要旨 功利主義は市場経済社会に適合した道徳理論であるが,人類進化におけるヒトの道徳感情,公平性の感 覚および人間の社会化の過程で道徳性が発展すること等を考慮すると,古典的功利主義には欠陥がある。 ヒトが霊長類から引き継いだ性向である公平・公正の観念も,道徳論における不可欠の要素とされるべき である。経済教育における道徳論は,徳の倫理を基盤に熟慮された功利主義として把握されるべきではな いか。 キーワード:功利主義,公正,進化論,徳
Ⅰ.功利主義への批判と現代的修正
経済理論は近代の資本主義経済の傾向性・法則性, 特質とそれへの政策的対応を課題としてきた。ヨー ロッパにおいて最初に姿を現した資本主義経済におい て,とりわけ企業活動や消費行動において大きな動機 となった利己心をどう判断し,説明のなかに組み込む かは,初期の理論家の関心事であった。それまでヨー ロッパ中世社会においてむしろ「悪徳」的に観念され ていた利己心こそが,人々の欲望を解放し旺盛な消費 意欲と様々な財貨の提供につながり,成長する経済を もたらすとし,巣の中でブンブンと忙しく動き回る蜜 蜂の群れのイメージを示したマンデヴィルはもちろん のこと,道徳感情とのバランスを考慮していた慎重な アダム・スミスも利己心を新しい経済社会の道徳とし て容認する方向を打ち出した。利己心は社会全体とし ての仕組みによって「利他心= altruism」として機能 することになる。1) 利己心とはこの私が欲するものである。生物として のヒトであれば一般に必要とし欲する食欲,性欲,安 全への欲求を核とし,集団で生存してきた人間には他 者との交流や他者による承認,愛情なども私個人に とっては利己心として現れる。近代社会が提供する無 数の消費財への欲望も利己心の対象である。経済理論 は資本主義経済が機能する特徴を記述すると同時に, 正当化する規範的理論としての側面も備えている。利 己心は資本主義経済を動かす重要な動因の一つであり, 標準的な経済学教育において規範的な支持を得ている。 経済理論においてこの規範的評価の問題に取り組んで きたのは厚生経済学であるが,大学の経済学部におけ る講義や演習等で明示的あるいは非明示的に規範的価 値を担っているのが功利主義である。2) ベンサムに代表される古典的功利主義は,快楽説に より正・不正を基礎付け,人間行動にともなう様々な 快楽の同等性を理論化し,快の総和最大化を道徳の基 準として打ち出した。ベンサムの時代にあって,この 説は個人を「1 つ」と考慮する民主性があり,社会改 革の理論的基礎ともなった。しかし,人々がギャンブ ルで得る快楽と読書や音楽・絵画鑑賞から得る快楽が 同等であるのかどうか,「約束を破る」という義務違 反は帰結の観点からのみ判断すべきなのかどうか,少 数者の苦痛と多数者の満足を合計して集計的なプラ ス・マイナスが集団的意思決定の規範的基礎になるこ とは,少数者の権利や正義を侵すことにならないのか 等々,多くの批判がある。J.S. ミルはベンサムの弟子 という位置づけにあるものの,文学・芸術から得られ るものがたんに生理的な快楽だけでなく,人間の精神功利主義を超えて
Economic EducationThe Journal ofNo.35, September, 2016
A Critical Note on Utilitarianism
Furukawa, Mikio 古河 幹夫(長崎県立大学)
への深い影響でもあることを自身の深刻な経験から身 をもって学んだミルは,ベンサムを評して,「道徳は 二つの部分からなっている。その一つは自己教育, ……この部分はベンサムの体系においては白紙なので ある。もう一つの同等な部分,すなわち人間の外面的 行為の規制,も前者なしにはまったくためらいがちで 不完全なものとなるに違いない」3)と述べている。ミ ルははたして「功利主義者」であったのか大いに疑問 である。しかし彼の「功利主義」という著書は功利主 義のまとまった解説書として今なお影響力をもち, 「最大多数の最大幸福」を基礎付けるものとして一般 に膾炙していると思われる。現代功利主義4)はシジ ウィック等を重要な論者として,利己主義と功利主義 の区別・調停,快楽説から選好充足説への改修,総和 最大化手続きの精緻化,規則の重要性の認識―いわゆ る「ルール功利主義」―を主要な要素としている。 