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日本に於ける山地放牧の地理的研究(その2)

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(1)

初 雄

     1 放牧慣行の類型とその分布  日本の放牧慣行につき,放牧季節によって類型を分け

ると,(A)通年放牧即ち1年中通して放牧するものと,

 (B)温暖季放牧即ち春から秋にかけた温暖季に放牧 するものとがある・通年放牧にも諸種の型があって,牧 場に牛馬を放したままで,自然の繁殖にまかせる野飼

(置付放牧)(A1),季笛によって放牧地を換える輪換通 年放牧(A2)などかある・牧畑放牧(A3)も通年放牧で あるが,後者の特殊型とみなすこともできる.

      (],       く!)

 野飼の語は斐太後風土記や陶山翁の郷村農事録の用例 の如く,単に放牧の意と解すべきものもある・牧場に放 したままで自然繁殖にまかせる野飼は,南部藩放馬取扱      ぐり

方問答箇条書に云う「四季押通し置付にいたし候放牧」

であるから,それを野飼とよんでは単なる放牧と区別し がたくなるおそれもあるので置付放牧とよぶことにす

る.置付放牧によって飼はれる馬は野駒,野馬などとよ ばれ,殊に生産馬を野子と云うこともある.

 北海道日高の北大附属牧場,宮崎県南那珂郡部井村御 崎の都井牧場のように現時まで残存した置付放牧は珍し

      (り   (5, (6,

く,有珠場所,木古内,南部の大間野,奥戸野,木崎野,

        (7)       (8)      (9,

北野及び三崎野,陸前の遠島,磐城の野馬追原,常陸の

       (m}      (一り

大館及び桜野,下総の小金及び佐倉,安房の峰岡,伊豆

(12)       1s)

諸島(大島,新島,神津島,三宅島及び八丈島),駿河     (14)       (15,

の愛鷹,豊後北海部郡の神馬牧,大隅,薩摩の諸牧場等 では,明治維新後間もなく置付放牧をやめてしまった.

   σ6)

津軽の五牧のように三年ばかりで置付放牧を中止したも のを除くと,置付放牧の慣行は太平洋斜面の台地,丘陵 及び山地の牧場でみられた・殊に東北及び北海道では海 岸に面した牧場で置付放牧を行った・北日本では太李洋 に面する海岸に,雪が少く・多少の降雪があっても風で 吹払ってしまって,笹や草が積雪に覆はれてしまわない ところがある・下北牛島北端の大間及び奥戸附近は,今 日この牛島中でも最深積雪の少い所に当るのは興を引 く。旧幕時代にも鱈分布は今日と大差がなかったもの と考えられる・しかしここから木崎野にかけては日本海 斜面と太耶洋斜面を分ける目立つた障壁がないので,時 によP異常に彗が多い年もあって,置付放牧が困難にな ったことがある・木崎野ではこの多雪の年に備えて近く       (17)の村々で干草を用意して置くことになっていた.海岸近

くは内陸部に比して冬の寒さが余り厳しくないのも置付 放牧に都合かよい・九州でも神馬牧や御崎牧は海岸にあ る■西日本ではかかる位置が夏の高温をやわらげるのに 役立っている.

 置付放牧の典型として御崎牧場の放飼につき概観しよ       (18,

う・これに就いては先学の研究が多数あり,その放牧馬 の御崎馬は1953年には天然記念物の指定を受けた.此の 牧場は宮崎県の南端,南那珂郡都井村都井岬にある.都 井岬は巾2粁弱,長さ4粁ほど東南方に突出し,北東 側は日向灘に,南西側は有明湾に面する・280乃至290米 の鈍頂の丘陵が岬の方向にのび,殊に北東及び東南の海 岸には高い海崖が発達する・御崎牧組合の経営にかかわ る御崎牧場はこの岬の中南部を占め面積は504町に達す るが其の70%は森林で草生地は狭い・三角点296.3米附

げす

近の扇山と,その北西1粁280米の閉塞曲線にかこまれた 小松が辻の山頂附近が今日僅かに芝地になっている.明 治35年測図の5万分の地形図では小松が辻西南一帯ジバ

エとよばれる緩斜面は海岸まで荒地になっているが,現 在は杉の造林地に変った・明治7年御崎牧場払下当時す でに杉3・581本も毛上として払下になっているのをみる と杉造林の歴史は古いことか知れる・この山林は用材の 生産ばかりでなく野馬の庇蔭樹林として有用である.

