産業主義時代の利益概念としての
収益・費用型利益概念
久保 田
秀樹
1.はじめに 現行の発生主義会計は,巨大な生産設備により大量の製品を製造することが 可能になった産業主義の時代の申し子であるといえよう。すなわち,「現在の損 益計算体系は,財貨収益を中心とした原価・実現アプローチをとっている。し かし,このアプローチは工業化時代における製品等の『有形財』に価値をおい た時代の産物」である[8;p. 30]。近代会計にとっての最大の課題は,一つには 産業主義の時代がもたらした巨大な製造・流通システムに対する会計処理,ま たそうした巨大な製造・流通システムに関わる企業が直面するリスクへの対処, そして,そもそもこうした巨大なシステムを資金面において可能にした株式会 社という制度がもたらす固有の問題への対処であった。これらの課題に対して, それぞれ,減価償却計算,引当経理,資本会計という具体的計算技法によって, 商人的利益計算を修正することにより成立した利益計算が発生主義会計である というのが,本稿における発生主義会計に対する基本的理解である。 FASBの文書は,収益・費用型利益概念と資産・負債型利益概念とはいずれ も発生主義会計の枠内の利益概念であると説明している[2;p.12]。しかし発生 主義会計という名称によって定着しているのは,少なくとも日本においては収 益・費用型利益概念に基づく計算体系である。 収益・費用差額と資産・負債差額の期中の増減額とは一致するのだからいず れのアプローチを採るかは表裏いずれを出発点とするかの差であるというのは, 今日の会計システムを前提とした説明にすぎない。両者は一致するのではなく, 一致させることによって当該差額としての利益に確実性なり信頼性を付与しようとするのが今日の発生主義会計である。以後,本稿でいう発生主義会計とは, 収益・費用型利益概念に基づく発生主義会計を意味する。 産業主義の時代は,財貨中心の時代であり,現行の発生主義会計に財貨思考 が色濃く現れているのは当然のことである。しかし,「作れば売れる」時代から 「売れるものを作る」時代へ移行した現在,製造設備の所有自体は,かつての ように必ずしも利益の源泉の所有ではなく,資金の長期的拘束によって利益の 源泉を脅かしかねない。そのため,リース契約等の金融的観点から製造設備が 扱われることになる。また,製造企業においても資金調達・資金運用という金 融活動がかってなく重要となった。 このように産業の意味が大きく変わってしまった今日において,従来の発生 主義会計の意味が低下するのは当然のことと言える。但し,産業主義の時代に も商業が依然として大きな役割を果たしたごとく,従来の製造業が今後も重要 な役割を果たし続けることは間違いない。しかし,その意味が相対化してしま い,現行の発生主義会計が,かつてのような「一般性」をもたなくなったこと も事実である。 会計が成立する文脈としての産業の変質に対応すべく,かつての減価償却計 算,引当経理の成立といった計算技法上のイノベーションに匹敵する新たな計 算技法の開発が求められている。その前提として,産業主義時代に付与された, 現行の発生主義会計がもつ特殊性を明らかにすることが本稿の課題である。 2.「固定資産処理会計」としての近代会計の成立 発生主義会計は減価償却計算,引当経理といった個々の計算手続きの集積で あり,いわば「寄せ下細工」として成立してきたが[文献[6]参照],そのう ちの減価償却計算に焦点を絞って,その成立の経緯について考察してみたい。 産業主義の時代は,膨大な固定資産の会計的処理という問題をもたらした。そ の意味で,近代会計を「固定資産処理会計」として特徴付けることができよう。 しかし,この「固定資産処理会計」が一朝一夕に確立したわけではなく,その 事は,会計史や経営史の研究によって明らかにされている。産業主i義によって
もたらされた新たな経済は,すべて人類にとっては未知のものであり,その対 処の方法の確立が試行錯誤によらねばならなかったことは,ある意味で当然と 言えよう。 ディーター・シュナイダーは,「会計制度の発展理論」という論文の中で,近 代会計の発展につき興味ある見解を主張している。彼によれば,いわば,試行 錯誤の結果として固定資産処理会計が形成されるについて,法律による規制が 重要な役割を果たしたという[4;p.19]。以下,シュナイダーの見解を紹介して みたい。 まず,意思決定指向的かつ目的合理的な会計制度成立の説明,すなわち競争 圧力の中での最適解探求の意思としての企業者の認識が,経営管理手段として の会計制度の構築を喚起したという説明は妥当しないという[4;p. 19]。