Hokuriku University
NII-Electronic Library Service HokurikuUniversity 1 L
'
'
rf
vt
F
7tx
=:: J6riy
F
V
'V
J)z'
7
=. 7tiF
CD
tilEfillith
pt
ff
E
ma
'
Gottl-Ottlilienfelds
Technolo'gie
'
Masaki
Hachino
Zusammenfa$sung
'
'
i51.
Gottl-Ottlilienfelds
Syst6m・der
Wirtbehaft
besteht
aub .Grundh,Formen-,
und,
Gestaltungslehre."
Jede
Lehre
schlieBt .Problem,Theorie,
undEmpirie"
in
sich'
'
eln. .
S2.
Er
6eginnt
seine ""Grundlehre" mitdem
Problem,."Was
ist
die
Technik?'`
Er
wor・tet
daftir
mit.der
Theorie,
daB
die
Technik
eineOrdnung
der
GYtersverfUgung・
sei.'
Diege
Theorie
kldrt
die
Ernpirie
auch,da,B
die
Technik
de,r
Wirtschaft
unddiese
'
dem
Leben
diene.
'
'
t
/
g3.
Die
.Formenlehre"fSingt
mit'derri?roblem
an, .Wie vertindert sichdie
Technik?"
Seine
Theori'e
sagt,daB
esin
der'
Geschiqhte
vierFormen
der
Technik
gebe,d.
h.
.Urtechnik,
Stammestechnik,
Handwerkertechnik,
undBerufstechnik."
Diese
Theorie
weist auf
die
Empirie
hin,
wiejede
Technik
sich.derReihe
nach au.fErwerb,
ion,
Qualittit
undQuantitat
wende.1 /
g4.
Die
.Gesta!tungslehre"legt
folgendes
Problem
auf sich, "Welchef6rdert
die
Technik
mehr,
die
Wirtschaft
oder,dieWissenscbaft
?"Gottls
Theorie-antwortet
dafUr,
.Das'
sei nicht
die
Wissenschaft,
sonderndie
Wirtschaft
!
"Daraus macht sie esklar,
daB
'die
Technisghe
Vernunft
lieber
der
,Wirtsqhaftlichen
a,ts
der
Wisse.nsebaftlichen
Ver-・
nunftfolge.
Nach
-ihm
forderq
die
.Wirtschaftliche-Vernunft
den
.dauerndsten
Einklang
''
der.Bedartgdeckung.'Die
Technische・Vernunft
strebe nachden
gr6B,ten
VberschuB
dqs.Erfolgs
ttberden
Aufwand:
Die
Wisser}qs)haflli6he
Vernunft.
suche nurdie
'
-
-
.
/1ische
Beziehung
zwischenUrsache
undWirkung.
125
Hokuriku University
NII-Electronic Library Service Hokuriku University 2 鉢 野 正 樹
一
、問
題提 起
(一
) オ イケ ン の問 題提起 私は,
昭 和三十 八年,
故 酒 枝 義 旗 教 授の指 導の下に 「新 自 由主 義 経 済の理 論 と政 策に関 する 研究」 とい うテー
マ を授け ら れ,
そ れ 以降,
ほ ぼ一
貫 し て この テー
マ の下で研究 を継続
して来
i た。私
1
ま,
は じめか ら意 識 的にそうして来たわ けで は ないが,
今 か らふ りか えっ てみる と,
こ の研 究 を二通 りのやり方で行 なっ て来たように思う。一
つ は,
「新
自 由主 義 」 (Neoliberalismus
);「
社
会 的市
場 経 済 」 (Sozia1e
Marktwirtsehaft
),
「オル ドー
学 派 」 (ORDO
−
Schule
)など 様々 に呼称
されてい る,戦後
西 ドイ ツを中
心に起っ た,資本
主義
に も社
会 主義
に も偏せず
, し か も 両 経済 体制 の長所 は これ を総合 し よ う と する 「第三 の 道 」 を 志 向する 学 者の 経済 学を,
個 別に研 究 する とい うや り方で あっ た。 私は,
こ の種の研 究によっ て,
例え ば,
オ イ ケン の経 済 学で は,
オ イ ケ ン が経 済 学 体 系 を,
(1
)「経 済過
程」(WirtschaftsProzeB
),
(2
〕「経 済 秩 序 」 (Wirtschaftsordnung
),
〔3
}「与件
連 環 」 (Datenkranz
)か ら構
想 して い ること が重要
であ 〔1} るこ と,
エ アハ ル ト の経 済 学で は,
エ アハ ル トが経 済 政 策の 立 案には価 値の設 定が不 可 欠の条件
で あ ること を認 識 し,
「自 由 」、
とい う価値
に合せて経 済 政 策の作成
を して いた こ と が重要
で ある こ と,
レプ ケの経 済 学で は,
レプ ケ が権 力 集 中の前 提 には 「大 衆 化 」 (Vermassung
)が 先 行 して い るこ と を 明 ら かに し, これに よっ て,第一
次大戦
, 並びに第二 次 大 戦にお けるヨー
[3}欟
ロ ッ パ の国家
主義の抬頭を解
明 し たこ とが
重要
で あ ること な ど を,私
な り に 発 見 し え たと思っ て い る。 私は,
こ の種の研 究に よっ て,.
いか な る学 者で も あ る程 度の業績
が 認 め ら れてい る学 者の残 した研 究には,
何 か一
っ は,.
