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千葉英雄先生を悼む - J-Stage

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Academic year: 2023

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510 化学と生物 Vol. 55, No. 7, 2017

千葉英雄先生を悼む

日本農芸化学会の会長,日本学術会議の会員も歴任さ れた京都大学名誉教授の千葉英雄先生が,2017年1月6 日に91年の生涯を閉じられました.晩年になっても先 生は,斯界の指導者としての矜持をもつべく努力をして おられました.本年の日本農芸化学会2017年度京都大 会での挨拶をされることを楽しみにされ,挨拶でお話に なるための学術的情報を集め,最後まで机に向かってお られたとご遺族にお聞きしました.

先生は昭和20年4月に京都帝国大学農学部農林化学科 に入学され,昭和23年3月に京都大学農学部農林化学科 を卒業になっておられます.先生の根底にあったのは,

「文系の優秀な学生は戦地にかり出され,多くの方が亡 くなった一方で,自分のような理系の学生は学問をする ことを許された.だから,残された理系の学生は亡く なった優秀な学生の分も世の中に貢献しなければいけな い」というお考えでした.学生時代,ならびに,先生の

研究室の後継者として教員になってからも毎年お正月に ご挨拶に伺うと,よくその話をされていました.ご卒業 後,京都大学大学院特別研究生前期課程を修了後,昭和 25年に京都大学農学部農林化学科栄養化学講座の助手 に採用されました.近藤金助先生のもとで研鑽を積まれ たとお聞きしておりますが,自由な学風の京都大学らし く,教官からの指導は「千葉君,これをやり給え」とい う一言だったと,お酒の席なのでどこまで事実かは定か ではないですが,お聞きしたことがあります.まさに自 学自習で研究を発展してこられたように拝察します.筆 者は,直接その時代を一緒に過ごさせていただいた者で はなく(ずっと後の昭和56年に先生の研究室に4回生で 配属後,博士の学位取得)

,定かではないですが,初期

の論文を拝見すると,最初は植物の炭酸固定にかかわる carbonic anhydraseに関する研究をされていたようで す.昭和29年に助教授に昇任され,昭和43年には新設 された京都大学農学部食品工学科食品化学講座の教授に 就任され,平成元年に退官されました.その後,平成 13年まで神戸女子大学家政学部教授として,後進の指 導をなさいました.

千葉先生の明瞭な,力強い言動,そして豊かな包容力 は多くの優れた弟子たちを育てることとなり,杉本悦郎 先生(名古屋大学名誉教授)を筆頭に十数名の大学教授 を輩出しております.「蛋白質の「蛋白」とは何か,君 は知っているか」と聞かれたことを覚えています.「「蛋 白」とは「卵白」のことだよ.そんなことも知らないで 研究しているのかね」とお叱りを受けたことを思い出し ます.厳しい先生でしたが,実際はわれわれ後輩を非常 に思いやる優しい先生でもありました.

ご研究の中心に据えられたのは「蛋白質」です.解糖 系リン酸転移酵素類に関する研究を行われ,ホスホグリ セロムターゼ(PGA mutase)と,ホスホグルコムター ゼ(PG mutase)の研究に注力されました.当時の栄

日本農芸化学会

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化学と生物 Vol. 55, No. 7, 2017

養・食品化学は定性的な研究が多かったなかで,現象を 定量的に観察する酵素化学に着目された点に千葉先生の 姿勢が現れているように思います.これらの酵素の,酵 母,肝臓,赤血球からの精製・純化・結晶化に始まり,

反応速度論的な解析による,反応機構の解明を行われま した.特にPGA mutaseについては,3つの酵素活性を有 する多機能酵素であることを発見されました.すなわち,

PGA mutaseは2,3-diphosphoglycerate(2,3-DPG)を補酵 素として,3-phosphoglycerateを2-phosphoglycerateに 変換する酵素ですが,同じ活性中心を使って2,3-DPGを 合成する活性も,2,3-DPGを分解する活性ももっている 多機能酵素であることを明らかにされました.なお,

2,3-DPGは赤血球中に多く存在し,ヘモグロビンによる 末梢への酸素供給に重要な働きをしていることが明らか になり,その後の赤血球造血因子であるエリスロポエチ ンの研究につながりました.その際も微量なエリスロポ エチンについて,再生不良性貧血患者さんの大量の尿か らの精製が行われましたが,酵素の精製技術の裏打ちが あってこそだと思います.

