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1991年に、東南アジア諸国連合

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1

問題の所在

1991年に、東南アジア諸国連合

(ASEAN)外相会議(AMM)にゲストとして初参加して 以来、中国のASEANおよびその加盟諸国への接近には目を見張らせるものがある。中国の

ASEAN接近の背景には、大きく分けて2

つの理由があると考えられる。第1は、1989年の天 安門事件でアメリカを中心とした西側諸国から経済制裁を科された中国にとって、ASEAN の会議外交が孤立を打破し国際社会に復帰するために有用だったことである。

ASEAN

の会議外交(1)は、政策決定に際して全会一致制をとり、かつASEAN自体が1976 年の第

1

回首脳会議で採択した東南アジア友好協力条約(TAC)で内政不干渉原則を謳って いる。また、ASEANは小国の集団であるし、政策決定は全会一致制であるから、自国に不 利な政策決定を押し付けられる心配もない。内政不干渉原則は、中国外交の基本原則であ る平和共存5原則にも含まれており、中国が国内問題と考えている台湾、チベット、新疆の 分離運動や人権問題などの議論を拒否することも可能になる。したがって、中国はASEAN の会議外交に安心して参加することができ、かつさまざまな国際問題について、自国の主 張を国際社会に宣伝することもできるのである(2)

第2は、ASEANが会議外交で創設したさまざまな国際会議やその加盟諸国の提起する新 たな国際会議構想が、中国が脅威感を抱くアメリカを排除した地域空間の創造に利用でき るのではないかという期待があるからである(3)。中国は、1990年12月にマレーシアのマハ ティール首相が提起した東アジア経済会議(EAEC)構想で当初それを実現しようと考え、

EAEC構想が潰えた後は、2005

年に設立された東アジア首脳会議(EAS)とその最終目標と 言われる東アジア共同体(EAC)構想にそれを期待していると言われる。

本稿においては、このように会議外交を自らが利用できる国際公共財と考え、かつアメ リカに脅威感を抱く中国が、ASEANに接近してEASを利用しようとしたこと、また、それ に対して

ASEAN

諸国、アメリカ(そして日本)がどのように対応したのかを明らかにし、

地域主義をめぐる国際政治の構造を素描することを目的としたい。

2

中国の地域主義観―アメリカとASEANの位置付け

中国は、既述のように1989年6月

4日の天安門事件の結果、人権問題を重視するアメリカ

などの西側諸国から経済制裁を科され、さらに1991年1月の湾岸戦争では中国製兵器で武装
(2)

したイラク軍が、先進兵器で武装したアメリカを中心とした多国籍軍に完敗を喫した。自 国の論理の通用しない強国アメリカの実力を見せつけられた中国は、同じくアメリカの強 引な貿易自由化政策に脅威感を感じていたマレーシアのマハティール首相が1990年末に提 唱した、欧米およびオーストラリア、ニュージーランドを排除したアジア太平洋の経済ブ ロック構想、後に東アジア経済グループ(EAEG)、東アジア経済会議(EAEC)と名称を変 更する構想(4)を支持した。

この構想に加わることで、アメリカの干渉を受けない自らの地域空間を作ろうとしたの である。その後、1993年のアジア太平洋経済協力会議(APEC)のシアトル総会に江沢民国 家主席が招かれて対米関係が改善されたことから、中国のこうした動きは外交の現場では 一時収束していくが、1995年の時点でも国内のシンクタンクの討論会では「政治上対抗す る大国(アメリカを指す)が

APEC

を操縦しているので、東アジア経済会議(東亜経済核心論 壇:EAEC)とわれわれの利益は一致している。もし、APECで今後政治問題が出現したり、

発展が順調でなかったりした場合は、EAECはまたわれわれのひとつの逃げ場となる」とい う意見が出されている(5)

そして、EAEC構想が潰えた後も、1996年3月の台湾海峡危機、1999年

5

月のベオグラー ド中国大使館爆撃事件、2001年4月の米偵察機の海南島強制着陸事件と、米中両国の摩擦は 続いた(6)。そして、2001年9月

11日のアメリカでの同時多発テロの発生を受けて、10月以降

アメリカ軍がアフガニスタンを侵攻し、2003年

3月にはイラクを侵攻したことで、中国のア

メリカへの脅威感は、さらにかき立てられることとなった。特に、イラクへの侵攻は中国 だけでなく、イギリス以外の国際連合安全保障理事会常任理事国すべての反対を押し切っ て強行され、わずか3週間ほどでバクダードは制圧されてしまった(7)。中国の政治指導者た ちは、自国の軍事技術の後進性への自覚を新たにするとともに、アメリカは自国に逆らう 国、自由や民主主義などの自国の奉ずる信条に従わない国に対しては容赦しない、との印 象を強くしたに違いない(8)

こうした米中関係の緊張の高まりと並行して、東アジアでは、地域協力をめぐる新しい 動きが始まっていた(9)。まず、1990年代の半ば以降、地域内の経済的結び付きが強まり、

1997年からは ASEANプラス 3

首脳会議(2007年現在

ASEAN

加盟

10ヵ国プラス日中韓)

