論理的思考の方法
久木田水生
∗神戸大学
2012
年度前期
目次
1 はじめに 2 2 推論 2 2.1 必然的推論と蓋然的推論 . . . 2 2.2 演繹的推論 . . . 4 2.3 論理的な推論は常に正しいのか? . . . 9 2.4 哲学史的な付けたし . . . 9 3 論証 10 3.1 論証の評価 . . . 11 3.2 暗黙の前提 . . . 14 4 論証の作法 15 4.1 分かりやすい文章、分かりにくい文章. . . 15 4.2 論文の形式 . . . 16 5 誤謬 17 5.1 論理的誤謬 . . . 17 5.2 非論理的誤謬. . . 19 6 非演繹的推論 21 6.1 様々な推論 . . . 21 6.2 帰納と類推の評価 . . . 22 6.3 統計的推論 . . . 25 7 合理的意思決定 28 7.1 意思決定とリスク . . . 28 7.2 合理性の限界. . . 30 8 疑うことと信頼すること 32 ∗[email protected]9 終わりに――信頼の効用 33
1
はじめに
このテキストは神戸大学2012年度前期「論理学」のための講義ノートである。この講義では受講生に、論 理的に考え、論証するための知識と技術を身につけさせることを目的としている。 この講義は特定の学問分野としての記号論理学、形式論理学について教えるものではなく、日常的な場面で 他人の論証を評価する、自分で論証を組み立てる際に必要な実践的知識・技術を教えるものである。そのよう な知識・技術は皆さんがどのような分野を専攻するにせよ、そして将来どのような職業に就くにせよ、きっと 役立てることができるだろう。 一つ例題から始めよう。次の文章を読んで欲しい。 例文 1.1. 論理とは正しい推論の道筋のことです。推論は人間の知的活動において中心的な役割を果たすもの であり、実際、私たちの持つ重要な認識の多くは推論によって獲得されています。したがって正しい認識を獲 得するために私たちは論理を学ぶ必要があるのです。 この文章を読んで皆さんはどう思っただろうか? なるほどその通りと納得した人はもう少し慎重になる必要 がある。この論証は一見もっともらしく見えるが、実は重大な論理的誤りを含んでいるのである。このような 一見もっともらしいが、実際には誤った論証を見破る能力を身につけることがこの講義の目的の一つである。 例題の答えの前に、次の文章についても考えてみよう。 例文 1.2. 京都からは阪急電車で六甲駅までいけます。神戸大学には六甲駅から歩いていくことができます。 従って京都から神戸大学に行くには阪急電車に乗る必要があります。 この論証が誤っているのは十分に明らかだろう。確かに京都から阪急にのって神戸大学に行くことはでき る。しかし京都から神戸大学に行くには阪急に乗る以外にも方法はある。JRを使っても良い。自分で自動車 を運転しても良い。頑張れば自転車でも行けないことはない。従ってこの論証は誤りである。 実はこの例文1.1と例文1.2の論証において使われている推論の構造は等しい。その構造を分かりやすく示 すと次のようになる。 AをすればBが得られる。 Bを得るためにはAをする必要がある。 この形式の推論が一般には成り立たないことは例文1.2が示すとおりである。従って例文1.1もまた正しくな い推論を用いた論証だということになる。2
推論
本講義の主な目的は、正しく推論し論証する技術を訓練することである。そのためにはまず正しい推論、正 しい論証(および間違った推論、間違った論証)とは何かということを知らなければならない。さらにその前 にはそもそも推論、論証とは何かということを知らなければならない。この節と次節では推論と論証、そして それらの正しさの基準について説明しよう。2.1
必然的推論と蓋然的推論
推論とはいくつかの前提から一つの結論を導き出すことである。前提や結論を構成するのは基本的には文(あるいは文によって表現される信念や知識)である。私たちは「太郎は日本に住んでいる」という文から「太 郎は日本人だ」ということを推論するが、「日本」からは何も推論しない(「日本」と聞いて「日本人」を思い 浮かべるのは連想であり、推論ではない)。 ある推論が正しいのは、その前提のすべてが真である時には必ず結論も正しい時である。言い換えると、正 しい推論とは、前提が正しいのに結論が誤りであるということがありえない推論である。このような推論を必 然的な推論と呼ぶことにする。たとえば「太郎は日本に住んでいる」から「太郎は日本人だ」への推論が必然 的かどうか考えてみよう。いまは個別の太郎という人物について考えているが、推論の必然性を論じるときは、 それがいかなる場合にも成り立つかどうかを考えなければならない。そしてこの推論はもちろん一般的には成 り立たない。日本に住んでいる外国人はいくらでもいる。彼らについては日本に住んでいるということは言え るが、日本人であるということは言えない。このようにある推論が必然的でないことを示すためには、その前 提がすべて真であるが、結論が偽であるような事例を挙げればよい。そのような事例を反例と呼ぶ。 注意しなければならないのは必然的な推論の前提や結論が必ずしも真とは限らないということである。例え ば次の推論は前提も結論も偽であるにも関わらず必然的である。 平家でなければ人ではない。 すべての人は平家である。 必然的ではないが、前提がすべて真であるときには高い確率で結論も真であるような推論を蓋然的な推論と 呼ぶ。蓋然的な推論を明確に定義する一定の基準はない。というのもある確率を高いと見るか低いと見るか は、それを判断する状況や主体に依存するからである。例えばある打者の打率が3割と言われればそれは高い と感じるだろうが、ある野球チームの勝率が3割ならば高いとは感じない。そこでこのテキストでは必然的で ない推論はすべて蓋然的と呼ぶことにする。 AからBへの推論が必然的であるということは言い換えると、AがBに対して十分条件になっているとい うことである。またこのときBはAに対して必要条件になっていると言う。 問題2.1. 以下の推論が必然的かどうか判定しなさい。必然的でない場合は反例を考えなさい。 (1) ジョンはポールと同い年である。 ポールはデヴィッドと同い年である。 ジョンはデヴィッドと同い年である。 (2) ジョンはジョーンズ氏の息子である。 ポールはジョーンズ氏の息子である。 ジョンとポールは兄弟である。 (3) すべての学者が賢いとは限らない。 賢くない学者もいる。 (4) すべての哺乳類は胎生である。 カモノハシは哺乳類である。 カモノハシは胎生である。 (5) 太郎は次郎の兄である。 次郎は太郎の弟である。
(6) ジョンはピーターの父である。 メアリーはピーターの娘である。 メアリーはジョンの孫である。 (7) ジョンはピーターの父である。 メアリーはピーターの母である。 メアリーはジョンの妻である。 (8) 20世紀のアメリカ大統領はすべて民主党か共和党のどちらかである。 20世紀には民主党のアメリカ大統領がいた。 問題2.2. 条件(a)と(b)の関係がどのようになっているかを次の(A)-(D)から選びなさい。 (A): (a)は(b)の十分条件であるが必要条件ではない。 (B): (a)は(b)の必要条件であるが十分条件ではない。 (C): (a)は(b)の必要十分条件。 (D): (a)は(b)の必要条件でも十分条件でもない。 (1) (a)太郎は文学部に属している。 (b)太郎は理学部に属していない。 (2) (a)太郎は20歳以上だ。 (b)太郎は煙草を吸っても良い。 (3) (a)太郎は山田家の長男だ。 (b)山田家に太郎より年上の子供はいない。 (4) x, yが整数のとき (a) x < y + 1 (b) x≤ y (5) x, yが有理数のとき (a) x < y + 1 (b) x≤ y
2.2
演繹的推論