その学 者な らではの中
心的業績
があること を知っ た。 私はt 各 学 者の学 問か ら,
この ような中心 的 業 績 を抽 出 する ことに よっ て,
「オ ル ドー
学 派」のある 時 点にお け る学 派と しての 成果を, 集 大成 して みたい と 思っ て い る。私が
,
目
己に授け
ら れ たテー
マ の研究に 用 い たもう一
つ の や り方は,
こ の学 派の 創始
者オ イ ケン の経済学体
系を
無条件
に受
け入れ て,
オ イ ケ ンの素描
し た経
済学体
系の指し示 す 方 向に研 究を 進 め る というもの で あっ た。 オ イ ケンの経 済 学 体 系は,
あ くまで も,
経 済 学の基礎で あっ て、
経 済 学 者が経 済の研 究を進める上で の構 図を描いた もの にすぎ ない 。 例え ば,
オ イケン は,
「経済
過程
」 が,
生産 ・消費
過 程,投資
過程
,分配
過程
、 技術
過程
, 立 地 過 程 以 上 五つ になる と言 うが,
こ の 「経 済 過 程 」が,
経 済に おける 「不 変な もの」,
従っ て,
「理論」の 対 象になる という以 上の こ と は言っ て い ない 。 こ こか ら言い うるこ と は,
「理論」 と して の生 産 論,
消費
論,投資
論,
分 配論,
稼
術 論,
立 地 論 が あ り うると いうにす ぎない 。 「与 件 連 環 」 につ い て も,
これが,
欲 求 与 件.
,
資 本 与 件,
労 働 与 件,
自然 与件 ,
技術
与
件
i制
度与件
以上六つ に な る と言 うが,
これ が,経済
に お け る 「可変
なもの」,従
っ て,
「歴史
」の対 象に な る という以上の こ と は言
っ ていない 。多
分,
オ イ ケ ン は,
「歴 史 」 と して召
),
欲 求 史.
資本
史,労
働史 ,自
然史 ,
技術
史,
制度 史 が あ り う る と予 想 していたと思 わ れる。 最 後忙 ,
「経 済 秩 序 」につ い て も,
中 央 指 導 経 済,
流 通 経 済の 二つ が区 別さ れ る と言っ て い る が , 「経済
秩 序 」は,
「経済
過程
」 と 「与 件 連 環 」 とを二つ の制 約
条件
としつ つ ,人
間に と.
っ てた だ一
つ,
主体 的に選 択 し形 成 するこ とが
可能な,
「政策」 の対 象で あ るいう以 上の こ と は言っ てい ない。126
N工 工一
Eleotronio LibraryHokuriku University
NII-Electronic Library Service Hokurlku Unlverslty ゴ ッ トル
=
オッ ト リ リエ ンフェ ル トの技 術 論3
従
っ て,
オ イ ケンの経
済学
は,
これ を是認 し,
継 承 する者
にとっ ては,
オ イケ ンが素 描し た 骨 格 を,
内 容 的に肉 付 け するこ とが 必 要 と なっ て くる。
私は,
これ まで に,
ル ッ ツ の資本
理論
{4} の研 究IC
よっ て,
オ イ ケ ンの 「経済
過程
」 と 「与
件連環 」にある 「投 資 過 程 」と 「資本 与 件 」 (5) の両者
を視
野の中
に置
きT 又,
ウェー
バー
の労働
理論
研究
に よっ て,
同じく,
「経 済過程」 と 「与件
連 環 」に あ る 「分 配過程」 と 「労 働 与 件」 の両 者を視 野の中に入 れな が ら,
オ イケ ン の肉 付 けを 試み て来
た。今
回の ゴ ッ トル の 技術
論の研 究 も,
オ『
イ ケンが , 「経済
過程
」で 「技
術 過 程 」と し,
「与 件 連 環 」で 「技
術 与件
」と して い る骨 格 を,
肉 付 け する目 的で 行 なっ た。 (二)一
般 的な問題提 起昭 和 五 十 八 年 十
一
月 ,
近 畿 大 学で開催 された経 済 社 会 学 会 十 九 回 大 会において、下
関市
立 大学
の東
條隆
進 氏は,
「資本
主 義の運命 」とい う共 通 論 題の下で,
「ケインズ,
シュ ン ペー
ター,
〔6】 そ して未 来 」 と題 して興 味 ある発 表 を行 なっ た。 氏 は,
こ の発 表の中で,
ケ イン ズはマー
シャ’
ル を, シ ュ ンvxb ・一・
ター
はワル ラス を継
承し た と し た 上で,
ケ インズ とシュ ンペー
ター
は,
マー
シ ャ ル とワル ラズ ほどには,
資 本 主 義の未 来につ い て楽 観 的では なかっ たとの見 解 を 発 表 した。私 も
、
マー
シャル とワ ル ラスカき
1870
年 代の いわゆ る限界革命
を経
ることに よっ て , マ ル ク スが 資本 主 義に向っ て つ きつ け た階 級 闘 争 を,
限界理論
に基づい て,
資本蓄積
が利
子を低 下さ せ賃
金を 増 加さ せ るとと を論証するこ とで論破し,
資 本主義へ の楽 観主義を回 復 した とい う意 味で、
氏の見 解に賛成であっ た。
更に,
ケ インズ とシ ュ ンペー
ター
の両 者が,
ケ イ ンズ につ い ては 「投 資の乗 数 効 果 」が資 本の限 界 効 率の 低 下によっ て不 確 定と な る故に,
シ = ンペー
ター
にっ い て は 「技術革新
」が企 業の カル テル,
独 占などの集 中化
に よ っ て,企業
が本来
の企業
性 を 失 な うが 故に,
いず れ も資
本 主 義の未 来につ い て悲 観 的であっ たこ とに も氏 と同感であっk
