トップPDF 社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 文化人類学者は自分社会よりもなるべく違う社会を研究しようするため、様々な集団 データを持っている。そして西洋文明影響範囲からはずれたところで発展したシンプルな社 会を特に研究する。文化人類学者はある集団が特定価値観に基づいて実現した方略を研究す ることができる。その価値観自由という価値観なか、社会統一という価値観なか、権 力に屈するという価値観なかを研究することができる。文化人類学者にとって部族役割は、 科学者が細菌生死を研究する実験室役割同じなである。文化人類学者実験室は研究 者が自分で設定するではない。それは原住民が何世代にもわたって、何千年もかけて生き方 詳細にいたるまで設定したものである。しかしフィールド・ワーカーはその部族なかに存 在する私たち時事問題を、たとえそれが違った姿であったとしても認識することができる。  フィールド・ワーカーが研究している裸プリミティブ・ピープルはもちろん社会保障条 例について話すわけではない。しかし彼らは老人や飢えた人をどのように扱うべきかはっきり している。年寄りや飢えた人を守る部族もあれば、守らない部族もいる。そして文化人類学者 はそれがもたらす帰結を研究することができる。原住民は黄金率について語らないが、オース トラリア原住民からカラハリ砂漠原住民にいたるまで、黄金率が働いていることは見受け られる。たとえば、「他人に施しを与えなければ、誰が自分に施しを与えてくれるだろう」、「他 人を敬わなければ誰が自分を敬ってくれるだろう」といった教訓は、若者頭にたたきこまれ、 南洋島々人からティエラ・デ・フィエゴ冷たい霧にすむ人に至るまで、それを実践して いる。同時にこのような黄金率がまったくない原始社会があり、文化人類学者は黄金率が存在 する結果、しない結果を研究することができる。黄金率は人を支配するだろうか?プリミ ティブ・ピープルなかで黄金率に縛られた人間関係しか知らない人もいれば、相手を強いる 状況に立たされたことがないプリミティブ・ピープルもいる。
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人種偏見のメカニズム 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

人種偏見のメカニズム 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

pologist t Work: 1965: 356 382)を翻訳したものである。  「連帯感」は日付ない原稿であるが、1942 年頃書かれたものであろう。「戦後人種差別」 は未発表原稿で、1947 年頃書かれたものである。最後「戦争自然史」は未出版原稿で あるが、1939 年にフランツ・ボアズ間で交わされた書簡からも明白であるように、1939 年 頃書かれた論文である。これら 4 篇論文は戦前、戦中、戦後アメリカを取り巻く状況が大 きく変化した時期に書かれたものである。このことから、戦争が及ぼしたベネディクト考え 方向や心情変化を読み解くことは興味深いことである。ベネディクトがこれら論文を執 筆してすでに半世紀以上経過した現在、人種差別に反対する意識は世界中で高まりを見せては いる。しかし、アメリカ合衆国のみならず、世界的にみても人種に対する偏見・差別はベネデ ィクトが執筆してした当時さしたる変化は見られず、それどころか差別・偏見は複雑化し、 民族問題もからみ、それらを解決する糸口はいまだ見出せずにいる。偏見・差別は過去問 題ではなく、いまも我々に突きつけられている大きな問題なである。ベネディクトが正面か ら向かい合って取り上げたこれら問題に対する科学考察を今一度振り返って読み直すこと は、連綿続いている偏見・差別もつ根深さを考えるめにも意味あること考える。  ヨーロッパ人にとって戦争は 1939 年 9 月 1 日、ドイツによるポーランド攻撃で始まった。ア メリカ人にとって事実上戦争が始まるは、その後 2 年ほど経過してからことであった。何 に対して戦う価値があるか、そしてまた死ぬ価値があるか、また何を変えるために戦う か考えざるを得なくなっていった。ユダヤ人、黒人、またアジア人に影響を及ぼすかどうかも 含み、ベネディクトはさまざまな人種差別に反対するため活動も増やしていった。それはま た戦争によって基礎を危うくされている学問自由という原則を守るため、人前で話しをする ことが苦手であってもベネディクトはラジオ放送を通して話したりもした。「アメリカにおける 人種偏見」もそうした活動一つであった。
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日本語「ノンネイティブ」教師の専門性とアイデンティティに関する一考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