も始ま って、自由貿易協定(FTA)締結の機運が高まった。そして、1997年から

98年にかけてのア

ジア通貨危機では、危機に見舞われたタイやマレーシア、インドネシア、韓国などを助け たのはアメリカなどの域外諸国よりも、日本を中心とした東アジア諸国だった。また、ア メリカでの同時多発テロは、東アジア諸国にもテロなどの国境を越える問題への地域内で の連携の必要性を認識させた。加えて、FTAへの地域諸国の志向の背景でもあるのだが、

2001年 11

月のドーハ閣僚会議でスタートした世界貿易機関(WTO)のドーハ開発ラウンド

(新多角的貿易交渉)の進捗状況が思わしくなく、2006年

7

月24日には農業製品の関税と補助 金の削減をめぐって交渉が膠着状態となり、凍結されたことがある(10)。地球規模の多国間協 議の場では、国が多すぎて効果のある経済協力は難しいという認識が出てきたのである。

このため、1999年のASEANプラス

3

首脳会議で、主催国フィリピンのジョセフ・エストラ
(3)

ダ大統領が提唱した東アジア共同体(EAC)構想や、2002年

1

月にシンガポールで日本の小 泉純一郎総理が演説で提唱した「共に歩み共に進むコミュニティ」が注目されるようにな った(11)

では、中国側は一連の国際政治の流れを、実際にはどう認識したのだろうか。まず、2004 年当時の中国人民解放軍の熊光楷副総参謀長が、同年

1

5

日に完成した論文のなかで、

「2003年にアメリカは全世界の大多数の国の反対を顧みず、イラクに戦争を仕掛け、速戦速 勝したが、欧州側との矛盾が激化している。……長期的には、アメリカは一極世界を建設 しようとしているが、思いどおりにはならない。世界多極化への道のりは変化に富んでい るが、発展へ向かっている。中国は多極化と国際関係の民主化を主張している」とアメリ カへの強い脅威感を示すとともに、多極化への希望と見通しを語っている(12)

さらに熊副総参謀長は、朝鮮半島の核問題や国際テロと新疆の東トルキスタン独立運動 のかかわり、新型肺炎(SARS)などの安全保障問題とともに、ドーハ開発ラウンドの膠着 状態の問題を挙げ、2004年に欧州連合(EU)が新たに

10

ヵ国を加えること、2005年に米州 自由貿易地域(FTAA)の形成が準備されている一方で東アジアにも新しい経済協力の進展 があり、ASEAN自由貿易地域(AFTA)や上海協力機構(SCO)の発展があると述べたうえ で、大国によるエネルギー争奪が緊迫の度合いを強めており、中国も

2003年の石油輸入が1

億トンを超えてしまいそうだと警鐘を鳴らしている(13)。核不拡散問題と非伝統的安全保障問 題への関心、そして東アジアに芽生えつつある経済地域主義への展望、さらには自国のア キレス腱であるエネルギー備蓄問題への関心が顕著である。

次に、上海国際問題研究所欧州研究室の張鉄軍副主任は、2005年秋に公開された論文で、

「世界では数多くの地域が地域組織を建設し発展させることで利益を得ているが、東アジア では1997年にASEANプラス

3の会議ができるまで真の意味で協力メカニズムは欠けていた」

とし、東アジア経済グループ(東亜経済集団:EAEG)構想が出てきたとき、日本を中心とす る東北アジア国家が、誤って地理概念上は東アジア・太平洋・南北アメリカの4つの地域を 内包する

APEC

で地域主義を発展させようとしたが、APECは実際上グローバル化に順応す る地域横断主義であり、東アジア地域主義の発展を阻害するものであるとしている(14)

さらに張論文は、「EAEGはアメリカの反対とアメリカの圧力の下での日韓の不支持で実 現しなかったが……1990年代後期になって東アジア諸国は金融危機のような一系列の共同 性のある問題と直面し、この危機は

APEC

では対処するのにあまりにも広すぎ、ASEANの 次地区主義(準地域主義)ではあまりに狭すぎることが露呈した。そして、FTAAや

EU

の拡 大などの域外の地域主義の発展が東アジア地域主義に刺激を与えた。また、1995年の

APEC

大阪総会の際に、タイが東北・東南アジア諸国が一堂に会する非公式昼食会を主催し、翌年 のアジア欧州会合(ASEM)の準備をしたが、これは東アジア地域主義が発展する前例とな った。そしてAPECは進展が遅いうえ、内部で東アジア諸国の一種の連帯感がある」として、

競合し協力していない日中両国が共同して東アジア共同体(EAC)建設の指導者の地位を担 うべきであると述べ、最後に中国が

EAC

建設に参加すれば台湾問題の解決にも一定の啓発 が得られるだろうとしている(15)。経済問題を中心にして論じているが、アメリカを排除した
(4)

