トップPDF 通訳の仕事 ―通訳者に必要な資質と能力の養成 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

通訳の仕事 ―通訳者に必要な資質と能力の養成 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

通訳の仕事 ―通訳者に必要な資質と能力の養成 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

10 年以上」。B クラスは「正確逐次通訳が可能。一般的分野において、同時通訳 も可能。通訳経験 5 年以上」。C クラスは「商談、随行、ガイド通訳が可能」。  このよう分類は通訳を雇う、または派遣する場合目安として示してあるですが、ラ ンクによって仕事難易度と共に報酬も異なります。通訳として初めてエージェント登録 するときは極一般的ケースでは C クラスで始めます。たとえば国際見本市スタンドいて、 見学出展話を訳しますが、本格的商談や契約は B ランク以上通訳が交代します。 仕事を続けて何年か経つ少しずつ難しい仕事を依頼されるようなり、5 年ほど続けて難し い仕事依頼が続くようなる通訳自身がエージェント昇格を打診したり、エージェ ントから雇用契約更新ランク変更を提案したりして B クラス昇格します。次ス テップで A クラスへランクが上がっていきます。ただし人によっては最初から B クラスや A クラスで登録することもありますし、逆 10 年以上ずっと C クラスや B クラス仕事を続け る人も居ます。C クラスガイド通訳も可能、あり、報酬も C クラス同じ程度ですが、ガ イド通訳仕事内容は単なる通訳だけではなく、国家資格を要する特別位置づけなり ます。
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同時通訳はなぜ可能なのか ~同時通訳の認知・言語学的メカニズム~ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

同時通訳はなぜ可能なのか ~同時通訳の認知・言語学的メカニズム~ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

を組織的養成していました。  その後、第 2 次大戦後ドイツで国際軍事裁判、いわゆるニュールンベルグ裁判(1945 年 11 月∼ 1946 年 10 月)が始まります。この裁判では、本格的同時通訳が採用されました。西側 では、一般にこのニュールンベルグ裁判が同時通訳起源されています。本格的同時通訳 を導入するためは専用機械装置が必要なりますが、これは IBM 協力で開発されていま す。それ以前もごく原始的ものはありましたが、本格的同通システムはこの時初めて 作られ、これを機同時通訳というコミュニケーション手法が広く知られるようなりました。  なお、ニュールンベルグ裁判で同時通訳を迅速かつ組織的手配できたはソビエト連邦 だけだったそうです。西側はどうしたかいう、当然、同時通訳養成が行われていませ んから、言葉ができる人をとにかく集めて、OJT で実際裁判をしながら養成していったとい うのが実情だったそうです。ラムラーさんという、当時若干 22 歳で英語ドイツ同時通 訳者としてニュールンベルグ裁判関わった方がいます。数年前日本来られて講演をされ たですが、この時ニュールンベルグ裁判について詳しい話をされています。非常貴重 お話でした。もう 90 近い年齢ですが、ご存命うち話を聞きたいということでお呼びして、 講演録も出版されています(松縄 2007)。それを読みます、当時どういうことがあったか当 事口から語られていまして、非常面白い。ラムラーさんはわずか 22 歳でこういう軍事裁 判通訳をすることなったわけですが、要するにほか誰もできる人がいないわけですね。 彼は英語ドイツ両方とも堪能で、頭回転も速い。軍事裁判についても多少知識があ った。そういうことで、とにかくやれいうことでやったそうです。他言語場合も事情は 似たようもので、例外はわずか旧ソビエトのみ。先ほど申し上げましたとおり、ソビエト 連邦ではそれまで同時通訳養成がきちんと行われていましたので、特に大きな問題なく 同時通訳を送り込むことができたということだそうです。
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at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

