531
症
例
イ ン ドメ タ シ ン吸入 に よ り
症 状 の 改 善 が 得 られ た肺 胞 上 皮 癌 の 一 剖検 例
Effect
of Inhaled
Indomethacin
for Bronchorrhea
in a Case
of Bronchioloalveolar
Carcinoma
川 口 真 平 ・小 林 英 夫 ・叶 宗 一 郎 ・桐 生 拓 司 ・永 田 直 一 ・柴 田
浩*
要 旨:症 例 は61歳 の 女 性.主 訴 は 湿 性 咳 噺,労 作 時 呼 吸 困 難 で,胸 部X線 上 両 側 中 下 肺 野 に 広 範 な 浸 潤 影 を認 め,精 査 加 療 目的 に 入 院.入 院 時 よ り黄 色 透 明 な 喀 痰 が 多 く気 管 支 漏 の 状 態 に あ っ た.CTで は 特 徴 的 なCT angiogram signを 認 め,TBLBに よ り,肺 胞 上 皮 癌 と診 断 し た.一 般 状 態 不 良 の た め,化 学 療 法 は施 行 し得 ず,漸 増 し約500mlに 達 す る気 管 支 漏 に対 し,イ ン ドメ タ シ ン 吸 入 を試 行 した.痰 量 は 減 少 し な か っ た が,粘 調 度 が 増 加 した こ と に よ り喀 出 が 容 易 とな り,呼 吸 困難 の 改 善 が 得 られ た.剖 検 に て 両 側 肺 に び ま ん 性 に拡 が り 多 量 の 粘 液 を伴 う肺 胞 上 皮 癌 を確 認 し た. 〔肺 癌34(4):531∼535,1994〕 Key words: Bronchioloalveolar carcinoma, Bronchorrhea,Inhaled indomethacin therapy, CT angiogram sign
1.は
じめ に
現 在,肺
胞上 皮 癌 の気 管 支 漏 に対 す る有 効 な
治 療 法 の 報 告 は 少 な い1).今 回 我 々 は 肺 胞 上 皮
癌 に よ る500ml/日 を越 え る気 管 支 漏 に 対 し,対
症 療 法 と して イ ン ドメ タ シ ン吸 入 を試 み,呼
吸
困 難 の 改善 に 有 効 と思 わ れ た一 例 を報 告 す る.
2.症
例
症
例:61歳,女
性,主
婦
主
訴:湿
性 咳嗽,労
作 時 呼 吸 困難
既 往 歴:糖 尿 病
喫 煙 歴:な
し.
現 病 歴:平 成4年3月,湿
性咳 嗽 が 出 現.近
医 に て 感 冒 と診 断 され,内
服 薬 を処 方 され た が
改善 は 見 られ な か っ た。 そ の 後 泡 沫 状 の 透 明 な
喀 痰 が 著 明 に 増加 し,特 に 夜 間 は絶 え 間 な い喀
出 の た め 睡 眠 障 害 も加 わ っ た.労 作 時 呼 吸 困 難 も 出 現 し,10月 に 当 科 受 診 。 胸 部X線 上 び ま ん 性 陰 影 を 認 め,精 査 目 的 に て 入 院 と な っ た. 入 院 時 現 症:身 長157cm,体 重51kg,血 圧 152/88mmHg,脈 拍 数96,呼 吸 数20,体 表 リ ン パ 節 触 知 せ ず.全 肺 野 に 著 明 なcoarse cracklesを 聴 取 し た.チ ア ノ ー ゼ ・バ チ 状 指 は 認 め な か っ た. 入 院 時 検 査 所 見(Table1):赤 沈 高 値,CRP 陽 性 と 炎 症 反 応 を 認 め,ま た 糖 尿 病 の た め 血 糖 が 高 値 で あ っ た.喀 痰 は 喀 出 直 後 は 泡 沫 状 で あ っ た が,蓄 痰 す る と 淡 黄 色 透 明 で 非 常 に 流 動 性 に 富 む 水 様 性 の 性 状 で あ っ た.1日 量 は 約100 mlで,喀 痰 細 胞 診 はclassV(bronchioloalveolar carcinoma疑 い)で あ っ た.血 液 ガ ス 分 析 で は 中 等 度 の 低 酸 素 血 症 を 呈 し て い た. 入 院 時 胸 部X線:両 側 中 下 肺 野 主 体 に,境 界 不 明 瞭 な 濃 厚 なconsolidationと 浸 潤 影 の 混 在防衛 医科 大学校 第3内 科
*同
第2病 理
532 イ ン ドメタ シ ン吸 入 で症 状 改 善 を み た肺 胞 上 皮 癌 の 一 例
Table 1. Laboratory findings on admission.
