『グリム童話集』より
「マリアの子ども」(KHM3)を考察する
17K044 野潟 結
はじめに
『グリム童話集』に含まれている「マリアの子ども」は、主人公の女の子が嘘をついた
ことによって聖母マリアに罰を与えられ、最後に罪を告白して許しを得る物語である。「マ
リアの子ども」から読み取れる教えとは何か。それを知るために今回はこの物語について、
考察していく。最初に天国での暮らしについて、次に下界での経験について、最後に罪の
告白について考えていく。
1. 天国での暮らし
この物語の主人公である女の子は、貧乏な木こりとそのおかみさんに育てられていたが、
木こりのもとに現れた聖母マリアによって天国へと連れていかれることになる。こうして
女の子はマリアと一緒に天国へ行くことになるが、これは女の子が飢餓により死んでしまっ
たと捉えることができる。中世の宗教的な理解としては、全うに生きて最後に天国で幸せ
に暮らすことが本当の幸せとされており、地上での生活は辛いものだと考えられていた。
したがって、女の子にはこの後、過酷な運命が待ち受けているが、この時点では本当の幸
せを手に入れていたのである。天国に連れていかれた女の子は不自由なく幸せに暮らす。
そして女の子が十四歳になったときマリアは長い旅にでるため、女の子に十三の鍵を預け
る。
あのね、あたしはこれから長い旅にでます。それで、おまえにこの天国の十三の扉
のかぎをあずけておきます。このうちの十二の扉はあけて、なかにあるりっぱなも
のを見てもいいんですよ。でも、十三ばんめの扉は、この小さなかぎで、あくこと
はあきますけど、でもあけてはいけません。ようく注意して、あけないようにする
んですよ。さもないと、おまえはふしあわせになりますからね。1)
しかし、女の子はこの約束を破ってしまう。女の子は見たいという欲望に負けてしまう
のである。禁止されるほどやってみたくなってしまうこの現象をカリギュラ効果2)
という。
ではなぜマリアは女の子に十三ばんめの鍵までも渡したのか。これについて、金成陽一は
こう述べている。
開けてはいけないのに鍵を渡すなんてとても残酷な気がするけれど、これはやはり
主人公がどのように行動するかをマリアが試していると見るべきなのだろう。(浦島
太郎の、絶対開けてはいけないのに持っていかなければならなかった玉手箱も、こ
の鍵と同じ意味を持っている)。メルヘンには時折このように主人公をテストする人
物、神が使われる場合があるのだ。合格した者は幸福になるが、しかし逆に失敗し
た者には厳しい試練が待っていたり、あるいは死に至ることだってある。3)
この文から、女の子が下界に落ちたのはマリアが出した試練に合格できなかったからで
あるということが分かる。そして本当に十三の扉をあけていないか疑ったマリアは、嘘を
ついていないか女の子に問いただす。ここで三回繰り返し聞いているところは意図的にグ
リムにおける重要な数字を使っていると考えられる。「マリアの子ども」のように、主人公
にいくつかの鍵を持たせ、ある特定の部屋は開けてはいけないと注意したにも関わらず、
好奇心に負けて、開けてしまうという内容の物語は他にもある。その一つが「青ひげ」と
いう物語である。この物語は、青い髭を生やした男が新妻に城中の鍵を渡し、金の鍵の部
屋だけは開けてはいけないと忠告をするが、「マリアの子ども」同様に、妻は開けてしまい、
その部屋の中の血で鍵が汚れ、バレてしまうという物語である。しかし最後は妻の兄に助
けられ、ハッピーエンドを迎える。このお話は、グリム童話の初版には収録されていたが、
第二版以降は削除された物語である。フランスの詩人として有名なシャルル・ペローによっ
ても執筆されている。このような禁室型の物語は浦島太郎や鶴の恩返しなど、日本昔話に
も多く存在する。そして、この「マリアの子ども」という物語の中に出てくる開けてはい
けない扉は何を意味するのか。それについて、大野寿子はこう述べている。
きっと、子どもが成長する過程で経験しなければならないことが、「タブーを犯す」、
「保護された空間から出る」、「命の危険、艱難辛苦を乗り越える」、「真実を告白す
る」、「結婚する」などという一連のプロットに象徴的に表現されているのだろう。
だとしたら、この「開けてはならない扉」が意味するものは、成長するために「開
けねばならない扉」だったのかもしれない。4)
2. 下界での経験
次は下界での経験について考える。嘘がばれた女の子は下界に追い出されることになる。
そこはイバラが生い茂っている荒れ野で、食べ物も木の根や草の実など貧相なものしかな
く生活にするには非常に困難な所であった。まさに天国とは正反対の場所である。女の子
はここで初めて孤独を味わうことになる。天国では美味しいご飯を食べ、かわいい天使た
ちと遊ぶなど幸せな日々を送っていた女の子だが、嘘をついたことによって、全て変わっ
てしまったのである。こうしてみじめな生活を送っていた女の子はある時、森で狩りをし
ていたこの国の王様と出会い、城へ一緒に帰ることになる。そして口のきけない美しい女
の子と王様は結婚することになる。グリム童話の最後は必ずハッピーエンドであり、女性
