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<資料>ジョン・バウリング著『スイス商工業報告書』,ロンドン,1836年 : 産業革命期のスイスパノラマ 利用統計を見る

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全文

(1)

』,ロンドン,1836年 : 産業革命期のスイスパノラ

著者

上野 喬

著者別名

Ueno Takashi

雑誌名

経営論集

42

ページ

239-258

発行年

1996-02-28

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00005685/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

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ジ ョ ソ ・ ハ ウ リ ン グ著 『 ス イ ス 商 工 業 報 告 書 』E2 ソド ン、1836 年239

(資

料)

ジ ョン .ハ ウ リング著『スイ ス商工業 報 告書』、ロンド ン、1836年

一産業革命期のスィスパノラマー

上 野 喬 は じめに1. 前文2. アペ ソツ ェル3. ヌ ーシ ャテル4. ト ゥールガ ウ5. シ ャフ ハ ウゼソ6. バ ーゼル7. チュ ーリ ッヒ8. ア ールガ ウ9. ジ ュネ ーブ ヴ ォ ー は じ め に19 世紀 前半 のイ ギ リス にお いて 、 政治 的 に も経 済的 に も世人 の注 目を ひい た の は、 穀物 法廃 止に 象 徴 され る 自由 貿易 運 動 の 進展で あ った。 と りわけ 自 由貿 易論 者 は、 自 説 の妥当 性を 確 証し 国民 大 衆 に 教宣 する こ とを も 兼 ねて 、ヨ ー甲 ッパ 大陸 諸国 の経 済活 動 の実 態 と 輸 出入関 税制 度 の実 態に つ い て調 査を 行 な って い った 。本論 で 紹 介さ れ るジ ョ ソ 。ハ ウリ ング(J.Bowring1792 −1872年)の イ ギ リス議 会 に提 出 さ れた 『スイ ス 商工業 報 告 書戸_ 以下に お い て 『商 工業 報 告 書 』と暑 記-は、自 由貿 易論 者 と して 、漸 くイ ギ リス 国 内にお い て注 目され て きた 著者 が、1835年 に 商務 省(BoardofTrade ) から スイ スに 派 遣さ れ、 当 国 の有力 者 と 接触 し、 彼 らか ら提 供 さ れた 資 料 に基 づ き作成 さ れた、 当 時 のス イ ス連 邦 共和 国経 済 状況 につ い て の報 告書 で あ る。 行 論 の うち に 明 ら かに され る 如 く、 バ ウリ ン グの当 報 告 書は ス イ ス連邦 共和 国24州 の うち 僅 か7 州 を 扱 っ たに す ぎずレ さ らに全 産 業 では な く、 商工 業 状 態を 中心 とし た調 査 であ っ た。 しか しな が ら当 報 告書 は 当 国形 成 の約3 分 の1 の州Kanton を 扱 か った にす ぎ ない が、 行 論 の中 で著 者 もの べて い る如 く、 典 型 的 な ス イ ス の 諸 州を 紹介 す るこ とを 狙 っ てお り、 当報 告 書は ま さし く、 当 国 の経 済に つ いて の 案 内書 ス イ スパ ノ ラマ とし て の意義 を 充 分に もつ こ とがで きた のであ る。1798 年に スイ スを 侵 暑 し たフ ラン ス軍 が もた らし た 最大 の 事件 は、 当 国土 の占 領 よりもそ れまで の中世封 建 的 制度 を 廃止 し て 、そ れに 替 わ る革 命的 な近 代 市民 制度 を 導 入し た こ と であ った 。即 ち

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フ ラン ス革 命 の原 理 と もみ な され る 自 由・平 等 ・博愛 を 根本 原 理 とす る ヘル ヴ ェチ ア国 憲法 の制定 に より、 思 想 の自 由 と 「営 業 の 自由」 とが スイ ス人 の中 に急 速に 浸 透 し てい っ た。 そ し て当 国は ナ ポ レオ ンに よる 「大 陸制 度」 に 包 振 さ れな がら 、寧 ろそ の保 護 主義 を 利 用し な がら、 フ ラ ンスそし てド イ ツ地 域に 遅 れ る こ とな く、 近 代資 本主 義 構造 の創 出即 ち 産業 革 命 が推 進 さ れて い った ので あ る。 し か も当 国で受 け 容 れら れ てい っ た 「営業 の 自由」- ここ では 全 産業 の 営業 の自 由を 意味 す るー は、 こ れを 輸 出 した 革 命 国フ ラン ス よりも、 そ れの 敵国 の イ ギ リスに お い て 注 目を集 めて い た ので あ る。 リ ョン 。ハ ウリ ン グは19世 紀 イギ リス政 界に おい て も異 色 の 人 物 で あ る。 青 年 時 代 彼 は エ ク セ タ ーで 行な っ てい た商業 で成 功 せず 、 首 都に移 り住 み他 の職業 で の成 功 を 目論 んだ 出世 欲を 充 分に もった 人物 で あ っ た(2)。 彼 はベ ンサ ム主 義者 とし て当 時に お い ては 急 進主 義 者 と み な さ れ、 そ し て 自由貿 易を 信 奉 し てい っ た。1828年 に 彼 は ウィッ グのパ ー ネルに 指 名 さ れ財政 委員 会 のた めに調 査 を 行な い、 そ の後 ヴ ィ ラ ー(Viller) 等 と ともに 商務 省に 入っ た(3)。 そ して 当 省 に 入っ てか ら の彼 の 活 躍は 目ざ まし く、 自由 主義 へ の 傾 倒、 精力 的活 動、 語学 の才を 使 っ た外 国旅 行 の充 実ぶ り、そ の 結 果 とし て のヨ ーロ ッパ 諸 国 の経 済 状況 観察 の詳 細 ・正当 さに より、 イ ギ リス 有数 の国際 通 となっ てい った の であ る。 また 彼 の機 を み るに 敏な 性格 とも相 ま って 「理 論 家に し て 政 商」 と称 さ れる ま でに なっ た ので あ る(4)。1836 年 に ハ ウリ ン グは ベ ル ギ ーで 「国 際 鉄道会 社」 設 立を 企 画 し、 アン ト ウ ェル ペン ・ブ リ ッセ ル・ カレ ーそ し て パ リ問 の鉄 道事 業 推進 を 目論 んだ。 これ には パ リ の大 金融 業 者 ロ ート シ ルドや ベ ル ギ ーの製 鉄業 者 コ クリル が 参 加し た が、肝 心 のフ ランス 政府 の協力 は 得 られ ず 結 局彼 の構 想は 挫 折 してい る(5)。こ うし て多 才 な彼 の当 年 の一つ の成 果 が、スイ ス国 民 経済 の 観察 と分 析を 行 った『商 工業 報告 書 』 であ る。1836 年 末 から ロンド ンで は反 穀物 同 盟 が活 動 し てい た の であ る が、彼 もそ の 後1838年 に は、 マ ン チ ェス タ ーを 中 心 と して 自由 貿易 政策 の利 点 を 教宣 し てい る(6)。 彼 は さ ら に フ ランス とプ ロ シ ア関 税 同盟 の経 済状 況 につ い ての 報告 書 も作成 す る。 特 に 後者 につ い て作 成し た報 告 書につ い て は、1824 年 末彼 と 知 りあ っ た リスト (F.List ) が そ の主 著 『経済 学 の 国民 的体 系』 の 中 で批判 的 に 紹介 し て い るm。 こ の ような 経過 から も推 測 さ れる 如 く、 ハ ウリン グは さ ら に イ ギ リ ス自 由貿 易運 動 の盟 主 と も みな さ れ る コブデ ン(R.Cobden ) と20年 に わ た る交友 関係 を 保 っ て い た ので あ る。 ハ ウリ ン グは イ ギ リス下 院 議員 に なっ た後、1849 年 から 広 東 の領 事 や香 港総 督を つ と めた。 殊に1857年 に はイ ギ リ ス国 籍船 アロ ー号 が広 州江 で清 国 警備 員 に 拿捕 さ れた のを 機会 に、 イ ギ リス海 軍に よる 典型 的 な 砲撃 外 交 が展 開 され、 つ いに は イ ギ リス ・フ ラン ス 連合 軍に よる広州 占 領天 津攻 撃 が強 行 さ れ、 中 国は ヨ ーロ ッパ 列強 の権 益下 にお かれ る こと に な る ので あ るが、 いわ ば 香 港 総督 と して の バ ウ リ ン グの強 硬 な 態度 が この事 件 の発 端 とな っ た ので あ る(8)。