 野馬は70頭乃至80頭と推定され,確実な数は容易にっ かめない・広く山林内に散在する立場に棲んでいる為で ある,昭和π年現在では三頭の牡馬がいて,ジバエ,ナ クバエ及びノノキエの3地区の馬群を統率していた.こ れらの馬は日本在来種のもので,体高は1.1米から1.5米 にすぎない・種牡馬は中には洋種の血を混じたものや,

産駒中優良な牡を撰んで補充したり・飼馴した馬を放し たこともあるから・完全な野生とはいえない・此の牧場 は元禄10年8月秋月藩主の手で創設され,明治以前すで に薩摩藩から種牡馬を入れ,牧別当,牧廻の職制を定め て牧場を管理せしめていた・

 藩制時代には毎年12月に駒追又は駒捕Pの行事があっ た・村民全部で,すべての野馬を追い立て,牧場入口附 近の勘定揚に追い込む・ここで年齢,毛色等を検査し,

家いで御乗場に移して2才以下の幼駒を分け駒捕揚にそ れを収容する・牝馬は蕃殖用に残すが牡馬は捕えて売却 した・この行事は村民の娯楽も蒙ねて行われた・維新後

1

(2)

民間の手に牧場が払下げられて,この賑かな行事は廃止 になったが,12月中に産胸中の牡馬を捕えることは従前 と同様である.

 この岬は天然記念物指定の蘇鉄の自生地が所在するほ ど冬は温暖で,冬でも青草が繕えない・又海中に突出し ていて牛島の北部に垣を作ると容易に野馬の逸出を防ぐ ことができるなど置付放校に好条件を具えている・ただ 甚だ粗放的な経営形態であるから,民間の手にのみゆだ ねてあっては持続が容易でない・北海道の置付放牧は,

耳ヒ大農学部附属牧場で行われている・

 北海道の東南部では,冬は笹生地で放牧し,夏は草生 地に移動させて通年放牧を行うものかある・この両放牧 地は台地又は丘陵上にあって,共に低地牧場の特質を持 っているから・移牧とみなすわけにはゆかない・此の種 の型は輪換通年放牧である.

 牧畑放牧も夏と冬とで輪換放牧を行う・然し前者より

      くしりン

は複雑で,隠岐の牧畑では夏は秋山のみに放牧するが,

冬は愛山,大豆山及びあわ山で放す,牧畑は4区に分け られ,夫々の区は牧とよばれ垣(石垣又は木柵)で囲ま れて,放牧季には牛馬の逸出を防ぎ・耕作季には牛馬の 侵入を防いでいる・一牧内の耕作可能地には畑地がある が,耕作不能の部分には樹林地もある・牧によっては樹 林地の面積が大部分を占めるものもある・又その牧の中 には私有地も公有地も含まれる・粟山・大豆山,秋山及 び麦山の別は夫々の牧内の畑地の利用の仕方でわけら れ,一つの牧の利用の仕方は年毎に此の順で変る・粟 山,大豆山は夫々夏作のみで粟,稗又は大小豆を作付す

る・この場合春と冬は作付をしないから放牧ができる・

大豆山は翌年秋山となる、秋山は空山で夏作を行はず,

夏季に放牧家畜を全部此処に集める,ここでは秋には麦 を作付けるので牧畑の耕起を初める10月には,夏作で収 穫か最も早い粟,稗の刈あと(あわ山)にその家畜を移 す.11月になって大小豆の牧穫かすむとその一部を大豆 山及び表山に移す・秋山は翌年表山になる・表山では差 と大小豆の収穫を行うから,ここで放牧ができるのは年 末の1ケ月余にすぎない・かくして一牧内では作付季や 敦穫季を異にする作物が栽培できない・耕作者全部か一 定の作物の作付を行はなければならない・かかる制約は 牧畑に於ける輪換放牧に基くものである・

 温暖季放牧には全温暖季(夏半年)放牧(W),三季放 牧(T),高冷地式春秋(二季)放牧(H),低暖地式春秋

(二季)放牧(L),一季放牧(0),昼間放牧(D),複合 式放牧(C)等の諸型がある・

 全温暖季放牧型には小移牧又はイスティバージとよん       (20}        タイラブネ でよい山地牧畜移動を含む・岩手県岩手郡葛巻町早船の

F五9.1、Sea馴・nalm。vementsofgrazingcattle

①糊

⑪鵬

⑪w・

⑰比

⑰」

⑦し3

/23456789/oノノ12

_α 一__b _C

a:Population and cattle

b :Populatioo(with a part of cattle   ㏄cas三〇nユ11y。)

c :Catt le wit h he rde r.

d :Grazing in day time

I、09ロni,Shimohei・gロn,Iwユte prefectロre.

  (cattle)

丑.Kawai.    〃    〃

皿.Pastur℃in Sugadaira.Nagano pref㏄ture.

】V.Oguni.Shimohei.gun Iwate prefect皿e   (h・rse)

V.Chiya.Atezu・gun Okayama Prefect町e.