。
しか し
,
私 はt 対 討 論 者 と して,
氏の以 上の見 解に対 して,敢
て一
つ の 疑 義 を提 出 し た。 そ れ は,
ケ イ ンズや シ ュ ンペー
ター
が資本
主義
の未来
につ い て悲観 的に適 用し て い た 「投
資の乗 数 効 果 」やf
技 術 革新
」 は,1930
年 か ら1980
年に至 る半 世 紀の歴 史におい て,
実 証 的 には,
反 証 され たの で は な かっ た か とい うことであっ た。更
に,
「投資
の乗数効果
」 や 「技術革新
」 を 反 証さ せ た要 因は,
何で あっ た か ということで あっ た。 私は,
この 要 因が,
ケ イ ン ズ やシュ ン ペー
ター
には充 分 予 測 し えな か っ た技 術 進 歩で な か っ たかと思っ て い た。 事 実,
戦 後ア メ リカ で盛んにな っ た経済成長論
は,
「投資
の乗数効果
」や 「技術革新
」 を 反 証 し た技術
とい う要
因 によ っ てt ケ イン ズやシ ュ ンペー
ター
の理論
を修
正 し た もの と 思 わ れ る。オ イケン の 経 済 学 体 系に よれ ば
,
技 術の 研 究は,
「
技 術 過 程 」 と 「技 術 与 件」 の 両 面 か らな されるべ き もの と な る。 「技術
過 程」 は技 術の 「理論
」
を,
「技術
与件
」 は技術
の 「歴史
」を 要 求 すると も言
える。 も し,
戦 後ア メ リカ に起っ た経 済 成 長 論 を,
技 術 を中
心 と した研 究 と し て見る な らば,
ハ V ッ ドの 成 長 論は技 術の 「理論」,
ロ ス ト ウの 段 階 論は技 術の 「歴史
」 と言
え るの では あるまいか ? 〔7}私は
,
こ の ことに関 連 して,
技 術の 「歴 史 」の一
つ と して , 難 波田春 夫 教 授の 段階論
に若干
CB} 言 及 して おきたい。
こ の段階論
は,
三つ の 産業革命論
と して,野
尻武敏教授
の技術論
の中
で も 紹 介さ れて いる。 私 は、
その概 略のみを以 下に再 録してみたい 。 難 波田春夫
教 授の 段 階 論によ れば,
近 代 技 術は,
まず 第一
段階
と して,1760年
代イギリス を中
心 }こ起っ た繊維
工業
の時代
に は じ ま る。 これ は,
通常 ,
産 業 革 命と呼 ばれ る時 代で あ る。
第二段 階は,1860
年 代 ドイツ を中 127 N工 工一
Eleotronlo LlbraryHokuriku University
NII-Electronic Library Service Hokuriku University 4 鉢 野 正 樹 心 に 起 っ た
重
化 学工業
の時 代で ある。 そ して,第
三段階
が,1950年
代ア メ リカ を中心 に起っ た 原子・
電子工業の時代 とな る。教 授 の段 階論は
,
これに コ ン ドラ チ ェ フ の三つ の波 動を 重 ね合せる と,
第三 の 波 動 (1897−
1930
)の第二 の産 業 革 命とも呼げ
れる電 気,
化 学,
自動 車 の時代 力『
見えに く くな る欠点
は あ る が,
何よ り も,
戦 後ア メ リカ に起っ た科
学 技 術の発達が視
野の 中に収め られ る点がす ぐれて い ると思われる。私
は,
こ の段階論
が,
最近,
富 永 健一
教 授 がパー
ソ ツ ズを 援 用 して発 表 した 〔9} 「近代 化理論 」の三局 面 図 式に符 合 してい る点 を 注 目したい 。富
永健
一
教
授はt 「近代 化理論 」 の第一
局 面 を代 表す
る者
と して ロ ッ ク,
ス ミス,
コ ン ドル セ,
サ ソシモ ン,
コ ン ト,
ス ペ ンサー
を挙げ,
〈
の中 心 地がイギリスで あっ たと し,
第二局面の 代 表者
にマ ル クス,
テ ン ニ エ ン ス,
ウェー
バー
を挙
げ,
その中
心 地 が ドイツで あ る と し,
第三局 面の代 表 者にロ ス ト ウ,
ムー
ア,
パー
ソン ズを挙 げ,
そ の中心地を アメ リカと して い るが,
こ の 三 局 面 図 式は,
難 波 田教授
の技 術の段 階 論によ く符 号 して い ると思う。
私は,
こ のよ う な図 式に,
イ ギ リス の古 典派 ,
ヨー
ロ「
ッ パ の効
用 学派
,
ア メリカの経 済成
長 論 を あて は め ることも可 能ではないか と思 う 。いず れに せよ
,
最 近,
わ が国の 貿 易 摩 擦 問題の解 決方
法 とし て貿 易 立 国か ら技 術 立 国へ の転 擲 腿 案された りl
°「 エ ・ク トve ク・ , ・・材 テ ク・・ ジー
噺 素材
な ど儼
黼
発 力犠
さ れ たり,
今 年 度 (昭 和61
年 度 )の経 済 白書が,
地 方の活 性 化,
中 小 企 業の活 性 化 と並ん で,
技術
の活性 化を提 唱 して い る の も, 技 術の発 達が経 済の沈 滞 を 打 開 して来たとい う印 象が,
つ よ く抱か れて い る結
果であ る と 思 わ れ る。披
術
は,
最も今
日的な問 題で あ る と思 う。』
一
、
(三)
ゴッ トル の 問題提 起
私は
、
今 回の技 術 論を オ イ ケンが その骨格を素 描 した に と ど ま る 「技 術過程」 と 「技 術 与 件」 を肉付
けする目的でや っ て い る。 しか し、 こ こ に避 けて通るこ との出来ない一
つ の 問 題が あ る。 それ はt 私が,
