トップPDF 外国語教育における「翻訳」の再考 ― メタ言語能力としての翻訳規範 ― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

外国語教育における「翻訳」の再考 ― メタ言語能力としての翻訳規範 ― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

外国語教育における「翻訳」の再考 ― メタ言語能力としての翻訳規範 ― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

3 . 7  歴史まとめ  ここまで言語学習教授法歴史を主に Richards & Rogers(2001)および Cook(2010)に 沿って概観してきたわけだが、文法訳読法から CLT まで変遷中で、幾つか 2 項対立的な キーワードを巡って振り子が動いているが分かる。1 つは、形式 vs. 意味である。文法訳読法 や直接教授法では形式を重視するに対して、CLT では意味重視になる。もう 1 つは、無意識 的 vs. 意識的振り子である。直接教授法から CLT 一部まで、無意識下で学習がおこなわれ ていると考える傾向は強いようであるが、フォーカス・オン・フォームでもみたように、最近 では学習者に意識的な気づきを促したり、注意を向けさせることが必要であると考えられてい るようだ。無論、この議論は本来チョムスキー言語学から受け継がれる議論であり、言語知識 はほか人間技能とは異なり教育影響を受ける度合が小さい、という第二言語習得論命 題と深く関係するものではあるだが、本稿目的はこの是非を論じるものではい。むしろ、 特筆すべきは、これまで見てきた歴史中で揺れ動く二項対立軸に対して、フォーカス・オ ン・フォームように近年アプローチは、そのどちら極に振れようというものではなく、 その中間に収まろうというような傾向が見られるということであろう。そうであるならば、言 学習に大切なは、形式か意味どちらかではなく、形式も意味も、両方ともが大事なので ある。つまりその両方を、言語「機能」と「コミュニカティブ」であることを考慮して、意 識的であろうと無意識であろうと、それはあまり問題とせずに達成できるであれば、言語学 習目標は当面は果たせると考えるわけである。この立場に立てば、後述する翻訳規範)を 基軸とした翻訳教育は、現在外国教育教授法が目指す目的と真っ向から対立するもので はないと考えられるだ。
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「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

時中、果敢に執筆活動に勤しんだ桝井迪夫にとっては、敗戦は実に不幸なことであったと筆者 には思われる。なぜなら、戦後思想がこれまでとはすっかり変わってしまったからである。戦 後は「戦争は悪である」という思想一色に染まってしまっただ。第二次世界大戦中は国家 意思に積極的に賛意を表明し、実社会とコミットメントを強く希求した桝井迪夫ような英 英米文学研究者にとって、戦後こうした時代風潮は、非常に居心地が悪かったであろうと 推察される。太平洋戦争後時代を一体どういう態度で生きてゆけばいいかを、桝井迪夫は きっと悶絶しないわけにはいかなかっただろう。そうした苦悶を抱えつつ、桝井迪夫は戦後、 名門広島大学英語学教授として広島学派を率い、あまた優れた弟子を日本中大学に送り 込んだ。筆者は、英語学泰斗・桝井迪夫若き日人間味溢れる情動的な研究姿勢に、今や 時流となった自然科学的色彩を濃厚に帯びた「evidence-based」的な研究法とは一味違う迫真 力を感じてしまう。人文学真髄とも言える人間痕跡が桝井文章には存在するだ。筆者 は今、「情動的な研究姿勢」と表現したが、これはまさに、歴史学者・白永瑞が論考「社会人文
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テロの時代におけるレッシング『賢者ナータン』再考 ―清流劇場の公演を機に― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