VI. Tonbユra. 1置sh卜gun Sh{mユne ]Prefeこture.

案内沢,同県下閉伊郡大川村日陰,秋田県鹿角郡宮川村 の中の放牧の場合はそれである・それらの地方では低位 置にあり且つ部落に近接した牧場で,春秋両季に放牧 し,盛夏の候には高位の牧場に家畜を移す・鳥取県日野

(3)

      ニィヤ       (コリ

郡多里村大字新屋の放牧慣行にはその典型的なものかみ られる・ここでは4月中旬から「あだまきば」に牛馬を 放し,5月に入ると「おくまきば」即ち道後山北面の若 松牧場に移す・あだまきばは5〜600米高度で,部落に近

く個人叉は小人数の共同で経営される・ここは夏の山地 放牧に慣れさせ,特に霧酔にかからぬようにする準備牧 牧と,優良牛や小牛を放すのに利用する・部落に近接し ていて管理か比較的行きとどくからである・若松牧場は 湯川の上流部にあり,最低部が牧場入口で860米,最高 点は道後山の山頂で1260米を越える・盛夏の候でも海抜 高度か高いので通し放牧かでき,11月にはあだまきばに 家畜を下げる.あだまきばでの放牧は昼夜放牧もある

Fig.2.Ada・makiba or vor alp and     a】P(Wakamatsu−Pasutu祀)in N…ya,

    Tarl,Hinかgun.T )ttori pref㏄ture,

      、       .. 1 、、 4        ノ        _

      ム       ノ

      , 一 一 一_一        、、  .−

         里     、

.継課1 嗣♂

謙織\犠

       1

      し       t      ヨ

             1000

    1       諏  1

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    」        .^.

    

0  1、、 2鰍.   君松二

 ぬ      

        ポ■。      △

一¢ 一・

a :Ada一㎜kiba or vor alp. b:Fenこe.

が,多くは昼間放牧である・降雪季に入れば舎飼を行 う・舎飼の冬と高山牧場に放す夏との中間季に,多里村 新屋のように牛放牧を主とするものと,葛巻町早船や大 川村日陰のように全放牧を行うものとがある・いづれに しても中間季の放牧を下山又はあだまきばで行うのは・

谷底の部落と高山牧場との比高か大な場合か,比高も相 当にあってその上水李距離が大な場合に限られるようで

ある。

 中間季の放牧を行はずに,厩から直接高山牧場に送る       くおう

全温暖季放牧もある・長野県長村の菅平牧場はその例で ある.これは四阿火山の南斜面1300乃至2000米高度にあ

る広い牧場である・5月中旬主に善寿光雫から牛馬があ げられ,10月中旬に至って放牧季は終了する・これは後 に記述するように中央日本や東北日本で海抜高度の高い 牧場によくみられる型である・放牧地か広く負担力に余 裕かあることも他の条件の一つである・

 盛夏の候に〔1}その高温をさけ,(2)あぶや蚊から家畜を 守ワ,⑧厩肥の生産をするなどを目的として,放牧家畜 を厩に追い込み舎飼を行うものがある、この型では初夏 と秋か放牧季であるが,これを春秋(二季)放牧型とす る・日本の高山牧場の高度は概して低く,夏は甚しく高 温であるから,高山牧場での盛夏の気温は可成り高い・

岩手や秋田では牛は馬よりも暑気やあぶに対し鈍感だと 云うので,全温暖季放牧を行うが,馬については春秋放 牧をやる所もある・

 この 春秋放牧についてみると,盛夏の候の舎飼期が比 較的に短いものと長いものカある,岩手の場合では8月 中3週程舎飼を行うのみである一か,西日本では半夏生

(7月11日頃)に厩に追ひ込んで,9月初旬又は秋の彼 岸に入って秋季放牧(秋牧)を初めるから,夏の舎飼季 間は長い・夏の舎飼期か短く,1ヵ月未満のものをそれ 以上のものから区別して,前者を高冷地式,後者を低暖 地式とする・岩手の場合の如く高冷地では夏の舎飼期が 短く,西日本の如く低暖地ではそれか長いからである・

高冷地では水田耕作のみに依存できずに畑作その他の仕 事かあって,農事の年間労力配分をみると初夏から秋に かけて多忙季か持続する・これに対し低暖地式春秋放牧 を行う地帯では・水田耕作を主として・盛夏には農耕作 業か比較的に少い・叉稲作用の堆肥か大量に入用であ

る.その上高温季が長いなどの社会的自然的条件に適応 して,この型の放牧方法を工夫した・此の春秋放牧の両 型にも全温暖季放牧型と同様に,中間季節の全放牧又は 牛放牧をもつものと,中澗季節の放牧を欠くものがあ

る.

