トップPDF 杉谷眞佐子教授のご退任に際し感謝をこめて 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

杉谷眞佐子教授のご退任に際し感謝をこめて 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

杉谷眞佐子教授のご退任に際し感謝をこめて 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

Es gibt ein Ziel, aber keinen Weg; was wir Weg nennen, ist Zögern*.  今年度をもって退任される杉谷眞佐子先生は、関西大学に着任されから今日に至るまで 35 年間にわたり、ドイツ教育重鎮として八面六臂活躍なさいました。日本独文学会で は長きにわたり「文学・語学」という二分野しか存在しませんでしたが、杉谷先生は学会中 心的な役割担うメンバー一人として、「ドイツ教育学」新たな分野として定着させるこ とに取り組んでこられました。その甲斐あっ、『ドイツ教育部会報』が『ドイツ教育』と 改称され、新たな研究誌として生まれ変わったは 1996 年ことでした。この時期は「文学・ 語学・教育」三分野体制確立期といっもいいでしょう。教育分野で杉谷先生は、英語 圏とは違った視点持つドイツ教授法理論日本へ導入するうえで大きく貢献されました。 最近は、ドイツにおける複言語教育に関する研究中心に取り組まれいます。なかでも、ヨ ーロッパ言語共通参照枠やポートフォリオ日本における応用可能性探る研究は、ドイツ 教育世界だけでなく、日本における外国教育全般にとっても示唆に富むものといえるで しょう。このように進取精神に富む杉谷先生と同僚としてお仕事させいただけたことで、 私もドイツ教育開拓一端に触れるという僥倖に恵まれました。
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ファーゴー教授 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ファーゴー教授 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

いつも彼がするスピーチはせずに、観客に向かっ大きく口開け、どっしりと椅子に腰 下ろした。しかし大佐は、短い間あと、その難局に挑んだ ― というより、堂々とした態度 でそういう状況に身置いた ― そして、わずかばかり観客(その半分は寝いた)に向か って、まるで彼らが知性と流行代表であるかように話しかけた。彼話し方は古かったと しも、彼話す内容は新しかった。彼にはアイデアがあまりにもたくさんあり、同じこと 繰り返すということがなかった。彼が説明しようとしいるアイデアは軽薄な私理解力超 えいたが、掛け値ない彼豊かなインスピレーションによって、独創的な才能に対する彼 主張が正当なものであること私は半ば確信した。P 町で無反応な知性に対する彼訴え に何か恐ろしく悲しいものがあったとしたら、「エクセルシオール・ホール」陰気な空虚感 相手にしいる彼座っいることは、ほとんど耐え難いまでに私惨めな気持ちにした。 ギフォード嬢が前に出きたとき、寝いる人は目覚まし、少なくとも寝返り打った。彼 女はまだピンクドレス着たり造花装飾身にまとったりはしいなかったが、あちこち にそれら兆しが芽生えいるように見えた。首回りにはひだ飾りが飾られ、黒いドレスに 色つき締め、髪には巻き毛がいくつか見られた。しかし、彼女態度はこれまでどおり 子どもっぽく、質素で落ち着いたものだった。空席は彼女には否定的な意味持っいなかっ た。
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吉田健一と英文学 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