テロの時代におけるレッシング『賢者ナータン』再考 ―清流劇場の公演を機に― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 このような状況なか、『賢者ナータン』が 2016 年 3 月、日本で上演された。主催したは ドイツ演劇を中心に扱う関西劇団『清流劇場』。代表を務める演出家田中孝弥氏は、現在も 続く根深い宗教対立と宗派対立を憂いながら、次ように語る。「私たちはナータンような人 を『素晴らしい』と理解しながらも、戦争をやめない。それぞれ人びとが自分『正義』 や『正統』を主張し、自分気に入った『世界あり方』を他者に強要し、そのことがさらな る対立を生み続けていく。こんなことは『今』に始まったことではありません」、そしてだから こそ「頭で理解するだけでなく実践につながるよう、危機感を持って上演したい」という。  宗教や宗派対立は、多神教的風土を有する日本にとっても決して対岸火ではない。また 唯一神をめぐる宗教的対立激しさに、一つイデオロギーを信奉することによってもたらさ れる対立それが劣らないことも、認識されるべきであろう。対立構造を内包する世界、それ を成り立たせている権力操作ディスポジティフ、かつて A. ネグリ / M. ハートがセンセーショ ナルに「帝国」と名付けた、ボーダーレスで脱中心化したグローバル資本主義、これら中に、 私たちもまた否応なく組み込まれているである。その意味でも、世界内存在(ハイデガー) として個人を意識化することができるこの作品上演は、意義深いことだといえよう。2016 年 3 月 10 日から 13 日連日、会場であるアイホール(伊丹市立演劇ホール)客席を満席に した『賢者ナータン』概略は以下とおりである。
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中国語と近代─ 東アジアの言語環境における思考─ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

中国語と近代─ 東アジアの言語環境における思考─ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

五、中国近代化と東アジア近代化  ある国言語変化問題を、伝統的言語から近代民族国家言語進化にまで広げて考え た場合、われわれは次ような事実に直面する。表意文字(または音節文字、形態素文字とも 呼ばれる)である漢字には、ヨーロッパやアジアその他古典言語(ラテン語、ギリシャ、 ヘブライ、アラビアなど)に備わっている宗教的神聖性がない。しかしそれは、漢字が言 を超えた表記システムとなることを妨げなかった。漢字は東アジア各国に、古 テクスト 典と言語記 録手段を提供し、漢字文化圏と呼ばれる文化共同体を形成させた。漢字文化圏にとって、漢字 存在は書面による表現を可能にしたが、同時に、漢籍規範性によって言語使用者表現 自由が著しく束縛される結果をもたらした。このため、漢字文化圏域内言語は「国語」 として成立する場合、脱漢文過程を経なければならない。しかし漢字は、様々な議論が交わ され、多く改革が実施されたにもかかわらず、その地位が揺らぐことはなかった 14) 。それば かりか、漢字文化圏では、正に漢字によってこそ西洋近代新知識受容を実現したである。 現在すでに漢字を使用していない国「国語」においても、「漢字」ならず「漢音」が書き 言葉主要部分を占めているである 15) 。
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外国語教育研究(紀要)第11号〜第17号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

外国語教育研究(紀要)第11号〜第17号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

テーゼ 9 :学習対象言語種類や個別言語学習順序決定に際しては、各言語 学習目標や方法などプロフィルがより細分化され、それに伴い 「真」複数言語能力が育つように考慮されるべきである。  近い将来、英語が学年進行型科目として初等教育段階から全学校で導入されるようになる が 5 、その結果、小学校 1 年生、或いは 3 年生から開始された英語が、学校教育最終段階 学年まで同じような方法で教授される事態が出現することは避けるべきである。なぜならばそ ような事態は、他言語を学習するため潜在的な機会活用を困難にするからだ(常設文 部大臣会議事務局 1994)。他方で、前期中等教育段階教授方法をそのまま小学校へ適用し、 学習者適性や年齢を無視する方法で授業を行うことも避けられねばならない。むしろ真複 数言語教育が根付くためには、言語や学習目標に応じてより細分化していくような方法で複 数言語能力育成が目指されねばならない。
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アントニー・スティーヴン・ギブズ先生 ―仰ぎ見る存在として― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

アントニー・スティーヴン・ギブズ先生 ―仰ぎ見る存在として― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

外国学部紀要 第 14 号(2016 年 3 月) 2  先生は、遠州流茶道直門上席師範を経て、家元師範代という高い立場に昇られており、茶 道に関する論考や、茶道語彙に関する研究も多数発表されてこられた。また、日本・日本 文学についても、その分野で修士学位( Oxon )を取得されて以来、継続して研究を続けら れている。しかし何よりも私個人印象に残るは、その英文法教授に関する論考である。全 10 章からなるこの一連論文群と、それを発展させた書籍ドラフトを先生から数年前に見せ て頂いた時には、そのユニークなアプローチに大いに感銘を受けた。40 年にわたり、日本大 学生と向き合った経験があるからこそ、生まれてきた考え方だと思われる。日本人にとって痒 いところに手が届くようなこの論考さらなる充実と、早い出版が待たれるところである。ま た先生は、発音や韻律教授法に関しても一家言をお持ちであり、90 年代にはこの分野でも一 連論文を書かれている。陳腐な言葉かもしれないが、マルチな才能とは彼ような人物こ とを言うであろう。まさに仰ぎ見る存在と言わざるを得ない。
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岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