何 故この 肉 付け をオル ドー
学 派の学 者に よ っ て行な わず,
イ デ オ ロ ギー
上は自 由主 義に対 立 して 国 家 主 義に立つ と目 さ れる ゴ ッ トル=
=
=
it
ッ ト リ リエ ン フ ェ ル ト によっ て 行う のか ということであ る。 こ の問い に対 する私
の答 え は,
消 極 的に は,
私の知る限 り,
オル ドー
学 派の中
に技術論
のま とまっ た研 究が見当
らない こ と,積極 的
に は、
ユダ
ヤ人であり,
プロ テ ス タン トで あり,
社 会主義 者であり,
ゴ ッ トル と は極めて対 照 的 なエ ドアル ド・
ハ イマ ンが,
その 著 書 「経 済 体 制の 社 会理 論 」 (
S6ziale
Theorie
der
Wirtschaftssyste
皿e,1963
)の中
で ゴ ッ トル の技
術 論を高 く評 価 してい ることであ る。序いでの こ と な が ら
,
ゴ ッ トル は,
ナ チス時代
に,
ヒ トラー
に重 く用い ら れ たこ とに よっ て,
国 家主義 者と目 されやすいが,
私は,
今 回の技 術 論の研 究によっ て,
ゴ ッ トル のイデオ ロ ギー
を仮に論 ず’
るな らば,
国 家 主 義 と言 うより,
社 会 主 義 と言 うの が 適 切では ないか と思っ て い る。 勿論 ,
マ ル クズの社会
主義
と は,
歴史
を形
成 する要
因につ いて厳格
に一線
を画す
るもの が ある が,
分 業 化 と機 械 化によっ て著 る しい変 化 を みた労 働 者 階 級に深い
同情 を寄
せて い ること を見 る と,
ゴッ トル の イ デ オロ ギー
は,
国 家主義
よ り社
会主義
に近いように 思 わ れ る。 ゴ ッ トル の経 済 学 は,
その体 系が階 層 秩 序を形 成してい た り,
生 活の有 機 性,
あるいは全 体性
を 主張 し たり,
方 法 論上 対 象との一体
化を要
求し たりするの で,
ドイツに固 有なル ター
主義,
浪 漫主義 ,
国 家主義の 流れ を想起 さ せ る が,本来
は,
カ トリッ ク主義,
伝 統主義,社
会主義
の 流 れに立つ の では ない か と思う。
学 問 が 自然 科 学で あ れ ば,
学 者の イ デオロ ギー
は,
その学 問 128 N工 工一
Eleotronio LibraryHokuriku University
NII-Electronic Library Service Hokurlku Unlverslty ゴ ッ トル
=
オ ッ トリ リエ ンフ ェ ル トの技術論5
と は直 接 何の関 係 も もたないが,
学 問が社 会 科 学 とな ると,
学 者 と学 問 とがイ デ オロ ギー
の糸
で結
ば れること が珍 ら し く ない。 問題は,
イ デ オロ ギー
のみ を もっ て,
学 者と学 問と を批 判 す ることであ る。 社 会 主 義の故を もっ て学 者と学 問 を 批 判 す ること も,
自由 主 義の故 を もっ て批 判 すること も,
国 家主義 を もっ て批 判 するこ とも正 し く ない。
従っ て,
ゴ ッ トル と その学 問も,
国家
主義
の故
を もっ て葬
り去
るの も正 し くない と 思う。 イ デオロ ギー
を明 らかにするこ とは,
た だ,
そ の学 者と学 問と をよ りよ く理解
するた めの前 提にす ぎない。更
に,社会科学
におい て,
これ は無 視 しえ ない作 業で ある。
しか し,
作 業は こ こで とど ま るべ きであ る とい うのが,私
の 意 見で あ る。ゴッ トル 経 済 学の 注目すべ き点は
4
何よ りも,
ゴ ッ トル が 「認 識 論」 を基 礎にする経 済 学を根本
的に批 判して,
これ と は全 く異な る 「存 在 論」 を基 礎にする経 済 学の構 築を目ざした こと a助 にある。 ゴ ッ トル は,
その学 問 的 精 力の大 半 を,
「認識 論 」の批 判 と 「存 在 論」の確 立に費
や し た。 従っ て,
ゴ ッ トル の 経 済 学は,
その重 要な部
分が,
経 済 学方
法 論と 呼ばれ る研 究 領 域に』
と ど まっ て い る。 わ ず かに,
ゴッ トルが 「存在 論 」の基 礎の上に構 築 しは じめ た建 物の一
部 が,
技 術論
であっ たと言皋
る。私
は,
先に,
オ イケ ン の経
済 学体系
が, 「経 済過程」, 「経済秩
序」,
「与件
連 環」の三 つ か ら成
る と 述べ て来
た が,
ゴ ッ トル の経 済 学体
系も,
「基 礎 論 」 (Grund 一
働lehre
),
「形
態 論」(Formenlehre
),
「形 成論
」 (Gestaltungslehre
)の三つ か ら成 っ て い る。ゴ ッ トル の経 済 学 体
系
で は,
技 術の理論は 「基 礎 論」,
技 術の歴 史は 「形 態 論」,
技 術の政策
は 「形成
論 」の それぞ れ問 題と な る。 ゴッ トル の経 済 学 体 系が,
「存 在 論」 を基 礎にすることに 留 意 しつ つ,
技 術の問 題を追 求 する。 二 、技 術
の 基礎 論
(一
) 技 術は 自 然 現 象で な く体 験 事 象である ゴ ッ トル の技 術 論 を解 明 するにあ た り,
私 は,
ゴ ッ トル 経 済 学 をラ イフ・
ワー
クとし た故 酒 枝義旗
教授
が,
ゴ ッ トル経済
学にお ける方法論
と技術論
