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組織研究の一試論--経済事象への社会学的アプローチ---香川大学学術情報リポジトリ

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33 組織研究の一試論 経済事象への社会学的アプローチ

富士 田 邦 彦

社会学が,ジンメルG.Simmelの登場によって,社会科学界に市民権を得 て久しいが,今日のように,社会構造が複雑化するにつれて,社会諸科学の対 象領域は,複雑化・細分化するとともに,他方では,重複する傾向も認められ, それぞれの領域を明確に限定することば必ずしも容易ではない。こういう事情 から,諸科学相互の関連を視野に入れた学際的な新たな科学あるいは研究法の 成立が促進されてきているのは周知のところである。 現今の社会科学界を展望するとき,上述の観点から,一・連の社会的事実を, 既成の学問的領域を超えた視角から観察し,社会的事実に含まれる諸要素相互 の関連を究明することば,重要な作業というべきであろう。本稿では,組織と 人間をめぐって,従来主として経済事象として扱われることの多かった若干の 問題を,伝統的な社会学的視座から再考し,両者の接点を探ってみたい。そこ で,まず社会学と経済学の学問的性格の関連および対比を論じた後に,組織, 特に経済組織体と個人の帰属意識に関して問題提起を行なう予定である(1)。 し−・) 広く経済とは何か。高田保馬によれば,それは,「物質財の拉得行為総体. であり,この控得は,「一・々の孤立したる行為ではなく,一・定の秩序によりて 総体を構成してゐる.という(2)。このような行為は,極小の限界においては, 欲望を充足しようとする主体と,物質,すなわち自然との交渉において成立す るものであるために,「経済は事態の本質上,社会をはなれて成立しうるも の」であるが,「ただそれを営む主体が社会に於てのみ生活するが故に,経済 は社会との結びつきに於てのみ存立する.のであるtB)。 したがって,経済とは,単なる生物体の食物探求とは異なり,主体が,欲望

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富士田 邦 彦 34 充足の対象に向う場合に,間接的方法が加わり,手段の選択が行なわれ,それ らの行為の間には,一定の秩序が形成されると考えられる。この間接的方法が 有効に行なわれるためには,行為者各自の経験が集積され,多くの社会関係を 経なければならず,その意味でも,経済事象は,すぐれて社会学的対象領域で ある。蓋し,経済は,「それが全く社会を離れて行はるると考へたる場合に於 ても,ただ社会生活の結果としてのみ成立し得るものである(4)。. ここで「社会.とは,最も端的にいって,人間の共同生活を表わすとすれば, 社会的事実とは,人間生活に関わる諸々の事象であり,経済のみならず,政治, 宗教,芸術等の諸事象は,すべてこれに含まれる。人間の共同生活は,これら 諸事象の統一・体として存在するが,就中,経済は,共同生活の基礎をなすもの であり,衣食住という人間の基本的生活に直接結びつく領域であろう。その意 味では,経済事象は,全体として,社会の中に包括されて,その重要な構成要 素をなす。人間は,社会において,物質的生活手段の生産・再生産を行なうが, それが共同生活において行なわれる場合には,経済生活を営むうえでの人と人 との社会関係,すなわち生産関係を通してなされることはいうまでもない。し たがって,前述の高田の論を展開させれば,経済とは,社会の生産力の一定の 発展段階に対応する生産関係の総体を意味することになる。そして,人間社会 における生産関係を特にとりあげ,物質的生活手段の生産・分配を支配する法 則を究明するのが経済学であるといってよかろう。 このように,経済と社会とは,密接な関わりをもち,経済が社会的に位置づ けられるとはいえ,さらに厳密な注意を行なわなければならない点がある。す なわち,経済は,人と人との交渉のうちに行なわれるが,この交渉は,経済そ のものから見れば,いわば「一・種の随伴者.にすぎないために,「経済社会. と「社会経済.の区別が必要となり,「一層一・般的にいへば,『経済における社 会閑像』と『社会における経済過程。とが区別されなければならない.のであ ′る(5)。 既述のように,経済学は,物質的生活手段の生産・分配を支配する諸法別に 関する科学であり,この法則定立を目標とするものであるが,これは,経済的 社会関係自体よりはむしろ,それを通した人々の中における物質的手段の調達