 春秋両季の放牧,即ち春牧,秋牧の外に,夏季の放牧        じ ラ

即ち夏牧をやれば三季放牧である・大分県玖珠郡玖珠町 表玖珠では,4月20日頃熔岩台地面の万年山放牧揚に牛 を上げる.6月中旬から7月上旬は田植期であり,又梅 雨季でもあって,舎飼を行い牛耕に用いる,田植が終了 してから8月15日頃まで夏牧を行う・8月の下半月と9 月上中旬とは干草刈の季節で,その運搬と麦播用の厩肥 をとるために大部分の牛は舎飼される・9月20日以降10 月下旬まで秋牧を行う・夏牧を6月下旬から半夏生まで 行う部落もある・7月中旬からは暑気が激しく,放牧牛 はひとロで帰ってくると云う・秋牧は稲刈がすんでから 終る.夏の舎飼期の長い三季放牧型は低暖地式春秋放牧

(4)

Fig。3.Seasoロユ1movements of graziog cattle・

り;幽一.−甲.一●・・● ︐・ ・● O●●■ . 層 o●■ O●●●●. ■ ●氏ODX

・●■●●●・.・り■U●・恥⑩

丁⑪

SO

C⑭

Mf.Sδzu.kusu・mユchi,Kusu.gun.Oita prefecture.

、璽.Kashiwa,Aso−gun.Kumamoto p祀「ccture.

lX・Mt.Sユnpe,Shimane prefeこture.

X.Yofudo,Asakかgun.Tazima province.

XL Onsen・machi.Mikユta.guo Tazima province.

罰.Mikata,kin瓢ki.gロn Tazima provioce.

の一変型とみることもできる.

 農家の仕事や牧場の都合で,春夏秋各季の何れかに偏       のりして放牧を行うのが普通である,熊本県阿蘇郡阿蘇町の 大観峰牧場では三季放牧を行うが・7月下旬から8月中 旬にかかる夏牧で最も多数の牛馬が放牧される・春秋放       (書り

牧を行う鳥取の多里村では秋山に偏し,その季にはど       けりの農家の厩も完全に空になる・福島県東白川郡宮本村の 三株牧場では春季放牧に主力を注ぐ・その偏し方が極麦 になって春,夏又は秋の放牧ばか肝こなると、春山式,

夏山式又は秋山式の一季放牧となる.

 昼間放牧を行うのは,放牧地が部落近くにあり且つそ の面積が比較的に狭小な場合である・遠距離の放牧地へ は送迎に時間がかかって,昼間放牧は不可能である.玖 珠町の裏玖珠では万年山牧場内の一部落山浦で夏季牛放

牧を行うが,表玖珠では牛放牧がでぎない,表玖珠と牧 場間は熔岩台地縁辺の急坂を上下する5粁余の道程をへ だてているからである・広い放牧地が設けられず,しか も放牧すべき家畜数が多いときも全放牧ができない.岩    佃0}

手県下閉伊郡小川村の酪農で乳牛を放牧する場合も牛放 牧である・此処ではかって牛の全放牧をやっていたが。

酪農に変ってからは全放牧をやめてしまった.それで旧 故牧地は大半山林になった・牛放牧にも夏牛年式,春秋        〔艶,

式及び一季式のものかある・島根の三瓶山の麓では秋山 が牛放牧で,春山は全放牧である,この種のものを複合 型とする・

A   通年放牧  A1置付放牧型  A2輪換通年放牧型  A3牧畑放牧型 B 温暖季放牧

W・全温暖季放牧型(W1.W2、W3)

 II・高溶地式春秋放牧型(H1.H2。H3)

 L.低暖地式春秋放牧型(L1.L2.L3)

 T・三季放牧型

 0.一季放牧型(Os,0轟)

 c・複合寡放牧型

 D、牛放牧型、(Dw。DL・D畠・etc・)

(註)1,中間期全放牧・ 2・中間季半放牧・

  3,中間季放牧を欠く・

  s.春季.   鉱秋季・

 自由放牧や限定放牧の型を区別することもでぎる・自 由放牧は宅地や耕地の周囲に馬防柵を作り,家畜をして 公私の山野を自由に横行させるもので,今日日本の各放 牧地域の一部に名残を止めている・そこでは耕地にそう 道路にはかならず垣が作ってある・耕地への出入には木 戸が用意してあって,ませ棒の取りはずしが容易にでぎ るようにしてある・放牧牛馬が路上に群ることもあって,

        (21)

岡山県の阿哲郡千屋村などでは自動車の往来に困難する ことがある.

 限定放牧は一定の放牧地を設け,その中で放牧するも のである.

 自由放牧にも全温暖季自由放牧や春秋自由放牧の諸型       くおコ

が区別される.島根で昔行った自由放牧は後者であった・

耕作期間には限定放牧をやP,牧穫後は自由放牧を行う 漸移型もある,

 一つの放牧地に就いてみると色々の型のものが混在す ることがある,たとえば多里村の若松牧場では全温暖季

(5)

Fig.4.Seas㎜l mnvements of g鳳z㎏Cattle     i口TarちTottori p祀fectu跨.