吉田健一と英文学 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

と続ける。吉田健一娘・吉田暁子が父・吉田健一冷静沈着な態度で眺めたように、吉田健 一父・吉田茂に対する眼差しは、底に実父に対する敬愛たたえた清冽なものである。 父・吉田茂現実主義的政治手法直視した上で、父・吉田茂にさらなる魂啓培場、すな わち「言葉世界」提供したかったという息子切ない想いではないだろうか。父・息子両 者生き方根底には実人生と緊密に絡んだリアリズムという精神が厳存しいることに間違 いはないが、ただ、父・吉田茂にとってリアリズムというは、まさに非情な外交主とし た生臭い現実政治舞台にしたもの指す。そんな父に、軽妙洒脱で、考えること尊厳重 んじる文化人・知識人たちと交遊を通じて感知できる、人間奥底にあるもうひとつ リアリズムにさらにもっと接し欲しかった、と吉田健一は述べるだ。なぜなら本来、父・ 吉田茂にはそれ受容するに足る資質があった、と吉田健一は思ったからである。また、長谷 川郁夫は、著書『吉田健一』(新潮社、2014 )なかで、父・吉田茂外務大臣就任に伴っ 吉田健一は、「英語力」と「秀でた知力」と買われ、しばらくあいだ父・吉田茂「秘書 役」と見られる立場にいたらしいが、それも短期間に終わった、と記す。そしてその後に続け 長谷川郁夫は、「父もまた、長男が政治に不向きなこと早々に悟っただろう。息子勤勉 な性質知る父は同時に、ノンシャランな対応認める余裕もっいたものと思われる。こ 父と子情愛通うほのぼのとした関係は、何種かユーモラスな対談なかにも濃密にあら われいる」(長谷川郁夫 229 )と、言う。父・吉田茂は、息子・吉田健一「勤勉な性質」 見抜いいたである。ちょうど吉田健一娘・吉田暁子が父・吉田健一「勤勉な人生」 見通しいたと同じように。吉田健一は、しんそこ「勤勉な」学徒であっただ。  さて、実父・吉田茂からも実娘・吉田暁子からも「勤勉な」文学者だと認められた吉田健一 英語教育に関する所見はと言えば、それは吉田健一著『近代詩に就 英語と英國と英國人 
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北村 裕先生との四半世紀 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

北村 裕先生との四半世紀 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

竹 内   理  我々が敬愛する北村 裕先生が、65 歳定年迎え、本学退職になられる。言葉では言 い表せない、強い寂しさ感じずにはいられない。  北村先生とは、お互い前任校時代から数え、もう 25 年越えるおつきあいとなる。私が まだ 20 代後半、先生が 40 代前半時であった。学会でお会いしたが初めてであったが、そ 素晴らしい英語力には感服するしかない、と印象覚えた。その後、先生が長期留学経 験一切持たず、日本でのみ英語学んできたという話聞き、ふたたび驚いた次第である。 また、研究面でも、パソコンという言葉がまだ一般化しいない時代に UNIX ワークス テーション駆使し、まさに外国教育工学という言葉にふさわしい業績打ち立てられ いた。その後も、ベルギー著名な心理学者 G. d’Ydewalle 先生と共著で眼球運動に関する認 知心理学的研究行われたり、米国 CNN 社と契約し英語教育教材開発されたりと、常に フロントランナーとして、面目躍如たる活躍続けられいた。これらに加え、恩師大西 昭男先生(関西大学元学長・理事長)薫陶十分に受け、幅広い分野で深い教養お持ちで もあった(更にフルート名手でもある)。このように、私からすれば、北村先生は真に仰ぎ見 るような存在であった。その先生と、国際研究大会実行委員会メンバーとして、またその後 は、(先生が愛しやまない)関西大学同僚として一緒させいただき、間近に接する機会 が持てたことは、後研究者・教育者として人生に大きな影響与えたことは言うまで もない。
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諸沢 巖先生に心からの感謝をこめて 外国語教育研究(紀要)第1号〜第10号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

諸沢 巖先生に心からの感謝をこめて 外国語教育研究(紀要)第1号〜第10号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

タイプではなかったが、自分で納得できた論文堅実に発表されこられた。また19世紀ド イツ文学研究会にも参加され、学外研究者とも交流深めおられた。  諸沢先生業績として特筆すべきは、1999年に共著として出版した『遠来客』(関西大学 出版部)である。これはドイツシュトゥットガルト大学デール教授招聘し、本学で俳句 や連句開いたとき記録であるが、英文学、国文学先生方も交え、国際色豊かな会で あったとうかがっいる。このユニークな試みは、世にも認められ、英国ハイク協会「ササカ ワ賞次席」受賞された。また最近は、比較文化研究観点からドイツ文学、国文学、法律 学、医学というそれぞれ領域専門家とともに異文化衝突と受容諸相に関する共同研究 行われ、その成果『医学と文学と法律学間―森鴎外ドイツ留学と明治期における異文化 受容―』(遊文舎)という大変興味深い編著書にまとめられいる。さらに諸沢先生は人望 によって、関西大学独逸文学会会長に推され、学会運営や後進指導に尽力されたことも、 ここで述べおかねばならない。
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博識無双の凛然たる人、北村裕教授 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