会計制 度は第一に委託者の会計責任報告要求から発展し,個々の損害事件が起こった 後にようやく,会社規範としての保護規定が成立した。会計報告義務者は,規 制に合わせて,または規制を回避するために,課された会計制度を改造し,会 計報告責任の規制によって強制された会計制度が存在して初めて,それが企業 経営の個々の目的にも利用され,部分的に目的に応じて変更が加えられたと説 明される[4;p.19]。まず,外部報告会計における「固定資産処理会計」として の減価償却について見ていくことにする。 19世紀に入るまで,設備資産の減価償却の不可避性についての明確な観念も, その金額についての一般的慣習も成立していなかった。このことの原因は,い わゆる資本集約性の不足ではないという。というのは,精錬所や植民地貿易会 社の場合,設備資産は相当の規模であった。前世紀以前に,実現された利益が 指導手段として意味をなさなかった原因として,次の4点が挙げられている [4;p. 20−21]. 1.個人事業者にとって,補償貢献(「売上高一変動費」で求められる)の再生産 費用と利益への配分は,私用のための引出しが自由だったため,何の役割も 果たさなかった。 2.カメラル学において,初めての計算上の減価償却に言及されているが,当初
のそれはまだ通常の利子から分離されておらず,設備資産の様々な項目に対 する異なる利子率として示されていた。1770年以降ようやく減価償却と利子 とが別個に記帳されるようになった。19世紀に入るまで手工業者,商人,事 業者の家計支出は一般に原価ないし費用とみなされた。これらの「事業者賃 金」は,自己資本に対する利子と同様,貸借対照表利益には算入されず,独 立した原価計算ないし工場簿記はまだ存在しなかった。 3.減価償却金額の再投資によるいわゆる能力拡大効果について最初に考察した エンゲルスとマルクスは,減価償却率という形で製造業者が,剰余価値への 他の参加者もしくは最終的消費者からだまし取っているとして,減価償却を 否定的に捉らえている。また,プロイセンで1871年まで免許制だった株式会 社の多数の定款,並びに架空の配当支払についての過程や,1878年以前はイ ギリスの所得税では設備資産減価償却は事業支出として控除することが許さ れなかったという事実が挙げられている。 4.19世紀にようやく所得査定機能が,確定されるべき期間利益に付与された。 そのきっかけは,利益課税前の,イギリス並びにアメリカの鉄道,ガス製造 工場,及び上水道といった独占企業に対する配当規制及び価格規制であった。 補充調達のための支出毎に直ちに費用(原価)として計上する,固定価値 計算(Festwertrechnung)が通常実施されていた。そうした収入余剰計算を通 じての利益の算定は,修繕及び補充調達をやらないことによる利益額操作の 可能性を経営者に開いた。その試みは,取締役俸給が利益に依存することが, 定款に規定されている場合,特に大きかったという。 今日の発生主義会計において,いわばその中心的位置にある減価償却計算が 確立し,普及するについて,減価償却の対象たる固定資産の存在がその十分条 件ではなく,法律による規制が重要な役割を果たしたという見解は興味深い。 すなわち,このことは,会計技法の制度化について示唆を与える。また,近代 会計成立については,当初より法律による規制が関わってきたことが会計学, 特に財務会計領域に関する学術的研究の成立に深く関係している。つまり,法
律による規制は,近代会計の成立当初から会計技法の「社会的承認」という点 で,その性格に強い影響を及ぼしてきたと考えられる。 3.内部報告会計における「固定資産処理会計」としての共通費の認識 企業内部の利益確定も法律による規制後にようやく重点的に普及したという。 その際今世紀に入るまで,税法上及び商法上の強制監i査が欠けていただけで なく,開示義務が僅かだったこともあり,企業内部及び企業外部の会計制度は 分離されていなかったことに注意しなければならない[4;p.20]。 内部報告会計における「固定資産処理会計」としての共通費の認識について は,以下のように説明される[4;p.22−25]。 1.過去の記録において商人によって伝えられた僅かな価格計算は,個々の注文 に対して,19世紀に入るまで原料または商品の入庫価格,賃金,関税運送料, 並びに,支出に結び付かない原価としての投下(自己)資本利子,その他リ スク・プレミアムだけが帰属計算されたにすぎない。すなわち,共通費は認 識されていなかった。 2.完全原価計算の芽生えは,総原価類型のカメラル学的体系化に見ることがで きるが,計算目的に適合した原価類型計算の理想と実際の可能性との聞には, 利益概念が不明確だったため,大きな違いがあった。