1 はじめに
平成30年(2018)に告示された新学習指導要領において、高等学校国語は、
必履修科目である「現代の国語」「言語文化」と選択科目「論理国語」「文学 国語」「国語表現」「古典探究」に再編され、令和4年(2022)度から学年進 行で進められる「現代の国語」「言語文化」の教科書採択が始まる。各社の 教科書には新学習指導要領の趣旨を体した創意工夫が施されている(註1)。 また、新たに実施された大学入学共通テストにおいては、引用された本文 以外の部分に関する問いや同一のテーマに関する文章が出題されるなど、複 数テクストの読解というPISA調査で求められている資質・能力の育成とい う方向性が明確になっている。特に、小説とその同時代評という複数テクス トが作問に用いられたことを考えると、小説作品に対する評論及び各種文学 賞の選評などは、メタテクストとして機能するものと思われる(註2)。 本稿は、こうした高等学校をめぐる国語科の中で、石沢麻依(2021)『貝 に続く場所にて』の分析を通して高等学校国語科教材としての可能性につい て考察を加えることを目的とする。
なお、本文の引用は、石沢(2021)に基づくとともに、初出である講談社 編(2021a)及び文藝春秋社編(2021)を適宜参照し、併せて、作品の中で 取り上げられている絵画作品等も参看した。
2 作品の分析Ⅰ ~重ね構造及びモチーフの多様性・重層性~
第165回芥川賞選考に当たった選評について、文藝春秋社編(2021:282- 291)において、松浦寿輝は、「3・11をいかに文学作品へと昇華するかとい うモチーフから書かれた作品はすでにかなりの数にのぼるが、サバイバー ズ・ギルト(生き残った者の罪悪感)を抱えつづけることの意味を、こうし た意表を突く設定で描き切った力業に敬意を表したい」と述べている。島田 雅彦は、「語り手はあらゆる場所で津波の行方不明者野宮を幻視し、対話の 相手にしている。震災後は幽霊を見たという報告を何度となく耳にしたが、
やはりこの世とあの世は入り混じっているのだなと思ったものだ。実際、私 たちは生きているものと死者が交わり、現在、過去、未来も併存する世界に いる。本作でも、震災時のまま止まった時間、都市の堆積した歴史の時間、
石沢麻依『貝に続く場所にて』の分析と教材としての可能性について
~重ね・トラウマ・断片・身体・声・持物をめぐって~
髙 橋 正 人
コロナ時代の現在進行形の時間がパイ状に重ね合わさった時空間を語り手が 自在に往来している」と述べている。また、吉田修一は、「完成度の高い作 品である。一種の幻想小説であり、[…]私としては、この作品を詩人の散 文として読んだ」と述べている。そして、小川洋子は、「特に印象的なのは、
具体的な事物によって小説が奥行きを増し、遠く離れた無関係なはずの時間 がつながって、鮮やかなイメージを結ぶ点だった。例えばトリュフ犬が掘り 出し、ウルスラの蒐集部屋に保管される日常品の欠片たちは、行方不明者の 生きた証を求めて津波の跡をさ迷う人々を連想させ、海を漂う野宮の不在は、
貝殻を手に歩む巡礼者と重なり合う」と述べている。
これらの同時代評において言及されている「サバイバーズ・ギルト」「パ イ状に重ね合わさった時空」「幻想小説」「行方不明者」などの言葉は、作品 の根幹を見据えた評言であるとともに、本作品が2021年時点においてどのよ うに受け止められていたかを示す歴史的な証言とも言える。稿者は、本作品 を、詩的表現に満ちた東日本大震災をめぐる記憶と距離の〈回復〉の物語で あるとともに、地上におけるあらゆる死者に対する〈喪〉と失われた人を求 めて彷徨う魂の再生への一歩を記す〈巡礼の旅〉の物語と捉えている。
全体が48の小段によって構成されている本作品において、島田が述べるよ うに、〈重ね〉という視点は極めて重要な意味を有しており、作品全体を貫 いている。主な舞台はゲッティンゲンであるが、9年前の東日本大震災の東 北地方の記憶がフラッシュバックするように間欠的に現れるだけでなく、第 二次世界大戦におけるドイツの街で起こった数々の惨禍の歴史とも重なって おり、作品全体が時空の重ねによって構造化されている。ゲッティンゲン及 び東日本大震災によって被害を被った土地の重ねられた時空を示したもの が、図1である。
2021年 ゲッティンゲン
2011年 東日本大震災
行方不明者としての野宮 幼児期の二ノ倉海岸 津波により被害を受けた 土地
仙台、石巻、気仙沼 内陸部、原発事故
1910年10月頃の寺田寅彦滞在中のゲッティンゲン 第二次世界大戦下のゲッティンゲン
新型コロナウイルス禍にあるドイツ
図1 ゲッティンゲン及び東日本大震災によって被害を被った土地の重ねられた時空
また、作品では、物語の進行とともに、多くのモチーフが波が押し寄せる ように繰り返され深められる構造をなしている。これらのモチーフは、舞台 となっているドイツの都市ゲッティンゲンと東日本大震災で被災した仙台・
