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史料紹介 : 彦根古絵図について

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Academic year: 2021

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史 料 紹 介

彦根古絵図について

今年の史料館企画展は、彦根城築城四〇〇年祭に協賛して行なっています。ここでは、「彦根古絵 図」という名で呼ばれている絵図をご覧いただきながら、大昔の彦根の姿をのぞいて見ることにしましょ う。 絵図中には「彦根之地、往古ハイバラガラタチ相ましはり、山も陸も沼も一面ニ而、人家わずか所々 に有シカ、皆独すなとりして世を渡る人共也」―彦根の地は、昔は茨やガラタテ(サルトリイバラのこと) が混ざりあい、山・陸・沼の一面に生えていて、所々にわずかな人家があり、人々は単独で猟などをし て生活していた―という、古代の彦根のありさまが記されているほか、彦根各地のさまざまな由緒や伝 承が書き留められています。 この絵図の中の彦根は、いつの時代のものでしょうか。ヒントとなるのは彦根山の描写で、その山上 には彦根城が建っていません。彦根城の築城が始まるのが慶長八年(1603)のことですから、ここに 描かれているのは少なくともそれより前の彦根の姿ということになります。なお絵図中には、「此図ハ花 井清心置書之写ニシテ、天正已後、慶長頃迄之当所之聞書也」という一文が見えます。すなわちこの 絵図は、彦根藩初代藩主である井伊直政に仕えた花井清心という人物が、今から約430~400年前 の彦根についての伝聞をまとめて、江戸時代初めに作成した絵図の写しであるようです。 彦根城の築城以前に彦根山に建っていたのは、彦根寺の伽藍でした。この彦根寺はかつては名高 い観音霊場であり、寛治三年(1089)には時の摂政・内大臣・左大臣、さらに白河上皇までもが参詣し ました。彦根寺への参詣者が大勢通ったのが、巡礼街道(現在のベルロード)とされています。そして、 彦根城の建設とともに彦根寺は山下に移動したのであり、その後身のひとつが滋賀大経済学部のご 近所である、現在の北野寺です。 そのほかにも、絵図中では大洞から松原にかけて石田三成の時期に築かれた「百間橋」が走り、世 利(芹)川も松原の内湖へと流れ込んでいます(芹川が現在の河道に改められたのは、慶長八年)。昔 の彦根の景観は、現在のものとは随分と異なっていたようです。 (附属史料館 青柳周一)

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