以上のように高田の雁木通りは、城下町建設後、元 和年間(1615∼1623)に、公儀地である道路上に、落 し式雁木が建設され、 その後雁木下の私有地化に伴い、 19 世紀初めから中頃にかけて、 主屋屋根を道路に向か って延ばし、 軒先に雁木柱を建てた形式が表れました。 この形式は、山形・米沢などにも確認でき、高田に限 られたことではありません。ただ米沢の場合、雁木下 が全て取り込まれ、通路機能が消滅してしまったのに 対し、高田では厨子二階が建設され、造り込み式とな り、通路機能が維時されました。高田においては主屋 屋根を延ばすなどの占有化に際しても、通路機能を維 持しようとする町の共同体的な意識が働いたものと考 えられます。全国各地の城下町を対象に、雁木通りの 歴史を調査すると、 19 世紀以降、 多くの城下町で、 雁 木下が占有化され、通路機能が消滅しています。高田 において、私有地にもかかわらず、通路機能が確保さ れたのは、町人が町の共同体的意識を背景に、自らの 生活基盤を自らの意思で確立していったことを示して いるといえます。また雁木の形式は近代以降も継承さ れました。
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