トップPDF 福井七子教授 略歴および主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

福井七子教授 略歴および主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

福井七子教授 略歴および主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

「日本人行動パターン」共著 山折哲雄、ポーリン・ケント(1997)NHK 出版 1-172 “Background Research for The Chrysanthemum and Sword Dialectical Anthropology”   共著 Pauline Kent(1999)Kluwer Academic Publishers 173-180 “The Lady of the Chrysanthemum: Ruth Benedict and the Origins of the Chrysanthemum and the Sword” 共著(2004)The Johns Hopkins University Press

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杉谷眞佐子教授 略歴及び主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

杉谷眞佐子教授 略歴及び主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

1986 年 「たたかうルポルター ジュ文学 ― ギュンター・ ヴァルラフ『最底辺』をめぐって」 『新日本文学』10 月号 pp.34 40.(単著) 1995 年 「『外国としてドイツ』教材にみられるナチス時代扱い ― 戦争責任問題へ 一考察 ― 」関西大学経済・政治研究所 研究双書 95 冊『ドイツ・日本問題研究Ⅲ』 pp. 200 274.(単著)

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ゴードン・スコット・ジョンソン教授 略歴及び主要業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ゴードン・スコット・ジョンソン教授 略歴及び主要業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

(National Poetry Foundation)この本はフェノロサと平田喜一による能原稿訳文 転写で著者計 15 名 謡曲錦木(pp. 87-130)杜若(pp. 239-261)を担当  学術論文 “The Fenollosa-Hirata Manuscripts on Noh, and How Ezra Pound Edited Them” 単著  昭和 53 年  国際学者会議紀要第二十三号 pp. 49-59

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北村裕教授 略歴及び主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

北村裕教授 略歴及び主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

外国学部紀要 第 10 号(2014 年 3 月) 8 Kitamura, Y., K. Horii, K. Kotani, T. Asao & G. d’Ydewalle. (2009). How may asymmetry be accommodated by an ocular-motor map? Abstracts of the European Conference on Eye

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外国語教育研究(紀要)第11号〜第17号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

外国語教育研究(紀要)第11号〜第17号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

テーゼ 4 :体系的な複数外国学習ためには、広義言語概念が基盤になけれ ばならない。  歴史的に成長してきた言語は全て、形態論、統語論、語彙論、音声言語、書記言語個別要 素を越える要因を含んでいる。それにも拘らず具体的な現実外国授業は、言語体系のみか ら出発した言語理論に基づく言語観に特徴付けられている。このことは文法を教授する際、特 に明らかになる。その結果、言語形式的側面学習が極端に強調され、異文化学習や文化に 関する学習が軽視されてしまう傾向にある。このような伝統的な言語概念に対し、体系的な複 数言語学習構想は、現実的な「『複合的言語』概念」(Sprachenbegriff)から出発する。  それは狭義言語材料のみでなく、異文化理解や異文化間コミュニケーション行動を念頭に おき、用論や文化に特徴的な言語・非言語ルーティン行動、標準的行動傾向等を教授過程 最初から含むものである。
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「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

Another is for there to be more ‘original’ or ‘creative’ writing. English continues to focus on enabling you to respond to the world around you. (Robert Eaglestone 133 )  私たち日本英文学専攻者にとって有意義だと思われる箇所を、本稿論旨である実践知性 として英文学研究視点からまず引用したが、実は著者ロバート・イーグルストンは第 1 部 第 1 章 ‘Where did English come from?’ 中で、英文学という学科目がどのような歴史的背景 もとでイギリスに設置されるに至ったかを詳述している。英文学本家であるイギリス事 情を知っておくことも大切であろうから、以下に、簡潔にまとめてみる:「元々英文学研究なる ものはイギリス大学では受け入れられず、特に古典学教授たちにとっては無用長物であ った。ところがこの英文学は 1835 年、一つ正式な学科目としてインドにおいて誕生した。当 時インドを統治していたイギリスは、英文学研究を通して現地インド人をイギリス化させよ うと目論んだである。そしてやがてこれがイギリスに逆輸入されることになる。そうした逆 輸入者代表的人物が、詩人・思想家マシュー・アーノルド(Matthew Arnold)であり、 彼は当時イギリス人に文学的教養を身につけさせようと思ったである。具体的には、有益 で文明的な道徳的価値観修得が目標とされた。これに対して、英文学を研究してもほとんど 意味がないと考える一派も存在し、彼らは、教養ではなく、むしろ言語研究として英文学を 志向した。こうしたせめぎあい中、1893 年オクスフォード大学に英文学学位コースが導入 されたが、英文学専攻は主としてフィロロジー研究を意味した。この流れが変わるは 1917 年 以降である。ケンブリッジ大学講師たちが中心となって、主としてフィロロジーから成り立 っている英語専攻コース抜本的改革を進め、やがて言語研究だけではない、今日私たちが 知っている豊潤な英文学基礎が作られたである」。
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博識無双の凛然たる人、北村裕教授 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

