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社會の進化と我國體(一)-香川大学学術情報リポジトリ

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(1)

商工経済研究 琴奉第四視 ︵憫㍍五監︶

清 水 谷 隆 軍

木箱ほ今警同磐同府講堂に開催された文部晋卓健の成人教習講擁に麿て試み圭講弼の概要であろ。近時思想の囁勃に

件び、日本の洗骨に於ても︰れが急激なる畷畢ね企つるものね壁し㌔そうかミ思ふ三方でほ、そりよつて来る所

ねも究めず、唯せ危険なりミして徒らに閲歴み如へむミサろもりもぁろ。朝の趨く庭番態は各々危険に釈しっ\あろ 本論ほ社食の急激なる轡畢が必ずしも洗骨全棺の飽めに有利ならざる=孟明かにすろミ同時に、徒らな晶底り不

亘なろ︰ミ日本証曾の健全なる教逮の食めにほ、聞家の統合化、祀禽り民衆他の必要なそ、孟示さむミ†ろもの

でみる。元より通俗空言†る講座の=ミでぁろ、杢琶惑者1=ほ必菜摘足のものなろこ孟信ず為もりであろが

多忙の際稿を吹むる暇もなく、講演のま差繰・して育み塞くこミにし㌔杜撰なる本稿が少しなり⋮紹者の研究の

助ヾ去り。又托贋際生活に於け名説者の行動の指針ビもならば望外の事である。

赦禽といふ言葉は今日の署長の日常の用語の中でも故もポピ言−なるもの∼一つで、恐らくこれを口にしな 洗骨の温化ミ我国曹

敢禽の遽俄ヾ︼我国健 ︵〓

︵三四三︶ 一

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いものはありますまい。それにも拘らず、仙歩を進めて、政脅なる語の意義如何といふことになると、これに別 して明確なる答解を為し得るものは極めて稀である。殊に我国の如き近時に至る造園家あるを知って址脅かるを 知らなかった国民の間にあつては、特にその然るを感ずるのであります。依って誠には先づ祀命なる語の意義を 明かにし、然る後に敢愈の進化に及ぼうと思ひます。敢昏には様々な形態があります。寧校も酢脅なれば、合祀 も計愈である。村落も敢脅なれぼ、都合も敢合である。さりながら最も普通に政脅なる語によりて表現せらる∼ 物腰は、叫囲を範囲とする人類の集囲であります。本日唐様と二叩匹哉に研究せむとする赦倉も無論これを指す のであります。吾々はこれを剛困の敢倉と名づけます。 拙かしい詮明は扱きにして、解り易く敢脅の軍鰭を中上ますと、赦骨ば丁寧壷又些二重に積み盈ねた層箱の 中に薦められた御馳避のやうなものであります。御馳・走は個人に相督します。盈箱相互の区切りは階級の色別け に相督します。蚤箱そのものは国家に相督します。劇団の敢愈といふものは、階級といふ色別けによつて一應ま とめられた人類を、史に闘家といふ制度kよつて締めく1つたものであります。それならぼ赦脅と図表、赦脅と 階級、眈倉と偶人とは如何なる開係に立つか。この関係を明かにすること蜂畔昏の韮鰻を知る上に極めて重要な ことであります。 自由主義、個人薬毒の見解によると、困窮は祀脅といふ個人の集合鰭を守護する横路である。囲家主義、保守 圭造の軋解によると、国家は敢脅と同﹁又はそれ以上のもので、それ自身猫立の存在と樵力を有する。政合主儀 弟こ 令 弟四兢 ︵三四班︶ 二

