田 村 奈保子
は じ め に
映画『この世界の片隅に』は,2016年2月の公開以来ロングラン上映が続 き,今なお名作としての評価が高い作品で,すでに多方面からの分析・批評が なされている。本稿では,本作に描かれた権力と結びつく社会秩序と個人の関 係を考えたい。主人公すずの自己形成がいかに当時の社会に影響されたものと して描かれているかを通して,それを考察していく。本作の特徴の一つは,す ずの成長が物語の中でゆっくりと展開され子細に描かれている点である。また 絵を描くことを重要な自己表現の手段とするというすずの人物設定も着目に値 する。これらの観点での考察はすでにある。すずの成長の描写については,何 より監督である片淵須直自身が「『この世界』という作品は,曖昧な主体を持 つ人の存在の焦点が,だんだんと結ばれていく作品だと思う」2と述べている。
斎藤環はこの発言を重要とし,こうした描き方を稀有とした上で,幼いすずが 結婚し家庭に入り「母」になっていく過程がゆっくり描かれることを通して彼 女の存在を観客に理解させているとしている3。またアニメの表現特性と重ね 合わせ,「レイヤーがいくつも重ねられていく過程で,『すずさん』の存在が補 完されていく」とも述べている4。絵を描くことについては,右手の問題とし て考察している論考がある5。また,「大文字の歴史」6や「反戦映画」7の観点 による考察もある。それらを踏まえ,本稿では,物語の展開を追いながらすず
映画『この世界の片隅に』
1に
見る社会秩序と個人
の言説や行動から自己形成の過程を読み解き,そこから社会秩序と個人の関係 を読み取りたい。その考察を通して,人は時に誤った社会秩序に従わざるを得 ないという不条理が浮かび上がるだろう。また,本作が人々の心に大きく訴え た所以も探りたい8。
1.言語=秩序の世界へ
物語は,8歳の主人公すずが家族と暮らす広島の江波からたった一人で市の 中心街である中島本町に海苔を届けに出掛けてくる場面から始まる。冒頭には
「うちはようぼーっとした子じゃあ言われとって」とのすずの独白がある。す ずは風邪をひいた兄の代わりに家の使いで出掛けてきたのだが,親に用意され たであろう届け先への説明を礼儀正しい口上として何度も唱えて練習してい る。そして,兄と妹にお土産を買って帰ろうと物の値段を確認する。それが キャラメルやヨーヨーであるのはいかにも子どもらしいのだが,ともあれ,挨 拶もお土産の値段の確認も大人たちのしきたりの世界へ入っていくことであ る。
描かれた土地や背景の細やかな再現に着目することは,作品の豊饒さの源を 探るだけでなく,その本質に迫る上で重要である。本作,特にこの冒頭部分が 綿密な時代考証の上に描かれていることにはすでに何度か言及がなされてい る9。何より監督自身が「『絵で描く』アニメーションは,偶然が入り込まな いと言われているんです。ところが,歴史的な事実が背景にあると自分たちが 意図しないものがどんどん画面に入り込むんです」10と語るほど,当時の様子 を再現して制作されたということだ。そのような描かれ方がされた本作の音楽 的幕開けは,キリスト降誕を讃え現在でもクリスマスに歌われる讃美歌「神の 御子は今宵しも」11である。江波からやってきた船上のすずの後ろでこの曲が 静かに流れ出し,やがてサンタクロースに扮装した人の姿12も見られる商店街 の描写まで音量が高まりながら流れ続ける。とすれば,昭和初期の年末の広島
にキリスト教という欧米の文化がすでに根付いていたことになる。昭和8年と いうこの時代の市民生活へのクリスマスの浸透ぶりに驚かされるが,実際クリ スマスは当時の日本文化に根を下ろして久しかったようだ13。しかし,この描 写はひとつの解釈,つまりキリスト教が物語を大きく規定しているのではない かという思いをよぎらせる。これは筆者の思い込みに過ぎず,監督の意図とは 異なるだろう。というのは,監督自身が,原作にはないクリスマスシーンを物 語の起点にしたのは第二次世界大戦が終戦の8月とだけ結びつけられがちなこ とを避けるためだ,と明かしているからである14。しかし,クリスマスは単な るイベントとはいえ一神教であるキリスト教の祝祭である。これが「天皇制」
という絶対的一者を頂点とする戦時下の社会体制の比喩ではないのかと考えた くなってしまったのだ。さらには,多分これも行き過ぎだろうが,明治期に流 入した西欧的な思想と結びつくものとして,日本が西欧の列強同様覇権を争う 国に変質したことを思わせると考えてしまう。キリスト教の教えを批判してい るのではない。宗教が制度=秩序に結びつけられてきた歴史を思い起こしてい るのみである。物語に戻ろう。とはいえ少し先取りにはなるが,年末の広島行 きから一年半後の夏に兄妹と三人で祖母宅を訪れる際にも,お使いと挨拶とい うエピソードは繰り返される。転んで泥まみれの姿で祖母宅に着くことになる が,「子どもでおるんも悪うはない。いろんなものが見えてくる気がする」と,
すずは大人の世界を意識しつつもまだ子どもの側に身を置いているようだ。
中島本町に話を戻すと,8歳のすずは,冒頭で自身を「ぼーっとした子」と 評したように,まだ世慣れしていない子どもである。そのためか人さらいに遭 うが,機転を利かせて一緒につかまっていた男の子とともに難を逃れる。人さ らいは化け物の姿で表わされており,無事に帰宅したすずはその出来事を,異 界にふれたような体験として,紙芝居に描いて妹に笑って話す。
すでにここまでに,様々な解釈を促す徴が現れている。小さな子どもがお使 いの目的=使命を大人の言葉で教え込まれ,それを何度も繰り返して覚える。