「ジョンはメアリーの親である」から「メアリーはジョンの子である」への推論は必然的である。この必然 性は「親」と「子」という言葉の意味によって成り立っている。一方で「学者がみんな賢いわけではない」か ら「賢くない学者がいる」への推論は「学者」と「賢い」という言葉の意味に依存していない。たとえば「学 者」を「カラス」に、「賢い」を「黒い」に置き換えてもこの推論は成り立つ。このようにそこに含まれる言葉 の意味によらない必然的推論を妥当な推論、または演繹(deduction)と呼ぶ。いわゆる論理的な推論とは演 繹的推論のことである。 ある推論が妥当であるかどうかは、それを判定するための機械的な手続きが存在する。しかしこのテキスト ではそれについては触れないので、興味のある方は形式論理の教科書を参照してほしい。 以下ではよく使われる演繹的推論推論のタイプを挙げる。2.2.1 前件肯定 モードゥス・ポネンスとも呼ばれる推論の形式で、次のような推論である。 いまが火曜日の午前10時ならば太郎は論理学の授業に出ている。 いまは火曜日の午前10時だ。 太郎は論理学の授業に出ている。 つまり条件文とその前件*1を前提として持ち、その後件を結論として持つ推論である。 2.2.2 肯定三段論法 前件肯定とよく似た推論で、例えば次のような推論である。 フランス人はワインが好きだ。 ジャンはフランス人だ。 ジャンはワインが好きだ。 2.2.3 後件否定 モードゥス・トレンスとも呼ばれる。これは次のような推論である。 ポールが無実ならアリバイがある。 ポールにはアリバイがない。 ポールは無実ではない。 つまり後件否定とは、条件文とその後件の否定を前提として持ち、その前件の否定を結論として持つ推論で ある。 2.2.4 両刀論法 二つの選択肢のどちらかが成り立つことが分かっており、その選択肢のそれぞれから同じ結論が導かれると きには、無条件にその結論が導かれる。例えば ジョンはアメリカ人かイギリス人かのどちらかだ。 ジョンがアメリカ人ならば英語を話す。 ジョンがイギリス人ならば英語を話す。 ジョンは英語を話す。 は両刀論法の例である。 2.2.5 対偶律 ある条件文に対して、その前件と後件をひっくり返した条件文をもとの条件文の逆と呼ぶ。また前件と後件 をそれぞれの否定によって置き換えた条件文をもとの条件文の裏と呼ぶ。ある条件文の逆の裏になっている条 件文をもとの条件文の対偶と呼ぶ(図1)。対偶律とは、ある条件文からその対偶を推論しても良い、という推 論規則である。例えば *1「A ならば B」という条件文の A を前件、B を後件と呼ぶ。
図1 逆・裏・対偶 太郎が日本人ならば日本語を話す。 太郎が日本語を話さないならば日本人ではない。 という推論である。前提と結論の間の二重線は上から下への推論も、下から上への推論も妥当であるというこ とを示している。以下でも同様である。 2.2.6 二重否定律 これはある命題の二重否定からもとの命題を推論する形式の推論である。例えば ジェーンがトムより年上でないということはない。 ジェーンはトムより年上だ。 という推論は二重否定律を使っている。二重否定律の逆向きの推論も妥当である。 2.2.7 仮言三段論法 前提となる二つの条件文の一方の後件が他方の前件と同じ命題であるとき、前者の前件と後者の後件をつな げた条件文を結論として導いて良い。例えば 気温が上がると冷房の利用が増える。 冷房の利用が増えると電力の消費が上がる。 気温が上がると電力の消費が上がる。 のように。 2.2.8 選言三段論法 選言とその一方の選言肢の否定から他方の選言肢を結論として導いて良い。例えば 太郎は部活かバイトのどちらかに行っている。 太郎は部活には行っていない。 太郎はバイトに行っている。
のように。 2.2.9 ド・モルガンの法則 ド・モルガンの法則には二種類のものがある。一つは(1)連言の否定から否定の選言が結論でき、またその 逆も成り立つ、というものである。もう一つは(2)選言の否定から否定の連言と等しい、というものである。 (1)は例えば次のような推論である。 太郎が部活とバイトの両方にいったということはない。 太郎は部活かバイトのどちらかには行かなかった。 これは逆向きも成り立つ推論である。 (2)の形式のド・モルガンの法則はたとえば次のような推論である。 太郎が部活かバイトのどちらかに行ったということはない。 太郎は部活にもバイトにも行かなかった。 ただし日本語では選言を否定するという表現はあまり自然ではないし、「太郎が部活かバイトのどちらかに行っ たということはない」という表現は「太郎は部活とバイトの両方に行った」ということを意味するとも解釈で きる。この曖昧さを回避するためにはたとえば「太郎が部活とバイトの少なくとも一方には行ったということ はない」と表現することもできるが、この表現はなおさら不自然だろう。しかしたとえば英語ではこの形の ド・モルガンの法則が自然に使われる。
I don’t like either tea or coffee.
I don’t like tea and I don’t like coffee either.
さらにド・モルガンの法則には一般された次の形がある。 すべての学生が勤勉なわけではない。 勤勉でない学生もいる。 勤勉でない学生はいない。 すべての学生は勤勉だ。 これがド・モルガンの法則の一般化であるというのは、全称命題は連言の一般化、存在命題は選言の一般化で あると考えることができるからである。例えば世の中に学生が太郎とジョンとペーターしかいないとしよう。 このとき「すべての学生は勤勉だ」という命題と「太郎とジョンとペーターは勤勉だ」という命題は同じ真理 条件を持つ。同様に「勤勉な学生がいる」という命題は「太郎かジョンかペーターのうちの誰かは勤勉だ」と いう命題と同じ真理条件を持つ。 2.2.10 排中律 排中律は前提がなく結論だけの特殊な推論である。これは任意の命題について、その肯定か否定のどちらか が成り立つということを述べる。例えば ジョンはアメリカ人であるかアメリカ人でないかのどちらかである。 は排中律の例である。
2.2.11 無矛盾律 矛盾律とも呼ばれる。排中律同様、前提を持たない推論である。任意の命題について、その肯定と否定が同 時に成り立つことはないということを述べる。例えば ジョンがアメリカ人でありかつアメリカ人でない、ということはない。 は無矛盾律の例である。 問題 2.3. 前提から論理的に推論できる文を結論からすべて選びなさい。ただしここで考慮されている対象は すべて人間であるとする。 (1) • 前提: (p1) 馬鹿でない人は賢い。 (p2) すべての人が善人であるかすべての人が馬鹿であるならば、世界は平和である。 (p3) 核兵器が存在するならば世界は平和ではない。 (p4) 世界が平和ならばすべての人は幸せだ。 • 結論: (c1) 賢い人がいなければ核兵器は存在しない。 (c2) 賢い人は馬鹿ではない。 (c3) 核兵器が存在するならば悪人がいる。 (c4) 世界が馬鹿ばかりだったら私は幸せだ。 (2) • 前提: (p1) 誰もがメアリーを愛している。 (p2) メアリーはジョン以外の誰も愛していない。 (p3) 自分を愛している人は他人を愛さない。 (p4) ポールには自分以外に愛している相手がいる。 • 結論: (c1) ジョンは他人を愛していない。 (c2) すべての人はジョンを愛している。 (c3) ポールは自分を愛していない。 (c4) すべての人を愛してる人はいない。 問題 2.4. アルフレッド、バートランド、チャールズ、ディヴィッドが以下のように証言している。正しいこ とを言っているのは誰か、すべて選べ。 1. アルフレッド「僕らはみんな嘘をついている」 2. バートランド「アルフレッドの言っていることは本当だ」 3. チャールズ「バートランドが嘘をついているならば火星人は存在する」 4. ディヴィッド「チャールズが嘘をついているかいないかのどちらかならば、火星人は存在しかつ火星人
は存在しない」
2.3
論理的な推論は常に正しいのか?
