セミナー室
食品加工の科学と工学—小麦粉製品を例として-1穀物科学コンソーシアムの意義および 小麦粉製品の物性を決定する要因
松村康生
京都大学大学院農学研究科
穀物科学コンソーシアムの目的と意義
研究開発の成果が具体的な事業化・製品化に結びつか ない状況は「死の谷」と呼ばれ,わが国においても,そ の克服が重要な課題となっている.農芸化学の分野では,
昔から研究機関と産業の結びつきが強く,比較的アカデ ミアと産業界との関係は良好であったと思われるが,グ ローバルレベルでの競争化時代を迎え,時間的・経済的余 裕が失われつつある昨今,両者の関係にも大きな変化が 訪れようとしている.この時代にあって企業と大学はど のように連携していくのか,その一つのモデルケースとし ての『京都大学・日清製粉グループ 穀物科学コンソー シアム』の目的と意義を紹介したい.本コンソーシアム では,穀物科学という食品の加工に関する分野を主な対 象としたが,ほかの農芸化学やバイオサイエンスに関す る諸分野にも参考にしていただけるものと期待している.
食品産業では,消費者の多様なニーズに対応し,より 高品質な食品を生産するため,伝統的な加工技術の機構 解明に加えて,新たな加工技術の発展が求められている.
しかし,企業における生産の現場では,早いサイクルの 製品開発に追われて,たとえ興味深い現象を発見しても,
その機構を解明するための時間的・人員的余裕がない.
そのため,画期的な技術革新には至らない現状となって いる.一方,アカデミアにおいても,さまざまな事由に より食品加工技術の基礎となる研究や知識の教育を担う
人材の育成が十分に進んでいない.このような状況が続 けば,食品産業の健全な発展を促す技術的な革新が生ま れる可能性はますます低くなると考えられる.
このような危機意識の下に,京都大学と(株)日清製粉 グループのスタッフは穀物科学におけるコンソーシアム の設立を計画した.図
1
にその構成を示す.日清製粉グ京都大学・日清製粉グループ 穀物科学コンソーシアム 京都大学・日清製粉グループ 穀物科学コンソーシアム
-
-小麦粉の科学と工学小麦粉の科学と工学--
食品化学・界面科学(松村)
分光学的測定,画像観察による成分 間の相互作用解析.物理的・酵素的 修飾による機能の改良・創成
機能の創成 機能の創成
現象の 現象の 理解の深化 理解の深化
食品構造特性科学(北畠)
物性と構造のタンパク質分子論的解 析(レオロジー,電気泳動等の生化 学的手法,電子顕微鏡,タンパク質 工学)
食品製造工学(安達)
反応速度解析,酵素合成,亜臨海水,
脂質粉末化,クロマト分離工学,
エマルション科学
食品計測工学(西津)
非破壊・非接触計測,実時間計測,
超音波位相速度,電気インピーダンス,
音響共鳴スペクトロスコピー
Science
Science EngineeringEngineering
日清製粉 日清製粉 グループ本社 グループ本社
日清製粉日清製粉 日清フーズ日清フーズ
図1■『京都大学・日清製粉グループ 穀物科学コンソーシアム』
の構成
コンソーシアム発足当時の研究グループの構成.北畠教授と西津 助教は,当時京都大学農学研究科に所属していたが,その後,現所 属先に異動.それぞれのグループのボックス内には,各研究グルー プの主な研究手法を挙げているが,これらは各研究者の専門領域 を理解していただくために記述したものであり,今回のコンソー シアムにおいて,これらの手法を必ずしも使用したわけではない.