言語習熟度に濃淡はあれ、3 言語習得はルクセンブルク人アイデンティティー礎 であり、どの言語を欠かすわけにもいかない。ルクセンブルク人が最も得意な言語はルクセン ブルクであるが、ルクセンブルクを政治・経済・学問領域で本格的に使用するには綿密 なコーパス政策を展開せねばならず、そればかりかフランス語とドイツを主要言語とするメ リットが失われることにもなるので損失は大きい。したがって、フランス語とドイツ役割 を減じるような言語政策は国益に反するだろう。言語レベルだけを考えるならば、ほとんど母 として習得が可能なドイツを主要な公用とするがルクセンブルク人にとって最も現 実的な選択肢となろう。だが、ドイツに国土を占領された経験を持つルクセンブルク人にとっ て、ドイツと同じ言語を国語とすることには抵抗感がある。最近では、特に若年層でドイツ態度が好転しており、居心地がいい外国一位にドイツが入っている点は特筆すべきであ る。また、最も得意な言語 2 位にドイツが位置していることを考えるならば、ドイツ 使用域拡大環境が整っていることを示唆している。しかし、憲法が規定するフランス語司 法上優位性と、主たる学術言語をフランス語が担う言語教育政策を守り続ける以上、フラン スを上位言語とする 3 言語主義は変わらないだろう。特に、EU ではフランス語が英語と並 ぶ「作業言語」(working language)として使われているため、EU 主要機関が立地するルク センブルクにとってフランス語を主要言語とするメリットは計り知れないものがある。ただし、 ドイツにもフランスにも依存しない独立国であることを示すには、ドイツとフランス語バ ランスを取ることが重要になる。ドイツとフランス語というヨーロッパ 2 大言語を公的に 使用することで、幅広い通用性を持つインフラを提供しながら国際的な求心力を得るが小国 ルクセンブルク生き方であるからだ。
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オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

し、頭はコングリーブ嬢ことでいっぱいで、目は絶えず彼女顔を見ていた。ときどき彼女 と視線合うときがあった。激しい嫌悪感がふつふつと胸にわき起こった。ヘンリエッタ・コ ングリーブに必要なは、彼女が他人を利用したと同じように彼女も人に利用されることだ と彼は独り言を言った。明らかに今牧師を利用していると同じように。水流中ほどで空し く底を手探りしながら、耳まですっぽり彼は恋に落ちていた。その間、乾いた靴を履いたまま 彼女は水辺に座っているだった。彼女は教訓を学ぶ必要があった。しかし、誰がそれを彼女 に与えることができるだろうか?彼女すべて師が知っている以上ことを彼女は知ってい るだ。男性は彼女に近づき、魅了され虜になるだけだった。もし彼女が、自分と同じほど明 晰な頭脳、活発な想像力、不屈意志を持つ者、あるいは師と仰ぐ者に出会いさえすれば!テ ーブルをひっくり返し、彼女出先をくじき、彼女を虜にし、そして突然時計を見て別れ挨 拶をする、そんな男性に出会いさえすれば!そうすれば恐らくグラハムも安心して眠りにつく ことができるだろう。人心をもてあそぶということがどういうことか彼女にも分かるであろ う。というのも、彼女心は、まるでブロンズに対するガラスようなものだからである。オ ズボーンはテーブルを見まわした。しかし、カーペンター夫人招待客には、彼が心に描く ― ブロンズ心と水晶頭を持つ ― 英雄にほんのわずかでも似ている男性はいなかった。彼ら はまさに、若い女性をそばにはべらせるが似合う若者たちに過ぎなかった。しかし、ヘンリ エッタ・コングリーブはそのような女性一人ではなかった。彼女は舞踏会にいる単に軽薄な 女性ではなかった。彼女しぐさにはどこか真剣で高貴な何かがあった。それは知的な喜びで あった。誠実な男性心を最後一滴まで飲み干し、恐ろしい食品に白い花を咲かせるだっ た。オズボーンが辺りを見わたすと、周囲存在、サンドウィッチやシャンパンことを 一瞬忘れてしまったかように見える若い女性に目がとまった。彼が彼女ことを見ている に気がつくと、もちろん、その女性はすぐに目皿に視線を落とした。しかしオズボーン は彼女視線意味を読み取った。それ ― まだ清純さ残る乙女視線 ― は、容易に翻訳 できる言葉で、「あなたこそ私が探し求めていた男性です!」と語っているように思われた。つ まり簡単に言うと、オズボーンさん、あなたは何て素敵な方なんでしょう、ということである。 オズボーンは脈が速くなるを感じた。彼計画は始まっただ。彼際立った容姿がコング リーブ嬢心を傷つけるに十分な装備だというわけではなかったが、少なくともそれは彼 任務を外に向かって表現するものだった。
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フランス語教育に必要とされる文法知識 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

