東 南 ア ジア研究 20巻2号 1982年9月
個人年齢 の推定方法に関す る若手の覚書 き
-
西 部 ジ ャ ワ ・ス ンダ人 村 落 で の調 査 か
ら-五 十 嵐
忠孝 *
SomeNoteson M ethodsofAgeEstimation: An Attemptin aSundanese
Village,W estJava
Tadataka IGARASHI*
Age misstatement,presumably derivedfrom thelackofatraditionofreckoningagebysingle yearsatthelastbirthday,isanotoriousproblem inobtainingcorrectagedatabyhouse-to-house canvassillginrura一Java.Giventhissituation,I attemptedinthecourseofecology-orientedfiel d-worktoestimateagesata Priangan-SuIldanese villagebyavarietyofmeans. Thispaperpr e-sents firstly a briefanalysis ofthe age data collected directly from the inhabitants,whicII shows tllattlleirage reporting is so strongly biasedthatagedatabasedsolelythereon could be detrimentalto demographic and biosocial studies. Ithen describemyattemptto obtain ageestimatesandsomeofthe difficulties e n-は じ め 【こ 本 稿 は,筆者 が , イ ン ドネ シア,西 ジ ャワ ・プ リアガ ン高 地 のス ンダ人 農 村 で行 な った 生 態学 的調 査 の一環 と して試 みた年齢 の推 定 作 業 に もとづ き,その方 法 の概 要 と問題 点 に つ いて ,村人 の年齢 意 識 の一端 に も触 れ な が *東京大学医学部人類生態学教室 ;Department
ofHumanEcology,FacultyofMedicine,The UniversityofToky
0
,7-3-1Hongo,Bunkyo-ku,Tokyo113,Japan 260
counteredinthefield. Individuals'ages were estimatedbyacombination ofthe usualtech nlqueS,i.e.,locatingaperson'S"privateevent" with a Hpublic event" ofestablished year of occurrence,checkingaperson'sagerankagainst thoseofanumberofneighbors,andseekingthe Gregoriandateofbirthinthe∫slamic-Gregorian calendricalconversiontablebymakingf山l上lseOf thetraditionalpracticeofexpresslngbirthdayin tel・mSOfIslamicmonth,date,dayoftheweek,etc. Although each technique used hassomeweak points,theircombinationmayprovidereasonable
,
ifnotprecise,estimatesofage.Sincemyfiel d-workisstillin progress,theresultsoftheage estimationwillbereportedelsewhere.ら,報告 す る ことを 目的 とす る。 本 稿 の記 述 お よび 若 干 の 資 料 は,1979年 の 2月 か ら 3 月 ,お よび1981年 の11月 か ら12月 に同一 の部 落 で行 な った調 査 に もとづ く (以下 ,それ ぞ れ を79年 調査 ,81年調 査 と称 す る)01) 調 査 を行 な った の は,バ ン ドン県 パ セ-那 1)1981年11月に開始された2回目の調査は,現在 もなお進行中である。この2回の調査は,日産 科学撮興財団の研究補助金による 「インドネシ ア人類生態学調査- と くに村落住民の生計維 持機構 と人 口現象- 」(代表者 :群馬 大 学 医 学部公衆衛生学教室鈴木庄亮教授)の一部であ る。
- 1
2
0
-五十嵐 :個 人年 齢 の推 定方法 に関す る若 干 の覚書 き チ グ ン トウー ル村 に属 す る部 落
(
ka
mpung)
2)
で , サ ラ ム ン カ ル(
Sa
l
amungka
l
ま た はSl
a
mungka
l) とよ ばれ ,酉 ジ ャワ州 の州 都 バ ン ドン市 の東 南 東 約42km
(地 図上 の直 線 距 離 は30km
弱 )の尾 根 上 に位 置 し,標 高 は8
00
m余 で あ る。 この部 落 は新 旧 い くつ か の 集 落(
l
e
mbur
)
に分 か れ て い るが,い ず れ も棚 状 の 水 田 に 囲 ま れ , 山手 に は畑 地 ・休 閑 地 ・森 林 が広 が る。 水 田耕 作 は1
年 に約2
回 の収 穫 を もた らす が ,米 の 自給 度 は6
0-7
0%
に す ぎな い。水 田非 所 有 世 帯 が全 標 本 世 帯 の37
.7%
を 占 め る一 方 で , 上 位9
.8%
の世 帯 が全 水 田面 積 の5
2
.1%
を所 有 して い る [五 十 嵐1
9
81
a]。
米 の不 足 分 は ,畑 地 で 自家 ・換 金 目的 に栽 培 され るタバ コ, トウモ ロ コ シ, キ ャ ッサ バ , 陸 稲 な どに よ る ほか ,バ ン ドン市 - の苦 力 出 稼 ぎに よ る収 入 で 補 わ れ て い る。 サ ラム ンカ ル部 落 は約30
0
世 帯 か らな るが , 筆 者 が対 象 と した の は , この う ち "本 来 の サ ラム ンカ ル" といわ れ , も っ と も山手 に位 置 す る3
集 落 か ら無 作 為 に選 ん だ79
世 帯 (た だ し79
年 調 査 時 ) お よ び これ らか らの独 立 ・派 生 世 帯 (た だ し81
年 調 査 時 ) で あ る。 工 問 題 の 所 在 後 発 地 域 に お け る年 齢 申告 の不 正 確 さ, な い しこれ に も とづ く年 齢 分 布 の ゆ が み は ,従 来 か ら も多 くの識 者 に よ っ て 指 摘 さ れ て き た。 Dj
a
j
anegar
a
[19
7
0
] や Si
nga
r
i
mbun
[
1
9
76
]
が述 べ るよ うに , イ ン ドネ シア の年 齢 資 料 もそ の例 外 で はな い。 van de Wa
l
l
e
[
1
96
6
]
に よ れ ば , イ ン ドネ シア の セ ンサ ス 2)以下の記述 におけるスンダ語の綴 りは,[
a
]を e, [e]を6と表わすのを除 き,新表記法に従 う[
PPPB
1
9
7
7
] 。 なお,調査地を含む地方で話 されているス ンダ語 は,1
ur
a
h
(村長),l
e
mbu
r
(集落),t
a
l
l
d
u
r
(田植え)をそれぞれr
u
r
a
h
,l
e
mur
,t
a
nur
とす るなど, 標準的スンダ語 と やや発音を異にするが,本稿では原則 として標 準的綴 りを記す[
LBSS 1
9
7
6
]。 報 告 に み られ る年 齢 分 布 の ゆ が み は,熱 帯 ア フ リカ諸 国 に共 通 して み ら れ る そ れ と 同 様 で , そ の理 由 もま た 同 様 で あ る とい う。v
ande Wa
l
l
e
の指 摘 す るい くつ か の特 徴 的 な ゆ が み の一 つ , す な わ ち , 女 の1
5
-19
歳 階 級 の くぼ み は,筆 者 が79
年 調 査 時 に得 た サ ラム ンカ ル部 落 の年 齢 分 布 に もみ られ る (図 1)。 この 図 に 使 わ れ て い る 年 齢 は , あな た 観覧70-71鮎 65-69夢 窟 5:I-5q紫 蹄 39-シl韻駐韓 リユ 慧 二三I::還 女 棚 萩野35-39鞍窮詳静 ・竣鞍頒讃美溝欝33-31柵 芽柳 三5-2q碗雌 蝶韓襲鞍 諺諾塀鴻… 窯肌 華讃米韓 事故棚 l…棚 #茶 棚 鞍讃野毛謡 10-11脚 癖脚 5-9繋脚 淡払 聯1■o 讃圃o 喋o o0-4軸 聯 5- - l r)% 年齢 リi 搬闇 60幣 淋 串 5P転 女 I:
還還
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5
&
211 】5 10 ) 0 0 ;卜齢 5 10 15 20人 図1 1歳間隔および 5歳間隔による サ ラムン カル住民の性別 ・年齢別分布(
7
9
標本世 帯,1
9
7
9
年2
月)0 (あ るい は 当該 人 物 の名 前 ) は現 在 何 歳 か , とい う筆 者 の 問 いに 対 して ,世 帯 主 お よ び そ の配 偶 者 は そ れ ぞ れ本 人 が ,未 婚 の子 供 は父 親 な い し母 親 が答 え た 年 齢 (以 下 , こ れ を 「申告 年 齢 」 とい う) を 用 いて い る。 この よ うな女 の1
5
-1
9
歳 階 級 に み られ る くぼ み を ,v
ande Wa
l
l
e
は 「もと も と この年 齢 階 級 に 含 ま れ るべ き者 の うち ,既 婚 者 は 自 己の年 齢- 1
2
1
-2
6
1
東 南 ア 57ア研 究 20巻2号 蓑 1 1979年と1981年の2時点における申告年齢の増加分の分布 既婚 ・未婚の別* 1979-81年の間 に初 婚 を経験 した女 1981年において もなお 結婚経験なしの女 1981年調査における申告年齢 と1979 年調査における申告年齢の差 (読) -3-
2
-1 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 増加分の平均値 (読)** 110
00
0 1 1 40
2 1 10
1 4.27 13 1 0 1 1 1*
実際の暦年齢が14-20歳程度 と推定される女。 ** 危 険率50/Oで有 意 差 あ り (Mann-Whitney を高 めに述 べ る傾 向 が あ るた め,その何 割 か が20-24歳 階級 に , 反 対 に未婚 者 は低 めに述 べ るた め, そ の一部 が10-14歳 階 級 にそれ ぞ れ編入 され るた めに生 じる」 と説 明す る。 表1は,サ ラム ンカル部 落 にお いて79年 調 査 と81年調 査 の 2時点 間 に初婚 を体 験 した女1
1名 (ただ し,81年調 査 時 まで に離婚 した者 を含 む), お よび 彼 女 らと sesama (ほぼ同 年齢 の者 ,後 述 参照 ) と彼 女 ら自身 が認 め る 者 (女 ) の うち,81年調 査 時 にお いて もなお 結婚 経験 のな い者13名 につ いて ,それ ぞ れ両 時点 間 の 申告 年齢 の増 加 分 (81年 調査 時 にお け る申告 年齢 から79年調 査 時 にお け るそれを 減 じた差 ) の分布 を示 す.81年調査 は79年調 査 の約2年 9カ月後 に行 われ て い るか ら,村 人 の問 に暦 年齢 を数 え る習慣 が あれ ば, 申告 年齢 の増 加 分 は2
歳 な い し3
歳 とな るはず で あ る。 表1
にみ るよ うに この増 加 分 は,両 時 点 間 に初婚 を体 験 した群 で は1
歳 か ら9
歳 の 間 に分布 し (最頻 値 は3歳 ),平均 的 に は4.27 歳 も "歳 を と った" のに対 し,81年 調査 時 に な お未婚 で あ った群 で は, マ イナス3
歳 か ら プ ラス5
歳 にか けて分布 し (最頻 値 は2
歳 ), 平 均 的 に はわず か1.69歳 "歳 を と った"のみ で あ る。上 述 した van deWalle の説 明 は, 筆者 の調査 対象 に もあて はま る03) 3)これは Iskandar[1970:35]や上野 [1944:15] などが示す資料をはじめ,キ リス ト教徒である ミナ-サ人などを除 くと[Djajanegara1970], インドネシアの年齢資料に広 くみられる現象で あ る。 262 5 2 1 1 0 00
0 1.69 のU検 定 :Ucal-29<37n l-Ln2-13..-0・05)0
10代 後半 の既婚 婦人 が 自己の年齢 を過大 申 告 す る傾 向 が あ る一方 で ,T.H.Hull[1975: 409] は, 中部 ジ ャワの農 村 にお け る調 査 か ら,既婚 婦人 は一般 に 自己の年齢 を実 際 よ り も若 く申告 す る傾 向 が あ ると指 摘 して い る。 T.H.Hullに よれ ば,妊娠歴 か ら推定 され た 年齢 に もとづ いて40-44歳 階 級 に区分 され た 婦人 の うち, 40% 以 上 の 者 の 申告 年 齢4)は 40-44歳 よ り若 く,そ の大 部分 は35-39歳 の問 で あ った とい う。 T.H.Hullの指 摘 す る傾 向 は,筆者 の79年 調査 時 の資料 に も間 接 的 にみ られ る。 図2に 示 す よ うに ,横軸 に既婚 婦人 の初婚年 齢 を と 77]肺時の年齢(申:1.-'1:一齢) 図2
第1子出産時年齢 と初婚年齢との関係 4)本稿でいう 「申告年齢」は,T.H.Hull[1975: 400]の用語に従えばcensusageに相当する。 - 122-五十 嵐 :個 人年 齢 の推 定 方法 に関 す る若 i二の覚 書 き り,縦 軸 に 当該 婦 人 の第 1子 出産 時年 齢 (た だ し, これ は,婦 人 の調 査 時年齢 か ら, そ の 婦 人 の第1子 の調 査 時年 齢 を差 しノ引 いた値 ) を と る。 この図 で用 いた3種 類 の年 齢 (初婚 年齢 ,調 査 時年 齢 ,お よび第1子 の調 査 時年 鶴 , いず れ も申告 年 齢 ) がす べ て実 年 齢 に一 致 して いれ ば ,大 部 分 の婦 人 は図 中右 あが り の対 角 線 よ り上 の 「初婚後
3
年 以 内 の範 囲」
に プ ロ ッ トされ るはず で あ る。 ところが ,約 半 数 の婦 人 は対 角 線 の下 に プ ロ ッ トされ , こ れ らの婦 人 は "初 婚 以 前 の5
歳 か ら1
8
歳 まで の問 に第1
子 を生 ん だ" こ とに な る。3
種 類 の年 齢 の うち,実 年 齢 との差 が も っと も小 さ い の は第 1子 の調 査 時年 齢 で ,反 対 に実 年 齢 との差 が も っ と も大 きいの は婦人 の調 査 時年 齢 で あ る と予 想 す る こ とが で き るか ら,図2 に お いて 対角線 の下 に位 置す る婦 人 につ いて は , これ ら婦 人 の述 べ た 自 己の年 齢 が実 年齢 よ りは るか に "若 い"(す な わ ち.年 齢 の過 小 申告 が行 わ れ た ) た め に生 じた現 象 と考 え る こ とが で き る。以 上 とは反 対 に ..年 齢 の過 大 申告 が行 わ れ た可 能 性 を示 す の は,対 角 線 の は るか上 方 に プ ロ ッ トされ た3例 の婦 人 で あ る。 次 に ,横 軸 に第 1子 の調 査 時年 齢 を と って (縦 軸 は同 様), 図2
を 作 図 しな お す と 図3
が得 られ る。 第 1子 出産 時 の婦 人 の年 齢 は, ● \ 村 人 の調 韮 帖年 齢 へ申 ;=叩 齢 丁 そ の小山 1 子 京 子 ) の 糾;; 帖TT 齢 (小 告小 紙 lI if人 ・C・t爪 1 15m1 ′ 化咋 叩齢_
_
\ t I ] ( :1111了の刑丑i馴 ミ如くr柑 :柑 ) 図3 第 1子出産時年齢 と当該第 1子の調 査時年齢 との関係 お よそ,1
5
歳 を下 らず20歳 を上 回 らな い範 囲 と予 想 で きるが ,図3
に み るよ うに ,第1
子 が8歳 未 満 の婦 人 で は ,第 1子出産 時 の年 齢 が この範 囲 に含 ま れ る。 ところが ,第 1子 年 齢 が8
歳 以 上 の婦 人 の 中 に は,第1
子 出産 時 年 齢 が考 え られ な い ほ ど "若 い" 例 が み られ る。す な わ ち,仮 に ,第 1子 の 出産 が平 均 的 に1
7
-18
歳 で行 わ れ て い る とす る と, そ の第
1子 が8歳 にな る ころ は, 母 薫別ま25-26歳 で あ るか ら, この年 齢 以 前 の母 親 は 自 己の年齢 を比 較 的 正 確 に認 識 して い る者 が多 い一 方 , この年 齢 を超 え る ころか ら,母 親 の認 識 す る 自 己の年 齢 は一 向 に "歳 を と らず", 結 果 と して年 齢 の過 小 申告 が行 わ れ る こ とにな る。 な お ,第 1子LIJ.産 時年 齢 が考 え られ な い ほ ど● ● ●● ● ● ● ● 高 齢 で あ る婦 人 はわ ず か3