2 章   は第 1 部から第 6 部で構成されている。この本構成方法つい てミードは次よう書いている。 「これは推理小説ではない。どこから読み始めてもよい。も うすでに終わった人生というは、その人生なか様々出来事を同時に見ることができる。 そのなか一つひとつが後ことを照らすこともあれば、前ことを照らすこともあり得る。 ……私は、この本で読者様々好み合うようアレンジした。最後ページを先読みた い人もいるだろうし、他解釈を読む前、自分で生資料をもと解釈することを望む 人もいるだろう。資料はいくつかかたまりで提示されている。伝記よくあるよう、途中で 切られた文章や詩断片などは折り混ぜられてはいない。なぜなら、ベネディクトも私もある 程度かたまりで資料が提示されなければ、パターンや流れがわからない信じていたからで ある。」( 2)従って資料かかわりも、ミードコメント必ずしも一致するも ではない。ミード自身も章関係は、彼女がひらめいた場合のみ一緒提示している。 1 部ではベネディクト文化人類学出会いを、マーガレット・ミード解説をもと書か れている。年代は 1920 年から 30 年代ものが中心なっている。この章は言語学者である エドワード・サピアベネディクト 1922 年から 1923 年にかけて往復書簡やベネディク ト自身日記も含まれており、初期ベネディクト想いを知る上で重要箇所なっている。  1 部ベネディクトが文化人類学を始めた頃論文「平原インディアン幻視」を翻訳して いて感じたことは、論理的、科学的、そして明確説明するという態度は感じられるが、その 表現からはそのスキルはまだ確立されたは言い難い点が感じ取れる。表現はどちらかという 古めかしく、客観的そしてアカデミック書こうする試みは理解できるが、彼女自身 スタイルは未だ形成されたは言い難く、読み手にとって理解を複雑化させている感じられ る。
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ピア・ラーニングに対する学習者の認識と学びのプロセス 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ピア・ラーニングに対する学習者の認識と学びのプロセス 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

