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サロン・あべの

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(1)

出会し−    ⊥ゝ、∃「tあし、 助け合い  

サロン・あべの  

<サロン・あべの>NO・18    昭和62年12月5日(土)発行  

E二∴ニ=コ  

.  

あべのボランティア︒ビューロー︑阿倍野区華人   福祉センターが‡確するボランティア・スクールの  

カリキュラムのひとつ﹁交流会﹂ −みんなで楽し  

くミニハイキングーが︑十一月十四日︵土︶長居  

公園で行われた︒同スクール受講生︑たんぽ︑作業   所︑阿倍野区老人福祉センター︑サロン・あべのか   らあわせて五十名が参加︒昼食を共にし︑宝探しゲ   ームやマイムを踊って 晩秋の昼下がりのひとゝき  

遊びごころを解放した︒  

′町T ̄ヽ   

(2)

﹁交流会﹂について︑主催者側からあべのボランテ  

ィア・ビューローの前田博子さんに︑参加者側から  

受講生 脂浅真佐子さん︑サロン・あべの 柿岡夫   妻︑上田夫妻︑冨田慶子さんにお願いしました︒  

十一月十四日の交流会は︑私にとって︑  

とても意味のあるものでした︒   

最初︑お年寄りの方や障害をもった方と  

お話しでもできればいいな⁝︒と︑ぐらい  

にしか思っていなかった私に︑﹁湯浅さん︑  

斉藤さんのこと︑お願いしますね︒﹂とい  

う言葉は︑とても不安でした︒何をお話し  

すれば良いのか︑どうしたら安心していた  

だけるかがわからず︑一つ一つの行動をす  

るたびに迷っていました︒しかし︑他の方   感激の連続だった交流会  

湯 浅 真 佐 子   のおかげもあり︑斉藤さんとは︑とても仲   良くなれたような気がします︒   

その他のお年寄りの方や障害者の方とも  

触れ合うことができて︑とても楽しかった  

です︒   

勉強になることも︑いろいろありました︒   

ボランティアスクールで習った車椅子介  

助も出来て︑その他介護するという行動が  

一つずつ身についたと思います︒周りのみ  

なさんが︑私に話しかけて下さることもう  

れしく思いました︒何をしても︑感激の連  

続でした︒   

交流会で経験したことは︑これから障害  

児保育︑社会福祉を勉強する私にとって︑  

(3)

ずっと残っていくことだと思います︒お年  

寄りの方︑障害者の方の気持︑福祉の仕事  

の大変さ︑楽しさが少しでも︑わかったよ  

うな気がします︒   

また︑こういう機会があると参加して︑  

いろいろな方とお付き合いが出来れば⁝︒  

と思っています︒  

身障者と︑おとしより︑そして︑ボラン  

ティアとの交流会に参加して︑身体障害者  

の中にも 多種多様の障害を持っているこ  

とを知りました︒   

そして︑視力幹事を一つ取ってみても︑  

視力の凄度で行動や動作がずいぶん違って  

きますが︑肢体障害においては︑その部位  

の障害により︑行動がずいぶん違ってきま  

す︒それらの人々が一同に集り︑理解を持   ボランティア交流会に参加して  

柿 岡   

あべのボランティア  ︒ビューローでは年に  一回︑ボランティア・  スクールを開催してい  ます︒つまり︑ただ﹁  Ⅴ活動をしたい﹂と言  ってビューローを訪れ  てくれる人を待つだけ  ではなく︑スクールを  開くことによって﹁Ⅴ  

活動してみませんか?﹂   交流会開催への思い  

と皆さんにお誘いする  

わけです︒﹁Ⅴ活動っ  

てこんなものですよ﹂  と6〜7回の講義の中  

でその概要を説明して  

しまおうというものな  

のです︒   しかし!たかだか6  

〜7回︒ましてや発し  

い話︑身に覚えのない  

体験談⁝︒やっぱり︑  

﹁Ⅴ活動って何なんだ  

?﹂と︑首をかしげた  

くなるんじやないかと  

思うのです︒   

そこで︑スクールの  

一環としていろんな人  

に接する体験をしても  

らおう︑と考えたのが  今回の﹁交流会﹂でし  た︒なんのことはない   あべの訝ヾ坤も・㌢−守  前田 博子  やってみれば﹁ああ⁚  こんなもの﹂ ﹁難しい  ことではないんだ﹂と  思ってくれればしめた  もの⁝︒   やすことだけがⅤスク  ールの目的ではない︑  ﹁Ⅴ活動﹂と大声をは  りあげなくてもちょっ  とした手助けができる  人を少しでも増やすこ  とができれば大成功M⁚  そういう意味で︑この  交流会に参加してくれ  た人たちはその手助け  をする﹁勇気﹂を他の  人よりも少し強くもっ  てくれたんじやないか  と私は大いに期待して  いるわけです︒  