後のグーテ・ホフヌン ク精錬所のシュタークラート工場では,1872年から複式簿記及び(全ての製 造部門が組織的に分離された)原価場所計算が導入され,その際,共通費の 配賦が問題として認識された。 3.内部会計制度の方式についてのなお一般的だった秘密主義をようやく取り除 いたのは,技師連合及び商人職業訓練改善連盟であったが,1900年以前は, 依然として「極めて曖昧」と言われたし,バベッゲが半世紀以上前に完全コ スト補償価格計算にとって不可欠なものとして認識したものにも遅れをとつ ていた。 供給価格の粗宋さは,内部会計制度が競争過程における意思決定の準備と いう目的から発展してきたのではないという主張を裏付ける。ドイツの原価
計算の文献は,1900年以降,すなわち広範囲なカルテル化の時代にようやく 供給価格計算を強調するにすぎない。その事にしばしば結び付けられる価格 統制は,より正確な原価把握による節約の可能性を認識するための実際原価 計算により強く目を向けさせるきっかけを与えたと考えられる。 4.第1次大戦下のドイツでは,第2次大戦の準備期とは違って,それによって 原価計算技法が一般的に普及することになる,国の注文に対する価格確定の 指導原理を断念していた。それに対して,英国では,戦時経済が,1916年以 来,原価計算技法の普及を引き起こしていた。 5.実務家が自発的に固定費補償の放棄や体系的な価格政策上の(「計算的」)調 整に行き着いたのではなく,限界原則にしたがう目的合理的な思考は,高等 商業学校教官によって初めてもたらされた。著述家は,製造業部門に対して, すべての総原価を個々の製品類型及び製品量に配賦する,詳細に及ぶ総:原価 計算を展開した。しかし,今世紀の最初の10年に入るまでは,それに伴う把 握費用を甘受する理由を見いだしたのは,比較的大規模の企業にすぎなかっ た。 内部会計においても,価格統制や戦時経済といった外的要因により共通費の 配賦という「固定資産処理会計」が確立したという指摘は重要である。そして, 上記「5.」に述べられている高等商業学校教官や著述家が共通費の認識に果た した役割を考えると,近代会計は成立の折から観念性を内蔵しているといえる のかもしれない。その意味で後に触れる「対応・凝着」といった収益・費用型 利益概念に対する説明のための概念装置に馴染みやすい性質を当初から持って いたといえるだろう。 4.「疑似仕入値」計算のための概念装置としての「対応・凝着」 会計システムは,問題解決型接近法[7;p.28]によって寄木細工のように発展 してきた。「固定資産処理会計」についても,上で見てきたように固定資産の存 在がそのまま会計的処理方法の確立につながったわけではなかった。固定資産
の増大がもたらす会計上の問題に対する対応の試行錯誤の結果として今日の発 生主義会計が成立した。会計理論は,そうした会計システムに対して統一性, あるいは体系性を付与すべく展開されてきたといえよう。しかし,体系性付与 のためには,ある程度の抽象化・簡略化が必要となる。三次元の立体形を二次 元の平面に写し取る際,例えば,地図作成の際の図法を例にとると,地表の面 積を忠実に写し取るためには,地表の形,あるいは距離が犠牲にされるという ように,特定のファクターに光を当てると,他のファクターには必然として影 が生じる。また,どのファクターに光を当てるかという問題は,その理論が成 立し,広く受容される時代の文脈と深いつながワがある。 一つの構造としては,収益・費用型利益概念に基づく発生主義会計は,商業 に対しても製造業に対しても同様に適用できる。利益とは,収益と費用との差 額である。より具体的には,そして,販売費及び一般管理費等をとりあえず捨 象すれば売上高と売上原価との差額である。しかし,具体的レベルで比較する と,商業における計算と製造業におけるそれとは大きく異なる。 商業の場合,売上原価は,単に仕入値を意味し,商業における売値と仕入値 の差額としての利益には別段,「新たな価値の創造」といった意味付けは本来無 用である。なぜなら,その差額こそが商業にとって最も重要な「儲け」そのも のだからである。それが,「新たな価値の創造」であろうとなかろうと,商業自 体が,その「儲け」故に成立しているからである。商業においては,売上総利 益の計算における売上原価(仕入値)は,ある意味で自明のものであり,「対応」 させる必要すらない。 もちろん,製造業も「儲け」の上に成立しているが,その「儲け」の算定に おける「仕入値」に相当するものが原価計算というフィクションを通じてしか 確定できない点で,商業と大きく異なる。 製造業も,生産設備が占める割合が小さく,製造原価の大半が原材料費と労 務費から構成される段階であれば,「仕入値」という発想の延長で十分対応でき る。しかし,巨額の資金を長期間拘束する生産設備の利用が始まった時,「売値 一仕入値」という発想だけでは対応しきれなくなる。そこで,「仕入値」を創り