日本語「ノンネイティブ」教師の専門性とアイデンティティに関する一考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 これら先行研究が示唆している点は、まず、現行あるいは今後多様な社会変化に鑑み て、「ネイティブ」「ノンネイティブ」という二項対立的な見方を脱する視点が要求されている ことが挙げられる。また、ネイティブ・スピーカー存在そのものを疑問視したり、ネイティ ブ・スピーカーを言語学習者モデルすることを問題視したりする意見もある。例えば、Cook ( 2002 )は、目標言語ネイティブ・スピーカー言語能力や言語使用を目指すことが、必ず しも第二言語学習最終目的ではないことを主張している。この主張には、ノンネイティブで ある第二言語学習者は、ネイティブように振舞う必要はなく、ノンネイティブであること 利点を活かした言語能力を獲得するべきであるという考えが念頭にある。しかし、実際には、 この「ノンネイティブであること利点を活かした言語能力」が何であるかという説明は、ど 研究においても明確になされないまま、今日に至っている。
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中国語と近代─ 東アジアの言語環境における思考─ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

中国語と近代─ 東アジアの言語環境における思考─ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

タームが使用されているが、New Idea and New Terms(1913)著者 A. H. Matter(著名な 宣教師狄考文未亡人)も認めているように宣教師が作成した文法関係タームは 1913 年時点 では一般に認められなかった 13) 。西洋人によって西洋言語で著された著作や辞書などは、西洋 言語学枠組み中で中国音韻、文法、語彙について記述することでは一応成功を収め た言ってよいであろう。しかしその中国で書かれた著作は、中国読者に言語に関する研 究において新たな道筋を示すには十分ではなかった。馬建忠『馬氏文通』(1898)や厳復 『英文漢詁』(1904)はいずれも直接西洋文献から知識を受容したものである。西洋言語学に関 する知識多くが日本語を学習する過程で導入されたことはこれまでに指摘されていなかった 事実である。言語学タームは、その大多数を日本語から借用したということがこの点を如実 に物語っている。言語科学」的研究は、明治期日本学者も目指した目標であることを 付け加えておきたい。中国を含む言語研究近代化過程において、外国、特に日本影響 等について解明しなければならない点が多々ある。
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国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

5)最終意思決定結果として本番プレゼンテーション内容決定方法 8 .おわりに  重要なことは、ファシリテーターが両グループへ向けて、アイデア要約、意見、提案、感 情(公正に手続きが進められているか、次ステップを把握しているか確認)というフィー ドバック(report-backs)を常に行うことである。一方、避けるべきことは拙速に物事を決め ることによる不満であり、せっかく国際交流が国際紛争にならないためにも、十分な時間的 余裕をもって、事前交流、現地交流国際協同プレゼンテーション、事後交流を企画運営して いくことである思われる。その結果、ASEP「で」ではなく「でしか」できない学習環境(国 際ファシリテータースキル育成など)を創出して、それを後輩へ繋いで行くことにより、「人 びとが、国や民族を越えて異なった文化や思想を理解し、相互に認め尊重し、協力しあうよう な、共に生きる平和な地球社会(UNESCO 憲章)」を作ることができれば、ASEP 実践意義 が更に高まるであろう。
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大学における翻訳教育の位置づけとその目標 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