言語の獲得と秩序の世界への移行がここに見てとれる。ここでいう言語の獲得
と秩序との関係は,時代や社会・文化的背景を考える際,それらが頂く絶対的 一者,つまり価値観の最上位にあるものを象徴的に言語,知,権力,秩序,
法,神などとする父権的な考え方を援用する。家族的な人間関係に守られた小 さな環境とは異なり,大きな街15には社会の秩序と悪意さえ(人さらいが具 現)もが存在する。とはいえ,すずには大きな街の秩序の意味がまだよくわか らず,身に迫った危険も,言葉より絵という表現,つまり抽象化を経た言語と いう共通認識の下での伝達方法よりも個人的で想像的・具体的な表象で,それ を解釈し伝えようとしている。これはまだ片足を言語化以前の段階に残してい ると解してもよいだろう。もちろん,そうした分類のみですます問題ではない が,絵に描いて物語として解釈するのはすずなりの表現方法であると考えるこ とは,この後のすずの自己のあり方の考察にも意味を持つ。斎藤環は,すずの
「幻想」ともいえるこうした現実認識は「リアリズム」を損なうものではない とし,一方当時の社会秩序(「精神」)こそ「幻想」であったとしている16。本 稿もこれと同じ立場をとる。
もう一点,これと対置するように置かれていると解せるエピソードの存在に 着目しておきたい。それは,衣服に書かれていた姓名がすずを結婚に導く,と いうものだ。化け物から解放された男の子はすずの名を知り,「あんがとな,
うらのすず」言って別れていく。命名行為は未分化であった存在を他から分け 目印を貼り,社会の中に位置づけ,他者からの認識に至らせるものである。の ちに夫となる周作はこの時すずの名を知ったことで彼女を特別な存在と思うに 至ったのだろう。名が恋愛における結晶作用の核の役割をもつことはよく知ら れている。そして,この場面ではそこにはどうしても姓名が必要であった。そ れは,結婚とは家と家とを結びつけるため姓を必要とするからだ。このことは 明らかに秩序ある世界でのしきたりである。この結婚には,どうしてもすずを 嫁にという周作たっての願いがあり,姓名を頼りにさがしあてたという経緯が あった。すずには何のことやら見当がつかない。結婚の申し込みにやって来た 周作を家の中に垣間見た時,すずがぼんやりとキャラメルの味を思い出したの
は,机の上に積まれたキャラメルの箱のせいでもあろうが,それも含めて,観 客にあの日の出会いを仄めかすための演出だろう。幼い日の淡い思い出の象徴 に,甘さの中にわずかな苦みを含むキャラメルを選んだことは秀逸である。ほ のぼのとしたエピソードではあるのだが,ここには社会秩序に結びつくという 姓名の象徴的な働きが見える。姓名がきっかけと目印となり,すずは「世界の 片隅」で周作に見つけられ結ばれたのである。
化け物にさらわれるという怪しげな異界の中から制度としての結婚が導き出 されると考えることには,違和感があるやもしれない。すでにふれたが本作冒 頭ですずは「うちはようぼーっとした子じゃあ言われとって」とつぶやいてい る。「ぼーっとした子」であることを自認しているすずは,この日の出来事を 昼間見た夢17として思い出しながらキャラメルの箱を手に取る。結婚とは家同 士の関係,それも当時は男性に妻を持たせることが第一義であり,秩序を逸脱 する関係からは成立し難かったはずだ。異界や夢の中での出会いから結婚に至 るというこうした設定は,本作の物語の妙ともいえよう。この結婚は当時の秩 序からある意味で外れ,外的・人為的な結びによらない運命的な(それを「運 命」とするならば)出会いの側面を持つと解することも出来るし,男性側から の一方的な申し出とはいえ,何より個人の意志が見てとれる。斎藤環は,「本 作には人との出会いを表す言葉として『運命』という言葉は出てこない」と し,戦争が個人の「固有性」を奪い,「運命」より「確率」の世界で生きるこ とを余儀なくしている18と述べ,自己意識について考えることすら贅沢だった としている19。確かに戦時下に個人は顧みられることが少なく,生死までもが 確率の問題に還元されるほど過酷な状況であったのだろう。自身の命を第一と せざるを得ない状況下では他者の認識には疎くなるものかもしれない。当時は 結婚が家同士の関係に基づく極めて社会的な決まり事で,出会ったことのない 相手と夫婦となるのが不自然でなかったことも,これと同根と考えられよう。
しかし,本作にはそれでは測れない他者への思いや感情がたびたび現れる。そ れこそが本作の魅力でもある。「運命」の語は現れないかもしれないが,異界
や夢の中でのような形で描かれる出会いやそれに際しての個人の意志を感じさ せるいくつかの挿話20が本作を彩ってもいる。
2.大人になる=自己の形成
こうしてすずは,広島の故郷の村を離れて軍港のある呉に嫁いだ。すずに は,絵がうまくやさしい素直な人柄であることを除けば,特別な取柄はなさそ うだ。「ぼーっとした子」と自認するすずだが,「うちは大人になるらしい」
と,さすがに結婚を大人になる契機としてとらえている。しかし,その移行は それほど簡単なものではない。生まれ育った小さな町では家族や親しい人たち に囲まれ,「ぼーっとした」まま生きていけた。存在のあり方や自身の外形,
つまり他者から見た自分をそれほど意識しなくても支障はなかったであろう。
しかし,土地も人間関係も新しくなった環境では,「自分はだれ(になったの)