の関係
を論
じ た一
文
を紹介
し たい。
昭 和三 十 三年に早 稲田大 学 政 治経済学雑誌 に発 表 した 「構成体 論 的 経 済 学の生成」 の 中で,
教 授 は以 下の ように述べ て い る。 「認 識 論 上の努力
に一
応 結末
を つ けた上で,
ゴッ トル は,
さ きに 引 用 したM ・
ウェー
バー
の 疑 問に対 して解 答せ ね ば な ら な かっ た。
す な わ ちウ ェー
バー
は,
「まだこう した研究が果し て内 容 的に、
ある効 果 を 生 ずるか どう かは疑問で あ る に せ よ……
』 と書い た。
そこで ゴ ッ トル は,
自分の 認識 論 的 苦心の 中か ら、
た し かに内容
的 効 果が生
ずるこ とを立 証 せ ねばな ら ない の で あ る。
か くして ゴ ッ トル の関心 は,
経 済 生 活の最も現 実 的な問 題 で あ る 『経 済と技 術 』との根 本 関 係の把 握に立 ち 向っ たの で あ る。」以 上
t
教授
の説
明に よっ て 明 ら か な よ う に,
ゴ ッ トル の技
術 論は,
ゴ ッ トル が二十 九 才で 「価値想
」 (Wertgedanke
,
1897
年
)の発
表 と と もに開始
した方法論
の約
二十
五年
にわた る研究
を,
現 実の問 題に適 用し よ うと し た もの で あっ た。
従っ て,
ゴ ッ トル の技 術 論の解 明の た めに は,
これに先 行 した方
法 論 を 概 説 す る必 要 が あ る。 以下
で, そ の概要
を示そう。私は
,
ゴ ッ トル の処 女 論 文 「価 値 想 」 か ら技 術 論の主著
「経 済 と技 術」 (Wirtschaft
undTechnik ,
1923 年 )に 至 る約
二十
五 年間
の経済
学方
法 論 的,
経 済哲
学 的, あ るいは
認識 批 判 論 的 研究
は,結
局,
すで に述べ た ように 「認識 論 」の批判
と,
「存 在論
」の確 立に尽 きると思 う。129
N工 工一
Eleotronlo LlbraryHokuriku University
NII-Electronic Library Service Hokuriku University
6
鉢 野 正 樹 ゴ ッ トル の言 わ ん とす
ること は,次
のよ うになろう。 「認識論
」 の ように , 認識
主体
と認識対
象との 間に範 疇を
設 定して 認 識を可 能にする方 法 論は,
そ の認 識 対 象が自 然のよ うに不 可 知 論的
立 場を と らざるをえ ない場合
に限定
されるべ きで ある。
こ の よ う な方
法論
は,
「自然
現象
」 (Erscheinungen
)を対 象にする 「自
然 学 」 (Naturlehre
)に のみ適 当で ある。 これに対 して T.
ロ
や
認 識 対 象 が 自然でな く人 間
,
あ るい は自然の 運動によっ て生ず
る 「自
然現 象」 (Erscheinungen
) で な く,
人 間の行 動に よっ て起される 「体
験 事 象 」 (Erlebungen
)の 場 合に は,
不 可 知 論 的辜
場を とる必 要 は な く,苛
知 論 的 立 場 を とることが可 能にな る。
何故な ら,
「体 験 事 象」 が,
人間
の行動
の結
果である限 り,
その行 動の原 因である意 欲 は,
同 じ人 間で ある認 識 主 体には 理 解 が可 能だ か らである。 従っ て,
この よ う な場 合には,
この よ う な 認識 対 象に 適合し た方法論と して 「認識
論 」 に 代 わ る 「存 在 論」 が 適 用 さ れ るべ きであ る 。 ゴ ッ トル は,
これ を 「自然学」 個 (Naturlehre
)に対 して 「生 活 学 」 (Lebenslehre
)と名づ けて い る。と ζろ で t 認識対 象をゴッ トル の よ うに
,
「自然 学」の対 象とな る 「自然現象」 と,
「生 活 学」■
の対 象 と なる 「体 験 事 象 」 とに分 類 すると
,
今こ こで問 題に してい る技 術は,
い ず れの 対 象 と.
な るの だ ろ う か ?技 術は,
自然 現 象で あ ろうか ? そ れ と も体 験 事 象で あろ うか?
今,
仮 りに,
「自 然 現 象 」 が,本
性→ 運動
→現象
と、
い う系
列で生 成 し,
「体験事象
」 が,
意欲
→ 行動
→事象
という のじ
系列 で 生 起する もの とすれ ば,
技 術は,
いずれの系列に位 置づけ られ るであ ろうか ? お そ ら く,
多
少の 体 験の反 省 さえ あ れ ば,
人 間に,
より速 く,
よ り遠 く、
より多 くとい っ た技 術 的 意 欲の あ るこ と は容 易に分か る はずで あ り、
このた めの方 法を求める技 術的
行 動や,
その 結 果と し て の発 明,
発 見とい っ た技 術 事 象の あること も容 易に分 かるは ずである。
技 術 がこ の ように,
自 然 現 象で な く,
体 験事象
で あ る と結論
さ れ れば,当
然の結
果と して,技術
は,
「生 活学」の対
象と な り,
そ の研 究 方 法は,
「存 在 論 」に依るべ きことにな る。
こ の説 明に入る前に,
「自 然 現 象 」 と 「体
験事
象」 を図 示して,
その相
違を 比較 して おこ う。本性
法 則
! !万 ! 「 1 塵 ! 「 ! !、
1 〆 1 麌 鏖 i !ヨ ! 〆 ‘ ! Ψ!