大学における翻訳教育の位置づけとその目標 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

かった学生も、このように書かせてみる各人がそれぞれに意見を持っていることがよくわか る。また、単に意見を持っているだけではなく、たいへん鋭い分析を提示している例も少なか らず見受けられた。たとえば、図 1 に引用したワークシートでは、5 ページ 4 行目にある「私 はそれを見ていたら、∼思わず考えてしまった」という箇所その英訳 “My fi rst thought when I saw that . . . ” を取り上げ、「原文は『思わず考えてしまった』、意識せずに思ってし まった様子であるに対し、英文では『最初に考えたは』意識的であり、さらに他にも何 か考えたようにもとらえられ、少し原文ずれてしまう」というコメントが加えられている。 さらに、6 ページ 10 行目「エレベーターを降り、廊下に響き渡る足音を気にしながら∼」 いう箇所その英訳“Getting off the elevator, I was alarmed by the sound of my own footsteps . . . ”シフトを指摘した上で、「原文では(足音を)『気にしている』程度であるに対 し、英文では『おびえさせる、はっとさせる』書いているため、大げさな表現になり、この シーン合わなくなっている」というコメントが付されている。いずれも、一見些細なこと ように見えるが、このような細部にこそ問題本質が宿っているものであり、テクストを深く 読み込むという観点からすれば、まさに慧眼いうべきであろう。なお、図 1 ワークシート 上には、“My fi rst thought when I saw that . . .”に対する代替案として“A thought occurred to me . . . “ い う 英 文 が、“Getting off the elevator, I was alarmed by the sound of my own footsteps . . . ”に 対 す る 代 替 案 し て“Getting off the elevator, and a bit annoyed by the sound of my own footsteps, I rang the bell. ”という英文がそれぞれ追記されているが、これは、 これら問題をめぐるクラス内議論中で提案されたものである。
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フランス語教育に必要とされる文法知識 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

フランス語教育に必要とされる文法知識 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

―学習コンセプト  教材学習コンセプトは大きく 2 種類に分けられる。Alphabetix、『話してみようフランス 』、『場面で話すフランス語 1』はフランス語でコミュニケーションを行うことを念頭に編ま れた教材である。特に後二者はそのタイトルが明示すように、フランス語で発信する能力を養 成することを念頭において製作されている。Alphabetix 『場面で話すフランス語 1』では機 能・概念シラバスが採用されている。前者では各課に単一あるいは複数社会的あるいは機能 的コミュニケーション目標(ex. 自己紹介する、注文する、情報を求める)が設定される。後 者では各課に「家族」「持ち物」ような大きな概念テーマがあり、そのテーマに応じて「家族 について話す」「持ち物を言う」などコミュニケーション各場面が展開される。文法要素や 語彙・表現はこれらコミュニケーション目標を実現するため「道具」として配置されてい る。『話してみようフランス語』は機能・概念シラバス他に文法項目がテーマなることもあ る(ex. 6 課:~へ行く、~から来る、8 課:~するつもり、~したばかり)。一方、『ピエール ユゴー』『カジュアルにフランス語』は、実践的な会話練習を取り入れながらも、伝統的 な文法中心学習進度に従って構成された教材である。前者は物語主人公である二人少年 が旅途中で出会う事柄(ex. 3 課:切符がない)が各課会話エピソードとして取り上げら れる。後者は 4 技能養成を重視する傾向に対応するため、「無理なくフランス語基礎がバラン スよく身につく(『カジュアルにフランス語』「はじめに」より)」ことを目標しており、大学 生日常生活場面(ex. 4 課:映画、9 課:キャンパスで)を題材に各課会話が作られてい る。両者ともに会話は日常的で自然なフランス語になるよう配慮されているが、会話テーマ 学習する文法項目や語彙機能・概念的関連性はほとんど見られない。
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「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