東アジア地域主義の必要性と、それがもたらす台湾問題への効果が抜け目なく謳われてい る。なお、ドーハ開発ラウンドには言及がない。

ほかに目立ったところでは、中国国際問題研究所の阮宋澤副所長が

2005年冬に公表した

論文や、王毅駐日大使が2006年

6月に公表した論文がある

(16)。阮論文は、グローバリゼーシ ョンと冷戦の終焉が、東アジアの国際秩序の変化を促しているという趣旨で、過渡期には 一極的特徴と多極的特徴の双方が現われるとし、「地域主義が東アジアの再編の動力であり、

それは公式の構造をもたない軟らかい地域主義から硬い地域主義へ変化する」とし、アジ アの制度メカニズムの

2つの柱として ASEAN

プラス

3

とSCOを挙げた(さらに、伝統的安全 保障問題としての国境紛争や非伝統的安全保障問題への懸念を示し、台湾問題で米中は「台湾独 立」と戦ううえで協力すべきだとも述べている)(17)

王毅論文は、現在の新アジア主義は地域経済の著しい発展によって集団としてのアジア 意識が起こることから始まると主張し、「日本は〔北〕朝鮮を除きアジア諸国と戦後処理を 済ませたが……新アジア主義の基礎は、歴史の結論について基本の共通認識があることだ」

と、靖国神社参拝をやめない小泉純一郎総理を間接的に牽制したうえで、「新アジア主義の 協力は相互の主権領土の尊重と内政不干渉を原則とし、覇権主義〔アメリカを指す〕に反対 し、協力類型はASEANや南アジア協力機構、SCO、ASEANプラス3、EAS、6者協議、アジ ア協力対話(ACD)などの協調や相互補完による『立体複合型』になるだろう」としている(18)。 さらに、王毅論文はアメリカについて、「中国は、アメリカがアジアの利益を尊重し、同時 に〔アジアとの〕新しい利益集合点を不断に拡大することを希望している」とも述べている。

以上の4人の論者の主張をまとめると、いずれも(台湾問題を含めた)中国にとってのア メリカの脅威や、アメリカの地域への影響力の大きさを強く意識し、それに関連してアメ リカを排除もしくはその接近に一定の制限を課した東アジア協力(東アジア地域主義)が必 要だと主張し、さらに国際公共財としてのASEANの会議外交の重要性を認め、それを

EAS

や将来の目標であるEACなどの、東アジア協力の実質的な促進に利用することの意義を強 調していることであろう。第3節では、このような中国の地域主義観に基づく外交政策に

ASEAN

とアメリカ(そして日本)がどう対応したのかを考察する。

3

東アジア協力をめぐる国際政治

中国が、政府ベースでのEAC(および後に具体化するEAS)推進に動き始めたのは、2004 年からだと言われる(19)。既述のように

ASEAN側や日本政府がEAC

に言及したのは、1999年 と2002年であり、中国の対応はその意味では遅かった。だが、中国は

2000

年の時点で、同 国が外資や市場を独占することを恐れる

ASEAN

側の「中国脅威論」を払拭しようと、

ASEAN

・中国自由貿易協定(ACFTA:

2005

年開始、早期収穫プログラムは

2004

年実施)の締 結を呼び掛けており、2003年には

TAC

に署名して

ASEAN

との戦略的パートナーシップを結 び、種々の経済援助も行なうなど、ASEANの取り込みに力を入れており、EASの日程が会 議外交の議題に上りだした2004年

7月の ASEAN

プラス3外相会議では、李肇星外交部長が

「EASの第

2

回会議は中国が主催することに同意する」と述べるまでになっていた(20)
(5)

これに対し、ASEAN側は中国の経済援助や

ACFTAの早期収穫プログラムの実施を歓迎し

つつも、小泉総理の毎年の靖国神社参拝で日中関係が悪化し、アメリカと関係が緊密な日 本がASEANプラス

3以外に EASにインド、オーストラリア、ニュージーランドを参加させ

ようとして、EASの参加国を

ASEAN

プラス3に限定しようとした中国と対立していること への困惑が広がり始めた(21)。これは、ひとつには中国の

ASEAN

への経済協力や援助の背景 に、日本とその背後のアメリカからASEAN諸国を引き離そうとする意図があることが明白 だったからである。さらに中国は、2002年の中国

ASEAN

首脳会議での「非伝統的安全保障 問題に関するASEAN中国共同宣言」や、2003年のSARSに関するASEAN中国特別首脳会議 以来(22)、ASEAN側に麻薬問題や

SARS

などの非伝統的安全保障問題での協力をインセンテ ィブにして、安全保障協力の強化を打診してきたため、ASEAN側の戸惑いは大きくなった。

中国側は、人民解放軍の将官が

2004

6

月の

ASEAN

側の政府系シンクタンクとの会合

(ASEAN中国フォーラム)で、対テロ作戦や海上法執行、合同軍事演習などを含む海上安全 保障に関する

9項目の協力をもちかけたため、ASEAN

側の会合参加者は「成長する中国は、

ますます石油・ガスの輸入に頼るようになる。それらの多くは、マラッカ海峡を含む3つの 比較的狭い東南アジアの動脈〔マラッカ、スンダ、ロンボックの3海峡を指す〕を通って運搬 されるのだ」と述べ、さらにASEANが中国との安全保障協力に躊躇するのは、台湾をめぐ って中国がアメリカと衝突する可能性があるからで、アメリカはシーレーン(海上交通路)