例 にす ぎな い が , い ず れ も'j'
;1
子 の年 齢 が1
5
歳 以 上 の婦 人 で , 第 1子 が この年 齢 を超 え る ころか ら,母 親 の 中 に は 自己の年 齢 を 実 際 よ り も "年 寄 り" に 述 べ る者 が現 わ れ る ら しい。 以 上 まで に 断片 的 に と りあげた よ うな年齢 分 布 の特 徴 的 な ゆ が み ,お よび筆 者 の経 験 か ら, ス ンダ農 村婦 人 の 自 己年 齢 の認 識 に は, お よ そ以 下 に述 べ るよ うな傾 向 が あ る ら しい と筆 者 は考 え て い る。す な わ ち , 1)女 の子 は初潮 を迎 え る ころか ら結 婚適 齢 期 に入 るが,5)この段 階 の 女 の 子 の 年 齢 は, 自 己に よ って も親 に よ って も,約15
歳 と考 え られ て い る。 2)女 の初婚 年 齢 は1
4
歳 ぐらい か ら20歳 ま で で あ るが ,最 初 の結 婚 を した ば か りの 女 ,な い し第 1子 を生 ん だ ばか りの女 の 多 くは, 自 己の年齢 を20歳 な い し25歳 と 述 べ る。6)このた め,1
5
-1
9
歳 階 級 に含 ま 5)実際には,初潮の数年前に初婚を経験 した婦人 がかな りお り,厳密にいうと女の結婚適齢期は 初潮以前の段階か ら始まる。6
)T.H.Hu
l
l[
1
9
7
5:
4
1
2
-
4
1
4
]
は, この辺の事情 を,インタビューアーである都会人に自己の早 婚を知 られた くないため年齢を過大に述べる, と説明するが,筆者は賛成できない。- 1
2
3-
2
6
3
東 南 ア ジ ア研 究 20巻2号 れ るべ き女 の うち,既 婚 者 だ けが選 択 的 に
2
0-
24
歳 な い し25
-
29
歳 階 級- 繰 りあげ られ て しま う。3
)以 降 しば ら く婦 人 の 認 識 す る 年 齢 は "歳 を と らな い" が ,実 年 齢 で お よ そ35 歳 な い し40歳 を超 え る ころ (第1
子 が娘 で あれ ば ,そ の娘 が結 婚 す るか , あ るい は は じめて の孫 を生 む ころ) か ら,婦 人 の認 識 年齢 は急 に "歳 を と り",た とえ ば5
0
歳 と述 べ るよ うにな る。4
) そ れ以 降 も同様 に ,認 識 年齢 の停 滞 と そ の後 の急 激 な増 加 が繰 り返 され る。 要 す るに ,年齢 が い くつ に な ったか ら結 婚 を しよ う, とい うの で はな く, これ とは逆 に , 結 婚 を した か ら自分 は い くつ に な った とい う よ うに ,個 人 に か か わ る eventが まず生 じ, それ に従 属 して 当該個 人 の年 齢 が 自己に よ っ て も社 会 に よ って も認 識 され て い る ら しい。 この よ うな event依 存 的 な7)年 齢 認 識 の傾 向 は,た とえ ば ,婦 人 の初婚 年齢 (申告 年 齢) の分 布 に み る こ とが で きる。79年 譜 査 時 にお いて ,既婚 婦 人 に初婚 時 の年 齢 を た ず ね た結 果 に よ る と,16歳 と18歳 の そ れ ぞ れ に ピー ク を もつ 2峰性 の分 布 が得 られ る。 この理 由を 筆 者 は,16歳 は女 子 の結 婚 最 適 年 齢 と村社 会 に お いて考 え られ て い る年 齢 に 一 致 して お り,18歳 は規 則 上 ,女 子 の結婚 可能 な長 幼 少 年 齢 で あ るた め ,筆 者 に問 わ れ た婦 人 の多 く が ,初 婚 年 齢 と してふ さわ しい年 齢(16歳 )か , ま た は結 婚 可 能 な最 幼 少 年齢 (1
8
歳 )の どち ら 7)本稿で 「event依 存 的 な-・-」 というときの eventとは,たとえば小学校への入学 ・卒業, 初潮,結婚,第1子出産,第1子の結婚などで ある。 これ らは Scottetal.[1970] のい う privateeventに属するが,ただ しこのうち自己 の記憶 に残 るもののみである。 したがって, 冒 己の出生,割礼などは含まない。なお,男の子 の割礼 は1-2歳か ら7-8歳までの間に行われ るので [Igarashi 1980」,自己の割礼体験を記 憶 しない者が多い。 264 か を選 好 した 結 果 に よ る, と考 え て い る。8) 女 子 の初 婚 体 験 は事 実 と して も比 較 的狭 い年 齢 幅 で集 中 的 に生 じるが , しか し event依 存 的 な年 齢 認 識 に もとづ いて選 好 され た資 料 は,事 実以 上 に狭 くゆ が んだ年 齢 分布 を示 す 危 険性 が あ る。9) 以 上 まで に述 べ て きた よ うな年 齢認 識 の傾 向 か ら,応 答 者 が 申 し出 る 自己 あ るい は子 供 の年齢 は, あ る方 向 へ のず れ が強 くか か った もので あ り, 同 時 に , このた め年 齢 の過 大 申 告 の生 じ易 い年齢 層 と過小 申告 の生 じ易 い年 齢 層 が ,実 年齢 の増 加 に伴 って ,交 互 に存 在 す る可 能 性 が あ り, ま た , あ る方 向へ のず れ が ,年 齢 層 に よ って は ,5
歳 間 隔 の年 齢 階 級 を二 つ な い しそれ以 上 も飛 び越 え るほ どで , 従 来 か ら考 案 され て きた い くつ か の年 齢 分 布 の補 正方 法 で仮 定 され る年 齢 の集 積傾 向10)と 合 致 しな い ほ ど激 しい場合 も予 想 され る。 さ らに , この よ うな ず れ の強 くか か った年 齢資 料 の利 用 は ,個 人 ご との年 齢 と対 で扱 う人 口 8)チグントゥ- ル村の村役人の ひとり, 宗 務 係 (amilまたは 1ebe)の話 によれば,女子の結婚 可能な長幼少年齢は18歳であるという。この宗 務係 は村で行われるすべての結婚式 に 立 ち 会 い,那 (kecamatan)の宗教局 (kantorurusan agama)か ら来 る宗教役人 (naib)が行 う結婚 届の補佐をする。 このとき,宗教役人が新郎 ・ 新婦に向か って行 う形式的質問の一つとして年 齢をたずねるが, この質問に対 しては18歳 と答 えるようにあ らか じめ宗務係が新婦へ教え込ん でお くのである。筆者はこの場面を何回か 目撃 する機会があった。 9)以上 と同様な年齢 の認 識 傾 向 を T.H.Hull [1975:412]も,例をあげて,指摘する。すなわ ち,実年齢が16-17歳であった生徒の例を引き, この生徒が10-14歳階級に区分されていた理由 を,実は落第経験を もつにもかかわ らず,現在 属する学年にふさわ しい年齢を申 し出たため生●●●●● じた,と説明する。 10)たとえば,特定年齢-の集積が,その年齢を含 む年齢階級でのみ生 じているとい う仮定,ある いは集積のある年齢の前後数歳の間に実際人 口 が等差級数,ゴンペルツ曲線などの特定分布を しているとい う仮定など。 - 124-五十嵐 :個 人年 齢の推定方法 に関す る若干 の覚書 き 学 的 あ るい は人 間生物 学 的 資 料 の 利 用 価 値 を , い ち じる しく減 じる。 こ こに ,個 人 ご と に妥 当 な年 齢 を何 らか の方 法 に よ り推 定 せ ざ るを得 な い最 大 の理 由 が あ る。
Ⅱ