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リ ョ ン ・ ハ ウ リ ン グ 著 『 ス イ ス 商 工 業 報 告 書 』、 ロ ン ド ン 、1836 年241 バ ウ リン グ の 『商工 業 報 告書』 は、19 世紀 前半 の産 業 革 命 の渦 中に あ る スイ ス 国民 経 済の 実態を 紹 介す る 最 良 の案 内 書 とな った。 即 ち1837年 には チ ュ ーリ ッヒで ド イ ツ語 訳 が出 版 さ れ た(9)。 そ し て 当時 に お い て当 書を 最 も利用 した のは 同 じく当 国 経 済論 を 作 成 し た ド イ ツ 人 の エ ミツ グ ハ ウ ス (C.A.Emminghaus )で あ った。殊 に彼 の『 スイ ス 国民 経 済論 』第1 巻第2 部 で は こ の『商 工業 報 告 書 』 が大 々的に 使用 さ れて いる(10)。 こ うして 当 報告 書 は スイ ス産 業 革 命 観察 記 として 第一 級 の 内 容を もっ てい る。 し かし 本 論では ハ ウリ ン グが調 査 した 各州 の財 政分 析 より も、 商 工業 の実 態紹 介 に 重点 が お か れ よ う。 出 来 る限 り当 時 の商工業 の実 態 と、 当国 民 の抱 い て いた 経 済観 紹 介を 主 とす る か らで あ る。 1. 前 文 ダ ハ ウリ ン グが まず 注 目し たのは 、国家 に より保 護 規制 さ れな い スイ スの製 造業 が、漸 次 そ の販路 を 「世 界 の全 て の市場 」 に 拡げて い る事 実で あ った。 当 国 の工 場 はそ の繁 栄を保 護 立 法に は 負わ な い。「スイ スこそ 、経 済学 の 偉大 な原理 が実施 さ れた 折 の、真 実 と重 要さ との 生々 し く教 訓的 な 例を 示 す」と 予期 さ れ る とい う。当国 は「凡 ゆ る不利 な も とに おい て200 万 め人 が制 度 とし て め 自由 貿易 の実 験を 行 な っ た ので あ り、そ の反 論 の余 地な き 結果 は 、 明ら かに 、 正直 に して 無 私 の調 査官 の疑 い を 鎮 め、 また 困 難を も取 り除 く] ので ある。 この経 済 的 自由 主 義は 、 拘束 さ れな い製 造業 に よる 資本 増 加 を もた ら し、 全 般的 な国民 教育に より知 性 は増 加 し、 全 産業 は 活発 とな り、 国家 債務 は な い。 賃 金 も安 い が 、 こ れも 消費物 資 の安 さか ら 由来 す る。 土 地 も租 税 から 解放 さ れ、 人 々へ の課 税 も少な い 。 し か も当 国 は全 て大 きな 販路 か らへ だ てら れ てい るに も拘 らず 、 当国 製造 品 は世 界的 に 販 売 さ れて い る。 そ の 理 由は 「工業 は 自立 して い た」 か ら であ る。 この ため 自 由か 独占 か の闘 争 も ない。 消費 者 は;最安 値 の 市場を 、 生産 者は 最 高値 の市 場 を 目ざ す几 「 スイ スは 大 き な 政治的 自治家 族 の連 合体 で あ る」。 ハ ウ リン グは24 の州 か ら構 成 さ れ る当 国 国 政を この ように 要 約 す る。 いわ ば政 治的 地方 分 権 の基 礎に も、 自由 が 自治 が 横わ って い る。 こ うし た 自 由 の存 続 は、 当 国に おけ る関税業 務 のない こ とに 連 な り、 輸 出入 動 向を調 査 す る のに必 要 な統 計 的 数値 の欠 如 とな っ て現 わ れる。 こ れ はハ ウ リン グが 当報 告 書に お い て く丿 返 し 言及 し てい る。 こ の関 税 収入 に 代 る ものを 各州 は 通行 税(droitdepeage )と し て徴 収し 州 財政 に あ ててい る。当国 で は権力 が一 層 国民 に 近 づい てい る。 例 えば1830年 か ら13の州 で州 憲法 改正 が行 なわ れた が、 この 傾 向 か歴 然 と 現わ れ た。 さ らに 特徴 的な こ とは、 こ の民権 強 化 と とも に 自由 貿易 の気 運 が、 工業 州 の選 挙民 の 大 部 分を 占 め る勤労 者階 級に よ り支 持 さ れた こ とで あ る。 自 由原 理に 立 脚す る 民度 の 高 さ、 こ れを1831年 の リョツ 暴動 を 避け て当 国に 亡 命 して き た 絹織 工 の1 人 は次 の よう に 彼 に のべ る。 「ス イ スで 私 か踏 みつけ て い る床 は、私 かフ ラ ンスで 食 事を し た テ ーブ ル以 上に 清 潔 なの です 」。そ

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し て 当 国 の 僅 か な 資 源 、 労 働 そ し て 資 本 は こ こ20 年 来 勤 労 者 階 級 に よ り 強 力 に 自 由 に 開 発 さ れ て 驚 異 的 な 繁 栄 が も た ら さ れ た 。「 私 は ス イ ス 工 業 地 帯 の 労 働 者 階 級 の 間 ほ ど 、 繁 栄 が か く も 下 層 ま で 行 き わ た り、 か く も 拡 が っ て い る 国 は 知 ら な い 」 と ハ ウ リ ン グ は 賞 賛 す る。 し か も 彼 ら の 殆 ん ど は 土 地 持 ち な の で あ るレ「半 農 半 工 と い う彼 ら の 生 活 様 式 は 明 ら か に 幸 福 で あ る 。 彼 ら に と り 時 間 は 貴 重 で あ る 。 彼 ら の 農 作 業 が 終 れ ば 織 機 、 故 障 修 理 、 エ ン ジ ン運 転 、 製 造 業 の 様 々 な 仕 事 が 、 彼 に 注 意 を 促 が す」。 ス イ ス産 業 革 命 期 の 工 農 労 働 者(Arbeiter-Bauern ( グ ル ナ ー)) に も彼 は 観 察 を 深 め る の で あ る(12)。 当 時 の ス イ ス も 文 化 圏 と し て は 言 語 に よ り、 ド イ ツ、 フ ラ ン ス そ し て イ タV ア 語 圏 と し て 大 別 さ れ て しヽだ 。 フ ラ ン ス 語 圏 ( 当 国 の 西 部 ) で は 時 計 、 オ ル ゴ ー ル 、 宝 飾 品 が 専 ら 生 産 さ れ 、 ド イ ツ 語 圏 で は 綿 、 絹 織 物 が 、 イ タ リ ア語 圏 で は 主 と し て 農 産 物 が 供 給 さ れ た 。 こ の 言 語 圏 は 夫 々 の 言 語 国 の 当 国 へ の 進 出 と も い え る の で あ り 、各 圏 牒 夫 々 の 母 圏( フ ラ ン ス 、ド イ ツ そ し て イ タ リ ア)と の 関 係 は 強 い 。 殊 に ハ ウ リ ン グ は 、1834 年 に イ ギ リ ス 経 済 活 動 に 対 抗 す る た め に 設 立 さ れ た か の 感 が あ る 、 ド イ ツ 関 税 同 盟 の ス イ ス へ の 影 響 を 観 察 し た が 、 当 国 に つ い て み る 限 り 当 関 税 同 盟 に つ い て は 「 時 間 と 経 験 と が 、 商 人 と 製 造 業 者 双 方 の 懸 念 と 恐 れ と を 減 少 さ せ た 」 と 観 察 す る(13)。 即 ち 行 論 で 示 さ れ る 如 く 、 当 関 税 同 盟 に よ り ド イ ツ 地 域 と の 交 易 減 少 が 起 ろ う と も 、 他 国 と の 交 易 が そ れ を 補 填 す る。 ま た 外 国 市 場 で も ス イ ス 商 品 は 、 低 価 格 を 武 器 に 、 ド イ ツ の そ れ と 競 合 で き る。 で は 当 国 の 経 済 活 動 の 特 徴 は 何 か 。 ス イ ス 自 由 経 済 は ま ず 資 本 と 労 働 の 移 動 を 極 め て 容 易 に す る 。「 ス イ ス の 繁 栄 ほ ど 成 長 が ゆ る や か で 、 同 時 に そ の 基 礎 の 堅 固 な も の は な い 」 の で あ る 。 さ ら に 資 金 蓄 積 が 大 き い と い う 特 徴 が あ っ た 。 ス イ ス 、 特 に バ ー ゼ ル の 金 融 業 者 は フ ラ ン ス の ミ ュ ル ーズ を 初 め と し て ア ル ザ ス 地 方 の 工 業 資 金 の 必 要 に 答 え て い る 。 結 局 、「 国 民 の 間 の 活 動 と 勤 労 の 習 慣 に 結 び つ い た 富 の 豊 富 な 供 給一 消 費 物 資 へ の 無 課 税 、 安 上 り の 政 府 と 裁 判 所 一 中 庸 の 賃 金 、 そ し て 附 加 労 働 へ の 要 求 を 越 え な い 人 口 は 、 周 辺 諸 国 に 比 べ てス イ ス に 大 き な 利 益 を 与 え 、こ うし た 利 益 は 、 か の 諸 国 が 採 択 し た 規 制 手 段 と そ れ ら が 消 費 者 に 課 し た 新 租 税 に よっ て 増 大 し た の で あ っ た 」(14)。 ま た1833 年 に ス イ ス 連 邦 議 会 は 当 国 の 外 国 貿 易 の 方 針 如 何 に つ い て 、6 人 委 員 会 を 設 け 、 そ れ に 答 申 を 依 頼 し た が 、 当 委 員 会 の 最 初 の 報 告 書 は 、 自 由 貿 易 政 策 の 存 続 を 勧 告 す る と と も に 、 ヨ ー ロ ッ パ の 関 税 戦 争 か ら は 、 極 力 中 立 を 維 持 す べ き こ と を 答 申 し た 。 ま ず 当 国 と ド イ ツ 関 税 同 盟 の 結 合 で 実 現 す る 当 国 の プ ロ シ ア 化 へ の 恐 れ で あ 力 、 ヨ ー ロ ッ パ を 二 分 す る 利 益 団 体 か ら 、 ス イ ス は 中 立 を 守 る こ と が 肝 要 で あ っ た。 さ ら に 当 国 が 関 税 局 を 設 置 す る こ と に も異 議 を の べ る 、「 ス イ ス の 利 益 は 、 そ の 市 民 の 完 全 な 自 由 貿 易 を 求 め る 」 の で あ っ た 。 結 局 こ の 委 員 会 は 次 の7 つ の 決 議 を 行 な う が 、 当 時 の ス イ ス 連 邦 の 経 済 政 策 の 基 調 と な る も の で あ り 訳 出 に 価 し よ う 。I. 当 連 邦 は 既 存 の 商 工 業 の 自 由 制 度 を 貫 徹 す る こ と。 Ⅱ 。 い か な る 状 態 が