フランス語教育に必要とされる文法知識 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

例文及び練習問題、日本語訳など様々な言語資料・メタ言語資料を通して学習者に徐々に概念 化される仕組みになっていると言えよう。 5 )記述文法と学習文法から見た問題点  入門・初級フランス語教材に提示された複合過去形は「過去」というテーマと強く結びつ き、用例も過去用法中心であった。複合過去形物語テクストにおける役割、時間表示や「長 さ」を感じさせやすい状態性高い事行が複合過去形使用を妨げるものではないことは、教 育文法ではすでに取り入れられている事項であるが、今回分析で明らかになったように、一 律にすべて教材に反映されていたわけではなかった。教材に反映されていると思われる場合 も文法規則として明示されていたは Alphabetix 「出来事 vs 背景説明」のみだった。もち ろん、上記事項が反映されていない教材が複合過去形学習における問題点を無視している わけではあるまい。本稿 1 章ですでに見たように、教材に記載された文法事項は教授方針、 学習段階、コミュニケーション目標など様々な要素を考慮しつつ分析しなければならない。 豊富な学習時間が期待できない大学第二外国学習現状を想定した上で、少しでも運用を 目指して作られた教材は、1 つ文法項目に関して網羅的に文法規則を記述することはないか らである。特に半過去形を学習項目に入れていない教材では 2 つ時制形を対比させる必要が ないので、複合過去形意味が機能的に示されないことが多い。たとえば、『話してみようフラ ンス』では複合過去形が教科書最後課に現れ、長さを感じさせる時間表現と共起も、 状態性高い事行と組み合わせも確認されていない。これは少ない学習時間を考慮して「単 純明快」に複合過去形形態的特徴と過去用法典型的な例を学習しようという方法論的結論 と言えるだろう。
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翻訳を通して文化が規定するアブノーマルの概念を考える 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

翻訳を通して文化が規定するアブノーマルの概念を考える 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

り上げられた人間行動部分で、アブノーマルというは、その文化で使われない人間行動 部分を指している。物事をみる私たち目そのものが、私たち社会長い伝統的な習慣によ って調整されている。」「ノーマル概念は確実によいもの一部として扱われる。それは社会 が認めたものである。ノーマルな行動は、特定社会で期待されている行動範囲に収まるも である。様々な人たち間に見られるノーマル多様性は、その集団が行動パターンバ リエーションとしているものである。そしてノーマルとは文化的に確立された行動から切り離 すことはできない。」つまり、ベネディクトが述べているノーマルとは、文化によって育てられ た人間性一部ともいうべきものであり、それに対してアブノーマルが意味するは、文化が 扱わない潜在的行動ともいうべき一部なである。それゆえ、多く人々は期待される範囲に 自分たち行動を合わせているであり、そうでない文化においては、つまり同性愛が制度 なかに組み込まれている社会では、同性愛者も決して異常な存在ではなく、逆に多く人が同 性愛になる可能性もある、ということを指摘している。決して唾棄すべき存在などではない だと訴える。つまり、この論文は彼女人生を縦糸に、そして「アブノーマルと文化人類学」 というテーマを横糸に織り上げた作品ともいうべきものであろう。したがって、私たちは本論 結論をあえて書かないことにした。なぜなら、彼女が織り上げようとした作品は、これ以降 も続く大きなテーマとなっただから。
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昭和における日本の絵本の成立 ―翻訳が果たした役割を知るための資料― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