1

刀_

123456789rO 12

微牧もやるが,低暖地式春秋放牧や秋山のみの一季放牧 もある・どの型が主要であるかが問題となる・

豆 放牧型の変遷

 前蓮の置付放牧や自由放牧は退行型である・漸次集約 的な土地利用に変るのは自然のなりゆきで,かくして自 由放牧は限定放牧に変った・現在日本の主要放牧地域は 近世の絡Pまで多くは自由放牧の慣行をもつていた・

         にり

 「牛ノ牧野利用状況」によると,奥羽北東部の放牧地 域では青森及び岩手の両県にわたって,「附近山野一帯 二亘り自由二牛馬ヲ放牧シ,兼ネテ採草ヲ為シ,使用上 何等ノ拘束ヲ受ケザリシ」とある・附近の山野がその所 有の如何をとわず牧野としての使用に何等制限がないと 云う状態のもとで放牧を行うのが自由放牧である・阿武 隈高原背梁部に於いても,相馬山中郷諸村から茨城県北 部にかけて自由放牧をやっていた・本邦中央高地では八

    1.〔2{)       (曾リ

ガ岳東方の諸村,御岳山附近の西野川上流諸村及び奥中       (お,

画についても記述が公にされている・妻夫後風土記には 日和田村小日和田村放馬之図を掲げて,「馬は毎日厩戸

 マ マを開を待わびて壁を瞬叩くを聞てその戸をあくれば・立 出て毎家の馬と噺速うち群て,人ひかざるに野に出て終 日若草をあさりてあそベロ,(中略)夕陽の峯にかくる ころは・人来りて迎へひかざるに皆々うちむれて己が厩 一に帰る」と説いている.厩から山野の間を自由に「遊ん

で」いる様子がよくわかる・

 但馬や淡路については牛ノ牧野利用状況に簡単な記事 があって自由放牧が行はれたことがうかがえる・殊に淡 路島の朝霧山脈附近ではこの慣行が目立っていた・

 中国背梁由地中部では,広く自由放牧の慣行か普及し ていた.鳥取県日野郡では根雨町以西の奥日野で顯著で あった・これは文献もあるが筆者は同郡多里村石見村等 で古老の言により確認し得た・島根県では仁多飯石附近 で自由放牧をやっていた・牛ノ牧野利用状況には「藩政 時代…ニハ到ル所放牧自由ナリシヲ以テ蕃殖上大ナル便 宜アリ」とある・今日耕地の周囲の垣は殆んど残らない が・飯石郡誌には「垣をめぐらして自由放牧を実施」し たことが記されている・1803年(享和3)御取上鉄山嬉

   ママ      わ

腰林不殿:口合之傷害出一途に,仁多郡小馬木,大馬木,

八川,雨川・高尾・飯石郡川手各村の鉄山で「稲杭垣杭 等迄伐荒し申候」と蓮ぺてあるのは鉄師が困って実情を 訴えたものであるが,此の地方では稻架を作る稲杭の外 に,当時も耕地の囲にめぐらす垣杭か多数必要であった        くめン

ことを示す・岡山県では阿哲・真庭及び苫田の諸郡にわ     伽)たロ,広島県では比婆,隻三及び神石各郡で自由放牧を やっていた.広島県の北東部では明治末年迄山野の大部 分が放牧地の如き観を呈していた山村が多かった・

   くおシ

 中九州では大分の玖珠・直入及び大野各郡で自由放牧 をやっていた・

 この自由放牧は明治9年の山林原野官民所有区分施行 1こよつて,漸次制約された・初めは国有地に於いても自 由放牧を認めたところもあるが,次第に無断使用を制限 して,放牧地を限定することになった・国有地か比較的 に狭小な中国山地でも明治以降県の奨励等により限定放 牧を始めた・しかし東北でも関西でも近年まで放牧地域 の一部に自由放牧の慣行か残っていたのは既述の如くで ある.今家の戦後開拓が急に進められて自由放牧は殆ん ど終息することになった・その理由には次の如き事項が あげられる・

 (1)すでに大方の山村では,公私の山野の自由な使用        

牧益か許されなくなっていた・随って自己負担で設備す る耕地周囲の垣の材料は,山林を所有しない者にとって 調達r容易でない・特に薪炭材としての需要が槍大した

ため価格力高くなったから,伐採及び運搬の労力だけの 負担ではすまなくなった・

 (21それでも自分か自由放牧をやる人は費用をかけて 垣を手入した.畜産収入か大きいからである・入植者は 山林の持合せかなく,広い開墾地の周囲に垣を設ける経 済的余裕がない・叉自分では放牧をやらないから垣を作 る必要がある自由放牧に反対する・それ故旧戸と入植者 の間で放牧家畜に関し争議を起した実例は多数に達し

た.