博識無双の凛然たる人、北村裕教授 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 1994 年(平成 6 年)4 月発足本学総合情報学部英語専任教員として、英語教育界風雲 児たる北村先生に白羽矢が立ったは、至極当然である。英語教育工学ならびに認知言語学 専門家として新設総合情報学部で辣腕振るうお姿は、すぐれ「知人」そのものであ った。北村先生は、常に自己抑制心がけおられたようで、御専門以外事はあまり活字に はされなかったが、私知る限り、英米文学や文化に造詣が深かった。だからこそ、海向 こう研究者とも対等に勝負できただと私は確信しいる。実際、古典も含め、現代英米 文学作品よく読んでおられた。やはり間違いなく北村先生根っ子には、本学文学部佳き 学統が存在する。
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アントニー・スティーヴン・ギブズ先生のご退職によせる想い 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

アントニー・スティーヴン・ギブズ先生のご退職によせる想い 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

3 アントニー・スティーヴン・ギブズ先生退職によせる想い 福 井 七 子  私が初めてギブズ先生にお目にかかったは、関西大学文学部頃でした。先生は英文学科 に属しおられました。文学部時代はあまりお話する機会もありませんでしたが、教授 折、物静かな口ぶりでお話される先生、いつも私は羨望まなざしで見いました。  直接お話する機会もったは、外国学部にお移りになっからでした。私はその時、英 で論文書かねばならないという、まったく荒唐無稽な仕事抱えいました。まがりなり ではありましたが、一応英語で原稿は書いおりました。手入れくだされば有難いという 思いで先生にお願いしました。先生は大学前喫茶店にほぼ時間通りお出でになりました。お 聞きすれば京都から新幹線お使いになったということで、大いに恐縮したものです。しかし、 この恐縮は始まりに過ぎませんでした。一文一文、誠に丁寧に修正しくださり、最初は遠慮 がちに聞いおりましたが、だんだん厚かましくなり、「それとこれとニュアンス違いは何 ですか?」など先生にとってはあまりに稚拙すぎる難儀な質問何百回もししまいました。 ギブズ先生は一つひとつ本当に丁寧に教えくださり、無事論文は仕上がり、それは後にジョ ンズ・ホプキンズ大学出版から出版されました。残念ながら編集段階で若干修正がなされ ましたが、骨子については私も譲るわけにはいかず、何回も、何度も編集人とやりとりし、 出版までこぎつけることができました。
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杉谷眞佐子教授 略歴及び主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

杉谷眞佐子教授 略歴及び主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

1986 年 「たたかうルポルター ジュ文学 ― ギュンター・ ヴァルラフ『最底辺』をめぐって」 『新日本文学』10 月号 pp.34 40.(単著) 1995 年 「『外国としてドイツ』教材にみられるナチス時代扱い ― 戦争責任問題へ 一考察 ― 」関西大学経済・政治研究所 研究双書 95 冊『ドイツ・日本問題研究Ⅲ』 pp. 200 274.(単著)

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碩学 平田 渡先生へ感謝を込めて 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

