語学部紀要』発刊に際して 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

宇佐見 太 市  大阪十三にある第七藝術劇場で、柳家小三治ドキュメンタリー映画『小三治』を観た。 康宇政監督が当代随一噺家・柳家小三治に三年以上も密着して撮り続けた作品である。エド ワード・サイード魂に心打たれ、それを伝えたいという衝動に駆られた佐藤真監督が、己 感性で創出し、世に問うた作品『エドワード・サイード OUT OF PLACE』とイメージが重な った。両者とも、それぞれ被写体人間像がみごとに映し出されている。ふだん著作を通じ て読者が知りうるエドワード・サイード像からいくぶん漏れた未知なる部分を佐藤真監督が観 客にそっと垣間見させてくれたように、康宇政監督も、高座にかけられる小三治師匠完成さ れた芸内側に潜む噺家・小三治人間性をさりげなく表出した。四六時中、落語と格闘し続 けるひとり噺家ひたむきな生き方を私たちはここに見てとることができた。
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国際協働プロジェクト参加を通しての「学びの質」 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

国際協働プロジェクト参加を通しての「学びの質」 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

た」、などを含む《人とふれあいから得た相互理解実感》というカテゴリにつながる。一方 実際に人と触れることから、《多文化的視野獲得》という認識にいたる。生き方・価値観など 文化差を認識したという人、さらに一歩踏み込んで、違いを受容すること大切さについて 記述する人がいる。また、出会った人出身国や滞在国へ関心高まりに関する記述、自ら 視野広がりを認める記述を含め、合計記述頻度がもっとも多いカテゴリである。次に《自 己と向き合い》《自己肯定的変化認知》などに見られるように、自己に向かう記述が非常 に多い。自分を見つめ直し、客観化し、欠けているものを認識すると同時に、新たな自分を発 見する。また自己が良い方向に変化した、成長したと感じている。特に多かったが、すべて を単独でおこない自分で決定したことからくる自信、問題解決力や度胸が身についたというも である。また、自分日本人性へ気付きや自分将来像明確化にもつながっている。《コ ミュニケーションについて理解》というカテゴリに含むは、多く人と協同で活動したこ とを通して、コミュニケーションそのものについて気づいたり考えるきっかけとなったことを 示す一連記述である。理解しようとする気持ちが大事とか、自己を開示し表現することが大 切、などコメントも多い。共通である英語でコミュニケーションを通して、《英語を使う 自己像が明確化》した一方、自分英語力不足を実感し、これが《学習必要性認知と学 習意欲》につながる。
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国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

5)最終意思決定結果として本番プレゼンテーション内容決定方法 8 .おわりに  重要なことは、ファシリテーターが両グループへ向けて、アイデア要約、意見、提案、感 情(公正に手続きが進められているか、次ステップを把握しているか確認)というフィー ドバック(report-backs)を常に行うことである。一方、避けるべきことは拙速に物事を決め ることによる不満であり、せっかく国際交流が国際紛争にならないためにも、十分な時間的 余裕をもって、事前交流、現地交流と国際協同プレゼンテーション、事後交流を企画運営して いくことであると思われる。その結果、ASEP「で」ではなく「でしか」できない学習環境(国 際ファシリテータースキル育成など)を創出して、それを後輩へ繋いで行くことにより、「人 びとが、国や民族を越えて異なった文化や思想を理解し、相互に認め尊重し、協力しあうよう な、共に生きる平和な地球社会(UNESCO 憲章)」を作ることができれば、ASEP 実践意義 が更に高まるであろう。
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オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 この話には誇張があることをオズボーンは最大限考慮した。女性というものは ― 彼は考え た ― 話を都合よくまとめ上げるが大好きである。特にそれが不幸ときは。しかし彼 は大変心配になり、ただちに長い手紙を書いた。その手紙中でオズボーンは、ドッド夫人 話がどこまで本当なかを尋ね、もしそれがかなり部分事実であるなら、気晴らしため にすぐに町に出てくるよう強く勧めた。グラハムは実際に姿を現すことでそれに応えた。そこ でオズボーンはすっかり安心した。グラハムはこの数ヶ月で今までにないほど健康で元気そう だった。しかし彼と話してみると、精神的には少なくとも彼が深刻に病んでいることが分かっ た。元気がなくぼんやりとして、思考がまったく働いていなかった。オズボーン問いにも援 助申し出にも反応がないので、オズボーンはそれを悲しい想いで受けとめた。彼は生まれつ き感傷的な悩みを大変なことだと考えるタイプではなかった。階下住人が失恋で引きこもっ ていても、だからといって階段を上がる自分足音に気をつかうような人間ではなかった。し かし、グラハムをからかっても何効果もないだろうし、楽しさというものは必ずしも他人に 感染するわけではないということをグラハムは証明しているように思われた。グラハムはオズ ボーンに、自分ことを恩知らずな奴だと思わないで欲しいということ、そして、今回こと が癒されるまでその件については触れないで欲しいということを懇願した。グラハムは今回 件を忘れようと決意していた。彼がそれを忘れることができたとき ― 人はそういうことを忘 れるものなので ― 少なくとも今回先端をうまく過去に追いやることができたとき ― このことについてすべてを話すつもりだと言った。当面間は、自分気持ちを他ことで紛 らわせなければならなかった。何をすればいいか決めるは容易ではなく、当てもなく旅を するも難しかった。しかし、この耐えがたい暑さ中でニューヨークにとどまるも不可能 だった。ニューポートになら行けるかもしれなかった。
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ゴードン・スコット・ジョンソン教授 略歴及び主要業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ゴードン・スコット・ジョンソン教授 略歴及び主要業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