!支 配
(現象の 世 界 )運
動
意
欲
技 術
1−
I
I
I 「
/
/ − lll Ψ ! 「 ! ! ノ ! ! ! !適 用
(事 象の世 界 )行
動
以 上の図 表 は
,
本性
が 運 動に移 される時,
法 則の支駻
を 経 由すること,
意 欲 が 行勁
に移 され る時,
技 術の適
用 を経由するこ と を 示 してい る。 更に,
現象の世 界に事
象の 世 界 を 重ね れば,
事象
の 世界が,
現 象の 世 界に制 約さ れ る様
子も示 し う る。.
(二 ) 技 術とは物財 調達の秩 序で ある技術
が,
以 上で述べ た ように,自
然 現 象では なく体
験 事 象で あ る こ と が認め られ れば,技術
130 N工 工一
Eleotronio LibraryHokuriku University
NII-Electronic Library Service Hokuriku University 1 ゴッ ト ル
≡
オ ッ ト リ リエ ンフ ェ ル トの技 術論7
の研 究は,
「認識 論 」でな く 「存 在 論 」で,
「自然 学」 と して では なく 「生活学
」 と して行な わ れな くては な ら ない。
問題 は,
技術
の研 究 を,
「認識 論」で な く 「存 在 論」 で 行 うことは具体
的
にいか な ることかとい うことである。 私は,
今 まで,
「認 識 論 」 は対 象に範
疇 的kategorisch
}・、
「存 礁 」繭
鋤
,, 。bi
,m 。、f
、ch・i
・徽 する・ と だ と言。 て来た カius
c の内 容を,
ゴッ トル の方 法 論に即 して も う少 し具 体 的に説 明し よう。学 問 がいかに
,方
法論
上,
「認識
論 」 と 「存 在論
」に二 分され よ う と も, 学 問一
般
が 認識対
象の解 明 を 目的にする限 り,
両 者は共 通の基 盤に立つ と言える。 こ の点につ い て私は,
昨 年 行っ た ポパー
研究
に よっ て,
ゴ ッ トル とポパー
とは,方法論
上,
全 く対立する 立場
に立 ち な が ら,
』
研 究を 進 める形 式が あ まりに よ く似か よっ て い る のを 知 っ て驚
いた。 何 故なら,
ゴッ トル が 「存 在 論 」の方 法 を,
「問 題 」 (Problem
)の提 起には じま り,
次に 「理 論 」 (Theorie
)の 形 成 にす
すみ,終
りに 「事 実」 (Empirie
)の説明 をすべ きであ る と してい るめ
に 対 して,
ポパ門
は,
「認識 論 」の方 法を,
同 じ ように,
「問題 」の発 見,
「理論 」の設 定,
「事 実 」によ る反 証へ と層
す すめ るべき
であると してい るか らである。少
く と も形 式 上は,
両 者の方 法 論 が 酷 似 してい る と私
は 思 う。 しか し,
そ れ にも拘
らず
,両者
の方
法論
に は,無
視 する こ との出来
ない相違 が あ る と 思わ れる。 それは,
何であ るか ?私はそ れ が,
両 者の 「理論 」 (TheQrie
)に最も明 自に 認め られると思 う。何
故な ら,
「存 在 論」 が一
貫して,
「問 題 」,
「理論 」,
「事 実 」の いかな
る段 階におい て も対 象に即 して 研究 を 進め よう とするの に対して,
「認 識 論」は 「理論」の 設 定にロ
リ
おい て対
象
を離れ る か らであ る。私
は,
こ こに,
両者
の 方法 論 上の 根本
的 相違が あ る と思 う。
.
の 従っ て,
技 術 を対 象として 「存 在 論 」の方 法で研 究を進め るとい うことは,
「問 題 」の提 起,
ロ
.
コ
.
「理
論
」の 形成 ,
「事 実」の説明 , いず
れの 段 階に おか て も,
対 象に即 するこ と が忘れ ら れ て は な らない こ と に な る。私
は以 下で,
ゴッ トル の方 法 論に従 うな らば,
そ の技術
論が どの ように形成
さ れ るか を,
技 術の 「基礎 論
」(
Gfuhdlehre
)か
ら検 討してみ たい。
ゴ ッ トル の 「基 礎 論」 はt
オ イ ケ ンの 「経 済過程 」に相 当し,
経 済の 「不 変な もの」 に 志向 する。 従っ て,
こ の結 果は,
経 済の本 質 を規定す
る はず
で ある。 まず,
ゴ ッ トル の 「存在論
」 に基
づ い て,
「問 題」 の提
起か ら は じ め ることにする。
問 題 提 起の最 も一
般 的 な 形 式に従 っ て,
「技 術 と は何 か?」 と問 うことにす る。 こ の問いに対 して,
いか な る答え が予想 さ れ る だ ろうか ? お そ ら く,
技 術と は1 目 的に対 するコ
の
,
手 段で あるというのが
一
般 的な答えで は な かろう
か ?し か し,
これでは,
目的も手 段 も,
そ の 内 容があま り に漠 然と しす ぎてい る。 こ の内 容 を,
具 体 的に示 すた めに,
私 は,
ゴッ トル が し ばしば行っ た ように,
生活と経 済,
経 済と技術
を 比較
して みる ことにする。 今,
仮りに,
「意 欲 を 充実
さ せ るこ と」を 生 活,
こ の ために 「欲 求 を 充 足さ せ るこ と」を 経 済 として み るとt
生 活と経 済 との 関 係 は,
「意 欲 充 実 」の 目 的,
「欲 求 充 足 」の 手 段となる の で はあるまいか ?同 じくt.