石巻の街を往還しつつ作品全体を支えている。作品におけるモチーフ群と具 体的な叙述の一端を示したものが表1である。
表1 作品におけるモチーフ群と具体的な叙述
主な場所 モチーフ群と具体的な叙述
ドイツ ゲッティンゲン
(現在/過去)
ベルギー ヘント
駅舎 野宮 七月初め 黒犬 ここに来て三年 九年間 長い旅 惑星の小径 時間的距離 王子通り アガータの犬 トリュフ ヴェーンダー通り 指に記憶 三月 コロナ 九年間の時差 顔 匂い 舞踏 ブロンズ像 仮面 ノスタルジーという仮面 破壊 の跡 プリンツェン通り テアター通り 土星ケルンに住む姉 スカイプ ウルスラ 星座 ユーデン通り 木星の衛星 安定性 地震の揺れのなさ アグネス 聖ヤコブ教会 帆立貝 冥王星 ブロンズ像 ビスマルク塔 死者が行く場所 月沈原 トリュフ 犬 収集 生活の断片 ナザールボンジュウ アウシュビッツ 自撮り 遺留品 街の重なり合う時間 ベルギー ヘント留学 聖遺物研究 ロックダウン 解除 巡礼 集団 貝の晩餐会 マ ドレーヌ 紅茶 既視と未視 土星 ナチス 死者の声 旧市街 ムール貝 発掘物 旧市街 貝殻 寺田寅彦 一九一〇年十月か ら一一年二月 幽霊 秋 透かして見る 夢十夜 三夜 罪悪感 アルバニア教会 鳥の視点 海の暴力 顔の肖像画 ミヒャエ ル・エンデ 八月半ば 太陽 ブロンズ アイヒェンドルフ広場 海王星 森の中の聖女 冥府の名 ルチア 眼球 十一夜 冥王 星 ビスマルク塔 螺旋階段 二枚 帆立貝 記憶の持物 ゲッ ティンゲンの時間 聖ヤコブ教会 帆立貝 持物(アトリビュー ト) 巡礼手形 教会巡礼 集団 過去からの漂流物 多重露光 貝の晩餐会 海の断片 時間 記憶 巡礼者 記憶の持物 空白 の時間 身体的記憶 目に破壊の光景 現在と記憶の時間差 歪 み 過去は顔を借りる 幽霊 顔 時間の遠近法 身体 見つか らない 聖女 痛みの象徴 身体の記憶 痣の転写 身体の部位 自己証明の象徴 身体の断片 もぎとられた身体 収集 返却 断片 古めかしいマント 背中に歯 身体 境界線 野宮の身体 私の持物 階層 映像 言葉 痛みの記憶 乳房 アガータの記 憶の持物 鉗子 抜歯 死んだ母の持物 歪んだ記憶 痛み 罪 悪感 人の顔 二重の場所 戦前の記憶 回想時間 コロナ流行 距離感 マスク 買い出しの列 九年間の時間 西洋美術史 プッサン 2010年夏 ドイツ旅行アルトドルファー アレクサン ダー大王の戦い ルチア アガタ アルトドルファーの青 消失点
東日本大震災
三月のあの日 津波 荒浜 美しい星 石巻の実家 目の奥 九 年の時差 身体的記憶 根こそぎ 妹 父母 弟 震災から四日 目 デパート 長い行列 蛇 一週間後 研究室 石巻
ドイツと日本との距離感を始め、行方不明者の野宮と私との距離は東日本 大震災から縮まることはない。むしろ、逃げ水のように接近しようとすると 遠ざかっていくかのようにさえ思われる。その距離を埋めるように私は自分 自身と野宮に問い続け。対話の相手である幽霊としてゲッティンゲンに現れ た野宮は、温かく私を包みこむかのように接する。二人の対話において、野 宮の幽霊が現実感を失わず描かれており、豊かな表現力によって緻密に構築 された世界が示されており、生者と死者とが時空を超えて対峙する夢幻能を 彷彿とさせる。
しかも、作品世界を深く彩っているのは、色彩が幾重にも重ねられて成立 している西洋絵画のように、〈重ね〉が縦横に駆使されることである。小説 の中には、生者と死者の声がポリフォニーのように時空を超えて響くととも に、それと同じ、あるいはそれ以上の重さを持つ沈黙が震災からの九年の年 月と季節を行き来する。
〈重ね〉は都市空間にも現れており、西洋美術史に関する博士論文執筆中 の現代のゲッティンゲンの街と百年以上前の寺田のドイツ滞在中の街とが重 ねられている。特に、市内に設置された太陽系惑星模型が舞台となり死を意 味する「冥府(Pluto)」としての「冥王星」の出現に伴い、津波で行方の知 れない野宮の記憶を追いかけるための〈巡礼〉の旅が重ねられていく。
さらに、ゲッティンゲンには、第二次世界大戦時の爆撃や迫害を被った多 くの人々の歴史が重ねられる。都市にも傷が隠されており、都市を歩くこと は都市の創傷を顕在化させそれらを癒す巡礼の旅につながるという意味で、
都市の身体化がなされていることに注目したい。
「この土地は、私の郷里を思い出させます」
書簡の中で、月沈原と当時の日本人が呼んでいたこの街の秋を美しいと綴って いたことに思い当たり、ふいに痛みを覚えた。寺田氏は彼が過ごすことのなかっ た見知らぬ夏に入り、変容した場所を歩き回っている。そして、自分と結びつく 場所の記憶を、街に投影していた。私が街の断片に仙台の風景を透かして見よう とするように。遠く離れた場所の季節や自然との距離の感覚。私たちは、ノスタ ルジーという言葉でその距離を縮めようとする。(p.110)
仙台 石巻 気仙沼 内陸部 原発事故