非演繹的推論は論理学においては誤った推論とされるが、日常生活においては欠かせないものである。それ らは確実に正しいとは言えなくても、しかし多くの場合に有用な信念を与えてくれる。一方で論理的な推論で ありながら、特定の場合においては正しいとは思われないようなものもある。たとえば「メアリーはスティー ブが好きか好きじゃないかのどちらかである」という文を考えよう。これは排中律の例であり、したがって妥 当である(無条件に結論して良い)。しかしこれは本当に正しいと言えるだろうか。日本語ではしばしば、「好 きじゃない」という言葉は単に「好き」という感情の不在ではなく、好きとは反対の感情の存在を示唆してい る。従って「好き」か「好きじゃない」のどちらかが必ず成り立つということは言えないのである。このこと は例えば「すべての人はスティーブが好きか好きじゃないかのどちらかである」という文を考えればよりはっ きりするだろう。この文もやはり論理的に妥当である。しかし少なくともスティーブが誰であるかを知らない 人間にとっては、彼を好きということも彼を好きじゃないということも不適当に思われる。 同様の問題は二重否定律に関しても生じる。例えばあなたがメアリーに「スティーヴのことは好きじゃな いの?」と尋ねて、メアリーが「そういうわけじゃないけど・・・」と答えたとしよう。このときあなたがス ティーブに「メアリーは君のこと好きなんだって」と伝達することはおそらく非常に不適切だろう。 条件文に関わる推論規則に対しても、様々な疑問がこれまでに提起されてきた。例えば「太郎は叱られない と勉強しない」は対偶をとると「太郎は勉強すると叱られる」になる。しかし前者の条件文が正しいときには、 後者の条件文も正しいと言えるだろうか? また必然的推論の定義からは前提に矛盾が含まれるとどんな結論で も導けるということになる。というのも必然的推論とは、前提のすべてが真である時には結論も必ず真である ような推論である。言い換えると前提すべてが真でありかつ結論が偽になるような可能性がない推論は必然的 推論である。従って前提が真になる可能性がない推論は、結論がどうであれ必然的推論であるということにな る。これを「爆発原理」という。この原理は明らかに私たちの直観に反している。 また日常の発話の多くは、明示的に表現されていない様々な前提を含んでいる。たとえば「チーターほど足 の速い動物はいない」という言明は論理的に考えれば偽である。なぜならチーターも動物であり、そして当然 チーターはチーターと同じくらい足が速いからである。もちろんこの言明は「チーターほど足の速い動物は チーター以外にはいない」ということを意味しているのであるが、当たり前のことなのであえてそれを表現す ることはしていないのである。この点に関しては3節でより詳しく論じる。 このように自然言語と論理学の間には様々なギャップがある。しかしこれはある意味では望ましいことでも ある。自然言語は論理学の目的にとっては無用な冗長性、多義性、細かなニュアンス、等々を含んでいる。論 理学の言語はそれらを取り除いて抽象化したモデルである。科学におけるモデルは、現実とまったく同じもの ではなく、研究の目的にとって興味深い側面のみを取り出したものである。私たちはモデルの振る舞いを研究 することによって、現実について近似的な知識を得ることができる。しかし現実のあらゆる側面にモデルから 得られる知識を適用するのはモデルの乱用と言わなければならない。重要なのは、モデルの振る舞いが必ずし も現実を忠実に反映しているわけではないということを認識し、モデルから得られた知識を現実に適応できる 場面とできない場面を見分けることである。2.4
哲学史的な付けたし
ユークリッド幾何学においては、真であることが明らかな一定の原理から演繹だけを使って定理が証明され ていた。このように、一定の前提から演繹のみを使って作られた体系を演繹的体系という。演繹的体系において、あらかじめ受け入れられた前提を公理という。上でみたように演繹的推論においては前提が正しければ結 論も正しいので、自明な公理から出発した演繹的体系は確実な知識を与える。このようにして確実な知識の体 系を構築する方法を公理的方法という。 フランスの哲学者であり、大陸合理主義の始祖とされるルネ・デカルト(Ren´e Descartes、1596-1690)は この公理的方法を哲学にも応用して、そのことによって確実な知識を手に入れようとした。彼はまず少しでも 疑わしいものは誤りであると棄却することによって、知識の基盤となる確実な真理を見つけ出そうとした。彼 はまず幻覚や夢の可能性があることから、感覚によって得られたすべての知識を疑い、そして棄却した。それ から彼は数学的な知識も、そのことによって彼がたどり着いたのが「われ思うゆえにわれあり」という真理で ある。彼はここから今度は演繹的な推論によって様々な結論を導き出し、彼の哲学体系を構築した。 演繹的推論そのものの研究は古代ギリシャの哲学者アリストテレス(紀元前384-)に始まる。しかしアリス トテレス論理学では「より大きい」といったような関係命題や、「すべての人に愛する人が存在する」のような 「すべて」や「存在する」といった語が複雑に混在する命題を十分に取り扱うことができなかった。この欠点を 克服したのがドイツの数学者・哲学者ゴットロープ・フレーゲ(Gottlob Frege、1848-1925)の量化理論であ る。フレーゲの論理体系は非常に強力で、算術や解析において使われていたあらゆる推論がそこで表現できる のみならず、算術において使われる現れる概念、そしてあらゆる算術の定理がフレーゲの論理体系に還元でき るほどであった。しかしながら不幸なことにフレーゲの体系は強力すぎたのである。その表現力の強さは矛盾 を導くような概念を定義することを可能にしていた。それを発見したのがイギリスの数学者・哲学者バートラ ンド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872-1970)だった。そこでラッセルは数学を基礎づけるのに十分強力だ が、矛盾は導かないような新しい論理体系を構築した。 フレーゲやラッセルの体系は現在では古典論理と呼ばれている。古典論理に対しては様々な問題点が指摘さ れ、それを解決する様々な非古典論理が提案された。L・E・J・ブラウワー(L. E. J. Brouwer、1881-1966) は排中律や二重否定律の成り立たない直観主義論理を提唱した。古典論理の含意が持つパラドクスを解決する ためにC・I・ルイス(C. I. Lewis、1883-1964)は様相論理に基づく「厳密含意」を提唱した。爆発原理を成 立させない論理にはグレアム・プリースト(Graham Priest、1948-)などによって提唱されている矛盾許容論 理などがある。
3
論証