I個 人年 齢推 定の 試 み 前 節 で そ の一 端 が明 らか にな った よ うに , ス ンダ農 民 の述 べ る年 齢 は ,多 くの場合 ,近 しくな い。11)しか し, い うまで もな く, 彼 ら は ,Howell[1979:25] が !Kung につ いて い うよ うに , "年 齢 の概 念 を もた な い人 々" で はま った くな い。 そ れ ど ころか ,少 な くと も筆 者 が接 した人 々は ,出生 年 か ら現 在 年 ま で の経 過 時間 が umur (年齢 ) で あ る こ と ぐ らい は知 って い る。12)た だ ,村人 が しば し ば い うよ うに , 出生 年 を "書 き留 め て お か な い" ので "忘 れ る" 結 果 ,ふ だ ん は気 に も留 めな い年 齢 を ,た とえ ば筆者 に問 わ れ る と, event依 存 的 に "推 定" す るので あ る。村 人 自身 に よ って "推 定" され た年齢 が ,す で に 述 べ た 「申告 年 齢 」 で あ るが , これ が実年齢 ll)「年齢」 を文化的脈絡でみる立場か らは, この 表現は適切でないかもしれない。この見方にた つ限 り, もっとも近い過去の誕生 日までの経過 年数を年齢 とする方式 (満年齢方式)はむろん, もっとも近い将来の誕生 日までの経過年数を年 齢 とする方式 [Chamratrithirongeial.1978] や,出生時を1とし,新年を迎えるたびに 1を 加算する方 式 (数え歳方式)[You 1959] に 従 って述べ られた年齢だけでな く,ス ンダ農民 の述べる年齢 もまた正 しいといえるかもしれな●●● いo しか し,前三者が毎年一定の日付 (誕生 日 ないし新年)を基準に1を加算するとい う意味 では,いずれ も暦年齢であり, したがってわれ われの必要 とする満年齢-の換算が可能である のに対 して,ス ンダ農民の場合はそれが不可能 であるとい う点で決定的に異なる(, 12) したがって, 自己 (または子供)の出生年を記 憶 している村人は,現在年か ら出生年を差 し引 いた残 りを年齢 として答える。ただ し,誕生 日 前は1歳を減 じるというような満年齢方式を承 知 している村人に, 筆者 は出会 っ たこ とが な い。 に近 い ものか , あ るい は どの程 度 隔 た った も のか を推定 ・確 認 す る過 程 が ,以下 に そ の概 要 を述 べ る一連 の作 業 で あ る。な お ,以下 の 記 述 は,原 則 と して調査 時 に対象 部 落 に属・住 して いた者 を念 頭 に お いて お り,す で に移 出 した者 ,す で に死 亡 した者 につ いて は考 慮 し て いな い。 1)過 去 の 出来 事 を利 用 す る方 法 村人 に広 く知 られ て い る過去 の「出来 事」13) か ら,発 生 年代 の判 明 して い る もの を選 び , あ る個 人 の事件 発 生 当時 の記憶 (ま だ赤 子 で あ った ,小 学 生 で あ った ,な ど) を も とに , 現 在 の年齢 を推 定 す る方法 (以 下「出来事 法 」 と仮 称 す る)は,Fortes[1954:271] に よれ ば "通常 の民 族誌 的技 術" と い わ れ る ほ ど で ,後発 地 域 の小 社 会 を対象 とす る多 くの分 野 で広 く使 わ れて きた だ けで な く,大 規模 調 査 にお いて も援 用 され る こ とが あ る。 ジ ャワ 島村落 社 会 を対象 と した い くつ か の調 査 に お いて も利 用 され て きて お り,14)また イ ン ドネ シアの1971年 と1980年 のセ ンサ ス時 に もこの 方 法 が併 用 され て い る[
BPS
1971:17;1980 :21-22]。 この方 法 を適 用 す る場合 , まず は じめに行 う作 業 は ,過 去 の 出来 事 を発 生 年 順 に並 べ た 義 (これ を以 下 , 「出来事 表 」 とよぶ ) を 作 成 す る ことで あ る。 表2は ,筆者 がサ ラム ン カル部 落 で この方 法 を試 みた際 に用 いた 出来 事 表 (た だ しス ンダ語 か ら 日本語 へ の仮 訳 ) 13) ここでいう 「出来事」 は, Scottetal.[1970] の用語に従えば Hpublicevent"である。 本稿 では 「出来事」,Hpublicevent"のいずれをも 用いる。なお注26参照。 14)たとえば, ジャワにおける出生力に関するパ イ オニア的研究 [Ⅴ.∫.Hull 1980] といわれる Singariml)un らによる Mojolama Project [Singarimbuneial.1976]をはじめ,T.H. Hull [1975],Ⅴ.∫
.Hull[1975:63],加 納[1979:35-37],Mantra[1981:37-38],Sajogyo eial.[1980:34]などO
東南 アジア研究 20巻2号 蓑 2 出 来 事 表
事
件
番
号
1. 2. 3. 4. 5. 6. 7. 8. 9. 10. ll. 12. 13. 14. 15. 16. 17. 18. 19. 20. 21. 22. 23. 24. 25. 26. 27. 28. 29. 30, 31. 32. 33. 34. 35. 36. 37. 38. 39 40 41 66 2 発 生 年 月 日 1981年9月17日 ? 1981年7月26日 1981年4月 1980年11月14日 1980年10月 1980年7月 1980年6月 9 1980年5月 ? 1980年 ? (雨季) 1979年2月 1日 1979年1月 9 1978年1月 1977年5月2日 1976年10月1日 1976年7月17日 1976年 ? 1975年 9 1974年12月1日 1974年1月15日 1972年91973年 9 1971年 9 1971年9-10月 1971年7月 1970年6月21日 1968年 9 1968年 は じめ 9 1967年Rewah月 Puasa月 1967年 1月28日 1966年 ? 1966年 9 1966年7月1日 1966年3月11日 1965年12月 1965年9月30日 1964年 1964年5月3日 1963年91964年 9 1963年8月5日 1962年4-6月 1961年10月 1960年 91961年 ? (雨季はじめ) 出 来 事 (publicevent)*
事件発 生か ら調査時現 発生年 H.Usman氏, は じめて蛍光燈 を購入 日本人再び来 た る コ レラ流行 Paseh郡 よ りIbun郡 が分離独立 第3回国勢調査 Rukman氏,村長 となる (Danta村長やめる) H・Usman氏, は じめて ミカ ンの苗を購入 Usin氏, は じめて稲の短梓品種を導入 Bojong部落で大洪水 日本人来 た る (同年5月末まで滞在) Sujana氏, は じめて テ レビを購入 Rasyidi氏,宗務係 となる (Dahlan宗務係や める) 第 3回総選挙 (PasirPanjang部落で投票) PasirPanjang部落 の小学校 (Inpres)開校 東 チモール, イ ンドネ シア共和 国の1州 となる Ciluluk村,Paseh郡 よ りCicalengka郡 に編入され る Sujana氏, は じめてバ イクを購入 Caca氏,書記 とな る (Rukman書記やめる) 反 日運動 (Malari) H.Usman氏 とDayat隣組長, は じめて nila(ア フ リカ 原産 の淡水魚 , Titabia ntloltca) を導入Bahri氏,第19隣組長 とな る (Suganda隣組長やめ る)
第2回国勢調査
第2回総選挙 (Sardag6部落で投 票) 前大統領Sukarno逝去
Dayat氏,第20隣組長 とな る (Sujana臨時隣組長や める)
Surya第20隣組長 ほか, は じめて スマ トラへ移住 (Sujana
氏,臨時第20隣組長 となる) 飢鰻 Rukman氏,書記 となる (Harom書記やめる) Udin氏,第19隣組長 となる (H.Darajat隣組長やめる) Karmana氏 の息子 Amin, は じめて病院で割礼 を受 ける Cig苔ntur村第4小学校 開校
SullartO将軍,権力を握 る (Sukarno大統領退 官,Super・ semar) 1,000ル ピア,1新ル ピア と命名 され る 9 g謂 鎧 ((sGaekS.tlaaP¥ま・yat),小学校 (sak。1adasar)と名称 変 更 マ レー シア紛争 (Dwikora) Darman氏,第21隣組長 とな る (Saryo隣組長や める) 東 イ リア ン, イ ン ドネシア共和 国の1州 となる (イ リア ン 紛争 Trikora,196卜1963年) Dar'ullsla
m
討伐作戦 (1962年 6月4日KartosuWiryo捕 わる) 第 1回国勢調査 Sukarame部落で大風 - 12 6-3月 ? 5月 8月 1年1月 1年2月 1年5月 1年6月 9 1年7月 9 1年10月 ? 2年10月 2年11月 9 3年11月 4年7月 5年2月 5年5月 5年 9 6年 ? 7年 7年11月 8- 9年9 10年 ? 10年2-3月 10年5月 11年6月 13年 ? 13年 ? 14年 14年11月 15年 ? 15年 9 15年5月 15年9月 16年 16年3月 17年 17年7月 17-18年 9 18年4月 19年6-8月 20年2月 20-21年 ?42. 43. 44. 45. 46. 47. 48. 49. 50. 5
1
.