(4)

欲深く広大な植物が生い茂る地に冨田様  

のお誘いを受けて︑楽しい一日を送らせて  

いただきました︒   

植物園集合場所に行きますと︑私と同じ  

く車椅子のお方が多く待っておられ︑心安  

まる思いがしました︒    つというのは︑大変大切なことゝ思います︒   

お互いが︑良く知り合いながら自然の事  

大に囲まれた︑太陽のもと︑芝生をなぜ︑  

落葉を踏みしめる⁝外気にふれることのな  

んと楽しいことでしょう︒   

ボランティアの方々のお心のこもった計  

画により︑有意義な集りでした︒   

お互いに良く知り合って︑弱い老同志︑  

助け合って︑実世間に出て大いに活動しま  

しょう︒   

ボランティア童に撃て串   柿 同 線   豪華に咲き誇る菊花や︑美しく咲きみだ   れる色とりどりのお花を眺めさせていただ   きました︒   

皆様と共においしいお弁当をいただき︑  

又︑ゲームもとても面白うございました︒   

私共のC班は︑一番ビリであったことも  

笑いの一つでした︒   

自己中心もかえりみられず︑私共のため  

にご接助下さるボランティアの方々のおか  

げで︑こうして行事にも参加させていただ  

けることを常に深く感謝致し︑又︑私達も  

与えられた機能をよく訓練して︑楽しく元  

気に社会に参加させていただきたいと存じ  

ます︒    サロン・あべのをいつも頂戴致しており   ます︒毎月のご編集・発行は︑さぞかしお   大変のことゝ存じ上げます︒ますますのご   発展をお祈り申し上げます︒   

今回のボランティア交流会に参加させて  

いただき︑どうも有難うございました︒  

〃日々のよろこび添えて〃  

友の笑顔は 心の宝  

今日一日に 全てをかけて  

明日も又手を取り合って  

行きましょう 細い道  

細い退からだんだんと  

やがて見えて来る 広い退  

去と共々幸求めて どこまでも  

つきる車ない 人の道を  

<サロン・あべの>に贈る〃灯〃  

十一月のカンパ合計八四四六円  

ありがとうございました︒  

(5)