死者の名前 記憶 沿岸部 形をとどめないもの 瓦礫の重なり プッサン 我もまたアルカディアにありき 髑髏 九年前の三月 研究室 石巻 死者の名前 原発の場所 記憶の時差 震災の記 憶 罪悪感 過去の断片 沿岸部 形をとどめない物 瓦礫の重 なり 気仙沼 喪失 目の奥の海の断片 二ノ倉海岸 妹 痛み の目 東部道路 化粧 二つの顔 失われた場所 石巻 あの日 かけはなれた場所
作品は、土地の精霊を巡る円環的世界によって構成されている。西洋絵画 の伝統的な画法に従い、幾重にも重ねられた絵具による重ねとともに、遠近 法の消失点である3・11の東日本大震災で失われた人を求めて彷徨う者をめ ぐる再生への一歩を記す巡礼の旅でもある。
また、作品では、2011年3月11日午後2時46分の東日本大震災以降の日本 社会と新型コロナウイルスCOVID-19の脅威にさらされ、人と人との距離に 怯えて生活せざるを得ない現代世界そのものも二重写しになっている。作品 は、現在と過去、記憶と想起、日常と非日常、生者と死者と行方不明者、被 災地と被災を免れた土地、さらには、〈アレクサンダー大王の戦い〉の青とゲッ ティンゲン上空の青、そして、野宮の故郷・石巻への巡礼の持物としての帆 立貝などが重なり合いながら、現実の時空を支えている過去の記憶が幾重に も重ねられる構造をなしている。
3 作品分析Ⅱ ~トラウマ・断片・声・失われた身体~
東日本大震災を始め、大規模な災害に遭遇した際の心的防御は、人が生き る上で欠かすことができない心的制御システムであり、ケースごとにその相 貌は異なる。生き残った者もまた、直後のフラッシュバックはもとより時間 の中で間欠的に襲い掛かる記憶によって正常な判断や日常生活が危機に瀕す る場合も多い。本作品において想定されている時間設定は、東日本大震災か ら九年を閲した時期となっている。十年に近い年月を経ても、心的な傷ある いは記憶は当時のまま残されており、むしろ他の記憶と隔絶して際立ちが目 立ち、圧倒的な臨場感を持って襲い掛かる場合がある。
宮地(2011:6)は、トラウマの臨床的モデルとしての「環状島」について、
次のように整理している。
ヴェーンダー通りの聖ヤコブ教会の近くで、彼女は足を止め石畳を指差した。
金色に鈍く光る真鍮板が見事な歯並びのように八枚並んで、その光る面に刻まれ た文字を、かつてそこに住んでいたユダヤ人の名前を瞬かせる。躓きの石という 地面に食い込んだ金属の歯。それを眼差しで示しながら、ウルスラは言葉を紡ぐ。
連れてゆかれ殺された人たち、もしくは逃げ出さざるを得なかった人たちと結び つく場所に、躓きの石は埋められている。(p.114)
環状島の上には、被害当事者や支援者といった、トラウマについて語ることができ る人が位置することになります。傍観者、すなわち当事者でも支援者でもない人は〈外 海〉に位置します。〈内海〉には犠牲者が沈んでいます。命を奪われた人はもちろん のこと、被害に打ちのめされた人は声をあげられません。トラウマのまっただなかに いる人も言葉を発することはできません。生き延びられたとしても、トラウマ反応や
図2は、同書におけるトラウマの 環状島モデルの概念図である。宮地 の環状島になぞらえて考えると、野 宮はゼロ地点に近い内海におり、私 は当初外海あるいは外斜面に位置 している。人がトラウマから完全に 解放されることは困難を極め、永続することにこそトラウマなど心的外傷の 持つ本質が存しているのではないかとも思われる。私にとって、内海にいる 野宮への距離は9年を経た現在でも消失することはない。作品冒頭の一節 は、こうした心的状況下における私の姿を的確に捉えている。
ここで用いられている「顔、記憶、浚う、像、水、崩れ、つぎはぎ、肖像、
疼く、歯、臆病」などの語彙は、作品全体に網状に広がり、地下茎のように 作品全体に浸透している。イーフー・トゥアン(2017:333)が指摘するよ うに、「物は、時間をしっかりとつなぎとめて」いる。その中で、「断片」と いう語は、「海の断片」(22, 85, 86以下、頁数のみ記載)「九年前の三月の断片」
(46)「情報の断片」(60)「身体の断片記憶」(61)「物語の断片」(64)「人間 の生活の断片」(67)「過去の断片」(67, 84)「記憶の断片」(69, 84, 88, 101, 12 5, 129, 134, 135, 139)「何の断片」(74)「拷問具の断片」(78)「時間の痕跡を 再構成するための断片」(81)「海の断片」(85, 86)「光と色彩の断片」(87)「時 間の断片」(91, 131)「部屋中にほぼ隙間なく並べられた断片たち」(99)「一 人気のない駅舎の陰に立って、私は半ば顔の消えた来訪者を待ち続けていた。
記憶を浚って顔の像を何とか結び合わせても、それはすぐに水のように崩れてゆ く。それでも、断片を集めて輪郭の内側に押し込んで、つぎはぎの肖像を作り出 す。その反復は、疼く歯を舌で探る行為と似た臆病な感覚に満ちていた。(p.3)
図2 宮地尚子(2011:6)「環状島」