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無政府主義の見解によると、閣家は特穐階級が自己の地位を擁護するための制度である。惟ふに閣豪は自由圭走 者のいふが姐ぐ罫なる祀脅の布犬ではない。.図表はそれ自身把搬鹿豪商する叫組織.であつて、赦禽を調峯するを 以てその任務とする。併し、どこまでも配合のための横閲である、制度である。自ら配合重婚前代衣するもので もなく、無論人民を統御する紳授の概力を有するものでもない。叉、配合養亮のいふ如く階級猫占のための制度 でもない。国家は酷禽のための制度であり。赦禽の結合を支持するための制圧であります。前に荻箱の例を額げ たが、蒐に仙例を轟げるならば、地殻と地球との摘係がこれに相常する。地球が嘩殻に包産れるやうに、政令は 国家に包まれる。地球が埋設によりて限られるやうに、赦昏は国家によりて限られる。地球の内部には絶へす八 熱が活動して地震や噴火を惹起す。赦脅の内部には生きむが馬めの争闘が行はれて、赦昏を動播させ、革命を惹 起する。地雷は塞防を発すが蔑めに起り、噴火は塵迫に封抗して起る。故に著し敢食を革命の不絆番より免れし めむと欲せぼ、徒らに囲家の懲型にとらはるゝことなく、内部の満動に應じて自由に之を欒串せしめねぼならぬ これが敢昏を不碑事より救ふ唯血の方法であります。 赦脅と階級との掴係については、敢脅が組絨されると、必す階級が編成される。敢倉の秩序疫階級の上に震か れることを述べれば足りる。今日の階級は昔の階級のやうに身分階級ではないが、今日の世の中にも矢張り階級 は存在する。そしてそれは経済的、所得的のものであるが故に単著は之を政令階級と名づけます。何れにするも 階級を興する人々は地位や境遇を具するところから、自然に利寄や関心を興し、叉精神や感情を果して、そこに 政令の艶化ビ我 ︵三四五︶ 三 __■■

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三一囲六︶ 四 弟こ準.井内兢 常然に階級意識が牽生し、階級利益が白骨される。かくして各階級は各々自己の陛級の利益の篤めに斬倉耕純な り、配合制度なりを改めむとする。こ1に階激闘寧が菟生する。併し利害は何事につけても常に相反するもので はない。故に.仙南には脚辞を行ひつゝ、′他面には融和し協働する。かくして配合は構成され維持され義盛する。 ゃれと云\ふのも統合には共同の目的があり、共通の利害が在るからであります。若し昏々が蔽合の目的を意識す るならば最早無用なる闘寧は起らなくなるでせう。併し闘争は全然無用だといふのではない。闘争の眞の職能は 協働の新らしい形態を生み出すにある。故に闘争を鋲踵しても唯それだけでは進歩とならない。共同の目的、.北ハ 通の利害の下に統制せられてこそ進歩となるのである。昔から角を矯めむとして車を殺すと申しますが、階級を 無くしやう、閉寧を銭座しやうといふ考は正しく牛を殺すの類であります。 故後に敢脅と偶人との関係を申しませう。偶人ぼさながら水滴の如く、赦脅はさながら水のやうである。水滴 を離れて水はなく、水を構成せざる水滴はない。個人の協同組織が眈倉であり、祀食餌織の産物が偶人やある。 配合と個人との闘係は次のやうにも表はされる。赦脅は鏡であり、個人は歯である。顔を宏規するには鏡による め外なく、鏡は顔を威すことによりて英日的を達する。配合と個人とは同叫物の異なる耐面である。併し一濃と しての配合の中には、何人の中に見られざる何ものかゞある。これが狗立の存在せ目的と活動とを持つ組合であ る。そこに配合の紆二があり、配昏の雑種がある。かくして赦脅の中には偶人と興る様々な集圃が蕉じ、敢脅は 薬園的に組織される。故に軒脅の本腰を知るには、個人的方面よりこれを見ると共に、更に集廟的方面よりこれ