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組織研究の一・試論 35 活動を対象とし,理論的に分析するのであり,「社会経済の学 .である(6)。理 論経済学,純粋経済学こそがその中核であろう。すなわち,理論経済学は,物 質的生産漕働そのものを主題とし,物とそれをめぐる経済的諸数量の連関を分 析することによって,科学的自律性を確立してきたと考えられる。その意味で, 経済学は,社会構造を,一つの流通椀構として把握し,それを盛的・機構的に 観察するところにその主眼をおく。すなわち,前述の「社会における経済過 程.に着目し,それを理論的に研究するのが,経済学,すなわち社会経済の学 であろう。 一方,経済的社会関係そのものを対象とし,これを理論的に研究す−る分野を 「経済社会学」と称してよかろう。経済社会学では,経済学においては与件で ある種々の社会的事実を重視し,「経済における社会関係.を特にとりあげる。 すなわち,経済を通しての社会学と呼ばれるべ善ものである。この観点に立て ば,社会関係の一つとしての経済関係を探求する経済社会学は,当然,社会学 の特殊な一分野となり得るであろう。いうまでもなく,経済事象は,社会に よって生み出され,社会において営まれる。経済社会学が,社会的事実のうち の経済事象に着目し,これを解明しようとする分科社会学であるならば,「社 会によりて経済が如何に制約せらるるか.,「経済によりて社会が如何に制約せ らるるか.の問題が,その究極的喪題となろう。すなわち,「社会が経済を通 じて如何にそれ自体を変化せしめてゆくか.の問題である(7)。 人間生活は,−・定の環境(人と自然)の上に成立し,経済事象に関わる各種 の行為も,社会を基礎にして,人々の各種の関係のうちに実現されている。こ のように,経済事象には,常に人の多様な社会関係が関わっている。経済学は, 社会における経済,すなわち,「人々の財調達過程(8).そのものを分析するが, 社会における物質的手段調達活動の相関は,常に経済的社会関係を前提として 展開されているゆえに,経済学は,常にある特定の経済的社会関係を前提とし て,あるいは与件の一つとして予想しなければならない。「しかし,与件とし て予想するといふことは,厳密にいって,それを対象とし分析するといふこと を意味しない.(9)であろう。そこで,多様な経済的活動が,相互に連関しあう なかで,その当事者のとり結ぷ社会関係の領域こそが,経済社会学の対象であ

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富士田 邦 彦 36 り,「社会における経済.の領域は,経済学の対象として区別されなければな らない。社会関係が,社会学の重要な対象であるなら,経済における社会関係 ならびに「経済社会の諸形態とその必然的連関.は,経済社会学の研究対象で あり,一・方,「現代経済社会のうちに展開せられる社会経済過程の分析.は, 経済学の守備範囲となる(10)。経済事象をめぐる穆々の社会的事実,すなわち 交換・競争の関係,所有の差異に基づく階級関係に関わる多様な社会的事実は, 経済学における与件であり,この与件,前提そのものを分析することば,「純 粋経済学の権限の外にあり,まさにその理論的能力を超ゆる問題である(11)。. 従来の経済学の数理.的・量的把握の代りに,歴史的社会的方法が採用されて, ここに経済社会学は,経済学とはその対象・方法を異にした新たな社会科学と して成立し得るのである。 しかし,この両者は,決して相互に対立する存在ではなく,むしろ相互補完 的な意味をもつものであろう。社会学が,当初,その固有の領域として,人間 生活の形式面を抽出した事情があったとはいえ,社会生活の内容面に関する研 究もまた待望されていたといえる。この要望に応えて,特に経済的生活面の内 容分析にあたったのが,経済社会学といってよい。この点で,経済社会学は, 経済学と社会学の中間的性格を有していると考えられる。その意味で,経済社 会学においては,経済学と社会学双方の接近のなかで,両者の内面的統一・が目 指されているのである。理論社会学における専門化と事物化によって見失われ がちな「生への具体的連関.をとり戻すために,経済社会学は,「観察の総体 的であるとともに何よりも先ず主体的であること(12).に努めるのであり,経 済事象における物体的な面と主体的な面を統合することを目指すものである。 経済の世界において扱われるのは,まず<物>であり,経済学は,:この ・く物>を合理的・客観的に観察しようとするが,この<物>に関与する多様な 人間関係・社会関係における<情>も見逃すことは出来ない。心的相互作用こ そが,社会の本質であるとすれば,経済事象においても,合理性のみならず, 非合理性も不可欠に作用していると考えるべきである。このように,人間の活 動のなかでも,特に合理的な経済事象においてさえ,非合理性が働いている事 実を直視し,それを合理的なるものとの関連において考察するのが,経済社会