52. 53. 54. 55. 56. 57. 58. 59. 60. 61. 62. 63. 64. 65. 66. 67. 68. 69. 70. 71. 72. 73. 74. 75. 76. 77. 78. 79. 80. 81. 1959年7月28日 ? 1959年7月 5日 1957年 ? 1956年Mulud月9 1955年9月 1955年4月18日 1953年 9 1951年8月31日 1949年7月 ?(乾季)1
949年9 1948年2月1日よ り 1947年末 ?1948年9 1947年91948年 9 1946年10月20日よ り 1946年3月23-24日 1945年8月17日 1944年末 ? 1944年 9 1942年 ? (乾季) 1942年3月1日 1939年9 1934-1936年 9 1931年 9 1930年 9 1930年12月18日 1930年10月 1928年10月28日 1927年 ? ? 1920年10月12日 1920年4月 1919年 7月 1918年 9 9 C) 1913年 ? ? 1901年5月22-23日 1894年10月18-19日 1884年8月26-28日 * 出来事欄で使 われ る 五十嵐 :個 人年 齢 の推 定方法 に関 す る若干 の覚書 き 3人 の兵士 (OPR),Dar'ullslam によ り銃殺 指導 された民主主義Danta氏,村長 とな る (H.Karmawinata村 長やめる) 兵舎,Dar'ullslam によ り焼打 ち,兵士3人撃 たる 第1凪総選挙 (Cigentur部落で投 票) バ ン ドン会議 Oma氏,第7区長 とな る 降灰 (Kelud山の大噴火 による) Oma氏宅,共和 国軍 によ り焼打 ち S
より
a
l
a
m
封鎖さ
u
n
g
k
a
l,Bingkur,Cilodongの3部落, 共和国軍に
れる Siliwangi師団,中部 ジ ャワ-撤退H・Karmawinata氏 ,村長 となる(H.Junaedi村長やめ る)
Abdul氏 自殺 日本軍 票 と共和国通貨 の交換 バ ン ドン火 の海事件 独立宣言 H・Juna色di氏,村 長 となる (Adiwisastra村長やめる) Uriya氏,妻を殺害 熱病流 行 日本軍上陸 生活改善運動 疫病
Adiwisastra氏,村 長 とな る (Jayadikarta村長や める) モスク建 立 降灰 (2回 冒,Merapi山の大噴火 による) 国勢調査 青年 の誓 い Salasih山頂 の山火事 職 田 (carik),Drawati柚 こ奪 わ る 降灰 (1回 日,Merapi山の大噴火 による) 小 学校 (polohsul)開校 Cimarem6事件 Jayadikarta氏,村 長 となる (H.Saleh村長やめる) Cilodong部落大火 Salasih山の聖地で地すべ り H・Saleh氏,村 長 とな る (H.Amir村長やめ る) H.Amir氏,村長 となる Kelud山大噴火 Galunggung山,最後の大噴火 Krakatatl山大噴火 A C A A C C A C A
A
C A A C C C A A A C A A A A C C C A A C B C A A A A A C C C 22年5月 9 22年5月 24年 ? 25年2月 9 26年3月 26年8月 28年 9 30年4月 32年5月 93
2年 ? 33年10月 33-ノ34年 9 33-34年 ? 35年2月 35年9月 36年4月 37年 ? 37年 9 39年 ? 39年9月 42年 9 45∼47年 9 50年 ? 51年 9 51年 51年2月 53年2月 54年 ? 58年 ? 61年2月 61年8月 62年 5月 63年 ? 65年 ? 66年 ? 68年 ? 75年 9 80年7月 87年2月 97年4月 =は じめで 'とい う表現 は, それがサ ラム ンカル部落で はは じめての ことで あ った とい う意味で ある。 **A:
村人 あるいは役場 の職員の記憶 のみによるo B :村人,役場,学校 などが保存す る何 らかの記録による。 C :書籍,論文,新聞 などによる (ただ し,参考 に した書籍類 の リス トは割愛 す る)0*
*
*
1981年12月現在 。 - 127- 267東 南 ア ジ ア研 究 20巻2号 で あ る。 ある出来 事 が広 く村人 に知 られ て い るのか , あ るい は イ ンフ ォー マ ン トとな った 人 物 の みがた また ま知 って いた のか を事 前 に チ ェ ックす る こ とはむ ずか しいか ら,で きる だ け多 くの村人 か ら, で きるだ け多 くの 出来 事 を採 集 して お く方 が安全 で あ る。 過去 の 出 来 事 を村人 か ら採 集 す る過程 で は,村人 自身 が国家 的事 件 を述 べ る こ とはほ とん どな いた め ,村人 に広 く知 られ て い る と予想 され るい くつ か の 国家 的事件 を付 け 加 え る こ と に よ り,
1
年 な い し2
年 きざみで 出来 事 を並 べ ら れ るほ どの数 が集 ま るまで, 聞 き込 みを行 う 必 要 が あ る。Ki
r
k[
1
9
75
]は,Ga
族 で行 な っ た 出来 事 法 に よ る年 齢 推定 は満足 すべ き結 果 を生 まな か った と し,そ の第1
の理 由 と して, ほぼ等 間 隔 で発生 した十分 な数 の 出来 事 を集 め得 なか った こ とを あげて い る。 発生 年 が ほ ぼ等間 隔 の 出来 事 を数 多 く採 集 で きるか ど う か が ,出来 事 法 に よ る年齢 推定 の成否 を きめ る一 つ の鍵 とな るが ,筆者 の作 成 した 出来 事 義 (表2)は,この条件 を,と りわ けオ ラ ンダ 時代(
19
4
2
年以 前 ) にお いて満 た して い る と はいえな い。 出来 事 表 を作成 す る過程 で の 最 大 の 困 難 は,事件 の生 じた年 の推定 ・確認作 業 で あ る。 国家 的な事件 あ るい は大規模 な 自然現 象 は, 一般 の出版 物 に よ って そ の発 生 年 を知 る こ と がで きるが (これ らの 出来 事 を表2にお いてC
に分 類 した),部 落 な い し行 政 村 レベ ル,あ るい は数 力村 にまた が る程度 の局 地 的 出来 事 の大部 分 は,村人 の記憶 か ら発 生 年 を推 定 す るほかは な い。15) 局地 的 出来 事 の発 生 年 の推定 は,(∋す で に 発 生 年 の判 明 して い る出来事 との時間 的前 後 関係 を確認 して ,お よそ の幅 を知 り (た とえ ば,19
45
年 か ら19
49
年 の間 , とい うよ うに), 15)たとえば,チブントゥ-ル村の歴代村長の就任 年を記録 したものさえ存在 しない。 268 次 に④ 自 己の生 年月 日の記 録 を 有 す る 村 人 に,16)事件 当時 の記憶 を たずね (た と え ば , 小 学 枚 の何 年 生 で あ った か , な ど), これか ら逆 算 して 当該事件 の発 生 年 の幅 を狭 め る, とい う手続 を ,少 な くと もふ た り以上 の村人 につ いて独 立 に行 い,結 果 が一致 した ものを 採 用 す る, とい う方 法 で行 な った。 この後 半 の手 続 は, い うまで もな く,出来事 法 によ る 年 齢 推定 の逆 利用 で あ る。 以 上 の手続 は, もっぱ ら村人 の記憶 に頼 る た め,2
件 以 上 の事件 の時間 的 前後 関係 が イ ンフ ォー マ ン トに よ り一致 しな か った り,当 時 の村 長 の名 前 さえ異 な る, とい った多 くの 不 一致 に悩 ま され る。 筆者 は,過去 の記憶 の 正 確度 を ,(9村行政 の経 験者 な ど,当時何 ら か の役職 に就 いて いた人 , あ るい は村人 に よ って記憶 力 にす ぐれて い る とみな されて い る 人物 に対 して ,@ ある期 間 (た とえ ば数週 間) を お いて再 び同様 な質 問 を行 い ,そ の答 が同 じで あ る こと,かつ ,④他 の事件 との前後 の 脈 絡 を よ く 記憶 して い るか , 何 らか の 根 拠 (た とえ ば ,"私 が教 師 と して村 の学校 に赴 任 した の が19