京都大学・日清製粉グループ 穀物科学コンソーシアム 京都大学・日清製粉グループ 穀物科学コンソーシアム
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-小麦粉の科学と工学小麦粉の科学と工学--
食品化学・界面科学(松村)
分光学的測定,画像観察による成分 間の相互作用解析.物理的・酵素的 修飾による機能の改良・創成
機能の創成 機能の創成
現象の 現象の 理解の深化 理解の深化
食品構造特性科学(北畠)
物性と構造のタンパク質分子論的解 析(レオロジー,電気泳動等の生化 学的手法,電子顕微鏡,タンパク質 工学)
食品製造工学(安達)
反応速度解析,酵素合成,亜臨海水,
脂質粉末化,クロマト分離工学,
エマルション科学
食品計測工学(西津)
非破壊・非接触計測,実時間計測,
超音波位相速度,電気インピーダンス,
音響共鳴スペクトロスコピー
Science
Science EngineeringEngineering
日清製粉 日清製粉 グループ本社 グループ本社
日清製粉日清製粉 日清フーズ日清フーズ
ループは,その中心にあって研究に必要な資金を提供す るとともに,生産現場で課題となっているテーマを提示 する.そのテーマに対して,京都大学の食品科学,食品 工学分野の研究者が,それぞれの専門分野の観点から検 討を行い,時には研究者同士で協力しながら,課題解決 のための基礎的なデータを蓄積する.この場合,強調し たいのは,食品産業のニーズに対して即効的な解決策を 与えようと試みるよりも,各専門分野における最新の知 見や方法論を用いて,解決すべき課題の根本に横たわる 機構や原理の解明に努めることを主眼としたことである
(図中の「現象の理解の深化」).これは,一見回り道の ようでも,結局,飛躍的な技術革新を生み,新たな機能 をもつ加工食品を創製(「機能の創成」)するための近道 であると考えたことによる.
このような共通の問題意識に立ち5年間にわたる共同 研究を行った結果,多くの興味深い成果を挙げることが できたが,それは順次,各連載で紹介される.その中に は,特許など知財化につながったものがあり,また実際 の製造現場で活かされている知見もあると考えられる.
このような意味で,企業側からすると,製品開発の基礎 となる研究の,良い意味での「アウトソーシング」が行 えたと言えるかもしれない.アメリカの企業では,人員 や機器維持のことを考え,基礎的研究のアウトソーシン グ化が盛んであるが,日本的にそれを進める場合に,こ のようなコンソーシアム形態が一つの可能性となるであ ろう.企業側のほかのメリットとしては,いくつかの研 究グループと研究を行うことにより,いわゆる「ポート フォリオ化」を実現していることである.これは,元々 経済学分野で投資のリスクを分散し,最大の成果を挙げ るためにさまざまな手段を活用する操作を指す用語であ
るが,本コンソーシアムでも4グループの研究者が協力 して取り組むことで,最大のポートフォリオ化が可能に なったと考える.大学側でも安定的な資金提供の下,
テーマ設定にはある程度制限はあるものの,基本的に興 味をもつテーマを対象として,基礎的な研究を持続的に 展開できたことは大きなメリットであった.また,大学 では,原材料に関して,同じ起源のものや一定の品質の ものを持続的に入手することは難しい.また,一定の加 工条件で調製したサンプルの入手も困難であるが,この ような問題は,日清製粉グループの協力の下,克服する ことができた.
企業,大学側双方のメリットとして,度々のミーティ ング,研究報告会を通じて,さらには,企業側からの大 学への研究者の派遣を通じて(5年間,常に一人の派遣 研究員が京都大学に在籍した),活発な人的交流が行え たことがある.その結果,大学側からは,最近の研究動 向や新しい実験手法などに関する知識を,また企業側か らは産業界の最近の動向や原材料や生産技術についての 知識などが提供され,お互いに有用な情報交換が行われ た.特に大学の教員や学生は,通常,自分たちの研究が,
社会や産業の中でどのような意味をもちうるのか実感が しにくいと思われるが,交流を通じて,自らの基礎的な 研究の成果が活かされる可能性に触れ,社会貢献に対す る意識も高まったと考えられる.本コンソーシアムの目 標の一つが,穀物科学など食品産業分野での研究者の育 成であり,その目標はこの5年間で,ある程度実現でき たものと考えている.
最後に本コンソーシアムで感じた問題点についても,
今後のさらなる健全な産学連携を進めるうえで,報告し ておかなければならない.一つは,企業の生産現場と大 連載開始にあたって:食品加工の科学と工学―小麦粉製品を例として
本シリーズでは,2007年4月に設立され,5年間継 続した『京都大学・日清製粉グループ 穀物科学コン ソーシアム』の成果の報告が主要な内容となる.ただ し,「セミナー室」の主旨を鑑み,穀物科学分野にお ける最近の知見,基礎的研究の意義,新しい手法や技 術の解説を中心に話を進めたい.また,大学,公的研 究機関などのいわゆるアカデミアと産業界との結びつ きがますます求められる状況を踏まえて,本コンソー シアムが産学連携の一つのモデルケースとしてどのよ
うな意味をもっていたのかを考える場としたい.特に 第1回では,連載開始にあたり,穀物科学コンソーシ アムの目的と意義を述べるとともに,あまり小麦に馴 染みのない読者のために,小麦の主要成分に関する知 識の紹介に大きな部分を割き,筆者の研究成果につい ては,ごく簡単に触れる程度とする.ほかのコンソー シアム参加メンバーの個々の成果については,連載2 回目以降に詳細に紹介する予定である.