を遮断するかもしれず、そうなればこの協力は論外である、と述べて、(アメリカから

ASEAN諸国を自国側に引き寄せようとする)

中国の意図を牽制している(23)

中国が、突然ASEAN側に海上安全保障協力をもち出した背景には、2004年

3月末にアメ

リカのトマス・ファーゴ太平洋艦隊司令官が議会の公聴会で、拡散防止イニシアティブ

(PSI)の一環としてアジア太平洋諸国との協力で地域海上安全イニシアティブ(RMSI)を提 案したことがある(24)。エネルギー事情の逼迫している中国は、アメリカがこれを適用してマ ラッカ海峡に進出し、自国の石油供給のためのシーレーンが統制される可能性を懸念した のである。だが、ASEAN側からみれば中国とは長年、南シナ海の領土・領海をめぐる紛争 が続いている。ASEANが提起した「南シナ海の係争者間の行動基準」の策定に合意せず

(合意したのは、拘束力の弱い「南シナ海の係争者間の行動に関する宣言」のみ)、東南アジア非 核地帯条約にも署名していない中国と、にわかに軍事安全保障協力を進めることには当然 躊躇がある。既述の経済面とは別に、ASEAN側には安全保障面でも「中国脅威論」が存在 するのである。このため、2005年

11

月から

12

月にかけて、中国が初めて海外で実施した海 軍合同演習に応じたのは、ASEAN諸国ではタイのみであった(25)

では、アメリカは以上のような中国の

ASEAN

を中心にした東アジア協力政策とEASに対 して、どのように対応したか。アメリカは、2004年の秋までほとんど関心を示さなかった。

だが、同年秋以降、シンクタンク関係者や政府関係者の間で、なぜ

APECではいけないのか

と、アメリカの排除や中国の台頭への懸念が示されるようになり、2005年3月には来日した コンドリーザ・ライス国務長官がアジア太平洋協力の重要性を訴え、同年

5

月にはリチャー ド・アーミテイジ元国務副長官が日系紙のインタビューで「中国はアメリカを含まないフ
(6)

ォーラムに加わりたがっているようだ」と嫌悪感を示すまでになった(26)

これに対して、対米関係を重視する日本は

2004年にアメリカのオブザーバー参加を提案

し、

ASEAN

域内でも2005年になってインドネシアなどがアメリカのEAS参加を支持したが、

当時のロバート・ゼーリック国務副長官はオブザーバー参加の可能性を否定したうえで、

「首脳会議はオープンで包括的なプロセスであることが利益になる」と、ASEANプラス

3参

加国のみでの開催を牽制した(27)。だが、2005年

4月の ASEAN

外相会議のリトリート(静修 協議)の時点で、2005年末の第

1

EASには ASEAN

プラス

3

以外にインド、オーストラリ ア、ニュージーランドの参加はほぼ確定しており、中国の影響力が強くなる懸念は少なか ったため、ゼーリック副長官は9月の胡錦濤中国国家主席の訪米を受けて、「中国は国際シ ステムの責任ある利害関係者ス テ ー ク ホ ル ダ ー

になるべきだ」と述べ、中国への反発を収束していった(28)。 そして、アメリカはAPECを地域協力の基軸とし、EASに参加しない考え方は変えないもの の、ひとまずEASの開催も黙認したのである。

こうして、2005年

12

月14日に第

1

EASは開催されたが、既述のとおり、靖国参拝や歴

史認識問題でこじれたままの日中関係は修復されず、日中韓首脳会議は開催できなかった。

そして、両者の主導権争いから、中国の意向を受け入れた

ASEANプラス 3

首脳会議は同会 議が東アジア協力の中心機関だとしたものの、日本が参加国増加に成功した

EAS

は、議長 声明で6者協議、非伝統的安全保障問題、エネルギー安全保障、持続可能な開発、ASEAN 共同体建設の支援と長期的目標としての

EAC建設など、前者と重複するテーマを別々に謳

って対抗したのである(議長声明の量は

EAS

のほうが若干短いがほぼ同じである)(29)。ASEAN は、自らが東アジア協力の推進力だとはいうものの、日中の争いをどうすることもできな かった。そして中国は、2003年12月に東京で日本

ASEAN特別首脳会議を開催した日本に対

抗して、ASEANをさらに引き寄せようと、2006年

10月末に ASEAN

中国対話関係設立

15周

年記念首脳会議を、広西壮族自治区の省都南寧で行なうことも2005年中に決めていた。

だが、実際に

2006

年になると、EASをめぐる国際環境は大きく変化する。7月

5日に朝鮮

民主主義人民共和国(北朝鮮)がテポドン

2

ミサイルの発射実験を行ない、日中両国が懸念 を共有するようになり、また7月24日にはドーハ開発ラウンドの交渉が中断され、FTAを中 心とした経済地域主義への傾斜が強まった(30)。そうしたなかで、日本では小泉総理が退任 して安倍晋三総理が就任した。安倍総理は、靖国神社参拝を避け、10月8日、9日の両日に 中国、韓国を訪問し、関係修復に動き、さらに10月