6
1
年7
月1
日で , ち ょうど翌 年 の 乾季 に例 の事件 が起 こ った",な どの よ うに) が あげ られ て い る こと,な どを基 準 に記憶 の ラ ンク付 けを行 い, もっと も蓋 然性 の高 い も のを採用 した. この手 続 は, イ ンフ ォー マ ン トと して の適格者 さが Lか ら始 め る必 要 が あ り,近 隣 の部 落 はい うまで もな く, と きに は チ グ ン トウー ル村外 にまで 出向 くこ と も必 要 で あ った (以上 の手続 に よ り発 生 年 の推定 ・ 確認作 業 を行 い得 た ものを 表2
でA
に 分 類 し,推定発 生 年 に は一律 に ?を付 して あ る)0 以 上 のよ うな手 続 を行 な って もな お ,発 生 年 の推定 が困難 で あ った例 も少 な くな い。た 16)何 らかの形で生年月 日の記録が存在 していると して も,その記録は実際の生年月 日とは異なる が,その差は申告告齢にもとづ くものよりはま しであると筆者は予想 している。- 1
2
8-五十嵐 :個 人年 齢 の推 定 方法 に関す る若干 の覚書 き
とえ ば
,4
0
な い し5
0
歳 以 上 の村人 の多 くが知 って い る と予 想 され る,Sitiとい う名 の老 女 の首 つ り自殺 事件 (Kajadian SitiGantung といわ れ る) は, そ の例 で あ る。 また ,天 然 痘 は現 在 で も毎 年少 数 の患 者 が発 生 す るが , そ の大 流 行 の年 は比 較 的最 近 の 出来 事 で あ る ら しい に もか か わ らず , お そ ら くこイ ンフ ォー マ ン トが 自分 な い し自分 の子 供 が曜 患 した年 を大 流行 の年 と述 べ る傾 向 が あ る ら し く,発 生 年 の確 定 は不 可能 で あ ったJ 局 地 的 な 出来 事 の うち ,村人 が保 存 して い た何 らか の記 録 か ら発 生 年 の確 認 がで きた も の もあ る (これ を表2
で はB
と して分 類)0 依 拠 した記 録 は,そ の ほ とん どが辞 令 (surat keputusan)で ,少 数 な が ら, あ る特 定 人 物 の卒 業 証 書 (sertipikatま た は ijasah),土 地 証 文 (segel)な どか ら も,発 生 年 確認 に必 要 な 間 接 的 情 報 を得 る こ とが で きた 。 しか し, この よ うな方 法 で発 生 年 が確認 で きた例 は非 常 に少 な く,1例 を 除 くと,17)い ず れ も 最 近15年 以 内 に生 じた 出来 事 で あ る。18)以 上 の よ うに ,発 生 年 確 認 の手 段 は三 つ に分 類 す 17)この例外は,チグントゥ-ル村にはじめて3年 制の小学校 (polohsul)が開設 された年である。 これは,81年調査時に約70歳 (推定)の老人が 保存 していた卒業証書か ら卒業年次 (1923年 4 月)が判明 し, この老人が第 1回生であったと いう記憶か ら,学校開設を1920年 4月 と推定で きた。 18)村人の保存する何 らかの書かれた記録か ら局地 的事件の発生年を確認する作業 は,当初の予想 よりはるかに困錐であった。というのは,Dar'ul lslam の活躍時代 (この時期 を村人は Jaman Gerombolanとよぶ),
Dar'ullslamのゲ リラ と,これを討伐する政府軍兵士 との双方により, 多 くの家が放火されたこと,また幸い火災をま ぬがれた家で も,この時期の疎開による混乱で, 記録を紛失 した村人が多いためである。なお, ジャワ人の村落では村人が重要な出来事の生 じ た年月 日を自分の家の壁,柱,扉などに書 き付 けてお くことがあるとい うが [Ⅴ・J・Hull1975: 34], サ ラムンカル部落ではこのような例 を み つけ出す ことがで きなかった。 る こ とが で き るが , この うち, Cに分 類 され る もの が正 確 度 にお い て優 り,A
に属 す る も の が も っと も劣 る とい うよ うに ラ ン ク付 けを す る こ とが で き る。 T.H.Hull[1976a]は,国家 的 な い し広 域 的 な 出来 事 と局 地 的 な 出来 事 とを, それ ぞ れ別 の表 に して お くこ とを す す めて い る。 しか し サ ラム ンカ ル部 落 の場合 ,多 くの 村人 , と り わ け女 は外 界 で の 出来 事 に無 関心 で あ り,た とえ ば 前大 統 領 ,現 大 統領 の名 前 す ら知 らな い の か普 通 で あ るか ら,9
.
3
0
事 件 や ス カ ル ノ 前大 統領 の逝 去 を , 出来 事 と して用 い る こ と は ほ とん ど意 味 がな い 。一方 ,同 じ国家 的 出 来 事 で あ る総 選 挙 は,それ が総 選挙 (pemilu) で あ ったか ど うか を村 人 が知 らな くて も,投 票 を行 な った とい う事 実 は ,そ の体 験 者 な ら ば 記 憶 して い る。19'い ま一 つ例 を あげ る と, 有 名 な 「バ ン ドン火 の 梅 事 件」
(Peristiwa LautanApiBandung)は,この ま ま の表現 を 用 い る限 り,多 くの村人 は知 らな い と答 え る。 しか し,バ ン ドンか ら多 くの避 難 民 が サ ラム ンカ ル部 落 へ や って きた事件 ,と説 明 す れ ば, お よ そ40歳 以 上 の村 人 の多 くは思 い 出 して く れ る。 い うまで もな く, あ る出来 事 が村 人 の 言己憶 に残 って い るか ど うか は, そ れ が 国家 的 な い し広 域 的 な ものか 局 地 的 な もの か の違 い に よ るので はな く,村人 とのか か わ りが直 接 的 に あ った か ど うか に よ るので あ る。 照 準 とな る出来 事 の選 択 と と もに重要 な の は , そ の 出来 事 を村 人 が言 及 す る際 に用 い る 表現 ・通 称 を 調 べ て お くこ とで あ る。 1962 午 (4月 ごろか ら6月 ご ろ ま で ら し い) の 「Dar'ullslam 討伐作 戦 」 と1967年 (11月 ご ろか ら翌 年 1月 ごろまで ) の 「飢 鍾 」 は,料 人 が も っ と も頻 繁 に照 準 と して言 及 す る出来 19)村役人のひとりによれば,選挙権は18歳以上の 者,およびこの年齢に達 しない既婚者に与え ら れるという。 - 129- 269東南 アジア研究
2
0
巻2
号 事 で あ るが, そ れ ぞ れ,Jaman Pager Bitis す ね (膳 で柵 を 築 い た こ ろ),20'Jaman Gabeng か す (キ ャ ッサバ の 残 り 韓 を 食 べ た ころ)21)と表 現 され , これ以 外 の表現 を用 いて この 出来 事 を村 人 に思 い出 させ るの は 非 常 に 困 難 で あ る。 以 上 に述 べ た手 続 が ,年 齢 推 定作 業 開始 以 前 の準 備期 問 に行 わ れ た作 業 の あ らま しで あ る。22) さて , 出来 事 表 が で きる と, これ を片 手 に 年 齢 推定 の イ ンタ ビ ューを 開始 す る。 この手 順 は ,誰 が行 な って も同 じ結 果 が得 られ るよ うに標 準化 され て い る必 要 が あ る と筆 者 は考 え るが , しか し, 出来 事 法 が広 く使 用 され て い る割 に は , この手順 を記 載 して い る報告 は 少 な い。 筆 者 が行 な った イ ンタ ビュー は , こ の事 )TBを比 較 的 詳細 に述 べ て い るSc
o
t
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αJ
.