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リ ョ ン ・ ハ ウ リ ン グ 著 『 ス イ ス 商 工 業 報 告 書 』、 ロ ン ド ン 、1836 年243 起 ろ う とも、 他 国 の関 税同 盟 へ の加 入は 厳禁 のこ と、 Ⅲ。 自由貿 易 政策 の 振興 に 努め る こ と。 Ⅳ。 農産 、 畜産 物 交 易 のため に は、 近 隣国 と交 渉 す る こと。V ト 自由 貿 易が 不 可能 な処 で は、 出 来 る限 りの関 税 率引 き下げ と、 通 過商 品 で の最恵 国待 遇獲 得 に努 め る こ と。1. 特恵 措 置が 獲得 さ れ れば 、 そ れを で きる 限 り輸 出 入 の自 由に 近づ け る べ く努 める こ と。 Ⅶ。当 国 内で は工 業 発達 の障害 物を 除 去し 、 自 由交 易実 施 に努 め る こ と。 こ うし た答 申 が1848年 の最初 のス イ ス憲法 の自 由経 済原 理 制定 に寄 与 し たこ と は疑 い ない 吼 十 ス イ スと近 隣 諸 国 との 関 係は ど うか。 まず フ ラン スと は、19世 紀10年 代 ま で は、し か る べ き交 易 関 係 が存 続し た が、ナ ポレ オン敗退 後 の1815年 から は 、高 率 関税 や輸 入禁 止令 が制 定 さ れた 。「平 和 が も たら し た もの の一つ は商業 的 敵対 の宣 言 であ っ た」。 そ の結 果 は密 貿易 の横 行 と な っ て 現 わ れ る。 両国 国境 に 位す る 諸県 、 諸州 は 大 きな 損害 を 蒙 った。1820年 に スイ ス政 府 は報復 措 置を 実 施 し よ うとし たが 、 所期 の効 果 は な く、 ドイ ツの市 場に 向う 商品 が ふえ た。 さ らに1821年 か ら1834年 に わ た る スイ ス・ フ ラン ス貿 易 では 、年 平 均160 万5,000フ ラ ンの フ ラ ンス の出超 とな っ てい る。 フ ラ ンス から の輸 入 品に 殆 ん ど課 税 され ず、 逆 に フ ラン スへ の輸 出 で は多 額 の輸 入 税が 徴収 さ れ た結 果 で あ る。 前者 か ら の輸 入品 は、 農 産物 と繊 維工 業 の原 材 料が 主 であ り、 こ の た め後者 の生活 物 資 価 格 は 割高 であ る。 後 者 の特 産 品で あ る時 計 やそ の部品 に ついて も、 毎年 大 量 に 前者 に輸 出 さ れてい るが 、 高関 税、 煩 瓊な 検 査検 印 のた めに 密 貿 易 が伸長 し てい る 状 態が 続 く。 こ うし た 弊害 除 去 のた めに も当 国議 会 は 前者 に対 し て保 税 倉 庫 の設 立を 要求 し てい る。 こ うして ハ ウ リ ング は当 国 の自 由 貿 易 主義を 高 く評価 し な がら 、 ドイ ツそ し て 特に フ ラ ン スの保 護 貿易 政策 に つい て は、 前 者に 比 べ て 対 照的 に、 厳 し くそ の弊 害 につ い て警 告 し た のであ っ た。 当 国に とりフ ラ ン スこそ 現 今 最 も慎重 に 交 渉 せね ばな ら ぬ国 であ った。 寧 ろ ドイ ツ が当 国に と りフ ラン スに 替 る よ うに な る のは、 そ れ が 強 大 と なる19世 紀70年 代 以降 の こ とであ る。 彼 は アペ ン ツェ ル 、 ヌ ーシ ャ テ ル 、 ド ゥ ール ガ ウ 、 シ ャフ ハ ウゼ ソ、 バ ーゼ ルい チ ュ ー リ ヅヒ 、 ア ール ガ ウ、 ジ ュネ ーブ そし て ヴ ォー州 の順 序で 当 国 の商 工 業状 態を 紹介 する。 2. ア ペ ン ツ ェ ル ハ ウ リン グは まず東 北 ス イ ス のア ペ ンツ ェル州 を 扱 うが、 彼は ト ロ ーゲソ 出身 で当 時 にお い て最 も啓 蒙 的 な 思 想 家 と し て 有 名 で あ り、1823 年 と1835 年 に ス イ ス 公 益 協 会 (SchweizerischenGemeinnijtzigeGesellschaft ) の会長 を 務 めた ツ ェル ヴェ ーガ ー(J.K.Zellweger) か ら 提供 さ れた 情報 に 基づ く以下 のよ うな 報告 書を 作 成 し た。 アペ ソツ ェル では9 ∼10 世紀 頃か ら 毛 織物 製 造 が始 め ら れた が、13世 紀に はザ ソ クト ガ レソ市 に1 軒 の 縮 絨 と漂 白所 が 出現 し、1308年 に こ れら は夫 々3 軒に 増加 し てい るレ さらに16 世 紀後 半 の ア

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メリ カ大 陸発 見後 当 州 の リン ネル工 業 が 発達 す る。1533年 に 当市 で10,329反 の リン ネル が漂 白 され た。 こ の 盛況 は当 州 のプ ロテ ス タント 地 区( 外 ロ ーデ ン) に も刺 激 とな っ た。30年 戦 争 に よる 経済 停 滞に も拘ら ず1675年 に ト ロ ー ゲンで リン ネル市 場 が 開設 さ れ れる まで 発達 し た。17 世紀 に 続け て 勃 発し た 諸国 間 の戦 争は 当工 業 に と り打 撃 であ っ たが、 そ の後18 世 紀か ら は販 売 が伸長 し た が、 そ れ は専 ら製 造 法改 良 の結果 であ る。1747年 か ら バ ツ ィソ( 白麻 布 モ ス リン) が 製造 さ れ て くる が、 こ れは 当地 の綿工 業 出現 に 連 なる。 綿 紡 績 も発 達す る。 し かし18 世紀 後 半か ら 行 なわ れ たフ ラ ン ス へ の織 物輸 出 乱 当 国が 実 施し た 高関 税 設置 の た めに 次第 に 困難 と なる。 ア メ リカ州 へ の輸 出港 も、 マ ル セイ ユか ら ジ ェノ ヴ ァに代 る。1785年 に フ ラ ン スで当 国 織物 が 輸入 禁止 とな るや 密貿 易 が盛 ん に な り、 さらに は イ ンド や イ ギ リス産 織物 も当 国経 由 で運 び込 まれ た のであ る(17)。 で は 綿工 業 の先 進 国イ ギ リ スの、 スイ スへ の影 響 は ど うか。 イ ギ リ ス製綿 絲 の アペ ン ツ ェルヘ の 輸入 は 漸増 傾 向を 示し た た め、 こ こで の手 紡工 が他業 種に 転換 す る折 の余 裕を 与え た。1801年 に サ ン タト カ レフ市 に 最初 の紡 績機 が設 置 さ れ、 さら に翌 年 か ら織 布、 漂白そ し て 縫 製 機 導 入 さ れ る 。 「大 陸制 度」 の施 行は 、再 び フ ラ ン スと の貿易 に 困難 を も たら すノ ともあ れヨ ーロ ッパ 内の戦 争 は 決し て 当国 社有 益 では な か った。 こ うして 当 国 の商 人は 、 販路を 新 大陸に 求 め ざ るをえ ない。 ハ ウ リ ン グは、 こ うし て当 国 の中 立 政策 が イ ギ リスに も有益 で あ るこ とを 強 調す る。 当 国 はさ らに 、 イ ギ リス のた めに フ ラ ンス と ドイ ツへ の 仲 継商業 国 の役 割 を果 そ う。「スイ スの中 立 につ い てし え ば、 当 国 は全 て の製 造 品 のヨ ーロ ッパ の倉 庫 とし て、 戦争 の勃 発や 他 の事 情 で、 交 易が こ わ され か ねな い 諸 国 との 商業 伸長 に 資す るこ とが で きる」。そ し て「敵 国に は、我 々の製 造 業 の生 産物 を 送ら ざ る べし と の古い 格 言 は、 商業 で は すぐ に も消 え 去ろ う。 … …一 国 民を 餓死 させ る こ とが殆 んど不 可 能 なこ とを 経 験は 明ら か にし て お り、 商業 を 犠牲 に し てそ れ の戦い の手 段を 自 ら 奪 うこ と も、同 様 に 不合 理 な のであ る」(18)。 アペ ル ツェル は1378年 か■h1538年 間に250 % の、人 口増加 が みら れ た。 外 ロ ーデ ン地 区 で も1734 年 の34,571人 の人 口は1834年 に39,857 人 に増 加し た。 食 糧 の 大半 は ドイ ツのシ ュヴ ァ ーベ ソ地方 か ら の輸 入に 依存 し てい る吼1820 年 に アペ ソ ツェル と ザ ソ クト ガ レ ソは イ ギ リスか ら100万 ポン ド重 量 の 綿 絲 を 輸 入 し た 。 ス イ スぱ次 第 に綿 織 機を 増設 し な がら キ ャラ コ生 産 に 努め てし る。し か し こ の よ うな 機 械制 工業 の発 達 は、 家 内工 業 を 分解 し、 そ の働 き手を 工 場 労働 者に 変 え る。 こ れは重 大な 事 柄で あ り、 慎重 な 対 応 が 必要 であ る。 そ し て当 州 で 機械 が 優勢 にな るこ とは 現 時点 では 考 えら れ ない 。州 民 の多 くは 機 械 へ の拘 束を 拒 否し てい る か らで あ る。 し かし イ ギ リス や当 国 他州 で の機 械 の普 及 は、 安い 綿絲 に よる 綿製 品生 産を 可 能 とす る た め、 織布 や 刺し ゅ う工 に は 有利 な ので あ る。 当州 の 勤 労者 は1 ) 製 造業 者 、2 ) 織 布工 、3 ) 絲 巻工 そ して4 ) 刺 し ゅ う工 の4 層に 分 類 さ れる。 製 造業 者 は 財産 と才