トドロフ(Tzvetan Todorov)が著書『文学が脅かされている』(2007、小野潮訳 2009)) 13) 中で、人間理解ためにも幅広い分野で文学作品が果たす役割は大きい、述べている点に注 視するも意義あることだろう。 文学対象が人間条件それ自体である以上、文学を読み、それを理解する者は、文 学分析専門家になるではなく、人間存在を知る者なるだろう。人間を認識する という作業に何千年来取り組んできた大作家たち作品に沈潜する以上に優れた、人 間振舞い、情念理解ため導入教育があるだろうか。そうであってみれば、人 間関係に立脚するあらゆる職業ため準備として、文学教育以上に優れたものがあ るだろうか。もしこのように文学を理解し、このように文学教育を方向づけるなら、 未来において法学を学ぶ学生、政治科学を学ぶ学生、未来ソーシャルワーカー、心 理療法士、歴史家、社会学者にとってこれ以上に貴重な助力があるだろうか。………… こうして文学研究は、人文諸科学内部において、事件歴史、思想史といった学 科傍らにその場所を見つけられるだろう。これら諸学科は諸作品によっても諸教 説によっても、さまざま政治的行為によっても、社会的変化によっても、諸民族 生活によっても諸個人生活によっても、自らを発展させ、その結果思考を進歩させ るである。(ツヴェタン・トドロフ 73 74)
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ファーゴー教授 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ファーゴー教授 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ていつも彼がするスピーチはせずに、観客に向かって大きく口を開け、どっしり椅子に腰を 下ろした。しかし大佐は、短い間あと、その難局に挑んだ ― いうより、堂々した態度 でそういう状況に身を置いた ― そして、わずかばかり観客(その半分は寝ていた)に向か って、まるで彼らが知性流行代表であるかように話しかけた。彼話し方は古かった しても、彼話す内容は新しかった。彼にはアイデアがあまりにもたくさんあり、同じことを 繰り返すということがなかった。彼が説明しようしているアイデアは軽薄な私理解力を超 えていたが、掛け値ない彼豊かなインスピレーションによって、独創的な才能に対する彼 主張が正当なものであることを私は半ば確信した。P 町で無反応な知性に対する彼訴え に何か恐ろしく悲しいものがあったしたら、「エクセルシオール・ホール」陰気な空虚感を 相手にしている彼を座って見ていることは、ほとんど耐え難いまでに私を惨めな気持ちにした。 ギフォード嬢が前に出てきたとき、寝ている人は目を覚まし、少なくとも寝返りを打った。彼 女はまだピンクドレスを着たり造花装飾を身にまとったりはしていなかったが、あちこち にそれら兆しが芽生えているように見えた。首回りにはひだ飾りが飾られ、黒いドレスに 色つき帯を締め、髪には巻き毛がいくつか見られた。しかし、彼女態度はこれまでどおり 子どもっぽく、質素で落ち着いたものだった。空席は彼女には否定的な意味を持っていなかっ た。
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ビセンテ・ウイドブロ『北極の詩』(抄) 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ビセンテ・ウイドブロ『北極の詩』(抄) 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

(1917) Paris, Paul Birault を刊行したが、これは『楕円形天窓』詩人ピエール・ルヴェル ディが主宰する前衛誌『北 ノールーシュド ‐南』で活動を通じて得た新しい方法論に則ったものであった。 クレアシオニスム(創造主義)名前を与えられたその詩学は、1916 年『水鏡』に始まるも ので、長詩『アルタソル』Altazor o El viaje en paracaídas(1931) Madrid, C.I.A.P. でひとつ 頂点を迎えることになる。「詩人は、詩なかにしか存在しえないものを創造しなくてはなら ない」というその主張は、『北極詩』にも詩的キュビスムというかたちで反映されている。  『北極詩』刊行経緯に話を戻す、1918 年マドリード訪問は詩人にとって二度目 機会であった。南アメリカ大陸からスペイン南部港町カディスに到着した後、パリに移動す る途中で立ち寄った最初折が一ヶ月にも満たなかったに対して、このたび滞在はもう少
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オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