[1970]に準 拠 して い る。 そ の概 要 は以 下 の よ うで あ る。 まず ,年 齢 を推 定 され る対象 とな る者 の 申2
0
)
この事件が起 きた背景,およびPagerBitisと いう通称についてはJackson[
1
9
8
0:1
8
]
に詳 しい。2
1
)1
9
6
7
年の乾季作米は大変な不作で, しかもこの 年は雨季開始が異常に遅れたことにより畑作物 の植付けが不 可能であったため,不作の乾季作 米はむろん,前年の雨季開始時に植え付けたキ ャッサバ も食べ尽 くして しまった村人は,比較 的被害の軽かっ たガルー ト方面に出稼 ぎ に 行 き,そこで労賃 として得たわずかばか りの米を, キ ャッサバか ら澱粉を とりきった残 り揮 (これ をgabengという) と交換 し,主食がわ りに し たという。なお,サ ラムンカル部落における農 耕暦 についてはlgarashi[
1
9
8
1
]
,五十嵐[
1
9
81
b]を参照。2
2
)
表2
に載せた出来事は,最後の三つ (Kelud山, Galunggung山,KTakatau山の大噴火)を除 くと,すべて, この準備段階において,少な く ともひとり以上のインフォーマ ントが体験 して いるものである。上記三つの出来事 は最高年齢 者をチェックする目的で付け加え られたが,年 齢推定作業終了時まで これ らのいずれかを体験 した者 はひとりも現われなか った。なお,本稿;執筆 中の
1
9
8
2
年4
月5日早 朝,Galunggung山が約
9
0
年ぶ りに大噴火を起 こし,大量 の灰 を 降 らせた。27
0
告 年 齢 (本 人 ま た は親 な どに よ る), な い し そ の人 物 を観 察 した と きの筆 者 の印象 に も と づ く予 想 年齢 か ら,5
な い し6
歳 を差 し引 い た年 数23)だ け調 査 時現 在 か らさか の ぼ る ころ に発 生 した 出来 事 を , 応 答 者 (「年齢 を 推 定 され る対象 とな る者 」 と, この 「応 答 者 」 は 同一 の場合 も異 な る場合 もあ る)24)が 記 憶 し て い るか ど うか た ず ね る。 応 答 者 が ,覚 えて い な い , あ るい は知 らな い と答 え た場合 は , 出発 点 とな っ た 出来 事 か ら 新 しい方 へ 数 年 (と きに は古 い方 - 数 年 ) の範 囲 か ら, 応 答 者 が記憶 す る出来 事 を さが し出す 。応 答 者 が 覚 え て い る と述 べ る出来 事 が みつ か った ら, さ らに そ の前 後 数 年 に生 じた 出来 事 につ いて も同様 に た ずね , も っ と も古 い記 憶 , そ の次 に古 い記憶 ,・・--とい うよ うに並 べ て記 載 す る。 この と き,応 答 者 が記 憶 す る とい う出来 事 を ,応 答 者 自身 が実 際 に み た り体 験 した の か ,そ れ と も事 件 発 生 後 何 年 か た って か ら人 づ て に聞 い て知 るに到 った の か の確 認 を して お く必 要 が あ る。25)2
3
)
ここで5
ない し6
年を差 し引 くのは,ある個人 のもっとも古い記憶 は 5-6歳 ごろの記憶であ ろう, という予想にもとづ く。2
4
)
応答者以外の人物の年齢を推定する場合 とは, そのほとんどが母親を応答者 として,その実子 の年齢 (ないし妊娠歴)を推定する場合である。 このほか少数なが ら,高齢によりボケていた り, 耳が遠いため,本人 との会話が成立 しない場合, 応答者が筆者の問に答えたが らない場合,明 ら かに虚の応答ばか りする場合などが含まれる。 また必要 に応 じて,すでに故人 となった人物, あるいは他地-移出 した者の年齢推定を行 う場 合 も, この例である。 25)出来事の発生年を確認する過程で しば しば体験 したことであるが,発生年があらか じめ書籍な どか らわかっているもの,たとえば1
9
2
8
年の「青 年の誓い」を,インフォーマ ントの記憶力のチ ェックのためにたずねてみたところ,一様に実 際の発生年を下 った年代 (たとえば1
9
4
0
年代) の出来事 と考えているらしいことがわか った。 このように,中央での出来事を村人が記憶 して いる場合で も,当時の交通ないし通信事情など か ら,村人の耳-入 るまでかなりの年月を経 る 場合 もあることを留意 してお く必要がある。- 1
3
0
-五十嵐 :個人年齢 の推走方法 に関す る若干 の覚書 き 次 に , それ ぞ れ の事件 が発 生 した 当時 ,午 齢 を推 定 され る対象 とな る者 が "どの よ うで あ った か", 具体 的 に は,た とえ ば , 生 れ て いた か ど うか ,ハ イハ イがで きるよ うに な っ て いた か ど うか ,簡 単 な仕 事 の手伝 いが で き るよ うにな って いた か ど うか ,学校 の何 年生 で あ った か (これ を
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の性 質 か ら, もっと も蓋 然性 の高 い年 齢 を仮 定 し, これ に 当該事件 の発 生 年 か ら現 在 年 まで の経 過 時間 (年単位 ) を加 算 す る こ とに よ り,応答 者 の記憶 す る 出 来 事 の 数 だ け,年 齢 の推 定値 を得 る こ とがで きる。 以 上 に概 要 を述 べ た手 順 の うち,年 齢 推定 の精度 を大 き く左 右 す る要 素 の一 つ は, どの よ うなpr
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を用 い るか で あ ろ う。 い うま で もな く利用 す るpr
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は, 仮 定 し得 る年 齢 幅 の狭 い もの は どよ い。 この た め,筆者 は, あ らか じめ試 行 を行 な って , 当時 "どの よ うで あ った が 'を村 人 が何 に注 目 し, どの よ うに表現 す るか の リス トを作 成 し, この うちか ら,仮 定 し得 る年 齢幅 の比 較 的狭 い もの を選 び 出 して お き,実 際 の イ ンタ ビュー に 当 って は ,該 当す る表現 を応 答 者 が 述 べ るよ うな 出来 事 を みつ け 出す努 力 を行 な った 。 筆 者 が実 際 に 用 い たpr
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の う ち,そ の い くつ か と,それ ぞ れ に対応 す る年 齢 の仮 定値 を表3
に示 す 。 この表 に かか げたpr
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の うち,発達 に関 す る もの(3
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という用語 を用いているが, これは本稿で これまで使用 し て きた 「出来事」ない し 「事件」に相当する。 参考 と し,労働へ の参加 度 (1
4,23-24
)
,結 婚 時期 に関 す る もの(
25-29
)
は,79
年調 査 に もとづ い て [五 十嵐19
81
b],
もっと も蓋 然性 の高 い年齢 を仮 定 して あ る。27' あ るpr
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とあ る年 齢 を1
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に 対応 させ る こと 白身 が問題 を含 み , 出来 事 法 に よ る年齢 推定 の弱 点 と考 え るが , 中で も表 3で もっと も問題 とな るの は小 学校 の学 年 と 年齢 との 関係(
15-2
1) で あろ う。 一般 に ,母 親 は 自己の乳幼 児 の年 齢 (な い し月 齢 ) を正確 に数 え るが ,子 供 が学 齢期 に 近 づ くころか ら しだ い に あやふ や にな って く る。少 な くと も満 年齢 方 式 に よ る年 齢 の数 え 方 を知 らな い村 人 が , 自分 の子 供 が学 齢 期 に 達 した と判 断す る 根 拠 を 「年 齢 」 にお いて い るのか ,それ と も何 か別 の方 法 で判 断 して い るのか は,筆 者 の79
年 調 査 時 か らの 関心 事 で あ った が ,お よそ村人 は以 下 に述 べ るいず れ か の仕 方 で 自己の子 供 の学 齢期 を知 る ら しい。
自 己の子 供 が学 齢 期 に達 した と判 断す る伝 統 的方 法 は二 つ あ る。 そ の一 つ は,乳 歯 の脱● ● 落 に注 目す る こ とで ,筆 者 が子供 の年 齢 を質 問す る と,即座 に答 え られ な い親 が子 供 に向 か って 「何 本 歯 が抜 け落 ちた ?」
(
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)
とたず ね る こ とが あ る。1
本 抜 け落 ち る と7歳 にな った (2本 抜 けた ら7歳 だ , とい う村人 もい る), とい うよ うに , 脱 落 した乳 歯 の本 数 と年 齢 との問 に は,彼 らな りの対応 表 が あ る ら しい。 こ の 対 応 関 係 をGa
族 とKi
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族 で 調 べ たKi
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76]
に よれ ば , 最 初 の乳 歯 脱 落後 , 後 継 の永 久 歯 (下顎 の 中切歯 ) が萌 出開始 す る年 齢 を ,男 で は6Ii歳 ,女 で は5%歳 と して い るので ,村 人 に よ る上 記 の言 質 はか な りの妥2
7
)
ただ し,表3
に示 した年齢の仮定値は,調査遂 行上,年齢の推定値をひととお り算出してお く 必要があったために用いた暫定値であって,再 考を要する。 - 131- 271東南 7ジア研究
2
0
巻2
号表
3 Pr
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の例 と年齢 の仮定値活動番号
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(よ く聞かれる表現) およその意味 年齢の仮定値(読)**
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妊娠8
カ月 目 出産 したばか り 自分では動けない状態 横向きに動ける - ラバ イになれる タカバイがで きる ハイハイがで きる おすわ りがで きる た っちがで きる1
歩2
歩 あるける じょうず にあるける 走れる 学校 はまだだが, 食器 洗い 水汲み た きぎひろい 弟妹のお もり 羊 の放牧1
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2.