Fig. 2. A) Chest CT scan at the level of the
carina
shows
air-space
consolidation
with peripheral
dominance
and several
nodular
lesions in the left upper lobe.
B) CT scan shows cavity-like
lesions in
the consolidation
of left S9.
A)
B)
Fig. 1. Chest roentogenogram on admis-sion shows a combination of dense consolidation and ground glass opacities in the right lung and dense consolidation with air bronchogram in the left lung.
Fig. 3. CT scan shows enhanced branching
pul-monary
vessels
within consolidation
in
the left lower lobe (the CT angiogram
sign).
を 認 め,airbronchogramも 指 摘 し 得 た(Fig. 1). 胸 部CT:肺 野 条 件 で は 気 管 分 岐 レ ベ ル で 胸 膜 下 領 域 に 肺 胞 充 実 性 陰 影 と左 上 葉 に 小 葉 程 度 の 大 き さ の 結 節 状 陰 影 を 認 め た(Fig.2A) .陰 影 の 分 布 に は 全 体 に 共 通 す る 様 式 を 見 出 だ せ な か っ た が,陰 影 が 小 葉 間 隔 壁 に よ り境 さ れ る 部 位 も 混 在 し て い た.ま た 左S9胸 膜 直 下 に 空 洞 様 病 変 を 認 め た(Fig.2B).縦 隔 条 件 の 造 影CTで は 左 下 葉 のconsolidation内 に 肺 動 脈 影 と 思 わ れ る分 岐 を 呈 す る 線 状 陰 影,い わ ゆ るCT angio-gram signが 認 め ら れ た(Fig.3)2).ま た 縦 隔 リ肺 癌:第34巻, 4号1994年8月 533
ン パ 節 腫 大 は 認 め ら れ な か っ た.
全 身Gaシ
ン チ で は 胸 部 異 常
影 に 一 致 して 異 常 集 積 を認 め た.
以 上 の 経 過 か ら い わ ゆ る肺 胞
上 皮 癌 を疑 い,経 気 管 支 的 肺 生
検 を施 行 した.粘 液 を伴 う高 円
柱 状 の 腫 瘍 細 胞 が 肺 胞壁 に 沿 っ
て拡 が る像 と肺 胞 内粘 液貯 溜 像
が得 られ,肺
胞 上 皮 癌 と診 断 し
た.
全 身 検 索 に て は異 常 所 見 を認
め ず,臨
床 病 期 は 原 発 不 明 の
cTxN0M1と
した3).
臨 床 経 過:入
院 後,急
速 に呼
吸 不 全 とな り,全 身状 態 も不 良
の ため,化
学 療 法 は施 行 し得 ず,
支 持 療 法 の み を行 っ た.喀 痰 量
減 少 を 目的 に プ レ ドニ ゾ ロ ン30
mg/dayの
投 与 を行 っ た が 改 善
が 乏 し く,11月17日 か ら イ ン ド メ タ シ ン 吸 入 療 法 を 試 み た.喀 痰 量 の 減 少 は 認 め ら れ な か っ た が,粘 調 度 が 増 加 し 肉 眼 的 に も 明 らか にmucinousに 変 化 し た. こ れ に よ り 自 覚 的 に は,痰 の 喀 出 時 間,回 数 が 持 続 的 な 病 態 か ら 断 続 的 な 喀 出 へ と 変 化 し,呼 吸 困 難 感 の 改 善 が 得 ら れ た. Fig.4は 入 院 期 間 中 の 治 療 経 過 とBorg指 数 の 変 動 で あ る. Borg指 数 上 の 改 善 効 果 が 認 め ら れ た. イ ン ドメ タ シ ン 吸 入 効 果 の 評 価 の た め 吸 入 前 後 で の 喀 痰 の 生 化 学 的 分 析 を 行 っ た(Table2). 分 析 は 特 殊 分 析 研 究 所 に お い て,リ ン 脂 質 分 画 は イ ア トロ ス キ ャ ン 法 に よ り,シ ア ル 酸 は 酵 素 法 に よ り,ヘ キ ソ サ ミ ン,フ コー ス はWinzler法 に よ り,エ ラ ス タ ー ゼ は 合 成 基 質 法 に よ り,s-IgAはEIA法 に よ り,ア ル ブ ミ ン は 免 疫 拡 散 法 に よ り,総 蛋 白 はLowry法 に よ り,ヒ ス タ ミ ン は 蛍 光 法 に よ り,α1-ア ン チ ト リ プ シ ン は 免 疫 比 朧 法 に よ り,測 定 し た.Fig. 4. Clinical course.