だろう」といやでも自身のあり方に思いが至る。本作の解釈にはしばしば「居 場所」という語が重要な概念として登場するが,本稿での自己はそれと重な る。より広く抽象的な意味での居場所,つまり社会や人間関係における自身の 落ち着く場所を意味するのである。嫁いだ夜「うちはいったいどこに来たん じゃろ」とつぶやくすずのひとりごとが,新しい環境の中への身の置き直しに 伴う心もとなさを表している。翌日実家にはがきを出そうとして,新しい姓を 口にしながら「北條すず」を書く。ところが,北條家の住所がわからない。差 出人名を書いた鉛筆の動きは住所を書こうとして止まる。そこには新たな自己 を自認する機会とその移行のおぼつかなさが表れている。すずはまだ自身の新 しい外形を定めることが出来ず,自己の確立もおぼつかない。この後,地域の 約束事や人間関係を覚え,北條家の嫁として他人に扱われることで自分が誰で あるかを認識し,その役割を負いながら自身の新しい外形を徐々に確認してい くことになる21。
望まれて嫁いだ先とはいえ,足の悪い義母に代わる働き手として早速あてに
され,すずは婚儀の翌日からすぐに家事全般に追われることになる。戦況が厳 しくなる中での物資の乏しさや配給当番への参加,娘を連れて出戻った義姉径 子の小言などに耐え,苦労するすずの姿が描かれている。しかし,すずは素直 にそして懸命にすべてを受け止め,それらに対処していく。少ない食材で野草 まで使って料理をし,着物を裁ち直してモンペに仕立てるなどの努力や技術の 習得は,単なる「ぼーっとした子」では出来ないことである。特に,裁縫はお 嫁にいけないほど苦手22と祖母に言われていたが,それも自分で考え工夫して 身につける。このようにすずは,一家の主婦としての成長を見せている。しか し,それはどの社会においても等しく望まれる成長ではない。現代では,野草 料理や着物の裁ち直しは女性が家庭においてまず身につけなければいけない基 本的な事項ではない。すずは置かれていた社会の秩序や状況の中で価値あるこ とを身につけ,それが成長であると描かれているのである。
それぞれの時代や社会・文化背景において,価値体系が大きく異なることが ある。各文化また個人にとって,具体的な事象は違えど,生きる中で刷り込ま れた価値観には,合理的な説明はつかないとしてもある秩序が敷かれ,有形無 形に行動や思想に制限がかけられることがままある。嫁ぎ先でのすずの成長 は,まさしく戦時下におけるよき主婦のあり方,つまり当時の価値観に従って 評価されるものである。すずは「ぼーっとした子」からその社会で生きる術を 身につけた大人へと成長するよう努力する。時代の要請にそった大人への移行 を遂行していくのである。
しかし,その秩序下に生きる誰もが,そこで生きる術を知ったからと言っ て,そこに完全に自らを組み込んでいるとは限らない。その秩序を真に認め受 け入れているか,思考停止し対処するのみか,の違いがある。すずが絵を描く ことで自身の内的現実を整理し解釈していることを考えよう。すずは他者との 共通理解に適する言語によるのではなく,絵に描くことによって自身で一旦咀 嚼し表現するという方法をしばしばとっている。すずが描く絵には,人さらい が変容した化け物や,乱暴者の兄を表す鬼いちゃん,兎が跳ねているかのよう
な波など,外的現実を自分なりの解釈に置き換えたものが登場する。美も恐怖 も,言語ではなく自身の中で違う形に置き換えて理解し,独自の物語を伴わせ 再構成して表現しているのだ。これは言語による象徴化に似ているが,言語秩 序に当てはめていない意味で完全に同質とは言えない。対象の認識の十全な言 語化は誰にとっても容易なことではない。すずは自分なりの解釈と表現によっ て外界を認識することに懸命に向き合い続けている。すずは他の人々よりずっ と真摯にそれを行っているともいえるのである。「ぼーっとした」子どものよ うなすずは,実は,無意識であるとはいえ,納得できないのなら社会の秩序を 簡単に受け入れることはしないという意志を持っているのだ。戦時下において 海岸線を描くことは間諜行為,つまり秩序を外れていると憲兵に咎められても 腑に落ちないのは,当時の社会秩序を理解しきれていない一例だろう。
また,すずが風景に後ろ姿で描くなど以外の形で人物を主に据えた絵を描か ないことにも意味があるのではないだろうか。それは,自身同様,他人を対象 として一つの形に収斂させ固定したものとすることの困難がすずにはあったか もしれないからだ。その点で考えれば,周作を描いたのが眠る横顔だったこと は興味深い。眠っている間,人は活動を止め,その自己はひとつの存在の中に 納まったように映り,眼差し返されるという遮断を受けることもなく静物のよ うに描きうる対象となる。人物画は出来不出来が問われることも気にかかるの だろうが,自己の確立やその再設定に悩んでいたすずにとって,周作を含む他 者を一つの存在としてとらえきることも困難だったのかもしれない。
結婚とそれに伴う移住と環境の変化に加えて,戦況が深刻さを増す中,すず はその努力にも関わらず戦時下の秩序の中に完全に身を落ち着けているように は描かれていない。すずが心を許すことのできる人物がいわゆる秩序に属さな いことがそれを暗示している。リンと晴美である。
リンはある意味で異界の住人である。祖母宅にスイカの皮を食べに来た少女 はリンと解せるが,砂糖を買いに紛れ込んだ闇市という異界の,そのまた先に ある更なる異界ともいえる遊郭(すずによれば「竜宮城」)で,すずはリンと
出会う。すずがスイカやキャラメルを描き心のよりどころを求めることに,リ ンもすぐに共感する。それは秩序の世界を外れた場所での,遠い記憶の中に あった異界の存在との現在における刹那的で「運命」的な邂逅であり,すずの 心に安らぎをもたらす。映画では明示的ではないが,原作では周作はリンのも とに通い将来を考えた仲であったとされている23。思えば,すずとリンはその 名からして一体である。「リン」とは「鈴」の音の擬音だ。それを思えば,物 語におけるこの二人のあり方に合点がいくように思う。「鈴」を表す名称を名 としてもつすずと,「鈴」の本質でありながら一瞬で消え去る音を名としても つリンは,一つの記号signeであり,周作を挟んで陽と陰をなしている。