碩学 平田 渡先生へ感謝を込めて 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 先生碩学ぶりは尋常でなく、専門であるイスパニア文学・文化話はもちろんこと、 日本文学・文化話、言語や教育話、さらには趣味海釣話や車、ワイン話まで、周り にいるもの圧倒する。読書量はおそらく大変なものだと推察される。ただ、先生は読書に使 われる時間と同じくらいに、若い教員と話す時間も大切にされた。その中で、文学面白さに 気づいたもの、日本意識高めたもの、新たな視点得たものがいること見ると、人 育てる際「対話大切さ」、他誰よりも認識されいたではないかと思えくる。  また、先生は人に感謝する言葉惜しまない方でもある。作業一緒させいただいた 8 年前外国学部開設にかかる各種行事で、自ら様々に差配振るわれたにも関わらず、「我 が勲なきがごとく」振る舞われ、下支えしたものに感謝されいた。その姿思い出すと、 ともすれば自らことばかり考えがちな大学教員中にあっ、周りへ配慮欠かさない先 生存在は希有なものであり、そして見習うべきものであると感じる。
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社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 文化人類学者は自分社会よりもなるべく違う社会研究しようとするため、様々な集団 データ持っいる。そして西洋文明影響範囲からはずれたところで発展したシンプルな社 会特に研究する。文化人類学者はある集団が特定価値観に基づい実現した方略研究す ることができる。その価値観とは自由という価値観なか、社会統一という価値観なか、権 力に屈するという価値観な研究することができる。文化人類学者にとって部族役割は、 科学者が細菌生死研究する実験室役割と同じなである。文化人類学者実験室は研究 者が自分で設定するではない。それは原住民が何世代にもわたっ、何千年もかけ生き方 詳細にいたるまで設定したものである。しかしフィールド・ワーカーはその部族なかに存 在する私たち時事問題、たとえそれが違った姿であったとしても認識することができる。  フィールド・ワーカーが研究しいる裸プリミティブ・ピープルはもちろん社会保障条 例について話すわけではない。しかし彼らは老人や飢えた人どのように扱うべきかはっきり しいる。年寄りや飢えた人守る部族もあれば、守らない部族もいる。そして文化人類学者 はそれがもたらす帰結研究することができる。原住民は黄金率について語らないが、オース トラリア原住民からカラハリ砂漠原住民にいたるまで、黄金率が働いいることは見受け られる。たとえば、「他人に施し与えなければ、誰が自分に施し与えくれるだろう」、「他 人敬わなければ誰が自分敬っくれるだろう」といった教訓は、若者頭にたたきこまれ、 南洋島々人からティエラ・デ・フィエゴ冷たい霧にすむ人に至るまで、それ実践し いる。同時にこのような黄金率がまったくない原始社会があり、文化人類学者は黄金率が存在 する結果と、しない結果研究することができる。黄金率は人支配するだろうか?プリミ ティブ・ピープルなかで黄金率に縛られた人間関係しか知らない人もいれば、相手強いる 状況に立たされたことがないプリミティブ・ピープルもいる。
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at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

2 章   は第 1 部から第 6 部で構成されいる。この本構成方法につい ミードは次ように書いいる。 「これは推理小説ではない。どこから読み始めもよい。も うすでに終わった人生というは、その人生なか様々な出来事同時に見ることができる。 そのなか一つひとつが後こと照らすこともあれば、前こと照らすこともあり得る。 ……私は、この本で読者様々な好みに合うようにアレンジした。最後ページ先に読みた い人もいるだろうし、他解釈読む前に、自分で生資料もとに解釈すること望む 人もいるだろう。資料はいくつかかたまりで提示されいる。伝記によくあるように、途中で 切られた文章や詩断片などは折り混ぜられはいない。なぜなら、ベネディクトも私もある 程度かたまりで資料が提示されなければ、パターンや流れがわからないと信じいたからで ある。」( 2)従っ資料と詩とかかわりも、ミードコメントと必ずしも一致するも ではない。ミード自身も章と詩関係は、彼女がひらめいた場合にのみ一緒に提示しいる。 1 部ではベネディクトと文化人類学と出会い、マーガレット・ミード解説もとに書か れいる。年代は 1920 年から 30 年代ものが中心となっいる。この章には言語学者である エドワード・サピアとベネディクトと 1922 年から 1923 年にかけて往復書簡やベネディク ト自身日記も含まれおり、初期ベネディクト想い知る上で重要な箇所となっいる。  1 部ベネディクトが文化人類学始めた頃論文「平原インディアン幻視」翻訳し感じたことは、論理的、科学的、そして明確に説明するという態度は感じられるが、その 表現からはそのスキルはまだ確立されたとは言い難い点が感じ取れる。表現はどちらかという と古めかしく、客観的にそしてアカデミックに書こうとする試みは理解できるが、彼女自身 スタイルは未だ形成されたとは言い難く、読み手にとって理解複雑化させいると感じられ る。
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英語語法における曖昧性の回避について 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