Table 2. Biochemical analysis of sputum.
- before and after-inhalation of
indomethacin-before-inhalation after-inhalation し か し11月 末 か ら喀 痰 量 が1リ ッ トル を越 え る ま で に 増 加 し,以 後 吸 入 も効 果 な く,12月15 日 呼 吸 不 全 に て 死 亡 し た.ま た 併 用 し た エ リ ス ロ マ イ シ ン,イ ン ド メ タ シ ン 内 服,漢 方 薬 等 に は 明 ら か な 効 果 は 認 め ら れ な か っ た.剖 検 肺 (Fig.5)はTBLB標 本 と 同 様 に,核 が 基 底 側 に 偏 在 し,胞 体 内 に 粘 液 を 有 す る 高 円 柱 状 の 腫 瘍 細 胞 が 既 存 の 肺 胞 壁 に 沿 っ て 増 殖 し て お り,肺 胞 内 は 粘 液 に よ り 充 満 さ れ る肺 胞 上 皮 癌 で あ っ た.原 発 部 位 の 同 定 は な し え ず,遠 隔 転 移,リ
534 イ ン ドメタ シ ン 吸 入 で 症 状 改 善 を み た肺 胞 上 皮 癌 の 一 例 ン パ 節 転 移 も 認 め な か っ た. 3.考 察 イ ン ドメ タ シ ン 吸 入 療 法 は 多 量 の 喀 痰 を 有 す る 患 者 に 対 す る 治 療 的 試 み と し て 近 年 注 目 さ れ て い る4).そ の 作 用 機 序 は 内 因 性 プ ロ ス タ ノ イ ドの 産 生 の 抑 制 に よ っ て,気 道 上 皮 細 胞 に よ る Cl分 泌 が 制 御 さ れ,管 腔 側 へ の2次 的 な 水 分 移 動 が 減 少 す る と 考 え ら れ て い る.現 在 ま で に 慢 性 気 管 支 炎,び ま ん 性 汎 細 気 管 支 炎,気 管 支 拡 張 症 に 対 す る 効 果 が 報 告 さ れ て い る4).肺 胞 上 皮 癌 に 対 す る 有 用 性 は,検 索 し得 た 範 囲 で は 見 当 た ら ず,本 症 に よ る 気 管 支 漏 に 対 す る 対 症 療 法 と し て は 初 め て の 報 告 と思 わ れ る. 吸 入 方 法 は 千 葉 ら の 方 法 に 基 づ き5)調 製 し た 溶 解 液 を1回2ml(イ ン ド メ タ シ ン25mg含 有), 1日3回 ジ ェ ッ トネ ブ ラ イ ザ ー に て 投 与 し た. 本 例 で は 喀 痰 量 の 減 少 は 得 ら れ な か っ た が, 性 状 の 変 化 に よ る呼 吸 困 難 感 の 改 善 が 明 ら か で あ っ た.自 覚 症 状 と 痰 の 肉 眼 所 見 か ら は,絶 え 間 な く 流 失 す る 粘 性 の 低 い 痰 が,断 続 的 に ま と ま っ て 喀 出 さ れ る粘 度 の 高 い 痰 に 変 化 し,痰 の 喀 出 時 間 お よ び 回 数 が 減 少 し た こ と に よ る も の と考 え ら れ た.中 村 ら は 流 動 性 が 強 く,粘 性 あ る い は 降 伏 値 が 低 値 な 痰 は,咳 に よ り容 易 に ミ ス ト状 に な り,粘 液 塊 と し て の 喀 出 感 を伴 わ な い 可 能 性 を 述 べ,咳 ク リ ア ラ ン ス の 面 で は 有 利 だ が,自 覚 症 状 の 面 か ら は 不 利 と な る 可 能 性 を 指 摘 し て い る6). 喀 痰 分 析 か ら は,イ ン ド メ タ シ ン 吸 入 前 後 で 喀 痰 がmucinousに 変 化 し た 要 因 が 気 道 か ら の 水 分 分 泌 の 抑 制 さ れ た 結 果 で あ る こ と を 指 示 す る 検 査 所 見 は 得 ら れ な か っ た.な お ホ ォ ス フ ァ
Fig. 5. The autopsy specimen obtained from the lung shows fairly uniform tall columnar mucin-producing cells lining spaces that mimic the normal alveolar architecture.