十一月十四日︵土︶あべのボランティア  

・ビューロー主催による︑ボランティアス  

クール交流会︵ミニハイキング︶に︑サロ  

ン・あべのを通じて︑初めて妻と二人で︑  

参加させていただきました︒私達夫婦は︑  

重度障害者どうしで︑毎日自分達の生活に  

追われ︑今まで︑なかなか︑こういう行事  

に︑参加できませんでした︒結婚して二年  

半近くなり︑お互いに少しずつですが︑生  

活にゆとりが出来る様になり︑今回初めて  

の参加となりまた︒   

あいにくこの日は︑朝から曇り空が続き  

今にも泣き出しそうな天気でしたが︑皆さ  

んの願いが︑天に通じたのか︑雨だけは降  

らなかったので︑良かったと思います︒   

&晋  

ボランティアスクール交流会に参加して  

上 田  敏   ハイキングなど︑ここ数年︑行ったこと  

が無かったので︑心弾ませながら︑植物園  

玄関前に集合︑皆さんと一緒に︑芝生広場  

へと向いました︒少し肌寒かったですが︑  

とても心地よい風が吹く中︑約二十分はど  

かけて︑芝生広場に到着︒そこで︑皆さん  

と︑楽しく昼食をしたり︑ゲームをしたり・  

なんだか学生時代の事を︑思いだしたりし  

ていました︒最後は︑フォークダンスで締  

がします︒    素晴らしい思いでづくりを︑したような気   めくくり︑障害者と健常者が一体となって︑  

少し欲を言えば︑これは︑僕の意見です  

が︑ボランティアスクール交流会と言う名  

のもとで︑行われた行事であるから︑時間  

的な問題も︑あると思いますが︑障害者と  

健常者が︑遊びだけの交流ではなく︑もう  

少し色々な事を︑話し合える時間があれば  もっと︑お互いに︑理解を深める事が︑出  来たのではないかと思います︒   

しかし︑非常に楽しく︑有意義な時間を  

攣﹂させていただきました︒   

また︑こういう行事がありましたら︑よ  

ろこんで︑妻と二人で︑参加したいと思っ  

ております︒   

本当にありがとうございました︒  

サロン十一月の出会いは︑あべのボラン  

ティア・ビューロー︑阿倍野区老人福祉セ  

ンターの主催するボランティアスクール受  

講生との交流会参加となりました︒   

老人福祉センター︵十時三十分︶集合組  

は︑あびこ筋から︑大島功・ケリア号・板  

子初子・斉藤孝文︵車イス︶さん方と私が   笑顔こぼれる交流会  

∧サロン・あべの>十一月の出会い  

(6)

受講生の皆さん方と共に﹁なかよし﹂号の  

バスに乗り︑直接組が待っている長居植物  

園前へと急ぎました︒   

サロン関係では︑昭和町近くから奥様の  

電動車イスの手引で参加下さった柿岡ご夫  

妻︑身障スポーツセンターで車イスサッカ  

ークラブに入っておられる上田ご夫妻︑電  

動車イスで身軽に行動される山太篤江さん  

そして︑いつも元気な中西利春さん︑﹁遅  

れなかったよー﹂と明るい声の河合恵子さ  

ん︑いつもの笑顔の石田律さん等が来て下  

さっていました︒   

全員が揃って門を入ると︑今が盛りの菊  

のけんがいが︑かぐわしい香りで迎えてく  

れました︒一大の薬は︑紅・黄に染まり︑気  

の早い枯れ葉が︑路上でカサコソと軽い音   をたてゝいました︒他には︑アヒルやカモ   が賑やかに泳いでいました︒右に左にと秋   の風情を楽しみつつ︑車イスを渡辺チカヨ   さんに押していただいて芝生広場に着きま   した︒車座にゴザを敷いて︑心ずくしのお   弁当をいただきました︒青空の下でいただ   くお弁当の味は︑格別のおいしさでした︒   

食事中に参加者グループの自己紹介が着   り︑サロンのことは石田さんに云っていた  

だきました︒食後︑グループ︵A〜E︶毎  

に分かれて芝生内を宝探しゲームで︑隠さ   れた封筒四十枚を探しまわりました︒封筒   内には︑クイズ・ジャンケン・ゼスチャー   ・合唱等︑多種類の問題が有って︑一間十   点の得点が加算されていくのですが︑中に   はマイナス点のはずれ封筒が有ったりで︑   封筒の数が多いだけで︑いちがいに有利と   決められず︑最後迄グループの順位が解ら   なくて面白いでした︒仕上げに皆さんとホ   オークダンスのマイムを踊りました︒    帰りには︑今日の記念にと紅色の落ち葉   を拾ってもらい︑ドングリもいただきまし   た︒多くの人々との出会いと共に︑秋を満   喫でき︑太当に楽しい一目でした︒    お世話になった皆様︑ありがとうこざい   ました︒  

(7)

4.文化面   身近な文化であるテレビには︑字幕・手  話通訳付きの番組が少なく︑ろうあ者は  一般国民なみのテレビ文化の恩恵を享受で  きずにいる︒昭和五十八年より実施され始  めた文字放送も未だ全国的なものではなく︑  受信機は高槻なので︑ろうあ者にとって真  に親しめるものとなっていないのが現状で  ある︒また︑外国映画の日本語吹替えが進  み︑文字挿入が減少するなど︑聴覚障害者  

に対する配艦不足が目立っている︒   そのほかにも一般の文化的催し︑例えば  コンサート︑講演会︑講座等の多くは︑ろ  うあ者にとって利用に供されるものではな  い︒特に音楽︑歌などの催しは︑たとえ手  話適訳を付けたとしても︑健常者がうける  ような感鈍を受けることは少ないようであ  