(National Poetry Foundation)この本はフェノロサと平田喜一による能原稿訳文 転写で著者計 15 名 謡曲錦木(pp. 87-130)杜若(pp. 239-261)を担当  学術論文 “The Fenollosa-Hirata Manuscripts on Noh, and How Ezra Pound Edited Them” 単著  昭和 53 年  国際学者会議紀要第二十三号 pp. 49-59

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岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ンスを保つべくルクセンブルク会話力がこれまで以上に求められることになろう。  一方、国語であるルクセンブルクが、ルクセンブルク国内でしか使われない言語であり、 学問をするにも十分でないという状況が、ルクセンブルク教育強化に踏み込めない理由に なっている。外国統合に国語を利用できないルクセンブルクは、3 言語間バランスを調 整することでアイデンティティを守る他ない。そのために、ルクセンブルク在住ポルトガル 人やイタリア人は、自分母語以外に 3 言語を学ばねばならなず、これに英語も加えると学ぶ べき言語が 5 つになってしまう。そもそもルクセンブルクは、欧州主要言語であるフランス とドイツによる言語インフラを整備することで、EU 中心的な都市として発展してきた。 ルクセンブルクが国際都市として繁栄し続けるためには、この言語インフラは不可欠だ。現在 枠組みでは、ルクセンブルク在住外国人はインフラを提供する側、通勤者はインフラを利 用する側に組み込まれているといえる。こう考えると、ロマンス系言語を母語とする外国人は、 ロマンス系言語をベースとする複言語能力を身につけることで、ルクセンブルク人とは異なる 言語インフラを提供できるようになり、ルクセンブルク言語インフラを豊かにする潜在力を 持っていると考えられるだろう。国家権限を吸収しながら深化する EU 都市機能と、国家 に基盤を置くアイデンティティー保持という必ずしも相容れない要求を満足するは難しいが、 前者を損ねない形で緩やかな 3 言語主義にシフトしていくが現実的な方向であろう。
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存在命題の意味論的分析―フレーゲ再考― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

存在命題の意味論的分析―フレーゲ再考― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 この場合、‘is wise’ や ‘growl(s)’用法と ‘exist(s)’用法と間に、どのような違いがあ るか。ムーアによれば 6) 、両者違い 1 つは、‘Tame tigers growl.’ には、ある種曖昧さ (両義性)があるが、‘Tame tigers exist.’ にはないということである。すなわち、‘Tame tigers growl.’ という文は、‘ tame tigers growl.’、‘ tame tigers growl.’、‘ tame tigers growl.’ いずれも意味することができる。そして、これら 3 つ文によって表現される命題が 真となるため条件として、少なくとも 1 匹以上虎が実際に唸る(growl)ことが必要であ る。これに対して、‘Tame tigers exist.’ には、このような曖昧さはない。‘Tame tigers exist.’ は、つねに ‘ tame tigers exist.’ だけを意味する。‘Tame tigers exist.’ と ‘ tame tigers exist.’ とは、まったく同一命題を表現する 2 つ異なった表現方法にすぎない。では、 ‘ tame tigers exist.’ や ‘ tame tigers exist.’ には意味がないか?それら文は、表面 的に何らかの意味があるように見えても、じつは何意味もない。このことがまさに、‘exist’ 用法と ‘growl’ 用法と間にある重要な違いを示している。
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福井七子教授 略歴および主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