昭和における日本の絵本の成立 ―翻訳が果たした役割を知るための資料― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

33) 絵本には、「世界絵本発刊こころ」として、発行者・佐藤義夫以下文章が掲載されている。 「新しき時代、新しき糧となる児童出版は、社会混乱と教育方針変更、思想変遷によって、 あらゆる方面から最も強く要望されてきました。新潮社はさきに、日本少国民文庫を刊行して、多大 好評を博し得たでありますが、今回、年齢的にも精神的にも、少国民文庫姉妹編ともいうべき 「世界絵本」全 50 冊を刊行して、広く社会要望に答えようと決意しました。新しい文化形成一 端をになう書物を出版することは、出版社最大理想であり、名誉でありますが、また最も困難な 仕事であります。小社は「世界絵本」においてこの難事業に当り、かがやかしき絵と文章とは勿 論、各冊に教育目的を設定し、新しい方法を活用して、混沌たる児童出版曙光たらしむべく尽力し ました。各界ご協力を仰ぐ次第であります。(昭和 24 年 11 月)」。
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中国語教育実践報告 外国語教育フォーラム|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

中国語教育実践報告 外国語教育フォーラム|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 「話す中国北京編 3 」 1 ~ 4 課、 6 ~ 9 課などは、会話文読解であり、基本的に中 国語Ⅱ各課と同じような方法で授業を行っている。ここでは、 5 課、10課など 5 課毎にあ る読解文指導方法について述べる。  読解文課では、前もって日本語訳を渡して、中国理解について授業となるよう心が けている。これは、コミュニケーション手段として中国が読めるという場合、訳す必要は ないし、日本に訳さなければ理解できないということでは、中国でメールをやりとりする、 中国で書かれた論文を読む、中国コミュニケーション能力検定を受けるなどという場合、 「読むスピードが遅い」という問題が生じると考えられるためである。
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日本語教育における学習者コーパスの構築とICLEAJ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

日本語教育における学習者コーパスの構築とICLEAJ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 SLA(Second Language Acquisition, 第二言語習得)は外国や第 2 言語学習プロセスを支 配する原理を明らかにすることを主要目的にしているが、Ellis(1994: 670)はそのデータには 学習者言語使用データに加え、文法性判断ようなメタ言語的判断や質問紙法や思考発話法 ような自己申告データなど 3 種類あるとしている。さらに、非統制言語使用データを非誘 導型、有統制それを誘導型、メタ言語的判断や自己申告データを内省型データと呼んで、優 れた研究は様々なデータソースを使用している研究であると述べている。そしてこれまで SLA 研究は、内省型や誘導型言語使用データを中心に行われてきたが、学習者コーパスは非誘導 型言語使用データがもっている出現頻度や変数、回避といった問題を解決できる利点を十分 に備えていると述べている。
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想い出すことども 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

想い出すことども 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 帯文案は縦書きで、「空前絶後 宗教史家ミルチャ・エリアーデ 中心思想と方法論を  余すところなく捉えた、新進気鋭 28 歳 スペイン人哲学研究者 マルセリーノ・アヒース・  ビリャベルデ恐るべき才能をつぶさに伝える 学会デビュー作、本邦初登場」というもので あった。じつは、これがわたしいちばんお気に入り「訳者自装」本にほかならない。  この本については、エリアーデ『イメージとシンボル』(せりか書房)を訳された和光大学 名誉教授、前田耕作氏が、読書新聞 〔2013 年(平成 25 年)7 月 19 日(金曜日)〕 に書評を寄せてく ださった。それによると、〈エリアーデ伝記をふくめた最初本格的な研究書邦訳は、デイ ヴィッド・ケイヴ『エリアーデ宗教学世界』(せりか書房・1996 年/原題:新しいヒュー マニズムへミルチャ・エリアーデ視線・1992 年)が初めてであった。ケイヴ著作も次 年に刊行されたダニエル・デュビュイッセンもまた「エリアーデと聖なるもの」(『20 世紀神 話学―デュメジル/レヴィ・ストロース/エリアーデ』・1993 年)を主題としながら、それら より先に刊行されていたアヒース=ビリャベルデ処女作でもある本書(1991 年・サンティア ゴ・デ・コンポステーラ大学出版局)にはまったくふれていない。本書邦訳が刊行されなけ れば、エリアーデ「中心思想と方法論」淵源を歴史的に抽出し、その思考枠組みを緻密 かつ包括的に論じた本書を私たちがついに目にすることはなかったかもしれない〉。
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短歌の英語翻訳 ―与謝野晶子と『小倉百人一首』の実例をとおして― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