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組戯研究の−・試論 37 学の任務となろう。 人は,自己の人的・自然的環境との作用・反作用によって,環境を形成変革 せしめると同時に,それによって影響を被る。経済事象においてもその例外で はない。この意味で,「経済によりて社会が如何に制約せらるるか,又経済が 社会によりて如何に制約せらるるか.の問題は,経済事象に関わる社会関係が, それを含むさらに大きな社会関係に,非合理性を伴いながら,反映する過程を 通して観察されると考えられる。以上の観点に立って,我々は,次節以降で, 主として経済組織体をめぐって生ずる組織と人間の問題について,若干の考察 を試みるものである。 (ニ) 現代社会において,く組織>は,重要な意味を有している。<個人>として の人間に対置する意味で<組織>概念が設定され,個人の意志や行為に対する 外在的障害物として,く組織>が位置づけられることも少なくない。したがっ て,ここではまず,組織概念の一応の定義を行なうことが必要であろう。 まず,状態としての組織,すなわち組織の静態的側面を考える。この点を単 純化すれば,組織とは,相互に関連しあった人々の集まりとして考えられよう。 この見地から見ると,静態的に把えた組織は,集団と深い関わりをもつ。すな わち,組織は,集団の構造としての意味で用いられることが多い。同様な観点 から,無組織集団から組織集団への上昇が,く構造化>と表現されることもあ る。このように考えれば,組織とは,「目標達成のための手段の整備,手段の 体系化の程度と様式.(1a)が高度に充たされた集団として考え得る。また,集 団概念と組織概念の区別の点からいえば,組織は,集団よりも広義の概念と いって−よい。さらに,この意味での組織のより大規模な体系を体制と呼ぶこと にすれば,体制は,構造化,目標の設定,手段の体系化等の点において,一・層 程度を増し,集団→組織→体制という次元の推移のなかで,組織を・位置づける ことも可能である(14)。 他方,集団的側面から組織を扱うのではなく,「人間活動の体系として(15)., 組織概念を構成する場合もある。これは,組織の構成員たる人間の多様な全体

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38 富士田 邦 彦 性や物的環境,社会的環境を−・旦捨象し,共同目標達成のための活動に向う個 人の動機と組織側の誘因との動態的側面に注目する立場である。これと関連し て,集団をして組織たらしめる諸特性を抽出し,構成員から区別されて独立し た機構としての組織概念をも考え得るが,これは,構成員としての生きた人間 との関連が軽視されやすいために,単なる操作概念になりかねず,歴史的社会 的現実態を究明する社会学的な分析にとっては,抽象的たることを免れ得ない であろう。 このように考えて1社会集団論の範疇で把えた<状態としての組織>,すな わち,上述の文脈にしたがった人々の相互に関連しあった集まりを,混乱を避 けるために,特に<組織体>と呼ぶことにしたい。そうすれば,後述する組織 の動態的側面,すなわち<過程として−の組織>は,「組織化.あるいは組織体 の変化の視座から理解することが可能となる。ただし,組織を論ずる際には, 組織された実体のみでなく,組織化あるいは変動の過程を併せて考えなければ ならないのはいうまでもない。 さて,状態としての組織,すなわち相互に関連しあった人々の集まりを組織 体であるとすれば,当面とりあげる経済組織体とは,マッキーパー R.MacIveI・ の集団類型諭にしたがえば,経済を主要機能とするアソシエ・−ションとして考 えることが出来る(16)。この意味では,企業や職場集団,さらには労働組合等 が,研究対象に含まれる。 経済組織体の構造を考える場合,単に,当該組織体の成立・存続・発展に対 して順機能的に働く組織体の制度を含む形式的構造,すなわち・7オ「マルな構 造のみでなく,組織体内において成員間に存在するパーソナリレな相互蘭係に基 づき,制度としての組織に直接反映しないインフオ・−マルな構造をも考えなけ ればならない。すなわち,組織理論の成立発展は,周知の「ホーソンエ場の実 験」の例にも見る如く,企業の経営上の組織,特にフォーマルな組織体に対し て,インフォーマルな組織体が,人々の生産意欲に大きく作用することが注目 されたからであろう。 このように,経済組織体に限らず,組織概念を,一義的にく組織体>として, 人々の相互関連的集まりと把える観点に立てば,組織体とその成員としての個