例えば誰かが「髪の毛を伸ばすと痩せる」と言ったとして、あなたはおそらくこの主張を信じないだろう。 けれども例えば髪の毛の長い人のほうが体重が低い傾向にあることを示す統計的なデータを提示されたり、あ るいは髪の毛の長い人と短い人では日常的な作業によって消費するカロリーに違いがあると言われたり、ある いは髪を伸ばして実際に体重が減ったことがあると言われたりしたら、ひょっとしたらあなたはこの主張を信 じるかもしれない*2。このように根拠を挙げて主張を説得的に述べることを論証という。論証は、他人に向け て自分の主張を説得するために、つまり自分の主張を相手に信じて受け入れてもらうために、行なわれる。 与えられた論証がどの程度説得力があるかを判断することは論理的思考の重要な部分である。私たちはしば しば自分が信じたいことを主張している論証を信じ、自分が信じたくないことを主張している論証を斥ける傾 向にある。しかし感情や直感に従って、十分な吟味をせずに他人の主張を受け入れる(あるいは斥ける)こと は望ましい態度ではない。もちろんあらゆる場合に十分な吟味が必要なわけではないし、またそれが可能なわ けでもない。例えばあなたが学校に行くために家を出ようとしているときに、あなたの家族が「天気予報で雨 が降るって言っていたから傘を持って行った方が良いよ」と言ったとする。この主張を吟味するためには、多 *2「髪の毛を伸ばすと痩せる」というのは適当に考えた例であり、実際には根拠はない。くの時間と労力が必要である。本当に天気予報で雨が降ると言ったのか、それはどこの局の天気予報だったの か、その局の天気予報はどのぐらい信頼できるのか、何%の確率で雨が降ると言ったのか、何時から何時の間 に雨が降るのか、その雨はどのくらい強いのか、などなどを調べないといけない。そしてこの主張にはこれほ どのコストをかけて吟味する価値はないだろう。それどころかそのようなコストをかけることは却って損であ る。というのもこの主張を吟味していたらあなたは学校に遅刻するし、また教えてくれた家族の不興を買うに 違いない。一方でこの主張を吟味せずに受け入れたとして、あなたが支払うコストはただ傘を持って歩く労力 だけである。 与えられた論証を十分に吟味する必要があるかどうかを判断することも重要な論理的思考の能力である*3。 しかしこのテキストではそのことについては触れない。ここでは与えられた論証を評価する練習と、論証を組 み立てる練習を行う。
3.1
論証の評価
論証の評価は以下のステップに従って行われる。 1. 論証の構造を分析し、テーマ、メインの主張とその根拠を特定する。 2. 根拠がどれだけ確かであるかを評価する。 3. 根拠から主張への推論の蓋然性を評価する。 4. 論証全体を評価する。 これらのステップについて、次の例文を取り上げて順に説明しよう。 例文 3.1. 科学技術は私たちから病気や飢えなどの脅威を取り除くばかりでなく、私たちの生活を便利に、快 適にしてきた。疑いなく科学技術の進歩は人類にとって望ましいことである。ところで人類史を眺めるなら ば、科学技術が最も急速に発展するのは、しばしば戦争や侵略よってである。従って戦争が望ましいというこ とも私たちは認めざるを得ない。 3.1.1 論証の構造を分析する 論証の構造を分析するというのは、その論証において個々の文がどのような役割を担っているか、個々の文 が他の文に対してどのような関係に立っているかということを明らかにすることである。論証の中での文の役 割には色々あるが、最も重要なのは主張と根拠である。 主張とはその論証で筆者が読者に伝達したい最も重要な情報・意見であって、これを読者(聞き手)に受け 入れさせるのがその論証の目的になる。根拠とは主張をサポートして、説得力を高めるために提示されるもの である。主張と根拠の関係は接続詞によって表わされることが多い。「したがって」、「それゆえに」などはそ の前に根拠、その後に主張が置かれる接続詞である。逆に「なぜならば」、「というのも」などはその前に主張、 その後ろに根拠が置かれる接続詞である。しかし主張と根拠が常にこのような明示的な仕方で提示されるわけ ではない。その場合には文脈によってどれが筆者の一番伝えたい主張であるかを読み取る必要がある。 また論証には明らかに述べられていない暗黙の前提が含まれている場合があるので、その時にはそれを明ら かにすることも重要である*4。 さて例文3.1について考えよう。この文章には以下の言明が含まれている。 *3科学哲学者の伊勢田哲治はこれを「メタ・クリティカル・シンキング」と呼ぶ。 *4暗黙の前提については 3.2 節で扱う。1. 科学技術は私たちから病気や飢えなどの脅威を取り除き、私たちの生活を便利で快適にしてきた。 2. 科学技術の進歩は人類にとって望ましい。 3. 戦争は科学技術を発展させる。 4. 戦争は望ましい。 このうちメインの主張は4である。これは「従って」という接続詞によって明らかにされている。4の主張 をサポートする根拠は直接的には2と3である。また2をサポートしている根拠が1になっている。1から2 を導き出す際には 0. 病気や飢えなどの脅威がなく、生活が便利で快適であることは望ましい という暗黙の前提があることに注意しよう。すなわちここでの論証の構造を図示すると 0 1 2 3 4 となっている。 3.1.2 根拠の確かさを評価する 論証の構造を明らかにしたら、次はその論証の根拠の確かさを吟味する。科学的事実、歴史的事実、一般に 受け入れられている事柄、信頼できる人物の証言、権威のある情報源からの引用などは確実性の高い根拠にな る。しかしどれだけ確実性が高いように思われることでも絶対に正しいとは限らない。そのためどこかではあ なたは自分の直感や習慣的な判断に頼らざるを得ないが、少なくともあなたがある論証の根拠を受け入れたと きには、それをうけいれた理由を説明できることが望ましい。 例文3.1において、根拠として挙げられているのは0、1、3である。1は客観的な事実として認められるだ ろう。かつては防ぎようがなく致命的だった病気の多くが、医学や衛生の進歩によって取り除かれている。ま た農業や運輸の進歩によって現在は多くの人々が飢えとは無縁の生活を送ることができるようになった。工業 技術の進歩によって私たちは激しく危険な労働から解放されている。などなど。3についてはどうだろうか。 科学技術が戦争によって進歩した例は確かに存在する。例えば原子力やコンピュータなどがその例である。す べての科学技術の発達が戦争のおかげという訳ではないが、しかし戦争がある種の科学技術の発達を促進した ことは事実である。また暗黙の前提となっている0は多くの人が認めるところであろう。したがってこの論証 の根拠はおおむね正しいと思われる。 3.1.3 推論の蓋然性を評価する 推論の蓋然性とは、その前提のすべてが正しい時に、どれだけの確かさで結論が導けるか、ということであ る。2節で述べたように、前提のすべてが正しいときには結論も必ず正しいような推論、すなわち反例が存在 しない推論を必然的推論と呼ぶ。理想的には論証において用いられる推論は必然的であることが望ましい。し かしすべての論証において推論の必然性を求めるのは明らかに強すぎる要求である。通常私たちは反例がどれ だけ容易に見つかるかということで推論の蓋然性を評価し、反例が滅多に見つからないようであれば、その推 論を受け入れている。例えば誰かが「僕と君が初めてあったのは春だったよ。桜が咲いていたからね」と言っ たとしよう。桜が咲いていたということから春だったということは必然的には帰結しない。冬に桜が咲くこと もあるからである。しかしそのようなケースは非常にまれであるために、私たちは通常この推論を正しいもの として受け入れる。 例文3.1において使われている推論はどうだろうか。ここでは0と1から2を、2と3から4を導くという 二つの推論が使われている。しかしこれらはどちらも