症状が強くて、声をあげる力や余裕がな いかもしれません。言葉がみつからず、
立ち尽くすだけかもしれません。声をあ げたとしても、その声が周りの人に伝わ るとは限りません。鳴き声や叫び声や、
くり返される単語、とぎれとぎれのつぶ やきだけかもしれません。生き延びた人 は、自分の経験したことをわかってほし いと思いますが、同時に「とても言葉に ならない」「言ってもきっとわかっても らえない」と感じ、思い出すことさえ苦 しくなります。
枚の絵を完成させる断片」(99)「街の断片」(110)「景色と時間の断片」(111)
「季節の断片」(119)「私の目や耳がつかんだ痛みの断片」(126)「断片(的 にちりばめられていた)」(132)と複数回にわたって用いられており、そこ には、部分と全体、身体の統合性への希求、さらには失われた身体を求める 旅の諸相を読み取ることができる。
トリュフ犬の発掘する拾得物もまた「断片」の一つとして機能し、登場人 物が背景としてまとっている「持物(アトリビュート)」もまた、人物が記 憶している「断片」そのものの形象化である。これら「全体」と「断片」と をめぐるネットワークを示したものが図3である。
そして、聖ヤコブの持物である「帆立貝」は、野宮にとって「彼の場所に 続く道標なのかもしれない」(102)との感懐を私に抱かせるとともに、「あ なたの場所に繋がる物」(148)との祈りに至る。そして、私にとっての持物 は、「三月の度に繰り返される回想と、繰り返し目にした牙剝く海の映像、
そして口をつぐみ続けて輪郭を失う言葉。それらを象ろうとした挙句に、た どり着いた」(108)奇妙な白い形としての「記憶の歯」(108)であり、「野 宮に向ける罪悪感が、痛みの正体」(113)であるとの考えに至る。
なお、断片が統合して形成される身体そのものが存在せず、不在という状 況に陥っていることは、染谷ほか著(2018:118)が指摘している一種の「幻 影肢」とも関連付けることができる。
また、作品において重要な役割を果たしているのが、〈声〉である。対面 での応答がなされる前に、メール、スカイプ、そして、電話による声が介在 することにより物語が進行する。距離の離れた地点から互いに声によって安 否の確認を行うことは、東日本大震災においても行われていたが、本作品に
図3 「全体」と「断片」とをめぐるネットワーク
失われたもの
海の断片
時間の断片
物語の断片
記憶の断片
街の断片 季節の断片 生活の断片 痛みの断片 情報の断片
過去の 断片
景色と 時間の 断片 喪失
回復
全体 断片
おいては、音信が途絶えた行方不明者としての野宮の存在が、声を通して「在
/不在」という二元論的な枠組みから零れ落ち、「生/死」のはざまの「中有」
において宙づりの状態のまま立ち現れてくる。
失われた身体を求め続ける声として、生き残った私に呼びかけ、語りかけ る野宮との対話は、生者と死者との間のポリフォニーとして時空を超えて響 き合い、声にならない声が、一人一人の持物(アトリビュート)として「貝」
「歯」などとともに記憶を呼び戻す回路を形成する。
なお、ここに描き出された距離によって隔てられた者同士の声は、祖母と の永遠の別れを予感させるプルーストの作品における電話を通した声と通底 するものがあり示唆的である(註3)。
4 作品分析Ⅲ
~アルブレヒト・アルトドルファー及び持物(attribute)~
本作品の特徴の一つとして、私を含む人物たちが西洋美術史を専攻してい ることが挙げられる。作品には西洋絵画の入門書としての側面もあり、名画 鑑賞の装いすら感じさせる。
作品で重要な位置を占めているのは、ドイツ、ルネサンス期の画家アルブ レヒト・アルトドルファー(Albrecht Altdorfer1480頃-1538)の〈アレクサ 午後二時四十六分、と野宮は呟く。静かな透明な声。遠近法の消失点が置かれ た時間。引き裂かれた時と場所を想う。私は塔の上から街を眺め、そこにアルト ドルファーの絵を重ねる。私の眼差しは鳥の形となって、上と下に広がる二つの 青の面に向けられる。飛ばずに見続けて、固定した視点で私はなだれ込む色彩の 動きと深まる青を見て、同時に離れて繋がる遠い海の情景をも重ねる。野宮の静 かな気配は、空と海の青の中に溶け込むように薄れてゆく。[…]透明に覆い被 さった光景は、私の見ることの叶わなかった遠く呼応する青の世界。隔たった場 所からこちらに向かって、青が通り抜けてゆく。私は鳥の視線を固定したまま、
二つの青を重ねて重ね続け、そしてそれが消えるのを待つ。(p.150-p.151)
やがて私の中にある海は、絵画を幾重にも重ね、新たな印象を生み出してゆく。
ボッティチェリのウェヌスを生み出した淡い翠の水の襞。カスパー・ダヴィッド・
フリードリヒの孤絶した氷海や、彷徨い人を無表情に眺める青黒い塊。印象派の 描く光と色彩の断片の表情を音楽的に表した海。カナレットの描く鮮やかなヴェ ネツィアの街と結びついた海。そして、アルトドルファーの〈アレクサンダー大 王の戦い〉の空と対峙する青の静謐な眼差し。そこには、野宮の語った海の印象 も重なる。夜明け前や日没後の静かな時間。時折見せる青の対話。色彩が流れ過 ぎる空を映す鏡となりつつも、その下では潮流の大きな力が渦巻いている。(p.87)