(松村康生,京都大学大学院農学研究科)
学の基礎研究の場との目的意識に関する違いである.た とえば,機構解明を目的とした基礎研究の場では,現象 の背後にある機構追求の過程で,実際の生産現場では採 用されない極端な処理条件やモデル系を使ってサンプル を調製する必要がある.しかし,現場の立場からすると,
それが実際の製品と大きく離れていると感じられ,基礎 研究の重要さを完全に理解してもらうのには難しい場合 もあった.もう一つの大きな問題は,「成果発表」に関 するものである.大学側では,研究とともに学生の教育 を行うことが大きな使命である.そのため講義だけでな く,実験指導の過程で,学生に成果をまとめさせ学会や 論文刊行の形で発表をさせることが不可欠である.しか し,企業との共同研究では,今回のコンソーシアムに限 らず,知財やノウハウの問題がかかわってくるため,発 表についても慎重に考える必要が生じる.今回のコン ソーシアムでは,このような問題に対処するため,双方 でよく協議し,製品の製造や改良に直接つながるような テーマ設定はできるだけ避け,適切なモデル系を設定す る,あるいは製品に近い系でも個々の成分に関する化学 的・物理的変化のような基礎的知見を得ることを目的と する,などの配慮を払った.しかし,場合によっては,
当然のことながら,特許やノウハウにかかわる興味深い データが発表に含まれることもあり,最終的に発表が許 可されるまで,双方のやり取りや手続きなどで時間を要 することもあった.「成果発表」と「知財やノウハウ」
との間を,どう折り合いをつけていくかは,非常に悩ま しい問題である.今後,産学連携の推進がますます求め られる状況の下,この問題にどのように対処していくの か,企業側,大学側が,互いの立場をよく理解するべく 努めたうえで,双方の知恵を十分に出し合っていくこと が必要とされている.
小麦の主要な成分,特にグルテンに関する基本的な 知識
本シリーズでは,「食品加工」の側面を主要なテーマ とするため,小麦粉成分についても生理機能の観点より も,加工にかかわる重要性という観点で取り上げたい.
小麦粉製品の加工性を決定するのに最も重要な働きを演 じているのは,グルテンというタンパク質である.グル テンは,ほかの穀類や作物に含まれるタンパク質には見 られないユニークな性質を有しており,小麦粉からパン や麺を作り出すのに不可欠な成分である.
小麦粉に水を加えてこねると生地が形成されるが(ド ウと呼ぶ),その生地よりデンプンと水溶性タンパク質 を洗い出すことで比較的簡単にグルテンを取り出すこと
ができる.グルテンは小麦粉タンパク質中の約80%を占 める.小麦粉から取り出し,十分に水和したグルテンは,
伸展性と弾力性に富む固まりである.そのうちの約30%
を占めるグリアジンを取り出すと,粘り気のある非常に 伸びの良いペースト状態を示すが,残りのグルテニンは,
強いゴム状の弾力性をもつ固まりとなる(1, 2).これらの 性質が合わさることによって,グルテンはいわゆる「粘 弾性」を示すことになり,この粘弾性が,パンや麺の加 工を可能にする.グリアジンは球状のポリペプチド鎖か らなり,それぞれのポリペプチド鎖(サブユニットと呼 ぶ)は,ジスルフィド(SS)結合などの共有結合で結び つけられていない.一方,グルテニンは,各サブユニッ トがSS結合でつながり,紐状の重合体を形成し,それら が会合した網目状構造を形成する(3, 4).グルテニンの構 造については後で詳しく触れるが,SS結合を介した巨 大な重合体というユニークなグルテニンの構造が,ほか のタンパク質には稀な弾力性を生み出している.なお,
同様にゴム状の弾性を発現するタンパク質はエラスチン など動物起源のものが多い.