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を観察するの要がある。とまれ、敢昏にも仲人と同じく自利利他の二田がある。自利は私利であり串間である。 利他は公益であり協働である。均衡のとれた人、衝動の調和された人を人格者といふが如く、各階級の間に統一 調和の保たれる状態、敢昏の秩序が均衡を保つ状態を正義と名ける。正義が個人的にあらはれたるものが人格で あり、.人格が赦静的に現はれたるものが正義である。偶人と赦倉とは親祭の方面を殊にする同二番物の両面であ ります。 こ 杜倉のiE鰭が何たるかは、以上に於て署御了解を願ったものと思ひます。次には進むで配合は進化するかどう か、進化するとすれぼ如何なる過穏を辿るか、如何なる力がこれを進化せしむるかといふことを御詔致し庇いと 忠ひます。 私は先般懲地へ参ります際に叫寸郷里へ立寄りました。昨年富も参りまして、その間は傑に牛年でありますが その短かい問にも人が死ぬ。生れる、家が建つ、道路が出来る、賛にその欒化の大なるに驚いた次第であります。 田舎の那倉でもかやうな有様であノる。況んや東京とか大阪とかいふ大都倉に於ては、倍に数日の問にも大軍化が ありまして、たまに都合に出る吾々はいつも密かされるのであります。兎も角世界は仙刻も静止しない。孔子は 萬物生々欒化してしばらくも息むことなしといひ、ヘテク‖ソ1﹁−スは萬物流極すると申しましたが、眞にその過 談合の進化ミ我国醍 ︵三四七︶ 五

(6)

︵三四八︶ 六

昇二懸 第四班

りであります。同様の考は之を沸教にもと⑫ることが出来ます。併数では国英といふことを申します。私は日本 に生を享け、唯今悠うして皆様と御話しをして居ます。僻数によりますと、私が日本に生を享けたと云ふこと。 此應で皆様と御語して屈るといふこと、香塞が住むで居るこの世昇進も過去に於ける私の菜園の結英であります 同株に現世に於ける私の所作が原因となりて未来の生とせ界を生む。これが因鼎思想の生み出した輪廻訟であり ます。その正否はしぼらく之を措く。宇宙萬物の欒化することは件数の認むる魔であり.、督の哲人 た虚であります。無論今日の科輿もこれを認めます。それが進歩であるか退歩であるかは解らないが、宇宙の進 化することだけは疑がない。宇宙現象の叫たる敢脅現象が進化することは故早疑があり増せぬ。 兎も角敢脅は進化する。然らば進化の過程は如何。これを支配する原理は如何。これが次に起る間超でありま す。 近世に於ける進化珊論は大草療に分れる。血つは宇宙の進化より敢脅の進化を論ぜんとするもので、ヘーゲ ルに始まりマルクスを大成者とする。他の仙つは生物の進化より藤倉の進化を詮かむとするもので、スペンサー を代表者とします。 ヘーゲルは何人も知る如く、十九せ紀の初頭、猫乙に現れた腎単著であります。彼は歴史の研究灯より思摺法 又は掛讃俵と呼ぼれる二村の論理法を考案し、これを用ひて進化常塾と呼ぼれる、彼れ喝特む歴史哲蓼を組立て た。彼れに従へぼ、宇宙﹂切の事物は悉く相反する二つのもの1封立である。二つのやのはそれが相互に年ふ問

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転変に高きものに綜合せられて進化の過程を追って行く。例へば鼓に唯物論者が現れて、宇宙の本髄は物だとい ふ.。この思想は必す反判詮を生むで、心だといふ。締着はかくして相辞ふが、前者が後者を否定し壷すとき、爾 賓は共に満城して山新思想が硯はれる。ヘーゲルは此の段階を韮、灰、合と名づけました。正、反、合は劇切審 物が不断に進化する道程でありまけ。 この詮は劃應尤もに閉ゑる。殊にバークニンが革命の代数公式と批評したやうに革命にはもつてこいの議論で あります。乍去ヘーゲルといふ聾者は元々頭の中から何等をも割り出さむとした理想主義の拳着である。焉めに 折角考へ出したことも寄寮に即しないことが多く、結局、魂のない論理だといふ誹を免れない。 マルクスは近せに於ける偉大なる単著の叫人である。塾詮に於ては其の師ヘーゲルと詮を異にするも、摺語法 だけはこれを探り入れて、唯物史観と呼ぼる1酷昏革命の理論を建設した。 マルクスによれば、人顆は、彼等の補する物質的生産力の劃定の畿展段階に應する生産闇係に入り込むもので ある。こゝに生産闘係といふは、生産に摘奥する人と人との紺係である。エ共に例をとつて見るならば、申せの 阿業時代に於ては、生産者相互の関係は親方、職人又は徒弟といふ関係であつた。今日に於てはこの摘係は仙欒 して、これざ全く性質を典にする企業者勤労働者の貿傭拍係となつて居る。これが生産踊係と呼ぼるゝものであ ります?然るに生産闘係なるものは、営々の垂れぬ蒔から政争の生産力の如何に應じて一定して居るものであ る。今日の生成踊係は機械の畿明に裁く生琵力の讃展の結果として必然に起ったものである。故に蓋し吾々が父 _ 祀禽の温化寸J攻囲閻 ︵三四九︶ 七

