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日本におけるサルコイドーシス研究の回顧

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厚生省 "難 病" 研究30周年記念講演

日本におけるサルコイドーシス研究の回顧

重松逸造

【要旨】

 わが国では,1921年に竹谷實がはじめてサルコイドーシス(サ)の皮膚病変2例の報告を行ったが,これは1869年のJonathan Hutchinsonによる最初の本症観察より50年以上も遅れてのことであった.1960年になって,わが国最初の本症全国調査が臨時 疫学調査班により実施された.その結果,本症確実例94例の報告が,野辺地慶三により1960年6月ワシントンで開催された第 2回国際サ会議において発表された.この調査班は,1964年に日本サ研究協議会に発展し,さらに1981年には日本サ研究会に, 1987年には日本サ学会(後に,日本サ/肉芽腫性疾患学会)と名称を変更したが,1960年以来定期的に実施してきた全国調 査で発見されたサ患者の登録センター的役割を果している.また,旧厚生省の難病対策事業が2002年には30周年を迎えたが, 1972年に発足したこの事業により大型のサ研究班が組織され,本症の共同研究が今日まで一貫して継続されてきた結果,多く の成果が生まれた.本症の国際会議や国際シンポジウムも既に4回わが国で開催されている. [日サ会誌 2003;23:3-10] キーワード: サルコイドーシス,全国調査,臨時疫学調査班,日本サルコイドーシス研究協議会,難病対策事業

Lecture Commemorating the 30th Anniversary of the Health and Welfare Ministry's

"Intractable Diseases" Research Project

Review of Sarcoidosis Studies in Japan

Itsuzo Shigematsu

【ABSTRACT】

 Two cases of skin sarcoidosis were reported by M. Takeya for the first time in Japan in 1921, over 50 years after the first observation of the disease by J. Hutchinson in 1869. The first nationwide survey on sarcoidosis in Japan was conducted by the Provisional Committee for Epidemiological Survey in 1960, resulting in a report of 94 confirmed cases which was presented by K. Nobechi at the 2nd International Conference on Sarcoidosis in June 1960 in Washington DC. The Committee evolved in 1964 into the Japan Sarcoidosis Research Committee which was renamed in 1981 the Japan Sarcoidosis Research Society and in 1987 the Japan Society of Sarcoidosis (later, the Japan Society of Sarcoidosis and Other Granulomatous Disorders), playing the role of a registration center for sarcoidosis cases found by periodically conducted nationwide surveys since 1960. Meanwhile, the former Health and Welfare Ministry's "Intractable Diseases" research project marked its 30th anniversary in 2002. Under the project, starting in 1972, a large-scale research team on sarcoidosis was organized and joint sarcoidosis studies which have pro-duced a mass of research results are ongoing yet today. International conferences and a symposium have already been held 4 times in Japan.

[JJSOG 2003;23:3-10]

keywords ; Sarcoidosis, Nationwide survey, Provisional Committee for Epidemiological Survey, Japan Sarcoidosis

Research Committee, Intractable Diseases Research Project

財団法人 放射線影響研究所名誉顧問 著者連絡先 : 重松逸造

〒152-0023 東京都目黒区八雲4-8-8 Tel/Fax: 03-5729-1855

Consultant Emeritus, Radiation Effects Research Foundation

………

………

(2)

はじめに

 わが国のサルコイドーシス研究が今日の隆盛を来した背 景には,歴史的にみて躍進の契機となった出来事がいくつ かあったように思われる.ここでは,主として著者自身が 直接に関係した初期の頃の本症研究を中心に,概括的な回 顧を試みることにしたい.なお,本稿の記述に当っては多 くの文献を参照したが,特に今回の回顧と関係の深い4編1-4) を末尾引用文献の冒頭に掲げておく.(文中の人名は敬称 略)

日本における発表年次別サルコイドーシス文献数

 英国の医師Jonathan Hutchinson (Blackfriors Hospital for skin disease, London)が,58歳男性患者のサルコイドーシ