 13〕戦時中家畜か特に減少した・戦後は軍馬の需用が なくなって,馬産地の山村でも飼養頭数及び産駒数が減 った.福島県東南部の馬産地に就いてみると次の如くで

ある,

福島県東南部馬産地に於ける馬の減少

再生

伽一

│当生利

開頭

9一1養数 飼戸

 戸り 1当

3養数

年頭

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−一ヒ 9一伯ヒ

轟白川:嘉覇・・器i姻4・5麗1L誘

一石∫rl郡r 4,009  5,464! 1.36  2,782  2 884   1・03

田村郡i6,認39,44gi1.43t5,銘gi糊・.盟

(6)

戦時中の賓料を欠くが,軍馬の徴発で減っていたことは 事実である.此の表の馬の頭数減は一部牛飼養の槽加で 埋合せられている・然し1戸当り飼養頭数の減少は,2 頭以上飼養農家がその頭数を減じたことを明示する

5,6頭孜容可能の厩舎の大部分があいているのはこの 事実を裏書する・頭数の減少は放飼の必要を低下せしめ た・飼養に飼料と手数が余りかからなくなったためであ

る。

 島根の三瓶山では志々,山口などの人々が5月上旬か ら放牧を初め7月下旬に入ると舎飼をやってきた・饒述 の如く秋山は牛放牧で11月から12月中旬にかけて行われ た.此処では何時から秋山が昼間に限られたか不明であ るが・牧場内の私有地に大豆,小豆,そば等の畑かあっ て,秋の放牧時間を日の出から日没ま    Fig・5・

でに制限し,畜生各自放牧牛馬を監視 しなければならなかった・明治初年は 期日に定めかなかったようであるが,

向22年三瓶牧畜組合規約を定めて,秋 山は9月24日から11月23日迄にした・

大正10年にこれを改め11月1日以降,

降雪期までに縮められた・作物に損害 を及ぼした際の賠償規定も加えてい る・この頃陸軍の演習場であったこの 牧場で}演習の障害になるとの理由で 牧場内の畑の垣を取払つたからこの必 要か起つたのであろう・

 阿武隈高原の日之出牧場では大正年 間にみられた高冷地式春秋放牧が,今 日では秋物か潰滅して春牧の一季放牧 に変った・土地利用の集約唆か高まる と・牧場は狭少になり,放牧慣行が制 約をうける.

口 諸型の分布

 成る地理的現象の同類は,地表の特 定部分に群集する傾向をもつ,これを 地理的現象の同類群集性と呼ぶことに する.放牧家畜の季節移動の類型につ いて,その分布をみると,全温暖季放 牧型は東日本に,春秋放牧型殊に低暖 地式春秋放牧は西日本に,叉一季放牧 と三季放牧は中九州に,牛放牧の諸型 は但馬に夫々群集する・

 北海道南東部.此処には東日本のW 型を主とし,通年型も多少混在する・

渡島牛島からいりも岬にわたる太李洋 沿岸部では,置付放牧が行われていた

か,その型は明治になって大部分消滅した.十勝から根 室にかけた放牧地域でも・天牛の牧場か低地又は低い丘 陵上にあ窮冬は積雲量が少いので、海岸に近い笹隼地 を利用して,冬季も放牧を行う所がある.5月初・中旬 から9月中量下旬迄は草生地で放牧する・(十勝大津町・

日高幌泉村)W及びA2両型共ここでは個人経営の牧場で みられる・

 奥羽地方北東部及び阿武隈高原.この放牧地域にはH 及びW型が普及している・殊に後者が目立っている・両 型共準備放牧として,中間季の牛放牧又は全放牧を一部 で実施す勧W型か卓越するのは,東奥羽が比較的に夏 季冷涼であること・高山牧場の李均高度が大で,千米に 達するから牧場では一層冷涼であること・牧野に余裕が Distribution of the types o「graz血g㎞Eastem Japan

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(7)

あり,放牧地の面積か広いことなどに関係がある・

 北上高原東斜面の小本川及び閉伊川中下流は谷が深い ので,谷底の村と高山牧場とは700[800米の比高があ る・下閉伊郡川井村,小国村などがその例である・此処 では牧場までの永年矩熊も大きい・小本川下流の岩泉町 では上流の大川村西端の牧場に家畜を塗るからその間40 粁の道程がある・川井村では大川村西南ののろめき沢迄 30粁,近い所で10粁余りもあって,家畜を邊Pとどける のに日帰りか不可能な場合もある・水準垂直矩喉が大き くなると毎日の管理は不可能にな窮又気温その他の条 件も部落附近とは違うから,準億放牧の必要が大とな