し、頭はコングリーブ嬢ことでいっぱいで、目は絶えず彼女顔を見ていた。ときどき彼女 視線合うときがあった。激しい嫌悪感がふつふつ胸にわき起こった。ヘンリエッタ・コ ングリーブに必要なは、彼女が他人を利用した同じように彼女も人に利用されることだ 彼は独り言を言った。明らかに今牧師を利用している同じように。水流中ほどで空し く底を手探りしながら、耳まですっぽり彼は恋に落ちていた。その間、乾いた靴を履いたまま 彼女は水辺に座っているだった。彼女は教訓を学ぶ必要があった。しかし、誰がそれを彼女 に与えることができるだろうか?彼女すべて師が知っている以上ことを彼女は知ってい るだ。男性は彼女に近づき、魅了され虜になるだけだった。もし彼女が、自分同じほど明 晰な頭脳、活発な想像力、不屈意志を持つ者、あるいは師仰ぐ者に出会いさえすれば!テ ーブルをひっくり返し、彼女出先をくじき、彼女を虜にし、そして突然時計を見て別れ挨 拶をする、そんな男性に出会いさえすれば!そうすれば恐らくグラハムも安心して眠りにつく ことができるだろう。人心をもてあそぶということがどういうことか彼女にも分かるであろ う。というのも、彼女心は、まるでブロンズに対するガラスようなものだからである。オ ズボーンはテーブルを見まわした。しかし、カーペンター夫人招待客には、彼が心に描く ― ブロンズ水晶頭を持つ ― 英雄にほんのわずかでも似ている男性はいなかった。彼ら はまさに、若い女性をそばにはべらせるが似合う若者たちに過ぎなかった。しかし、ヘンリ エッタ・コングリーブはそのような女性一人ではなかった。彼女は舞踏会にいる単に軽薄な 女性ではなかった。彼女しぐさにはどこか真剣で高貴な何かがあった。それは知的な喜びで あった。誠実な男性心を最後一滴まで飲み干し、恐ろしい食品に白い花を咲かせるだっ た。オズボーンが辺りを見わたす、周囲存在、サンドウィッチやシャンパンことを 一瞬忘れてしまったかように見える若い女性に目がとまった。彼が彼女ことを見ている に気がつく、もちろん、その女性はすぐに目皿に視線を落とした。しかしオズボーン は彼女視線意味を読み取った。それ ― まだ清純さ残る乙女視線 ― は、容易に翻訳 できる言葉で、「あなたこそ私が探し求めていた男性です!」語っているように思われた。つ まり簡単に言う、オズボーンさん、あなたは何て素敵な方なんでしょう、ということである。 オズボーンは脈が速くなるを感じた。彼計画は始まっただ。彼際立った容姿がコング リーブ嬢心を傷つけるに十分な装備だというわけではなかったが、少なくともそれは彼 任務を外に向かって表現するものだった。
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英語的な表現と日本語的な表現 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

英語的な表現と日本語的な表現 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 1 ~ 11 例文はいずれも、英語場合、主語が目的に対して行った行為は、それが完了し たことまでを意味する。したがって、1 ~ 11 英語例文はすべて、意味としては矛盾してい る。「燃やしたけれど、燃えなかった」、「沸かしたけれど、沸かなかった」、「浮かべたけれど、 浮かばなかった」に対応する英文は、文としてすべて不適格である。しかし、その日本語に不 自然なところはない。日本語場合、「燃やしたけれど、燃えなかった」、「沸かしたけれど、沸 かなかった」、「浮かべたけれど、浮かばなかった」という表現はすべて適格な文である。つま り日本場合、動詞が意味する「行為」そのものだけに重点があり、それによって意図され た行為が完了したかどうかまでは問題にされない。しかし英語場合、「主語」意図したとこ ろ結果までが動詞意味範囲に含まれることがよくある。
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日本語教育における学習者コーパスの構築とICLEAJ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