グルテンと小麦粉の加工特性の関係については,古く から多くの研究が行われており,一般的にタンパク質含 量(グルテン含量)が高いほど生地物性が強く,優れた 製パン性をもつ(ふっくらと大きなボリュームのパンが 焼ける)ことなどが知られていた.しかし,グルテンの 含量は同じでも,製パン性など加工特性に違いのある品 種が存在することから,グルテンの「質」も重要である ことが指摘されていた(3〜6).グルテンの質とは,グルテ ニン,グリアジンを構成するサブユニットの組成である.
そのうち,グリアジンについては,生地物性,製パン性 の違いにあまり関与していないと考えられることから,
グルテニンのサブユニットに注目が集まっていた.
1980年代,イギリスのPayneらのグループによる研 究がきっかけとなり,高分子量グルテニンサブユニット と製パン性の関連について解明が進んだ(7).図
2
にはグ ルテニンのSDS-PAGEのパターンの模式図を示す.泳 動距離の長い低分子量グルテニンサブユニットと短い高 分子量グルテニンサブユニットのグループに分かれる.いくつかの栽培品種の高分子量グルテニンサブユニット 領域の泳動パターンを拡大したものが右の図である.品 種毎に泳動距離(サイズ)の異なるサブユニットが観察 され,その品種の製パン性と対応させることにより,特 定のサブユニットの存在が製パン性の高さに関連してい ることが明らかとなった.特に5と10のサブユニットに 製パン性を高める効果のあることがわかった(3〜6).逆に 言うとパン用の小麦は5+10のサブユニットをもつもの
が圧倒的に多い.なお,低分子量グルテニンサブユニッ トについては,SDS-PAGEでは分離が不十分であり,二 次元電気泳動によって分離・同定が行われている.
高分子量グルテニンサブユニットの遺伝子が,どの染 色体上にあるのかが明らかにされている.パンやうどん,
中華麺やビスケットなどの加工に用いられる普通小麦の
場合,「AABBDD」のゲノム組成をもつ6倍体である.
A, B, Dゲノムは,それぞれ7本(1から7)の染色体を もつ.高分子量グルテニンサブユニットは1A, 1B, 1D 染色体の長腕上の という場所(遺伝子座)にあり,
ゲノムごとに , , というように表 記する.ちなみに,低分子量グルテニンの遺伝子は,同 じ1番目の染色体の短腕上の ,グリアジンのうち
γ
/ω
-グリアジンの遺伝子は1番目染色体の短腕上の ,α
/β
-グリアジンは6番目の染色体の短腕上の とい う遺伝子座に,それぞれ位置している(6, 8).高分子グル テニンサブユニットの遺伝子が位置する遺伝子座を図2 に併せて示した.なお, , のサブユニット は,7+8, 5+12というようにセットになって一緒に遺 伝するのが普通で,小麦の品種改良のためには,セット ごとの品質に対する効果を研究する必要がある.なぜサブユニット5が製パン性の向上に寄与するのか,
その1次構造上の特徴から説明することが可能である.
7+8, 2+12, 5+10のようにセットとなっているものの うち,電気泳動パターンで,より上にあるもの(サイズ の大きいもの),7, 2, 5をx-タイプと言い,下にあるもの 8, 12, 10をy-タイプという.y-タイプのものは,ポリペ プチド鎖中にほかのサブユニットに結合できる遊離のシ ステイン残基(SH基)を通常3個もっているのに対し,
x-タイプは通常2個しかない.その結果,図
3
の(A)に 示すように,x-タイプが結合してできるポリマーは直鎖状となる(4, 6).しかし,サブユニット5は例外的に,x-タ
高分子量 グルテニン サブユニット
低分子量 グルテニン サブユニット
さまざまな栽培品種
1 2
17 18 12
13
16 2★ 5
10
7
8
● 遺伝子座による分類
Glu-A1 Glu-B1 Glu-D1 1, 2★ 7+8★, 7+8, 7+9,
13+16, 17+18, 6+8, 7, 20
5+10, 2+12, 2+10 3+12, 4+12, 2.2+12
図2■SDS-PAGEによるグルテニンサブユニットの分離 グルテニンをSDS-PAGEで分析した際のパターンを模式図で示す.
高分子量グルテニンサブユニットは約60 kDaより上の位置に,低 分子量グルテニンサブユニットは約40 kDaより下の位置に泳動さ れる.右図の四角の中は,いくつかの栽培品種の高分子量領域の サブユニット構成を示したもの.数字は,高分子量サブユニット に付けられた番号である.右の下方には,それぞれの高分子量サ ブユニットの遺伝子が,どの遺伝子座にあるのかを示す.