人間行動と道徳(社会的規範の内面化)の起源につ いてダーウィンは控えめではあるが,『人間の進化と 性淘汰』(1871 年)において以下のように示唆してい る。 初期人類は社会的本能を高等霊長類から引き継いで いること。ここで社会的本能とは,i)個体が所属す る集団構成員と繋がっていることから快の感情をえる こと,ii)集団の他のメンバーに対する利他的な性向, iii)共感の感情,iv)仲間からの称賛と非難をいう。 初期人類は良心と呼ばれる心的能力を獲得した。知性 と言語による道徳感情の洗練がみられるようになった。 道徳習慣は社会的な学習によって発展するものである。 つまり利己本能が集団の利益につながる仕組みとして 道徳をとらえ,それは進化論的に支持されると示唆し ている。だが,「自分たち」感情をもてる自集団を越 える利他性や道徳性については説明がなされていな い。5) 道徳哲学・倫理学の領域で功利主義の現代化の努力 が続けられているが,ダーウィンの上記著作から 100 年以上隔たった今日,他の領域での人間行動に関する 研究の進展を鑑みて功利主義に対する考察を掘り下げ ることが重要であると思われる。①生物学,動物行動 学,霊長類に関する研究,②狩猟採取部族の民族学的 研究,③発達心理学,④脳科学,認知科学などでの知 見の蓄積は,道徳論なかでも功利主義を評価するうえ で貴重な示唆をあたえてくれる。 生物学の観点からは個体の自己保存・自己利益が基 本的な生物界において「利他的」で「寛容な」行動が 観察される現象の基礎にあるメカニズムが注目されて きた。ドゥ・ヴァールの著作からは霊長類において, 遊び,闘争と和解,模倣や「だまし戦術」,共感など ヒトの行動との連続性が広範に観察される。人間と他 の霊長類を分かつ分水嶺として,他個体の心理状態を 推測する「心」の存在,言語に代表される体系的な象 徴世界が提示されている。 狩猟採取部族の民族誌的研究に基づく道徳の起源に 関する考察としてクリストファー・ボームが注目され る。彼は原初のチンパンジー属のように支配的な個体 の下に序列秩序のなかで生きる種から,多くの狩猟採 取部族に観察される平等主義的な秩序において生きる 種へと移行する過程に,道徳の起源が求められると仮 定した。そして平等主義というきわめて決定的な特性 をしっかりと定着させたのは,「政治的にまとまった 集団が怒りを買うアルファ雄の行動を『禁止』させ, 処罰を与える能力だった。……これにより自制が進化 的に奨励され,ほとんど人間特有のやり方でフリーラ イダーの抑圧も始まった」6)という説を提唱している。 生態人類学の伊谷純一郎は「人間平等起源論」を提唱 しているが,人類史的に最も長い期間に形成された道 徳性が今日の人間においても基層として存在する。そ の後,農耕の導入,国家の形成,宗教など大きなヒエ ラルキー的秩序の形成に応じて,権威,命令,服従, 忠誠などの要素が付け加えられる。 発達心理学はピアジェの研究を踏まえ,コールバー グの道徳性発達 3 段階論が中心的なパラダイムとなっ てきた。7)コールバーグは,児童から青年に対して 「これを行うことは正しい/正しくない」という回答 の根拠を尋ねる調査にもとづき,道徳性を慣習前段階, 慣習段階,慣習後段階に区分した。第 1 段階は,「私 がそうしたいから/それが好きだから」という個人的 理由が根拠であるが,慣習的(convention)段階では, 親などの権威者が指示するから,学校のクラスや児童 集団など属する集団が定めているから,あるいは法律 がそう定めているから等が根拠となる。第 3 段階にお いて,具体的な人間や集団を超える自然法のような規 範に訴えかけて「正しい/正しくない」の判断が導か れる。この段階が真の道徳性であるとされる。 この 3 段階は継起的であり,児童・青年から成人へ の認知的能力の発展に対応している。対抗するパラダ イムとして「社会的相互行為」理論(Turiel ら)が出 され,慣習前的,慣習的,慣習後段階と分類された道 徳的反応を併存的に捉えようとしている。また,ギリ ガン(Gilligan)等からする「他者配慮=ケア」の道 徳感情が理論枠組みに組み込まれていないとする批判