出す必要が生じる。 収益・費用は,発生主義会計全体を構成する要素とされるが,その概念の説 明にとって最も重要なのは,製造業における売上高と売上原価である。すなわ ち,対応原則が完全な形で適応される対象である。ここでは確かに収益は価値 増殖の結果であり,費用はそのための価値費消であるという仮定が成立しうる。 その差額は,丈字どおりの価値の増殖分であるとの説明は説得力を有する。ペ イトン=リトルトンの費用・収益に対する「努力」と「成果」という形容[3;訳 書p.23]は,このことを最も端的に表している。 AAAの1977年のステートメントはペイトン=リトルトンの理論を「対応」 (“matching”)と「凝着」(“attaching”)という用語に光を当てて説明し[1;訳 書p.20],「対応・凝着アプローチ」と呼んでいる[1;訳書p.90]。現行の発生主 義会計は「対応」と並んで「凝着」というもう一つの大きなフィクションの上 に成り立っている。「対応」については,発生主義会計の根幹をなす計算手続き の説明概念として知られているが,「凝着」については余り積極的に取り上げら れてこなかった。しかしこの「凝着」も産業主義の時代の会計にとっては極め て重要な概念である。すなわち,製造企業の利益計算にとっては,原価計算を 組み込むことが不可欠の意味を持つ。その原価計算においては,原材料,労働 力及び生産設備の価値が一体となって,新たなる価値としての製品になるとい う仮定のもとに,生産要素のそれぞれの価値が「凝着」して製品の原価を構成 するというフ/クションの上に原価計算が成立している。 原価計算:によって算定される製造原価は,新たに生み出される価値のための 犠牲であり,それは次に新たに生み出される価値により補償されるべきものと いう仮定の上に成り立っている。したがって,利益とはまさに正味の新たに生 み出された価値ということになる。 収益・費用型利益計算の根底にある一つの特徴は,利益計算あるいは利益自 体に対する「モノ」からの意味付けである。つまり,「企業の中心的な課題は, 財貨・用役の生産・販売であり,それを円滑に運行させるための不可避的な付 随行為として金融活動が随伴するという前提で,今日の損益計算が成り立ち,」
「財貨中心の本業主義」が,その背後に存在したと考えられる[8;p.33]。した がって,収益・費用型利益概念からの離脱は,「利益=新たな価値の創造」とい うフィクションの放棄を意味するととらえられねばならない。 以上のように,減価償却計算や原価計算は,製造業における「仕入値」を創 り出すための計算技法であり,「対応・凝着」はそれを説明するための概念装置 として理解することができる。いわば,「商人的利益計算」に「技術者的原価計 算」を接合して,近代会計は生まれたとも言えよう。
収益 費用
i売上高) (売上原価) 商業(商人的利益計算) 売値 一 仕入値 製造業 売値 一 疑似仕入値(製造原価) @ ↑ @ 「対応・凝着」 @ ↑ @ (技術者的原価計算) 上述の製造業のための計算技法は,すべて「疑似仕入値」を作り出すための 費用側に関わるものであった。いわゆる工事進行基準を適用する特殊な製造業 を除けば,収益側は依然として商人的計算に端を発するものと言えよう。発生 主義会計において,費用の測定に発生主義が適用されるのに対して,収益の測 定には実現主義が適用されるということについて,従来,いくつかの説明の試 みがなされているが,その試みのひとつとして,発生主義が産業的思考による ものであるのに対して,実現主義が商人的思考によるものであることを加える ことができよう。142 彦根論叢第282号 すなわち,産業的思考によれば,製造活動はそれぞれの過程が何かを生み出 すために寄与するポジティブな活動であり,それぞれの活動が意味あるものと する仮定はある程度受容できるかもしれない。したがって,収益の測定にも発 生主義を適用するというのは産業的思考の収益測定面への拡張を意味する。し かし,商人的思考によれば,物が売れて初めて,各々の活動に意味があるので あり,売れない物のための活動は何の意味もないというのは,商人にとっては 現実そのものであろう。 5.金融取引に対する収益・費用型利益概念の不適応性 しかし,この「疑似仕入値」による計算も金融取引には適用できない。