博識無双の凛然たる人、北村裕教授 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 1994 年(平成 6 年)4 月発足本学総合情報学部英語専任教員として、英語教育界風雲 児たる北村先生に白羽矢が立ったは、至極当然である。英語教育工学ならびに認知言語学 専門家として新設総合情報学部で辣腕を振るうお姿は、すぐれて「知人」そのものであ った。北村先生は、常に自己抑制を心がけておられたようで、御専門以外事はあまり活字に はされなかったが、私知る限り、英米文学や文化に造詣が深かった。だからこそ、海向 こう研究者とも対等に勝負できただと私は確信している。実際、古典も含めて、現代英米 文学作品をよく読んでおられた。やはり間違いなく北村先生根っ子には、本学文学部佳き 学統が存在する。
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想い出すことども 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

想い出すことども 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 帯文案は縦書きで、「空前絶後 宗教史家ミルチャ・エリアーデ 中心思想と方法論を  余すところなく捉えた、新進気鋭 28 歳 スペイン人哲学研究者 マルセリーノ・アヒース・  ビリャベルデ恐るべき才能をつぶさに伝える 学会デビュー作、本邦初登場」というもので あった。じつは、これがわたしいちばんお気に入り「訳者自装」本にほかならない。  この本については、エリアーデ『イメージとシンボル』(せりか書房)を訳された和光大学 名誉教授、前田耕作氏が、読書新聞 〔2013 年(平成 25 年)7 月 19 日(金曜日)〕 に書評を寄せてく ださった。それによると、〈エリアーデ伝記をふくめた最初本格的な研究邦訳は、デイ ヴィッド・ケイヴ『エリアーデ宗教学世界』(せりか書房・1996 年/原題:新しいヒュー マニズムへミルチャ・エリアーデ視線・1992 年)が初めてであった。ケイヴ著作も次 年に刊行されたダニエル・デュビュイッセンもまた「エリアーデと聖なるもの」(『20 世紀神 話学―デュメジル/レヴィ・ストロース/エリアーデ』・1993 年)を主題としながら、それら より先に刊行されていたアヒース=ビリャベルデ処女作でもある本書(1991 年・サンティア ゴ・デ・コンポステーラ大学出版局)にはまったくふれていない。本書邦訳が刊行されなけ れば、エリアーデ「中心思想と方法論」淵源を歴史的に抽出し、その思考枠組みを緻密 かつ包括的に論じた本書を私たちがついに目にすることはなかったかもしれない〉。
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吉田健一と英文学 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