福井七子教授 略歴および主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

研究発表 「関西大学留学生生活における現状について」(1994)大阪商工会議所 「日本研究ルーツ―『菊と刀』―」(1995)国際日本文化研究センター “Background Research Undertaken for “The Chrysanthemum and the Sword””(1996 年)米国 ネブラスカ大学『菊と刀』誕生 50 周年記念国際フォーラム

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福井先生との翻訳の仕事 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

福井先生との翻訳の仕事 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

21 ペンを走らせている。「…後は何て言った?」そこでやっと私に聞く。福井先生がペンを走ら せるスピードは並大抵ものではない。しかも、乱れた字ではなく、後からでもちゃんと読め る。その上、私が訳した内容を確認しながら書いている。神業である。お互いにかなり集中 力を用いる作業なので、途中で何度か息抜きを入れる。訳し終わった箇所について話し合うこ とが多い。訳し終わった部分を今度は福井先生が家でコンピューターに打ち込む。打ち込みな がらさらに日本語調整をする。次週に会うと前回翻訳した箇所で先生が書き直したところ、 わかりにくかったところなどについて話し合う。そしてまた次箇所を訳す作業に入る。これ 繰り返しである。2013 年外国学部紀要』第 9 号からほぼ毎号で翻訳した部分にコメン トをつけて掲載している。その校正際にさらに翻訳内容に修正を入れ、訳を磨いている。  1959 年に出版された Anthropologist at Work をなぜ今さら翻訳しているか疑問に思う人 も多いかもしれない。文化人類学分野はその後発展を遂げているし、1959 年から世の中は大 きく変わっているだから、1930 年代から 1940 年代にベネディクトが書いたことなど現代社 会にはあまり意味を持たないではないかと思う人もいるだろう。もしそうだったら、私もこ 翻訳作業に加わらなかったと思う。また、この本がベネディクト研究者にのみ重要な資料で あるとしたら、これまでベネディクトとは関わりを持ったことがない私がこの翻訳をすること にはならなかったと思う。なぜ今この本を訳しているか。それは、この本に書かれたことが 今社会に通じるところがあるからである。そして、ベネディクトが生きた社会中でベネデ ィクト、あるいは彼女師であるフランツ・ボアズが学者として貫いた姿勢を心から尊敬し、 私もこの本を訳すことによって彼らと同じように今社会に一石投じたいと思うからである。 これは、私と福井先生共通思いだ。
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北村 裕先生との四半世紀 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

北村 裕先生との四半世紀 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

竹 内   理  我々が敬愛する北村 裕先生が、65 歳定年を迎え、本学をご退職になられる。言葉では言 い表せない、強い寂しさを感じずにはいられない。  北村先生とは、お互い前任校時代から数えて、もう 25 年を越えるおつきあいとなる。私が まだ 20 代後半、先生が 40 代前半時であった。学会でお会いしたが初めてであったが、そ 素晴らしい英語力には感服するしかない、と印象を覚えた。その後、先生が長期留学経 験を一切持たず、日本でのみ英語を学んできたという話を聞き、ふたたび驚いた次第である。 また、ご研究面でも、パソコンという言葉がまだ一般化していない時代に UNIX ワークス テーションを駆使して、まさに外国教育工学という言葉にふさわしい業績を打ち立てられて いた。その後も、ベルギー著名な心理学者 G. d’Ydewalle 先生と共著で眼球運動に関する認 知心理学的研究を行われたり、米国 CNN 社と契約して英語教育教材を開発されたりと、常に フロントランナーとして、面目躍如たる活躍を続けられていた。これらに加えて、恩師大西 昭男先生(関西大学元学長・理事長)薫陶を十分に受け、幅広い分野で深い教養をお持ちで もあった(更にフルート名手でもある)。このように、私からすれば、北村先生は真に仰ぎ見 るような存在であった。その先生と、国際研究大会実行委員会メンバーとして、またその後 は、(先生が愛してやまない)関西大学同僚としてご一緒させていただき、間近に接する機会 が持てたことは、後研究者・教育者として人生に大きな影響を与えたことは言うまで もない。
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大学における翻訳教育の位置づけとその目標 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