ス皮膚病変を1869年に観察し,1877年に記載5)したのが世 界最初とされているが,それより50年余を経過した1921年 に,当時の東北帝国大学医学部副手の竹谷 實が,わが国 最初の本症皮膚病変2例(34,70歳の女性)を学会誌上で 報告6)した.これ以降,最近までのわが国における本症報 告で,医学中央雑誌に収録されている文献数を年次別に図 示すると,Figure 1-3の通りである.  Figure 1,2によると,1921年よりの約40年間は本症の報 告が散発的で,それもほとんどが皮膚病変に限られており, 全身疾患としてのサルコイドーシスまたは類肉腫症という 病名が文献上に現れるのは1951年以降のことである.1945 年までの20年間で本症文献の延数は59件,症例数が計78 例,1959年までの39年間ではそれぞれ144件,179例となっ ている.1960年より文献数が急増するのは,後述するよう にこの年から本症の共同研究と全国調査が開始されたこと による.  1970年代,特にFigure 3に示されているこの年代後半か ら最近までの文献数が,年間200から300以上と一段と活発 になっているのは,1972年に発足して2002年に30周年を迎 えた旧厚生省の難病対策事業により,サルコイドーシスの 大型調査研究班が活動を開始したことも関係しているもの と思われる.なお,Figure 2,3には参考として,1966年よ り利用可能なMedline収録の世界における本症文献数も示 されている.これには日本の文献も含まれるが,Medlineが 収録の対象とする日本の雑誌は,医学中央雑誌のそれの一 部ということになるので,Figure 2,3がそのまま本症文献 数に関する日本と世界の差を示しているわけではない.し かし,文献数だけについてみても,日本が世界的に大きな 影響を与えていることは確かということができよう.

Figure 1. Number of references on sarcoidosis in Japan by year (1) 0 100 200 300 400 500 1921(大10) 25(大14) 日本:医学中央雑誌 (1921-2001)       類狼瘡・類肉腫(症)・サルコイドーシス  30(昭 5)  35(昭10)  40(昭15)  45(昭20) 1 0 1 0 0 1 0 0 1 1 1 1 2 6 5 6 3 8 4 6 7 2 2 1 0 0 0 (延59件、78例) 件  47(昭22)

Figure 2. Number of references on sarcoidosis in Japan by year (2) 0 100 200 300 400 500 1948(昭23) 55(昭30) 60(昭35) 65(昭40 ) 70(昭45 ) 74(昭49 ) 件 50(昭25) (Sarcoidosis の名称) (延144件、179例) 日本:医学中央雑誌 (1921-2001)          類狼瘡・類肉腫(症)・サルコイドーシス 世界:MEDLINE (1966-2001)          Sarcoidosis・Sarcoidosis, Pulmonary

Figure 3. Number of references on sarcoidosis in Japan by year (3) 0 100 200 300 400 500 1975(昭50) 80(昭55)  85(昭 60) 90(平2)  95(平7 )  00(平12 )  01(平13 ) 件

(3)

日本における初期のサルコイドーシス文献抜粋

 1921年にはじまるわが国のサルコイドーシス文献で,特 記すべき初期の頃の文献をいくつか例示したのがTable 1, 2である.これは,あくまでも著者が恣意的に選んだもので あることを予めお断わりしておきたい.  Table 1の冒頭は前述した竹谷の文献であるが,彼は論文 中でCaeser Boeckの文献7)を引用して,ブック氏類肉腫と記 述している.Hutchinsonによる最初の記載以来,本症ほど 多くの病名をもつ疾患も珍しいといわれているが,佐藤8) や谷村ら9)の文献もその一例である.また,わが国におけ る初期の本症文献は皮膚病変に限られていたが,1934年に なって原田ら10)と岩井11)がはじめて肺所見を記載してい る.  本症の皮膚病変をsarcoidと呼んだのは上述したBoeck (1899)7)であるが,本症を全身疾患のsarcoidosisとしたの はHunter(1936)12)である.これより15年後の1951年に足 立ら13)はわが国の文献としてははじめてsarcoidosisという 表現を用いている.これに続いて,眼症状や肺所見を詳し く記載した上岡ら14)や佐藤ら15)の報告があり,1959年には 本間ら16)がサルコイドーシスについての解説を行ってい る.  Table 2の冒頭には,わが国におけるサルコイドーシス研 究の黎明を告げる三上17,18)の総説論文2編を掲げた.後述 するように,わが国の本症共同研究は1960年より開始さ れ,最初の全国調査結果が翌1961年に調査班19)と野辺地20) によって報告されている.同じ年に発表された文献として, 佐藤ら21)による本症の統計的観察や千葉ら22)による本症 発見頻度の疫学データがある.  1963年には,岩井ら23)が本症の生検材料と剖検材料に基 づく病理学的研究成績を発表し,望月ら24)は心筋サルコイ ドーシスの剖検例を報告している.また,年次は飛ぶが, 1976年に松井ら25)が報告した心筋サルコイドーシス剖検 例の臨床病理学的研究は,わが国サルコイドーシスの特徴 を示していることから,Cecilの内科学教科書(例えば,第 15版1979,第16版1982)にも引用されている.