吉田健一と英文学 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

れば「良い生活」が可能だと知った父は、一週間うち六日は「酒は一切飲まない」など、 厳格な生活規律を確立し、まことに勤勉な人生を送った。(吉田暁子 282)  若き日吉田健一は、激動する世界情勢なかで政治家として天寿を全うした実父・吉田茂 とは異なり、「言葉世界」で生きて行くことを決意し、実際その初志を貫き通したことを、吉 田健一娘・吉田暁子は読者に伝えてくれる。そしてその吉田健一は、「ただ生きるだけでな く、人生与えてくれる良いものを楽しむこと」にも重きを置いたとことである。学問や芸 術全般を己実人生と密に絡めて追究していこうとするその好事家的生き方は、若き日英国 留学薫陶たまものであったと思われる。吉田健一人生に対する態度には英国精神真髄 が感取できるからである。現に晩年 1974 年に吉田健一は、『英國に就て』と題する著書を刊 行しているが、そのなか「英国文化流れ」章で、文学と実人生と関係について持論 を展開している。そして彼はその持論を実際に己人生において実践したである。その際、 彼人生観根幹には、吉田暁子が言うところ「強靭な精神」があっただ。「勤勉な人生」 を基調とした吉田健一理想的ともいえるホリスティックな文筆活動豊かな実りを通して、 後代私たち現代人、特に筆者ような日本で英米文学を専攻する者は今、先達・吉田健一が 遺した卓抜な人文学的知性を感受し、体得しうるである。人文学領域、とりわけ英米文学研 究界にとって停滞・沈滞という過酷な状況下にある現代私たちは、吉田健一が後世に伝えた 偉大な足跡再評価を通して、生き直すことができるだ。よって吉田健一は、われらが救世 主たりうる存在だと、筆者は確信している。なぜなら第二次世界大戦後、少なくとも大学を中 心とした日本アカデミズム世界では人文科学分野も自然科学分野と同様だと考えられる風 潮が強まり、学問研究なるものはおしなべて客観的・実証的態度に徹するべきで個人感情等 を吐露してはいけないだという、まことしやかな教義が主流を占め、現に大学に籍を置く英 米文学研究ほとんどは己個人的感情等は封印し、権威ある学会というアカデミズム世 界にひたすら閉じ籠るようになってしまったからだ。英米文学研究者は、己が属する学会や大 学を中心としたアカデミズム尺度・基準によって下される業績評価に一喜一憂する傾向が強 まった。しかしこれはひとつ間違えば、現実社会から逃避になりかねないと思う。言わば、 大学や学会という閉じた組織・機関へ引き籠り現象である。こうした風潮に敢然と逆らい、 警鐘を鳴らしたが『太平洋戦争と英文学者』(研究社、1999 )著者・宮崎芳三である。宮 崎芳三は、「学問研究」という名美辞麗句に守られているがために実質的には脆弱なものとな ってしまった日本英文学研究実態を、しんから憂え、活性化ため処方箋を模索した
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有余年の大学生活を振り返って 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

有余年の大学生活を振り返って 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

27 30 有余年大学生活を振り返って 福 井 七 子  関西大学時間は、学問を中心として私生活に彩りを添えてくださった人々おかげで、 非常に恵まれた期間だった。30 有余年にわたって、まったく波風がたたなかった時期がなかっ たとは言えない。ルース・ベネディクトという複雑な女性を研究テーマ中心にしたことで、 彼女思想・文化捉え方、また彼女異文化理解に迫ろうともがき続けた年月であった。  研究性質から、私は常に一次資料を求めようとした。資料集めがうまくいき、というより 納得いくまでやり続けたというべきかもしれないが、そして多く人々に助けられ、これまで あまり研究がなされていなかった分野を少しは明らかにできたではないかと思っている。  アメリカには 6 回ほど調査旅行をした。第一回目調査旅行は実に不安な気持でいっぱいで あった。プキプシーにあるベネディクト・コレクションを中心に、エール大学や議会図書館に も出かけた。ニューヨーク図書館では思いもかけなかった資料を得ることができた。結果的 に私心配は杞憂に終わっただが、資料収集だけでは何も発信できない。収集以上に努力が 求められるは、それを読み解き、まるでジグゾーパズルように時間軸を中心に埋め込んで いかねばならない。
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齋藤榮二先生に心から感謝を込めて齋藤榮二教授略歴及び主要業績 外国語教育研究(紀要)第11号〜第17号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

齋藤榮二先生に心から感謝を込めて齋藤榮二教授略歴及び主要業績 外国語教育研究(紀要)第11号〜第17号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

฀ 論文 昭和57年 「現代英語教育」研究社 Study฀of฀Difference฀in฀the฀Degree฀and฀Accuracy฀of฀Understanding฀between฀Those฀Who฀look฀up฀ Words฀ in฀ English-English฀ Dictionaries฀ and฀ Those฀ Who฀ Look฀ Them฀ up฀ in฀ English-Japanese฀ Dictionaries฀ 単著 昭和57年12月 「桜の聖母短期大学紀要第 7 号」

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河合忠仁教授を偲んで 外国語教育研究(紀要)第11号〜第17号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