る・ここで中間季の放牧を行うのは他にも理由がある・

谷間では春が早くやってきて,放牧可能になっても,海 抜高変の大な高山放牧では春の到来か挽く草が延びない

こと・一方冬季舎飼の為めに用意した飼料は欠乏するか ら早く放牧したいこと.可能な限り屋外で飼育して丈夫 に育てるなどで,部落近くの採草地叉は放牧地に放すの

一である,

 谷が浅い上流部の山村では,部落と高山牧場との比高 及び水準距離は小で,中間季放牧の必要は少い・ここで

も飼養頭数が多いと,放牧可能な季節の到来を待ちかま 1いて,本数牧地に放す・

 秋田県では,仙北都田沢村玉川,同郡生保内村,山本 郡常盤村のように,L型がみられる・奥羽脊梁山地で東 方からの夏の冷風がさえぎられ,日本海斜面の夏は可成 1り高温である・その上牧場の高度が比較的に低い・更に 東奥羽に比べ水田耕作が盛んであるなどの諸点がL型普

及に関係バある・

 小和瀬野牧で知られた田沢村玉川では,6月12日から 25日迄田植牧(田植季に部落附近の牧柵内で放牧するも

の・1名の番人かつく〕。6月26日から7月20日迄の夏牧

(戸瀬滝沢の牧場に放す・番人2名)及び9月20日から 10月31日迄の秋牧(部落北方の湯淵及び森含で放す、番 人2名)をやっていた・夏の舎飼がニヵ月にわたり・田 植前と秋の牧穫後は自由放牧をやっていた・

 奥羽の放牧地域の核心部ではW型が普及しているが,

縁辺部にはL及び0型がみられる・殊に0型は放牧慣行 の退行型の一つであることは注目に価する・

 本州中央部.四阿,浅聞地区,八ケ岳附近,御岳附近 に分れて所在する放牧地域には・W型か群集する・但し 放牧地の経営の点では関東北部から立科,八ケ岳地区に かけて異色の型が分布する・即ちここでは放牧地の大部 分が個人又は畜産組合の経営で,賃放牧を行い利益をあ げていた・放牧料は全期又は前後期に分けて定めるか,

日割,月割のものなどがあって}夫々必要期間のみ放牧

ができるわけである・大正元年11月県令として出された 群馬県放牧揚取締規則によると「一定の料金をとって他 の委托をうけ牛馬を放牧する場所を放牧場と云弘期間 は5月1日から10月31日とす・但し11月以降放牧するも のは知事の許可をとる」とある・この型の放牧が中央日 本の一部にのみ群るのは興味がある.

 木曾谷では村又は部落で経営するものが多く,賃放牧 は少い・これが本邦各地で普通にみられる型である・

 佐渡島大佐渡山地中北部,ここでは海岸段丘面の耕地 と山地の森林の境に大垣を,畑の周囲には小垣をめぐら し,山林は垣外,耕地は垣内とよぶ・大垣は金泉村から 吉井村に至り延長90粁に及んだ.毎年八十八夜から垣内 放牧を始める、これは田や採草地に放牧するのである が・小垣の手入が不充分で畑作物を荒す恐れがあった・

5月中旬からは垣外放牧を行う・放牧牛馬は草を追っ て,山麓から家第に山頂に到り,寒冷を覚える候になる と下山して大垣外に集った。10月下旬稲の収穫がすむと       ωり

水田刈跡で垣内放牧を行う・この慣行は徳川時代から行 われている.

 但馬地区・ここではすべて牛放牧で,全温暖季式,春 秋式,一季式などの昼間放牧を行弘氷山東北部の美 方及び養父郡では部落毎に放牧地を経営し,部落と放牧 地は李均L2粁の距離で,準均比高150米余である・多く は比高百米内外の急坂をへたてた山腹李地面に放牧地が ある・そこまで朝夕家畜を塗迎するのて,四股を強健な

らしめると信ぜられている.放牧地は概して狭少で,李 均10町余(放牧頭数1頭当り0.5町)にすぎない.近く に放牧地かない村では川原,堤防,土堤などに繋牧を行

う・氷山や扇山の山頂は放牧地に利用されていない・

 中国脊梁山地中部・ここには1・型刀・多い・山陰では春 の放牧を春山,秋のそれを秋山とよぶ・道後山のように W型もあるが,多くの放牧地は高度か低く,夏は高温で あぶや蚊の被害か大きいから,牛馬兵舎嗣を行うものが 多い.これは牛夏生(7月11日頃)から秋の彼岸まで2 ヵ月に及ぶ・この期は又肥料造成期で堆肥の山かでき る・島根の仁多,飯石などでは採草地から草と一緒に小 柴を苅り厩肥を作る・昔は柴草(苅敷)を水田に入れた Zlf,現在は牛馬に踏ませる・厩肥にしても田の中で小枝 か邪魔になるほどである・山陰の海岸近くではD型がみ

られる.