日本におけるサルコイドーシス共同研究の発端

 わが国で本症の共同研究が開始される発端となったの は,米国National Academy of Sciences(NAS:全米科学ア

カデミー)のNational Research Council(NRC:学術会議)

が,1960年6月にワシントンで国際サルコイドーシス会議 を主催した際に,わが国の参加と本症の実態に関する疫学 データの提供を求めてきたことによる.  もともと本症は,Scandinavia病の別名があるくらい同地 は第ニ次世界大戦後に復員軍人,特に黒人退役者の間で本 症が多発したため,Veterans Administration(米国復員軍人

局)の要請でNAS-NRCはDivision of Medical Sciences(医

科学部)内にサルコイドーシス委員会を設置,1948年には

本症に関する第1回全米会議を開催して,本症の定義と診断

基準についての検討を行った.これらは,1956年に開かれ

た第2回会議で改訂されており,また上記委員会はこの年に

米国最初の本症疫学調査を実施している.

Table 1. Selected references on sarcoidosis in Japan in the early years (1)

Table 2. Selected references on sarcoidosis in Japan in the early years (2)

Table 3. The beginning of joint research on sarcoidosis in Japan

(4)

 1958年には,NASの強力な働きかけもあって,6月30日

と7月1日の両日,ロンドンで最初の本症国際会議が開かれ

た.この会議は,Symposium on Sarcoidosisと呼ばれ,British

Postgraduate Medical Federationが主催者となっているが, 英米両国のほかスウェーデン,ノルウェー,デンマーク, 西独,フランスなど9か国30名の研究者が参集した.後に, この会議は第1回国際サルコイドーシス会議と呼ばれるこ とになるが,この時も議論の焦点はまず本症の定義と診断 基準に向けられ,上述した1956年全米会議での改訂に若干 の補正が加えられた.  次いで,本症の病因論について英国の頑強な結核説主張 者と論議が交わされた結果,結核説を無理とする空気が大 勢を占めたが,これに関連して世界的な規模における疫学 研究(地理疫学)推進の必要性と国際共同研究実施の重要 性が強調された点に,この会議の結論があったようである.  1958年11月10日,Table 4に示すNAS-NRCのサルコイ

ドーシス委員会(Chairman: Martin M. Cummings)は会合

を開き,上述のロンドン会議における結論の趣旨に沿って, 本症の地理疫学を主題とした第2回国際会議をNASが主催 して1960年ワシントンで開くことを決議した.その席上, 本症の疫学に関して国際会議に参加を求めるべき国のこと が議論されているが,その中にはスカンジナビア諸国,英 国,スイス,フランス,ウルグアイ,ベルギーなどととも に日本も含まれていた.