(8)

︵三五C︶ 八 第二 懲 第四躾 母から相綬せる何等の財産もなく、而も自分の生活牽畔静的に支へて行かうとするならば、昏々は自分の努力を 他人に提供して、一定の俸給なり貿銀なりを得るより他に途はない、これがマルクスの謂ふ﹁物質的生産力の一 定の畿展段階に應ずる生活関係に入り込む﹂といふ青菜の意味であります。斯様にして吾々は眉分の意志から猫 宜して定められた仙定の生産関係に置かれるのであります。然るに仙旦生産関係が定まると、それと共に自ら之 に應じた分配関係が出釆て来る旬そうして生産関係が蒼々の意志から猫草して定められたやうに、分配関係も曹 曹の意思から猫虚して定められるのである。それは兎も角、去れらの生産関係と分配関係の金牌を合せたもの凌 敢魯の経済紙絨と名づけます。そして経済組鹿が形の上に硯はれたものが法律や政治の諸制度であります。マル クスの言葉を用ふるならば、経済組織は赦脅﹃眞驚の基礎﹄であつて、法律や政治は、この基礎の上に建てられ た﹃上隆盛築﹄である。菅に法律や政治許りでなく、采教も哲革も塾術も一切の精神文化は、敢倉の経済組織によ って傭件づけられるのであります。この講堂を一例にとつて見ませう。この講堂を仙つの敢禽だとすれば、経済 組織は土台に相常します?柱とか壁とか屋根とか云ふ建物大腰の骨組は法律と政治であり、壁窓天井桂屋根等に 施された装飾、朗々に用ひられた曲線等は遺徳宗教哲塾塾術等の精紳文化であります。二貫を以すしどを掩へば、 吻暦的の生産力、従って﹃物質的生活の生産方法は、敢愈的、政治的並に将帥的め生活過程を條件づ一ける﹄といふ ことが出来ます。しわし、とれは土基が原因や、講堂が結果だといふ意味ではありません。土姦の如何がその上 に建てらるペき建物の秤類を決定するといふ意味に外ならぬ。兎も角敢禽の物質的生産力が畿展して来ると曾つ

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てはその章展を助けた生産闇係、その生産踊係の蔑視に過ぎざる法律政治が却って生産力の牽展を審することに なる。こゝに於て敢倉組織の改造が行はれます。尤も眈脅の改造は妨寄の準生すると同時に行はる1鴻のではな く、生産力は妨寄に蘭抗しっ1給費展を糖琉する。さうして途にその紅臍組織内に於ては飴す鹿なく充分に蔑展 し姦したときに新らしい∵暦高度の生産関係が生れて来る。生産関係が攣ればこれと表題をなす分配関係も欒は る。既に生産分配の紺係が欒れぽこれを結合したに過ぎない経済組織も攣って来る。既に紆儲組織にして欒勤せ んか、これを形式に硯はしたる法律も政治も常然に攣って来る。斯くの如くして赦昏闘係は悉ぺ欒化する。赦倉 関係が攣れば政令を支配する宗教遺徳襲術哲塾等の精細文化も之に伴って欒化する、叉欒らざるを待ないっこれ がマルクスの敢魯進化論の概算であり左す。この詮には多くの眞矧が含まれて居る。さりながら融合を進化せし むるものは単に物質の生産力のみであらうか。マルクスにはこの外にこれと不可分の関係に立つ階級闘率詮があ る。赦脅を動かすものは生産力であるが、これを助けて敢合を欒勤せしむるものは階級の努力である。如何に生 産力が欒勤してもこれに件ひ 特に現在の配合組織の下に於て不利益の地位にある階級が党に立つに非らざれば配倉の欒発は成し遽げ得ちれ患 いからである。かやうに見来ると赦愈を欒動せしむるもの盗単に生産力に止ら点い。人の力も叉その叫として激 へ挙げられねぼならぬことがわかる。尤もマルクスも階級闘争は過去及現在にのみ存在する。膵死の敢脅に於て は唯生産力のみが融合を獲展せしむるといふ。併し生産力を欒動せしむるものは又人ではないでせうか。詳しい 鹿骨の進化ミ強固餞 ︵三五こ 九