一方,径子の娘の晴美は,すずにつらく当たる母親とは立場を同じくせず,
当初からすずになつき,しばしば行動を共にしている。無邪気な晴美と過ごす ことが,秩序ある大人の世界にいることに未だ落ち着き得ず息苦しさを感じる すずに安らぎを与えている。
しかし,呉を襲った大きな空襲がすずからその安らぎを奪う。
備えのために自宅の庭に防空壕を作ったときには,空襲はまだ身に迫る現実 ではなく,そこは周作の愛情を感じる場ともなる。しかし,空襲が生活の場に 侵入する中,すずは秩序の敷かれた世界とそこでの言説や価値への疑問を持ち 始める。義父の歌う軍歌にある「世界平和」とは何なのだろうと,兄が戦死し その弟が出征する家に「おめでとうございます」を言いに行くのはなぜなのだ ろうと,私たちもすずと共に自問せずにいられない。そして,世界の見え方を 決定的に歪める惨事がすずを襲った。呉で空襲に遭遇し,すずから大切なもの が奪われた。晴美とすずの右手である。自分の右側に落ちた爆弾で,同時に失 われたのだった。
その後北條家周辺にも焼夷弾が落とされる。すずは,怪我が癒えない体で人 が変わったように必死で部屋にあがった火の手と格闘する。リンのいた遊郭も この空襲で焼け落ちたと後日知らされる。すずの陰であるかのような存在だっ たリンは,鈴の音のように余韻を残しつつ密やかにここで物語から消える。空
襲の最中,炎から逃げ惑う人たちに重ねられ広島のラジオ局から流れ続ける
「呉の皆さん,頑張ってください」との音声は空疎に響くようにも感じる。こ のあと,様々な窮状の中,大人たちは不幸中の幸いを見つけて「よかった」を 繰り返す。「あんたが生きとって」「熱が下がって」「(爆弾が)不発で」「消し 止められて」「(すずの腕の)治りが早くて」よかったというのである。「どこ がどうよかったんかうちにはさっぱりわからん」とすずは独り言つ。日常の所 作のみでなく世界の認識と表現のための手段であり,その意味で思い出の核で もあった右手を失ったことで,もう疑問は疑問では収まらない。歪んでいるの は秩序か自分か。「いがんどる。左手で描いた絵みたいに」というすずの言葉 は象徴的だ。斎藤環が述べたように,歪んでいたのは当時の秩序だったのだと 現在の私たちにはわかる。しかし,その只中にいるすずには,やはり当時の秩 序は絶対なのだ。周囲の大人たちの発言は,それがおためごかしと知りつつ発 しているにせよ,すべてがごまかしや嘘の羅列であり,「よい」「悪い」の判 断,つまり秩序をなぞるものでしかない。「うれしい」「悲しい」という感情に は無縁なのである。隠していた心のうちを理解してくれている周作の問いかけ に「そうです,そうです,全部そうです」と頭では認めながら,思わず「ちが います!」と叫び心を閉ざすすずの姿から,秩序から解放されたくもその思い を無理やり押さえつける苦しさが感じられる。「ぼーっとした子のままでいた かった」というすずの思いは単純な成長の拒否ではない。受け入れがたい自己 への移行への抵抗なのである。現代,平時の日常においてさえ,人は自分の思 いにどれだけ忠実に生きられるだろうか。生きにくさを感じても,深慮するこ となく社会の要請に合わせて構築した自己を生きることがあるのではないだろ うか。戦況が悪化する中襲った事態の急変,つまり,晴美を守れず,右手を失 い,その後も怪我のため家人に世話にならざるを得なくなったこと ―― これも 左ではなく右側に爆弾が投下されたという「確率」によるもの24―― で,それ まで努力して作り上げようとしてきた北條すずとしての自己を保つことがすず には困難になる。
しかし,いたたまれず広島の実家に帰ろうとしていたすずに変化が訪れる。
それはすずにつらくあたっていた径子の言葉がきっかけであった。「すずさん の居場所はここでもええし,どこでもええ,下らん気がねはなしに自分で決め え」と径子に言われ,すずは心を動かされる。思えば径子も自身の居場所を失 い,実家に戻った身であった。そして,この言葉を受け,すずは北條家を居場 所とすることを決意する。広島に原爆が投下されたのはこの直後であった。知 らせを聞いて,すずは髪を短く切ってまで物資を運ぶ活動に加わると申し出 る。北條家で生きること,つまり北條家という「居場所」を自ら選び,さらに は戦時下の社会の要請を受け入れることをほとんど同時に決意したのである。
晴美とリンの死,自宅への空襲,原爆投下を経て,すずは社会の秩序を受け入 れ,戦時下で生きる自己の確立を果たそうとした。降伏を促す米軍からの伝単 を拾いながら,暴力に屈しないと決意する。そして,「何でも使うて暮らし続 けていくのがうちらの戦い」と,日常を戦いの場ととらえる。これは,すずが 北條家の嫁としてだけでなく,戦時下の秩序を真に受け入れて生きる大人への 移行の直接的な宣言であった。
そのような中,残酷なことにほどなく終戦の日がやってくる。すずは玉音放 送に愕然とし,「終わった,終わった」とうそぶく径子25や冷静に敗戦を受け 入れる近隣の女性たちの言葉に,「最後の一人まで戦うんじゃなかったんか ね?」と声を荒らげる。戦時下の社会の要請をやっと受け入れたすずは,体制 の終了を意味する終戦を俄かには受け入れられない。決意をもって自ら選択し た価値観が終戦によっていとも簡単に崩壊するのを見て落胆する。「飛び去っ ていく。うちらのこれまでが。それでいいと思ってきたものが。だから我慢し ようと思ってきたその理由が26。(下線は引用者)」というすずの言葉にそれが うかがえる。第一義としようとしていた戦時下という状況とそこでの秩序(=