河合忠仁教授を偲んで 外国語教育研究(紀要)第11号〜第17号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 1998年後期より、私が和歌山大学に移ることになり、河合先生に話したところ、自分も近 大をやめて他大学に移りたいと言われたを思い出す。私方は、 8 月割愛がうまく行か ず、半年転出が遅れた。その間に、河合先生も関西大学に移ることが決まり、19年間勤めた近 畿大学を一緒にやめることになった。河合先生は関西大学へ移られてから、精力的に研究を本 にまとめて出版したり、大学用テキストを何冊も書かれた。英語コミュニケーション学会 関西支部長から、副会長にもなられ、本当に、充実した研究生活を送っていたと思われる。  しかし、運命いたずらであろうか、その後、癌で入院されることになったである。見舞 いに行った時に、「癌が転移しているかもしれない」と悲壮な表情で我々に語られたは今で も忘れられない。あれは、自分将来計画が台無しになるかもしれないという絶望感現れだ ったと思われる。というのも、河合先生は何事においても、きちんと計画を立て、こつこつと 地道に実行して行く人だからである。つまり、あの時には既に自分これから人生を計画し ていたと思われるからである。それは、授業準備をみれば明らかである。河合先生は、私と 違い、授業準備を完璧に行わないと気がすまなかった。時には、異常と思われるほど、きち んとするである。授業時間何倍も時間をかけて準備をしていることも何度かあった。ま た、近畿大学時代は、いつもお会いするたびに、河合先生は自分将来計画を語られてい た。将来、こういう本を出版したいとか、こういう研究をしたいとか語られていた。それを考 えると、河合先生悲壮な気持ちが手に取るようにわかる気がする。
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福井先生との翻訳の仕事 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

福井先生との翻訳の仕事 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 福井先生と一緒に翻訳仕事を始めてから 7 年あまりになる。週に 1 回、総合研究棟 6 階研究室で会って 4 時間くらい作業をする。授業がない時はもう少し頻繁に会う。気分転換 に梅田喫茶店で作業することもある。私研究室で作業する時は福井先生が必ずデパートで おいしいお弁当を買ってきてくれる。お弁当を食べながら、まずはその週にあったできごとに ついておしゃべりをする。大学で起きたこと、うちで起きたことについて話す中で、学問に対 する、あるいは人生に対するお互いスタンスを確かめ合う。長年一緒に翻訳をしてこられた は、こうしたおしゃべりを通して福井先生経験を知り、先生価値観を学び、先生に対す る尊敬念を抱くようになったからである。
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北村 裕先生との四半世紀 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

北村 裕先生との四半世紀 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

竹 内   理  我々が敬愛する北村 裕先生が、65 歳定年を迎え、本学をご退職になられる。言葉では言 い表せない、強い寂しさを感じずにはいられない。  北村先生とは、お互い前任校時代から数えて、もう 25 年を越えるおつきあいとなる。私が まだ 20 代後半、先生が 40 代前半時であった。学会でお会いしたが初めてであったが、そ 素晴らしい英語力には感服するしかない、と印象を覚えた。その後、先生が長期留学経 験を一切持たず、日本でのみ英語を学んできたという話を聞き、ふたたび驚いた次第である。 また、ご研究面でも、パソコンという言葉がまだ一般化していない時代に UNIX ワークス テーションを駆使して、まさに外国教育工学という言葉にふさわしい業績を打ち立てられて いた。その後も、ベルギー著名な心理学者 G. d’Ydewalle 先生と共著で眼球運動に関する認 知心理学的研究を行われたり、米国 CNN 社と契約して英語教育教材を開発されたりと、常に フロントランナーとして、面目躍如たる活躍を続けられていた。これらに加えて、恩師大西 昭男先生(関西大学元学長・理事長)薫陶を十分に受け、幅広い分野で深い教養をお持ちで もあった(更にフルート名手でもある)。このように、私からすれば、北村先生は真に仰ぎ見 るような存在であった。その先生と、国際研究大会実行委員会メンバーとして、またその後 は、(先生が愛してやまない)関西大学同僚としてご一緒させていただき、間近に接する機会 が持てたことは、後研究者・教育者として人生に大きな影響を与えたことは言うまで もない。
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稀代の目利き、福井七子先生へ贈る言葉 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

稀代の目利き、福井七子先生へ贈る言葉 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 先生は稀代目利きである。たとえば、研究テーマを例にとると、先生選ばれた日本文化 論テーマは、年月を重ねるにつれて、今日性が増しているように思える。通常ならば、歳月 とともに時代性を失い輝きを減ずるものだが、先生テーマをそうではない(ここでは紙幅 関係でたった 1 - 2 行で表現しているが、とても希有なことであり、驚きに値する)。先生目 利きぶりは、何も学問話だけではない。ちょっとした小物でも、お店でも、食べ物でも、普 遍的で価値高いものを選ばれているように思う。先生にお薦め頂いたものに外れはない。  人を見る目も同じである。先生人物評は端的にして、的を射ている。その時は分からなく ても、そして表面的には見えていなくても、後になって「じんわり」とその意味がわかってく る。時にその慧眼ぶりに、「怖い」と思うことすらあった。しかし、決して相手を貶めるような 評ではなく、そこに先生持つ上品さを感じる。
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河合忠仁教授略歴及び主要研究業績 外国語教育研究(紀要)第11号〜第17号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