短歌の英語翻訳 ―与謝野晶子と『小倉百人一首』の実例をとおして― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 では、与謝野晶子が生きていたころ明治時代における翻訳様子は、どのようだったので しょう。次に見ていただきたいがこれです。これは関西大学図書館が収蔵しているもので すが、「ちりめん本」(図 7)と言うものです。こちらが現物ですが、紙に力を加えて圧縮し、 着物ちりめん布ようになっています。とても柔らかく、しんなりとした感覚が、これら 本に特別味わいを与えています。明治 18 年ごろから、長谷川武次郎という人が制作・販売す ることになりました。興味深いは、日本お伽話しが題材に選ばれていたという点です。そ れらが英語、スペイン、オランダなどに訳され、それに当時有名な絵師による一流絵 が配されて、芸術品とも言えるレベルに達するものが作られていました。日本に来ていた外国 人たちからお土産として重宝され、また、海外でも販売されていたようです。さらには、日 本で英語を勉強する人達ために、平紙版も出版されていました。 「ちりめん本」ほど豪華さ はありませんが、それでも、一流訳者と絵師によるこうした芸術的な本で外国勉強がで きたとは、贅沢なことです。 「ちりめん本」は、日本絵本歴史上で、非常に重要な役割を 果たしました。一度図書館で実際に手にとって味わってみてください。今日お持ちしている は大正時代に印刷されたものです。明治時代ものは貴重図書ですので、図書館外に持ち出す ことはできませんが、閲覧は可能です。
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アディナ ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

アディナ ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 「さあ」と私は言った。「あの石を手放しちゃったことを後悔するは分かるよ。誰かが君に 話して納得がいかなくなったんだろう。」  「それこそみんなですよ!僕はどうしようもない馬鹿で、何て馬鹿なことをしたか黙っておけ ないんだと。十一スクードを持って帰って、使い切れないくらい金を持っていると思ってい たんです。最初にしたは行商人から金メッキ髪どめを買って、それをニネッタにプレゼン トしたんです ─ 村女の子で仲良くしていたんです。その子はそれをおさげに挿して、鏡で 自分様子を見ていました。それから、どうして突然僕がこんなにお金持ちになったか聞く んです!それで『そうさ、僕は君が考えているよりお金持ちなんだ』って言ったんです。それ で持っているお金を見せて、石話をしたんです。その子はとても頭いい子で、頭いい奴 がちょっと一言いえばすべて分かっちゃうんです。彼女は私に面と向かって大笑いし、私が何 てまぬけで、あの石には少なくとも五百スクード価値はあっただろうし、その外国人はひど いペテン師だって言うんです。私はそれを持って帰ってきて、兄や信頼できる人に見せるべき だったって。結局、彼女言うことは正しかったんです。私は大きな富を手にしていたのに、 それを犬に与えてしまったんです。彼女はこのありがたい話を終わらせようと、頭から髪どめ を外してそれを私顔めがけて放り投げたんです。彼女は二度と私に会おうとしませんでした。 そんなことするくらいなら、道端で出会った目不自由な乞食と結婚する方がましだと考えた だと思います。私に何が言えるでしょうか?彼女には、ローマで貴婦人 ─ 公爵夫人なんで すが ─ 侍女をしている姉がいるんですが、その夫人が、ローマ平原で見つかった古い宝石 で作った高価なネックレスをお持ちなんです。僕はうなだれてその場を立ち去り、自分愚か さを呪いました。僕は自分金を地面に放り投げて、その上につばを吐きかけたんです!フォ リエッタを飲みに酒場に行きました。そこで三、四人知り合いに会ったんです。僕はみんな に酒をおごって回りました。自分持っている金が憎くて、全部使ってしまいたかったんです。 もちろん彼らもどうして僕がそんなに羽振りがいいか知りたがりましたよ。ですから正直に 話したんです。あのニネッタような雌ギツネよりはもうちょっとましなことを言ってくれる んじゃないかって願ってましたけど。でも、彼らはグラスをテーブルに叩きつけて声をそろえ て僕ことを馬鹿にしたんです。どんな間抜けなロバでも、草をはんでいるときにそれだけ 宝物を鼻で掘り出したら、口にくわえて飼い主ところに持って帰るだろうにって。何慰め にもならない慰めでしたよ。僕はワインで怒りを流し込み、瓶を次から次へと空にしていきま した。生まれて初めて酔っ払いましたよ。あの夜は最悪でした!次日、私は残った金を叔父 ところに持って行き、それを貧しい人たちに与え、教会ために新しいろうそくを買い、そ して不敬な僕魂を償うためにミサ言葉を述べるよう頼みました。叔父はその金を真剣に見 つめて、それを邪な方法で手に入れたではないだろうなと質しました。僕は叱られる覚悟 ができていましたので、彼 4
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「ボアズの片腕としての歳月」に見るミードの想い 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