大学における翻訳教育の位置づけとその目標 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

改訂モデル=翻訳二重プロセスモデル  図 2 に示したモデルは、いわゆる「直訳」(言語表層構造にのみフォーカスした記号変換的 な訳)について学生注意を喚起し、より深いテクスト分析と意味処理必要性を訴えるため には有効なモデルである。本稿で取り上げたようなさまざまな問題点も、基本的にはこのモデ ルで説明することができる。したがって、学部レベルで授業では図 2 ような概念化ができ ればほぼ十分であると考えられる。ただし、厳密に言えばこのモデルでは不十分である。  図 2 モデルはいわば「直訳」を否定するためモデルであるが、実際には翻訳(や通訳) すべてが図 2 ルート②に示したような「深い処理」を必要とするわけではなく、語句レベ ルで記号変換的処理で済むことも少なくない。また、その比率が多ければ多いほど、翻訳(や 通訳)は効率的になる。とりわけ、情報伝達を主眼とするテクスト(informative text)場合 は「浅い処理」で十分に用が足りることが多い。例えば、貿易摩擦問題に関する報道文に“struc- tural impediments ”という表現が出てきたとする。この場合、通訳翻訳者にとって当面問 題はこの表現に対応する目標言語語彙 (lexical equivalent)― この場合は「構造障壁」― を知っているかどうかということだけであり、この表現が何を意味するかについて(当該分野 専門家ように)深く理解している必要はない。仮に目標言語対応語彙を知っているだけ では十分な翻訳ができない場合は、その都度、必要な範囲で調べればよいだけことである 21) 。  このことはしかし、翻訳や通訳は、基本的に対象テクスト内容について深い理解を必要
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キルギス語とロシア語のコード・スイッチングに関するパイロット研究 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