も存在する。合理性よりもむしろ道徳感情を重視する 道徳哲学の流れに呼応するところがある。 脳科学の発展はまさに日進月歩であり,その要点を 把握することは筆者の力に余るものであるが,心理 学・神経科学をベースにした道徳論において総合をめ ざすグリーンの『モラル・トライブズ』に注目したい。 彼は人間社会が直面する道徳問題を二種類に区分し, それを脳のメカニズムと関連づける。それは「コモン ズの悲劇」と「常識的道徳の悲劇」と名づけられる。 前者は経済理論でいう協力問題である。ある集団内に おいて自分と他者(1 人の場合から多数の場合まで) が利害の相違を乗り越えて共同の利益のために協力で きるかどうか,できるとすればその条件は何か等の問 題である。彼はこれを〈私〉と〈私たち〉との葛藤問 題と規定する。一方,「常識的道徳の悲劇」とは, 「私」が「私たち」意識をもてる集団すなわち「私た ち集団」と,それ以外の集団,すなわち「彼ら」との 間でしばしば生じる,文化や宗教,道徳的価値観に由 来する葛藤・対立をいう。グリーンは,我々はこれら の道徳問題に対処するにあたり脳の二種類のモード, 比喩的にカメラの「オートモード」と「マニュアル モード」,すなわち直感的反応や情動的反応と熟慮的 反応を使い分けているという。前者の道徳問題につい て人間は長い進化の過程で感情,集団内での評判やゴ シップおしゃべり等,解決のメカニズムを備えてきて おり,むしろ困難なのは後者の道徳問題であり,その ためには複数の「私たち集団」が共有できる価値観を 構築することが必要である。グリーンはこれを「幸福 を公平に最大化する」功利主義に求める。ただ,その 名称には誤解を招くところがあり,「深遠な実用主義」 と言うほうが適切であると述べている。功利主義は人 間の脳の「オートモード」に本来備わっている哲学で ある一方,功利主義への反発は「マニュアルモード」 に由来するとしている。 〈私たち〉集団内部での協力問題には「公平・公正」 の問題もあり,これは必ずしも「オートモード」で功 利主義的に解決されるものではない。
Ⅱ.公平・公正とロールズ
公平・公正の感覚も脳の「オートモード」に組み込 まれたものであると言える。その原初的なものは霊長 類にも観察される。ドゥ・ヴァールは,2 匹のサルに, 同様の課題を達成したときには同じ報酬(キュウリ一 切れ)が与えられる実験を行ったところ 2 匹とも喜ん で実験を続けた。次には同じ課題の達成にもかかわら ず一方のサルにはキュウリを与え,他方のサルには好 物のブドウを与える不公平な扱いをしたところ,待遇 の悪いサルは実験に興味を失い,いらだちを見せ,と きには報酬のキュウリを放り出したという事例を紹介 している。8) 霊長類の脳構造を基底において引き継いでいるヒト には複数の公平・公正の観念が備わっていると思われ る。それを,①平等(equality),②衡平(equity), ③ニーズ原理,④相互利益に分類したい。9)①〜③は とくに分配を行うさいに,たとえ異なる価値観を有す る国籍の人間どうしでも当てはまるであろう。筆者が 大学の講義のなかで用いている事例をつかって説明し てみる。 今,たとえばきわめて珍しいイタリアのケーキを 5 名(A 〜 E)のあいだで分配するとしよう。分配者と してナイフを与えられる者が誰であれ,まず均等に切 り分けるであろう。互いに言葉が十分に通じなくても 全員が納得する基準である。公平を期するには「分配 者は最後に分け前をとるべし」という格言もある。 A B C D E このケーキはどこかから与えられたのならまだしも, 購入するなり自分たちで作るなりした場合費用がかか る。3000 円かかったと想定して,A が 1200 円,B が 800 円,C が 600 円,D が 400 円を拠出し,E はあい にく拠出しなかったとする。どのように分けるだろう か? 多くの人は拠出した金額に応じて分配する方式 に賛成するだろう。教室で学生にこの質問をすると, 拠出に応じた分配の基準だと E は何ももらえないこと になり,それは 5 名の人間関係に鑑みて居心地の悪さ を感じるのだろうか,何名かの学生は「ほぼ均等に分 ける」と回答する。「では E はお金を出さないが分け 前に与かれる?」と質問すると,「また別の機会には E はより多く拠出する」などの回答がかえってくる。「貢献に応じた分配」原則が基底にある。