「理由」)が意味を失ったのである。すずには終戦による秩序からの解放を素直 に喜ぶことは出来なかったのだろう。周作父子は「ここに至ってなお秩序を守 るのが法務の仕事」(父),「海軍を解体するまで何があっても秩序を守るのが
法務の仕事」(周作)と終戦後の軍の整理に揃って「秩序」という言葉を使っ ている。ここにはまさしく社会において戦時下特有の秩序や価値観を軍が担っ ていたことが表れている。
確かに,社会の秩序=価値観を受け入れることはその共同体の中で生きてい くために必要でもある。その際,抵抗や疑問を感じることなく無自覚無反省に それを受け入れることも多い。もちろんその秩序=価値観が人道や真実にそっ たものであれば問題はない。しかし,本作で描かれているのは戦時下の社会 だ。その秩序が誤ったものだったとしても,熟慮することも受け入れを拒むこ とも難しかったのである。
社会の要請に抗わずそこでの言説をなぞることで受け入れたふりをするので はなく,我が身をその秩序に投じる決意をしたすずの,終戦に際しての衝撃は 容易に解せる。海軍に入った同級生の水原は,すずを「当たり前のことで怒っ て当たり前のことで謝る」普通の人と言った。この「普通」とは,社会の価値 観に自らを無理に迎合させることなく,自身の思いや喜怒哀楽に素直に生きて いるという意味であろう。元来人は誰でも「普通」に生きられるはずである。
水原が別れ際にすずにかけた言葉「お前だけは最後までこの世界で普通でまと もでおってくれ」が思い出される。水原とて,事故死した兄の後を追って海軍 に入隊したこと,そして自身も戦死するであろうことを当然とするのに疑問は 感じているのだ。しかし実際には,社会の秩序を気にかけず生きようとすれば 困難を伴うことが少なくない。だからこそ水原はすずが「普通」でいられるよ うにと思いやったのだ。多くの場合,人はその困難を避けるために,社会の価 値観を表面的また無反省に受け入れ(たふりをして)生きることを選びがちで ある。その価値観が正当なものであれば問題ない。周囲との協調のためならば それも強ち悪くはないだろう。とはいえ,先の大戦下のような絶対的な価値観 の存在がない現代でも,私たちは時に社会の要請を受け入れて生きることに息 苦しさを感じる。それは,現代においても人がある絶対的(としてしまってい る)価値観の呪縛から自由でないことの証である。
3.社会の変化と秩序の転倒を描いた作品例- 『るろうに剣心』
27日本は革命と言うほどの権力の全的転倒は起こっていないとされている。西 欧での市民革命は,字義通り市民の優位を求めた闘いであった。一方,日本が 経験した時代の大きな変化の歴史においては権力層が交代したのみであり,市 民はいつもそれに巻き込まれ,秩序の転倒に惑わされてきた。本作が描いた第 二次世界大戦の敗戦は,それまで続いた天皇制に基づく価値観を大きく変える ものとなった。このこともその一例であることは言うまでもない。
ここで別の作品を例に挙げたい。第二次世界大戦以前で直近の大きな価値の 転換点は明治維新時であろう。それを時代背景として描いた映画『るろうの剣 心 -京都大火編-』,『同-伝説の最期編-』(ともに2014年)は,ともすれ ば,野心に憑かれ武力で権力を手に入れようとした非道の者たちと戦う名もな き英雄たちの物語と解されがちだが,そこには権力者同士の争いの末の秩序の 転倒に翻弄された者たちが苦悩する姿が描かれている。
まず物語を概観したい。一見平穏が訪れたと見えていた明治の世,その時代 の到来の裏には多くの犠牲があった。江戸時代末期,維新派は腕の立つ剣客た ちを雇い暗殺を行わせていたが,役目が終わると彼らの貢献を表に出せないも のとして闇に葬った。生き残った者たちには,自分の行いを悔いる者,新政府 を恨む者,悔しさを収め切れず独自の価値観の中で生きる者たちがいた。その 中から政府に復讐を目論む者が現れる。維新側隠密として暗殺の功績をあげな がら裏切られ殺されかけた志々雄真実は,新時代にはそぐわない武力での政府 の転覆と日本征服を目指したのだ。志々雄の下には生きづらさを憎しみに変 え,力での支配を支持する者たちが集まった。明治政府は人斬り抜刀斎の異名 を持つ隠密であった緋村剣心に志々雄一派討伐を依頼する。
主たる登場人物たちはそれぞれの立場で敵味方となり戦うが,彼らは明治維 新での価値観の転倒に新環境での自己の再構築が不可能であるほど翻弄されて
いた。志々雄の下には,廃仏毀釈政策,吉原閉鎖などで自らの存在意義を失っ た者(僧,花魁)たちがいる。小さい時の虐待が元で笑いながら人を殺すとい う道徳的秩序自体が機能していない者もいる。また,四民平等という新たな価 値観を受け入れられず武士としての矜持を捨てられない者にも,新秩序の受け 入れ,つまり新たな自己の確立の困難が引き起こされた。こうした困難は,時 代の価値観に自らの存在意義を大きく委ねて生きてきた者にこそ強く起こった ことであった。
そして,物語には権力対個人の構図がある。国=体制は,幕末には隠密た ち,志々雄との戦いでは剣心ら,つまり官制軍隊ではなく個人に大きく頼って いる。しかし,国は自らを守るために都合よく個人の力に頼るが,その功績は 軽んじる。軽んじるどころか都合が悪くなれば闇に葬る。剣心が不殺の誓い28 を立てたのは,暗殺を命じられ斬殺した武士に家族が取りすがって泣く姿を見 たことが大きな契機だった。このとき剣心は,個人は体制に属していたとして も,個人としての生活を持っていることに気づいたのである。『伝説の最期編』