河合忠仁教授略歴及び主要研究業績 外国語教育研究(紀要)第11号〜第17号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

昭和38年 6 月 米国コネティカット州ニュータウンハイスクール卒業 昭和39年 3 月 奈良県立奈良高等学校卒業 昭和39年 4 月 奈良教育大学教育学部 中学校課程英語科入学 昭和43年 3 月 奈良教育大学教育学部 中学校課程英語科卒業

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国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

1 )Samoan Circle:両グループが一緒になって semi-circle を作り、周辺に聴衆が circle を 作って議論過程を見守るという手法である。このような open fi shbowl(公開金魚鉢) 中で行われることメリットとして、極端な方向へ議論が流れるを防ぎ、鋭い対立 が起きないことがあげられる。これは ASEP において、例えば大学生同士議論を中学 生が見守ることにより、英語表現や議論展開手法を習得して行くことにつながり、文 字通り正統的周辺参加が実践されることになる。実現すれば正に ASEP でのみ実現でき る手法である。
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社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 ここから得る教訓は、戦争が人間にとって欠かせないものだということではなく、戦争時に おいて得られる人間悦びは、社会秩序によって平和には奪われているということである。そ れに比してミシシッピ大平原多くインディアン部族状況は、平和時と戦争時状況が 逆である。平和時部族同士やりとりは共同出資会社と同じように利益を共有し、義務も 分散されている。敵は人間とも見なされず、その敵を犠牲にして難なく個人利益を手に入れ ることができるである。ダコタ族は勇敢で根っから戦争好きであった。彼らは近隣部族 から恐れられていた。しかし国は彼ら功績には全く無関心であった。政治的な目的で軍隊が 派遣されることもなく、彼らには他部族を支配するという考えは思いもしないことであった。 戦争に加わっている若い青年たちは手柄をどんどん増やしていった。例えばキャンプ先にいた 敵馬を盗み、倒れた敵がまだ生きている間に触れ、頭皮を剥ぎ、敵陣地から傷ついたり、 殺された部族を助け出したりした。これら手柄は加算され、仲間と張り合う時に使われた。 戦争とそれにともなうことは競争であった。戦争部隊に入隊する理由は愛国心からではなく、 一旗揚げたいために入隊した。戦闘部隊が敵地に入ると、隊員はそれぞれ一番りっぱな服装を して羽根飾りをつけた。羽根一本いっぽんは彼が過去に成し遂げた手柄を表していた。隊員 たちが本拠地に帰ると、英雄となった人たち家族や彼と何らかのつながりがある人たちが集 まり、彼功績を称えた。兵隊たちは死ぬまで競い合って自分たち成し遂げた手柄を自慢し あうである。集会場には 100 以上数え棒が置いてあり、誰が一番多く棒を手に入れ、自 分たち手柄話しができるかということを競い合った。
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杉谷眞佐子教授のご退任に際し感謝をこめて 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

杉谷眞佐子教授のご退任に際し感謝をこめて 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 創造連鎖を創造することが大学人重要な目的であるならば、私たち同僚や教えを受けた 学生たちが創造的であることが、杉谷先生功績を輝かせることになるはずです。杉谷先生が 退任されても、共に歩ませていただいた道が私たち記憶から消えることはなく、新たな創造 に向けて光を発し続けてくれる贈り物として守っていきたいと思います。

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トーマス・ロッカー絵本の整理と展望 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

トーマス・ロッカー絵本の整理と展望 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

念」と考えたである 15) 。  そのあとで、彼らに対する自身立場を表している。文章は次ように続く。 When I returned to America’s fi rst wilderness, I didn’t experience it in terms of terror. For me, it was a safe haven from the horrors of modern life. At fi rst, I wandered through the Clove as through the ruins of an abandoned church where an almost forgotten religion had once been practiced. I could no longer see nature the way the nineteenth-century painters had seen it, but with my more scientifi cally-oriented twentieth-century eyes, I began to see it in a new way, ― as complex, interrelated process. (In Blue Mountains) ロッカーは、「アメリカ原初野生」へと足を踏み入れたとき、恐怖というものは感じなかっ た。むしろ、「現代生活脅威から逃れ場所」と感じたと述べており、19 世紀画家たちと
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