「ボアズの片腕としての歳月」に見るミードの想い 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 私友人で、ルース・ベネディクト研究で将来を嘱望されていたにもかかわらず、今年夏 突然亡くなってしまった龍谷大学教授であったポーリン・ケント氏は、話がこの箇所、つまり 「ベネディクトは彼後任となった」に及ぶと、いつもは冷静で沈着な彼女が、若干声を荒げ て、「ベネディクトはゴーラー後任として雇用されたわけではない」と語っていたことが思い 出される。ケント氏考えを説明すると、「戦時情報局へ誘いについて、マーガレット・ミー ドは、ジェフリー・ゴーラーが自ら後任としてベネディクトを指名した、と書いている。た しかにゴーラーは戦時情報局で文化とパーソナリティー研究を行なっていたが、イギリス大 使館政府間交渉仕事につくために戦時情報局を去った。しかし、ベネディクトは彼後に 戦時情報局に入ったが、単にゴーラー代わりに入ったわけではない。」 (ケント:1997:183-184)  ミードが「彼後任となった」と書いた部分で用いた英語は “replace” であった。Replace に は継続性概念は含まれていないと考えるが一般である。An Anthropologist at Work はミ ード手によってベネディクト苦悩と戦い人生がまるで聖人趣きさえ感じさせる名著に 仕上がっている。しかし、ベネディクト日本研究に関する箇所についてはミード異なった 側面が顔を出す。マーガレット・ミードはベネディクトが日本研究を開始し、水を得た魚よ うに報告書や覚書を次々に書いていく、かつて自分が知っていたベネディクトとはまるで違う 姿をみた時、嫉妬、そして怒りに近いものを感じたに違いない。あれほどベネディクトすべ て、私生活、研究活動面でもお互いことを熟知していると信じていたにもかかわらず、ベ ネディクトは日本研究についてはミードに何も知らせなかったからである。ケント氏を通して 翻訳すること怖さ、一言重みを知らされたと同時に、replace を用いたミード心理をも垣 間見る思いであった。ゴーラーとベネディクト戦時情報局と関わりについては拙著『日本 人性格構造とプロパガンダ』を参照願いたい。しかし結論だけ言うとベネディクトはゴーラ ー後任として戦時情報局に関わったわけではなかった。
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日本語母語話者が初めて書いた作文を英語に翻訳することについて 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

日本語母語話者が初めて書いた作文を英語に翻訳することについて 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