で志々雄の船が沈むのを見ながら伊藤博文が言う「侍たちに敬礼! 」は,真に敬 意を表したものではない。都合の悪い前時代の遺物を葬り去ったことを喜ぶ体 制側の安堵の叫びでしかないだろう。戦いあった者たちの本来の敵は,急進的 に新しい価値形成を強いた体制側であったはずである。この作品にも社会の価 値の転倒が個人の自己のあり方やその再構築に大きな影響を与えることが通奏 低音として流れている。
こうした大きな価値転換に翻弄された個人の物語は,従来の歴史観の中で詳 しく語られることは少なかったのではないだろうか。もちろん,第二次世界大 戦後その評価を転倒させられた軍人やそれに類する人々がいたことは知られて いる。例えば画家藤田嗣治はそれにあたるだろう。従軍画家としての戦中の活 動が戦後藤田の価値を貶めることになったのだ29。その後再び渡仏し二度と日 本に戻らなかったのも,このことが大きな理由であったとされている。こうし たことが最近になって語られ始めたのは,歳月が流れ一種の禁忌が解かれたか
らだろう。またそれは,歴史理解のあり方の変化にもよるのかもしれない。
4.大文字の歴史から個人の物語へ
今日,いわゆる「大文字の歴史」から個人史,民衆史へと歴史理解の志向が 変化している。このことは現在日常的にも感じることができる。戦争や災害 を,国=体制の側から見た原因や経緯の概略,場所や年号,被災者の数などで 十分に説明しうるものとせず,それに巻き込まれた人々の人生や当時の生活を 取り上げることでこそ災禍の真の悲惨さを伝えることができるとした考え方が あり,報道や作品,記念館や資料館のあり方にも影響している。私たちは今ま さに,不条理に災禍に巻き込まれた人々の物語が語られる(ことを欲する)時 代にいるのである。それを知ることで私たちは,時空を超えて,その惨禍を身 に染みて感じ,見も知らぬその人たちの苦しみに心を寄せるのである。『この 世界の片隅に』は,まさしくこの立場で戦争を描いたものである。この作品が 反戦映画であるか否かが議論されることがあるが,現在第二次世界大戦を描く ことにそもそも反戦でない立場があり得ようか。この点が問題とされたのは,
本稿で述べたとおり,本作が当時の社会秩序を受け入れ(ようとしてい)た形 で描かれている点,またおそらくその意味で明示的また声高に「反戦」を謳っ ていない点によるだろう。このことと作品が大文字の歴史の立場で描かれてい るか否か(当然答えは否である)は関連する。そして,その立場で描かれな かったことこそが着目されるべきであろう。多くの人々の胸を打つ作品となっ た所以はそこにあるからだ。斎藤環は本作の魅力を語る際,本作に寄せられた 批判はわずかで,政治的視点の欠如と史実としての不正確さのみとしている30 が,本作が「大文字の歴史」の視点から戦争を描いていないことからして,そ れらが十分でないという指摘は至極当然である。
以上,本稿冒頭で述べたこの物語の特質すべき点,すずの成長における丁寧 な描かれた方を,秩序=価値観の受け入れの経緯という視点で追ってきた。す
ずはなかなか当時の秩序=価値観を受け入れるに至らず,あたかも子どもがす るかのように日々の困難一つ一つに対処して乗り越えることに腐心していた が,戦禍の肉薄つまり空襲や原爆投下により自身や周囲に降りかかった大きな 不条理を契機に,それに耐える理由として戦時下の秩序を受け入れることを決 意した。しかし,その直後に秩序自体の崩壊を目の当たりにする。この急進的 な物語の進行は,当時の一般市民が誤った価値観の中に身を置かざるを得な かった状況や価値の転倒に翻弄された様を先鋭化し,私たちに強くそれを印象 づける。ここまでの考察を通してそのことが理解されただろう。
戦死した鬼いちゃんは石ころに,被爆した青年は母親さえ見分けのつかない 姿に変わり,巷では人違いが頻発する様子も描かれる。そんな「失認」31に備 え,すずは周作を北條家で待つことで,周作はすずの顔のほくろで,互いを見 つけられるだろうと言う。しかし,戦禍が直接二人に及んでいたとしたら,そ れでは補いきれない「失認」を起こさせたかもしれない。それが起こらなかっ たのは,二人が生き延びたという「確率」に負っている。そして,終戦を経て すずがたどり着いた「居場所」は,呉でも広島で北條家でもない。そのままの すずを受け入れてくれた周作の存在であった。終戦後の広島で,二人は初めて 出会った橋の上に立ち,お互いの存在を確認する。そこでの姓名を目印とした 遠い日の出会いは,結婚という形で結ばれた後,戦争を挟んで,また同じ場所 でその絆を強くしたのである。
物語の最後では,すずが孤児とともに生きることがほのめかされている。少 女は,命を得る前に失われた子32の出現,なり得ていなかった「母」への移 行,そして晴美の再来として,すずの自己の新たな再生を暗示する。この出会 いには,戦時下のような過酷な状況では希薄になりがちな他者を助け引き受け ようとする意志や感情が感じられないだろうか。この孤児との新しい家族の形 成は,強大であった秩序の力から解放された個人の幸せへの意志が導いたもの だったと解せる。このことを戦時下には奪われがちであった「個」としての人 間性の復権と捉えれば,人は「固有性」を剥奪され「確率」が「運命」を支配
すると戦時下を評した上述の斎藤の考察は,反証として正しい。
終戦の日の夕食の支度に取りおいていた白米を少しだけ炊くのだとして「ま だまだ明日も明後日もある」と言った義母の言葉を思い出したい。そこには,