3 . 3  授業デザイン  授業達成目標は、文章表現を中心したコミュニケーションツールとして日本語力、異 文化間コミュニケーション力、社会力向上、現代社会諸問題に関する知識理解深化、 大学で学ぶため必要スタディ・スキルスチューデント・スキル育成をめざす。1 つ テーマは講義演習で構成されている。授業時間は、2 コマ連続(90 分 ×2 コマ)で、毎火曜 4 ∼ 5 限行われ、教室環境は CALL 教室を使用する。1 コースで 4 つテーマを取り上げる が、このうち 3 つ 800 字作文は教師が選んだテーマについて、いわゆる課題作文を書く。最 後 4 つ目プロダクトは 2,000 字(A4、2 枚)レポート作成で、テーマは受講生が決める。 1 つテーマは、3 ∼ 5 週間かけて取り組み、要約作文、翻訳作文、意見文という順執筆して いく。要約作文資料は教師が選びハンドアウトとして配布することもあるが、要約作文や翻 訳作文資料を受講生自身が教師指示した URL アクセスしたりあるいは自由ウェブ検索 をして、テーマ関係ある読み物をいくつか読んで選ぶ。オリジナル作文や推敲した作文は ワード文書して教師まで送信してから印刷し、ピア・レビュー活動を行う。CALL 教室はこ うした活動不可欠環境いえる。
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岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ンスを保つべくルクセンブルク会話力がこれまで以上求められることなろう。  一方、国語であるルクセンブルクが、ルクセンブルク国内でしか使われない言語であり、 学問をするも十分でないという状況が、ルクセンブルク教育強化踏み込めない理由 なっている。外国統合国語を利用できないルクセンブルクは、3 言語間バランスを調 整することでアイデンティティを守る他ない。そのため、ルクセンブルク在住ポルトガル 人やイタリア人は、自分母語以外 3 言語を学ばねばならず、これ英語も加える学ぶ べき言語が 5 つなってしまう。そもそもルクセンブルクは、欧州主要言語であるフランス ドイツによる言語インフラを整備することで、EU 中心的都市として発展してきた。 ルクセンブルクが国際都市として繁栄し続けるためは、この言語インフラは不可欠だ。現在 枠組みでは、ルクセンブルク在住外国人はインフラを提供する側、通勤はインフラを利 用する側組み込まれているいえる。こう考える、ロマンス系言語を母語する外国人は、 ロマンス系言語をベースする複言語能力を身つけることで、ルクセンブルク人は異なる 言語インフラを提供できるようなり、ルクセンブルク言語インフラを豊かする潜在力を 持っている考えられるだろう。国家権限を吸収しながら深化する EU 都市機能、国家 基盤を置くアイデンティティー保持という必ずしも相容れない要求を満足するは難しいが、 前者を損ねない形で緩やか 3 言語主義シフトしていくが現実的方向であろう。
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ファーゴー教授 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ファーゴー教授 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 「そうです!」彼は言った。「肉体魂が一緒でなければならないという恥ずべき必要性へ さもしい譲歩んです。ときどき、たとえ一時間でも耐えられない感じるときがあります。 このよう犠牲を払って真実について語るを聞いてもらうくらいなら、たとえ運命命ずる ところしたがって溺れようとも、あの厚かましいペテン師別れた方がましだ感じるとき があります。黙って口を閉じ、あの男卑劣詐欺行為に対して少なくとも私は何要求もし ない主張することで万事おさまっているですが、彼付き合っていること自体が制裁であ り、あのいまいましい見世物参加していることが純粋真実へ冒涜です。ご覧とお り、私は不幸も何かを信じてしまったです。知ってしまったです。そして知性に関して は、毒を含んだくずを口するか、真科学という熟した甘い果実を口するかが重要である 考えているです!私は毎晩目を閉じ、顎を固定し、歯を噛みしめているです。しかしあ くだらない戯言を聞かざるを得ないです。始めから終わりまで恥ずべき嘘塊です。 今ではもうすべて暗記してしまいました。立ち上がって私もぺらぺら話すことができます。 それは一日中私耳で鳴り響いています。長い布きれをかぶせたテーブル屈み込んでテ ーブルを叩いている恐ろしい夢を見るです。外教授が立っていて聴衆向かって『これは アルキメデス霊です』言うです。そして、私は息苦しくなってテーブルをひっくり返し 千人も詐欺師共犯として登場するです。私無視された人類へメッセージ 価値があまりにも大きく、あまりにも計り知れないので、私がそれを口することを可能 する手段は正当だ信じることができる瞬間があります。黄金向かって航海するときは、 力を誇示する海賊がその船を大洋引っぱっていってもかまわないです。そのよう気分で、 目をつぶって聞かないようしながら壁もたれて陰座っているときは、本当に聞こえない です!私心ははるか遠いところあるです ― 空中浮かび、発明乗って高く舞 い上がっているです。しかし突然、忌まわしい現実が私襲いかかるですが、ここ座っ ているが本当私 ― 山よう黄金よりも一粒科学的真理が貴重だ考えている私 ― だという自分感覚が信じられなくなるです!」
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社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 どの文化人類学者にとっても、前提なる懐疑主義は厳密定義されねばならない。この懐 疑主義はいかなる正式文化制度による影響をも疑うものである。民主主義であろうが、君主 制度であろうが、金権主義であろうが、どの主義も活発で安定した国家において実現されてい る。確信をもって自分目標を追求した部落においても、また最悪魔法を使うよう部落で さえも、民主主義は君臨した。民主主義は、我々イデオロギーが賞賛する個人自由を浸透 させるため政治的形態でしかないことは明らかである。しかし、民主主義は個人自由を必 ずしも保障するものではない。一夫多妻制度が安定したまとまりある家族を形成することもあ る。他社会では一夫一婦制がその機能を果たす。しかしそのいずれもがより大きな摩擦があ るよう分裂した家族も生み出しうる。他文化的特徴に対しても同じことが言える。神聖 王位であろう、花嫁つけられる値段しても、魔法しても同じである。このよう習 慣によって社会がスムーズ機能する言える。また王が神崇められるので、自分快楽 ため人を利用したり、殺したりすることもある。花嫁値段がつけられるため、若い男が結 婚できなかったり、魔術師が誰に対しても自分魔法が使えるため、社会対立や暴力があ るも言える。
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「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