9日に北朝鮮が核実験を実施したことで、

日中韓が協力してEASに臨む雰囲気が出てきた。このことが影響したのか、同月30日に実 施されたASEAN中国対話関係設立

15周年記念首脳会議では、共同声明でも南シナ海や非伝

統的安全保障問題をめぐる協力のほうが経済問題より先に挙げられ、(日本を意識した)中国 のASEANに対する新規援助プロジェクトの立ち上げの発表は少数でかつ、後回しになり、

むしろ

2005

年にASEAN・中国間の貿易総額が1991年当時の

15

倍の1300億米ドルになった ことなど、これまでの協力の成果を回顧する内容が中心であった(31)

続いて

11

月に入ると、15日から

19

日までの日程で、APECハノイ総会が開催された。

APEC

総会では、アメリカがシンガポールと共にアジア太平洋自由貿易地域(FTAAP)形成
(7)

の交渉を開始することを呼び掛けたが、他の諸国の反応は鈍く、結局中断しているドーハ 開発ラウンド交渉の成功裡の終結を最優先とし、官僚たちに

FTAAPを長期的展望として含

めた地域経済統合の方法の研究をさせること、また

2010

年に迫ったボゴール宣言の目標を 達成するためのハノイ行動計画をまとめることなどに落ち着いた(32)。なお、特筆すべきこ とは従来経済協力中心であったAPECの場で、テロ対策や鳥インフルエンザ、エイズ、エネ ルギー安全保障、北朝鮮の核実験が、貿易円滑化などと共に議論されたことである。

APECの質の変化を感じさせる議題の多様化であるが、背景には安全保障協力を議論し、

APECを共同体に育てたいアメリカの姿勢がある。これはライス長官が、

「今日のアメリカ

の貿易の3分の

2近くはアジア太平洋地域の友人たちとの間のものだ……アジア太平洋の諸

自由経済地域はアメリカより良い友人、アメリカより強い支持者はいないことを知るべき だ」と述べる一方で、「発展の重要な条件はアジア太平洋の安全保障だ」と述べ、「一緒にア ジア太平洋地域に真の共同体を作ろう」と呼び掛けたことからも明らかである(33)。中国への 反発が収まっても、APECへのこだわりは消えていない。ちなみに、日本は

APEC

を利用し て麻生太郎外相が日米、日豪、および日米豪外相会談を精力的に行ない、日米豪印の4ヵ国 対話グループの形成を打診し、好感触を得た(インドについては安倍総理が12月15日に来日し たマンモハン・シン首相から同意を取り付けた)(34)。APECでも

EAS

でもない独自のグループ 作りだが、これは双方に関与している日本がEASにおける中国の突出を牽制するとともに、

アメリカのEASへの懸念を減少させるために提起したものと考えられる。

さて、第

2

回EASであるが、当初予定されていた

2006

12

月の首脳会議は、主催国フィ リピンのグロリア・アロヨ大統領の要請により2007年

1月に延期された。フィリピン政府は、

台風の接近やテロの可能性、会場の設営が間に合わないことなどを理由に挙げたが、延期 決定時にはすでに一部の閣僚たちが到着していたことから、これらの事情が主な理由とは 考えられない。主要な理由と考えられるのは、フィリピンの地元紙がほかに理由として挙 げた「(反アロヨ派の)暴力的デモ」である(35)。EASは、他の首脳会議とともにセブ島で行な われるため、アロヨ大統領はマニラでデモが起きれば対処できなかったであろう。こうし て、ASEANプラス

3

首脳会議は日中韓首脳会議と共に2007年

1月 14日に、EASは翌15

日に 開催された。

ASEANプラス3

首脳会議と

EAS

の議長声明を比べてみると、どちらも北朝鮮の核実験へ の懸念やエネルギー問題、鳥インフルエンザ対策、災害管理など重複するテーマを扱って いる点は第1回EASと同様であるが、双方の議長声明が他を補完することにも言及しており、

対立して張り合っている印象はない(36)。むしろ、ASEANプラス3がアジア災害削減センタ ー、ASEAN東アジア経済研究所(ERIA)、感染症地域監視センターなど、協力のための組織 作りを議論し、個別のテーマをEASで議論するような役割分担が感じられる(議長声明の量 はEASがASEANプラス

3

の倍で

4

ページある)。また、日本の提起した拉致被害者問題は双方 の首脳会議で取り上げられた(37)。さらにEASは、「東アジア・エネルギー安全保障に関する セブ宣言」を出し、東アジア包括的経済パートナーシップを打ち出すなど中国の要望に配 慮する一方で、ドーハ開発ラウンド再開への関与や、APECとの連携にも議長声明で言及し
(8)

ている(38)。米中、日中の和解が効果を及ぼしていると言ってよい。

だが、インドネシアのスシロ・バンバン・ユドヨノ大統領は、国内事情で

EAS

に参加せ ずに帰国した。また、既述のように主催国フィリピンは自国の都合で

EAS

を延期したので ある。ASEAN諸国は、EASとその長期的目標である

EAC

よりも、ASEAN首脳会議で議論 した自らの目標である2015年までのASEAN共同体の形成、そして何より自国の安定と発展 を重視しているのである(39)