これからも日々が続いていくという当たり前の思いを口にすることができた安 堵が表れている。続いて,空襲を恐れて電灯を覆っていた黒い布が外され,す ずたちが住む集落があるであろう高台の中腹に明かりがぽつぽつと灯り始める 様が描かれる。爆風で北條家の庭まで飛ばされてきた障子に家族の暮らしが 映っていたことも思い出される。明かりの下には何気ない日々の暮らしがあっ たのである。エンドロールの背景に映し出される孤児だった少女の成長も,戦 時下には得難かった日常がその後続いたであろうことを示唆している。
結びに変えて
以上,映画『この世界の片隅に』を,言語,名前,秩序=価値体系などの観 点で,社会における個人にあり方について考察した。そして,時代が課す秩序 が自己の形成に影響し,それに翻弄される市民の姿が描かれていたことを読み 解いた。人はどのようにしてなりたい又はなるべき自己になるのだろうか。そ れは多かれ少なかれ社会秩序によって規定される。繰り返すが,その秩序が望 ましくない場合もありうる。過去のある時代の価値観やそれにそって生きた 人々を,現代から見て「違和感を覚える」「まちがっている」と言うのは簡単 なことである。しかし,大切なのは一旦その(誤った)価値観の中に身を置 き,そこから感じる違和感を受け止めて考えることではないだろうか。過去か らの学びとはそうした理解により一層深められる。また,この物語は「大文字 の歴史」の立場からではなく,すずというひとりの市民の視点から戦時下の状 況が語られたわけであるが,その時代には多くのすずさんたちが存在してい た。彼ら彼女らに思いを馳せながら,私たちは過去から多くを学びたい。
1 本稿では映画『この世界の片隅に』(監督:片淵須直,2016年)を考察対象と する。原作,こうの史代『この世界の片隅に 上・中・下』(双葉社,2007- 2009.),ドラマ化された作品(2011,2018)もあるが,本稿では分析対象とはし ない。原作の一部のみ参照する。
2 斎藤環「『この世界の片隅に』論 すべては「すずさんの存在」に奉仕する(映 画『この世界の片隅に』:描くこと、生きることを照射する、傑作をひもとく)」,
『美術手帖』69 (1049),2017年2月号,美術出版社,p.109。
3 斎藤環「この世界の片隅に:『世界観のモンタージュ』としてのキャラクター」,
『現代思想 総特集 現代を生きるための映像ガイド51』2018年3月号46 (4),
青土社,p.191。
4 斎藤環,同論文,p.189。同,前掲論文,p.111, p.117。
5 斎藤環,同論文,p.113。同,前掲論文,p.190。土居伸彰は,すずの描くと いう行為を「世界を手探りで理解し,自らの居場所を探る試み」という。「私た ちの右手の行方」,『ユリイカ』2016年11月号,48(16),p.98。
6 雑賀恵子「覚え損ねたあの人の記憶/書き留められた大文字の歴史」,『ユリイ カ』,前掲書。
7 紙屋高雪「『この世界の片隅に』は『反戦マンガか』」,同書。
8 橋本陽介は,本作の描写が直接登場人物の心情を言語化せず情景描写により間 接 的 に 表 現 し て い る と し て い る。 橋 本 陽 介『 物 語 の 基 礎 と 応 用 』, 講 談 社,
2017,pp.224-228。こうした手法は叙情性を生むと同時に,観客に描写の意味 の読解,感情移入ひいては共感を促すこととなろう。本稿では立ち入らないが,
重要な観点である。
9 『「この世界の片隅に」公式ガイドブック』,双葉社,2016年,pp.48-49。土居 伸彰,前掲論文,p.96。藤津亮太「アニメ史の中の『この世界の片隅に』」,『ユ リイカ』,前掲書。及び注2参照。
10 「インタビュー 片渕須直 生活への敬意、記録への情熱」,『ユリイカ』,同書,
p.95。
11 讃美歌111番。この曲の正確な来歴は不明であるが,日本における讃美歌の歴 史は古く,カトリックの最初の讃美歌集とみなされる『讃美のうた』は1874(明 治7)年に刊行されている。プロテスタントでは,諸派共通の讃美歌のほぼ原形 とされる『讃美歌』が1903(明治36)年に刊行されている。Cf. 鈴木範久『日
本キリスト教史 年表で読む』,教文館,2017年,pp.200-201。
12 ショーウインドウにも太鼓を体の前に抱えたサンタクロースの人形も飾られ ている。サンタクロースが日本の玩具にすっかり取り入れられている様子がわか る。
13 日本におけるクリスマスの歴史は古く,すでに1874(明治7)年に日本人に よる最初のクリスマス祝賀が行われ,広島での描写にあたる1933年には大衆化 していたとされている。(堀井憲一郎『愛と狂瀾のメリークリスマス なぜ異教 徒の祭典が日本化したのか』,講談社現代新書,2018年,pp.84,142-145。)堀井 は本作について敵性音楽となるジャズが密かに楽しまれていたことを表す場面
(周作の父がいる病院)が本作にあると指摘しているが(ibid.,p.178.),讃美歌に 関する指摘はしていない。なお,堀井は,クリスマスは宗教としてのキリスト教 の浸透とは関連せず,むしろその浸透を押しのけるために広がった祝祭と考察し ている。キリスト教忌避の背後にはキリスト教国である西欧列強への日本政府や 軍部の畏怖と劣等感があったものと推察されるが,本稿ではこれ以上立ち入らな い。
14 Cf. 「『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』12月20日公開決定 クリス マスの公開する意図は?」https://animeanime.jp/article/2019/03/30/44543.