Another is for there to be more ‘original’ or ‘creative’ writing. English continues to focus on enabling you to respond to the world around you. (Robert Eaglestone 133 )  私たち日本英文学専攻にとって有意義だ思われる箇所を、本稿論旨である実践知性 として英文学研究視点からまず引用したが、実は著者ロバート・イーグルストンは第 1 部 第 1 章 ‘Where did English come from?’ 中で、英文学という学科目がどのよう歴史的背景 もとでイギリス設置される至ったかを詳述している。英文学本家であるイギリス事 情を知っておくことも大切であろうから、以下、簡潔まとめてみる:「元々英文学研究なる ものはイギリス大学では受け入れられず、特に古典学教授たちにとっては無用長物であ った。ところがこの英文学は 1835 年、一つ正式学科目としてインドにおいて誕生した。当 時インドを統治していたイギリスは、英文学研究を通して現地インド人をイギリス化させよ う目論んだである。そしてやがてこれがイギリス逆輸入されることなる。そうした逆 輸入代表的人物が、詩人・思想家マシュー・アーノルド(Matthew Arnold)であり、 彼は当時イギリス人文学的教養を身つけさせよう思ったである。具体的は、有益 で文明的道徳的価値観修得が目標された。これに対して、英文学を研究してもほとんど 意味がない考える一派も存在し、彼らは、教養ではなく、むしろ言語研究として英文学を 志向した。こうしたせめぎあい中、1893 年オクスフォード大学英文学学位コースが導入 されたが、英文学専攻は主としてフィロロジー研究を意味した。この流れが変わるは 1917 年 以降である。ケンブリッジ大学講師たちが中心なって、主としてフィロロジーから成り立 っている英語専攻コース抜本的改革を進め、やがて言語研究だけではない、今日私たちが 知っている豊潤英文学基礎が作られたである」。
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母の糸遊び―手芸と絵本のゆたかな出会い― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

母の糸遊び―手芸と絵本のゆたかな出会い― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

Mr. Wolf ? ]整理する、表現方法も、扱う内容も、また、対象読者も多岐にわたる、いろい ろ絵本出会っていたことがわかる。  内容面について言えば、民族として歴史や価値観継承が子ども託されるというも が、一つ主流をなしているよう思われる。そこは、子どもが手する機会多い絵本 というメディアを通して、道をつないでいこうする大人期待努力がうかがえる。  表現手段として手芸が用いられる場合については、手作りされた作品は、あたたかみやや わらかさがあり読者威圧感を与えないということ、そして、用いられる素材質感が、絵本 雰囲気を作り出す大いに関与している、ということが明らかなった。手芸を選択する ことで、絵本作家は、糸や毛糸、布、紙などさまざま材料を用い創作挑む。絵筆代わり 選ばれた材料は制限もあるが、他方可能性も大きい。出来上がった作品は、手芸でしか 生み出すことできない効果が見られる。しかし、表現手段が絵であれ手芸であれ、絵本を読 むと、いや絵本限らず、どんなジャンルであれ真摯取り組まれた作品は、共通して感じ られることがある。それは、それぞれ作品を作りだすは、膨大時間エネルギーが費や されたであろうこと、そして、それが、作品なっているということである。制作中、 その作り手こころなか去来したさまざま思いが、その作品を深化させているであろ う。それを読み取るは、読者開いた心が必要なる。
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外国語教育における「翻訳」の再考 ― メタ言語能力としての翻訳規範 ― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