ンダー大王の戦い〉である。地上を離れた鳥瞰的な視点から、うねるような 波と光暈、そして数千にも上るであろう兵士の姿が描き出されたその絵画は、
野宮が魅せられた作品でもある。田辺監修著(2016:118-119)には、「アル トドルファーが手掛けた《イッソスの戦い》は、アレクサンドロス大王に率 いられたマケドニア軍とダレイオスⅢ世のペルシア軍との歴史的合戦を主題 とした大作だが、それはイタリア美術において理論化されていたような、適 度な数の『人物像』の組み合わせから なる『歴ヒ ス ト リ ア史画』とは、あまりにかけ離 れている。ネーデルラント絵画の『世 界風景』さえも及びはしない、ほとん ど惑星的なヴィジョンというべき驚 異的な鳥瞰視の視点を獲得したアル トドルファーは、無数の蟻のように地 表をうごめく軍勢の衝突を、もはや人 間的なスケールなど遥かに超えた壮 大なイメージとして描き出している。
そして、人間を『人間』とも思わない その箍たがが外れたファンタジーは、一方 ではまた、人物像がいっさい登場しな い純然たる『風景画』を、ヨーロッパの 美術史に初めて生み出すことにもなっ た」との解説が付されている。(図4)
鳥瞰的な視座に関連して、東日本大震災後にドイツに渡るために仙台空港 から成田空港に向かう上空から眺められた津波後の二つの顔の相貌に対する 感慨が示されている。そこでは、地表からは見えにくいが、しかし、確かに 存在する地理的な境界線によって截然と分かたれた二つの顔が浮き彫りにさ れる。
あの三月以来、鳥の視点で街という肖像画を眺めるようになった。[…]仙台 東部道路を挟んだ土地の写真を見た時、私の目の中にこの二面の顔が重ね合わせ られた。海にのみ込まれた場所と、津波が届くことのなかった場所、この二つは 時間が経っても完全に戻ることはない。仮に建物や街が元通りに再建されたとし ても、その下には二つに分け隔てられた顔が残り続けるのだ。私があの日以来、
目にしてきたのは顔の半面に過ぎず、もう半面の側からの声を持たなかった。そ の半面には、沿岸部の街のみならず、原発による避難指示区域も含まれる。この 顔の二面性が、場所の記憶を形作る。(p.115-p.117)
図4 田辺幹之助監修著、新藤淳・
岩谷秋美(2016:119)
「ドイツ・ルネサンスの挑戦」(東京美術)
なお、作中では漱石、寅彦へのオマージュが捧げられるとともに、戦禍に よって蹂躙された過去を持つ都市・ゲッティンゲンへの思いが込められてい る。ユダヤ系の親を持つ歌手バルバラの名曲「ゲッティンゲン(Göttingen)」
を彷彿とさせ、その歌詞とメロディーが通奏低音のように響いている(註4)。 さらに、本作品において重要な役割を果たしているのが、人物にまつわる
「持物(アトリビュート)」である。私の周囲に現れるウルスラ、バルバラ、
アグネス、ルチア、アガータ、カタリナなどは、すべて聖女に関する史伝を 典拠としており、アト リビュートの説明とと もに、人物の来歴とそ の最期とが結びつけら れている。木村(2002:
21)によれば、アトリ ビュートとは、「描か れた人物とその人物が 手にしているもの、あ るいは周辺に置かれて いるものと深い関係」
のあるものであり、「持 物」と訳され、絵画に 関する理解に際して重 要な視座を与えてくれる。作品中の私の友人であるアガタ及びルチアの名前 の由来として描かれている二人の聖女について、千足(2009:144-146)に 示されている肖像とアトリビュートは、図5及び図6のとおりであり、聖女 アガタは自身の乳房を、聖女ルチアは自身の目をアトリビュートとして手に している。
また、野宮にとってのアトリビュートとしての帆立貝は彼自身を故郷へと 導く役割を果たすとともに、行方不明の弟につながるものでもある。
図5 千足(2009:
144)聖女アガタ 図6 千足(2009:146)
聖女ルチア
その時、埋火のようにあった罪悪感が、私の中で透明に抜け落ちる。惑星巡り を経て、九年の時間の存在感を、相手の中に見出していた。もう全部知っている んですか? するりと口から飛び出した問いに、野宮は静かに頷いた。澤田から 聞きました。両親と妹は還れたとのことで、本当に安心しました。でも、弟のこ とが気にかかっています。小さい頃に海で溺れかけたことがあったせいか、彼は 海が苦手なんですよ。だから。早く水の中から地面の方に戻してやりたいと思っ ているんです。凪いだ表情の野宮は、ふいに鞄のポケットから白く光るものを取
アトリビュートは、人物にとって過去の痛みの歴史を身体が語るものであ り、痛みを伴った記憶が刻印された自己存在の究極の証明でもある。
なお、アガータの犬もまた、木村(2002:60-61)によれば、「ディアナ、