html(最終閲覧日2019.12.4.)
15 筆者はこれまでも小さな町と大きな街という概念を用いて作品分析しており,
その図式はここにも当てはまる。田村奈保子「教材としての映画:『魔女の宅急 便』の精神分析的考察」,『行政社会論集』第26巻第3号,福島大学行政社会学 会,2014年。同「『悪童日記』 ―― 望ましい世界の希求,『商学論集』第84巻第 3号,福島大学経済学会,2016年。
16 斎藤環,前掲論文,『美術手帖』,p.115。
17 夢とは作中よく繰り返される言葉であり,「ぼーっとした」すずは現実を夢の ようにとらえることがよくある。里帰りしたすずは,うたた寝から起きたとき,
呉に嫁いだと夢に見ていた,と口にする。また,のちに周作と呉の町を歩きなが ら,すずが嫁ぎ先の生活を夢ととらえ,過去と現在のどちらかが夢だと考えてい る場面がある。齋藤環がすずのレアリスムについて触れていたこともこれとつな がるものであろう。注17参照。一方,終戦後の広島での周作の台詞「過ぎた事,
選ばんかった道,みな冷めた夢と変わりやせんな。あんたを選んだんはわしに とって多分最良の現実じゃ」は,截然とした現実認識としてこれと対置するよう
に置かれている。
18 斎藤環,前掲論文,『美術手帖』,p.116。
19 同論文,p.109。
20 遊郭でのリンとの出会い,北條家に訪ねてきた水原との再会,終戦後の孤児 との出会いなどが戦時下の日常を逃れた場での出会いとして考えられる。
21 のちに周作と呉の街を歩きながら,「名字も住むところも変わって,困ること だらけ」と口にしている。この時には,すずは北條すずとしての新しい自己を獲 得しつつある。
22 届け物に行くすずが化粧が下手で周作が恥をかくと径子にいさめられる場面 がある。これも子どもらしさが抜けきらないすずが大人(の女性)になることが 促されていることを表す描写である。ただ,家に尽くす嫁に必要とされる裁縫 と,妻(=女)として価値は同義でない。周作も化粧をしたすずに女性としての 魅力を感じている様子は見えない。
23 こうの史代『この世界の片隅に』,中巻。
24 土居はすずの右手は「少しの差で『向こう側』へと消えてしまった人たち」
と同様であるとし,その人たちの生に意味を与えたいとしている。前掲論文,
pp.102-103。
25 その言葉や態度も本心ではない。径子は路地に隠れて晴美の名を呼びながら 泣く。人前で秩序に違う本心を見せることは憚られるのである。これはいわゆる
「恥の文化」に由来する行動ととれる。
26 これに続いて「海の向こうから来たお米,大豆。そんなもんでできとるん じゃな,うちは。だからこんな暴力に屈せんとならんのか。」と,日本も周辺諸 国に侵略行為を行っていたことを悟る言葉がある。
27 『るろうに剣心 -京都大火編-』,『同-伝説の最期編-』(監督:大友啓史,
2014年)。本稿では原作漫画,アニメ作品ではなく,映画のみを分析対象とす る。
28 宇野常寛は,原作マンガを掲載誌『少年ジャンプ』のヒーロー像(「作者なり のジャンプヒーローの成熟像の提示」)の観点での考察で,不殺の誓いを立てた 剣心について「必要に応じて暴力は行使するけれど殺人は拒否する」「偽善性を
『あえて』引き受けるという戦後民主主義的な成熟像と結びついていた」と述べ ている。宇野常寛『若い読者のためのサブカルチャー論講義録』,朝日出版社,
2018年,p.87。
29 カズオ・イシグロの『浮世の画家』(An Artist of the Floating World, 1986,飛田茂雄訳,中央公論社,1988年)は,藤田同様戦時中軍部に寄り添う 思想のもと活動した画家を描いている。社会の価値の転倒に翻弄される主人公と して描かれるこの画家は著名人というより一般市民に近い。この点にイシグロの 現代性があるだろう。このテーマは代表作の一つである『日の名残り』(The remain of the Day,1989,土屋政雄訳,中央公論社,1990年)に受け継がれ
ている。
30 斎藤環,前掲論文,『美術手帖』,p.188。
31 斎藤環,前掲論文,『現代思想』,pp.116-117.
32 妊娠を喜ぶも栄養状態が悪かったための体調不良であり,落胆するエピソー ドがある。