AはBをもたらす。 Bは望ましい。 Aは望ましい。 という形式の推論である。この推論は必然的ではなく、その蓋然性もそれほど高くはない。次の推論を考え よう。 私の歯痛を和らげることは望ましい。 モルヒネを注射することは私の歯痛を取り除く。 モルヒネを注射することは望ましい。 モルヒネを摂取することは、歯痛を和らげるという良い影響だけではなく、悪い影響もある。その悪い影響が 良い影響を上回っているかもしれない。従ってこの推論を無条件に受け入れることはできない。私たちはAが 望ましい結果Bをもたらすからといって、ただちにAが望ましいとは結論できないのである。Aがもたらす 望ましくない結果についても考えなければならない。例文3.1における0と1から2、2と3から4への推論 についても同様である。私たちは科学技術の発達がもたらすマイナスの影響、戦争がもたらすマイナス影響に ついても考えなければならない。戦争は明らかに非常に大きな悪影響をもたらす。その影響は科学技術を発展 させるという良い影響を上回るかもしれない。 3.1.4 論証全体を評価する 論証全体の説得力は、根拠の確実性と推論の蓋然性の「積」として考えられる。もしも根拠の確実性と推論 の蓋然性のどちらかでも0であれば、他方がどれほど高くても論証全体の説得力は0である。根拠の確実性と 推論の蓋然性がどちらも1であれば論証全体の説得力は1である。 例文3.1全体を評価すると、根拠はそれなりに受け入れられるが、推論の蓋然性は低い。そして実際、戦争 が望ましくない様々な結果をもたらしていることを考えれば、この論証の結論は受け入れがたいであろう。 問題3.1. 以下の論証の構造を明らかにして、評価しなさい。 (1)民主国家たる日本がいまだに死刑などという野蛮な制度を持ち続けているのは嘆かわしいことだ。基本 的人権の尊重は民主主義の根本原理の一つであるが、人命を奪うことが最大の人権侵害であることは間違いが ない。さらに言えば殺人犯が動機として「死刑にして欲しかった」などと述べることもあり、死刑が犯罪を抑 止するということもない。だいたい現在、先進国で死刑を行っているのは日本とアメリカぐらいのものなのだ。 (2)私が「知能的なロボットの研究をしている」というと、たまに「ターミネーター」のようなものを想像し て、「危険はないのですか?」と質問してくる人がいます。ああいった話はあくまでもフィクションです。で すから、現実にはロボットが人間を支配するなどということは起こりません。 (3)最近の若者と話していると、彼らのコミュニケーション能力の低さに驚かされる。この原因の一つはや はりインターネットの普及だろう。インターネットは相手と直接会話することなく情報のやり取りをする機会 を増大させた。しかし人間は声音や表情、身振りといったものによっても多くの情報をやり取りしているので ある。このような非言語的な情報伝達の作法はインターネットでは身に付けることが出来ない。デジタル世代 が社会の中心的なメンバーとなったとき、日本はどうなっているのだろうか。 (4)世界一のスーパーコンピューターの開発を目指すプロジェクトに関して、ある議員が「二位では駄目な んですか?」と言って、多くの科学者・工学者たちの不興を買った。当然だろう。科学においては二番目以降 は等しく無価値である。そもそも世界で二番目のスーパーコンピューターをどこの国が好んで買ってくれると
いうのか。科学の観点からも経済の観点からも、二位では駄目なのだ。 (5)菜食主義などというのは生命の本質をまったく理解していない、不合理なセンチメンタリズムである。 動物が他の生命を糧にして生きるのは自然の摂理であって、私たちは他の生物の生命を奪わなくては少しの間 も生きていけないのだ。そして命にはすべて等しく価値があり、奪ってよい命と奪って悪い命の区別などはな い。植物は食べても良いが動物は食べてはいけないというのは根拠のない差別である。
3.2
暗黙の前提
論証にはしばしば明示的に述べられていない前提が含まれている。これを暗黙の前提と呼ぶ。暗黙の前提が 含まれていること自体は悪いことではない。すべての前提を明示していたのでは文章が冗長になりすぎるから だ。話し手と聞き手(あるいは著者と読者)の間で共有されていると思われる認識については、いちいち論証 中で述べる必要はない。しかしどのような認識が共有されているかということについては意識しなければなら ない場合がある。自分にとってはごく当然と思われることが相手にはそうではないかもしれない。そしてコ ミュニケーションの失敗の多くはこのような認識のずれに起因する。例えば「君はまだ18歳だろう。煙草な んか吸ったらだめじゃないか」という発言には「20歳未満の人は喫煙してはいけない」および「18歳は20歳 未満である」という二つの暗黙の前提がある。これらは私たちにとってごく当たり前に思われるが、しかし喫 煙に関する年齢制限のない国の出身者にとってはこの議論は理解できない可能性がある。 形式的には、暗黙の前提とはその論証に付け加えることによって、その主張を導く推論が根拠と暗黙の前提 からの演繹的な推論(あるいはかなり蓋然性の高い推論)になるようなものである。上の例でいえば 君は18歳だ。 君は喫煙してはいけない。 は演繹的な推論ではない。しかしこれに暗黙の前提を加えた 20歳未満の人は喫煙をしてはいけない。 18歳は20歳未満だ。 君は18歳だ。 君は喫煙をしてはいけない。 は演繹的な推論になる。 問題3.2. 以下の論証において暗黙に前提されていることを指摘しなさい(いくつでも)。 (1)民主主義の根幹をなすのが選挙制度であるといっても過言ではない。近代の市民たちは時に命を賭して 民主的な選挙制度を勝ち取ってきた。日本で男子普通選挙が実現してから一世紀近くたつが、現代の私たちは この制度のありがたさを忘れてはいないだろうか。国民の意思を反映する機構としての選挙制度が適切に機能 しなければ、民主主義社会そのものが崩壊してしまう。それゆえ私たち国民は、選挙に参加し一票を投じるこ とで自らの意思を表明しなければならないのである。 (2)現代の環境汚染の多くは企業の活動によって引き起こされている。そこで環境を汚染するような企業の 活動をより厳しい法律によって規制するべきだという意見がある。しかしこれは自由市場の原理に反するため 望ましくない。では他にどのような方法が考えられるだろうか? 企業は利益を追求して活動するのであるか ら、汚染を出すことが企業の利益の減少につながるような制度を設ければ良い。そのためには、企業の活動に よって生じた環境の価値の損失に応じた金額の税を企業に課すことが有用であろう。問題3.3. 次の文章を読み、問に答えなさい。 現在は以前に比べて、高等教育を受ける女性の割合が増加している。そして高い教育を受けている女 性ほど晩婚であり、生む子供の人数も少ない傾向がある。したがって将来の世代においては教育程度の より低い女性の子供が人口のより多くを占めることになるだろう。これでは国民の知的能力水準は低下 する一方になってしまう。高学歴の女性が子供を産む際には何らかの優遇措置を施すような制度が望ま れる。 (1)この論証において暗黙に前提されていることを挙げなさい。答えはいくつ書いても良い。 (2)この論証を評価して、これに反対する論証を書きなさい。
4
論証の作法
論証を相手に受け入れてもらうためには正しいだけでは十分ではない。まずその論証で主張されているこ と、その根拠として提示されていることを相手に理解してもらわなければ、相手に正当に評価してもらえない だろう。従って論証を書く際には、分かりやすく書くことも重要である。4.1
分かりやすい文章、分かりにくい文章
