トップPDF 碩学 平田 渡先生へ感謝を込めて 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

碩学 平田 渡先生へ感謝を込めて 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

碩学 平田 渡先生へ感謝を込めて 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

竹 内   理  過去様々な出来事について分からないことがあると、私は迷うことなく平田先生に尋ね みることにしいる。「先生、~について教えくださいますか。」すると先生は、「竹内君、そ れはね、~だよ。」と気さくに、そして明快に教えくださる。私にとっては(そして多く同 僚にとっても)、平田先生は、まさに生き字引ような存在なだ。先生はお忘れかもしれない が、「現在出来事意味は、歴史流れ解さずには分からない」とおっしゃっいたこと 、私は折りにふれ思い出す。けだし名言である。その平田 先生が、実に 40 年長きに わたる関西大学学究生活終え、ご退職になられる。寂しい限りである。
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ファーゴー教授 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ファーゴー教授 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

いつも彼がするスピーチはせずに、観客に向かっ大きく口開け、どっしりと椅子に腰 下ろした。しかし大佐は、短い間あと、その難局に挑んだ ― というより、堂々とした態度 でそういう状況に身置いた ― そして、わずかばかり観客(その半分は寝いた)に向か って、まるで彼らが知性と流行代表であるかように話しかけた。彼話し方は古かったと しも、彼話す内容は新しかった。彼にはアイデアがあまりにもたくさんあり、同じこと 繰り返すということがなかった。彼が説明しようとしいるアイデアは軽薄な私理解力超 えいたが、掛け値ない彼豊かなインスピレーションによって、独創的な才能に対する彼 主張が正当なものであること私は半ば確信した。P 町で無反応な知性に対する彼訴え に何か恐ろしく悲しいものがあったとしたら、「エクセルシオール・ホール」陰気な空虚感 相手にしいる彼座っいることは、ほとんど耐え難いまでに私惨めな気持ちにした。 ギフォード嬢が前に出きたとき、寝いる人は目覚まし、少なくとも寝返り打った。彼 女はまだピンクドレス着たり造花装飾身にまとったりはしいなかったが、あちこち にそれら兆しが芽生えいるように見えた。首回りにはひだ飾りが飾られ、黒いドレスに 色つき締め、髪には巻き毛がいくつか見られた。しかし、彼女態度はこれまでどおり 子どもっぽく、質素で落ち着いたものだった。空席は彼女には否定的な意味持っいなかっ た。
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齋藤榮二先生に心から感謝を込めて齋藤榮二教授略歴及び主要業績 外国語教育研究(紀要)第11号〜第17号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

齋藤榮二先生に心から感謝を込めて齋藤榮二教授略歴及び主要業績 外国語教育研究(紀要)第11号〜第17号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

Input理論入門講座  ― AcquisitionとLearning違いどう受け止めるか ⑴ ― ฀ 解説論文 昭和62年 「新英語教育」三友社 Input理論入門講座  ― AcquisitionとLearning違いどう受け止めるか ⑵ ― ฀ 解説論文 昭和62年 「新英語教育」三友社

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諸沢 巖先生に心からの感謝をこめて 外国語教育研究(紀要)第1号〜第10号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

諸沢 巖先生に心からの感謝をこめて 外国語教育研究(紀要)第1号〜第10号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 さて趣味としては囲碁とワイン、山歩きということおうかがいしいる。囲碁には同席し たことはないが、かつて同好先生方とお手合わせ楽しみにしいた話聞いたことがあ る。ご本人は謙遜されいるが、腕前は相当なものであるという。  しかし囲碁のみならず、とくにワインたしなみも年季が入っおり、神戸ワイン輸入業 者店にも顔出し、気に入ったものが入手できると、雑談おりにうれしそうに披瀝され る。何か会合やコンパさいには、そっと何気なくお気に入りボトル差し出され、同僚 がおいしそうに飲む姿見ることよろこびとされいた。わたし自身は残念ながらアルコー ル飲めないが、同僚先生方は何度か諸沢先生ご厚情に、つい甘えご相伴にあずかっ こられ、ワインを通じてドイツ文化広がり愉しんでこられた。
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ビセンテ・ウイドブロ『北極の詩』(抄) 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ビセンテ・ウイドブロ『北極の詩』(抄) 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 ウイドブロがこの詩集に載せた詩編は、「額絵」として鑑賞されること意識しか、どれも が短い。比較的に長い「急行列車」でも、2 ページに収まっしまう程度 40 行に過ぎない。 そのことが、本質的に斬新な詩、新しい手法に不慣れな読者にとっても分かりやすいものに しいる。またグリスが指摘しいることだが、用いられる単語も、観念的で日常になじまな い、奇衒ったようなものではなく、より詩人身の丈に応じた平易な言葉になっいる。キ ュビスム画家が『北極詩』美点であるとするこの特徴は、パリとは違い、この種詩に 対し一切免疫持たなかったスペイン詩人たちあいだに熱心な支持者得た一因とな った。そうしたなかで誕生したが、スペインにおける最初前衛主義ウルトライスモである。 彼らは、シュルレアリスムがその中心に常にブルトン抱いたようにはウイドブロその懐に 迎えることせず、むしろ反力高めいったが、1922 年に機関紙「ウルトラ」が廃刊となり 運動が解消した後も、スペイン詩底流にその反響残した。
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吉田健一と英文学 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