日本におけるサルコイドーシス共同研究の歩み

 Table 5に示されているように,NASが1960年の第2回国 際会議に日本の参加を具体的に求めてきたのは1959年10 月5日のことである.NAS-NRCサルコイドーシス委員会幹

事の一人であるGilbert W. Beebeは,Table 4で述べられてい

るよ うに,こ の時 は広 島のA t o m i c B o m b C a s u a l t y Commission(ABCC:原爆傷害調査委員会)に統計部長と して勤務中であったが,同じ幹事の一人であるNASの Seymour Jablonよりの連絡で,当時の国立公衆衛生院次長 曽田長宗あてに上記国際会議への疫学データ提供と出席者 の推薦を書面で要請してきた.  これは,当時のABCC疫学部長野辺地慶三(元国立公衆 衛生院疫学部長)のアドバイスによるもので,野辺地より は国立公衆衛生院疫学部で慢性伝染病を担当していた著者 あてに電話でBeebeの意向が伝えられた.1960年6月に予定 されている国際会議までには時間的余裕も少なかったた め,とりあえず国立公衆衛生院を事務局に在京有志でサル コイドーシス臨時疫学調査班(班長:岡 治道)を結成し てもらい,国際会議への報告資料作成にとりかかることに なった.  この調査班が発足したのは1960年1月のことで,当時の メンバーはTable 6に示す通りである.本調査班の主要な仕 事は全国の本症症例を収集することであり,そのため主要 医療機関約800か所に1959年末までに把握されている全症 例の報告を依頼した.得られた約300例については臨床,病 理,免疫の各所見を精査した結果,確実例とされた94症例 の疫学特性などが同年6月1-3日ワシントンで開催された上 記国際会議において中間的に報告(報告者:野辺地慶三) 20)された.

Table 4. NAS-NRC Committee on Sarcoidosis (as of 1960)

Table 5. The progress of joint research on sarcoidosis in Japan (1)

Table 6. Provisional Committee for Epidemiological Survey on Sarcoidosis (1960.1-12)

(5)

 この調査班は,あくまでも在京有志が中心になって発足 させた臨時的なものであり,これを契機に本症の全国的な 共同研究体制を確立すべく上記調査班関係者が努力した結 果,1961年1月よりは文部省科学研究費緊急保留分の助成 を得てTable 7に示す研究班(班長:北村包彦)が全国的規 模で発足した.この研究班は,当時の国鉄東京(後に中央) 保健管理所を事務局として,第2回全国調査(1960-61年分) を実施したが,1年間(1962年度)のブランクの後,1963 年度は文部省科学試験研究費によるサルコイドーシス研究 委員会(委員長:同前)として再発足した.その構成は Table 8の通りである.  この頃の国の研究費助成は継続性に乏しいのが普通で, この研究委員会も1年間で打ち切られたため,Table 9に示 すように委員会メンバー全員で日本サルコイドーシス研究 協議会を結成して研究を継続することとし,1964年9月東 京で発足の会が催された.この協議会は,上述の国鉄保健 管理所を事務局として第3回全国調査(1962-64年分)を実 施したが,1966年度からは文部省研究費によるクベイム抗 原作成委員会が発足するなど,本症に対する関心が高まっ てきたことから協議会の拡大を望む声が多く,1967年4月 には72名を会員とする新協議会の発足式が名古屋で行われ た.この年には,1964年までの全国調査で把握された本症 患者を対象に,第1回予後調査が協議会によって行われた. また,1970年には第4回全国調査(1965-69年分)も協議会 が実施している.  Table 10に示されている1972年は,旧厚生省の特定疾患 (いわゆる難病)対策事業が発足した年で,サルコイドーシ スも国の指定する難病8疾患の一つにとりあげられ,大型の 調査研究班(班長:本間日臣)が編成されたことで,本症 の研究が加速されることになった.2002年は,本事業の発 足30周年を迎えた記念すべき年である.1972年には,本調 査研究班により第5回全国調査(1970-72年分)が実施され ており,またステロイド二重盲検試験も行われた.また, 協議会の主催による第6回国際サルコイドーシス会議(会 長:北村包彦)が,22か国,約300名の参加を得てこの年 の9月東京で成功裡に開催されたことも特記すべきであろう.  厚生省調査研究班の発足に伴って,1973年度からは文部 省特定研究サルコイドーシス研究班(班長:本間日臣)も 活動を開始した.この研究班は,感染論的立場からの発症 機構解明を目的として基礎学者からなるプロジェクトチー ムによる検索を実施した結果,本症の生検材料から高率か つ高濃度に嫌気性菌Propionibacterium acnesを分離培養す るとともに,本菌が肉芽腫形成能をもつことを発表した 26,27).本菌とサルコイドーシスとの関係は,その後も各分 28) よる内因性感染症が宿主要因と関与して本症を発症させる とする新しい仮設を提唱している.Table 10に戻って,厚 生省研究班は1973年には第1回剖検例調査,1974年には第2 回予後調査を実施した.