チ ジ ル コ リ ン と ス フ ィ ン ゴ ミエ リ ン の 比(L/S 比)の 軽 度 上 昇 傾 向 は,粘 液 線 毛 ク リア ラ ン ス の 改 善 と 自覚 症 状 改 善 に 関 係 が あ る 可 能 性 が 報 告 さ れ て い る7胸. 喀 痰 量 の 減 少 が 認 め ら れ な か っ た 一 因 に は, 癌 の 進 行 に 伴 う痰 産 生 量 の 増 加 に よ り,減 少 効 果 が 相 殺 さ れ た 可 能 性 も 考 え ら れ た.1例 の み の デ ー タ で あ り,生 化 学 的 分 析 か ら の 変 化 も 著 明 で は な か っ た が,蓄 痰 の 肉 眼 的 変 化 は 明 瞭 な もの で あ り,今 後 と も 対 症 療 法 と し て は 試 行 す る 価 値 は 十 分 に あ る も の と思 わ れ た. 謝 辞 喀痰 の 生化 学 分 析 お よび脂 質 分 画 に対 す る考 察 は,日 本 喀痰 研 究所 所 長,長 岡滋 先 生 の御 教 示 に よ る もの で あ り,こ こ に深 謝致 し ます. な お,本 論文 の要 旨 は第106回 日本 肺癌 学会 関 東部 会 (1993年3月6日,千 葉)に て発 表 した.
文
献
1) Spiro SG, Lopez-Vidriero
MT, Charman
J,
et al: Bronchorroea
in a case of alveolar cell
carcinoma.
J Clin Path 28: 60-65, 1975.
2) Im J-G, Han MC, Yu EJ, et al: Lobar
Bron-chiolo-alveolar
Carcinoma:
"Angiogram
Sign" on CT Scan.
Radiology 176: 749-753,
1990.
3) Mountain
CF, Libshitz
HI, Hermes
KE,:
LUNG CANCER A HANDBOOK
for
STAG-ING and IMAGSTAG-ING,
pp 4-7.
USA, Charles
P. Young, 1992.
肺 癌:第34巻, 4号 1994年8月
535
al: Effect of indomethacin on bronchorrhea in patients with chronic bronchitis, diffuse panbronchiolitis, bronchiectasis. Am Rev Respir Dis 145: 548-552, 1992. 5) 千 葉 薫, 高 橋 賢 尚, 早 勢 伸 正, 他: イ ン ドメ タ シ ン 吸 入 液 の 製 剤 化 と安 定 性.医 薬 ジ ャー ナ ル26: 67-72, 1990. 6) 中 村 清 一, 川 上 雅 彦, 三 上 正 志, 他: 咳 嗽 の 頻 度, 強 度 お よ び 痰 の 出 し や す さ と 喀 痰 の 性 状. 気 管 支 学14 (8): 822-826, 1992. 7) 長 岡 滋 監 修: 痰 か ら 何 が 学 び と れ る か. ラ イ フ サ イ エ ン ス 出 版, 東 京, 43∼82頁, 1989. 8) 小 関 隆, 中 村 清 一, 三 上 正 志, 他: 各 種 呼 吸 器 疾 患 に お け る 喀 痰 中 の リ ン 脂 質 に つ い て. Ther Res 10: 344-349, 1989. (原稿 受 付1993年7月12日/採 択1994年4月20日)
Effect of Inhaled Indomethacin
for Bronchorrhea
in a Case of Bronchioloalveolar
Carcinoma
Shinpei Kawaguchi, Hideo Kobayashi,
Souichirou Kanou, Takuji Kiryu,
Naokazu Nagata and Hiroshi Shibata*
The Third Department of Internal Medicine
National Defence Medical College, Tokorozawa, Saitama, Japan
* The Second Department of Pathology
