1月4~5日 北設楽郡東栄町足込 花祭
小学校横の公民館が花宿である。道路の左崖下にあって、夜目にも公民館の前に建てた幟が白く見え、自動車を 降りたとき囃子の音が道まで流れていた。急いで馳けつけると竈の前の撥の舞の途中であった。
公民館である花宿
落ついて見たのは次の市の舞からである。
天井裏の天の祭の替りにこゝでは公民館の一部が 2 階家になっていてその南側のガラス窓の窓ぎわに天の祭の祭 壇がある。儀式は終ったあとであった。中央に5色の幣、剣鉾を飾り、75の膳、ご**を1列に並べてある。膳に は払銭もある。灯明の蝋燭をあげ、1人の天の番がついている。これは見物人の監督も兼ねている。火鉢の火も守っ ている。これは初めて見た。
竃の上の湯蓋、びやっけは他所より、やゝ小型のようであり、流花のびやっけは湯蓋と神座との間に詰めてある のではなく天井一面にちりばめてあった。舞戸が広いせいもあったのであろう。神道は随分、4方とも長い。竈は他 に比べて相当大きい。且つ芝が貼ってない上部は蓋のみが見えるだけで一見した所湯釜がかけてあるのか、ないの か分らない。又舞の間に蓋の上で松明を焚しことはなかった。その代りに、湯蓋の間に相当大きな電灯がつききり であった。竈の口の左右には、小さな幣帛が挿してあった。せいとは舞戸の土間の外公民館の廊下にあたる所にあ った。
数10束の花の御串は神座の後の欄間に並べてあった。
市の舞、1人。ゆかたびらの上にゆはぎをつける。左手に扇と榊を持ち、右に鈴、鈴は最初鳴らぬように手の所で なく鈴の上を包むように手に持って舞う。舞上手の1人がやるらしく、この人は後の地固めの舞にも出た。
地固めの舞。扇の手。やちごまの手。剣の手の3折
最初見たときから、可なり達者なせいとが数人、舞よりも派手に舞戸を占領しているような形であった。京都の 芸能史研究会の10数人の見学団が客席にずらりと並んでいたが、せいと衆は、これ等の人達に対しても一面知的な 悪態を飛ばしていた。舞戸へ飛込んでいって尋ねたところ、足込から頼まれてわざわざ本郷からやって来た、知識 人のせいとの1 団で、もうすぐ時間になったら一同、軽三輪車で帰るのだとの話。折に先生の話や、早川さんの説 をよく理解していて、話のわかるせいとであっただけに何か芝居をやっているような風にも見えた。
花の舞、扇の手、盆の手、湯桶の手の 3 折の次第は変らぬがこゝでは、どの舞のときも舞子は出現のとき、みょ うどの肩車に乗って現はれた。而して神部屋から神座へかゝる花道で既に囃しに合せて肩の上で舞の手振を見せた。
みょうどは何れも白のゆかたびらを着ていて、舞戸へ降りると 3 人共序列をたゞしてから舞子を肩から降ろす。而 して舞子が舞う間始終その外側につききりで舞子を指導した。
舞終ると再び肩車に乗せ、神部屋へ帰るが、そのあとで、みょうどのみは舞戸へ引返して順の舞を舞う。これを 願の舞ともいう。舞の手はやゝ簡単で10分位、これは扇の手、盆の手、湯桶の手共にその終りのあとに続いた。
この頃から始めて正真しんめいのせいとがぼつぼつ現われたといってよい。が概して足込は人口の少ないせいも あり、3方が山で囲まれて隣村も少ないせいでせいとは、温和しく、少ない。
花好きの数人が中心になって足込の花を支えているといった印象が強く、その人達も毎年いろいろな役を掛持ち でやらねばならぬといった現状であった。「うたぐら」も 2、3 人の人が同じ歌詞を歌うのが多く、せいとは殆んど
「テロレー」と振子を繰返すのみであった。
次にやまみの鬼。三ツ舞 3 折、土かき鬼であるが鬼面は足込のはあまり大きくない。却って伴鬼の面によいのが あるようである。面役のものが練習の不足からか温和しい鬼舞であった。
やまみの鬼は青色で、衣装も襷も黒である。伴鬼は赤2、青1、鍼には榊1字を書く。但し、やまみの用いる大鍼 は字が書いていない。三ツ舞の舞子が松明を持って出る(2人)が松明は逆手に持つ。楽を聞く所作はない。へんべ の終りの頃、伴鬼共に4方より竈に歩をかけ、鍼の背の方で釜蓋を打つまねをする。
やまみが退場して後、せいとが伴鬼をこづき廻して仲に退場させない。盛んに「この鬼は馬鹿ぢゃ」と囃子の拍 子に合せて、伴鬼をからかう。
三ツ舞。扇の手の最初は鈴をやはり掌に包むように持って舞う。竃の周囲の舞の場合、注意されることは、神座 を正面として裏に廻ったときは舞の力を落して動作も緩やかに休む体勢に入るらしい。
やちでまの手、つるぎの手
剣の手の始まるころはもう翌朝5時頃、1番眠くなるときで見物も大かた2階で火鉢にかじりついたり、せいとの
火に集って舞戸は淋しい。がこのときのつるぎの手の舞は立派であった。最初、つるぎのつかを採って舞い、次い でまっさきを持って舞う。みやうどの花好きに頼まれて、せいとになる。みやうども自らせいとに加わる。
榊鬼はもうはっきり夜が明けもってから出た。榊鬼の面も他所のものより小さい。鼻に段のある先のとがった面、
赤、衣裳も赤、祢宜との問答は祢宜が舞台への段を下りたところでする。
荒れ狂うことはなかった。釜わりの所作はある。びやっけあふぎをするとせいとの 1 人が言っていたが、やらな かった。これはせいとが朝鬼(茂吉)と間違っていたためかと思われる。
ひのねき、扇は都合で四つ舞のあとになったようで午過となるらしい。四つ舞のゆはぎの手が榊鬼につゞいてあ った。