4

地域主義の行方と米・中・

ASEAN

ドーハ開発ラウンドが中断するなか、世界的にその代替策として広範な

FTA

を形成しよ うという動きがある。大国はどこも自国に都合のいい範囲で線引きを考えるから、アメリ カの推す

APEC

と中国が推す

EASが対立しているようにもみえる。だが、ASEAN諸国にし

てみればアメリカも中国も(そして日本やEUも)貿易相手としては重要な存在であるし、各 国が自国と関係の緊密な国の間を「点」と「点」で結ぶようにFTAを形成しても、それは

「線」にこそなれ、地域全体をカバーする「面」にはなかなかならない(シンガポールなどは、

既述のように

EASに参加しながら APECで FTAAP

の提案にもかかわり、双方にヘッジして保険も かけている)。また、東アジアにせよ、アジア太平洋にせよ、国ごとに産業構造はバラバラ で、貿易の円滑性に関する官僚組織の能力にも差があるから、FTAの効果は国によってまち まちということになる。さらに、

EAS

の参加国はインドを除いて皆APECの参加国であるし、

APECは 2007年に新規参加国候補選定のモラトリアムが解けることになっているので、イン

ドが

APECに参加する可能性もある

(40)

そうなると、APEC対

EASではなく、APEC

参加国のなかでいかに効率的にFTAの枠組み を広げるかということが、経済地域主義の重要な課題となる。したがって、もし今後米中 関係や日中関係の悪化がないなら、アジア太平洋および東アジアの地域主義の形は企業活 動などの経済実態に導かれて決められることになるだろう。だが、一方で米中関係はいつ まで現在のような政治的小康状態を保てるかわからないという問題もある。アメリカの対 中政策は「戦略的対抗と経済的関与の間を振り子のように揺れ続ける」だろうし(41)、中国の 対米政策も台湾の動向次第のところがあるからだ。さらに、日中関係も日本の政治家の靖 国参拝や歴史認識問題をめぐって一定の緊張関係が続くだろう。そうすると、またアメリ カと中国(および日本と中国)の対立の構図が、経済地域主義のあり方に影響を与えること も考えられる。

いずれにせよ、ASEAN諸国は、米中日の間の摩擦が大きくなったときは、地域公共財で あるその会議外交の場を、調整のために提供するぐらいしかできることはない。ASEAN諸 国にとって、3大国の関係が安定し協調的にならない限り、APECにせよEASにせよ、経済 地域主義に望めるものは大きくないのである。したがって、APECの共同体構想も

EAC

構想 もそういう意味では、まだ、ASEANにとっては絵に描いた餅以上のものではない。

1) 筆者は、ASEANの会議外交の特徴(ASEANレジーム)を、①全会一致の政策決定方式、②当事

(9)

者の対話を重視する紛争処理方式、③域外諸国との集団交渉、④必要に応じた国際会議の増設、

⑤増設した国際会議の主催権・議長権の全部あるいは一部の把握、の5つに整理している。佐藤考 一『ASEANレジーム』、勁草書房、2003年。

2) それでも、ASEAN地域フォーラム(ARF)などに参加するに当たっては、中国国内では相当な 議論があったようである。本件について、例えば、高木誠一郎「中国とアジア・太平洋の多国間 安全保障協力」『国際問題』第442号(1997年1月号)、53―67ページ、を参照。

3) 本件を指摘した代表的な論文として、天児慧「新国際秩序構想と東アジア共同体論』『国際問題』

第538号(2005年1月号)、27―41ページ、がある。

4 EAEC構想について、New Straits Times, 11 December 1990; ISIS Focus, No. 71, Institute of Strategic and International Studies(ISIS), Malaysia, February 1991, pp. 33―37; Noordin Sopiee, EAEC: Fact and Fiction, ISIS, 1996.

5)「中国在亜太面臨的政治経済形勢―研討会紀要」『現代国際関係』1995年第7期、9―10ページ。

本資料は、岡部達味先生より頂いたものである。記して御厚情に深謝する。

6) ベオグラードの中国大使館爆撃は「誤爆」ということでアメリカ側が謝罪して決着したが、イギ リスの新聞は、中国大使館側が、撃墜した北大西洋条約機構(NATO)軍のステルス戦闘機の破片 の提供と交換にユーゴスラビア軍に大使館の通信施設を使わせていた疑いを指摘し、「誤爆」では なかった可能性を示唆している。The Observer, 17 October 1999.

7) 村田晃嗣「アメリカの対イラク攻撃方針と国際的波紋」『国際問題』第515号(2003年2月号)

30―41ページ;吉川元偉「イラク問題と国際連合」『国際問題』第519号(20036月号)、66―71

ページ。

8) 湾岸戦争の際、当時の秦基偉国防部長は「中国の兵器は先進国に比べて20年は遅れている」と 嘆いたというが、2004年の時点でも中国と技術提携しているロシアの軍事技術者は、先端的なレ ーダー技術からみて、中国の能力は15年は遅れている、と述べている。「老将軍怨 誤武備」『争 鳴』1991年5月号、6―9ページ;Jane’s Defence Weekly, 17 November 2004, p. 32.