サブユニット5
(A) サブユニット5がない場合
(B) サブユニット5が存在する場合
直鎖上のポリマー となる
網目状のポリマーが 形成される
:
ジスルフィド結合図3■高分子量グルテニンサブユ
ニットx-タイプより形成されるポリ
マーの形(4, 6)
(A)サブユニット5以外の通常のx-タ イプの高分子量グルテニンサブユニッ トのみからポリマーが形成される場 合.これらのサブユニットは2個の遊 離SH基しかもたないので,直鎖状の ポリマーが形成される.(B)サブユ ニット5が存在する場合.サブユニッ ト5はほかのx-タイプのサブユニット と異なり,3個の遊離SH基をもつの で,途中での枝分かれが可能となり,
網目状のポリマーが形成される.
高分子量 グルテニン サブユニット
低分子量 グルテニン サブユニット
さまざまな栽培品種
1 2
17 18 12
13
16 2★ 5
10
7
8
● 遺伝子座による分類
Glu-A1 Glu-B1 Glu-D1 1, 2★ 7+8★, 7+8, 7+9,
13+16, 17+18, 6+8, 7, 20
5+10, 2+12, 2+10 3+12, 4+12, 2.2+12
イプにもかかわらず,遊離のSH基を3個もつことから,
枝分かれが可能になり網目状のポリマーが形成される.
このような網目状の構造が強い弾性を産み出し,製パン 性の向上につながっていると考えられている.わずかに 1個のSH基が余分に存在するだけで,サブユニットの結 合様式が大きく変化し,弾性が大きく上昇するという.
これは正に分子レベルでの変化がマクロな物性を決定し ているという典型例である.
図
4
には,x-, y-タイプの高分子量グルテニンサブユニッ トに加え,低分子量グルテニンサブユニットも含めたグ ルテニンのモデルを示す(4, 6).低分子量グルテニンサブ ユニットは,2個の遊離SH基しかもたないので,基本 的に直鎖状のポリマーを形成し,高分子量グルテニンサ ブユニットの網目状のものをつなぐ役割を果たしている.低分子量グルテニンの種類もグルテニン物性に大きな影 響を与えることが知られている.たとえば, ,
, などのサブユニットは,生地の物性を 強くする.しかし,それはSH基の変異ではなく,発現 量および凝集を引き起こしやすい立体構造の違いに起因 していると言われている.
パン用の小麦は,5+10の高分子量グルテニンサブユ ニットをもつが, などの生地を強くする低分子 量グルテニンサブユニットはもたない(4, 6).このような 小麦からは強力粉が作られ,生地にした場合に強さと伸 びのバランスがよく,良いパンが焼ける.しかし,5+
10に,生地を強くする低分子量グルテニンサブユニット を併せ持つ小麦品種は,超強力となり,弾力が強すぎて 伸びが悪く,パンにしたときに膨らみが悪い(4〜6).ただ,
これら超強力の小麦粉に,うどん用の中力粉を混ぜると,
あたかも強力粉のような特性が得られ,良いパンが焼け る.このようにブレンド用として優れた超強力タイプの 小麦としては,北海道農業研究センターで育成された
「ゆめちから」があり,国内産普及品種として期待され ている.以上のように,電気泳動分析法の進歩,遺伝情 報の蓄積などによって,小麦のグルテニンのサブユニッ ト組成と生地物性や加工適性との関係をかなりの精度で 明らかにすることが可能となってきた.国内においても,
上記の北海道農業センターや近畿中国四国農業研究セン ター(いずれも農業・食品産業技術総合研究機構)など で,日本の栽培環境に適応し,優れた加工適性をもつ品 種の選抜・育成が精力的に進められている.なお,本コ ンソーシアムにおいても,冬小麦と春小麦由来の小麦粉 を比較し,そのグルテンのサブユニット組成が生地のク リープ挙動にどのように関連しているのか検討した.そ の結果,両小麦の生地の瞬間弾性率や定常粘性率は,低 分子量グルテニンサブユニットの一部と推定される成分 の有無によって,大きく変わることを明らかにした(9). グルテン,特にグルテニンについては,このようなサ ブユニットに基づく検討に加えて,グルテニンの弾性発 現を説明するための種々のモデル,すなわち架橋モデル,
高分子量グルテニンサブユニット x-タイプ
高分子量グルテニンサブユニット y-タイプ
低分子量グルテニン サブユニット
:
ジスルフィド結合図4■グルテニンの網目状構造の模 式図(4, 6)
高分子量サブユニットy-タイプは遊離 のSH基を3個もつため,x-タイプのグ ルテニンサブユニットや低分子量グル テニンサブユニットをつなぎあわせる ことが可能となる.ただし,図3で述 べたように,x-タイプの中でも5のサ ブユニットだけは,y-タイプと同様の 働きをすることができる.