(10)

︵三五二︶一〇

第二萄 弗四兢

ことは後に試るが、少くも人の力が政令組織を欒勤せしむる畳要なる力なることは確かであると思ひます。 二つの畢詮にはその側つ∼1に就て見るも以上のやうな歓鮎があります。では宇醤進化の法則から統合進化の 法則を畿見せむとする抑々の考には誤りはないでせうかり天文単著は天牌が衝突して盈穿となり、塁審が凝集し ■て天慣となるといふ。叉宇宙山切の現象には自ら何等かの腰系があるといふ。果してこれは眞だらうか。恨りに これを眞とするも天慣を支配する法則が直に人間を支配すると見ることが山木るか。こ1にも幾多の難戯を赦し て居ります。 三 次に、生物進化の法則から政令進化の法則を誘き出そうとするスペンサーの単記を紹介いたします。ヘーゲル より少し遅れて共闘にグーウヰンといふ単著が生れました。グーウヰンの革詮は特にこゝで述べたてる迄もなく 皆様の御存℃のことであるが、三[を以てこれを現せぼ自然淘汰と云ふことになる。自然淘汰とは優勝劣敗、適 者蔑称を意味します。スペンサーは生物の進化に綿するダーウヰンのこの法則を探り入れて融合の進化に関する 自己の革詮を作り上げたのであります。それは事物の進化は無横鰻に始まり、.有機鰭の生物を経て、超布械鰭と もいふべき配合に至るといふのであります。その眞惰を吟味するに先ち、生物の進化は叫鰹どういふ具合に行は れたか、それを血通り那べることにいたしませう。

(11)

或る生物聾者は人類はアミーバから進化したと申します。そして共謹披として樺山の事蜜を撃げて屈ます。第 ﹂に胎兄はその形成の初めから出生時までに様々な動物の形態を経過します。鼓初は軍細胞動物の形態を探り、 次には蠣品類、次には魚難、次には雨接類、次には把長瀬、次には週足獣斯とかうした順次にこれらに近い形態 のすべてを通過する。これは人類が蔑千萬年の長い進化期間に曾って経過せる動物相馬を母胎内に於て順次に繰 り返すのだと申します。文人類には節々の不用器官の痕跡が残って居ます。耳を動かす馬めの筋肉の追跡1 畢に遺跡許りでなく多数の人類の中には今日福耳を動かし得る者が相常に澤山あります。−1尾の痕跡たる尾 闊骨、共他宮脇、稀に姫軒に見る二封三封の乳房、此等は其の撞着なるものである。然るに他所に新人猿には既 に久しい以前から尾がない。宮脇も初期の人間の胎兄のものは易脇と同じ太さであるのに成熟せる類人猿の盲腸 は人間と同様退化して居る。これらも詮採の仙として奉げられます。今日の生物学では、人間と猿とは同二鱒発 から生れ出たものとされて居ますが、劣等人称と高等猿狭類の問には多くの類似特徴があります。例へぼ、皮膚 の色の黒いこと、腕の長いこと、腹部の苫大なこと、身長の短いこと、足指に攫力の残存してゐること、前方に 突出した玉大な顎、後に引込むだ小さい額、膳賓の少いこと、此等がそれであります。序に中上ますが人類拳で は鼻下と耳とを通する級と鼻骨と額とを通する線の鋏む角の大小によつて人類進化の稗度を卜して居ます。此等 の様々な寄驚から人類はアミーバから進化したと申します。以上は人数に例をとりましたが生物は一般に罫純か ら複雑へ、同質から異質へと進化する。そして乏を支配する原理は自然淘汰であると申します。 就倉の進化ミ我問餞 ︵三五三︶ ︼一 ざ健一