英語語法における曖昧性の回避について 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 ここで言える事は、jewel case に関しては「宝石箱」と「CD ケース」 2 つ意味で曖昧 ため、jewel case は「CD ケース」意味に、「宝石箱」方は jewelry case と別表現使 って曖昧さ回避するようになっいる。しかし、jewel box 方は、まだこの分化途 上であり、jewel box は「宝石箱」と「CD ケース」と「ジュエル・ボックス星団」 3 取り 曖昧性持っいる。しかし、「宝石箱」と「CD ケース」は他表現が存在しいるが、「ジ ュエル・ボックス星団(jewel box cluster)」はこの表現しかないので、将来的に jewel box は 「ジュエル・ボックス星団」だけ指すようになるではないだろうか。
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トーマス・ロッカー絵本の整理と展望 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

トーマス・ロッカー絵本の整理と展望 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

  , by Thomas Locker. New York: Harcourt, Inc., 2001.  「大自然が踊る」というテーマ第三弾で、前二作構成踏襲しいる。テキストは三人称 視点から書かれおり、様々な偉大な山々姿映し出しいる。巻末に載せられたクリスチ ャンセン、および地理学者ドナルド・フィッシャー(Donald Fisher)による科学的説明に助け られ、それら山々がどのように作られたか、また変化しいくか読者は知る。アメリカ合 衆国内よく知られた山々が例として挙げられおり、地学、地理テキストとしても読める、 面白い趣向絵本である。短い時間で変化する水とは異なり、山々が何万年かけダンス踊 っていると捉えられいるところがユニークである。最後見開きでは、たくさん星がきら めく群青色背景にした山々姿描き、“Beneath the stars, / mountains dance their slow dance / that goes on and on / in the endless beauty of the universe.” というテキストが配され いる。読者悠久彼方へと誘い、宇宙神秘感じさせる。
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福井先生との翻訳の仕事 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

福井先生との翻訳の仕事 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 『外国学部紀要』に翻訳載せるたびに書いいるが、福井先生と一緒に翻訳しいるは ルース・ベネディクトアンソロジーともいうべき Anthropologist at Work : Writings of Ruth Benedict 『文化人類学者仕事』(仮題)である。この本はベネディクトが 1948 年に死亡し 10 年後に彼女とさまざまな意味で関係があったマーガレット・ミードによってまとめられたも である。ベネディクトが書いた論文だけでなく、日記、詩、そして彼女に宛てられた、ある いは彼女が書いた書簡も含まれいる。全体で 600 ページ近くある膨大な本である。幸い論文、 日記、手紙などといくつも部分に分かれいるので、授業合間ぬっ翻訳することがで きる。現在ところ、440 ページまで訳し終わった。あとは論文 4 本訳せば終わる。翻訳書 出版社はすでに決まっいる。ミネルヴァ書店である。ミネルヴァ堀川編集長とは福井先 生が時々会っ進捗状況知らせいる。来年には仕上げる予定だ。
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岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 ルクセンブルクが国語として法的に規定されたは 1984 年ことであり、国象徴と位置 付けられいる。文学作品もルクセンブルクで書かれたものがあるが、学術言語として整備 されいるとは言い難く、実際に学問担っいるはフランス語とドイツである。ドイツ は学術言語としても成熟しいるので、ルクセンブルク人にとってはドイツを通じて勉学 行うが最も効率的である。小学校では、まずドイツが主たる授業言語として用いられる はそのためである。しかし、学年が上がるにつれてフランス語が学術言語として機能担 っていくシステムになっいる。ルクセンブルク学術言語として自立させるためコーパ ス政策行わず、ドイツとフランス語使用するがルクセンブルク特徴だ。また、欧州 有力な言語であるドイツとフランス語使うことができるメリットは計り知れないほど大 きく、アイデンティティ言語としてルクセンブルク話し、実用言語としてはドイツとフ ランス使うというルクセンブルク多言主義は現実的な形態であるといえよう。  外国学習では、母語に近い言語学ぶ方が系統的に遠い言語学ぶより容易であるは言 うまでもない。ルクセンブルクで公的地位有するルクセンブルク、ドイツ、フランス語 言語間距離考えれば、ルクセンブルク人にとって複言語主義がどの点で難しいか、あるい は容易であるかがわかる。また、英語と関係も見おかねばならない。ドイツとフランス が重要な役割果たす欧州においても、英語重要性は増すばかりである。公的地位有す る 3 言語学習に加え、英語学習もルクセンブルクでは必須である。さらに、人口約 43% 2) 占める外国人住民存在も、多言形態に影響及ぼしいる。外国人で最も多い
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国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