金融 取引には,仕入も売上も存在しないからである。もちろん,受取利息・支払利 息を売値・仕入値になぞらえることはできるが,仕入・売上が「モノ」と貨幣 の対流ではない以上,その比喩は単なる比喩に過ぎない。 金融取引では,個々の儲けとしての個々の利鞘というのは成立しないか,あ るいは成立しても意味がない。つまり,商業では何を売るかが儲けに直結し, 売るものの売値と仕入値が重要であるが,金融取引では「何を売るか」ではな く,「誰に貸すか(何に投資するか)」ということが重要になる。そして,利鞘 の源泉たる受取利息と支払利息との問には,「モノ」が介在しないため,商業や 製造業における「対応」関係も存在しない。つまり,特定の「売値」に対して 自明のものとして存在する「仕入値」は存在しない。資金を貸し出すためには, 資金を調達しなければならないのは確かであるが,決済のために実際に資金が 動くのは,金融取引の全体の一部においてにすぎない。このことは,現行の損 益計算書において金融収益と金融費用については,純額主義が採られているこ とからも明かである。もし,売上原価と売上高と同じく「努力」と「成果」と いう意味付けが可能であれば金融費用・金融収益についても総額主義が採用さ れるべきであろう。 以上の考察の要点を整理してみよう。 (1)収益・費用型利益計算における「対応・凝着」は,製造原価という「疑似仕
三値」を成立させるための概念装置である。 (2)「モノ」を介在させない金融取引には「疑似仕入値」さえ妥当せず,商人的 一産業的思考接合計算としての収益・費用型利益計算では対処できない。 これらの観点からすると,収益・費用型利益概念からの離脱は,産業構造の 大変動とは無縁でないどころか,それこそが原因ということができよう。「バブ ル経済」が崩壊したといっても,その時代に生み出された新金融商品が消滅し たわけではなく,また金融の自由化が後退しているわけでもない。むしろ,企 業はより高度かつ複雑な金融活動を強いられることになるだろう。 また,そもそも収益・費用型利益概念の揺藍の場となった製造活動自体が変 質し,従来の「対応・凝着」という概念装置を弱体化している。製造原価が「補 償されるべきもの」である時代は去ってしまった。つまり,「補償されるべきも の」というのは製造したものが必ず売れることを前提している。個々のケース では必ずしも妥当しなくとも,全体としてはその前提が現実離れしていない時 代が存在した。しかし,今日は,かつて商業が「仕入れれば売れる」時代から 「売れるものを仕入れる」時代に移行したように,「作れば売れる」時代から「売 れるものを作る」時代へ移行しつつある。そこでは,製造原価は,最早「補償 されるべきもの」ではなく,売れたものの文字どおりの「仕入値」にすぎない。 また,製造設備の所有自体は,かつてのように必ずしも利益の源泉の所有で はなく,資金の長期的拘束によって利益の源泉を脅かしかねない。そのため, 例えば,リース契約として金融的観点から製造設備が扱われることになる。資 産の価値は,その所有に基づくのではなく,その利用に基づくものであるとい うのは,まさに減価償却計算の根底にある思考ないし擬制であったはずである。 すなわち,減価償却という計算手続きは,資産というストック量を費用として フロー化することによって計算に取り込む計算技法である。リース契約は,そ の擬制をまさに具現化したものと言えよう。その結果,その擬制を基礎にした 減価償却という計算手続が不要となり,逆に費用というフローをストック化(資 産化)という擬i制によって計算に取り込むことになったことは,ある意味で皮 肉とさえ言えるだろう。
144 彦根論叢 第282号 「モノ」が最も重要な意味を有する時代にあっては,その下で開発された分 析技法は自ずから「モノ」と直接関わらない業種,すなわち金融・保険には適 用不能である。各種統計でも製造業が中心で,金融・保険は除かれる。しかし, 製造企業においてこの金融的活動が重要となった場合,従来の分析技法の適用 が制限されることにもなろう。 6.結びに代えて 収益・費用型利益計算の有効性を支えた背景として,それによって求められ た利益額がある程度,長期の利益予測にとって有用であったことが挙げられよ う。しかし,生産設備の所有が長期的な収益力を保証しえた時代は去り,むし ろそれが企業の足かせとなることさえ考えられる時代となった。 収益・費用型利益計算の体系においては,損益計算書がその中心となる。い わゆる動態論の成立は,財務表という点からみると「貸借対照表中心主義→損 益計算書中心主義」へのシフトとして理解できる。 