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組織研究の山試論 39 人は,社会有機体説に見られるような生命体における全体と部分との関係とは

異なり,個々の成員白休もまた,全体的存在であり,このような諸個人が,相

互に閑適しあった実在として−,組織体を構成していることを無視してはならな い。社会の本質は,人々の心的相互作用であり,経済事象における人間活動に も,合理的形式的側面のみならず,非合理性が含まれて作用しているのであり, 組織と人間の問題を扱う際には,この二重の側面に注意すべきである。 ところで,組織体の成員の間に生ずる社会関係を観察すれば,特に密接な社 会関係に関与する人々からなる自主的な小集団が,組織体の内部に登場するこ とが認められる。この自主的小集団と組織体との関わりには,種々の場合が考 えられるが,それが具体的な形で表われるのは,経済組織体,特に企業とその 内部の職場集団との関連においてである(17)。この両者が,協力関係に立ち, 両者のモラ1−リレが合致する条件としては,職場集団の拡がりが,企業の経営組 織の下位部分の編成と一・致し,孤立者がないことがあげられようし,また,経 営組織上の命令系統や待遇の序列が,職場集団における指導者・被指導者の地 位役割の分化と対応することも条件の一つとなる。これに対して,両者のモ ラールが−・致しないのは,職場集団が分裂し,孤立者が出る場合で,孤立者は, 集団から疎外され,職場集団を包括する上位組紙体に対する協力の意欲も減退 することになる。また,前述の職場集団の地位役割の体系が,経営組織上の命 令系統や待遇の序列と−・致しない場合には,フオ・−マルな指導者とイン■7カ・− マルなそれとが分離し,協力関係は減少することが多い。 上述のことから,経済組織体の構造を観察するには,当該■組織体の成員の盈 的把握にとどまらず,その質的分析,すなわち性別,年令屑,学歴構成,通勤 臥 勤続年数等々に関わる個別的成員の調査とともに,組織体自身の企兼別分 類,地域的条件,職階制,身分制,さらには待遇や昇進の基準等も含めた総合 的な調査研究を行なわなければならない。もとより,この種の作業は,短期間 の調査では可能とならない。経済組織体を包括する歴史的社会的現実態として の全体社会の構造との相互関連を視野に入れて,時間的・空間的な実態を把捉 することが必要であろう。 このように,組織と人間に関わる一つの視点として,経済組織体をとりあげ

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富士田 邦 彦 40 た場合,経済社会学は,経済事象をとり扱う「経済を通しての社会学.を意味 し,その目標が,全体社会の一・断面の実態的把握であるとすれば,社会体制研 究の重要な一腰としての位置を占める。すなわち,全体社会の体制構造を考え る一つの指標として,社会事象のうちの経済事象をとりあげるのであり,その 意味で,社会全体の構造,変動,再編成の問題が対象となる。ここにこそ,実 践科学としての役割があり,組織が,体制と個人の間に介在することから生ず る諸事象を,単に社会病理的,あるいは社会福祉的に見るだけでは十分とはい えない。 本来,社会構造とは,一山定の生産関係のもとで,諸集団の成員が占める社会 的地位役割の体系に応じて表わす社会的行為および社会関係全体の相互関連の 様式として把握されよう。このことを念頭において,経済組織体を研究するな らば,我々が,究極的に対象とするのは,広くは地域社会ひいては国民社会の 構造的側面または構造要素としての経済社会であり,その構造ほ,地域社会, 国民社会の成員に対して,一・つの秩序として,その行為やパーソナリティを規 制していることになる。もちろん,成員の行為やパ・−ソナリティを形成し,規 定している社会構造が,逆に前者によっても規定・変化せしめられていること ばいうまでもない。 経済組織体の構造の研究は,例えば,制度的構造と非制度的なインフオ、−マ ルな集団の構造との相互開運や,成員の社会的行為や社会関係が,構造維持に 如何に順機能的または逆機能的に作用しているか等の分析に向けられるが,決 してそれのみではない。づ‘■■なわち,組織体の構造は,それをめぐる社会的条件 に相関的なものとして,社会体制の一・環として考えられなければならない。社 会体制,すなわち全体社会の経済構造,価値体系は,その内部の個々の組織体 の性格を規定し,制約するものである。組織体の成員は,一定の社会的文化的 背景のもとで形成された態度,パーソナリティ,価値観をもち,それを組織体 にもちこむが,「ある社会的文化的環境の下では効果を発揮する誘因も,それ とは異なった社会的文化的環境の下では効果を減ずる(18).ことにもなる。こ のような環境の相違は,地域的差異のみならず,社会動学的見地から見た全体 社会の変動にも基づくものである。