アドニス、忠誠、嗅覚、スパイ」などのアトリビュートとして挙げられてお り、作品においては各人の記憶につながる遺物を地中から探し出すという重 要な役割を担っている。
都市・ゲッティンゲンをめぐる私たちの都市巡りは、都市に埋もれていた 遺物の発見を通して、人物が深層に抱えている痛みを伴った消せない記憶を 通して生の意味を問い直す精神的な巡礼の旅を準備することになる。
5 高等学校国語科における教材としての可能性
これまでの分析を踏まえ、作品の教材化に当たっては、テクストの重層構 造に迫るためにも複数の視座に立った探究的な学びが求められる。例えば、
「文学国語」においては、「解釈の多様性」が重視されており、文部科学省
(2019:197)では、「10歳代で読んだ時と、30歳代で読んだ時と、50歳代で 読んだ時とでは、同じ作品や文章でもその解釈が異なる」と指摘するととも に、「読み手の知識や経験などによって、一つの作品や文章の解釈が異なり、
どのような作品や文章に対しても解釈の多様性が見られることを授業の中で 考察することが望まれる」としている。
トリュフ犬がいれば、と考える。海から戻ることのない野宮の身体を見つける ことはできるのだろうか。彼の身体が埋もれている場所を、その記憶の痕に敏い 鼻で見出してくれるかもしれない。貝があれば通行手形となるヤコブの道の巡礼 と同じく、彼も定まった場所へと向かうことができるはずだ、と取り留めもなく 思いを巡らす。彼がゲッティンゲンを訪れたのは、巡礼の道筋をたどるようなも のなのだろうか。彼がいつの日か海から還る時があるのか、お盆の時期に石巻に、
そして仙台に帰ることがあるのか、それを問うことなどできないだろう。(p.102)
り出した。一瞬、それを歯と見間違え、思わずポケットを探り、手の中に握りこ む。それは帆立貝の殻ですか? 海に浸かったことがないような白く刻み線の はっきりした貝殻だった。野宮は頷いた。ウルスラの家の夕食会の帰り、市壁跡 の散歩道を一周しましたよね。その時、トリュフ犬が発掘した物です。お守りの つもりで拾ったんですよ。二枚。弟の分も。野宮の場所を繫ぐそれは、静かに激 しい痛みの籠った記憶の持物だった。彼の身体も見つからないままにあって、そ の貝殻は象徴に収まらない形の時間を浮き彫りにしている。これでたどり着ける かもしれませんね。そう呟く野宮に、私の言葉は渦巻きながらも祈りとなる。た どり着きます。それは聖ヤコブではなく、あなたの場所に繫がる物ですから。あ なたの故郷に還ることができます。野宮は静かに頷く。(p.147-p.148)
また、同書(204)には、言語活動例について次の解説が付されている。
本作品の成立に関連して、講談社編(2021b:19)で石沢は、「七月後半、
本棚を整理中に大きな動きがあったのです。岩波文庫の寺田寅彦の随筆集。
それを目にした時、モチーフがかちりと当てはまって動き出したのが分かり ました」と述べているように、作品には、夏目漱石、寺田寅彦を始めとする 日本人作家の跡が垣間見られるとともに、西洋美術史における聖女に連なる
「ウルスラ」「バルバラ」「アグネス」「ルチア」「カタリナ」などの名前が用 いられている。こうした複合体としてのテクストを読み解くことも今後の国 語科においては極めて重要な学びを形成すると考えられる。
なお、次に示すのは、本作品を基にした「文学国語」における作品の分析 及び書評づくりに関する授業構想試案である。
カ 作品に関連のある事柄について様々な資料を調べ、その成果を発表したり短 い論文などにまとめたりする活動。
作品に関連のある事柄について様々な資料を調べ、その成果を発表したり短い 論文などにまとめたりする言語活動を示している。様々な資料を調べ、その成果 を発表したり短い論文などにまとめたりすることは、学習した作品についての読 みを深めるが、この活動の意義はそれにとどまらない。作品に関連のある事柄を 知ることによって、単独で読んでいた時には気付かなかったその作品の意味や価 値が浮かび上がることになる点が重要である。様々な資料とは、その作品を生み 出した作家についての資料ばかりでなく、その作品が生み出された時代について の資料や、同時代評も含めた評論や、論争などその作品の受容のされ方についての 資料も含まれる。また、調査し考察した成果を発表したり短い論文などにまとめたり して、他者と共有することによって、作品との関わり方について、新しい観点を獲得し、
作品について独自の取り組み方を生徒がつくり出すきっかけにもなる活動である。
【授業のねらい】 「文学国語」思考力・判断力・表現力「読むこと」エ、オ、キ 作品についての分析を踏まえ、書評づくりを通して作品のテーマについて意見 交換を行うことにより作品理解を深める。
【第一次】作品についての分析を行い、重層的なテーマの解釈及び検討を行う。
(2時間配当)
【第二次】作品のテーマを基にした考察をグループ活動によって深化させる。
(2時間配当)
【第三次】作品を基にした書評づくりと相互の意見交換を行い省察する。