経済生活に おける市場メカニズムの理想的形態では,この貢献に 応じた分配の原則が貫徹すると考えられている。 では次に,この 5 名が家族であるなら分配はどうな るだろうか? 仮に A が祖母,B が父親,C が母親, D が高校生の子ども,E が小学生の子どもとする。学 生に尋ねてみると,各々自分の家族や想像しうる家族 構成をイメージしながらの回答で,様々である。ただ 「貢献に応じた分配」は適用されない。父親が「この 3000 円をだしたのは自分だ」などと主張しようもの なら,母親は「洗濯や炊事など無償労働をやっている 私の貢献を金銭換算してちょうだい」と言ったり,祖 母も「あなた(父親)を育てたのは誰だと思っている の。私の貢献を金銭換算するなら相当のものになる よ」等々。 家族の事情に応じて,「おばあちゃんは糖尿病が心 配だから少なめに」「お母さんは好物でもあり,友だ ちに自慢できるだろうから多めに」等々。これは互い の事情を知り合った集団の場合に適応できる原則であ るが,より大きな集団においても,例えば社会保障な どで適用される「ニーズ原理」などはこれに分類でき る。また,大きな災害時に避難してきた百名程度の集 団において,配布する食料や寝具など量的に限りがあ るものを配分するさいには,「ニーズ原理」に近い基 準が適用される。 もう 1 つ,④の相互利益という基準は,互恵性を前 提とした相互関係において期待を裏切られた場合など に私たちが「不公平」と感じる公平性の感覚である。 現実の社会においては活動の領域や場面に応じて上記 の基準を私たちは適用している。市場経済においては ②と④が貫徹するものと想定されているが,現実態に おいてはどうであろうか? 社会契約論的な世界像で私たちが社会に加えられる さいの偶然性(運)は基本的に人の道徳的価値にとっ ては外在的であるという観点をもち,ロールズは仮想 的な「原初状態」において同意されるであろう社会的 公正の原理を提案している。平等なる自由,機会均等 の原理,格差原理を柱とした正義原理である。ロール ズ的正義原理の導出方法は適切かどうか,現代社会の 憲法的取り決めの基底的原理足りうるかどうか等をめ ぐって活発な議論が展開されてきたが,ロールズ的正 義論は一般の人々に受け入れられるかどうかについて も議論はある。ジョンストンは道徳的功績(desert) を分配の基準にするという考えをロールズが排して, 正当な期待という概念に置き換えていること,それは 社会の基本構造に適応すべき正義の原理においては正 しいが,正義原理は「正義の感覚に根ざしたものでな ければならない―相互性および功績の概念を通じて もっともよく表現される感覚に」と述べている。もし 私たちの正義・公正の感覚が上記①〜④にまとめられ るとするならば,それは「オートモード」での正義感 覚である。そしてそれらは功利主義の枠内には必ずし もスムーズに包括されないものである。
Ⅲ.経済教育と倫理的メッセージ
大学への進学率が 50%を越え「ユニバーサル段階」 に到達した日本において,大学での経済教育はますま す出口を意識せざるをえない。社会から求められる力 は学士力や社会人基礎力として理解されつつある。こ の背景には本田由紀が言うように「批判力」よりも社 会への「適応力」が重視されている側面もあるが,学 力の 3 要素をめぐる議論において金子元久が言うよう にリベラルアーツを継承する側面もある。800 弱ある 全国の大学が機能分化を求められるなか,実践的で職 業に有用な経済教育が求められている。経済教育が学 生に経済活動の領域で生きていく力を付与するとする ならば,10)狭い職業教育というより,有能な生産者, 公的関心をもった市民,賢い消費者の育成が目標と定 められることに大きな異論がないであろう。 そのさい,では倫理説として功利主義は適切なもの かどうかという問題がある。自律した個人が構成する 社会において,何が善いことなのか判断が個々人にゆ だねられている個人主義的社会では,熟慮された功利 主義は倫理説の中心的要素たりうるが,これから社会 人になる青年を対象にした教育の場では,徳の倫理を 踏まえることがより適切ではないかと考えられる。