Key words international collaboration, conflict resolution, facilitation skills 1 .ASEP 教育効果  毎年 12 月最終週、中華民国高雄市において、AJET (Advanced Joint English Tele commu- nication)と WYMC (World Youth Meeting Committee)が主催し、高雄市政府、國立中山大学、 高雄高級中学、他後援により ASEP (Asian Student Exchange Program)が開催されいる。 そこでは、アジア各国(台湾、日本、韓国、インドネシア、マレーシア)から中学・高校・大 学生が集い、ICT 活用した事前交流、2 カ国協同英語プレゼンテーション、対面交流通じ た国際交流活動が行われいる。(昨年度で 11 回目:[http://www.kageto.jp/asep/2010/]参照)  この ASEP による教育効果とは、一言でいうと「実践による学び奥深さ」である。このこ とは、ネイティブ・アメリカンが遙か昔に気づいおり、次ような諺として先祖代々語り継 がれいる:
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ある肖像画の物語 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ある肖像画の物語 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

にとって、彼は信じざる得なかっただが、愛は趣味悪い気晴らしに過 ぎなかったのだ。彼は激しい気性男性だった。彼はすぐ要点に触れた。  「マリアン」と彼は言った。「君は僕欺いいたんだね。」  マリアンは彼が何こと言っいるかよく分かっいた。彼女には、自分が自分婚約 にうんざりしいることがよく分かっいた。そして、ヤング氏やキング氏に対する彼女振 る舞いがどんなに無邪気なものであっも、それはバクスターに対する重大な裏切りだった だ。彼女はダメージ受け、二人婚約はすっかり破棄されたと感じた。スティーブンが中途 半端な言い訳や否定に納得しないことは分かっいたが、彼女にはそれ以外に伝えられるもの がなかった。いくら言葉費やしも完全な告白にはならなかっただろう。そこで彼女は、気 に揉むことやめしまった「将来」守ろうとはせず、単に自分威厳だけ守ろうとした。 生まれつき半分冷笑的な落ち着いた性格によって彼女威厳は当面間十分守られた。しか し、同じ品ないこの落ち着きために、冷酷で浅はかだという印象がスティーブン記憶 中に残った。そしてそれは、少なくともその記憶中では、真実重みと価値あるもの求め る彼女にとって永遠に致命的であることが宿命づけられいた。彼女に説明求め、彼女振 る舞いに介入しようとするスティーブン権利マリアンは否定した。婚約解消しようとい う彼提案彼女はほとんど予期しいた。彼女は涙という単純なロジック使うことさえ否 定した。当然、このような状況では二人話し合いは長いものではなかった。
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稀代の目利き、福井七子先生へ贈る言葉 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

稀代の目利き、福井七子先生へ贈る言葉 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 しかし、先生には「乙女チック」(非礼お許しください)な側面もある。若い頃、さる有名 な英国スターに贈った一輪花は、数百本バラ超える効果があったと聞いいる。 あのかわいらしい笑顔とともに、一輪差し出された大スターは、さぞや大和撫子凄み 噛みしめたことであろう。その他、様々なエピソードお聞きしたが、いずれも未だに忘れ られないものばかりである。
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存在命題の意味論的分析―フレーゲ再考― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