(2時間配当)
【作品についての書評づくりを通したプレゼンテーションと意見交換】
(第三次2時間目/全2時間)
【本時のねらい】石沢麻依『貝に続く場所にて』についての分析を基に、書評づ くりとプレゼンテーションを行うことにより作品の理解を深める。
学習内容・活動 時間 ◇指導上の留意点 ◆評価規準
導 入
1 作品に関する分析を基に、各 自が書評づくりを行い、グルー プによるプレゼンテーションを 通して自分の考えを深める。
作品についての書評づくりを行 い、プレゼンテーションを行い、
考えを深める。
5 ◇ 本文の叙述を基に解釈を深め、
作品の重層性にも着目するよう 指示する。
◆ 本文の身体や記憶に関わる表 現がどのようにテーマと関わる かを知る。
【知識・技能】
展 開
2 本文についての分析を基にし て、作品に関する書評づくりを 行い、グループにおいてプレゼ ンテーションを行う。その際、例 えば、身体に関する表現(肖像、歯、
目、口、背中、腕、顔、足、耳など)
を本文から抜き出すとともに、
それらの持つ意味と西洋美術史 における「持物」について分析し、
プレゼン資料をまとめるなどの 活動を行う。
3 各グループのパワーポイント 資料による発表について、付箋 などを用いて相互評価を行い、
精査・解釈・共有を行い、新た な視座を得る。併せて、座談会 形式を用いて模擬選評会を開催 し、書評について推敲を重ねる。
40 ◇ 身体や持物に関する表現が作 品の中でどのような意味を持つ のかを明確にするよう促す。そ の折に、西洋美術史における作 品のテーマと本文の叙述との関 係性についても検討するよう示 唆する。
◆ 各グループにおける書評のプ レゼンテーションについて、発 表者の立論の妥当性や的確性に ついて説得力の有無を中心にし ながら相互に検証し、作品理解 を深める。
【思考・判断・表現】
ま と め
4 作品に関する書評について相 互に感想を述べ合い、省察を加 える。また、文学賞に至った識 者の選評の文章を参考にしなが ら、自分の書評について考察を 加え、各自で思索を深める。
5 ◆ 各グループにおける書評プレ ゼンテーションの内容、構成、
手法についても意見交換しなが ら多面的・多角的な見方ができ るよう振り返る。
【主体的に学習に取り組む態度】
資 料
石沢麻依(2021)『貝に続く場所にて』(講談社)
講談社編(2021b)「石沢麻依への15の問い」(『群像第76巻第9号』講談社)
文藝春秋社編(2021)「貝に続く場所にて」(『文藝春秋第99巻第9号』文藝春秋社)
知識・技能 思考・判断・表現 主体的に学習に取り組む態度 本文に関する叙述の分析
を通して、小説の背景理 解及び構造把握の方法に ついて基本的な理解がで きる。
作品を読む上で必要な多 面的・多角的な視点を共 有するとともに、多様な 作品論とその妥当性等に ついて、根拠と理由を基 に考察することができる。
作品分析を通して様々な 視点から作品を読むこと の意味を再確認するとと もに、他の作品について も読み深めようとしてい る。
今後の国語科の授業づくりにおいては、小・中・高等学校の学びの系統性 を考慮することが重要である。また、言葉による見方・考え方を働かせて主 体的・対話的で深い学びを実現する観点からも教材の分析と併せて、複数テ クストによる作品の構造と内容の把握、精査・解釈、考えの形成、共有とい う学びのプロセスに着目させることが喫緊の課題である。そうした意味で、
本作品を起点として東日本大震災に関して探究活動を展開することや文学と 芸術にまたがるテーマを基にしたアンソロジーを編むことなども重要な学び として位置付けられる。
なお、作品の基になるプレテクストとしての先行作品や本文に関する各種 論考の収集に当たっては、学術論文閲覧ソフトなどを適宜参照するとともに、
大学など研究機関との連携も視野に入れて行うことが、今後の探究的な学び の充実に資すると考えられる。
《 註 》
(註1)令和3年度閲覧可能な「現代の国語」「言語文化」の教科書はそれぞれ17あり、
現在見本として参看することができる。着目したいのは、嶋中道則ほか著(2021)『現 代の国語』(東京書籍)である。本書では、総ページ数307ページの内、86ページを「探 究編」に充てている。「総合的な探究の時間」が新設され、今後の高等学校教育全 体が課題を発見し、課題を解決する方向に向かう意味で、本書が掲げる「探究」の 方法論を学ぶことは、国語科が担うべき言葉による思考力・判断力・表現力の育成 に資するものといえる。
(註2)松澤和宏(2004:27-29)によると、メタテクストとは「本文に対する注釈的 なテクスト」であり、テクストを取り巻く膨大な引用を考察する上で示唆的である。
(註3)プルースト作・吉川一義訳『失われた時を求めて 5 ゲルマントのほうⅠ』
(291-292)には、次の叙述があり、本作品のバックグラウンドとして示唆的である。