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リ ョ ン ・ ハ ウ リ ン グ 著 『 ス イ ス 商 工 業 報 告 書 』、 ロ ン ド ン 、1836 年245 能に おい て 大 きな 格差 を もつ が、 日常 の生 活態 度 と就 労 状態 か ら判 断し て 当州 の最 も健 実 な集 団 で あ る。 彼 ら の中 から 、 当州 の政 治家 が多 数 輩 出す る。 また 問屋 制 商人 の機 能を もつ 人 も存 在す る。 そ し て織 布工 も余 裕が 生 れ れば土 地を 購 入 し 自ら 地主 とな る。 しか もこ の上 地獲 得 は、 担保 設 定 が 簡単 な ため に 容易に 行 な わ れる。 こ うし た 勤 労者 地主 が全州 に 存 在す れば 土 地 は よく 耕作 さ れ、 織 布工 の 健康 維 持に も最 適 な のであ る。彼 ら は 道 徳 的 に も健 実 で あ る 。「 こ の 勤 労 者 地 主 の 階 層 が 我 々 の住民 集 会 の大半 の投 票者 で あ り、 極め てつ ましい 態 度 で くらし 、 住民 の娯楽 の 日以 外に は居 酒屋 に は 入ら ない 」。 そ し てこ うし た 健実 な 住民 こ そ州 を そ し て 連 邦 国 家 を 形 成 す る 。「全 体 的 に 我 々 の住民 ぱ 道徳 的 でか つ 行儀 が よい」 ので あ っ た(20)。 こ うした 特 徴 の基 礎 の一つ が アペ ソ ツェル に おけ る 教育 の充 実 であ っ た。 様 々 な教 課 と ともに 宗 教的 課 目 も設け ら れ てお り、 文 育 は 教会 の儀 式 に 参加 で きない 。 児 童が12歳 で 公 教育 から 離 れ た後 に も、成 人 と み なさ れる17 歳 まで は再 履 修 の機 会が 与 えら れ てい る。 ツ ェル ヴ ェ ーガ ーは スイ ス商 工業 の特 徴は 次 の6 条 件に 基 礎を お く と指 摘す る。 即 ち1 )1 平 方 マ イル 当 り9,000人を 超 え る人 口密 度 の濃 さ 、2 ) 統一 国 民的 感 情 と労 働 の家 族成 員 へ の配 分、3 ) 互助 制 度、4 )道 徳を 高揚 さ せる 普 通教 育、5) 貧乏 人 の無 課 税そ し て6 ) 商 業 の完 全 な 自由。 そ し て これ らは バ ウ リン グ も完全 に 同 調しう る要 素 であ っ た呪 そし て ハ ウ リン グは1835年 にフ ン ト ヴ ィル(Hundwil )村 で 開 催さ れた 地 域共 同 体 集 会(Landes-gemeinde ) の内容 を 紹 介す る。製造 業 者 と農 民 の成 人 男子 に よ り構成 さ れ る当 集会 は、様 々な 法 案 を 審 議し な がら 、直 接投 票 に より法 制定 を 行 な う。 そ れ は まさ し く、 連邦 議 会(GrossRath )の 上 位 に くる 機 関で あ り、 ス イ スの国 政 の根 源 であ る。 さら に彼 は、 同 年 にト ロ ーゲン で開 催 さ れた ス イス 公益 協会 の 大会 の産 業 制 度に つい ての 議題 「ス イ スは 商業 の 自由 とい う原理 を無 条 件に 捧げ る べき か、 そ れぱ 何 故か」 の討 論 の主 内容 を 紹 介し た ので あ るが 、そ の中で は 自 由貿 易 の拡 大に 努 め るべ く 「我 々 の中に 強 力 な、国 家 の知的 な もの、 改 良さ れた もの そし て発 明 さ れた も のを 取 り入 れ よう。そ の機械 的 驚 異を 歓迎 し よう、 我 々の知 ら ない こ とを 教え 、 何を なす べ きか で 我 々を 教育 す る凡 ゆ る ものを 受け 入 れ よ う。 こ こ で我 々が 警 戒 せね ば なら ぬこ と は個 人主 義 と孤 立 主義 の規制 政 策 では ない の か」 とい う極 め て当 会 の性 格を 明 示 する 発 言を 紹介 し てい る。 彼 は ツ ェル ヴ ェ ーガ ー の所説 と行動 に 全幅 の 信頼 を よせ てい た の であ る(22)。 3. ヌ ー シ ャ テ ル バ ウ リ ン グ に ヌ ー シ ャ テ ル 州 の 情 報 を 提 供 し た の は 当 州 議 会 議 長 の シ ャ ン ブ リ エ (A.Chambrier ) 男爵 であ った(23)。 州 域 の 西北を 走 るジ ェ ラ山 脈に よりフ ラン ス と接す る ス ―ツ申テ ル は、 かつ て プ ロシ ャ王 の飛 び

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領地 の一 つ であ り、 現 在で も 毎年 、当 州 収 入 の約1 /3に 相当 す る7 万 ヌ ーシ ャテル フ ラ ソ(4,000 ポ ンド ス タ ーリン グ)を プ ロ シ 十王 に 貢納 して いる 。1834年 の当州 人 口調査 に よれば、住 民 は56,073 人(39,760人当 州 民、13,099人 他 ス イス 人、3,304人 外 国人)で7,813戸 が存 在し て い る。 産業 につ い て みれば 、レ ース工業 等 繊 維工 業 人 口は1830年 代に 入 っ て減 少を 続け 、逆 に時 計 工業 (1833年6,027 人、1834年6,386人家 具 製 造1833年308 人 、1836年365 人 )縫 製 、家 具製 造業 や 洗 濯業 者 が増 加 して い る。 教 育 の徹底 ぱ 著 るし く40歳 以下 の人 は文 盲は 存 在し な い(24)。 ヌーシ ャル の主 要産 物 はブ ド ウ酒、 チ ーズそし て 時計 、 捺 染綿 布 とレ ースで あ り、 い かな る産 業 も自由 で あ り、し か し製 造業 者 間 の激 し い競 争 は みら れず 、 資本 も専 ら当州 産 業 に投 下 さ れて い る。 こ うし た 状態 から 全州 民 の 間に 、 ゆ るや かな 富 の蓄 積 と繁 栄 が 続い てい る。 ここ で も 「生産 物 低価 格 の第 一 要因 は、 凡 ゆ る規 制 も殆 ん ど の租 税 もない 」 こ とな の であ る。 当州 に は 、 未加工 綿布 が 白 ソド ソや レ ヴ ァソト か ら主 と して 輸 入さ れ、 ザ ソ ク トガ レ ンや チ ュ ーリ ッヒ産 品 も少量 輸 入 され る。 当州 に は1805年に 初 め て金 属製 円 筒捺 染 機 が導 入 さ れ、1811年に は か な り普 及し て いた。 ナ ポレ オ ン の敗 北 後、 スイ ス製 造業 へ の ナラソ ス から の圧 力 は減 少 した が、 後 者 の市 場 から こ こ の製造 業 者 は 締 め 出さ れて い る。 こ の時 期に アルザ ス産捺 染 綿 布が 趣 味、 美 しさ で当 州産 品 を 凌い で い たが 、 当州 産品 は 低 価格 で あ り、 これを 武 器 と して イ ギ リス産 品 と も競 合し な がら プ ロ シ ア、 オ ラン ダそ して イ タ リ アに 販 路を 見 出し た(25)。 ヌーシ ャテ ル の産業 で は時 計 工業 が 重 要で あ る。[ジ ュ ラ山 岳地 帯 は、微 小 複雑 さ が特 徴 の、精巧 な 機械技 術 に よる生産 物 の有 名 な発 祥 地 であ る]。 半年 に わた る冬期 間に 、 当地 帯 の 住 民 は 家 に こ も り、 時計 生 産に 従 事す る。 現 在 当州 は 年 間12万個 の時計 を 生産 し てい る。 ここ の時 計製 造 業 者は 自 意識 が強 く、そ の子女 を彼 ら よ り低ト 階層 に は嫁 がせ ない 気風 が みら れ る(26)。 ハ ウリ ン グ は ル ロ クル の ウ ーリエ (M.Houriet ) から 次 の よう な当 工業 史 を 聞き だす 。 ル ロ クルで は17世 紀 から 教 会時 計を 模 し た木 製 時計 が製 作 さ れた が、 バ ネ使 用 の 時計 製作 に ぱじヽ た ら なか っ た。 そ して 外 国旅 行 帰 りの人 が持込 んだ 時計 を、 機 械工 リシ ャ ―ル が修 理 した の が当 地 時 計製 造 の 発端 と なっ た。 これ が大 好 評を 博 し、 当 地帯 に も時 計製 造 は 入 りこ み、 人 々は そ れ まで の冬 期 間 の出 稼ぎ を中 止 し て、 家族 ぐ るみ でこ の新 工業 に 従事 し てい く。 こ こで も無 租 税 と自 由 と が当 工業 を 順調 に 発展 さ せ る。 ほ ご同 時期 に フ ランスか ら 追放 さ れ たプ ロ テ スタ ン ト信者 に より、 レ ース工業 も導入 さ れ る。 こ れは 専ら 婦 女子 の仕事 で あ った が、 レ ー ス 編 機 導 入 に よ り衰 退 七、 レ ースエ の多 く は時 計工 業 に転 職 す る。 当 工業 の 最初 の 困難 は 適当 な道 具 と原 材 料 の供 給で あ っ た。 前 者につ い て は結 局、当地 で は 道具 を 自作 す る こ とに成 功 し、さ らに 取 付具(l'outilareplanter)を も製造 す る。 こ うし て 時計 製 造 と道 具製 造 と か併 せて 行 な われ 、つ いに ぱ 後 者 の輸 出 も盛 んに な る。 時 計工 業 の発 達 と とも に人 々 はパ リに 旅 行 し、 帰 省し て は新 知 識を 同郷 人 に 披露 し てい っ た。 ま た

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ジa ソ ・^くウリ ン ダ 著 『 ス イ ス商 工 業 報 告 書 』、 ロ ン ド ン 、1836 年247 パi;に 定住 し た のは 今 日で も有 名な ベ ルト ー、 ブ ル ゲや ペレ ール 家 の人 々であ っ た 。 こ うし て当州 山 岳地 帯に 定 着し た当 工 業 は、 さら に ベル ンや ヴ ォー州に ま で拡 が った 。 では 当 工 業 隆盛 の原 因は 何 か。 そ れは1794年 頃 ル ロ クル の ジ ャネ レが考 案し ジ ャピ ーが改 良し た ム ーヴメ ント仕 掛 であ ろ う。 こ の 器具に より旧 来 の 製造 業者 は競 争 で遅 れを とる。 こ の機 械製 ム ーヴ メント は そ の後 さ らに 改良 さ れ、 当工 業 の生 産 性を 高 めてい る(27)。 で は ヌーシ ャテ ル 産 時計 の優 秀 さは どこ から 由来 する のか。 そ れは専 ら 当地 製 造 業 者 の独立 性 と 優秀 な 技術 の 結合 に よる。 そし て この工 業 を営 む 職人 は 、最 高に 支払 う人を 選 択 し 、逆 に 商 人 もま た 最高 の素 材 で最 高 の 製造 品を 提供 す る職 人を 選 ぶ。 こ れ の根底 に は当 家 内工 業 が 、土 地 所 有と結 合し てい る 事 実が あ る。 当 地に おけ る 時計 工業 ほ ど農 工一 致 の利 点を 活 用 し てト る工業 ぱ 少 なく、 寧ろ 農工 一 致 の極 致 とい え る。当 州 では 現 在120,000個 の時計(35,000 個 は金 、残 りが 銀 装飾) を生 産 し 約7,000,000 ヌーシ ャテル・フ ラ ンに 相当 す る売 り上 げ とな る。ま た時 計は も は や 奢 侈品 では な く、販路 もヨ ーロ ッパ のみ で なく、ア メリ カ合衆 国 は最 大 の市 場 とな っ てい る。イ ギ リスで も 時計保 税倉 庫 制が 許 さ れれ ば売 り上げ は 伸び る。 時計 の原 材料 であ る金 、 銀 はこ れら の 正 貨を 融 解 する ご と で獲 得す る。 さ らに 技術 の優 秀 さにつ い てい え ば、 我 々 の商 人 と製造 業 者 が機 械 技術 の最先 進 国 に 旅 行し て 、そ の内 容を 見 聞し て くる こ とが主 因 の一 つ であ る。 また当 州 の時 計 労 働 者 の数を 正 確 に把 握 する こ とは 、そ れが 専ら 家 内工業 形 態を とっ てい るた めに 難 かし い。 し か し18,000 ∼20,000 人 がこ れに 従 事し てい る こと が推 測さ れ る。 賃金 につ い て も個 数賃 金制 で あ り成 人 男 子 労働 者は ↓ 年 に1,000∼1,500 ヌ ーシ ャテル ・ フ ランを 稼 得し てい る(28)。 公教 育に つい て ヌ ーシ ャテル は凡 ゆ る機 会を 提 供 し てい る。文 盲は 少 ない。 し か し 山岳 地 帯で は 高等 教育 の設備 は ない 。 男子 は10∼12 歳 で徒 弟に な る が、初 等 教育 ぱ うけ てい る 。 機 械技 術を 教 育 す る機 関は ない が 、8 ∼10 歳 の貧 乏人 の子 弟 には 時 計製 造を 教 克 る私 的機 関 も存 在す る。 こ こで は 凡 ゆる 労働 者 が、 自 ら の技 量を 高 め よ うとす る 意欲を もつ。 宗 教 教育 も充 分 であ り、 こ れが 当州 の 道徳 性 の高 さを 生 み だ し てい る。 労働 者 の土 地持 ち に なる望 み は 強烈 で、 貯 蓄銀 行 が よく利 用さ れ てい る。 当 州 ほ どこ れ が活 用 され てい る場 所 は、 ヨ ーロ ッパ大 陸 で も珍ら し い。1834 年に は 全人 口 中 の3,084人(18 分 の1) が105万 ヌーシ ャテル ・フ ラ ンを預 け てい る(29)。 ヌ ーシ 十テ ル の司 法( 裁 判) 制 度 も係 争処 理 が迅 速 かつ 経済 的 で好 評 であ る(30)。 では フ ラン ス の厳 重 な 関税制 度 から 発 生し た 密貿 易 につい て は ど うか。 勿 論 ス イ ス人 は当 然 のこ と ながら こ の 行為 を 正 当 な 職業 と は みな さ ない。 当 業 者 の大半 は フ ラ ンス人 で あ り、「犯 罪を 行 な い、 意 図す る 人に も悪 徳 の 意識 は ない 」。 つ ま り特殊 な人為 的 制度 か ら 由来 す る 経 済 犯 罪 と み て い る。 ハ ウ リン グは 国 民 経 済 の自然 的進 展 で は凡そ 起 りえない こ の ような 違反 行為 に も 目を 向け てい た のであ る(31)。 ニ