(12)

弟二金 策四.張 ︵三五四︶ 二− 生物の進化に関する以上の澄則は其後各方面の研究によりて漸次に眞現に近づきつ1あります。然しまだく 多くの疑問がある。何しろ地球の地殻が出水たのは地質単著の静によると今から〓噂貰年も前のことである?生 物もこれと昇何時代に、潅水がそ.の生存に適する程度に冷却したとき畿生したもの1やうです。人類に至っては

すつと新らしくなるが、それでも二十萬年乃至五十萬年前には既に原人の棲息したことが立誇されて屈ます。と

ころが歴史の考詮の届いた魔はその中僅か竺ハ千年である。それも選んとうに明瞭な魔は英して幾年ありませう

己の蟄訝な知識を以て永い生物の進化を論じ人間進化の跡を辿らうとして居るのです。軍者の努力に拘らす其の

結果の不確なることは言ふ迄もありませぬ。恨りに生物箪者の言ふ生物進化の法則に誤りなしとするも、これを

人間敢合に應用することは果して通常せありませうか。人間祀骨ば動物融合の発達した欄のであつて、仝然別種

の起源を有するものではない。さりながら叫庶人問赦合が成立するとその進化は最早動物政倉のそれと同叫であ

りませぬ。それは何故か。動物の配合では生理的分子が赦倉結合の主なる質素たるに反し、人間配合では心理的

分すが、王なる要素となつて居るからであります。といふのは動物配合にも心理的分子はあるが、動物赦脅に於て

は心珊的分子としては単に本能と感情があるに過ぎないのに、人間政令に於てはこの本能は習慣となり、感情政

情挽となり更に概念や推坪がこれに加って居るからであります。従って動物融合の進化、も、つと叫般的について

生物の進化は主に先天的膿質特級の畿達、解り易く云へぼ生珊的進化であつて威化、璽秤、遊侍、淘汰等の過程を

讐﹂自然環境に達磨しっゝ途行される。高等動物にあっては少からす心的要素が之に闊達しますが併しそれは本

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能的であり無意識的であります。叫般に生物進化は、植物は勿論、動物に於ても大部分無意識的に蔑達するのであ ります。人間政令の進化は之に反して主に意識的であります。人間は預め目的を定め方向を決おして自費的に酢昏 をこゝに導きます。政倉生活の表現たる文化が畿達する。のは全くこれによります。而も文化が教法すると之が原因 となつて物的進化が起ります。配合進化に於ては物的進化は寧ろ心的進化の結英として起る副産物であります。 かやうに見氷ると、宇宙の進化より軟骨の進化を詮かむとする誼にも、叉生物の進化より眈倉の進化を詮明せ んとする詮にも夫々紋鮎のあることが解ります。とは云ふもの1耐詮には多くの虞埋が含まれて屈ます。これを 外にして配合の進化が詭明され得やうとも考へられない。展理は思らくは開署の中間に梯るのでありませう。で ほ雨着は何魔道がiEしく、叉如何なる條件の下に是認さるべきであるか。以7順次に之をl吟味して各詮の有する 夫々の低値を明かにいたしませう。 先づ第叫は進化の過程であります。マルクスによると、統合は革命によつて進化する。革命には階級闘争がつ き纏ふ。進化の過梓は時々起る革命によつて中断されるが、革命より革命に至る期間は兎も角も繚いて進んで行 く、即ち中断的周期的且つ階級的である。スペンサーによると敢脅には個人の自由が中心となつて自由競争が行 はれる。赦昏はこれによつて有梯的に進むで行く。故に進化の過程はしぼらくもとぎれることなく仙段々々と昇 −つて行く。即ち連標的漸進的且個人的であると。惟ふに赦禽は革命的にも漸進的にも、脾叉階級的にも個人的に も進化の過程を辿り得るものであります。丁度襲ころの振り方如何によつて同一の双六にも色々の廻り方やとび 社食の艶化ざ革観嘘 ︵三玉五︶一三