吉田健一と英文学 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

……祖父牧野伸顕もとで育てられ、幼少頃から身近にこの明治気概持つ祖父見 ながら成長した十八歳日本人留学生吉田健一は、異国にあっ美しいケンブリッジ空 気に安穏にひたっいることに居たたまれない何か別な衝動に駆られいたではないか。 ………………………………………………………………………………………………………… 成人後に英国に留学した夏目漱石が文明開化外から眺め苦々しく思ったとは裏腹に、 吉田健一が常に文明開化内から眺め苦々しい思い噛み締めなければならない位置に いたということである。…………………………………………………………………………… ………………………………………………………………………………………………………… 外国人として自己―小学校以来、英語という「第一母国」で何不自由なくやってき た吉田健一は、ケンブリッジに来初めてアウトサイダー位置に立たされた。………… ………………………………………………………………………………………………………… 圧倒的な過去が実在するケンブリッジ近代に感染することによって、生まれ初めて英 が自分「第一母国」でないこと痛切に意識したに違いない。その母国生ん だ過去深みにはまればはまるほど、否応なくその彼ら「文化」から自分がアウトサイ ダー位置にいることに気づくこと―なん因果か「中途半端付焼刃」でないがゆえに、 まさにそれゆえにこそ吉田健一は自分拠っ立つ根幹が揺らぐほど窮地に立たされた と言っいい。
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有余年の大学生活を振り返って 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

有余年の大学生活を振り返って 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 2009 年頃より、翻訳中心に研究深めいる。翻訳するにあたって、英語ニュアンス も含め、著書深遠な部分理解が求められる。これは私個人的な思いだが、バイリンガル な人とよぶことができるは菊地敦子先生おい私は知らない。何年にもわたっ菊地先生 と行なっいる翻訳・解釈セッションは私仕事に励みと力与えくれいる。菊地先生仕事はこれからも当分続くことになるが、これまた結構なことである。
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アントニー・スティーヴン・ギブズ先生 ―仰ぎ見る存在として― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

アントニー・スティーヴン・ギブズ先生 ―仰ぎ見る存在として― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

外国学部紀要 第 14 号(2016 年 3 月) 2  先生は、遠州流茶道直門上席師範、家元師範代という高い立場に昇られおり、茶 道に関する論考や、茶道語彙に関する研究も多数発表されこられた。また、日本・日本 文学についても、その分野で修士学位( Oxon )取得され以来、継続し研究続けら れいる。しかし何よりも私個人印象に残るは、その英文法教授に関する論考である。全 10 章からなるこの一連論文群と、それ発展させた書籍ドラフト先生から数年前に見せ 頂いた時には、そのユニークなアプローチに大いに感銘受けた。40 年にわたり、日本大 学生と向き合った経験があるからこそ、生まれきた考え方だと思われる。日本人にとって痒 いところに手が届くようなこの論考さらなる充実と、早い出版が待たれるところである。ま た先生は、発音や韻律教授法に関しても一家言お持ちであり、90 年代にはこの分野でも一 連論文書かれいる。陳腐な言葉かもしれないが、マルチな才能とは彼ような人物こ と言うであろう。まさに仰ぎ見る存在と言わざる得ない。
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アディナ ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