2 )語彙について  日本語を読んですぐに気がつくとおり、もと日本語には、蕾、茎、チューリップ、どんぐ り、カニ、ジンベイザメ、マンタ、クラゲ、ヒトデ、ナマコ、ぞう虫など、子どもたちが日常 生活中で頻繁に接する自然に関する語彙や、「リスごっこ」「ゴム跳び」「あやとり」「お手玉」 といった遊びに関する語彙が使用されているが、学校教育における英語授業では、受験に必 要な語彙を中心に学習指導が行われるため、母語で身につけてきた「ふつう」日常語彙に対 応する英語を知らないまま学校教育を終えてしまう。そのため、実際に英語でコミュニケーシ ョンをとろうとすると、母語なら小学生でも表現できる平易な内容が英語では表現できないと いう事態が多発する。母語であれば小学生レベルで多用する平易な語彙こそが、現実コミュ ニケーションでは必要となる。
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物語理論と翻訳 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

物語理論と翻訳 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 語り手はいつでも語り手として物語言説に介入できるだから、どんな語りも、定 義上、潜在的には一人称でおこなわれていることになる…。 (287) すなわち、すべて物語は原理的には一人称物語であり、そこに何らかの区別があるとすれ ば、それは「物語内容を語らせるにあたって、『作中人物』一人を選ぶか、それともその物語 内容には登場しない語り手を選ぶか、という選択」(287)のみであるということです。物語 水準と人称問題をひどく乱暴にまとめてしまうと、「水準」は「誰が語っているか?」とい う問題で、「人称」は「誰が見ているか?」という問題であると言うことができます。  ヘンリー・ジェイムズ作品に『メイジー知ったこと』という小説があります。この小説 は少女「視点」から出来事が眺められているわけですが、この物語を語っているは少女で はありません。一読するとお分かりいただけるように、幼い女の子がとうてい使わないような 語彙や文構造が頻繁に出てきます。つまり、見ているは女の子であるけれども、語っている は成人、しかもかなり高度な言語運用能力を備えた大人ということです。そして、現実には あり得ないような『メイジー知ったこと』物語言説こそがこの小説魅力でもあるわけです。  逆に、J. D. サリンジャーに『ライ麦畑でつかまえて』という有名な小説があります。この を眺めているは成人した「僕」ですが、物語語りは高校生だったとき「僕」という構 造になっています。つまり、『メイジー知ったこと』とは逆に、「視点」方が大人で「語り」 方が子どもだというわけです。そしてそのことが、この小説持つ魅力となっているわけで す。このように、物語における「語り」や「視点」問題は、単なる形式的な問題ではなく、 物語内容と深く結びついているということがお分かりいただけると思います。
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ファーゴー教授 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ファーゴー教授 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 「皆さん」と彼は叫んだ。「私が主に大切だと考えているは、亡くなった人々に及ぼす私 特異な影響力ではないです。というも、結局ところ、幽霊は幽霊です。いずれにせよ大し たことはできないです。触ることはできないし、一日うち半分は見えないです。もしそ れが小さい娘霊だったら、気がおかしくなってしまうでしょう。大切なことは、それが生き ているものに不思議な影響を与えることができるということです。皆さんはそれを目を使って することができますし、声を使ってすることができますし、ある種動きですることもで きます ― ここまで皆さんがご覧になったように。ただそれに心を向けるだけで何も使わなく てもできるです。もちろんそれは、できる人がいるということです。あまり多くはいません ― 皆さんがときどき出会うある種お金持ち、権力を持った人、共感する力強い人たちで す。それは磁力と呼ばれます。それについてはさまざまなことが書かれました。さまざまな説 明試みもありました。しかし大した成果をもたらしませんでした。言えることはただそれが 磁力ということであって、人はそれを持っているか持っていないかどちらかなです。神は それを私に授けることを適切だとお考えになったです。これは大きな責任ですが、私はそれ を正しく使うつもりでいます。私はあらゆる類ことができます。何かを見つけ出すこともで きますし、人が心中で思っていることを語らせることもできます。人を病に伏せることもで きますし、健康にすることもできます。恋をさせることもできます ― どうです?再び恋から 目を覚まさせることもできます。そして、割に合わなければ、もう二度と好きな人と結婚なん てしないと誓わせることもできるです。正直に言いますが、どういう風にそれをするかは 皆さんにお話しすることはできません。ただ自分に『さあ教授、これを治そう、あれを治そう』 と言うだけでいいんです。ただで与えられた才能なです。つまり、磁力ということです。そ れを動物的磁力と呼ぶ人もありますが、私はそれを霊的磁力と呼んでいるです」
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