外国語教育における「翻訳」の再考 ― メタ言語能力としての翻訳規範 ― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 これについて山岡は、訳者あとがきを参照しながら解説を加える。①翻訳書が出版され た時代(1960 年代)、この分野(哲学書)では原語訳語を一対一で対応させなければなら ないという慣例( canon, convention )があり、これにより、訳者金子も四苦八苦した。 「Verstand は「悟性」訳さざるをえないが、これでは文脈が続かなくなってしまう」(p.23)。  これも当時(読者期待)規範が関連しているいえる。この翻訳「読者は原則として、 ドイツ原書を読む想定されているである。読者が読むべきものは、訳書ではなく、原 書である。……原書を読まない読者でも、いうなれば原書講読を疑似体験できるようなって いる」(pp.25-6)。ここで出した例が訳読法規範同じは言わないまでも、山岡がいうよ うに、哲学書類は原文訳文を並べて読まれるだろう、ということが当時規範であった。 無論、ここで分析が必ずしも学術的厳密手続きを踏んでいるわけではないが、教育目的 として学生気づきを与えるは十分考察である。
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国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

2 .ASEP2010 から見えること  2010 年度 ASEP における参加学生言葉よる、「英語を外国として使う人同士コ ミュニケーションは必ず衝突や不完全意思疎通」があるため、「自分たちはこういう風 プレゼンを作りたい説明する交渉力」や、「自分が主張したいこと説得力を持たせるため コミュニケーション能力必要であること気づく」という ASEP 効果がみられた。さらに、 リピーターから「Presenter 経験として、Coordinator がプレゼン内容についてもう少し踏 み込んだ意見を与えてあげられたら良かった」指摘があった。このことは、意見や価値観 対立からコンフリクトが発生して、それを解決するため両グループが苦心しており、その ことをリピーターが歯がゆい思いで見守っている状況を示している。
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キルギス語とロシア語のコード・スイッチングに関するパイロット研究 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

キルギス語とロシア語のコード・スイッチングに関するパイロット研究 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 以上よう、個々 CS 機能が特定できる場合がある一方で、CS 発生頻度が最も高い C は、3.1 文内 CS 例③よう、母体言語が不明で複雑 CS が多数見られ、個々 CS 機能は必ずしも明確ではなかった。Poplack ( 1980: 588 )が指摘するよう、安定的二言語 併用コミュニティにおける特定発話状況では、CS 自体が規範なる事例もある。その場合、 話者は CS を通して混合アイデンティティを表現している考えられ、前掲 6 つ機能のう ち「表現機能」該当する。よって、安定的二言語併用環境である首都ビシュケク市生ま れ育ったインフォーマント C にとっては、キルギスロシア CS 満ち溢れた会話様式 がありふれたものであり、CS を通して、キルギスが優勢地方在住キルギス人は、異な るアイデンティティを表現している考えられる。
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中国語と近代─ 東アジアの言語環境における思考─ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

中国語と近代─ 東アジアの言語環境における思考─ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

古今東西通じ、知識を求め、国を強くしたいもある。勉学を始める前自ら考えなければ ならない。今、揚子江流域、沿海地方では中西学館称し、英語を教える学校が数え切れない ほど多い)」 2) 。英語学習施設急激増加や目的多様化が覗える。一方、それまで殆ど中国 人視野入っていなかった日本語は日清戦争敗戦後初めて外国学習対象なった。 「為通 事為買辨以謀衣食」という英語等学習動機異なり、日本語学習は西洋新知識を吸収する 捷径考えられ、20 世紀初頭からブームが沸き起こった。外国遭遇により中国は相対 化され、また教科書、辞書編纂により、他言語語句レベルにおいて対応関係が 築かれようした。その過程で訳語、新語著しい増加があった。また表現様式、文型上も大 き変容がもたらされた。幅広い接触深い相互作用が中国を含む東アジア言語近代的 特徴である。近代言語接触は、国境地帯雑居や移民、貿易等によって引き起こされる直接 接触比べ、新知識受容、そして伝播媒体として言語間接接触はもっと大きなウェー トを占めている。前者は口頭を主することが多く、生活、物質名称借用やピジン言語 どの現象を引き起こすが 3) 、後者は主として文章を通して現れ、抽象的語彙発生や文章形 式変革を促進する。
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大学における翻訳教育の位置づけとその目標 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