高分子量グルテニンサブユニット x-タイプ
高分子量グルテニンサブユニット y-タイプ
低分子量グルテニン サブユニット
:
ジスルフィド結合ループ‒トレインモデル,粒子ゲルモデル,ポリマー科 学やレオロジーに基づいたモデルが提唱され,それぞれ の観点から解明が進んでいる(2).さらに,電子顕微鏡,
原子間力顕微鏡,共焦点レーザー顕微鏡の新しい技術の 導入により,グルテンネットワークの,よりリアルな構 造が捉えられるようになっている(2, 10).また,グルテン タンパク質の水溶液中でのコンフォメーション,ナノス ケールでの凝集構造については,ほとんど解明が進んで いなかったが,グリアジンを対象としたX線小角散乱に よるデータが,裏出のグループにより,今年度,農芸化 学会大会で報告された(11).
小麦粉の加工性にかかわる成分としては,グルテンの ほか,デンプンや難消化性の多糖類,いわゆる食物繊維 がある.残念ながらそれらの記述に多くのページを割く 余裕はないが,デンプンは小麦粉の60%から70%を占め,
加工品の形態や食感に大きな影響を与えている.たとえ ば,うどん用品種である,オーストラリア産・冬小麦の ブレンド,ASW(オーストラリア・スタンダード・ブ レンド)や,北海道起源の品種「ホクシン」や「きたほ なみ」は,デンプン中のアミロース含量が低めになって おり,うどんにモチモチ感をもたせることができる(池 田達哉:グルテン研究会・通信,「グルテンの話」).小 麦 デ ン プ ン の 詳 細 に つ い て は 文 献 を 参 考 に さ れ た
い(1, 12).また,本連載においてもデンプンに関連した話
題がいくつか取り上げられる予定である.
食物繊維の中で,加工特性に大きくかかわると考えら れているのは,ヘミセルロースの一種,アラビノキシラ
ンである(1, 12).アラビノキシランは,(1→4)グルコシ
ド結合で結合した
β
-D-キシロピラノシル残基を主鎖とし,そこに
α
-L-アラビノフラノシル残基が所々で結合する構 造となっている.アラビノースとキシロースの存在比は,0.45 〜0.76の範囲にある.さらには,このアラビノース にはフェルラ酸がエステル結合しているものがあり(割 合は1%以下),これが後述するようにドウ物性を考える うえで大きな役割を果たす.
アラビノキシランは,吸水性に富む多糖類であること から,小麦粉に加水して生地をこねる際には,加えられ た水をグルテンやデンプンと奪い合い,最終的に全体の 水の22%を保持する(12)(グルテンは20%で,後の水は,
デンプンに吸収される).アラビノキシランに吸水され た水の約半分は結合水といわれている.キシラナーゼな どの酵素を加えると,アラビノキシランの分解に伴い,
捉えられていた水が放出され,生地の伸びやすさが上昇 する.このような水を介しての他成分との相互作用は,
生地をこねる際だけではなく,その後の焼成あるいは貯
蔵に至るまでの各段階で,加工特性に大きな影響を与え ることが知られている.そのような物理的なメカニズム に加えて,化学的にもアラビノキシランは影響する.す なわち,上述したようにアラビノキシランは,フェルラ 酸を分子内に保有しており,このフェルラ酸が酸化され ると(これには小麦粉に内在するポリフェノールオキシ ダーゼなどが関与する可能性がある),架橋される.こ の架橋反応は,アラビノキシラン分子間だけで起こるの ではなく,アラビノキシラン‒グルテン間でも起こるこ とが認められている(2).このようにグルテンに共有結合 したアラビノキシランは,生地物性や製パン性に重要な 役割を果たすと考えられている.
このほか,脂質(13)や内在性の酵素(上述のポリフェ ノールオキシダーゼやリポキシゲナーゼ,アスコルビン 酸オキシダーゼなどの酸化酵素,アミラーゼ,キシラ ナーゼ,プロテアーゼなど)(14)も食品加工上,重要であ るが詳細は文献を参照されたい.アラビノキシラン,ア ミラーゼ,キシラナーゼと生地物性との関連については 第3回の連載で特に詳細な報告がある.