存在命題の意味論的分析―フレーゲ再考― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

Ⅵ.フレーゲ「『レオ・ザクセが存在する』は自明である」(本稿Ⅲ)に対して  フレーゲは、概念主語とする一般存在命題だけでなく、固有名主語とする単称存在命 題(singular existential propositions)についても、〈存在〉は主語固有名が指す個体属性 ではありえないこと主張する。上述ように、フレーゲ論敵ピュンヤーは、命題「ザクセ は人間である(Sachse ist ein Mensch./Sachse is a man.)」から命題「人間が存在する(Es gibt Menschen./There is a man.)」導き出すためには、命題「ザクセが存在する(Sachse existiert./Sachse exists.)」も必要であると主張するに対して、フレーゲによれば、命題「ザ クセが存在する」は、命題「ザクセは人間である」自明な前提であり、余分(überfl üssig/ superfl uous)である。両者違いは、結局、「存在する」機能に関する理解違いから来る と思われる。ピュンヤーは、「存在する」が個体何らかの属性表すと見なしおり、彼にと っては、「人間が存在する」導出するためには、「ザクセは人間である」に「ザクセが存在す る」が付け加わる必要があった。しかし、フレーゲにとっては、「人間が存在する」は個々人 間にとって命題ではなく、「xは人間である」xに当てはまる対象が 1 つ以上あること、す なわち、∃ xHx(Hx:x は人間である)意味するから、「ザクセは人間である」が与えられ れば十分であった。この論理的導出に関する限り、フレーゲ主張に何異存もない。  しかし、ここで、「レオ・ザクセが存在する(‘Leo Sachse existiert/exists’)」は、個体レ オ・ザクセについてではなく、 ‘Leo Sachse’ について命題であり、その文は ‘Leo Sachse’ は空虚な音ではなく、何か指示すること意味するというフレーゲ主張には、大いに異存 がある。この主張は、指示矛盾避けるために時々用いられる。指示矛盾とは、‘Leo Sachse does not exist’ ような存在否定文において、これがもし個体レオ・ザクセについて命題 なら、‘does not exist’ が述語されるべき主語 ‘Leo Sachse’ 指示する対象が、そもそも存在 しいないことになるので、‘Leo Sachse does not exist’ はナンセンスであるという矛盾であ る。ギーチも言うように 25) 、これは明らかに、名前指示(reference)と名前持ち主(bearer)
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大学における翻訳教育の位置づけとその目標 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

大学における翻訳教育の位置づけとその目標 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

かった学生も、このように書かせみると各人がそれぞれに意見持っいることがよくわか る。また、単に意見持っいるだけではなく、たいへん鋭い分析提示しいる例も少なか らず見受けられた。たとえば、図 1 に引用したワークシートでは、5 ページ 4 行目にある「私 はそれいたら、∼と思わず考えしまった」という箇所とその英訳 “My fi rst thought when I saw that . . . ” 取り上げ、「原文は『思わず考えしまった』と、意識せずに思っし まった様子であるに対し、英文では『最初に考えたは』と意識的であり、さらに他にも何 か考えたようにもとらえられ、少し原文とずれしまう」というコメントが加えられいる。 さらに、6 ページ 10 行目「エレベーター降り、廊下に響き渡る足音気にしながら∼」と いう箇所とその英訳“Getting off the elevator, I was alarmed by the sound of my own footsteps . . . ”シフト指摘した上で、「原文では(足音)『気にしいる』程度であるに対 し、英文では『おびえさせる、はっとさせる』と書いいるため、大げさな表現になり、この シーンと合わなくなっいる」というコメントが付されいる。いずれも、一見些細なこと ように見えるが、このような細部にこそ問題本質が宿っいるものであり、テクスト深く 読み込むという観点からすれば、まさに慧眼というべきであろう。なお、図 1 ワークシート 上には、“My fi rst thought when I saw that . . .”に対する代替案として“A thought occurred to me . . . “と い う 英 文 が、“Getting off the elevator, I was alarmed by the sound of my own footsteps . . . ”に 対 す る 代 替 案 と し “Getting off the elevator, and a bit annoyed by the sound of my own footsteps, I rang the bell. ”という英文がそれぞれ追記されいるが、これは、 これら問題めぐるクラス内議論中で提案されたものである。
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