9) 以下の点については、外務省「日本国作成の論点ペーパー」、外務省、2004年、を参照。王毅

「思考二十一世紀的新亜洲主義」『外交評論』総第89期〔2006年6月〕、6―10ページ)も、アジア 通貨危機を除いて、同様の東アジア協力の進展を挙げている。

(10) Australian Government, “World Trade Organization(WTO): WTO Doha Round Bulletin - Special Edition,”

31 July 2006(http://www.dfat.gov.au/).

(11) Manila Bulletin, 29 November 1999; Junichiro Koizumi, “Japan and ASEAN in East Asia: A Sincere and Open Partnership,” Institute of Southeast Asian Studies, Singapore, 2002.

(12) 熊光楷「縦論国際戦略形勢」『国際問題研究』2004年第3期、1―5ページ。

(13) 同上。

(14) 張鉄軍「中国与東亜共同体」『国際問題論壇』2005年秋季号、95―105ページ。

(15) 同上。ちなみにこの論文は、リアリズム、リベラリズム、コンストラクティヴィズムの3つの枠 組みを用いて、東アジア地域主義成立の困難性についても分析している。

(16) Ruan Zongze(阮宋澤), “Managing East Asia’s Political and Security Risks: From the Perspective of Transition of International Order,” China International Studies, Winter 2005, pp. 38―53; 王毅、前掲「思考二 十一世紀的新亜州主義」

(17) Ruan, op. cit. なお、本論文はアジアを捨てて西欧につき、侵略戦争を起こして破綻した日本は、

アジア諸国の許しを得られないアジアの孤児だとしている。

(18) 王毅、前掲「思考二十一世紀的新亜州主義」

(19) 天児、前掲論文、33ページ。

(20) ASEAN側の「中国脅威論」について、例えば、Straits Times, 28 November 1997。拙稿では、佐藤

(10)

考一「中国とASEAN諸国―弱者の論理としての『中国脅威論』『国際問題』第540号(2005 3月号)、46―57ページ、を参照。なお、2005年末に公表されたところでは、過去5年間に中国が

ASEAN諸国に提供した経済援助や信用供与は、合わせて30億米ドル近くに上るという。Straits

Times, 22 November 2000; “Framework Agreement on Comprehensive Economic Cooperation Between the Association of Southeast Asian Nations and the People’s Republic of China,” Phnom Penh, 4 November 2002

(http://www.aseansec.org/); “Joint Declaration of the heads of State/Government of the Association of Southeast Asian Nations and the People’s Republic of China on Strategic Partnership for Peace and Prosperity,” Bali, 8 October 2003(http://www.aseansec.org/); New Straits Times, 2 July 2004, “Chairman’s Statement of the Ninth ASEAN-China Summit,” Kuala Lumpur, 12 December 2005(http://www.aseansec.org/).

(21) EASの参加国について、王毅「アジア地域協力と中日関係」『国際問題』第540号、2―14ペー

ジ;Junichiro Koizumi, op. cit.小泉総理の靖国参拝について、「小泉総理インタビュー」平成18年8

月15日(http://www.kantei.go.jp/)

(22) “Joint Declaration of ASEAN and China on Cooperation in the Field of Non-Traditional Security Issues, 6th ASEAN-China Summit,” Phnom Penh, 4 November 2002(http://www.aseansec.org/); “Joint Statement of the Special ASEAN-China Leaders Meeting on the Severe Acute Respiratory Syndrome(SARS),” Bangkok, 29 April 2003(http://www.aseansec.org/).

(23) ASEAN側のある参加者は、軍事力の非対称性からASEANと中国は対等なパートナーにはなれな

い、とも言っている。The ASEAN-China Forum, “Developing ASEAN-China Relations: Realities and Prospects,” Institute of Southeast Asian Studies, 2004, pp. 15―18.

(24) “Testimony of Admiral Thomas B. Fargo United States Navy Commander U. S. Pacific Command, before the House Armed Services Committee United States House of Representatives Regarding U. S. Pacific Command Posture,” 31 March 2004.

(25) 中国は、「旅海」型ミサイル駆逐艦1隻、給油艦1隻を派遣、タイ以外にパキスタンとインドが捜 索救難や洋上給油を中心にした合同海軍演習に応じた。『当代海軍』2006年2月号、4―13ページ。

(26) Condoleeza Rice, “Remarks at Sophia University,” U. S. Department of State, Tokyo, Japan, 19 March 2005;

Yoichi Kato, “Armitage snubs move for East Asia Community,” 2 May 2005(http://www.asahi.com/). 第1 EASに関する一連の経緯については、佐藤考一「東アジア首脳会議をめぐる国際関係」『海外事情』

2006年4月号、43―56ページ、を参照。

(27) 坊野成寛「東アジアサミット」(http://www.jiia.or.jp/keyword/200512/07-bounoseihiroshi.html); Jakarta Post, 7 April 2005; Robert Zoelick, “Zoelick at U. S. Ambassador’s Residence Malaysia,” Press Release, U. S.