経 済と
技 術 を比較 すると
ど う なるだろ うか ? それは t 「欲 求 を 充 足させ る こ と 」を 経 済 とし た時
に,
このた めの 「物財
を調
達す
ること」が 技術
で あるとす
る ことが出来
る の で は あ る まいか?そ うす れ ば,
経 済 と技
術 との関 係は,
「欲 求 充 足 」 を 目的 とし た 「物財
調 達 」の手 段 と な る はずで あ る。 こ の ような関
係 を 図示す
れ ば,
以 下の よ うになる。’
131
N工 工一
Eleotronio LibraryHokuriku University
NII-Electronic Library Service Hokurlku Unlverslty 8 鉢 野 正 樹
意
欲
欲 求
/刀 i ! 1 / 1 ! / 量 ! 1 「 L ! 万 1 / i ! 遇/
充
足
(生 活と経済
)充実
欲 求
物財
/ 可 II ! 1 ! ! 1 ! 1 ! ! 11iI ! !7 宦 ! V/
/調 達
(経 済 と技 術 )充
足 以土の図 表は,
意 欲が充 実される時には欲 求の充 足 を 経 由するこ とを、
その 欲 求が充 足され る時には物 財の調 達 を経 由する こと を示 して い る。 こ の図 表 を,
生 活 と経 済 との関 係で 見 ると,
経
済 は 生活
を目
的と し た時
の手
段,経済
と技術
との関係
で 見る と,技術
は経 済を目 的と し た時 の手 段 と なる。 更に,
二っ の図 表 を重 ね 合 わせれ ば,
生 活 とい う上 位の 目的に,
経 済 という上位
の手 段で あると 同時に下 位の 目的が仕え,
この 両 者 に下
位の手
段で あ る技 術が仕え る とい う i 関 係が読み と れ る。従
っ て,
経 済 も技術
も,
ともに,
生 活という上位
の 目的には手 段 と して仕 え,
これ を支えて い る と言え る。 こ のような関 係の中で,
経 済が欲 求 充 足の秩 序と言 うな らば,
技 術 は物 財 調 達の秩
序 と言
え るので はあるまいか ?もし,
そ う な らば,技術
の本
質 は,物
財謫
・
(IT 達の秩
序 と規 定さ れ る。 ゴ ッ トル が,
技術を経 済の腕 (Ar
皿 )で あ ると言 うのは,
ζのような 意味
に おい て で ある。 (三 ) 技 術は経 済に奉 仕す る以 上
私
は,
ゴッ トル の技術
の 「基礎論
」を,
「技術
と
は何
か?」の 「問
題 」 か ら出
発 し,
「技術
と は物
財 調 達の秩 序である。」 とい う 「理 論 」に到 達 するまで 論じて来た。 技術
の 「基礎
論」 で残 された問 題 は,
「理 論 」に よっ て 「事 実 」が どの ように 説 明される か とい うこ とにな る。 ゴ ッ トル の 「基礎
論」 に お け る 「理論
」を, 「技術 と
は物財
調 達の秩序
で あ る。」 とす
る な ら ば,
こ の 「理論
」 は果 して、
「事 実 」の説 明にとっ て どれほど有 効であろ うか ?以 下,
この点 を論じて み たい。私
は,
技術
の 「理論
」に いか な るものが他
にある かは別 と して , ゴ ッ トル の 「理論
」 も多
くの 「事 実」 を意 味深
く説
明す
る ように思 っ て い る。 その概
略 を示せ ば,例
えば,
原 始 時 代の三大 発 明 と呼 ば れる道 具や,
火 や,
言 葉の 発 明 な ど は,
「技 術は物 財 調 達の 秩 序で ある。」 という 「理論 」に よっ て意味深
く説
明さ れ るので は な いだろ う か ?更
に,
近 代の三大 発 明 と呼 ば れる火 薬や,
羅針
盤や,
印 刷 術の発 明につ い て も同 じことが言 え るの では ないだろ う か ?最後に,
産業
革 命以降の続
出して い る 軽 工業 ,
重化学
工業 ,
電 子 工業に係わ る あ ら ゆる 発 明につ い て も同 じことが 言 え るの で はあ る まいか?しか し
,
「理 論 」という ものは,
あまりに全ての 「事 実 」を説 明しすぎ る とい うの は,
tt
パー
も言 うよ うに,却
っ て , 「理 論 」の価 値を低める ことになう
のか もしれない。 ゴ ッ トル の 「理 論」に関して も,
あ まり大 風 呂敷す
ぎて,
多 くの 「事 実」を 説 明 しす
ぎるとい う批 判 が あるか も しれない。 こ の ような批 判に対して私は,
ゴッ トル の 「理論 」につ いて重要
なこ と は,
いか に多 く
の 「事実
」 を説 明 する か ということより も,今
まで言
及さ れ な かっ た新
ら し い 「事実
」 132 N工 工一
Eleotronlo LlbraryHokuriku University
NII-Electronic Library Service Hokurlku Unlverslty ゴッ トル
=
オッ トリ リエ ンフェ ル ト の技 術 論 9 を明 らか に して い ることで ある との指 摘 を もっ て答 えたい 。 私 は 以 下で,