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4. ト ゥ ー ル ガ ウ ドイ ツ、 オ ースト リ アの 国境 で もあ る コ ンス タン ツ湖 の 西方 に 位置 す る のが 、ト ゥ ール ガ ウ州で あ るが、ハ ウ リ ン グは当 州に つい て の情報 を当 州 議会 議長 の ケル ン(J.C.Kern) から 提供 さ れた(32) 東 西に 細長 く のび るト ゥ ールガ ウ州 に は約8 万 人 が居 住 す る。 過去30年 間の 人 口増 加率 は10%で あ る。 住民 の3 分 の1 は繊 維工 業 特に 綿 工業 に 従事 し てい る。 リン ネル 工業 は 衰 退し てい るが、 綿 織 機は3,000∼3,500 台 稼働 し てい る。 当 州産 綿 布 はサ ン タト カ レ フ 、 ヴ ィ ソ タ ート ゥ ー ルそ し て チ ューリ ッヒ の諸 都市に 送 ら れ る。当州 で は5 つ の紡 績工 場 が 稼働 し、約3 万 の紡 績 錘が あ る。そ し て プ ラ ウェ ンフ ェル ト 附近 に は300人 を 雇用 す る綿 捺染 工 場 もあ る。 そ し て中 近 東 が 当 製 造 の 市 場 であ った(33)。 ト ゥ ール ガ ウ州 民 工人 当 り の課 税額 はイ ギ リ ス人 のそ れ の5 分 の1 に達 せず 、 地方 税を 別に して 、 レ 打撃を 受け た。 児童は5 歳か ら 教 育 され る。全 地 租税 の5 分 の2 は教 育費 に 支 出 さ れる。1833年 クロイ ツ リソ ゲソ に は師範 学 校 が設 置 さ れた。当州 民 は たし か に教 育熱 心 であ り、1834年 の教育 報 告 書に よれば 、当州 の 初等学 校 は251 校16,892 人( 男子8,321人 、女 子8,571人) が 就 学し て お り、そ の全 住民 に対 す る割 合 は5 分 の1 で、アイ ル ラン ド のそ れに 比 べて 約3 倍 も高い。全 教 育 費 は433,976フ ラン で当州 年 収 入の4 倍であ る。男子 教員 数 は243 人 であ る。1835年 の新 教 育法 は こ れ まで の教 育法 の改 革を 狙い 、学 用 品 は全 て無 償と さ れた。 当 州 内に 約18校 存 在す る中 等 学 校は12∼15 歳 の 児童を 対 象 とし 期 間は3 年 で あ る。こ こで は実 務 教 育が 注 目さ れ てい る。高 等学 校 は選 抜試 験に 合 格し た学 童 が対 象 であ る(34) ハウ リン グは ド イ ツ地 域に 隣 近 する ト ゥ ールガ ウ のド イ ツ関 税 同盟 と の関 係を 観 察し た が、 当州 民 が後 者に 傾倒 す るこ と は ない と判 断し た(35) 5 . シ ャ フ ハ ウ ゼ ン 「ラ イン の滝 」 で有 名 な シ ャフ ハウゼ ン州 は、 スイ ス連邦 共 和 国 の中 で 最 もド イ ツ地 域に 入 り込 ん だ州 であ る。 こ の た めド イ ツ関 税同 盟 と 真向 うか ら 相対 し てい る。 当 州 はブ ド ウ 酒、 穀物 そし て 家 畜 の生 産 で 名 高い が 、最 も 有名 な のは ラ イ ン河を 中 心に し て 行 なわ れる 運送 業 で あ り、 シ ャフ ハ ウゼ ソ市 が当交 易 の中 心で あ る。 と りわけ19 世 紀初 頭 の、 イ ギ リ ス とフ ラン ス の戦 争 のた め海 外商 業 が途 絶し て い た折 の 、当 市 の仲 継商業 の役 割は 大 きか った 。 例 えば バ ―ゼル の投 機 商人 は綿 絲そ の他を ト リエ ステで 購 入し 、 コン ス タン ツ湖そ し て当 市を 経由 し て バ ―ゼル に 持込 む ので あ った。 勿 論 バ ヴァ リ アや ヴ ュル テ ソブ ル グか ら の塩 も当 市経 由で ス イ スに輸 入 さ れた 。 さら に当 市 はチ ー ズ、 絹、 綿織 物 等 スイ ス産 商品 の ド イツ地 域 へ の輸 出用 倉 庫 とな っ てい た ので あ る。 そし て逆 に 当

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ジ ョ ソ ・ ハ ウ リ ン グ 著 『 ス イ ス 商工 業 報 告 書 』、9 ソ ド ソ 、1836 年249 市 は ニ ュル ンベ ル ク産金 物、 シ ュヴ ァ ーペソ か ら の皮 革、 羊毛 、 ボヘ ミアや ザ ク セン から の毛 織物 の倉 庫 役を も兼 ねて い た。し かし な がら地 理 的 状態 か ら 由来 し た当州 の仲継業 も道 路 が 整備 さ れに つ れて変 化し よ う。 当州 は また土 地 が肥沃 で あ る た めに 農業 が盛 んに な り、 こ の変 化を 充 分 に 補填 し うる のであ る。 当 州に は 現在5,000錘を 備 え る紡 績 企業 そ して1 捺 染企 業 が存 在 す る。 こ こ に は ヨ ーロ ッパ的 な 名声を 誇 る 機械製 造企 業 のフ ィ ッシ ャ ー社 も存 在し たが、 ベ ウリ ン グは 当企 業 につ い て ふ れ てい な い(36)。 6. バ ー ゼ ル ハ ウ リン グがこ の ライン 河域で も 有数 の 都市 を 訪 れた1836年 は、 バ ーゼル 州を 都市 バ ーゼル と 農 村 バ ―ゼル に二 分 した 分離 戦争後2 年 を 経 過 した に すぎ ず、 依 然 とし て戦後 処理 が続 行 中 であ っ た。 バ ーゼル 市州 で は こ のため に当年 に50万 ス イメ ・フ ラン の課 税 を当 州 住民36, )00人に 行 な った が 、1 人 当 り17フ ラン (1 ポ ソドス タ ーリ ン グレ に 相 当 す る。 こ れは スイ ス一 の高 課 税 であ っ た。 また 当州 収 入 の5 分の1 は 教育 費こ まね さ れ1 人当 り4 フ ラン の 負担 であ る。 当州 の 資金 の豊 富 さは 当 国に お い て も抜 群 で利 子率 は4 パ ーセ ント で あ る。 住民 の 生活 態 度 も質素 で、 最 も富 裕な 人に も節 約 は徹 底 し てい るor) バ ー ゼル 市 は織 物業 で名 高い。 し か しそ の 起 源につ い て の 詳 細 な 記 録 は 存 在 せ ず 、 ベ ル ヌ ー リ (C.Bernoulli)教 授 もこ れにつ い で は苦 労 七て い る。当市 に 高性 能 を誇 る絹 リ ボ ン織 機(bar-loom) が 導 入 さ れた こ とに よ り、 当市 は一 段 と経 済 活 動 が活発 に な って い った。 ヨ ーロ ッパ 各地 で 当織 機 使 用 が禁 止 さ れた 時期 に、 当市 は敢 然 と この 新 機械 使用 を 保 護し 、そ れ が当市 の繁 栄 を もた らし た の で あ る。 勿 論絹 リボン織 物業 の発 達 は、 ナン ト 勅令 廃止 後 のフ ラン スプ ロテ ス タン ト 信者 の 移住 に も 負 って い る。当 織機 台数 の変 遷を み るに 、1786年 に は卜238 (当 市 内837、市 外318)台、1836年 に は当 市 内に 約4,000台 が設置 さ れてい るよま た当 市 の 絹 リボ ンは平 織 も のがま で あ る。絹 リ ボン製 造業 の 改良 と都市 ・農 村 間 の政 治的 対 立 が、 そ れ まで は半 農 半 工の 生活 であ った 絹 リボ ン織 工 の当 市 へ の 流入 を 生 んだ。 こ うして 当製 品 へ の増 大 し た需 要 と農 民 ・製 造業 者間 の反 目が 旧 バ ーゼ ル州 分 離 の主 因 とな った。 当製 造業 で の所 得 が増 大 す るに 伴 い、 こ れに 移 って く る労 働者 が ふえ てい る。 当 製 品 需要 に 対し て供 給 が 上廻 ら ない こ と、 資 本家 の慎 重 さそ して 労働 者階 級 へ のし か る べ き啓蒙 が経 済を 安 定 さ せて い る要因 であ る。 フ ラ ン スは かつ て 当市 に リ ボン 意匠 の大半 を 提 供 し てい た が、 現 在 では 当 市 内に14 ∼15人 の「型」 造 り工(pattern-drawer ) が働 いて い る。 さ らに サ ン テチ ェン ヌと当 市 とは 絹 リ ボンにつ い てい た る処 で競 争 し てい る。 し かし政 府当 局に よる 規制 がない ために 、 当 市 絹 リ ボ ン商業 の詳細 な 実態を 把握 す る こと ぱ 難 かし い と当 市 の代表 的 絹 リ ボン製 造 業 者 であ り 大商 人 の ヒ ス(E.His )は のべる。彼 は また 以下 の説 明を バ ウリ ングに 行な っ た。当製 造 業 に と りフ