あの人だ、あの声だ、こちらに話しかけ、目の前にいるのは!だが、なんと遠い ことか!これまで私は、何度その声を聞いても不安を感じずにいられなかった。声 は耳のすぐそばで聞こえるのに、長時間の旅をしなければその声の主に会えない事 態を前にすると、どれほど懐かしい人に近づける気がしてもそれがいかに期待はず れであるか、手を伸ばすだけで愛する人を引きとめられると思えるときでも愛する 人からいかに遠く隔てられているかをいっそう痛感させられた。こんな近くで声が するからには現存するというほかないが ―― 、実際には遠くひき離されているの だ!だがこれは永遠の別離を予告しているのではないか!そんなふうにすがたが見 えず、遠くから話しかけてくるだけの声にしばしば耳を傾けた私は、その声が二度 と浮かびあがれない深淵から叫んでいる気がして、いつか私の胸を締めつけるはず
の激しい不安をおぼえた。
(註4)バルバラの「ゲッティンゲン」については、中祢勝美(2016)が詳しい。
《 引用・参考文献 》 安藤宏(2019)『近代小説の表現機構』(岩波書店)
イーフー・トゥアン著・山本浩訳(2017)『空間の経験』(筑摩書房)
石沢麻依(2021)『貝に続く場所にて』(講談社)
内田百閒(1990)『長春香』(福武書店)
大滝一登編著(2019)『高校国語新学習指導要領をふまえた授業づくり 実践編』(明 治書院)
奥泉香(2018)『国語科教育に求められるヴィジュアル・リテラシーの探究』(ひつじ 書房)
木村三郎(2002)『名画を読み解くアトリビュート』(淡交社)
講談社編(2021a)「貝に続く場所にて」(『群像第76巻第6号』講談社)
講談社編(2021b)「石沢麻依への15の問い」(『群像第76巻第9号』講談社)
佐藤佐敏(2021)『国語科の学びを深めるアクティブ・リーディング ― 〈読みの方略〉
の獲得と〈物語の法則〉の発見Ⅱ ― 』(明治図書)
嶋中道則ほか著(2021)『現代の国語』(東京書籍)
千足伸行(2009)『すぐわかる キリスト教絵画の見かた』(東京美術)
染谷昌義・細田直哉・野中哲士・佐々木正人(2018)『身体とアフォーダンス』(金子 書房)
髙橋正人(2020a)「「文学国語」におけるアンソロジー教材の開発~是枝裕和「ヌガー」
における〈世界の発見〉をめぐって~」(『言文』第67号)
髙橋正人(2020b)『文学はいかに思考力と表現力を深化させるか ― 福島からの国語 科教育モデルと震災時間論』(コールサック社)
髙橋正人(2020c)「高等学校「古典探究(Advanced Classics)」における探究的な学 びの深化に関する研究~「若紫」における視線・顔認識・フランス語訳・映像テク ストをめぐって~」(『福島大学人間発達文化学類学類論集』第32号)
髙橋正人(2021)『高校生のための思索ノート~アンソロジーで紡ぐ思索の旅~』(コー ルサック社)
田近洵一・井上尚美編著(2018)『国語教育指導用語辞典〔第五版〕』(教育出版)
田辺幹之助監修・著、新藤淳・岩谷秋美(2016)『ドイツ・ルネサンスの挑戦 デュー ラーとクラーナハ』(東京美術)
中祢勝美(2016)「バルバラの『ゲッティンゲン』(1) ― 「独仏和解の歌」とその成 立 ― 」(『天理大学学報第68巻第1号』)
文藝春秋社編(2021)「貝に続く場所にて」(『文藝春秋第99巻第9号』文藝春秋社)
前田愛(1992)『都市空間のなかの文学』(筑摩書房)
町田守弘(2021)『サブカル国語教育学』(三省堂)
松澤和宏(2004)『生成論の探究』(名古屋大学出版会)
宮地尚子(2011)『震災トラウマと復興ストレス』(岩波書店)
宮地尚子(2013)『トラウマ』(岩波書店)
文部科学省(2019)『高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説 国語編』(東洋館 出版社)
J.J.ギブソン著、佐々木正人・古山宣洋・三嶋博之訳(2018)『生態学的知覚システム』
(東京大学出版会)
プルースト作・吉川一義訳『失われた時を求めて 5 ゲルマントのほうⅠ』(岩波書店)
《 附 記 》
本研究は、令和元年度~令和3年度日本学術振興会科学研究費助成事業(基盤研究 C)「『深い学び』を目指した高等学校国語科における教材モデルの開発と授業メソッ ドの提案」(研究課題番号:19K02698研究代表者:髙橋正人)の助成に係る研究成果 の一部である。
なお、令和2年度福島大学人間発達文化研究科教職実践専攻(教職大学院)「国語 授業の理論と実践」、人間発達文化学類「国語科教育法」「卒業研究演習Ⅰ・Ⅱ」、令 和3年度福島県教育センター専門研修「主体的・対話的で深い学びの実現に向けた PISA型読解力研究講座」並びに令和3年度仙台白百合女子大学「児童文学論」「初等 教科教育法(国語)」「初等国語」受講者との意見交換に示唆を受けていることを附記 し、同講義受講者の皆さんに感謝したい。
(たかはし・まさと 仙台白百合女子大学・国語科教育)