キルギス語とロシア語のコード・スイッチングに関するパイロット研究 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 だが、同じく表 1 が示すように、A も B も、日常生活においては二言語を併用あるいは混合 していることに注目する必要がある。特に A は、キルギスを学んでいる外国人と話す際には、 ロシアが混ざらないよう努力すると証言しており、当該インタビューにおいては、主となる 言語がキルギスである通常会話に比べ、CS 発生頻度が特に低かった可能性が考えられ る。C も同様に、日常生活における言語使用について「ある人とはロシアで、別人とはキ ルギスで話す」と証言しており、いずれか言語が主となる言語として選択される場合があ ることも十分考えられる。すなわち、本稿で明らかになった CS 頻度とパターン・特徴が、各 インフォーマントに常に当てはまるわけではないである。
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at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 それ以降、それまで頻繁にしていた家出は二度としませんでした。私幼児期家出は、私 癇癪発作と同様に、家庭内罪と考えられていました。実際には 2 回しか家出したを覚 えていませんが、どちらも大事でした。最初家出はその後にジレンマを感じたからよく覚え ています。私が 3 ∼ 4 歳頃、母が用事で 3 ∼ 4 日外出するので、その間絶対に家出をしない ように約束させられました。でも私は家出をしました。母が帰宅してから約束を破ったことを 母にとがめられましたが、私はその理由を言うことを拒否しました。母は私が話しをするまで 家に閉じ込めると決めました。でも私を家に閉じ込めてもあまり効果はなく、一日一日とそれ は延長されました。話しをしさえすれば、罰から解放されるは確かでしたが、私は母に話し をすることはできませんでした。今振り返って考えると、家出と家出にまつわることは、私世界であり、別世界について母に話すことはできませんでした。家族みんなが私に手 を焼きました。ためしに私が石油缶栓を開いて木小屋にそれをまいた時、母は罰する ことをやめました。私は何をしでかすかわからないような子だったので、みんなに迷惑をかけ るだけでなく、悪意に満ちているかような存在でした。ある朝、母は私を一階寝室に連れ て行き、私が話しをするまで何も食べてはいけないと言いました。その時自分苦しみをよ く覚えています。家族は正午に食事をし、午後時間が経っていきました。みんなは夕食を食 べ、電気が灯されました。母は私隣に座って、ほぼ一日待ちました。やっと私は、話し始め ました。その解放感たるや、まるで本当に酔ったような気持ちでした。今まで成し得なかった 最も困難なことを成し遂げたです。母は私を食堂に連れて行き、ランプもとで二人だ けで食事をしました。
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ある肖像画の物語 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ある肖像画の物語 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 この苦しい試練におけるマリアン振る舞いはまさに英雄的なものだった。未来感情 中に何か微妙な変化が起こったことを彼女は感じ取っていた。彼女にはその変化原因を突 き止める力はなかったが、明らかにその変化は彼女将来を危険にさらすものだった。二人 間で何かが裂けた。彼女は力半分を失っただ。彼女は恐ろしく追い詰められた。彼女が喜 んでレノックスに認めていた人格あの優れた深みが、今、彼女が想像するに、大胆で不吉な 意図を覆い隠しているかもしれなかった。彼にはこの亀裂を調停することができるだろう か?人良い億万長者妻であるというスパイス効いた甘く香りよいお椀を彼女唇から はね飛ばすことが彼意図なだろうか?マリアンは恐る恐る自分過去に目を向け、何か黒 い染みを彼が見つけたではないかと考えた。実際、その点については、そうできるものなら してみよと彼に挑まないでもなかった。してはいけないようなことを彼女は本当に何もしてい なかった。彼女歴史には目に見えるような汚点は何一つなかった。確かに、ある種漠然と した道徳的な汚れによって彼女過去にはかすかに色あせている部分もあるが、他女性と比 べると比較にならない程度ことだった。彼女は楽しみ他には関心がなかった。しかし、そ れ以外何に向かって少女は育つというだろうか?大体において、彼女は気楽に暮らしてき たではないだろうか?そのとおりだと彼女は自分に納得させた。しかしそれでも、もしジョ ンが婚約を破棄したいと願ったら、彼女振る舞いにおける問題程度ではなく、高度に抽象 的な根拠にもとづいて彼はそうするだろうと彼女は感じた。それは単に彼女ことを愛さなく なったということである。彼女が親切にもこの状況を見過ごし、気持ち恩義は断念する と彼に請け合っても彼女には何役にも立たないだろう。しかし、彼女が感じていたぞっとす るような心配にもかかわらず、彼女は微笑み続けていた。
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博識無双の凛然たる人、北村裕教授 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

博識無双の凛然たる人、北村裕教授 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 1994 年(平成 6 年)4 月発足本学総合情報学部英語専任教員として、英語教育界風雲 児たる北村先生に白羽矢が立ったは、至極当然である。英語教育工学ならびに認知言語学 専門家として新設総合情報学部で辣腕を振るうお姿は、すぐれて「知人」そのものであ った。北村先生は、常に自己抑制を心がけておられたようで、御専門以外事はあまり活字に はされなかったが、私知る限り、英米文学や文化に造詣が深かった。だからこそ、海向 こう研究者とも対等に勝負できただと私は確信している。実際、古典も含めて、現代英米 文学作品をよく読んでおられた。やはり間違いなく北村先生根っ子には、本学文学部佳き 学統が存在する。
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アメリカテレビニュース英語の音声特性―音響分析から 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

アメリカテレビニュース英語の音声特性―音響分析から 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

3 .プロソディ,その他における音声特性 3 . 1  強勢拍リズム  英語を聞いていると,そこには独特リズムがあることに気がつく。このリズムは主として, 文中強く聞こえる音節が,ほぼ等しい時間間隔で現れる傾向があることによって生まれると いわれている。このような英語に特徴的なリズムことを強勢拍リズム(stress-timed rhythm) という。英語他にオランダ,ドイツ,デンマーク,ロシアなども強勢拍リズムを持 つ言語である。他方,フランス語,スペイン,ギリシャなどでは強音節,弱音節如何に かかわらず,すべて音節が時間的に等間隔で現れる傾向がある。そのようなリズムことを シラブル・リズム(syllable-timed rhythm)という。また,日本は各モーラがほぼ等しい強 さ・長さで発音されるモーラ・リズム(mora-timed rhythm)を持つ言語といわれている。  日本人英語学習者がセンテンスを音読すると,1 つ 1 つ音節を区切ってポツポツと同じ 強さで発音することがよくある。これは,日本モーラ・リズムをそのまま英語発音に転化 しているからである。日本語では,文中各モーラをほぼ一様強さ・長さで発音する傾向が あるが,英語ではアクセントある強音節は弱音節に比べて際だって聞こえる。
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碩学 平田 渡先生へ感謝を込めて 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