大学における翻訳教育の位置づけとその目標 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

訳すという作業を通じて、言語「深い処理」ができるようなり、これによって学生 基底言語能力が強化されるとともに、L2 習得が促進されるである。 5 .大学における通訳翻訳教育位置づけ  以上述べたとおり、筆者らは大学における通訳翻訳教育を広い意味で「言語教育」一環 としてとらえ、これを従来英語(またはその他外国)教育を補完するものとして位置付 けている。ただし、筆者ら考える通訳翻訳教育は、単なる語学学習から、これを契機した 「メタ言語能力養成へという視点において、従来語学科目は大きく異なっている。極限 すれば、仮に(ネイティブスピーカーようはなれなかったという意味で)英語習得 失敗したとしても、その学習プロセスを通じて、学生将来にとってより重要かつ本質的メ タ言語能力を獲得することができれば、外国教育として十分成功だ考えている。学生が 将来どの分野進むせよ、「ことば」に対する鋭い感受性、十分鍛えあげられた「基底言 能力」を備えていることが、将来、その道プロとして成功するため確か土台作り るからである。反対、いくら外国で流暢会話ができるようなったとしても、「ことばへ 意識」や「異文化へ意識」を含めた高度メタ言語能力が伴っていないすれば、これは 成功は言えないだろう。残念ながら、現在英語教育はむしろ後者道を歩んでいるよう 思われる。
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ある肖像画の物語 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ある肖像画の物語 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

必要はない判断していた。結婚リスク利点をレノックスはよく考慮し、目をよく開 いて結婚するだ。人はそれぞれ好みがあるし、三五歳ジョン・レノックスは、エベレッ トが見かけどおり女性ではまったくないかもしれない忠告されなければならない年齢では ない。バクスターはこのよう、レノックスは二人目妻として可愛いだけ女性 ― 人をも てなしたり、彼金を絵よう美しく使ったりすること才能ある女性 ― を意図的選 んだ思い込んだ。バクスターはこの気の毒男性情熱真剣性質については何も 分からなかったし、バクスターが幻想呼ぶものレノックス幸せがどの程度抱き込まれて しまっているかも分からなかった。彼唯一関心事は仕事を上手く仕上げることだけだっ た。人を魅了するマリアン顔に対して彼が以前持っていた関心おかげで、その分だけ彼 仕事は上手く仕上がった。性格造形におけるあの力、そして、レノックス関心を捉えた現実 あの深さを実際バクスターが肖像画吹き込んだことは紛れもない事実だった。しかし それは、彼がまったく意識せず悪意を持たずしたことだった。バクスター芸術家として 気質が失望を糧し、喜び苦悩によって脂肪を蓄え、バクスター人として部分旺盛 影響力を発揮した。つまり、簡単言ってしまう、この若い男性は本当意味で芸術家だっ たということである。強力で感じやすい彼性質測り知れない奥深い所で、彼才能は彼交感し、失望諦めという重荷をキャンバス移し換えたであった。マリアン ちょっとした関係あと、バクスターは一生愛し続け信頼し続けることができる感じた若い 女性知り合った。この新しい感情によって目を覚まされ力づけられた彼は、古い恋愛よっ てできた不足をよりはっきりした明晰さで埋めることができた。それゆえ彼は心を込めて肖 像画を描くことができた。彼はそれ以外何かできることがあるなどエベレットは想像も できなかっただろう。彼は心底から正直最善を尽くした。その確信は招かれなくても訪れ たし、そのため正直さはさらに優れたものなった。
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コミュニケーション能力を養成するためのパターンプラクティス 外国語教育研究(紀要)第11号〜第17号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

コミュニケーション能力を養成するためのパターンプラクティス 外国語教育研究(紀要)第11号〜第17号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