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組織研究の山試論 41 組織と個人,さらには社会と個人の問題では,従来,形式社会学を中心とし た社会静学的傾向が重視され,変動理論が,ともすれば軽視されてきたが,社 会の進展と,それに伴う社会関係の変化は,社会変動の理論なしには究明出来 ない。この意味では,無組織集団の組織化の過程や組織体の変動・再編成も, 全体社会の変動過程との関連で研究されなければならない。この点に,組織の 動態的側面の研究が必要とされる理由が存する。 社会変動とは,広義には,一社会に存在する秩序,文化,さらには体制の内 容が,−・部または全体的に変化する過程であるが,狭義では,主として社会の 下部構造,すなわち社会の生産関係,経済体制の変化を指す。諸社会事象のう ちの経済事象も,より高次には,歴史的社会的現実態としての全体社会,換言 すれば,社会体制内の一・部分をなすゆえに,一・経済組織体の変動も,生産関係, 経済体制の変化としての社会変動の枠組のなかで把えられるべきである。動的 に見た社会過程は,社会内部の多様な技術の発達や,それより生ずる他社会と の接触等の交錯のうちに見られる社会再編成の過程でもある。この場合,特に 広義の文化的要素の発生・導入・利用は,社会全体に大きな影響を及ぼし,社 会およびその内部の経済組織体の変動と再編成を不可避にする。すなわち, 種々の技術,動力の発明,利用と,それに由来する生産関係,社会関係の変化, 社会の拡大は,例えば,企菜再編成および企業自体の性格の変化を惹起するの みならず,個人の組織体への帰属意識の変化をももたらす。それらは,経済的 問題であると同時に,政治的・社会的問題にまで発展する。技術は,人間の直 接的な物質的生活条件をつくり出す生産に結びつくという意味で,生産力の要 素となり,生産関係,広くは社会関係に組み入れられる時に社会変動に関わっ てくる(19)。 社会は,人間の共同生活であり,社会諸事象のうち特に経済事象は,共同生 活の基礎をなす。人間は,物質的生活手段の生産・再生産・分配・交換等を行 なうが,それらが共同生活において行なわれるには,経済生活を行なううえで の人と人の社会関係,すなわち生産関係を経るものである。そこには当然,広 義の社会環境が,条件として働き,必然的に,人々の相互作用が,そこに関与 してくる。そこで,経済組織体を研究するにあたって,我々は,視点を人間に

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冨士田 邦 彦 42 おき,成員間の多様な社会的行為,社会関係に着目しながら,その実態を全体 社会の枠で考えるべきであろう。このように,経済組織体の変動は,全体社会 の変動と不可分の関係にあり,経済的社会関係が,非合理性を伴いながら,他 の社会諸関係に反映する様態が,当面我々の研究の目標となる。その意味で, 全体社会の構造という巨視的な視角を含めながら,以下,組織体と個人をめぐ る若干の問題を検討したい。 (三) 前節に見たように,組織と人間の関連,さらには組織体に所属する人々の意 識構造を,広く全体社会との関わりにおいて観察し究明しようとする作黄ば, すぐれて社会学的である。本節では,その一‥例として,経済組織体としての企 業および組合に所属する人々の示す意識形態を主としてとりあげる。 まず,我々のいう<意識>とは,決して単なる情緒や,個人が主観的に自己 の心中に一定つ信念を抱く現象をいうのではない。それは,個人主体またほ複 数の個人が,自らの態度を決定し,実践的な行為を示す際に,投も客観的に観 察され得る。そして,経済組織体に所属する人々の帰属意識が,社会意織の一・ 部,またはその重要な構成要素をなすという認識に立てば,それは単なる個人 の偶然の感情というよりは,社会の物質的・経済的土台を反映していることに なろう。もし,彼らの意識を,単にある個人の情緒として考え,現実の意識形 態を個人の属性に帰して把握するならば,この種の研究は,人間と社会の関わ り,あるいは,前■者の後者による規定や拘束という側面を見失うおそれがある。 社会悪識は,社会的存在としての人々の意識であり,社会の物質的生活をめぐ る諸条件の反映であると見るならば,経済組織体に所属して示す帰属意識や, 広く人間の意識は,まさに歴史的社会的現実態として観察されなければならな いのである。このことば,意識が,単に経済的土台を一儀的に反映しているこ とのみを意味するのではなく,一定の生産関係を含めた総体的な社会構造とと もに一般に上部構造内に存在する諸々の媒介的要因をも併せて考える必要をも 意味している(20)。 およそ人々の意識は,現実の生活や労働に密着して生ずることが多く,その