 九州中部.ここには0,丁及びL型力i群集する・ここ の0型は多くは春牧式で,その放牧地は夏以降採草地に 利用される.この地方の放牧地中60%(1937年)は放牧 条採草地である・丁型には春物中田植に使役するため一 時舎飼をする点がL型と異るに過ぎないものが多いて玖

(8)

Fig・6・Dおtribut㎞of the types of grazing hコwestem Japan.

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珠郡森町日出生)秋物を戦後にはじめて・丁型に変った 例もある(玖珠町表玖珠)・笹倉牧場や阿蘇の牧場の如

くW型もある・

(註)

(11富田 礼彦 斐太後風土紀,日本地誌大系24.

〔2〕陶山 鈍翁 鄭村農事録1727,日本経済叢書,陶山        鈍翁遺著.

(3〕古事類苑地部3,牧・

(4)帝国競馬協会,日本馬政史3,1928,57頁・

〔5)日本馬政史2,316頁,最上徳内,蝦夷草紙,1790.

〔6)日本馬改史2,209〜261頁,広沢安任 奥隅馬誌,

  明治前期における畜産誌,青森県叢書第二編・

{7)日本馬政史3,138〜153頁・

{8〕尾形亀吉・野馬追史論考・無形文化財相馬野馬追,

  相馬野馬追沿革・日本馬政史2,312〜317頁・

(9〕日本馬政史3,124−133頁.

⑯     同3}46−47頁.

⑳     同3,44帽46頁。

図 伊豆七島明細記(写本)1753.山口貞夫,大島図志   1936.大間知篤之,八丈島,195L浅沼挽太郎,三   宅島歴史年表・1951.帝国馬匹協会,牧野使用二関   スル調査第二編,1931.756〜306頁.

佃 日本馬政史5,388頁.

  沢村   広三 ㈲⑱働㈱

今同 西

局2,3α7〜310頁,同3,134〜1S7頁.

同2,262〜306頁.

安住

錦司

四 石田竜次郎

図⑳⑫㈲⑳㈲e白⑳含8

囲む︒

錦織 英夫 田中 豊治

前掲書,29頁.

御崎馬について,日本在来馬に関する・

研究,1954・

都井岬ウマとその保護について,19推 御崎馬の社会調査報告第三・1950・

隠岐島前の牧畑,地詐5,1929,99−

118頁.

隠岐の牧畑の持続,地評5,1929,

556〜565頁.

島の農業形態,1933・

隠岐島における牧畜,地誇27,

449〜459頁.

1952年調査、

1953年調査.

1954年調査,

帝国馬匹協会,前掲書第3編,1633頁.

農林省・牛ノ牧野利用状況,畜産彙編纂第41号・193L 青木惑一郎 山の民の記録,1954・

富田 礼彦 前掲書,186頁・

農林省,日本林政史質料,松江藩・

東京営林局,国有林野所在町村勢調査書,福島県東 北部,同乗南部・

福島県統計書,1933.

1950年農業センサスにより部別に集計した・

(9)

(Abstract) 

Geographical  :Researches of Mountain  Graz ing in Japan

1.  There are several types of  g:mzing io Japan,as f o11ows:

[;A‑j  Types et gm ing in al l the year round.

At  NOGAI,or the type of  natural breeding in pasture.

A2.  The Type of  rotatioDal gn zmg in all the year round.

A3.  The  Type of graziDg in MAKI̲BATA

CB 1  Types et  grazing  in  the  wa rm  seasoo.

W  The  Type  of  graz ing  through‑ t  the  warm seasoo.

T. The TYpe of  grazing in three seasrms.

H. The Type of  gn .ziDg in spring and autumun 00 high and cool land.

L. The Type of  grazing io spnng and autumun on low‑alutiude  and warm‑climate laDd.

0 . The Type of  grazing iDone season.

D. The Type  of  daytime  grazing. ・

c . The Type  of  combioatioml g:a zing.

2.  Some  types have  a grazing i◆l the intermediatae season,that is a !e:ser traos̲humance,or estivage.

3.  Some  types are fumed into new types,i.e.  the type of  f ree grazing oo f orests and  fields to the type of grazing on pastlf e,or the grm ng in spring and autumun  to the  grazing io coo season,or viceversa.

4.  Certain similar kinds of  geographical phenomeaa have a tendency  to be seen grl◆luped in a certain a rea.

5.  W and ''H types group on Eastern Japan. L group ao Westem Japa:n一D group  on Tu.ima Propvince.''T''and ''0''group on Central Kyiishii. 

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