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ラソ ス で の革 命騒 ぎが、 リョ ンや サ ソ テチ ェ ソ ヌに代 っ て ド イ ツ市 場 に 進 出す る 好 機 で あ っ た。1836 年 に 当 市 はLOOO 万 フ ラ ンスフ ラン の絹 リボ ン輸 出 の実 績を あげ てい る。1834 年 に フ ラ ン ス の そ れは3,500 万 フ ランで あ り、 こ の小 都 市が フ ラ ン スのそ れの7 分 の2 を 達 成し て い る。1834 年 の 当 市 絹 リ ボン の3 大輸 出先 は1 ) ア メ リカ 合衆 国 (1,358万5,800フ ラ ン)、2 ) ド イ ツ(540万 フ ラ ン) そし て3 ) イギ リ ス(485 万 フ ラン)で あ る。フ ラ ンス産 品 は軽 く趣 味豊 か で イ ギ リ スで好 評を 博 して い る。 当 市製 品 は低 価格 な こ とが 強味 で あ る。 勿 論 イ ギリ スで のこ れに 対 す る関 税 率 が引 き 下げ ら れれ ば、 大 きな販 売 が期 待 で きる(38)。 ハ ウ リン グは 以上 の よ うな調 査を 行 な っ たの であ るが 、 さらに1835年 の12月14 日に バ ーゼ ルの代 表的 知 識 人 であ るフ ォソデ ア ミ ュ ール ・ ブル ク ハルト(JohannGeorgVonderMiih トBurckhardt) から 以 下 の如 き資 料 が提 供 され た(39レ 犬 十 バ ーゼ ル 市州 人 口は24,000人 であ る が、 これ に は市 外 から の通勤 者は含 まれ てい な い。 絹織 工 の 大半 は バ ーゼル 農村州 、 ベ ル ンそ し て ア ール ガ ウ州 に 居 住し て い る 。 彼 ら は 、 児 童 を 含 め て 、 約15,000 人 と想 定 され る。 その 大半 は さ らに 農 工 兼業 労 働 者で あ る。 当 製品 仕 上げ 、 染 色 は当 市 内で 行な わ れ る。 リ ボン製 造 が当 市 内で も行 なわ れ る よ うに な った のは、 労 働者管 理 の便 宜 と [型] の 秘密 維 持 の ため であ る。 かつ て当 市 内で も盛 ん であ っ た 綿捺 染、毛 織 物、 製 紙、 印刷 、皮 なめ し等 の製 造業 は、 近 隣諸国 が 構築 し た関 税 障壁 と高 収 入・定 就 業を 提 供す る 絹 リ ボン製 造 業 へ の労 働者 の移 転 に よ り衰退 して い る。 当製 造 業 用機 械 は スイ ス国 内で 製作 さ れ、 綿織 物 のそ れ は アルザ スか ら 輸 入 さ れ る。 現在当 市 内 の絹織 物 企業 は3 ∼4 ヶ 月 前 の註文 に より生産 を 行 なっ て い る(40)。 スイ ス の工業 は周知 の 如 く、近 隣 国 の輸 入 禁 止さ らに 大陸制 度 の封 鎖措 置 に よ り大 打撃 を うけ た。 当 国 製 造業 者 は ヨ ーロ ッパ大 陸市 場 か ら 閉め 出 さ れるや 、 長 距離 の運 送費 を ま かない 、輸 入禁 止国 へ の不 法搬 入に も適し た 小型 ・軽 量 ・ 高附 加 価値 商 品 生産 を 目論 む よ うに な っ た。 即 ち 絹織 物、 モ ス リン 、時 計そ し て印 刷物 等 であ る。「こ うし てフ ラン スは 、そ の市場 から 我 々 の綿 織 物を 閉め 出す こ とで、 絹 織物 商業 を 発 展さ せ、 全 て の外 国 市場 で 、そ れに対 す る強 力な 競 争 相手を 出 現さ せ た の であ る」。製 造業 労 働者 の賃 金 は個 数 賃金 が多 い 。また週 働 き の職 人は5 ∼7 フ ランを 受 け 取 る。農 村 地 帯 で は彼ら は3 ∼4 フ ラソ、 女 子 労働 者 は食 事 付 き でそ の半 分を 稼 ぐ。 こ うし て 勤労 者 階級 は ヨ ーロ ッ パ大陸 に おい て は、 より よい 生 活を 享受 し てい る。 こ の余 裕のた め か、 先 の 分離 戦 争時 に おし て も労 使関 係は動揺 し な かっ た。 乞 食 は 禁 止さ れ、 通 常 は地 域共 同体(Communes ) が 彼ら を 扶 養 す る義 務を 負 ってい る。 バ ーゼ ル市 内で は1810年 に 貯 蓄銀 行 が 開設さ れ、 年 間60フ ラ ン以 内の 預 金 が 認め ら れてい る。 利 子 は3 パ ーセ ント で1934年 に は353,000フ ラ ンの資 金 を 擁 し て い る。 当 国 とイ ギ リス( 含 植民地 ) の関 係は、 後 者 の 高率 関 税 の ため重 要 視さ れな い。 し か し我 々は イ ンジ ゴ、 繊 維原 料そ し て金 属類 を 輸入 し てい る。 問題 はい か に 先述 の関税 率を 引 き下げ る かで あ ろ う。

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ジ ョ ソ ・ ハ ウ リ ン グ 著 『 ス イ ス 商 工 業 報 告 書 』、 ロ ン ド ン 、1836 年251 当 市 内に 工 業大 学 (ecoleindustrielle) はな い が、初 等 、高等 学 校は 秀 れてい る。貧 乏 人 の子弟 に も 教 育 の機 会 は与 え ら れ てい るの 亡あ り、 全体 とし て 当 市 の公 教育 は 満足 す べき状 態 に あ る。 そ して 彼 に よれば 、 スイ ス商 品の 低価格 の原 因 は前 述 のこ と から 明 らか で あ るがそ れは 次 の6 つ に 要 約で きる とい う。 即 ち1 ) 最 低 価格で 原 材料 購入 が可 能 な 自 由貿 易、2 ) 勤 労者 階級 に 有 利 な公 課 公租 の 低 さ、3 ) 上記 二 要 因か ら由来 す る低 賃金 、4 ) 豊 富 な資 金 と低 利 子率、5 ) 経営 活動 で み られ る製 造業 者 の知 性 、 慎重 さ と節約 性、6 ) 当 国民 の製 造業 に 対す る適応 性 の高 さ。 そ七 て これ はま た バ ウ リ ン グの スイ ス 商工 業観察 の要 約 で もあ った(41)。 ス イ ス工 業 の特 徴 で もあ る農工 兼業 につ い て は有 利 、 不利 の二 説 が あ る/確 かに 農 村工 業 に より 製 造 さ れ る生産 物 の品 質 と精巧 さは 決し て高 くはな い。 しか しそ れは 経済 的で あ り、 殊 に経 済 不況 下 で の 耐久 力 は抜 群 で あ る。大動 力 と 複雑 な作業 工 程 を 求め なしヽ業 種に つ いて は 農村 工業 が有 利で あ るこ と は疑 い ない(42)。当 国は 他 のヨ ーロ ッパ 諸国 に 比 べて 最 小 の地 下資 源、 最 低 の農業 生 産 力 に よ り宿 命づけ ら れて い る。 こうした 地理 的に 不 利 な条 件 は現 在 進 行中 の ヨ ーロ ッパ の交 通手 段 の 改 良 、 拡 張に よ り漸 次 是 正 さ れよ う。 こ うし て凡 ゆ る国 で 生産 の 知識 が普及 す れば 、商 品 競争 で め最 終 勝 利 者 は最 良 商品 を 、関 税障壁 を もの りこえ うる、 最 低価 格 で 供給 す る製 造業 者 で あろ う。 現 在 は好 況 期 のた め 、こ うし た経営原 理 は軽 視 され てい るが、好 況期 は 永遠 で はない 。「さ て我 々 は、保 護 制 度 の 国を 観 察 し、 そ れら と保 護 制 度を と らな い国 と を 比べ よう。 時 間 とい う試練 こそ 国民 経 済 に と り真 の試 金 石 な のだ。 この人為 的繁 栄 は 不況 に とっ て代 ら れ もす る。 そ して また保 護制 度 と 呼 ば れ る手段 は 、 耐 え難 い 拘束に変 化 し よう。 信用 乱発 は 繁 栄を 消 し去 り、過 剰利 益 も、 営業 を 続け て も止 め て も避げ え ない、 巨大な損 失に 変 る のだ。 こ の事 態は 製 造業 者 、そ の製 品 そ して そ の機 械 に も影 響 し、 数 百 人 の破産 を 惹き 起す。 かく して 勤 労者 の全て は 、 無一 文で 、路 上 に放 り出 さ れる。 明 ら かに 保護 さ れ ない 国 も また、近 隣 諸国 の 損害 の 反動 に より打 撃を うけ る。し かし 彼ら は 不つ り 合 の利 得 が なか っ た ため 、そ の商業 は ゆ っく り堅 実に 拡 大 す る。 そ れら は衝 撃に よく 耐え る。 殊 に 彼 ら の輸 出 が単 一 で 大規 模 かつ 保 護さ れ た市 場に 依 存 せず 、一 時 に 全部 が打 撃を うげ る こと の ない 多 く の国 の市 場 に 依存 し て いるな ら ば、そ うで あ る。そ の 上、最 低 価 格で 販売 す る人 は、価格 下落 の 最後 の被 害者 で あ り、事態 が回復 す れば 最 初 の利得 者 な ので あ る且 こ れこそ フ ォ ソデ ア ミュ ール ・ ブ ル クハル ト の、 そ して バ ーゼ ルの、 さ らに は ス イス 連邦 共 和 国 の経 済政 策 の根 本原 理 な ので あ っ た(43)。 7. チ ュ ー リ ッ ヒ ハ ウ リ ン グは、 チ ュ ーリ ッヒ州 の 情報 を チ ュ ーリ ッヒ 市長 ヘ ス(J.J.Hess)か ら 提供 さ れ た(44)1830 年 に チ ュー リ ッヒ州 憲法は 大 き く改更 さ れ、 情 報 の公 開 、居 住 、営 業 そし て 出版 の 自 由が認