計画性」、「学習機会増大」などメタ認知方略 14) 、「リーディング」、「スピーキング」など スキル認知別方略両方で多く共通点があるという 15) 。メタ認知方略に関して、成功は 一定して自己学習過程を認識し、自発的・計画的学習を継続し、外国を使用する機会を 増やす努力を惜しまない。一方、下位成績は自己学習過程について認識が低く、学習 自発性・計画性がない。スキル別方略については、外国学習成功は学習段階応じて様々 方略を使い分けており、例えばリーディングについては「繰りかえし音読する」方略を学習 初期から中期、「分析的読む」方略は初期後半から中期用いる傾向が強い。注目すべ き点は、スピーキングについて、「流暢さ重視」同様「基本文例大量徹底暗記」、「パ ターンプラクティス」を共通した方略として、学習初期・中期段階において多く外国語学 習成功が用いていることである。下位成績はスピーキングに関する上記方略どれも用 いておらず、暗記構文練習が外国学習初期過程中で大きな学習効果をあげたことがう かがわれる。
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母音梯形と母音三角形 ─ 発音指導と評価 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

母音梯形と母音三角形 ─ 発音指導と評価 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 しかし発音は聴覚のみ依存するため問題が根底から異なる。 [u][ə]や[l][r] などを、発音記号を見て異なる音韻として理論的認識することは簡単できるとしても、そ 発音記号が表す実音[u][ə]を聞いて識別できるは限らない。音違いが聞き取 れない学習は、間違いを指摘されても、その違いを自分聴覚で確認することはできない。 識別できないフランス語音素をすべて、日本存在する音素中で最も近いよう聞こえ る音素で代用する癖がついてしまう、フランス語音韻体系を習得し直すことは、時間が経 つにつれて難しくなる。識別難しい音習得は、ミニマルペアを中心聞き取り練習をする 同時に、調音法で口形を覚えながら、少しずつ聴覚能力を形成することによって可能 る。調音法練習では、フランス語発音は唇突出、日本より広い面積で閉鎖ため 筋肉緊張度が必要なるため、日本語は異なる調音器官使い方、つまり身体運動新し い習慣を学習し獲得する必要がある。明瞭フランス語発音を習得するためは、模倣練習 加えて、できるだけ早い時期本格的調音練習を始めることが重要である。
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「ボアズの片腕としての歳月」に見るミードの想い 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

「ボアズの片腕としての歳月」に見るミードの想い 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 その間、年月はボアズにとって厳しいものなった。1925 年 10 月、二番目娘が小児麻痺 で亡くなり、二番目息子は交通事故で亡くなり、ボアズ夫人は 1930 年 12 月轢かれて 亡くなった。その時、ボアズはシカゴ大学社会科学学舎落成式ためシカゴ行っており、 ボアズ夫人が埋葬される前一晩だけしか彼女側で過ごすことができなかった。シカゴから ニューヨークまで長い列車つらい時間をボアズはサピアとも過ごした。1931 年 1932 年、ボアズは深刻病いを患っていた。そうした時、すべてことがベネディクト双肩か かってきた。ボアズがもう原稿を見ることさえしなくなり、様々課題取り組むことがなく、 色々ことから退く思われるようなり、手紙はベネディクト宛てられるようなった。  その頃ヒットラーが政治的成功をおさめた。それはボアズが生涯戦ってきたすべてものを 象徴するようことなり、普遍的人間価値観自由を否定すること結びついた。生涯 最期何ヶ月か、ボアズは非常大きな怒りによって奮い立たされ、世界また関わ るようなった。文化人類学仕事も復帰し、人種テーマのみならず、反ナチ軍事的活 動、書物、そして地下組織資料を収集したり、追放された人たちため活動するよう った。疲れも厭わず、ボアズは一度なくなりかけた力を、彼が第一次大戦でドイツ系アメリカ 人として直面した戦いは逆戦い注ぎ始めた。
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オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 表向き反感を示した最初振る舞いあと、ヘンリエッタ・コングリーブは、友人かつ姉常連客としてとても喜んでオズボーンを迎えるようなった。彼は、自分が次よう考 えても馬鹿げていることはならない考えた。つまり、読者がどう考えよう、自分行動 全体が浮かれた愚か者それだオズボーンが考えていないは言うまでもないこと、そして、 彼女を取り巻くほとんど若い男性よりもヘンリエッタは彼好意を持っている考えること である。オズボーンは自分持って生まれた資質を正しく評価していたし、感情的こと厳 しく制限しなくても、より洗練された社会的目的ため、ひとかどの人物なる素質も備 わっていることが分かっていた。彼はささいは関心がなかった。しかし、ウィルクス夫 人客間ではささい事はほんのわずか役割を果たす過ぎなかった。ウィルクス夫人は単 純女性だったが、愚かわけでも軽薄わけでもなかった。そして、コングリーブ嬢はさら 優れた理由でこれら欠点から影響を免れていた。グラハムがかつて多少苦々しさを込 めて次よう言うを聞いたことを思い出した。 「女性は本当は自分何か言ってくれる男性 だけが好きんだ。女性はいつも何かニュース飢えているんだ」オズボーンは、コングリ ーブ嬢が通常あつめられる以上ニュースを自分がもたらすことができることを考えて満足し た。彼は素晴らしい記憶力を持っていたし観察力も鋭かった。その点についてはコングリーブ 嬢も同じだったが、社会についてオズボーン経験はもちろん彼女それよりも十倍広が りを持っていたし、彼は常に彼女不完全推論を補足し、間違った憶測を正すことができた。 彼女憶測は素晴らしく如才がないよう思えることもあったし、無邪気で愉快こともあっ た。しかし彼は、まったく新しい事柄が持つ魅力について事実を彼女提供できる立場自 分がいることしばしば気づいていた。彼は旅行をし、男女を問わずさまざま人物会って きたし、もちろん、通常女性が読むべきではない考えられている多く本を読んでいた。彼 は自分強みがよく分かっていた。しかし、彼知的資質を披露することによってコング リーブ嬢が大変楽しんだとしても、一方で、彼女関心が彼知性非常さわやか影響を もたらしているようも思えた。
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吉田健一と英文学 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