パスタの乾燥条件が微細構造やグルテンに与える影 響(15)
パスタは普通系小麦ではなく,デューラム系小麦(AA BBのゲノム組成をもつ4倍体小麦)を粗くひいて調製 した粉(セモリナ)より製造する.パスタは製造後,保 存のために乾燥されるが,その乾燥条件によって,ゆで た後の食感に大きな違いが表れる.一般的に,低温で ゆっくりと乾燥したパスタに比べて,高温で乾燥したも のは固さなど歯応えが増すとされている.原料や製造法 が全く同じながら乾燥法が異なることで,最終製品に違 いが生じることは,産業上,重要な現象であるが,基礎 的な観点からも乾燥工程でどのような変化が生じている のか興味深い.今回,日清製粉グループから,実際に乾 燥条件を制御して製造されたパスタサンプルの供給を受 けることで,系統的な解析が可能となった.
乾燥条件は低温乾燥が50℃,20時間,高温乾燥が70℃,
12時間,超高温乾燥が90℃,6時間であった.図
5
は,それぞれの乾燥パスタの共焦点レーザー顕微鏡画像であ る.下は,酸性フクシンで染色したタンパク質(グルテ ン)の蛍光画像を観察したもので,低温乾燥では,グル テンネットワークがほぼ均一に分散している.乾燥温度 の上昇に伴ってグルテンの凝集が進み,超高温乾燥パス タでは,グルテンが凝集した部分と存在しない部分が明 瞭に区別できる.上図は,透過光を重ねたもので,どの サンプルでもデンプン粒子が明確に観察される.このこ
とは,パスタの製造,乾燥工程では,デンプン粒子の破 壊が起こっていない,すなわちデンプンの糊化は十分進 まないことを示している.
次にゆでた後の微細構造を走査型電子顕微鏡で観察し た.グルテンに注目するために,アミラーゼで処理しデ ンプンを除き,グルテン骨格のみを観察したものが図
6
である.上図が1,000倍の倍率で観察したもので,やは り低温乾燥に比べて,超高温乾燥のパスタのほうがグル テンは不均一に分布し,一部の領域で凝集が進んでいる.倍率を20,000倍に上げると(下図),超高温乾燥では,
太いストランドが形成されている様子が示された.
乾燥条件の違いによりグルテンに影響が現れることが
示唆されたので,実際にパスタから希酢酸でグルテンを 抽出し,全タンパク質量に占める割合をグルテンバイタ リティとして算出した.その結果,乾燥前のパスタでは 70%近くあったのに対し,低温乾燥パスタ:約54%,高 温乾燥:約53%,超高温乾燥:約20%と減少した.希酢 酸で可溶化してくる画分について2次元電気泳動分析を 行ったところ,等電点が10近くにあり分子量40 kDa付 近のバンドが,低温乾燥パスタでは存在するのに,超高 温乾燥パスタでは消失していることが明らかとなった.
これまでの研究で,デューラム小麦は,分子量42 kDa の低分子量サブユニットLMW2をもつことによって,
パスタの加工,調理行程での加熱によりSS結合を介し
低温乾燥 高温乾燥 超高温乾燥
50㎛
OVERLAY蛍光 タンパク質
デンプン粒
図5■共焦点レーザー顕微鏡による 乾燥パスタの構造観察
乾燥パスタの薄切片を酸性フクシン によって染色し観察した.上図は透 過光の画像と蛍光画像を重ね合わせ たもの,下図は蛍光画像のみを示す.
赤く染色されているのがタンパク質
(グルテン),白く見えるのはデンプ ン粒.
図6■ゆでパスタ中のグルテン骨 格のSEMによる観察
低温乾燥と超高温乾燥パスタをゆで た後,アミラーゼ処理によりデンプ ンを除き,グルテン骨格を露出させ SEMで 観 察 し た.上 図 が 低 倍 率
(×1,000),下図が高倍率(×20,000)
の結果である.
低温乾燥 高温乾燥 超高温乾燥
50㎛
OVERLAY蛍光 タンパク質
デンプン粒
たグルテンの重合,凝集が起こりやすいことが示されて
いる(4, 5, 16).本研究で超高温乾燥により消失したバンド
が,この加熱に鋭敏に反応し,加工特性にかかわるサブ ユニットに相当するのか興味がもたれる.なお,現在,
パスタの乾燥条件の影響については,デンプンを対象と した研究も進めており,将来グルテンの結果と合わせて 包括的な報告をしたいと考えている.