State Department, 9 May 2005.

(28) “ASEAN Studying Possible Expansion of East Asian Summit: Officials”(http://www.aseansec.org/afp/104p.

htm); 岡部達味「日中関係の打開へ向けて」『東亜』2005年11月号、50―63ページ。

(29) “Chairman’s Statement of the Ninth ASEAN Plus Three Summit,” Kuala Lumpur, 12 December 2005(http://

www.aseansec.org/); “Chairman’s Statement of the First East Asia Summit,” Kuala Lumpur, 14 December 2005

(http://www.aseansec.org/).

(30) “Chairman’s Press Statement for the Seventh ASEAN Plus Three Foreign Ministers’ Meeting,” Kuala Lumpur, 26 July 2006(http://www.aseansec.org/); 二階俊博「二階経済産業大臣声明(7月24日WTO首席代表者 会合)」2006年7月24日(http://www.meti.go.jp/)

(31) ASEAN、中国双方の関心の中心は、首脳会議そのものより、10月31日の博覧会の商談だったよ

うである。なお、温家宝総理は、フィリピンのアロヨ大統領に「中越比3国の南シナ海での合同探 査はいくばくかの結果(some results)を出したが、3国はこの協力を続けるべきだ」と述べたが、

詳細には触れなかった。具体的な成果はなかったものとみられる。“Full text of Joint Statement of China-ASEAN Commemorative Summit,” 30 October 2006(http://english.peopledaily.com.cn/); Wen Jiabao,

(11)

“Join Hands to Create A Better Future for China-ASEAN Relations,” Nanning, China, 30 October 2006(http://

asean-chinasummit.fmprc.gov.cn/eng/); People’s Daily Online(http://english.people.com.cn/200610/30/).

(32) “14th APEC Economic Leaders’ Meeting Ha Noi Declaration,” Ha Noi, Vietnam, 18―19 November 2006

(http://www.mofa.go.jp);「APECハノイ閣僚会議(概要と評価)」平成18 年11月16日(http://www.

mofa.go.jp); “APEC Summit and its ‘Fringe Benefits’ ”(http://www.siiaonline.org/); Sunday Times, 19 November 2006.

(33) Secretary Condoleezza Rice, “Remarks at the APEC CEO Summit,” Hanoi, Vietnam, 18 November 2006

(http://www.state.gov/secretary/rm/2006/76277.htm).

(34)「日米外相会談の概要」平成18年11月16日、「日豪外相会談」平成18年11月16日、「日米豪閣僚 級戦略対話」平成18年11月16日(http://www.mofa.go.jp/); 安倍晋三「日本・インド共同記者会見」 2006年12月15日(http://www.kantei.go.jp/);『産経新聞』200612月6日。一方、中国側も2006

11月末に開催されたEASの第2軌道である東アジア・シンクタンク・ネットワーク(NEAT)の会

合までは、任期の終わる共同暫定コーディネーターを中国とタイが継続すべしと主張して影響力 の維持を企図していた。杉内直敏「シエムリアプでの会議に出席して(所感)『メルマガ東アジア 共同体評議会』2006年12月号(http://www.ceac.jp)

(35) The Manila Times, 16 January 2007(社説).

(36) “Chairman’s Statement of the Tenth ASEAN Plus Three Summit,” Cebu, Philippines, 14 January 2007(http://

www.aseansec.org/); “Chairman’s Statement of the Second East Asia Summit,” Cebu, Philippines, 15 January 2007(http://www.aseansec.org/); “Cebu Declaration on East Asian Energy Security,” Cebu, Philippines, 15 January 2007(http://www.aseansec.org/).

(37) 双方の会議で、日本の要望が受け入れられた背景には、安倍総理がASEANに対し、地域統合促 進、感染症対策、災害移民への教育、メコン流域開発など合わせて1億2800万米ドルの追加援助を 約束したことも影響していると考えられる。対照的に、日中韓の首脳会議では、拉致問題は共同 声明から外された。The Manila Times, 16 January 2007;「第7回日中韓首脳会議共同プレス声明」平 成19年1月14日(http://www.mofa.go.jp/).

(38)中国が東アジア協力で特に日本に要望していたのは、包括的経済連携協定と密接に結び付いた FTA協力とエネルギー協力、環境協力である。王毅、前掲「アジア地域協力と中日関係」および、

熊、前掲論文、参照。

(39) “Chairperson’s Statement of the 12th ASEAN Summit,” Cebu, Philippines, 13 January 2007(http://www.

aseansec.org/).

(40) At APEC, Money Talks, 23 November 2006(http://siiaonline.org/at_apec_money_talks2). ちなみに

ASEANとインドのFTA交渉は、インドがパーム油を除外リストから外さないため、難航している。

Straits Times, 15 January 2007.

(41) 高原明生「アメリカから見た日中関係」『東亜』20069月号、10―23ページ。本論文の、アメ リカがパートナーとしてもライバルとしても、日本より中国を重視し始めているという趣旨の指 摘は重要である。

さとう・こういち 桜美林大学教授 [email protected]

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