アディナ ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 目に見える影響暗く古い町に与えるローマ初春空気は、ご存知とおり不思議な魅 力があるけれども、どちらかというと外国体にはしばしば辛いことがある。北アフリカか ら熱風が二週間途切れることなく続いたあと、ワディントン夫人活発だった気分が落ち込 んだ。彼女は「熱病」にかかるではないかと心配し、急いで医者と相談した。医者は、何も 心配することはなく彼女に必要なは単なる気分転換だと言った。そして、一ヵ月ほどアルバ ーノに行くこと勧めた。というわけで、二人女性はスクロープ付き添いもとアルバー ノに行くことになった。ワディントン夫人は親切にも私も一緒に来るよう誘っくれた。しか し、親戚者がローマにやって来ることになっ、私は彼らためにガイド役引き受け ることになっいたので、ローマに残っいなければならなかった。機会があればアルバーノ 訪れると約束だけはしおいた。私叔父とその三人娘は申し分ない観光客で、私には 次から次とすることがあった。しかし、週末にはやっと約束果たすことができた。私は宿 に泊まっいる彼ら発見し、二人女性が、汚れた石造り床としわ寄った黄色いテーブ ルクロスについて意識、窓から見える霧かかった海ように広大なローマ平原について 恍惚とした黙考に溶け込ませいる見た。景観は別として、彼らは楽しい日々過ごし いた。その地域美しさと山間見慣れない古い町美しい近郊思い出しいただきたい。 その地方は早咲き草花が咲き誇っおり、私友人たちは野外空気中で暮らしいた。 ワディントン夫人は水彩画スケッチし、アディナは野生花々摘んでいた。スクロープ は満足気に二人行ったり来たりし、時折、ワディントン夫人絵の具使い方やアデ ィナスイセンとシクラメン組み合わせについて歯に衣きせない酷評いた。みんな とても幸せそうで、嫌味ではなく私はもう少しで、神々からもっとも望ましい贈り物とは、 自身欠点なさに対する終始変わらない確信ではないかと思うところだった。しかも、心に やましいところある恋人でさえ、アディナ・ワディントンような自分人生における予想 もしない愛らしさ存在によって、当然報いというものが存在することが信じられなくなる ということがあるかもしれない。
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国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

2 .ASEP2010 から見えること  2010 年度 ASEP における参加学生言葉によると、「英語外国として使う人同士コ ミュニケーションには必ず衝突や不完全な意思疎通」があるため、「自分たちはこういう風に プレゼン作りたいと説明する交渉力」や、「自分が主張したいことに説得力持たせるため コミュニケーション能力が必要であることに気づく」という ASEP 効果がみられた。さらに、 リピーターから「Presenter 経験者として、Coordinator がプレゼン内容についてもう少し踏 み込んだ意見与えあげられたら良かった」と指摘があった。このことは、意見や価値観 対立からコンフリクトが発生し、それ解決するために両グループが苦心しおり、その ことリピーターが歯がゆい思いで見守っいる状況示しいる。
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ある肖像画の物語 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ある肖像画の物語 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