碩学 平田 渡先生へ感謝を込めて 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 先生碩学ぶりは尋常でなく、ご専門であるイスパニア文学・文化話はもちろんこと、 日本文学・文化話、言語や教育話、さらには趣味海釣話や車、ワイン話まで、周り にいるものを圧倒する。読書量はおそらく大変なものだと推察される。ただ、先生は読書に使 われる時間と同じくらいに、若い教員と話す時間も大切にされた。その中で、文学面白さに 気づいたもの、日本意識を高めたもの、新たな視点を得たものがいることを見ると、人 を育てる際「対話大切さ」を、他誰よりも認識されていたではないかと思えてくる。  また、先生は人に感謝する言葉を惜しまない方でもある。作業をご一緒させていただいた 8 年前外国学部開設にかかる各種行事で、自ら様々に差配を振るわれたにも関わらず、「我 が勲なきがごとく」振る舞われ、下支えしたものに感謝をされていた。その姿を思い出すと、 ともすれば自らことばかり考えがちな大学教員中にあって、周りへ配慮を欠かさない先 生存在は希有なものであり、そして見習うべきものであると感じる。
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アディナ ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

アディナ ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

念につきまとわれた。ついにその疑念があまりにも大きくのしかかってきたので、私は小型 馬車を雇い再びアルバーノに戻った。午後遅く宿に到着したが、スクロープたちに宿で会える かどうか分からなかった。実際、彼らは散歩に出かけていて、宿主人も彼ら行先を知らな かった。彼らが帰って来るまでその小さな汚い町をぶらぶらする以外にすることがなかった。 アルバーノ湖ほとりカプチン派修道院を覚えておられるだろうか?私はそこまで歩いて 行った。教会入り口がまだ開いていたので、私は中に入って行った。夕暮れが教会隅に忍 び寄っていたが、何か信仰上儀礼か、多くろうそく灯りで祭壇は明々と照らされていた。 薄暗い中で、ろうそく灯りは絵ようにきらきらと輝いていた。あちらこちらでひざまづい た人影がぼんやりと自ら存在を示していた。それは組み合わされた明暗が織りなすちょっと した作品だった。私は座ってそれを楽しんでいた。しばらくして、私近くに座っている若い 女性が熱心に祈っている姿に気がついた。手は膝上に組んで置かれていた。顔は上を向き、 奇妙に開いた目は光輝く祭壇を見つめていた。ご存知とおり、私たちは家庭暖炉輝き 中で様々なことを想像するものだ。この若い女性はろうそく中で恍惚とするような啓示 を読み取っているように見えた。彼女表情がとても特異で、それが彼女正体を偽装してい たので、自分がアディナ・ワディントンを見ているだという認識は突然衝撃とともにやっ て来た。私は彼女同行者を探したが、彼女は一人ようだった。彼女をこっそり観察する権 利は私にはないように思えたが、彼女に声をかける気にも黙って立ち去る気にもなれなかった。 夕闇がせまっていた。彼女に連れがいないとはどういうことなだろう?彼女は残り人たち を待っているだと私は結論づけた。多分スクロープは、ご婦人たちには許されない特権、つ まり、修道院テラスから夕日を見るために中に入って行き、ワディントン夫人はスケッ チためメモをとるために教会外をぶらぶらしているだろう。私は向きを変え教会側 壁に沿って反対側にいるその若い女性に近づいた。今度は私が近づいてくることに彼女が気づ いた。祭壇から目を離して私方を向き、しばらく私顔を見つめていたが、どうやら私だと 気がつかなかったようである。しかし、ついに彼女がゆっくりと立ち上がったとき、彼女が私 に気づいたことが分かった。彼女はカトリック教徒になり異端者である友人たちと袂を分かつ 準備をしているだろうか?
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吉田健一と英文学 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