おわりに
本コンソーシアムでは,穀物科学コンソーシアムの目 的と意義で述べたように日清製粉グループからも研究員 が派遣され研究を行った.その成果は2回目の連載で報 告予定である.そのほか,パン生地の蛍光スペクトル を,広い励起波長,蛍光波長領域で測定し,そのスペク トルデータから生地物性や最終形態のパンの品質を予測 できないのかといった,ケモメトリクス的な試みも行っ た(17).これらの基礎的な知見が,実際の製品やそれに 近い系でどの程度有効であるのか,企業側ともさらに交 流を重ねながら検証していく予定である.
謝辞:本稿を執筆するにあたり有用な情報を提供いただいた農研機構,
近畿中国四国農業研究センターの池田達哉氏,京都大学農学研究科,裏 出令子教授に謝意を表します.またパスタ実験を担当していただいた西 嶋 祥氏に感謝いたします.
文献
1) 長尾精一: 小麦粉利用ハンドブック ,幸書房,2011, p.
105.
2) R. J. Hamer :“Wheat Chemistry and Technology,”
4th edition, ed. by K. Khan & P. R. Shewry, AACC International Press, 2009, p. 153(Chapter 3).
3) 船附雅子: 種子の科学とバイオテクノロジー ,原田久
也監修,学会出版センター,2009, p. 228(7-4-2).
4) 山内宏昭: 種子の科学とバイオテクノロジー ,原田久
也監修,学会出版センター,2009, p. 306(8-2-5).
5) 船附雅子:北海道農業研究センター研究報告,183, 33
(2005).
6) 池田達哉:農林水産技術研究ジャーナル,33, 9(2010).
7) P. I. Payne : , 11, 29(1983).
8) P. W. Shewry :“Wheat Chemistry and Technology,”
4th edition, ed. by K. Khan & P. R. Shewry, AACC International Press, 2009, p. 223(Chapter 8).
9) 森本友規ほか:日本農芸化学会2011年度大会講演要旨集,
2011, p. 230.
10) V. Kontogiorgos : , 44, 2582(2011).
11) 松宮 葵ほか:日本農芸化学会2014年度大会講演要旨集,
2014.
12) B. Stone & M. K. Morell :“Wheat Chemistry and Tech- nology,” 4th edition, ed. by K. Khan & P. R. Shewry, AACC International Press, 2009, p. 299(Chapter 9).
13) O. K. Chung :“Wheat Chemistry and Technology,”
4th edition, ed. by K. Khan & P. R. Shewry, AACC Inter- national Press, 2009, p. 363(Chapter 10).
14) K. Brijis :“Wheat Chemistry and Technology,” 4th edition, ed. by K. Khan & P. R. Shewry, AACC Interna- tional Press, 2009, p. 401(Chapter 11).
15) 西嶋 祥ほか:日本農芸化学会2011年度大会講演要旨集,
2011, p. 230.
16) N. P. Pogna : , 7, 211(1988).
17) 加地俊紀ほか:日本食品工学会第12回(2011年度)年次 大会講演要旨集,2011, p. 43.
プロフィル
松村 康生(Yasuki MATSUMURA)
<略歴>1979年京都大学農学部農芸化学 科卒業/1984年同大学大学院農学研究科 博士課程修了(農学博士)/同大学食糧科 学研究所助手,同大学大学院農学研究科助 教授を経て,2004年より同大学大学院農 学研究科教授<研究テーマと抱負>農産物 を中心とする原料素材の加工適性の評価と 改善,作物の栽培条件や加工・貯蔵条件に よる成分変化,分散系食品(エマルショ ン,サスペンション,泡沫など)の安定性 の予測と安定化要因の解明,微粒子やナノ ファイバーなど新規素材の食品利用,香気 成分と食品マトリックスの相互作用.ヒト が美味しさを評価するとき,味,香り,物 性がどのように相互に影響しあっているの か,興味をもっています.アカデミアと産 業界の連携(互いの立場を尊重し,互いの メリットを引き出せるような関係の構築)
に何らかの形で貢献できればと考えていま す<趣味>音楽鑑賞・演奏,読書,愛犬と の散歩