(14)

︵三五六︶ ︼四 弁士 巻 筋凶娩 方のあるやうに。併し赦倉は自然のま1に放任して艦いて進化するとも限らす、文革命があつたから進化すると も限りませぬ。結局どちらの改も年商の消息を俸へるに過ぎないのです。事蜜でもあり尊蜜でもなく、虞加でも あり虞迦でもないのです。然らば如何なる革情の下に祀愈は革命的に進化し、如何なる事情の下に漸進的に進化 するか。敢脅が政治的にも鮭臍的にも猫裁的に組織され、少数の人々若くは叫階級の下に赦禽が血⋮既に統十さ れて居る場合には、その敢倉は革命的に簡単する。而もその結英は唯猫夢者が欒ったといふだけで、鍔裁的眈倉 若くは階級的国家は依然として春摸する。これに反し蔽脅が民主的に組織せられ、政治も経済も﹂切の階級によ って支持されて居る婁合には、その政令はこ膿として改革的に進化する。昏々は寧ろこれが典型的であると信す る。しかし典型的であるからと云って、自然に放任して匿いて、この進化が嘗現されるといふ鐸ではない。敢倉 が改革的に進化するには何時も白労の教生と理知の謹選とを必要とする。徒らに隅意のみ獲達して珊知を炊ぎ、 ︼濃としての敢昏目的、敢愈のこ員としての自己の任務に自分なき赦倉は自然に弼夢的に推移する。か1る赦倉 に於て不利益の地位にある民衆の問に自己の地位に封する白魔と闘力とが塾生すると、そこには多く暴力革命が 勃覆する。理知のみが渡達し情意を軟ぐ場合もこれと同様である。だから知情意が均衡を保つといふことゝ、八 人が仙・鰹としての眈合目的と政令構成のこ員としての自分の任務と里允分に覚るといふことが何よりも必要笥で ある。然るに過去に於ては園浦なる知情意の畿蓮も痙く、また自労鴻鱒かったが篤め\に宗教上、\政治上、鮮浦上 に於て或る階級が猫裁を行ひ、これが焉めに度々革命が起ったのである。睾にも昨今の文明紺命に揉各階級の利

(15)

寄と意思とを代表する民主的の組織や制度が畿達して釆た。これが巧く行くならば今後の赦脊に於ては革命は篭

らなくすむかも一知れませぬ。階級闘争による血なまぐさい革命と、労働階級の猫教を叫んだマルクスさへその晩

年には、民主的団家北於て蜂労働階級の目的は平和裡に達せられるだろうと詮いて居ます。許々はかくあること

を望みます。併しかくあるが馬めには前にも云ったやうに∵醍としての政脅の目的が自覚せられ、この目的の達

成の薦めに各階赦の問に協力が行はれねばなりませぬ。私は、人々がこの日労に到達し、協力して政令の改革的

進化に貢献せむことを切望致します。

次には進化の動力であります。マルクスは物の焦慮力を以て赦倉を動かす力と致します。これは配合を以て物

質の産物となす考であります。等しく宇宙の進化から眈倉の進化を放かむとするもの1中にもヘーゲルはマルク

スと追って人の精神力殊に闊民の精紳力が硯はれて歴史を造ると申します。これは統合を以て人間の産物とする

考であります。スペンサーは雀牌串の乗組アダム・スミスと同じやうに自然の力が眈昏を進化せしむると申しま

した。唯スミスに於ては、首然力は人に自然に備はる利己心であり、スペンサーに於てはそれは、生物が自然に

有する生成力であります。何れにするも自然力が藍芝畿展せしむると詭くのでありますから、これは藍‖む以

て自然の産物と見る考へであゃます。第盲唯物史観、第二を唯心史観と名づけます。第三に劃しては別に定ま

った名和はありませぬが、強いて名づけるならば自然史放とでも申しませう。兎も角、那食二つの見方があるの

であります。この中何れの見方が正しいのでありませう。

放曾の進化ミ我国堤 ︵三五七︶一志

(16)