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組織研究の−・試論 43 点では,個別的具体性をもつが,その現実の意識形成に関わる媒介的諸要因 (為政者側の意識統一・の試みも含めて)を究明することによって,社会的存在 としての人々の意識が,如何にそれらに影響を受けるかを考察することが肝要 である。もとより,人間の意識ば,不変のものではない。一億の土台および上 部構造の影響のもとに成立した意識が,逆に社会構造を規定することも当然考 えられるゆえに,その両者の相互作用を忘れてはならない0 今日,経済組織体に所属す−る人々の意識構造に関わる問題として,<企業意 識>と<組合意識>ないし<階級意識>の共存または分離がとりあげられるこ とが多い。この問題は,彼らの意識が,一定の社会体制によって,如何に規制 され,また労務管理政策等によって,如何に彼らが企業に吸収されていくかを 解明する一・要素となるゆえに,ここでは,主としてこの間題に焦点をあててみ たい。 人々が,企業および組合に所属して示す−帰属意識は,平時には,別個の平面 において存在しており,矛盾なく共存している。ここで,人間の意識を,広く 社会結合の範疇から観察すると,この両者が,矛盾し,衝突または競合するの は,両平面が交叉する具体的個別的な生活や行為の次元においてである(21)。 その意味で,具体的な局面において,人々は,時として二者択一・を迫られる事 態に直面する。「忠ならんと欲すれば孝ならず,孝ならんと欲すれば忠ならず」 といわれる如く,意識が,具体的に顕現するのは,最終的に行為の選択を迫ら れた時であり,抽象的な次元では,その本質は究明し得ない。それゆえにこそ, 人々が帰属を最終的に決定する一・定局面において,企業と組合は,彼らの忠誠 を獲得せんとして競合する(22)。また,特にこのような状況において,人々の 二重忠誠が,均衡を失い,彼らが,甲乙何れかの対象へ忠誠を集中せぎるを・得 ない事態が生ずるのである。 この忠誠の発現形態,すなわち,人々が,如何なる組織体(この場合,企業 または組合)に帰属する具体的行為を表わし,あるいは自己の忠誠の大なる部 分を配分するかの問題は,諸個人の当該対象との関係に対する依存の意識の度 によって決定される。 一・定の対象およびそれとの関係によって充足される生活欲求が,自己にとっ

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富士田 邦 彦 44 て重要なものであれば,人は,当然多盈の忠誠を当該関係に配分するであろう。 この点で,企業により貸金を受けるという現実が,成員の生活を直接に左右す る。ここに,「会社なくして組合なし.との労使−∴体の観念が生まれ,労使の 利手は,本来,一・致・融合するものとされやすい。特に,米国のような職種別 ユ・・ニオンが存在せず,企業別組合制度が特徴となっている日本社会においては, 白らの生活条件を左右する企業に直接多虫の息誠を捧げ,企業への忠誠が,組 合への忠誠を覆いつくす意識が生じる傾向は無視出来ないところである。この ような労使一・体観のもとでは,企業の繁栄拡大は,そのまま成員の欲求充足, 自我の拡大として受けとられる。このように,企業内でのいわば批判要素とし て,すなわち,組織体の一・構成要素として組合を位置づければ,成員の意識に おいては,企業への忠誠と組合への忠誠が,矛盾なく均衡を保つことになる。 しかし,労使の利害が一∴致するとの意識が,常に安定し,不変のものとは限 らない。労使全体としては,利零の−・致を認めながらも,利益の分配において は,労使の立場は異なるとする意識が生ずるのも避け得ない。ただし,その意 識が,直ちに利益分配率の変更の要求に結びついて,企業への批判や不満が顕 在化し,組合への忠誠が著しく増大したり,ひいては社会体制の変革を志す連 動にまで尖鋭化することば容易ではない。むしろ,利益分配率は一・定として, 本来のパイ,すなわち利益総盈を大きくし,労働者側の分け前であるパイの一・ 切れをも大きくしようとする試みがなされることが多い。この場合には,彼ら にとっては,相対的な富裕化・貧困化はともに明確に表われないが,結果とし て,労使の生活格差はさらに大となる。そして,山・方で,日常生活において昂 進する生活欲求を一層充足しようとする欲望が,さらに企業へ・の忠誠を推進す ることになる。 また,人々の生活欲求を,組織休が充足する程度ないし範閣が,人々の組織 体への依存の意識を大きく左右する。企業が,労務管理の−・環とはいえ,行な う諸々の慈恵政策,文化活動,厚生福利施設の整備等々は,成員が自己の所属 する企業に対してもつ愛着の感情を促進せしめるとともに,組合が,日常生活 において,成員の欲求充足に十分機能しないことがあれば,両者の比較におい て,組合への不満が,企業への忠誠を一層助長することも少なくない。組合の