文章を分かりやすくするには以下の点に注意することが重要である。 • 必要な情報を正確に漏らさず伝える。 • 読者が知らない言葉はできるだけ使わない。使う時には説明を補う。 • 一文、一段落を長くしすぎない。基本的には一段落には二つ以上の話題を入れない。 • 曖昧な表現や多義的な表現はできるだけ避ける。 問題4.1. 以下の文章の分かりにくい点を指摘し、分かりやすく書きなおしなさい。 (1)裁判は厳密に法に則って行われることが民主主義の大原則である。私たちは民主主義社会に生きる一員 として、この原則を大切にしなければならない。しかし、この原則は法体系が複雑化した現在、裁判が少数の 専門家によって独占されるという結果をもたらした。そのために裁判が一般市民の感覚からずれている、とい うことが近年、しばしば指摘されてきた。このような現況を打開するために2009年から、一般市民から選ば れた裁判員が、殺人などの重大な刑事事件の審議に加わり、量刑に関して裁判官とともに合議を行うという、 裁判員制度が導入されている。 (2)病院に来る患者の中には、「お客様意識」が強いというか、病気の治療に関しては医者が全責任を負うべ きだ、と考えている人が少なくない。「こっちは金を払うんだから、病気はそっちが治せ」というわけである。 多くの病気は、その人の生活習慣によって引き起こされる。糖尿病は多くの場合、食生活が原因で起こる。そ のような病気に対して医者が出来ることは限られていて、せいぜい対症的な治療だけだ。病気の治療には患者 自身の努力が不可欠である。 (3)現在、OSなどのソフトウェアのプログラムは非常に複雑で巨大なものになっているので、何か問題が発 見されたときに、そのプログラムを最初から見直して問題の個所を除去するというような、根本的で論理的な 解決よりも、「工学的」な解決が好まれる。問題4.2. 以下の文章を読み、問に答えなさい。 ミステリー小説は、しばしば、その最大の謎がどこにあるかということに従って、犯人が誰かということが 謎解きの焦点になっている「フーダニット」、犯行の手段が焦点になっている「ハウダニット」、犯行の動機が 最大の焦点になっている「ホワイダニット」という仕方で、分類される。『刑事コロンボ』シリーズのように、 犯人も動機も手段も、すべて知られていて、刑事がそれをいかにして見破るかというところが焦点になってい るミステリーもある。これはいわばメタのハウダニット・ミステリーである。またルース・レンデルの『ロウ フィールド館の惨劇』では、やはり犯人も動機も最初に提示されているのだが、非常に特殊なものであるため、 なぜ殺人の動機たりえたのかという点が最大の謎になっています。読者は、犯人の人物像と被害者たちとの関 わりの克明な描写を読み進めるうちにその謎に迫っていくことになる。したがってこれはメタのホワイダニッ ト・ミステリーである。ミステリーの王道はフーダニットとハウダニットである。エラリー・クイーンなどの 作品においてしばしば、ストーリーの途中で作者から読者への挑戦がなされるが、大抵「読者は犯人が誰で、 どのように犯行を行なったかを当てて欲しい」というものである。ここで犯行の動機が問われることはない。 純粋なミステリーでは動機を謎の中核に持ってくることは比較的稀である。犯人が誰か、犯行がどのように行 なわれたか、ということには論理的・物理的な制約がある一方で、人間の心理は、物理学にも論理学にも逆ら うことが可能である。したがって作者は原理的にはどれだけ奇抜な動機を持ち出すこともできる。しかし奇抜 な動機を無理に考え出そうとすると、謎の秘密組織の掟とか、古くから伝わる村の因習とか、ほとんど何でも ありになってしまう。問題は、動機が奇抜であればあるほど、そこに説得力を持たせるためには、作者の人間 を描く筆力が要求される。 (久木田水生、「フィクションの中のロボット――ホワイダニットのジレンマとロボット工学の三原則」 (『PROSPECTUS』、第8号)を問題用に改変) 1. この文章を二つの段落に分けるとすれば、どこで区切るのが最も適当か。 2. この文章に一か所「なぜならば」を挿入するとすればどこが適当か。 3. この文章の読みにくい箇所、不適切な箇所を訂正しなさい。
4.2
論文の形式
論文においては決まった形式に従って書くことが重要である。論文は大きくいって序文、本文、結語から なる。 序文の役割は背景の説明、問題の提起、論文全体の主張の要約、その論文の重要性を読者に伝えることにあ る。読者は序文を読んでその論文が自分にとって有用かどうかを判断する。従って良い序文を付けることは、 その論文を読んでくれる読者を増やすことになる。本文の役割は、自分のメインの主張を詳細に述べることで ある。結語では、本文の主張を繰り返し、その重要性をもう一度アピールする。また将来の研究の方向性や類 似の研究の紹介などもあると良い。 問題4.3. 次の文章を読み、問に答えなさい。 経済効率を高めるためには、貧富の格差が拡大するのはやむをえないという考え方は、「効率性と公平性のト レードオフ」と言い換えることができます。「トレードオフ」とは、AとBが同時に成り立つことはなく、ど ちらか一方を優先する際には、他方を犠牲にしなければならない、ということです。従って効率性のためには 公平性が犠牲になっても仕方がない、さらに言えば、公平性を犠牲にしなければ、効率性は高まらないという 考え方です。果たして効率性と公平性の間には「トレードオフ」の関係が成立しているのでしょうか。すなわち、格差の 拡大を容認しなければ、あるいは、公平性を犠牲にしなければ、経済効率を高めることは出来ないと言えるの でしょうか。経済学者としては、検証する必要があります。 たとえば、有能な人、頑張った人に、高い報酬を与えることを考えて見ましょう。かつては有能な人が高い 報酬を得ても、所得再分配政策によって、高額の税を課されていました。そのことによって有能な人のやる気 を削ぎ、経済効率が低下し、社会が活性化されない、というのがトレードオフの考え方です。では仮に二〇〇 〇万円の所得をもらっていた人が二倍の所得の四〇〇〇万円、あるいは五倍の一億円の所得をもらったとしま す。そうしたときに、はたして、経済の効率あるいは、努力の程度もそれに比例して高まるのでしょうか。 私は、そうはならないと判断しています。これは「収穫逓減の法則」という考え方で説明できます。ある要 素を倍増したときに、それに比例して、それから期待できる効果も倍増するのか。三倍になった場合はどうか。 四倍になった場合はどうか。このように、どんどん、その要素を高めれば高めるほど、その期待できる効果は 逓減するというのが経済学の考え方です。すなわち、有能な人に高い所得を与えたとしても、それから得られ る経済効率への効果というものには、ある程度の限度があるだろう、ということです。 もう一つ、別の見方をして見ましょう。すなわち、有能な人、頑張る人が今まで以上により高い所得を得た ときに、どういう現象が起きるかということを考えて見ます。 所得が高くなると、生活のレベルも上がります。一億円の所得を得ている人は、それに見合った生活をする ことになるでしょう。その生活を維持するには、高い消費が必要ですし、エネルギー資源もたくさん使わなけ ればなりません。しかし、天然の資源やエネルギー資源には、限度があります。それが、限られた小数の人の 生活のために、大量に消費されるということは、社会にとって、さらにいえば人類にとってはマイナスにもな りえるのです。 以上のように見てくると、公平性を犠牲にすることが、必ずしも効率性を高めるとは言えません。むしろ、 私は、効率性と公平性は、両立が可能であると考えます。 (橘木俊詔、『格差社会――何が問題なのか』、岩波新書、2006) 1. この文章が書かれた背景を説明しなさい。(50字以内)。 2. この文章で提起されている問題は何か、書きなさい。(40字以内) 3. それに対する筆者の意見を簡潔に書きなさい。(40字以内) 4. 筆者がそのように考える理由を二つ書きなさい。(各60字以内) 5. この文章を論証として評価しなさい。(字数自由)