日本語教育における学習者コーパスの構築とICLEAJ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

謝辞 本研究は科学研究費による研究一環として行ったものであり、ここに感謝を記したい。課題番 号 22520543(研究代表者:望月通子、分担研究者:阪上辰也) 参考文献 Corder, S. P. (1967). The Signifi cance of Learner’s Errors. An Introduction. Oxford:Basil Blackwell. Ellis, R. (1994). The Study of Second Language Acquisition, Oxford: Oxford University Press. Ellis, R. & Barkhuizen G. (2005). Analyzing Learner Language. Oxford: Oxford University Press. Gilquin, G., Rapp, S., & Diez-Bedmar, M.B. (Eds.). (2008). Linking up Contrastive and Learner
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博識無双の凛然たる人、北村裕教授 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

博識無双の凛然たる人、北村裕教授 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 北村教授は、学部・修士・博士 9 年間、一貫して本学・英文科で学ばれた俊秀である。御 専門は英語学だが、当時関大英文科英語学は、Philology 色が濃く、そのなかにあって敢 えて Linguistics を志向された北村氏は、当時大学院演習指導教授関係で精神的にも肉体 的にも苦悶なさったではないか推察する。若き日にそのようなご心労があったればこそ、 後に御自身がドクターコース演習担当指導教授になられた暁には、真に心深い教育者・研究 者として誠心誠意、院生に親身に接しておられた。志使命感に溢れた、気魄学究徒 である。
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稀代の目利き、福井七子先生へ贈る言葉 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

稀代の目利き、福井七子先生へ贈る言葉 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 先生は稀代目利きである。たとえば、研究テーマを例にとる、先生選ばれた日本文化 論テーマは、年月を重ねるにつれて、今日性が増しているように思える。通常ならば、歳月 とともに時代性を失い輝きを減ずるものだが、先生テーマをそうではない(ここでは紙幅 関係でたった 1 - 2 行で表現しているが、とても希有なことであり、驚きに値する)。先生目 利きぶりは、何も学問話だけではない。ちょっとした小物でも、お店でも、食べ物でも、普 遍的で価値高いものを選ばれているように思う。先生にお薦め頂いたものに外れはない。  人を見る目も同じである。先生人物評は端的にして、的を射ている。その時は分からなく ても、そして表面的には見えていなくても、後になって「じんわり」その意味がわかってく る。時にその慧眼ぶりに、「怖い」思うことすらあった。しかし、決して相手を貶めるような 評ではなく、そこに先生持つ上品さを感じる。
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存在命題の意味論的分析―フレーゲ再考― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

存在命題の意味論的分析―フレーゲ再考― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 この場合、‘is wise’ や ‘growl(s)’用法 ‘exist(s)’用法間に、どのような違いがあ るか。ムーアによれば 6) 、両者違い 1 つは、‘Tame tigers growl.’ には、ある種曖昧さ (両義性)があるが、‘Tame tigers exist.’ にはないということである。すなわち、‘Tame tigers growl.’ という文は、‘ tame tigers growl.’、‘ tame tigers growl.’、‘ tame tigers growl.’ いずれも意味することができる。そして、これら 3 つ文によって表現される命題が 真なるため条件として、少なくとも 1 匹以上虎が実際に唸る(growl)ことが必要であ る。これに対して、‘Tame tigers exist.’ には、このような曖昧さはない。‘Tame tigers exist.’ は、つねに ‘ tame tigers exist.’ だけを意味する。‘Tame tigers exist.’ ‘ tame tigers exist.’ は、まったく同一命題を表現する 2 つ異なった表現方法にすぎない。では、 ‘ tame tigers exist.’ や ‘ tame tigers exist.’ には意味がないか?それら文は、表面 的に何らかの意味があるように見えても、じつは何意味もない。このことがまさに、‘exist’ 用法 ‘growl’ 用法間にある重要な違いを示している。
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杉谷眞佐子教授 略歴及び主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