吉田健一と英文学 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

続ける。吉田健一娘・吉田暁子が父・吉田健一を冷静沈着態度で眺めたよう、吉田健 一父・吉田茂に対する眼差しは、底実父に対する敬愛念をたたえた清冽ものである。 父・吉田茂現実主義的政治手法を直視した上で、父・吉田茂さらなる魂啓培場、す わち「言葉世界」を提供したかったという息子切ない想いではないだろうか。父・息子両 生き方根底は実人生緊密絡んだリアリズムという精神が厳存していること間違 いはないが、ただ、父・吉田茂にとってリアリズムというは、まさに非情外交を主し た生臭い現実政治を舞台したものを指す。そんな父、軽妙洒脱で、考えること尊厳を重 んじる文化人・知識人たち交遊を通じて感知できる、人間奥底あるもうひとつ リアリズムさらにもっと接して欲しかった、吉田健一は述べるだ。なぜなら本来、父・ 吉田茂はそれを受容する足る資質があった、吉田健一は思ったからである。また、長谷 川郁夫は、著書『吉田健一』(新潮社、2014 )なかで、父・吉田茂外務大臣就任伴って 吉田健一は、「英語力」「秀でた知力」を買われ、しばらくあいだ父・吉田茂「秘書 役」見られる立場いたらしいが、それも短期間終わった、記す。そしてその後続け て長谷川郁夫は、「父もまた、長男が政治不向きことを早々悟っただろう。息子勤勉 性質を知る父は同時に、ノンシャラン対応を認める余裕をもっていたもの思われる。こ 情愛通うほのぼのした関係は、何種かユーモラス対談なかも濃密あら われている」(長谷川郁夫 229 )、言う。父・吉田茂は、息子・吉田健一「勤勉性質」 を見抜いていたである。ちょうど吉田健一娘・吉田暁子が父・吉田健一「勤勉人生」 を見通していた同じよう。吉田健一は、しんそこ「勤勉」学徒であっただ。  さて、実父・吉田茂からも実娘・吉田暁子からも「勤勉」文学認められた吉田健一 英語教育に関する所見は言えば、それは吉田健一著『近代詩就て 英語英國英國人 
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