にとって、彼は信じざる得なかっただが、愛は趣味悪い気晴らしに過 ぎなかったのだ。彼は激しい気性男性だった。彼はすぐ要点に触れた。  「マリアン」と彼は言った。「君は僕欺いいたんだね。」  マリアンは彼が何こと言っいるかよく分かっいた。彼女には、自分が自分婚約 にうんざりしいることがよく分かっいた。そして、ヤング氏やキング氏に対する彼女振 る舞いがどんなに無邪気なものであっも、それはバクスターに対する重大な裏切りだった だ。彼女はダメージ受け、二人婚約はすっかり破棄されたと感じた。スティーブンが中途 半端な言い訳や否定に納得しないことは分かっいたが、彼女にはそれ以外に伝えられるもの がなかった。いくら言葉費やしも完全な告白にはならなかっただろう。そこで彼女は、気 に揉むことやめしまった「将来」守ろうとはせず、単に自分威厳だけ守ろうとした。 生まれつき半分冷笑的な落ち着いた性格によって彼女威厳は当面間十分守られた。しか し、同じ品ないこの落ち着きために、冷酷で浅はかだという印象がスティーブン記憶 中に残った。そしてそれは、少なくともその記憶中では、真実重みと価値あるもの求め る彼女にとって永遠に致命的であることが宿命づけられいた。彼女に説明求め、彼女振 る舞いに介入しようとするスティーブン権利マリアンは否定した。婚約解消しようとい う彼提案彼女はほとんど予期しいた。彼女は涙という単純なロジック使うことさえ否 定した。当然、このような状況では二人話し合いは長いものではなかった。
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岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 言語間習熟度に濃淡はあれ、3 言語習得はルクセンブルク人アイデンティティー礎 であり、どの言語欠かすわけにもいかない。ルクセンブルク人が最も得意な言語はルクセン ブルクであるが、ルクセンブルク政治・経済・学問領域で本格的に使用するには綿密 なコーパス政策展開せねばならず、そればかりかフランス語とドイツ主要言語とするメ リットが失われることにもなるので損失は大きい。したがって、フランス語とドイツ役割 減じるような言語政策は国益に反するだろう。言語レベルだけ考えるならば、ほとんど母 として習得が可能なドイツ主要な公用とするがルクセンブルク人にとって最も現 実的な選択肢となろう。だが、ドイツに国土占領された経験持つルクセンブルク人にとっ 、ドイツと同じ言語国語とすることには抵抗感がある。最近では、特に若年層でドイツ 態度が好転しおり、居心地がいい外国一位にドイツが入っいる点は特筆すべきであ る。また、最も得意な言語 2 位にドイツが位置しいること考えるならば、ドイツ 使用域拡大環境が整っいること示唆しいる。しかし、憲法が規定するフランス語司 法上優位性と、主たる学術言語フランス語が担う言語教育政策守り続ける以上、フラン ス上位言語とする 3 言語主義は変わらないだろう。特に、EU ではフランス語が英語と並 ぶ「作業言語」(working language)として使われいるため、EU 主要機関が立地するルク センブルクにとってフランス語主要言語とするメリットは計り知れないものがある。ただし、 ドイツにもフランスにも依存しない独立国であること示すには、ドイツとフランス語バ ランス取ることが重要になる。ドイツとフランス語というヨーロッパ 2 大言語公的に 使用することで、幅広い通用性持つインフラ提供しながら国際的な求心力得るが小国 ルクセンブルク生き方であるからだ。
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at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 それ以降、それまで頻繁にしいた家出は二度としませんでした。私幼児期家出は、私 癇癪発作と同様に、家庭内罪と考えられいました。実際には 2 回しか家出した覚 えいませんが、どちらも大事でした。最初家出はその後にジレンマ感じたからよく覚え います。私が 3 ∼ 4 歳頃、母が用事で 3 ∼ 4 日外出するので、その間絶対に家出しない ように約束させられました。でも私は家出しました。母が帰宅しから約束破ったこと 母にとがめられましたが、私はその理由言うこと拒否しました。母は私が話しするまで 家に閉じ込めると決めました。でも私家に閉じ込めもあまり効果はなく、一日一日とそれ は延長されました。話ししさえすれば、罰から解放されるは確かでしたが、私は母に話し することはできませんでした。