5
誤謬
誤謬とは誤った推論に基づいた議論、あるいは不適切な議論である。詭弁と呼ばれることもある。誤謬には 論理的誤謬と非論理的誤謬がある。論理的誤謬は、論理的に妥当な推論と似た形式を持つが、しかし妥当でな い推論を用いる論証である。非論理的誤謬は不適切な論拠に基づく議論のことである。 誤謬は自分の主張を正当化するために使われるときは誤りである。しかしながら、経験則や科学的法則を発 見する際には有用な推論である場合もある。5.1
論理的誤謬
5.1.1 前件否定 仮言命題とその前件の否定から後件の否定を導く誤謬である。例えば次のように使われる。テストの点数が60点以上ならば単位がもらえる。 テストの点数が60点以上でない。 単位がもらえない。 最初の前提で述べていることはテストの点数が60点以上であることが単位がもらえるための十分条件である ということであり、必要条件ということではない。単位をもらうにはテストで60点以上取る以外にも、毎回 の授業に出席する、レポートを提出するなどの方法があるかもしれない。この推論が誤りであることは次の推 論も同じ形式であることから明らかであろう。 雪が降るとバスが遅れる。 雪が降っていない。 バスは遅れない。 5.1.2 後件肯定 仮言命題とその後件の肯定から前件の肯定を導く推論である。例えば次のように使われる。 太郎が嘘をつくときは汗をかいている。 太郎は汗をかいている。 太郎は嘘をついている。 太郎が汗をかくのは嘘をつくときに限らない。運動をしたときにも汗をかくだろうし、単に暑い時にも汗をか くだろう。嘘をつくときに必ず汗をかくからといって、汗をかいていれば嘘をついていることは帰結しない。 5.1.3 過度の一般化 次の推論は妥当である。 ジョン、ポール、ジョージ、リンゴはリバプールの出身である。 ビートルズのメンバーはジョン、ポール、ジョージ、リンゴだけである。 ビートルズのメンバーはすべてリバプール出身である。 しかしながら次の推論は妥当ではない。 ジョン、ポール、ジョージ、リンゴはリバプールの出身である。 ジョン、ポール、ジョージ、リンゴはビートルズのメンバーである。 ビートルズのメンバーはすべてリバプール出身である。 一般に個別的な対象についての言明から一般言明を推論することはできない。このような誤謬を過度の一般 化、あるいは性急な一般化という。ただし日常生活や科学においてはこのような推論は良く使われる。十分に 吟味された一般化は、完全な正当化はされていないが、しかし有用な法則を提供しうるからである。過度の一 般化や性急な一般化と言われるのは、十分な吟味を経ていない一般化を指す場合が多い。例えば次の推論は明 らかに過度の一般化である。 ジャンはフランス人だ。 ジャンはワインが好きだ。 フランス人はみんなワインが好きだ。
5.1.4 媒介概念不周延の誤謬 媒介概念とは三段論法において大前提と小前提の両方に現れる概念である。三段論法において媒介概念が周 延的であるというのは、小前提の主語を含み、大前提の述語に含まれるということである。媒介概念が周縁的 でないとき、推論は非妥当になる。例えば次のような推論である。 天才はすべて変人である。 太郎は変人である。 太郎は天才である。 5.1.5 選言肯定 選言と一方の選言肢の肯定から他方の否定を導く誤謬である。例えば次のように使われる。 √ 2は有理数か無理数のどちらかだ。 √ 2は無理数だ。 √ 2は有理数ではない。 ただしこの推論は「有理数でありかつ無理数であるような数は存在しない」という暗黙の前提を付け加えると 正しい推論になる。
5.2
非論理的誤謬
5.2.1 関連性の誤謬 当面の議論において無関係な論点を持ち出して、自分の議論の誤りをごまかしたり、相手の議論を混乱させ たりすることである。これには相手の人格や能力の欠点を指摘する、感情に訴える、権威や人気に訴えるなど の方法がある。例えば「原爆がどれほど悲惨でむごたらしいものかを知っていれば、原爆が戦争終結を早めた なんて言えるはずがない」という文を考えよう。原爆の悲惨さやむごさは原爆が戦争終結を早めたかどうかと いう問題には無関係である。話者は原爆が戦争終結を早めたという理由で原爆投下を正当化する議論を阻止し たいために、このような議論をしていると思われるが、しかしこの議論は有効ではない。原爆の使用には戦争 の終結を早めたというメリットを上回るデメリットがあったということを論じるべきである。 5.2.2 誤った二分法 二つの選択肢を提示して、そのどちらかを受け入れなければならないように見せかけるが、実際にはその二 つ以外にも選択肢があるものを言う。 例文 5.1. この英会話教室に通えば一日コーヒー一杯の値段で英語がしゃべれるようになるんですよ。あなた はこの教室に通って英語が喋れるようになるのと、一日コーヒー一杯のお金をけちって英語がしゃべれないま まなのと、どちらを選ぶんですか? 話者は「この英会話教室にかよって英語が喋れるようになる」か「英会話教室に行かずに英語がしゃべれな いままである」かのどちらかであると言っているのだが、もちろんそれ以外の可能性もある。「英会話教室に かよって英語がしゃべれないままである」という可能性もあるし、「英会話教室に通わずに英語がしゃべれる ようになる」という可能性もある。 この誤謬は両刀論法と併用されることもある。例えば次のように。 例文 5.2. 東京から大阪に引っ越したのだが、大阪人は僕が標準語を使うと気持ち悪いといって嫌がるし、かといって下手な大阪弁を使うとそれはそれで嫌がる。結局どうしゃべったって嫌がられるのだ。 5.2.3 論点先取 根拠の中に主張が含まれているとき、それは論点先取の誤謬を犯している。例えば次のように。 例文5.3. 自殺はいけないよ。自分の命は大切にしなければならないんだから。 5.2.4 媒介概念多義の誤謬、多義性の誤謬 三段論法において、大前提と小前提の両方に含まれている概念を媒介概念という。媒介概念多義の誤謬とは、 大前提に現れている媒介概念と、小前提に現れている媒介概念が、異なる意味で使われていることをいう。例 えば次の論証はその例である。 例文 5.4. 車を運転するには免許が必要だ。そして自転車は車の一種だ。従って自転車を運転するには免許が 必要だ。 これは一見すると三段論法を使った正しい論証のように思われる。しかし最初の前提に使われている「車」 は「自動車」を意味している一方で、二番目の前提に使われている「車」は「車輪を持つもの」を意味してい る。従ってこの論証は正しくない。 5.2.5 藁人形論法 これは論敵の主張を歪曲して攻撃する方法である。例えば次のように。 例文5.5. 政府はさらに消費税率を挙げようとしているが、これでは貧乏人は死ねと言っているに等しい。 問題5.1. 以下の推論はどのような誤謬の例になっているか。 (1)学生たちは授業が難しすぎるとついていけなくなって寝てしまうし、授業が簡単すぎると今度は退屈に なって寝てしまいます。学生というのはどうしたって寝るものですね。 (2)日本でもイギリスでも人々は保守的で閉鎖的である。どうやら島国においては、人間は保守的で閉鎖的 になるらしい。 (3)原発に反対してる人間には、じゃあ電気なしでどうやって生活がしていけるのか教えてもらいたい。 (4)漢字もろくに読めない人間に総理大臣が務まるわけがない。 (5)中学生は子供じゃないとよく言われるけど、子供じゃなかったら煙草を吸ってもいいよね。 (6)今回の震災において、被災者たちの秩序だった行動が素晴らしいと海外のメディアから称賛されたが、 私はそうは思わない。彼らの行動は単に同調圧力が強いことの現れである。日本の社会では同調圧力が強いた めに、周りと異なる意見を主張したり、周りと異なる行動をとったりすることに対する心理的抵抗が大きい。 そのために日本では傑出した指導者が出にくいのである。被災者たちが秩序だった行動をとるのも、周囲との 「和」を乱さないようにするという、同調圧力の強さから来る行動であって、それゆえに称賛されるべきもので はない。 (7)人の性格というものは他人がその人の内に見出すものである。そしてそこには観察する人間自身の性格