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組拙研究の−・試論 45

必要性を認めながらも,日常生活においては,全面的に企業に依存していると

いう現実から,観念と実生活を分離することによって,精神的な均衡を保ち,

それを生活上の方針とする傾向は,少なからぬ人々に認められるところである。

この種の意識は,事実上は,企業への忠誠の拡大にほかならない0 しかし,上

述の慈恵政策のアンチテ、−ゼとして,賃金を含む待遇を労働力の再生産費とし

て認識すれば,企業の供与する報酬は,生理的欲求のみならザ,文化的欲求を

も充たすための本来の費用として位置づけられる。企業成員への利益分配が,

彼らの多様な生活欲求に見合わない場合には,実際には,人々の生活は,絶対

的に窮乏化しているのであり,このような認識を導入し,意識に定着させるこ

とが,組合への忠誠を増大させることになろう。さもなければ,日常生活の素

朴な反映から生ずる「会社のおかげ.という意識は,企業への忠誠の大なる推

進力となり,たとえ生活欲求とその充足との帝離が存在するとしても,組合へ

の忠誠は,観念的な段階にとどまり,組合意識は,現実の行為として発現しに

くい。

さらに,一一・定の対象およびそれとの関係が与える生活欲求の充足が,長期に

わたり,かつ必然的なものであれば,人の当該対象に対して抱く依存の意識が

強度になるのは自然の傾向であろう。日本社会において,自己の所属する組織

体を「うち.と表現することが多いが,この点で,日本企業の終身雇傭制,年

功序列賃金制,退職金等の諸制度は,企業を置換不可能な「家」と同等祝させ

ることによって,成員の忠誠を独占するのに有効である。このような状況のも

とでは,特定の社会体制における所与の社会関係が,人々にとって不動の基準

枠として受けとられやすい。ただし,そこに見られる意識は,そのまま粉骨砕

身という形で,企業への忠誠に一体化するとはいい切れない。しかし,少なく

ともその断片は,<醤イ土えの悲哀>とはいえ,<生活の知恵>という形をとっ

て,企業への忠誠を強化するのである。

」二述の文脈を念頭においたうえで,今日的問題となるのは,真田是の指摘す

る「是々非々の意識に見られるこ重忠誠(28).である。この忠誠は,「組合も企

業も.を標模しながら,その実は,その何れでもなく,その中枢には「私」が

あり,これとの関連で「ニ重.の忠誠となる。このような<私生活派>の意識

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富士田 邦 彦 46 は,自然発生的で偶然的というより,「私.の論理によってそれなりに体系化 されていることが多く,それは,全体社会の価値体系に密接に結びついている。 したがって,企業と組合の間に緊張状態が生じた場合等の二者択一の局面にお いて,企業成員に自主的判断の呼びかけがなされても,その種の緊張状況は, 合理的判断によって解決されるというよりは,「私.の論理の優先による利己 的二重忠誠によって緩和されようと試みられる。 それと並んで,次のような問題も指摘しておきたい。人は,不断の緊張から 解放され,自己の生活内部に生ずる不協和音を解消するためには,合理的判断 をするとは限らず,むしろ,その種の状況から逃避するか,あるいは「私.的 な領域でそれを中和しようとすることが少なくない。その際,重要なのは,

人々が,「生活の場.の問題を「自己の生活.において,さらに「労働の場.