今振り返っ考えると、家出と家出にまつわることは、私世界であり、別世界について母に話すことはできませんでした。家族みんなが私に手 焼きました。ためしに私が石油缶開い小屋にそれまいた時、母は罰する ことやめました。私は何しでかすかわからないような子だったので、みんなに迷惑かけ るだけでなく、悪意に満ちいるかような存在でした。ある朝、母は私一階寝室に連れ 行き、私が話しするまで何も食べはいけないと言いました。その時自分苦しみよ く覚えいます。家族は正午に食事し、午後時間が経っいきました。みんなは夕食食 べ、電気が灯されました。母は私隣に座っ、ほぼ一日待ちました。やっと私は、話し始め ました。その解放感たるや、まるで本当に酔ったような気持ちでした。今まで成し得なかった 最も困難なこと成し遂げたです。母は私食堂に連れ行き、ランプもとで二人だ けで食事しました。
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社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 ここから得る教訓は、戦争が人間にとって欠かせないものだということではなく、戦争時に おい得られる人間悦びは、社会秩序によって平和には奪われいるということである。そ れに比しミシシッピ大平原多くインディアン部族状況は、平和時と戦争時状況が 逆である。平和時部族同士やりとりは共同出資会社と同じように利益共有し、義務も 分散されいる。敵は人間とも見なされず、その敵犠牲にし難なく個人利益手に入れ ることができるである。ダコタ族は勇敢で根っから戦争好きであった。彼らは近隣部族 から恐れられいた。しかし国は彼ら功績には全く無関心であった。政治的な目的で軍隊が 派遣されることもなく、彼らには他部族支配するという考えは思いもしないことであった。 戦争に加わっいる若い青年たちは手柄どんどん増やしいった。例えばキャンプ先にいた 敵盗み、倒れた敵がまだ生きいる間に触れ、頭皮剥ぎ、敵陣地から傷ついたり、 殺された部族助け出したりした。これら手柄は加算され、仲間と張り合う時に使われた。 戦争とそれにともなうことは競争であった。戦争部隊に入隊する理由は愛国心からではなく、 一旗揚げたいために入隊した。戦闘部隊が敵地に入ると、隊員はそれぞれ一番りっぱな服装羽根飾りつけた。羽根一本いっぽんは彼が過去に成し遂げた手柄表しいた。隊員 たちが本拠地に帰ると、英雄となった人たち家族や彼と何らかのつながりがある人たちが集 まり、彼功績称えた。兵隊たちは死ぬまで競い合っ自分たち成し遂げた手柄自慢し あうである。集会場には 100 以上数え棒が置いあり、誰が一番多く手に入れ、自 分たち手柄話しができるかということ競い合った。
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「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 こうした一連検証作業を通じて、太平洋戦争中日本英文学者中には、己専門領域 当時日本国家ために積極的に活かすべく、真正面から現実社会と向き合い、実社会と 深い関わり求めた者がいたことが判明した。実社会と直接接触希求した英文学者は、 己学問研究、己専門、己持てるすべて、そして己最大武器とも言える英 米事情に関する厖大な博学多識、時日本社会に対して役立たせようと努めたである。敵 国となった英米文学や文化専門にしきた彼ら英文学者にしみれば、己が持てる力国 家ために存分に発揮する時機が到来した、と大いに興奮し、奮起したであろうことは想像す るに難くない。現実社会と直結した、まさに生きた英語英米文学研究存在意義しんから自 覚し、これこそが実践知性最たるものだと彼らは認識したにちがいない。慶應義塾大学名誉 教授・白井厚が著書『大学における戦没者追悼考える』(2012)中で、「英語勉強するこ とによって、高いところに立っ普通人には見えないところが見えるようになる。敵国文 章いち早く直接読むことができ、それだけ視野が広がる。敵状況が分かっ戦争に勝てる。 だから英語学とは展望台学問であり、戦争に役立つというふうに、論展開します。そうす ると、なんとなくそんな感じもし、英語一生懸命に勉強できるようになります。海軍は英
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トーマス・ロッカー絵本の整理と展望 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