損益計算書における計算は,今日の制度上の区分表示を見ても,もともと源 泉的な色彩が強いものであることが分かる[5;p.129−130]。日本の証券取引法に よる損益計算書は,次の二つの観点から区分表示されている。まず,「本業か否 か」という基準により「営業損益計算」と「営業外損益計算」とに区分される。 次に「反復性」という基準によって「経常損益計算」と「純損益計算」とに区 分される[6;p.176−177]。これは,貨幣量としての利益の算定に「モノ」の側面 から意味付けしょうとするものである。 ある理論の相対化自体は何の積極的世界観を呈示するものではないが,ある 理論の相対化が生じたという事自体が,その理論が時代状況における絶対性を 失った証左であろう。その意味で,FASBの文書における資産・負債型利益概 念は,その登場自体がいわゆる動態論の成立以来,支配的な利益概念であった 収益・費用型利益概念の相対化を意味する。 収益・費用型利益概念と資産・負債型利益概念をターンのいうパラダイムに なぞらえて理解するとすれば,そのパラダイム・シフトの直接的原因となった
変則性の一つは新金融商品を始めとする貨幣性資産に対する説明能力の欠如で あろう。しかし,それが変則性として機能し始めることになったそもそもの原 因は,経済の金融化・ストック化という経済自体の変化であった。「モノ」中心 の時代に成立した利益概念が「モノ」離れした時代に十分機能しえないのは当 然のことといわねばならない。 あらためて言うまでもなく,貸倒引当金の設定,あるいは減価償却計算及び 引当経理は,経済の変化に対応するための最適解ではなく,社会的承認を得て, 経済を機能させるための制度的装置と理解すべきものであろう。すなわち,貸 倒引当金の設定によって信用経済が引き起こしうる問題を個々の企業レベルで 解決し得たわけではない。例えば,実現原則によって測定された売上高も,流 入した現金等価物としての売掛債権が回収されなければ,それをもとに算定さ れた利益の処分可能性は保証されない。貸倒引当金によって,すべての債権回 収不能による倒産を防ぎ得るわけではない。 つまり,配当可能利益の計算に売掛債権を実現したものとして取り込むこと には,問題があるはずである。実現原則の根拠としての計算の確実性という観 点から言えば,実際には,貸倒引当金の設定で片付く問題ではない。それが問 題とされないのは,いわば,貸倒引当金という一つの装置によって,その問題 を解決済みのものとみなす社会的承認にこそ,その意味があるものと思われる。 しかし,信用経済による恩恵はそうしたリスクを補って余りあるとの認識から, 信用経済のもたらす必要悪とも言うべき貸倒に対して,引当経理の実務により 一応の手当を施すことにより信用経済が機能していると見なすことができよう。 今日の会計に求められているのは,かつての産業主義確立の時代における大 規模な生産・流通の普及といった経済の大変動期に相当するような変動期にあ る昨今にあって,減価償却計算,引当経理といった計算技法の開発によって商 人の利益計算が修正されたごとく,少なくとも有効に機能しうる,あるいは社 会的承認を得られる利益計算を確立することであろう。
彦根論叢 第282号 [1] ]] 9自3 [[ [4] [5] [6] [文 献] AAA, Statement on A ccounting T肋。ηand Theo2 yoA cceptance,1977.(訳書)染谷 恭次郎訳『会計理論及び理論承認』国元書房,1980年。 FASB, ScoPe and lmplication of the ConcePtual Frameworfe Prol’ect, Dec. 2, 1976. Paton, W. A,, Littleton, A C., An lntroduction to Corporate Accounting Standards, 1940(訳書)中島省吾訳『会社会計基準序説(改訳版)』森山書店,1958年。 Schneider, Dieter, Theorien zur Entwicklung des Rechnungswesens, in : ZlfbF 44 (1992. 1.) 久保田秀樹,「会計利益観としての資産・負債観と企業会計におけるストック中心思 考」,『産業経理』(1990年7月)。 久保田秀樹,「計算技法の集積としての発生主義会計と新金融商品」,『彦根論叢』,第 276・277号(1992年8月)。 [7] 武田隆二,『最:新財務諸表論[第4版]』中央経済社,1991年。 [8]武田隆二,「オフバランス問題とディスクロージャー」『企業会計』第44巻第1号,(1992 年1月)。