での問題を「自己の労働.によって解決しようとする「篤農主義.ならぬ「鴇

労主義.を用意し(24),「小状況工夫主義.や「身のまわり合理主義(25).に投入 する傾向が強いことである。この傾向は,諸個人が,組織体の劇員でありなが ら,組織体へ・の帰属意識を稀薄にしつつある事態を物語っている。現代人の組 織体をめぐる意識の形態が,新たな局面を生ぜしめているといってよかろう。 人間の意識は,多様な要素からなっていることはいうまでもない。現実の意 識が,日常生活の反映にとどまり限り,二重性は免れ得ないが(26),異なる対 象に向けられた諸忠誠をそれぞれ伸長または抑圧する要因およびその過程の分 析は,組織体の構造ならびに成員の意識研究の蛮要な鍵になる。それゆえ,忠 誠観察の試みでは,人々の生活面,すなわち生産活動の場および日常生活にお ける欲求充足の程度が,まず問題になるとともに,第二に,その欲求充足の程 度が,自己の帰属する組織体や階層,さらには全体社会の構造に如何に関連づ けられているかが明らかにされる必要がある。この場合,く意識>と<行為> とが密着したものとして理解されなければならないのは前述のとおりである。 単に,意識と行為のズレを問題とするのではなく,組織体と個人の問題は,経 済的および政治的体制を背景とする「権力構造の具体的様相(27).と日常生活 における生活欲求の充足度に基づく意識から生ずる行為との関連を,諸々の媒 介的要因を考慮しながら,動態的に分析することで追究されるものである。

(15)

組織研究の−・試論 47 以上見て−きたように,社会事象は,一・定の社会体制と無縁ではあり得ず,経 済事象もその例外でない。組織体と人間の関わりは,経済組織体を中心として とりあげる場合でも,特定の文化,すなわち一定の社会体制に共通な行為様式, 価値体系に準拠する人々の行為および社会関係に関連させて観察されよう。そ の意味で,この間題は,諸々の社会的事実を包括した全体社会を視野に入れて, −・方で歴史的必然性・一腰性,他方で偶然性・個別鱒の両面から研究されるこ とで具体的な成果を生み出すと期待されるのである。 註 (1)本稿は,筆者が,ここ数年来,本学一・般教育において「社会科学概論.を担当 していることから,社会的事実を学際的に研究する際の試論を提示するところに その動機をもつ。本稿でとりあげた領域には,ここで論じたもののみでをく,数 多の優れた業績があり,和洋を問わず多くの研究には触れる余裕がをかったこと を付言し,また今後の課題とする所存である。 (2)高田保馬『国家と階級』岩波書店,1934年,144貢。 (3)同上145貢。 (4)同上148頁。 (5)北野熊蕃男『1経済社会の基本問題オ三和蕃乳1958年,22員。 (6) 同上25貢。 (7)高田前掲苛139貢.。 (8)北野前掲啓16員。 (9)同上25貢。 (10)同上18責。 (11)同上26貢。 (12)高島善哉∵経済社会学の根本問題。日本評論札1941年,32貢.。 (13)紙質誠治「組織構造と組織分析.(青井・綿貴・大橋編り今日の社会心理学3・ 集団・組織・リーダーシ ソブ。所収,培風館,1962年)195貢。 (14)同上196頁。 (15)同上197頁。 (16)RMacIver,TheElementsofSocialScience,1929,4thed..,p23,Ppり114−117 (17)綿讃前掲論文254−260貢。 (18)同上245真および277頁。 (19)北野前掲沓22真。 (20)杉之原秀一・「労働者意識研究の課題と方法.(神戸大学文学会「研究.44号所 収,1970年)25貞二および31頁。 (21)同上37−38真。

(16)

富士田 邦 彦 48 し22)本稿における忠誠概念および依存の意識についてこは,ほぼ筆者の用法による。 詳しくは拙稿「国家的忠誠諭序説.(「ソシオロジ.J第16巻第2号所収,社会学研 究会,1970年)を参照されたい。 (23)真田 是「社会体制と労働の組織・意識.(田中酒助編『儲座現代社会学3・社 会悪識諭。所収,膏木書店,1965年)180−1飢貫0 (24)真田前掲論文186貢。 (25)仲村祥一・「社会体制と人間像(1).(作田啓一腐『現代社会学講座Ⅴ・人間形 成の社会学。所収,有斐閣,1964年)59貢。 (26)真田前掲論文177克。 (27)杉之原寿一・「階級意識の構造分析.(「ソシオ・ロジ.第11巻第1・2合併号所収, 社会学研究会,1964年)110責。

参照

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