第こ金 井四航

ごこ五入︶一六

華釆人間には物心の南面があります。物といふのは肉鰭のことであります。昏々にはこの肉牌あるが故にこれ

から物質的欲望が生じ、これが外界の物資の上にはたらいて眈倉は進化し磯展します。所謂物質文明の畿達であ

ります。昏々には心があります・。これから様々な精神的意欲が生じます。その中利己的なるものは主として物質

的欲望と合腰して物質文明の敏速に貢献Lますが、その利他的なるものは道徳的感情として人間相互の間にはた

らき、それによりて政令は進化します。精神史化の豪速がこれであやます。しかし眈倉を進化せしむるものは唯

とれ丈に止りませぬ。物質的欲望が外界の物質にはたらいて畿達せしめたる生産力は更に逆に人間組合の上には

たらいて敢禽を欒革いたさせます。敢倉の畿達に些二つの力のすべてがはたらくのであります。両町その間には

何等の軽重も無く叉本末主従もありませぬ。それは何故か。這は人間に物心の両面があゎ、張って敢脅にも物

心の両面があるからであ少、二には物質文明と精神文化とが相互に因果闘係をなすからであります。

かやうに見来ると、何れの故にもそれヰ1の珊由がある、併しそれは唯半面の眞瑚である。人の正濃を知るに

は叫櫻としての人間を知る必要がある如く、配合の正鰭を知るには﹁鰹としての煎倉を知る必要があつたのであ

る。然るに彼等は唯その叫面を見るが故に、各二カに過した畢詮を唱ふるに至ったのである。進化の過程につい

てもその動力についてもその金牌を見ることにより初めて正常なる見解は生れて参ります?然らば何故にかやう

な見易い道理が今迄蔑見されなかったか。珊由は簡翠です。それは赦合が分化したからである。曾っては叫現象

として流山されて居た政治、経済、法律、遺徳、宗教等の諸現象が今日に於てははつきりと分化され、=各々はさ

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ながら糾政令の如くに、そこには夫々別々の思想や理論が牽達して居る。かやうな繹で敢愈の各場面はすぺて阿 山の目的を持ち乍らそれが不明であるが焉めに、各自に別々の目的ありと信じ、各自別々の行動をとる。こ1に 矛盾や撞着が生ずる。よくかやうなことを申します。国家全鰹の利益からしてはこの案に賛成することは面白く ない。即ち叫国民として又は十市民としはよろしくないと恩ふが、政菜の言貝としてはそれが濃勢礪張の手段な るが薦めに己むを得ない。即ち悪くない。或は、人を欺くことは人間としてよろしくない。併し国民として圃家 の璃めに散人を欺くのは差支へない。仙市民としては隣人を愛すべきである。併し賛菓家としては隣人を陥れて も構はないと。一人の人間の践むべき追にかやうに幾通りかある筈はない。道は唯三であかべきである。それ にも拘らす、かや㌢に蔑通りもある如く見えるのは、赦昏が分化して複雑となり、軟骨の各場面が宛も別個の赦 倉をなす如く見ゆるからである。そしてその場面がその時代の赦脅に於て健也の地位を保ち、重要なる役割を潰 するときには、主としてその魔面妄動かすカが政合金鱒を動かす力なるが如く考へられるからである。そこで単 著迄もこの外見に幻惑されて、政治、経済、道徳、宗教等夫々の場所に禰宜の存在を輿へ、成る場爾が時代の計 禽に於て優越の地位を占むる場合にはその場田を動かす主なる力を以て赦愈進化の動力となすに至ったのであり ます。所謂唯心史観とか唯物史観なるものが硯はれ狩のでありますぐしかし︰盟昆もとく一腰であります政令 の現象は種々に分化しながら相互に連絡がある。すべて竺物の衣裳であり、その間には因果の関係がある分化 \ されながらも一倍となつて進むで行く。これが敢愈の賓情であります。︹未完︺ 款督り進化ざ飛掛鷺 ︵三五九︶ 鵬七

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