が主人公の物語は特に試練を乗り越えた褒美として、王子との結婚が待ち受けている。白
雪姫や灰かぶり、イバラ姫など世界的に広く知られている物語も最後は王子と結婚して幸
せを掴む結末となっている。しかしこの物語での王との結婚は物語の中盤にあり、これは
この次に起こる悲劇を際立たせるためのものだと推測される。さらに、グリム童話の女の
主人公がハッピーエンドを迎えるためには、美人であること、家事能力に秀でていること、
優しい性格の持ち主であるということの三つが条件とされている。この時点で、主人公の
女の子が美人であるという条件は、王子と出会う場面で既に明らかにされている。「こうし
て、やっとのことでそこをつきぬけていきますと、あの木の下に、目も覚めるような美し
いむすめがすわっているではありませんか。」5)
次に、家事能力に秀でている部分は以下の
文から読み取ることができる。
食べものといえば、木の根や草の実があるばかりです。女の子はそれを、歩けるだ
け遠くまで歩いていっては、さがしまわりました。秋には地面におちたクルミや木
の葉をあつめて、うろのなかにはこびこみました。クルミは冬のあいだの食べもの
なのです。6)
洗濯や掃除などの基本的な家事はしてないものの、下界で生き延びるために一人で食べ
物を集め、木のうろのところを寝床にしたりと、生きる知恵を身につけたことでこの条件
はクリアしていることになる。しかし、女の子の性格については強情であるということし
か分かっておらず、優しい性格だと感じる場面はひとつもない。したがって、この結婚の
時はまだ、ハッピーエンドを迎えるための三つの条件全てが満たされていない状態であり、
ここでの結婚は仮のハッピーエンドだと考えられる。
3. 罪の告白
次に罪の告白について考える。お妃となった女の子は、婚礼の式を挙げてから一年たっ
たころ、男の子を出産する。ちょうどその夜、寝ているお妃のもとに聖母マリアが現れ、
このように告げる。
おまえが本当のことを言って、いけないと言われていた扉を開けたことを白状すれ
ば、お前の口が開いて、元のように話すことができるようにしてあげましょう。で
も、お前が罪を改めないでいつまでも頑固にうそを言い張るのなら、この赤ちゃん
を連れて行ってしまいますよ。7)
罪を認めれば許してもらえるチャンスであるにも関わらず、女の子はマリアに、扉は開
けていないと言い張り嘘を認めない。そして同様にその後に出産した二人目、三人目の子
供もお妃が嘘を認めないことによってマリアに連れていかれることになる。ここでもグリ
ム童話で重要な三回の復唱が使用されている。お妃は嘘をついたことによって下界に追い
出され、さらに口もきけなくされた。それにも関わらず頑なに嘘を貫き通していることか
ら、お妃はとても強情な性格の持ち主として描かれている。自分の子供を食べた魔女であ
るというお妃への疑惑は徐々に高まり、お妃を溺愛していた王様も庇いきれなくなる。そ
してとうとうお妃は裁判にかけられ火あぶりの刑に処せられることになるのである。この
火あぶりの刑は、ヨーロッパでは魔女狩りの時代に魔女に対して科せられるものであった。
いよいよ、お妃さまは柱にしばりつけられました。やがて、そのまわりじゅうに火
がもえだしました。そのとき、お妃さまの胸のなかにすくっていた思いあがりのあ
つい氷がとけて、お妃さまは心のそこから後悔しました。8)
お妃はここで初めて自分の犯した罪を後悔し、そしてついにお妃は強情さを捨てて、十
三番目の扉を開けたことを告白するのである。この文の「あつい氷」はお妃の冷たい心を
表していると考えられる。そしてその冷たい心が火によって溶け、お妃は真実を告白する
のである。さらに、頭上にマリアが現れこのように告げる。「じぶんの罪をくいて懺悔をす
るものは、ゆるされるのですよ。」9)
そこで女の子の罪は許されるのである。最後には三人
の子供も無事に返され、舌も動くようにしてくれた上に一生の幸せも預けてくれるという
ハッピーエンドでこの物語は終わる。
おわりに
「マリアの子ども」は罪を認め告白する大切さを説いた物語であり、さらにこの物語に
は宗教的な要素が多く含まれている。女の子は嘘をついたことによって様々な辛い経験を
するが、自分の罪を認め、後悔したからこそ許されたのである。現実世界では罪を認めて
も許されないケースは多くあるが、自分の過ちに気づき悔いを改める姿勢が何よりも重要
なことなのであると、この物語は伝えている。
註
1)
矢崎源九郎訳『グリム童話集(1)』偕成社文庫、1980 年、28 頁。
2)
1980 年公開の米伊合作映画「カリギュラ」は過激な場面が多く、上映地域を制限されたが、その
ことでかえって人々の興味を引いたことから。(デジタル大辞泉)
3)
金成陽一『誰が「ねむり姫」を救ったか』大和書房、1993 年、114 頁。
4)
大野寿子『グリムへの扉』勉誠出版、2015 年、1 頁。
5)
前掲書『グリム童話集(1)』33 頁。
6)
同上、32 頁。
7)
同上、34 頁。
8)
同上、37 頁。
9)
同上、38 頁。
(指導教員 桑原ヒサ子)