杉谷眞佐子教授 略歴及び主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

1986 年 「たたかうルポルター ジュ文学 ― ギュンター・ ヴァルラフ『最底辺』をめぐって」 『新日本文学』10 月号 pp.34 40.(単著) 1995 年 「『外国としてドイツ』教材にみられるナチス時代扱い ― 戦争責任問題へ考察 ― 」関西大学経済・政治研究所 研究双書 95 冊『ドイツ・日本問題研究Ⅲ』 pp. 200 274.(単著)

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福井七子教授 略歴および主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

福井七子教授 略歴および主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

「太平洋問題調査会その時代」共著(2010)春風社 119-159 「日本人性格構造プロパガンダ」単著(2011)ミネルヴァ書房 1-263 学術論文 “One Aspect of Nakae Chomin’s Process of Thought Expressed in Min’yaku-ron, Saku-ron, and Min’yaku Yakkai” 単著(1986)関西大学文学論集 47-64

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母音梯形と母音三角形 ─ 発音指導と評価 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

母音梯形と母音三角形 ─ 発音指導と評価 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

瞭で自然な発話が要求される 1) 。さらに高度なコミュニケーションを想定した場合、たとえば ニュースようにスピードある発話を理解するためには、意味なる間に短く挟ま れる文法要素を的確に聞き取らなければならない。また長いセンテンスを、ある程度スピー ドで、適切なイントネーションで「読む・言う」為には、日本には存在しない結合現象習 得が不可欠だ。たとえば前置詞 de 定冠詞 la が続く場合、前後関係によっては[də la] ではなく、de [ə]が脱落して[dla]つながり、[d]から[l]へ移行部分で一種破 裂音(両側外破)ができる。この結合現象を聞いただけで 2 つ子音があることを知覚し、真 似できる日本人学習者はほとんどいない。この結合現象を知らない学習者多くは、[d]ある いは[l]どちらか一つ子音として聞き取る。その結果、前置詞 de を使わずに名詞を 2 つ続けたり、de 後ろ名詞冠詞が必要であっても省略をしたりするなど間違いが定着し てしまう。このように発音上聞き間違いが、文法基本的な間違い原因なっていること は珍しくない。
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岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 言語間習熟度に濃淡はあれ、3 言語習得はルクセンブルク人アイデンティティー礎 であり、どの言語を欠かすわけにもいかない。ルクセンブルク人が最も得意な言語はルクセン ブルクであるが、ルクセンブルクを政治・経済・学問領域で本格的に使用するには綿密 なコーパス政策を展開せねばならず、そればかりかフランス語ドイツを主要言語するメ リットが失われることにもなるので損失は大きい。したがって、フランス語ドイツ役割 を減じるような言語政策は国益に反するだろう。言語レベルだけを考えるならば、ほとんど母 として習得が可能なドイツを主要な公用するがルクセンブルク人にとって最も現 実的な選択肢なろう。だが、ドイツに国土を占領された経験を持つルクセンブルク人にとっ て、ドイツ同じ言語を国語することには抵抗感がある。最近では、特に若年層でドイツ態度が好転しており、居心地がいい外国一位にドイツが入っている点は特筆すべきであ る。また、最も得意な言語 2 位にドイツが位置していることを考えるならば、ドイツ 使用域拡大環境が整っていることを示唆している。しかし、憲法が規定するフランス語司 法上優位性、主たる学術言語をフランス語が担う言語教育政策を守り続ける以上、フラン スを上位言語する 3 言語主義は変わらないだろう。特に、EU ではフランス語が英語並 ぶ「作業言語」(working language)として使われているため、EU 主要機関が立地するルク センブルクにとってフランス語を主要言語するメリットは計り知れないものがある。ただし、 ドイツにもフランスにも依存しない独立国であることを示すには、ドイツフランス語バ ランスを取ることが重要になる。ドイツフランス語というヨーロッパ 2 大言語を公的に 使用することで、幅広い通用性を持つインフラを提供しながら国際的な求心力を得るが小国 ルクセンブルク生き方であるからだ。
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