∴川f♪fA=仰TF  

g  

る︒筆者は︑三年間にわたり︑﹁わたぼう  

しコンサート﹂ の手話通訳に参加したが︑  歌のリズムを聞こえない人々に伝えること  

は︑不可能なことのように思われた︒   しかし︑演劇芸能関係では︑ろうあ者が  主体となって自らの文化の創造を目指して  手話劇︑手話落語︑パントマイム︑太鼓等  に取り組んでいる︒その具体的な例として  トット基金 ﹁日本ろうあ者劇団﹂︑岐阜ろ  

う劇団 ﹁いぶき﹂︑京都ろう劇団﹁ひびき﹂  デフバベットシアター﹁ひとみ座﹂ などが  ろうあ者を中心に視覚効果を取り入れた独  特の手話劇や手話狂言を試みている︒大阪  では︑桂福相次氏のもとに十人近くのろう  あ者が集まって手話による落語を演じてい  るが︑表情が豊かで︑状況描写などに秀で  

た才能を発揮している者もおおい︒   日 時⁚昭和六十二年十二月九日︵水︶  

午後一時三十分〜三時三十分  

場 所⁚育徳コミュニティセンター  

一階ホール︵場所変更になってい  

ますのでこ注意下さい︒︶  

﹇阪南町五−十五−二十八﹈  

参加費⁚無料   

∧プログラム>  

○第一部︵一時三十分〜二時三十分︶   

講演会﹁ボランティアと地域﹂   

講師 佐藤 重三郎 先生︵精神薄弱  

者適所施設 大和川園々長︶  

○第二部︵二時三十分〜三時三十分︶   

交 流 会    阿倍野区ボランティア交流会︵第二回︶  

(8)

自立ということについて考える時︑それ  

は必ずしもハンディキャブト︵いわゆる障  

害者と云われる人達︶だけの問題ではない  

と思います︒今︑こんなことを重いている  

私自身︑とうてい自立しているとは云えな  

いし︑この頼りない娘を見て両親は︑いつ  

も﹁お前は︑ひとりになったら︑いったい  

どないするねん﹂といつも不安げな様子な   ﹁親亡きあと﹂の問題  

旭  純 子   のです︒ただ︑ハンディキャブトの問題に  

っいて特に.自立と社会参加.が取り上げ  

られるのは︑彼らがハンディを持つことに   ょって︑元気な人達よりも自立に関してよ   り大きな困難を伴っているからだと思いま   す︒   

この自立に隣する意識をはっきりと持ち   主張できることができるかどうか︑ハンデ   ィキャブトの自立への鍵はそこにあると思   います︒   

それは端的に云えば︑﹁朝がいなくなっ  

たら︑自分はどうするのか?どうしたいの  

か?﹂という意識づけであり﹁そのために   自分がしなければならないことは何か?﹂  を考えることにつながると思うのですが︑  そういう.思い.を家庭内で両親や他の家  族と︑きちん七話し合うことができるかど  うかということになると︑そんな家庭はあ  まり多くないのではないかと︑短期間の経  験上感じています︒   

多くの親にとって︑ハンディを持つ子供  

の自立を面と向って考え︑そのように育て  

ていくということは︑容易ではないし︑従  

って親は全面的に子供の介護者であり︑子  

供にとって最も.わかってくれる一存在に  

なってしまう︒重度であればある程︑その  

(9)

傾向は強いような気がします︒   

実臨︑重度老の家庭では︑親以外の介護  

を受けたことがない︑親以外の人の手から  

食べ物をロにしたことがないという.不幸︐  

なケースが実に多いのです︒  

.不幸.なケースと云ったのには︑それな  

りの理由があります︒最近問題になってい  

る﹁親亡きあと﹂のことですが︑こういう  

親以外の介護を経験したことのない重度老  

が﹁親亡きあと﹂何らかの社会資源のもと  

に生活していく時︑適応しにくい状態が起  

こってくるという話をたびたび耳にしたり  

するのです︒ところが︑親と話してみると  

﹁それでもしょうがない﹂等という答も以  

外に多く︑﹁私らが死ぬ少し前にこの子に  

先にいってもらえたら一番いい﹂なんてこ  

とを云う親もけっこういて︑せつなくなる  

ことがしばしばあります︒   

日太人的な親の人情が︑そう云わせるの  

でしょうが∵親にとって子供を残して安心  

して死んでいけるような社会であれば︑そ  

んな言葉が親のロから出ることはないと思  

っています︒    残念ながら︑いずれ来る﹁親亡きあと﹂  の問題にいつもおびえながら︑見て見ぬふ  り︑﹁他人さんにめいわくをかけたくない﹂  と限界まで頑張りつづける親たうがほとん  どなのです︒    今の社会では︑自立ということについて  親や太人の要求をみたすための条件は︑ま  だまだ未整備であると云えそうです︒   