塩 野谷祐一氏が経済倫理の枠組みとして正・善・徳を設 定し,リベラリズム,功利主義,卓越主義の鼎の構図 を提示されているが,日々の勤労生活のなかで道徳的 エリートでない普通人がめざせる人生として,徳の倫 理説を踏まえた人格陶冶のメッセージ,すなわち「よ り善き生」という倫理的メッセージが経済教育におい ても位置づけられるべきではないだろうか。 ここに徳の倫理の特徴は,①行為中心でなく主体中 心,②〈なす〉ことよりも〈ある〉ことに関心を払い, ③「どのような人物であるべきか」を問う,④正や義 務などよりも善,卓越性,徳に比重を置く,⑤倫理は ルールや原理に法典化しうるという考えに疑問を呈す る,といったことである。功利主義や義務論に代替する倫理説というより,それらの基礎になる説であると される。経済学者ナイトは「競争の倫理」を論じたな かで,競争的なゲームは人々が熱をいれて取り組むな らばなおさら「特殊な心理的状態」をもたらし,「ど のような競争であれ,そこでの成功それ自体が高貴な 目的」となりかねないことを案じている。およそ社会 秩序の良し悪しの判断は,構成員の欲望をどのくらい 効率的に充足しているかよりも,「どのような欲望を 生み出し,人々のなかにどのような気質を育むか」11) によるべきであると論じている。 註 1) 経済思想史の領域で多くの優れた文献が存在するが,ここ では資本主義の出現にともなう道徳心の問題を,より一般 的な人類史の観点から考察したものとして,Y. N. Harari, Sapiens: A Brief History of Humankind, Vintage Books, 2011, pp.346-352 を参照。 2) 厚生経済学の第一人者である鈴村興太郎氏は近年の理論 動向を「先験的制度主義 vs 帰結比較アプローチ」と分析 している。日本経済政策学会 72 回全国大会特別セッショ ンでの報告(2015 年 5 月 30 日) 3) ミル[10]p.93 4) 現代功利主義については,児玉,奥野,中井を参照。 5) Krebs[20]は第 4 章でダーウィンを論じている。 6) ボーム[13],p.392。また寺嶋も参照。 7) Kagan[19]の著書を参考にした。 8) ドゥ・ヴァール[12],p.264 9) 道徳感情を論じた Wilson[18]の分類を参考にした。 10) 橘木が「非エリート校」大学での経済教育をこの視点で 主張している。 11) 徳の倫理については,ハーストハウス[15]が秀逸であ るとみなされている。 12) ナイト[14]の第 1 章。 参考文献 [1] 児玉聡『功利と直観』勁草書房,2010 年 [2] 奥野満里子『シジウィックと現代功利主義』勁草書房, 1999 年 [3] 中井大介『功利主義と経済学』晃洋書房,2009 年 [4] 塩野谷祐一『エッセー 正・徳・善』ミネルヴァ書房, 2009 年 [5] 寺嶋秀明『平等性―霊長類と人における社会と平等性の 進化』ナカニシヤ出版,2011 年 [6] 橘木俊詔『ニッポンの経済学部』中央公論社,2014 年 [7] 本田由紀『多元化する能力』NTT 出版,2005 年 [8] 金子元久『大学の教育力』ちくま新書,2007 年 [9] ジョシュア・グリーン『モラル・トライブズ』岩波書店, 2015 年 [10] J.S. ミル『ベンサムとコウルリッジ』みすず書房,1990 年 [11] チャールズ・ダーウィン『人間の進化と性淘汰』文一総 合出版,1999 年 [12] ドゥ・ヴァール『共感の時代へ』紀伊國屋書店,2010 年 [13] クリストファー・ボーム『モラルの起源』白楊社,2014 年 [14] フランク・ナイト『競争の倫理』ミネルヴァ書房,2009 年 [15] ロザリンド・ハーストハウス『徳倫理学について』知泉 書館,2014 年 [16] デイヴィッド・ジョンストン『正義はどう論じられてき たか』みすず書房,2014 年 [17] ジョン・デューイ『倫理学』人間の科学社,2002 年 [18] Lames Q. Wilson, The Moral Sense, Simon & Schuster,
1993
[19] J. Kagan & S. Lamb, The Emergence of Morality in Young Children, The University of Chicago Press, 1987 [20] Dennis L. Krebs, The Origins of