吉田健一と英文学 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

れば「良い生活」が可能だと知った父は、一週間うち六日は「酒は一切飲まない」など、 厳格な生活規律を確立し、まことに勤勉な人生を送った。(吉田暁子 282)  若き日吉田健一は、激動する世界情勢なかで政治家として天寿を全うした実父・吉田茂 とは異なり、「言葉世界」で生きて行くことを決意し、実際その初志を貫き通したことを、吉 田健一娘・吉田暁子は読者に伝えてくれる。そしてその吉田健一は、「ただ生きるだけでな く、人生与えてくれる良いものを楽しむこと」にも重きを置いたとことである。学問や芸 術全般を己実人生と密に絡めて追究していこうとするその好事家的生き方は、若き日英国 留学薫陶たまものであったと思われる。吉田健一人生に対する態度には英国精神真髄 が感取できるからである。現に晩年 1974 年に吉田健一は、『英國に就て』と題する著書を刊 行しているが、そのなか「英国文化流れ」章で、文学と実人生と関係について持論 を展開している。そして彼はその持論を実際に己人生において実践したである。その際、 彼人生観根幹には、吉田暁子が言うところ「強靭な精神」があっただ。「勤勉な人生」 を基調とした吉田健一理想的ともいえるホリスティックな文筆活動豊かな実りを通して、 後代私たち現代人、特に筆者ような日本で英米文学を専攻する者は今、先達・吉田健一が 遺した卓抜な人文学的知性を感受し、体得しうるである。人文学領域、とりわけ英米文学研 究界にとって停滞・沈滞という過酷な状況下にある現代私たちは、吉田健一が後世に伝えた 偉大な足跡再評価を通して、生き直すことができるだ。よって吉田健一は、われらが救世 主たりうる存在だと、筆者は確信している。なぜなら第二次世界大戦後、少なくとも大学を中 心とした日本アカデミズム世界では人文科学分野も自然科学分野と同様だと考えられる風 潮が強まり、学問研究なるものはおしなべて客観的・実証的態度に徹するべきで個人感情等 を吐露してはいけないだという、まことしやかな教義が主流を占め、現に大学に籍を置く英 米文学研究者ほとんどは己個人的感情等は封印し、権威ある学会というアカデミズム世 界にひたすら閉じ籠るようになってしまったからだ。英米文学研究者は、己が属する学会や大 学を中心としたアカデミズム尺度・基準によって下される業績評価に一喜一憂する傾向が強 まった。しかしこれはひとつ間違えば、現実社会から逃避になりかねないと思う。言わば、 大学や学会という閉じた組織・機関へ引き籠り現象である。こうした風潮に敢然と逆らい、 警鐘を鳴らしたが『太平洋戦争と英文学者』(研究社、1999 )著者・宮崎芳三である。宮 崎芳三は、「学問研究」という名美辞麗句に守られているがために実質的には脆弱なものとな ってしまった日本英文学研究界実態を、しんから憂え、活性化ため処方箋を模索した
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アントニー・スティーヴン・ギブズ先生 ―仰ぎ見る存在として― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

アントニー・スティーヴン・ギブズ先生 ―仰ぎ見る存在として― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 ギブズ先生は、名門オックスフォード大学ニューカレッジ卒業生であり、ゴールズワーゼ イ特待生でもあった。私が学会発表でオックスフォードトリニティカレッジへ行く際には、 「ニューカレッジあたりも良いですよ。あそこは 007 ジェームズ・ボンドが卒業した設定に なっているですよ」とお話になられていたが、自らが卒業生であることは少しも語られなか った。ご専門 1 つである日本文化話になっても、「間違っているかもしれませんが」と前置 きをしながら、造詣深さが滲み出るお話をされていた。常に、謙虚で、穏やかな語り口が先 生特徴といえるだろう。それでいて、どこかに少しユーモアを隠して話しをされる。たまに 私がそれに気づくと、茶目っ気たっぷりに目配せをしてくださったことが何度かあった。  先生はまた優しい人でもある。もう 10 数年前ことだが、世間話で、肩こりに悩まされてい ると話をすると、後日「この ointment がよいですよ」と、それをわざわざ買い求めて持参して くださるなど、若輩私などにも細やかな気遣いをされた。大学を去られることになった時も、 「まだ私にやれることがあれば、何でもお手伝いをしますよ」と非常勤で科目担当も自ら申し
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