職業的自立ができ︑積極的に社会参加し  

ていけるケースは︑基本的に自立するとい  

うことのパターンが︑人間の数だけあると  

いう考え方で︑なされていかねばと思うの  

です︒   

それは︑今まで経験のないことをやって  

みる︒例えば﹁料理は︑包丁や火を使うか  

ら危ない﹂とやらせてもらったことがなか  

ったから︑まず︑牛乳を加えてかきまぜる  

だけのデザート作りからやってみる︒︵そ  

れも立派な料理のはず︶それを家族に食べ  

させてあげる︒買い物をしたことがなけれ  

ば︑ちょっとボランティアと外出のついで  

に実際に自分の辛からお金を払ってみる等  

ということからはじまるかもしれないし︑  

寝たきりであっても︑おむつをかえてもら  

うときに︑かえ易いように少し自分の膜を  

動かしたり︑持ちあげたりする︒詣はでき  

ないが︑笑いかけている︒そういう仕草の  

ひとつだって︑その人にとっての社会参加  

(10)

であり︑可能な限りの自立であるかもしれ  

ない︒そういう小さな変化の穂み重ねが︑  

第一歩であり︑それを見つけられる目が周  

囲の人達には必要なのではないかと思って  

しまう今日此の頃です︒   

自立について考える時︑思うことはどこ  

かの講演である先生が云っておられました  

が︑ハンディを持った人が自分のライフサ  

イクルに応じて︑ある時は在宅で︑ある時  

は地域で︑ある時は施設︒病院でと自ら選  

択できる社会であってはしい︑ということ  

です︒   

そして︑自らの意志で選択できるだけの  

考え方まで高めるには︑家庭内で︑地域で  

この問題を避けずに︑話しあえるだけの土  

盛作りをする必要があるのではないかと感  

じています︒   

なんて︑わかった風なことを書いてしま  

いましたが︑かく云う私も﹁親亡きあと﹂  

を考えると︑目をおおいたくなる程自立で  

きておらず︑我ながら﹁なるようになるサ﹂  

なんて︑のんきにかまえている時期ではな  

いことに気づいてしまいました︒明日から  

は︑少し真剣に考えてみたいと思います︒  

嘲糊泄嘲仰l脚勒川‖l脚勒脚岬糊酬勒脚脚珊醐咽酬岬  

あべのボランティア・ビューローの︑ボ  

ランティア・スクールの講座のひとつ﹁視  

覚障害者の誘導﹂で︑手引きの仕方につい  

て︑④基太的な姿勢 ⑧狭い場所では⁝  

㊥階段の昇り降りは⁝ の説明とそれぞれ   編 集 後 記  

にぎやか新 年  

サロンあべの 1月の例会   

日時:昭和63年1月16日(土)  

午後12時、3時  

場所:あぺのベルタ地下2階『鳥兆』  

会費:1人一1500円  

申込み:電話(06)69ト1028 宮田迄  

締切:昭和62年1月10日  

−・l、、   

ぶって︑実際に街中へ出た︒    の注意点を受講︒そのあと実習で︑目をつ  

机上どおり︑手引きをしてもらいながら  

ふと思った︒﹁こ〜で︑もし自分が危いと  

感じたら︑目をあければしまい⁝ 健常者  

に戻ることが出来る﹂また﹁この実習が終  

った時点で健常者にもどる﹂   

自分の心の隅のどこかにある﹁もどれる﹂  

という気持は障害をもつ人に︑どう映って  

いるだろう︒心寒くなった︒  

i暮すーl 

乎l掌   ヤt  

<サロン・あべの>第18号  

発行日  昭和62年12月5日(土)  

発行・編集<サロン・あべの>運営委員会  

【大阪市阿倍野区阪南町6−3−26  

参照

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