マ の手伝いがで きる6
在学中1
年生2
年生3
年生4
年生5
年生6
年生 卒業 したばか り 乳歯が1
本脱落 したばか り2
0
キロは担げる 田起 しがで きる 異性 に興味を もち始 める 年 ごろ 初婚を したばか り 最初 の子がで きたばか り 最初の孫がで きたばか り7
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暫定値 (注2
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参照)0*
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(赤子)だ っだ 'とい う応答のあった とき, さらに詳 しくたずね るための もの。 当性 を もつ 。 も う一 つ は ,片 手 を 頭 上 か ら反 対 側 の耳 -伸 ば し,指 先 が耳 介 の上 端 につ け ば学 齢 期 に 達 した と判 断 す る方 法 で あ る。村 人 に よ る と,2
7
2
オ ラ ンダ 時 代 か ら独 立 後 も しば ら く,学 校 長 みず か らが子 供 た ち に命 じて この し ぐさを さ せ ,指 先 が反 対 側 の耳 介 につ い た子 供 に入 学 許 可 を与 え る とい う選 抜 方 式 を と って い た と- 1
3
2
-五十嵐 :個人年齢の推定方法に関する若干の覚書き 蓑 4 学 年 別 年 齢 分 布* 学 年 -年 齢 別 学 童 数 6歳 7歳 8歳 9歳 10歳 11歳 12歳 13歳 14歳 15歳 1年生 4(2) 47(24) 38(20) ll(5)
1
(0) 2年生 -- 1( 0) 46(19)_.23@ 12(6) 3(1) 3年生 4年生 5年生 6年生 101(51) 89(38) 5(2) 43(23) 28(15) 9(6) 5(3) 3(1) 1( 0) 94(50)1
(0) 2(2) 44(18) 19(12) 6(2) 2(0) 74(34) 5(3) 26(13) 26(9) 6(4) 63(29) 5(1) 22(7) ll(1) 4(2) 42(ll)*
チグントゥ-ル村第 4小学校 と Jnpres小学校における1981年 9月現在の在籍学童の男女合 計を示す (カ ッコ内は女子数二)。 ア ンダーラインはもっとも頻度の多い年齢を示す。 資料は, それぞれの小学校の校長のひかえによる。 い う。筆者 が試 みに子 供 た ちに させ るのを な が めて いた母親 た ちの多 くも, それ とす ぐわ か るほ ど, この方 法 は村人 に よ く知 られ て い る。 無 作 為 に い く人 か の子 供 た ちに行 な って みた結果 で は,最 高2年 生 に まで指 先 のつ か な い子 供 が い る一方 で,入 学 以 前 の子 供 に も, す で に指 先 を反 対側 の耳 介 につ け るこ とので きる者 が み られ た 。 もとよ り,多 くの村人 が ,以 上 の よ うな仕 方 で ,子 供 が学 齢期 に達 したか ど うか を判 断 して い るので はな く,む しろ, 自分 の子供 と 同年輩 の子供 た ちが学校 に通 い始 め るのを み て , 自分 の子 供 を学 枚 に入 れ る方 が普通 ら し い。 しか し同 時 に ,同年輩 で あ るに もかか わ らず ,隣 家 の女 の子 はす で に2
年 生 で あ るの に , あなた の子供 (男 ) はなぜ まだ学 枚 に入 って いな いのか , とたずね た筆者 に対 して , 男 の子 は 発 育 が 遅 い か ら (Pamegetmah kore), 来 年学 校 に入 れ ます , と答 えた母 親 もい るよ うに ,村人 は この年 齢 期 の男女 の発 育 の違 いを よ く承 知 して お り, 自分 の子供 が 十 分学 校 に通 え るほ ど成 長 した と判 断 して は じめて通学 させ る親 も少 な くな い ら しい。 以 上 まで に述 べ て きた ことか ら明 らか な よ うに ,入 学 時 にお け る年齢 はか な りの幅 を も つ こ とを予想 しな けれ ばな らな い し,昇 級 で きな い落 第生 が い るた め,各 学 年 の年 齢 幅 は さ らに広 くな る と考 えて よ い。 サ ラム ンカル 部 落 の子 供 た ち が通 学 す る,二 つ の小 学 校 に 在 籍 す る学 童 の学 年 別 年 齢 分布 は,表4に み るよ うに ,年 齢 幅 の小 さな学 年 で も4歳 ,大 きい学 年 で は 7歳 の幅 を有 す る。28)同 一 学 年 に在 籍 す る学 童 の年齢 幅 が広 い ことは,年 齢 推 定 の正確度 を減 じる要 素 とな る。 しか し, 当時何 年 生 で あ ったか は応 答 者 が も っと も頻 繁 に言及 す る privateeventで あ る こ と,ま た ,表4に み るよ うに ,各 学 年 と も頻度 の多 い年齢 に注 目す る と,そ の幅 はせ いぜ い2歳 で あ る こ とな どに よ り,在 学 年 次 は もっと も 28)入学時には宗務係の発行する出生証明書(surat tandalahir)をもって くることが要求 される。 表4の年齢が依拠 しているのは, この出生証明 書に記載されている生年月 日である (なお,注 16参照 )。Ⅴ.
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Hull[1975:63]が信赦できる としている出生証明書は,チグントゥ-ル村の 場 合,1978年 1月以降 しかそのオ リジナルが残 されていないため,学校保存の生徒名簿ない し 卒業生名簿を利用せざるを得ない。なお,学校 の教師によれば,小学校に在学できるのは7歳 から17歳までで, 6歳の子供を親が連れて きて も原則 として入学をことわるという。 しか し,●●●●● 小学校の教師でさえ,満年齢方式で計算 しない ため (すなわち,現在年か ら出生年を差 し引い た残 りを年齢 とするため), 出生証明書に よ る 出生年月 日が正 しい場合,活 6歳の子供が入学 する可能性はある。 - 133- 273東南 アジア研究 20巻2号 重要 な