が反映される。たとえばAさんがBさんをケチだと感じるのは、Aさんが欲しているものをBさんが与えて くれないからだ。仮にAさんがBさんに何も求めていないのであればAさんはBさんをケチだとは思わない だろう。つまり欲深い人間ほど、人の中にケチな性格を見出しやすいのである。このように人の性格というの は、その人の内在的な性質ではなく、あくまでも他人との関係の中で現れてくるものなのである。 (8)ダーウィンの進化論は遺伝子における小さな偶然の変異が累積していくことで、アメーバのような単純 な生物から人間のような複雑な生物が進化したと主張する。しかし人間の身体のように精緻で調和のとれた構 造が単なる偶然の積み重ねによって生まれたなどということが果たして可能なのだろうか。例えば人間の目一 つをとっても、現代の科学技術でも到底作ることは出来ないのである。それが偶然によって生まれたなどとい うことは、猿が出鱈目にキーボードを叩いていたら、そのうちに長編小説が出来上がるということ以上にあり えない。従ってダーウィンの進化論は間違っている (9)もしゲームをすることが脳の発達に悪影響を与えるならば、ゲームをする時間の長い児童は成績が悪い 傾向にあるだろう。そして実際に調査の結果そのような傾向が見られた。従ってゲームをすることは脳の発達 に悪影響を与えるのだ。
6
非演繹的推論
6.1
様々な推論
論理学においては、推論が正しいとされるのはそれが妥当あるいは演繹的な場合である。しかし私たちは常 に演繹的な推論ばかりを使っている訳ではない。それどころか私たちが持っている有用な信念のほとんどは 演繹的でない推論によって獲得される。そのような非演繹的な推論の代表的なものが類推(analogy)、帰納 (induction)、仮説形成(abduction)である。 類推とはある種の対象Aについて成り立つことを別な対象Bについても成り立つと推論することであり、 「外挿extrapolation」とも呼ばれる。例えばダイオキシンがラットに有害であることから人間にとっても有害 だろうと推論するのが類推の例である。対象Aから対象Bへの類推をする際にはAとBの間に類推される性 質に関連する点で類似性があることが必要である。例えばラットにダイオキシンが有害であるからといって自 動車にとっても有害であると類推することは明らかに不適切である。 帰納とはいくつかの個別事例から一般法則を推論することである。たとえばあなたの知っているフランス人 がワイン好きであることから、「フランス人はみんなワインが好きだ」という結論を導くとき、あなたは帰納を 行っている。ただし「帰納」という言葉は非演繹的推論一般を指すこともあるし、あるいは観察や実験による 理論の検証プロセスを指すこともある。 仮説形成とは、ある観察された事実を説明する仮説を立てることである。ここで仮説が観察を説明するとい うのは、既に受け入れられている理論(知識あるいは信念の体系)にその仮説を加えて拡張された理論からは その観察が演繹的に導ける、ということである。たとえばある人物(ギュスターヴとしよう)がワインを好ん でいることが観察されたとしよう。またあなたは「フランス人はみんなワインが好きだ」と信じているとしよ う。このとき「ギュスターヴはフランス人だ」という仮説を立てると、ギュスターヴがワインを好んでいるこ とはあなたの信念と仮説から演繹的に導かれる。従ってこの仮説は観察された事実を説明する。もちろんある 事実を説明する仮説は一つとは限らない。たとえばあなたが「イタリア人はみんなワインが好きだ」という信 念をもっていれば「ギュスターヴはイタリア人だ」という仮説によってもギュスターヴがワインを好んでいる ことは説明される。しかし「ギュスターヴ」という名前がフランス人によくある名前である一方で、イタリア 人には一般的ではないという知識に照らせば、前者の方が後者よりも良い仮説である。仮説がどれだけ良いかは、他の背景知識との整合性などの基準によって評価される。通常、仮説形成はいくつかの可能な仮説を比較 して最善のものを選ぶというプロセスを含むため、「最善の説明への推論」とも呼ばれる*5。 三段論法の図式に従って演繹、帰納、仮説形成について説明しよう。次の三つの命題を考える。 (1) フランス人はみんなワインが好きだ。 (2) ギュスターヴはフランス人だ。 (3) ギュスターヴはワインが好きだ。 (1)(2)から(3)を導くのは三段論法の一種であり、演繹である。また(2)(3)から(1)を導くのは個別的な事例 からの一般化であり、帰納である。(1)(3)から(2)を導くのは理論(1)と観察(3)から仮説(2)を導く推論で あり、仮説形成である。 類推や帰納、仮説形成は「演繹的」という意味での「正しい」推論ではなく、従って誤謬と見なされること もある。たとえば上の例での帰納はたった一個の事例からの一般化であり、「性急な一般化」の誤謬を犯して いると批判されるかもしれない。また仮説形成は「後件肯定」と呼ばれる誤謬推論の一種である。確かにもし も論証において結論の正しさを支持するためにこれらの推論形式が援用されているのだとすれば、それは誤謬 として退けられなければならない。しかし多くの場合、私たちがこれらの推論を用いるのは、結論の正しさを 論証するためではなく、有用な行動の指針となる仮説を得るためである。たとえばギュスターヴがワインを好 んでいることを観察し、これを説明するために「ギュスターヴはフランス人だ」という仮説を立てたとしよう (この仮説をHとする)。するとあなたはギュスターヴと接する際に、フランス人についてあなたが持っている 様々な信念を利用することができる。たとえば「フランス人はみんなフランス語を話す」という信念(これを Bとする)と仮説Hから、「ギュスターヴはフランス語を話す」という予測(これをPとする)が導かれる。 その予測に基づきあなたはギュスターヴにフランス語であいさつをするかもしれない。ギュスターヴがフラン ス語を話せば、このことであなたはより効果的に彼とコミュニケーションができるかもしれない。そしてこの 予測Pの成功によって仮説Hはその確からしさを増すであろう。一方もしギュスターヴがフランス語を話さ なければ(したがって予測Pが誤りであれば)、あなたは仮説Hか信念Bのどちらかを改めなければならな い。というのもPは、HとBからの演繹的帰結であり、したがってHとBがともに正しいとすればPも正 しくなければならないからである。 このように演繹的推論と非演繹的推論は、私たちのダイナミックな認識活動において異なる役割を持ってい る。私たちは観察された事実から類推や帰納、仮説形成によって、何らかの仮説を立てる。そしてその仮説と 既に持っている信念から演繹的に予測を導き出す。その予測がさらなる観察事実と合致していれば、私たちは その仮説をより確かなものと見なす。逆に予測に合致しない事実が観察されれば、私たちはその仮説(あるい は信念のどれか)を誤りとして棄却する。こうして私たちはより良い信念体系を構築していくのである。