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め られ、 さら に 司法 、立 法 そし て行 政 の三 権 分 立 も施行 さ れた 。19 世紀 に 入 る や チ ュ ーリ ッヒ 州に も機械 が 導 入 され始 め た が、1804年 と1828年 に こ れに 反 対す る 労 働者 の動 きが み られ た。 殊に 後者 の 騒擾 は 、1830年 の当 州 憲 法 改 正 に 連 な る 政 治 運 動 の萌 芽 と な って い っ た。 そ して 綿工業 工 場 へ の放火 破 壊を 伴 う1832年 の ウス タ ー事件 が 発生 し た。 し かし 当 州議 会 は こ れに 冷静 に 行動 し、 機械 財 産保 護 法 が制 定 さ れる。 し か し時 と と もに 州 民 の 機械 に対 す る 偏見 も消滅 し た。 当 事件 の審 議 結果 が 公表 さ れ てい た こと も、 こ の よ うな 流 れをつ く る のに有 効 で あっ た(45〉。 農 村 家 内工 業 で の機 械使 用 は不 可避 で あ る が、交 易 が順 調 に発 展 して い るな らば 、 そ れ の使用 に よる当 工業 存 続 は充 分に 可 能 であ る。 チ ュ ーリ ッヒ市 長 は 「我 々の 大 きな進 歩 は、 機 械 と 我 々が享 受 して い る 完全 な 交易 の 自由に よっ てい る」 と説 明し て い る。 当 州 には853 の製 造 業 工 場 が存 続 し て い るが 、主 な も のは 次 の3 つ 、 製粉 工 場223 、製 材工 場161 そ して 紡績 工場128 で あ る(46)。 チ ュ ーリ ッヒ 州 の製 造業 の歴 史 は 、13世紀 から 明ら か とな るレ こ の時 期に イ タリ アの ロ ソバ ルデ ア地方 か ら 末仕 上げ 絹 織物 が輸 入さ れ る。 また 毛 織物 生産 も発 展し てい た。14 世紀 に 入 るや近 隣諸 国 と の交 易 も一 段 と拡 が る。15世 紀に は ユダ ヤ人 金貸 し の居 住 も許 さ れ る。 し か し同 世 紀に 行 わ れ た州 当 局 の 干渉 政 策は 、絹 工業 を 衰退 さ せ る。当 織 工 がフ ラ ン ス、オ ースト リ アそ して イ タリ アに 移 住 した ので あ る。 信 教の 自 由と 教会 財産 の 解放 を もたら し た宗 教 改革 は、 ス イ スの製 造 業を 発 展 さ せ る。 殊 に1554年 の製 造業 者 難民 の到来 は 染 色や 縮 絨等 の新 技 術を 持込 んだ。16 世紀 に 当州 は 大 き く発展 し チ ュー リ ッヒ市 は当 国 随一 の富 裕 な 都市 とみな さ れて い った。17 世紀 に 入 るや コル ベ ール に ょ る高 関 税政 策 は、 当州 の交 易伸 長に も影 響を 及 ぼす。 し かし当 州 で も ナソ トの 勅令 廃 止に よる 熟 練 職人 の 移 住に より、特 に 繊維 工業 が 再 び振 興 して い く。18世 紀 中葉 から は、都市 の製 造 業特 権 が 廃 止さ れた ため 、「絹 や 綿布 を 織 るた めに 、1 台 かそ れ以 上 の織 機 が置 か れてい ない 住宅 は 見当 ら な い」 ほ どの 活発 な 状態 が一 般 的 とな り、 婦 女 子 も早 くか ら 賃金 を 稼い でい た。 当 州 の半 数 以 上の 企 業家 は 農 耕 と織 布 とを 兼 ね てい る。「彼 ら ぱ抒 を 自己 のブ ド ウや イチ ジ クの木 陰 であ や つ る」几 チ ュ ー リ ッヒ州 憲法 第7 条は「商工 業 の 自由 は、公 共体 そ し て商 工業 者 と勤 労 者階 級 の繁 栄に 一 致 し てい るな らば 特 別に 保 障 さ れる」 と 規定 さ れ てい る。 こ れ は依 然 とし て ツン フト 規制 が存 続し て い た バ ・ゼ ル の経 済活 動 に 比べ る限 り大 きな 進 歩で あ る。 ハ ウリン グは当 州 に おけ る こ うし た 自由 貿 易 傾 向 と、当 州 人 がイ ギ リ スの 複雑 煩瓊 な 関 税制 度に 不 満 を抱 い てい る こと を報 告 し てい る(48)。 以 下 のチ ュ ーリ ッヒ州 絹 商業 につ い て の情 報 は チ ュ ーリ ッヒ市 の ミュ ラール(H.C.deMuralt) がバ ウリ ン グに 提 供 した 資 料に 基づ い てい る(4≒ チ ュー リ ッヒ州 で 使用 さ れ る絹 の大 半 ば イ タリ アの ロ ンバ ル デ ア産 で あ る。 こ こで も 輸入 統 計不 備 に より正 確 な数 値 を知 る こ とは で きな い。 そ し てチ ュー リ ッヒ市 の 絹商業 企 業 は、そ の営 業を ス

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ジa ソ ・ ハ ウ リ ン グ 著 『 ス イ ス 商 工 業 報 告 書 』、 ロ ン ド ン 、1836 年253 イ ス 国 内 の み で は な く 、 ド イ ツ を 初 め と し て 北 ヨ ー ロ ッ パ に も 拡 げ て い る 。 当 市 内 の 絹 織 物 取 り 引 き は9 ヶ 月 の 信 用 売 り で も 行 な わ れ る が 、 通 常 は 現 金 決 済 が 主 で あ る 。 ミ ラ ノ と 当 市 は5 日 で 結 ぼ れ て お り 、 大 き な 価 格 差 が 生 れ る こ と は な い 。 当 商 業 に よ る 収 益 も 決 し て 大 き く は な い 。 ス イ ス 絹 工 業 は 発 展 し て い る が 、 中 小 製 造 業 者 数 を 把 握 す る こ と は 難 か し い 。 た だ 当 工 業 は バ ― ゼ ル 市 州 と 当 州 と が 二 大 生 産 地 で あ る 。 前 者 は 専 ら 絹 リ ボ ン 製 造 を 行 な い 、 製 造 業 者 の 多 く は 大 資 本 家 で あ り 、 少 な い 利 益 に も 拘 ら ず 営 業 を 続 行 し て い る 。 後 者 で は 現 在 約10,000 台 (1 台 約750 フF リ ソ ) の 織 機 が 稼 働 し て い る 。 そ の 製 造 は 農 村 家 内 工 業 で 行 な わ れ る 。 絹 商 業 に は 約13,000 人 が 従 事 し て い る 。 当 州 の 絹 織 物 は 、 前 者 に 比 べ て 厚 地 の フ ロ レ ン テ ィ ソ 、 ナ ポ リ 、 ベ ル リ ン 織 、 タ フ タ 、 レ ヴ ァ ソ テ ィ ソ そ し て ハ ン カ チ 等 で あ る 。 ま た フ ラ ン ス の リ ョ ン と い う 有 名 か つ 強 力 な 競 争 相 手 も い る の に 、 当 国 絹 工 業 の 繁 栄 は 何 に 由 来 す る の か 。 ミ ュ ラ ー ル も 完 全 な 商 業 の 自 由 と 、 こ れ に 結 び つ い た 農 村 家 内 工 業 、 労 働 者 の 節 約 、 大 資 本 を 必 要 と し な い 経 営 型 態 に 由 来 す る と の べ る 。 絹 織 物 価 格 で は 末 仕 上 織 布 価 格 が 大 き な 割 合 を 占 め 、 精 製 業 者 の 利 益 は 僅 少 で あ る 。 勿 論 他 方 に お い て は 当 州 で も 経 営 改 良 が 行 な わ れ て お り 、 ネ ク タ イ や 他 織 物 用 に300 台 以 上 の ジ ャ カ ー ド`機 が 導 入 さ れ て い る 。 チ ュ ー リ ッ ヒ 州 の 綿 工 業 は15 世 紀 か ら 発 展 し た 。 そ れ は 主 と し て チ ュ ■ リ ッ ヒ 市 と ウ ィ ン タ ー ト ゥ ー ル で 営 ま れ 、現 在 で も 変 っ て い な い 。1802 年 か ら 水 力 紡 績 機 が 使 用 さ れ 、1807 年 に 漸 く こ れ の 改 良 さ れ た 機 械 が 稼 働 を 始 め た 。 こ れ に は 当 州 の 機 械 製 造 企 業 エ シ ャ ー (Escher ) 社 の 貢 献 が 大 き い 。 当 州 の 原 綿 消 費 は30,000 セ ン ト ウ ェ イ ト で あ り 、専 ら 太 番 手 綿 絲 用 で あ る 。 当 工 業 に は 約5,000 人 が 働 き 、 週 賃 金 は 男 子3.5 フ ロ リ ン 、 女 子2 フ ロ リ ン そ し て 児 童 は1.5 フ ロ リ ン 懲 あ る 。 織 布 工 は 約12,000 人 他 の4,000 人 は 当 工 業 の そ の 他 職 種 に 従 事 し て い る 。 彼 ら は 毎 年800,000 反 の 綿 布 を 生 産 す る 。 な お 当 州 に は19 の 捺 染 企 業 が 活 動 し て 、 年 間100,000 反 の そ れ を 染 色 す る 。 イ ギ リ ス か ら は80 ∼150 番 手 の 高 級 綿 絲 を 輸 入 し て い る(50)。 ハ ウ リ ン グ が チ ュ ー リ ッ ヒ 市 を 訪 問 し て い た1835 年 に 、 そ れ ま で の 商 人 会 館 を 拡 大 発 展 さ せ た 州 立 商 業 会 議 所 が 設 立 さ れ て い る 。 当 会 議 は 当 州 の 商 工 業 活 動 の 振 興 を 目 的 と し た の で あ る が 、 こ こ に お い て も 厳 格 な 関 税 政 策 の 拒 否 即 ち 自 由 貿 易 主 義 の 堅 持 が 当 然 の こ と と し て 強 調 さ れ て し る 。 大 陸 制 度 廃 止 後 ザ ク セ ン と ス イ ス が 自 由 貿 易 政 策 を 採 用 し て い た の で あ る が 、 前 者 が ド イ ツ 関 税 同 盟 /。 χ ・ に 加 っ た 現 在 で も 、 当 国 は 独 立 の 喪 失 に も 連 な る 自 由 貿 易 主 義 を 放 棄 す る こ と は 不 可 能 な の で あ っ た(51) 8 . ア ー ル ガ ウ ・’ ア ールガ ウ州 の住民 は 約20万人 で 、1803年 調 査時 の144,095人 に 比べ て38 パ ー セ ント の 増 加 で あ る。 宗 教別 に 住民を みれ ば、 プ ロ テ スタ ント 系 信者 が5 分 の3 、残 る5 分 の2 が カト リ ック信 者 で