トーマス・ロッカー絵本の整理と展望 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

  ’ , illustrated by Thomas Locker, written by Keith Strand. New York: Harcourt Brace & Company, 1999.  クリスマスにガチョウ木彫り木に飾るという自分家族に特有習慣由来について、 作者が自分おじいさんから直接聞いた話である。1886 年、おじいさん両親はイリノイから コロラドに移住し生活始めた。その冬、大雪に襲われ、父は最後に残ったとうひ切ろ うとするが、母はその木の下に二羽ガチョウ(一羽はけがいる)見つけ、せめてク リスマスまでは木切らないよう頼む。この頃、夫婦に赤ん坊(作者おじいさん)が生まれ る。クリスマス後は天候も回復し、木は切らなくも済む。のち、春になり、ガチョウにも雛 が生まれ家族ができる。二度目クリスマスには(おじいさん)妹が生まれ、家族幸せが 増す。父は、ガチョウ家族木彫り作り、このとうひ木に飾った。この行為が、今も作 者家族によって続けられいるということである。コロラド秋・冬・春景色捉えたロ ッカー写実性が、この感動的な実話にリアリティーとドラマ性与えいる。
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アントニー・スティーヴン・ギブズ先生のご退職によせる想い 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

アントニー・スティーヴン・ギブズ先生のご退職によせる想い 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 先生は日本伝統文化にも造詣が深くいらっしゃいますが、私にとって興味は先生春 画に対する見識です。昨今、巷にぎわしいる春画展示巡る話はご存知ことと思いま す。先生は何十年も以前からこうしたものにも注目されいるように拝察しいます。教育分 野で超有名だった或る先生が春画コレクターであったこと京都大学人文科学研究所にいた 折に聞き、驚愕した覚えいます。ギブズ先生はこうした春画に対して一家言お持ちよ うで、今後はこうした研究もぜひ深めいっいただきたいと切望しおります。
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オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 この話には誇張があることオズボーンは最大限考慮した。女性というものは ― 彼は考え た ― 話都合よくまとめ上げるが大好きである。特にそれが不幸ときは。しかし彼 は大変心配になり、ただちに長い手紙書いた。その手紙中でオズボーンは、ドッド夫人 話がどこまで本当な尋ね、もしそれがかなり部分事実であるなら、気晴らしため にすぐに町に出くるよう強く勧めた。グラハムは実際に姿現すことでそれに応えた。そこ でオズボーンはすっかり安心した。グラハムはこの数ヶ月で今までにないほど健康で元気そう だった。しかし彼と話しみると、精神的には少なくとも彼が深刻に病んでいることが分かっ た。元気がなくぼんやりとして、思考がまったく働いいなかった。オズボーン問いにも援 助申し出にも反応がないので、オズボーンはそれ悲しい想いで受けとめた。彼は生まれつ き感傷的な悩み大変なことだと考えるタイプではなかった。階下住人が失恋で引きこもっ も、だからといって階段上がる自分足音に気つかうような人間ではなかった。し かし、グラハムからかっも何効果もないだろうし、楽しさというものは必ずしも他人に 感染するわけではないということグラハムは証明しいるように思われた。グラハムはオズ ボーンに、自分こと恩知らずな奴だと思わないで欲しいということ、そして、今回こと が癒されるまでその件については触れないで欲しいということ懇願した。グラハムは今回忘れようと決意しいた。彼がそれ忘れることができたとき ― 人はそういうこと忘 れるものなので ― 少なくとも今回先端うまく過去に追いやることができたとき ― このことについてすべて話すつもりだと言った。当面間は、自分気持ちことで紛 らわせなければならなかった。何すればいいか決めるは容易ではなく、当てもなく旅 するも難しかった。しかし、この耐えがたい暑さ中でニューヨークにとどまるも不可能 だった。ニューポートになら行けるかもしれなかった。
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鳥井克之先生に心からの感謝を込めて 外国語教育研究(紀要)第1号〜第10号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

鳥井克之先生に心からの感謝を込めて 外国語教育研究(紀要)第1号〜第10号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 そして、昭和35年に大阪市立大学大学院に進まれ、昭和38年同大学院(修士)修了されま した。38年から4年間、大阪市立大学文学部中国学科助手勤められたあと、昭和42年4月に 関西大学文学部中国文学科専任講師として着任されました。  鳥井先生は、本学中国文学科設立と同時に着任され、今日に至るまで37年間、中国にお い今日まで如何に中国が研究されきたかという中国語学研究史、あらゆる視点からと らえた探求されこられました。なかでも近代中国文法学始祖といえる馬建忠『馬氏 文通』中心に、それ以前及びそれ以後から現在に至るまで代表的な文法学者著作・文法 体系・文法概念及びそれら系譜基準とした中国文法研究史時代区分などについて、数 多く論考発表しこられ、中国語学研究・教育発展に大きな貢献されこられまし た。
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杉谷眞佐子教授のご退任に際し感謝をこめて 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

杉谷眞佐子教授のご退任に際し感謝をこめて 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

Es gibt ein Ziel, aber keinen Weg; was wir Weg nennen, ist Zögern*.  今年度をもって退任される杉谷眞佐子先生は、関西大学に着任されから今日に至るまで 35 年間にわたり、ドイツ教育重鎮として八面六臂ご活躍なさいました。日本独文学会で は長きにわたり「文学・語学」という二分野しか存在しませんでしたが、杉谷先生は学会中 心的な役割担うメンバー一人として、「ドイツ教育学」新たな分野として定着させるこ とに取り組んでこられました。その甲斐あっ、『ドイツ教育部会報』が『ドイツ教育』と 改称され、新たな研究誌として生まれ変わったは 1996 年ことでした。この時期は「文学・ 語学・教育」三分野体制確立期といっもいいでしょう。教育分野で杉谷先生は、英語 圏とは違った視点持つドイツ教授法理論日本導入するうえで大きく貢献されました。 最近は、ドイツにおける複言語教育に関する研究中心に取り組まれいます。なかでも、ヨ ーロッパ言語共通参照枠やポートフォリオ日本における応用可能性探る研究は、ドイツ 教育世界だけでなく、日本における外国教育全般にとっても示唆に富むものといえるで しょう。このように進取精神に富む杉谷先生と同僚としてお仕事させいただけたことで、 私もドイツ教育開拓一端に触れるという僥倖に恵まれました。
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