一方で,酵素の食品化学的利用として,トランスグル タミナーゼ(TGase)やアルデヒド脱水素酵素(ALDH)

に着目されました.TGaseは蛋白質間の架橋を促進す る酵素であり,食品蛋白質の物性改変を目的としまし た.この発想は,実際に蒲鉾の製造に利用されていま す.ALDHは,大豆臭の原因であるアルデヒドの除去 に著効を示し,大豆臭を嫌う欧米の研究者からは非常に 注目されました.

さて,千葉先生のご業績の最も重要な点は,食品の

「生体調節機能」としての三次機能を提唱された点にあ ります.食品の一次機能とは従来の栄養素としての機能 であり,二次機能とは食品の食感としての機能です.こ の食品の三次機能の概念が,現在の食品機能に関する研 究や機能性食品の開発の原点です.「ミルクは完全栄養 食品だよ」と言っておられたのを思い出します.すなわ ち,乳児は母乳だけで成長できるからです.食品化学講 座教授に就任された先生は,このミルクに関する研究を 開始されました.ミルク蛋白質のカゼインの合成誘導 や,遺伝子の解析が行われました.またカゼインのミセ ル形成やリン酸化,糖鎖付加などの翻訳後修飾にかかわ る研究をされていましたが,その後,ミルク蛋白質をは

じめ,多くの食品蛋白質の分解物,すなわち食品由来ペ プチドにさまざまな生理活性があることを見いだされま した.食品には潜在的な生理活性が潜んでいる,すなわ ち,三次機能をもつ食品蛋白質の重要性の提唱です.昭 和59年より3年間行われた文部省科学研究費特定研究

「食品機能の系統的解析と展開」では中心的な役割を果 たされ,昭和63年から3年間行われた文部省科学研究費 重点領域研究「食品の生体調節機能の解析」では研究代 表者として,食品の機能に関する新しい学問領域の樹立 に貢献されました.

これらのご業績が認められ,昭和55年に鈴木賞(現,

日本農芸化学会賞)

,平成5年に紫綬褒章,平成11年に

勲二等瑞寶章をご受賞になり,また平成10年に第三回 安藤百福賞,平成22年には京都府文化賞特別功労賞な どをご受賞になっておられます.

お通夜の席でご遺族から,70歳頃から約20年間はが んとの戦いだったとお聞きしました.私たち研究室の後 輩には,「がん」という病名は一切明らかにされず,「同 情では自分の体は良くならない.医師の協力の下,自分 で直すのだ」という強い意志をもたれ,何度も病床から 復帰されていたことをお聞きしました.お亡くなりにな る直前まで家で机に向かう姿は,お孫さんたちの尊敬を 集めていたようです.千葉先生は,いくつかの大学の寮 歌や学歌(校歌)を口ずさみ,京都大学のボート部の歌 である「琵琶湖周航の歌」

,そして,アイルランドの子

守歌,Too-ra-loo-ra-loo-ralをよく聞いておられたとお聞 きしました.小さい頃にお父上を亡くされ,お母様のも とで育てられたということですので,ご母堂への思いが この歌に詰まっているのかもしれません.最近,筆者の 研究で,「食品に含まれる低分子化合物の解糖系酵素へ の作用の可能性」が考えられることがあり,千葉先生の お導きかと考えております.門下生を代表して,先生か らいただきました数多くのご指導,ご厚情に感謝申し上 げますとともに,これらの歌に送られて旅立たれた千葉 先生のご冥福をお祈りいたします.

( 京都大学大学院生命科学研究科  

京都大学農学部食品生物科学科 兼担 永尾雅哉)

Copyright © 2017 公益社団法人日本農芸化学会 DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.55.510

日本農芸化学会

● 化学 と 生物 

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プロフィール

永尾 雅哉(Masaya NAGAO)

<略歴>1982年京都大学農学部食品工学 科卒業/1987年同大学大学院農学研究科 食品工学専攻博士課程修了/同年雪印乳業 株式会社生物科学研究所勤務/1991年京 都大学農学部食品工学科助手/1997年同 大学大学院農学研究科応用生命科学専攻助 教授/1999年同大学大学院生命科学研究 科助教授(配置換え)/2001年同大学大学 院生命科学研究科教授(農学部食品生物科 学科兼担)現在に至る<研究テーマと抱 負>天然物からの有用な生理活性物質の単 離同定とその食品,医薬品,化粧品等への 応用/東洋医学の魅力を西洋医学的な生化 学・分子細胞生物学で解明したい<趣味>

野球,テニスをすること<所属研究室ホー ムページ>http://www.seitaijoho.lif.kyoto- u.ac.jp/

日本農芸化学会

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