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あ る。当 州 はベ ル ンや チ ュ ーリ ッヒ州 に 比肩 す る農業 の発達 が みら れ る。 殊 に 穀物 生 産 と家 畜 飼育 で名 高い。 スイ スに は コ ン スタ ン ツ湖 から ジ ュネ ーヴ、 バ ーゼル か ら ル ツ ェル ン、 サ ソ ゴタル ド峠 から ミラ ノやジ ェノ ヴ ァ、 バ ーゼ ル ・チ ュ ーリ ッヒ・ ク ールか ら ロ ソノ勺レデ アや ト リ、エステヘ の交 通路 が発 達 し てい るが 、多 く の道路 が当州 を 貫 い てお り、通 過 商業 に はこ の 最 重 要産 業 の1 つ であ る。 当州 に は これ につ い て の通 関 規制 は全 く存 在 しな か った。 し かし な がら 近 隣 諸 国 の輸 出 入制限 政策 に より、 当 国 の通 過 商業 は 不 振 の状 態 にあ る(52)。 ア ール ガ ウ州 の主 要工 業 は次 の4 つ 、1) 綿紡 績、2) 綿 織物 、3) 絹 リ ボ ンそ し て4) リンネ ル であ る。 当 州 の力 織機 は200 台を 超 え ない が 、 漸次 増加 し てい る。 綿 織物 は 手 造 り が 殆 ん ど で あ り、 労働 者を 集 中 させ る工 場 は ない 。 そ の織 物 は織 布工 の家 にお か れ る。 彼 ら は製 造 業 者か ら 綿絲 を 受け 取 り、 生 産し た 織布 を 返 す。 織 布業 は と て も製造 業 とは 呼べ ぬ形 態 で あ る。 つ まり農 村家 内 工 業形 態 が ここ で も観察 さ れる の であ り、 く りかえ し バウ リ ングは の べる 、「農 耕 不 適 の 高 山 地 域 を 除 き 、農業 労 働 は、 賃金 が 低下 し、 市 場 が閉 塞し た折 に、 生 計 の基を 与 え る 。 こ の ため 欠 乏の圧 力 は概し て 軽 くかつ 一 時的 であ る]。 彼 は こ うし て、漸 進的 で ある ス イ ス国民 経 済 の 堅 実 性 を 評 価 し た。 ま た当州 の繊 維工業 は また し て もフ ラ ン スと ドイ ツ関 税同 盟に よる輸 入 禁止 の影 響 か ら免 れ るこ とは で きなか っ た。 こ の 労使 双方 に 困 難 な状 態に あ って 当国 経 済を 存 続さ せえ た のは 勤 勉低利 子率そ し て節 約 が総 合 さ れた 結果 で あ っ た(53)。 賃金 に つい て み れば、 綿 捺 染、 紡 績 に 従事 す る成 人男 子 は一 日当 り7 ∼10 バ ッツ ェソ(10.5 シリ ン グ∼1 ポンド3 シ リン グ)、14∼18歳 の児 童 は、 同 じく、3 ∼5 バ ッ ツェ ソ、 家 内 工 業 織 布 工 は4 ∼8 バ ッ ツェソ 、農 村工 業 労 働 者は7 バ ッ ツェ ソ、そ し て石工 、 大 工 は9 ∼10 バ ッ ツ ェを 受け 取 る。借 金は、抵 当 付き で3.5∼4 パ ーセ ント の利 子 率で 行な わ れた。当 州 につ い て も関 税総 計欠 如 の た めに、 州 全 体 の輸 出入 数値 は不 明 であ る。 主 要 輸 出品は 綿、 絹そ し て リ ン ネル 製 品、 わ ら 加工品 、 家 畜そ し てチ ーズで ある。 当 州 に 商 業 法 規は 存在 せ ず、 係争 の場 合 は、 普 通裁 判 所 が 処理 す る。 教 育 につ い て みれば 、120人 の 児 童を 擁 す る地 域に は初、高 等学 校 が夫 々1 校 設置 さ れて い るレ さらに20,000 人 の 住民 のい る地 域 で は 中等 学 校 が5 ∼6 校 存 在す る。 また 州 都 ア ーラ ウには ギ ムナジ ュウ ムと工 業 学校 が設 置 さ れて い る。 当州 憲 法 も交 易 の自 由を制 定 してい た。 ハ ウ リン グは 以上 の 情報 を 当 市 のフ ォソエフ ィソ ゲ ソか ら 提供 さ れ た(54)。 9. ジ ュ ネ ー ヴ バ ウリ ン グの スイス 商工 業 報 告 書 にお い て、 最 も正 確 な統 計数 値に 依 る こ とが で き た のは、 こ れ が充 実 して い たジ ュネ ーヴ州 に つ い て であ り、 彼 は当 州 の行 政長 官 リ コ ー(JよRigaud ) と商事 裁 判 所長 官 フ ァジ ー・ バ スト ウ ール (M.A.Fasy-Pasteur )か ら 便宜を 受け てい る(55)

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ジa ソ ・ ハ ウ リ ン グ 著 『 ス イ ス 商 工 業 報 告 書』、 ロ ン ド ン 、1836 年255 ジ ュネ ーヴ州 の 人 口は1822年に51,113 人、1828年に は53,408 人そ し て1834年 に は56,655人 である。 ジ ュネ ーブ 市 に は27,177 人 め 住民 がい る。当 市 の職業 調 査に よれ ば、市民 商 人1,217人 、非市 民商 人407 人、時 計 製 造業 者210 人、非市 民当 業 者64人、時 計 職人870 人 、非 市 民 職人462 人 、機 械 製造 業者34 人 、非 市民 当 業 者19 人、同 職人88人、非 市民 同 職人78人 、宝 飾業 者99 人、非 市 民当 業 者18人 、同 職人450 人、非 市 民 同 職 人213 人、そ の他 業者834 人、非 市 民当 業 者414人 、同 労 働者3,121 人、非 市民 同労 働者2,574人 で あ る。 また農 地は1L996 ヘ クタ ール で、穀物 、豆 類を 生 産 す るが、全 て の生産 物を 合 計し て も当 州 住民 の需 要 は まかな えず 、不足 分 はフ ラン ス、ド イ ツそし て イ タV アから 輸 入す る(56) 狭 い面 積 の ジ ュネ ーブ州 の産業を 特 徴づけ たの は、 製 造業 とそ れに 伴 って 発展 し て きた 商業 であ る。 当州 で も紡 績 、 捺 染 さら に皮 な めし、印刷、家 具 そし て 道 具類 が 生産 さ れて い る が、宝 飾品 、時 計そ して オル ゴ ール は 三 大 商品で あ る。 レ マン湖 とそ こ から 地 中 海に 向 って 流 出 す るpi ーヌ河に よ り、 当 市は 商業 の好 適 地 と なり、17世紀 来 絹、レ ース、皮革 、金 銀 細工 そ し て金物 が取 引 さ れ、 さら にそ こ で 開か れ る定 期 市 も 人と物 資を 集 散 させ てい った。 勿 論こ れら は 時 と とも に盛 衰を く り返 し た が、そ れらを 充 分 に 補 助し た のが時 計工 業 の繁 栄 であ っ た。す で に9 世 紀 には 柱 時 計(Clock)が 記 録さ れ てい る が、細 か い 機械 技術 が 開発 普及 さ れるや 、時計(Watch )が 現 われ る。1587年 に タザ ン(C.Cusin ) が 時計 製 造業 者 とし て当 市に 定 住し た。 彼 の 指導 に よ り当 製造 業 は急 速 に発 展 し た ので ある 。当 製造 業 は 時 間測 定を 主 目的 とす る高 級 精密 時 計(hautehorlogerie ) と 、飾 り付け を 目 的 とする 商業 用 時 計 (horlogerieducommerce ) とを 生産 し てい る。 労 働者を 集 中し うる当 市 の地 理 経 済状 態 が、 当 製 造業 を 発 展さ せ た。 し か も最 初 から、 手 造 り時 計 につ い て の 需要 は 高ま るば か り であ った。 つ い で 機 械に よる加 工 が行 な われ、 意 匠 も改良 さ れ て時 計 自 体が完 成 さ れ てい った。 ま た時計 が 実 用 と趣 味を 充足 させ る 商品 と なるに つ れて 、こ れにつ い て の需 要 は 世 界的 に上 昇 の一 途を た どっ てい る。 寧 ろ 当市 産時 計 は品 質、 趣好 そ し て低 価 格 の三 大 要 素 で の利 点 があ った(57)。 時計 、宝 飾 品そ し て オル ゴール とい う精 密機 器ほ ど絶 えざ る技 術 習練 を 必要 と す る職 種は 少 ない。 こ うし て当 工 業 技術 者 は 、文 字通 り熟練 労 働者 とし て終 始 す る ことに な る。 仲 間 同志 で の競 争 も激 しい 。ま た当市 の時 計 技術 者 は、外 国 から の移住 者 も多 か った が、彼ら は知 識 人 で もあ っ た。「社会 の全般 的性 格が知 的 か つ 教 育的 であ る限 り、勤 労者 は 当地を 際立 た せ る文 明 の雰 囲気 に 加 わる ので あ る」(58)。 イ ギ リス製 時 計 に比 べて √ スイ ス のそ れに は次 の よ うな特 徴 が みら れ た。即 ち 後 者 は、平 滑 シ リ ンダ ー(flatcylinder)を 使 ってい る た めに、前者 に 比 べて安 い 。またそ れは 汎用 性 を もたら すこ と に もな った。 前者 は堅 固頑 丈 だが、 後 者に は 慎重 な 扱い が必 要 であ る。 勿 論 高関 税 ぱ 如何 と もし が たい が、 イ ギ リ スで は後 者 を 求め る人 が多 い。 こ の ため の商 業 も、 ヨ ーロ ッパ 大陸 で の不 自 由な 関 税 のた めに 、そ の市 場を 世 界のは て まで求 めさせ る 結果 とな っ て い る 。 こ うし て 当 市 に お い て も

参照

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