Table 7. Comprehensive Research Team on Sarcoidosis in Japan set up with a grant from Ministry of Education (1961.1-1962.3)

Table 8. Research Committee on Sarcoidosis set up with a grant from Ministry of Education (1963.4-1964.3)

Table 9. The progress of joint research on sarcoidosis in Japan (2)

(6)

 Table 11によると,1975年度以降も上記厚生省研究班(班 長:三上理一郎)は継続するが,1979年度よりは肉芽腫性 肺疾患調査研究班(班長:同前)と名称を変更して1982年 度(班長:細田 裕)に終了する.この間,1977年には第 6回全国調査(1973-77年分)が実施されており,また1979 年11月には奈良で国際サルコイドーシスシンポジウム(議 長:三上理一郎)が開催され,海外よりの著名な研究者を 交えて本症の免疫,病理,酵素マーカー,経過と治療,疫 学の各分野における最近の進歩が討議されたことは特筆に 値しよう.  ところで,日本サルコイドーシス研究協議会は1981年に 日本サルコイドーシス研究会に発展改称し,この年に札幌 で第1回研究集会(会長:平賀洋明)を開催した.この研 究会は,Table 12に示されているように1987年京都で第7回 研究集会(会長:大島駿作)を催した時から日本サルコイ ドーシス学会(理事長:千葉保之)と改称され,その後本

症の国際学会(WASOG:World Association of Sarcoidosis

and Other Granulomatous Disorders)にならって日本サルコ

イドーシス/肉芽腫性疾患学会(JSSOG:Japan Society of

Sarcoidosis and Other Granulomatous Disorders)に名称を改

め,2002年の第22回総会(会長:中田安成)に至っている. この間,学会理事長も三上理一郎,平賀洋明を経て,第20 回総会後は安藤正幸が務めている.  Table 12には,1983年度よりの厚生省研究班(班長:原 沢道美)から名称にサルコイドーシスが消えたことを示し ているが,分科会(分科会長:細田 裕)として本症の研 究は継続しており,1984年には第7回全国調査(1984年分), 1987年には第3回予後調査が実施されている.1988年度か らは研究班の名称がびまん性肺疾患調査研究班(班長:田 村昌士,サルコイドーシス分科会長:平賀洋明)と変るが, Table 13に示されているように1991年には第8回全国調査 (1991年分)と第2回剖検例調査を実施している.この研究 班は1993年度から班長が安藤正幸となるが(サルコイドー シス分科会長は同前),1996年度からは厚生省特定疾患呼 吸器系疾患調査研究班として統合され,びまん性肺疾患調 査研究班はその分科会(びまん性肺疾患分科会長:工藤翔 二)としてサルコイドーシスの研究を継続することになる. 1998年には,この分科会によって第4回予後調査が実施さ れた.  また,Table 13には1991年9月に京都でわが国としては2 回目の第12回国際サルコイドーシス会議(会長:大島駿作) 29)が開かれたことが示されている.この会議には28か国, 約240名が参加したが,1987年にミラノで第11回会議が催 された際に前述したWASOGが結成されており,この京都 会議は第1回WASOG会議と呼ぶこととされた.なお,これ

Table 10. The progress of joint research on sarcoidosis in Japan (3)

Table 11. The progress of joint research on sarcoidosis in Japan (4)

Table 12. The progress of joint research on sarcoidosis in Japan (5)

Table 13. The progress of joint research on sarcoidosis in Japan (6)

(7)

と同時開催の形で第11回JSSOG総会(会長:泉 孝英)も 開かれ,本症の最新情報について幅広い意見交換が行われ

た.さらに,1999年11月には熊本で第6回WASOG会議と第

19回JSSOG総会(会長:安藤正幸)が開催され,22か国よ り約240名 が参 加し た."Challenge to the Etiology of S a r c o i d o s i s " と題 する シン ポジ ウム にお いて, Propionibacterium acnesの病因としての役割が話題となっ たことは,なおわれわれの記憶に新しいところである.こ の問題は,2002年6月ストックホルムで開かれた第7回 WASOG会議においても討議された.

追記:会議の回数について

 JSSOGは,日本サルコイドーシス研究会が発足した1981 年に札幌で開催された研究集会を第1回として,以後研究会 の名称変更後も通算して年次総会の回数としているので, 2003年11月東京で開かれる総会(会長:工藤翔二)は第23 回となる.一方,WASOGの方は回数に若干の混乱がみら れる.1963年9月,ストックホルムでSven Löfgrenの主宰に よる国際サルコイドーシス会議が催された際に,1958年の ロンドン会議を第1回,1960年のワシントン会議を第2回と 呼ぶことにして,ストックホルム会議が第3回とされたが, 以後3年ごとにパリ,プラハ,東京,ニューヨーク,カー ディフ,パリ,ボルチモアと続いて,1987年にミラノで第 11回国際会議が開かれた時にWASOGが結成された.そし て,1991年9月京都で開催された第12回国際会議を第1回 WASOG会議とすることとされた.(この時のプロシーディ ングス29)にもそう記載されている.)しかし,その後1989 年にリスボンで開かれたヨーロッパ地域会議をWASOGの 第1回会議,通算の第12回国際会議に変更されたため,上 述の京都会議は第2回WASOG,第13回国際会議となる.そ れぞれ第6回,第17回とされた1999年の熊本会議,第7回, 第18回とされた2002年のストックホルム会議も,リスボン を第1回,第12回にしないと計算が合わない.

おわりに

 ここでは,わが国におけるサルコイドーシス研究の歴史 的な経過を,特に初期の頃に重点を置いて概観した.本症 に関する国際会議や国際シンポジウムが,既に4回もわが国 で開催されていることからみても,わが国における本症研 究の国際的レベルが推察されるわけで,この点は文献的に みた本症研究の質,量両面からも実証されている.  全身疾患としての本症の特異性は,必然的に本症に対す る学際的アプローチを必要としており,事実わが国におい ても各分野の専門家がチームを組んで共同研究を進めてき 議会で,当時事務局としてその活動を支えてきた国鉄中央 保健管理所の功績を忘れてはなるまい.本症の原因は現在 もなお不明のままであり,さればこそ難病としての本症研 究が継続されているのであるが,21世紀を迎えた今日,本 症の原因解明と予防の実現を目指して,若い研究者各位の 一層の奮起をお願いしたい.この回顧が,温故知新,ある いはさらに温故創新の一助になれば幸いである.

謝辞

 特別講演の機会を与えていただいた中田安成第22回総会 会長と座長の労をとられた三上理一郎博士に深謝する.ま た,次の各位(順不同,敬称略)には資料の提供や講演の 準備でお世話になった.厚くお礼を申し上げる. 三上理一郎,細田 裕,平賀洋明,小高 稔,工藤翔二, 松井泰夫,折津 愈,簑輪眞澄,窪山順子,藤原佐枝子, 石邉綾子,横山 愛,松川輝雄,小笠原優,羽場 博, 金岡こずえ,川口 毅,神田 晃

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引用文献

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27) Ueda K, Honma JY, Mitsuoka T, et al: In: Mikami R, Hosoda Y, eds. Sarcoidosis Proceedings of the International Symposium on Sarcoidosis. University of Tokyo Press, Tokyo, 1981:87-97.

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29) Izumi T ed: Proceedings of the 1991 XII World Congress on Sarcoidosis. Sarcoidosis 1992, 9(Suppl. 1): 1-684.

Figure 3.  Number of references on sarcoidosis in Japan by year  (3)0 100 200 300 400 5001975(昭50)80(昭55) 85(昭 60)90(平2) 95(平7 ) 00(平12 ) 01(平13 ) 件
Table 3.  The beginning of joint research on sarcoidosis in  Japan
Table 5.  The progress of joint research on sarcoidosis in  Japan (1)
Table 7.  Comprehensive Research Team on Sarcoidosis in  Japan set up with a grant from Ministry of Education  (1961.1-1962.3)
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参照

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