その よ う な 「事 実」 を三点 挙 げて お きたい。 圃幽
技
術
が経
済に歴史
的に先
行して い た とい う事 実。こ の事 実は
,先
に示 した生 活 と経 済,
経 済と技 術の図 表に よ る と説
明しやすい の で , これ を 利 用 するこ とにする。
こ の 図 表に よ れば,
生活 と経済
と技術
との関 係は,
「意 欲充
実」→ 「欲 求 充 足 」→ 「物 財 調 達 」の順 序に描 き うる が,
ゴ ッ トル は,
農 耕 が は じまる以 前の原 始 時 代に おいて,
人 間の生 活は,
経済
な しで,
生 活 と技術
の関係
の み で 展開 してい た と主張す
る。従
っ て,
上の関 係は,
「意 欲 充 実 」→
「物 財 調達」と描きうる。 何 故,
農 耕 以 前の人 間の生 活が,
こ 【1鋤 のように短 絡 化されなけれ ば な らなかっ た か とい うと,
「意 欲 充 実 」が,
厂外 界 」 (AuBenwelt
) と 「偶 然 」 (Zufal1
) とに左 右され ることは今 も昔 も変
り ないが, 原始
時代
のよ う に,
「外 界 」 と 厂偶 然 」へ の依存 性がつ よす ぎる場 合には,
「手か らロへ 」と言 わ れる ように 「物財
調 達」 に よ っ て しか 「意 欲 充実
」の 方 法はな く,従
っ て,
厂欲 求充足」の秩
序で あ る経 済は生 ずる余 地 が な かっ た と,
ゴ ッ トル は言 うの で ある。 技 術が先 行し た とい う事実
を , ゴッ トル が主 張す
る の は,
以 上の理 由によ る。
私1鸚
ゴッ トル の指 摘 したこ の事実
は,単
IC
過 去の事実
で あるばか りで な く,
人 間の生 活が,
「外 界」
と 「偶然 」へ の依 存 性をつ よ め る時には必 ず 再 生 する とい う意 味で,
現 在の,
そ して 未 来の事 実で も あ る と思っ て い る。厂経
済
的理性 」 (Wirtschaftliche
Vernunft
) と 「技
術 的理性」 (Teehnische
Vernunft
)は異な る とい う事 実。
生
活
が意 欲の充実にあ る とする
と,
上の図表
には示さ な か っ た が,
意 欲の充 実は,
権 能の範
囲によっ て制 限 され ることにな る。 何 故なら,
意 欲の充 実 は,
「外 界 」 か らの 客 体の 提 供 を 受 けながらも、
「偶 然」によっ て その客 体の提供
を左 右 さ れ る か ら である。
こ の よ う に,
意欲
の 充 実が権能
の範
囲に
よ っ て制
限さ れ る時,
ゴッ トル の言 う 「生活 困 窮」(Lebensnot
)が生 じ て来 る。 意欲
の充 実 を 目的に行なわ れ る行 動の展 開 を,欲
求の充 足 を求
める経
済 と,物
財の調 達 を求
め る技術
と に分 ける な らば,両者
は と も に,
厂生活 困 窮」 を緩 和 さ せ,
生活を救 済 する 点で は酷 似 す る。 しか し,
それにも拘 らず,
すで に述べ たよ うにジ 経 済 と技 術 との 間には,
目 的と手段 との相違 がある。とこ ろで
,
「最少
の費
用に よ る,最大
の成果
」 という
い わゆる経済
原則
は,
「欲求充足
」にあ て はまるの か,
それ と も 「物 財 調 達 」にあては ま るのか?効 用 学 派の 効 用 極 大 化,
利 潤 極 大 化 は,
こ の経済原
則 を,
「欲求充足
」 にも,
「物
財調達」 にもあ て は め てい る。
し か し,
これ は,
効 用 学 派が 「欲 求 充 足 」を消 費過程,
「物 財 調 達 」を生 産 過 程と して丁
両 者 を 同 じ経 済 過 程 と して取扱
うか ら で あ る。 こ の結果 ,私
は,効
用学派
で は,
ゴ ッ トル の言 うように経 済と技
術の 区別 が は っ き り しないと思 う。 私はこ の 点、
欲 求と充 足の 調 和 を 求めるのが 「経 済 的 理 性 」,
成 果 と費用 との 格差.
を求め るの が 「技 術的 理性」 と し て 区 別 した ゴ ッ トル の指 摘 に意味が あ る と思 う。
経 済は生 活に
,技
術は経 済に奉 仕 する という事 実。 こ の点につ い ては,
これ まで に説 明 して来たの で,
多 くを加 え る必 要は ない。 先に示 した、 生活
と経 済,
及び経 済と技術
の図表
は,
こ の事実
を表わ した もの で あ る。
ゴッ トル が強
調して 止 まな か っ たこ と は,
経 済が,
単な る 「物 財 調達 」以 上の もの で あ りな が ら,
決 して,
「意欲 充 実」を も超え るもの で もない ことであっ た。 以 下の一
文は,
ゴ ッ トル の生 活,
経 済,
技 術の133
N工 工一
Eleotronlo LlbraryHokuriku University
NII-Electronic Library Service Hokuriku University
10
鉢 野 正 樹 関 係 を最 も明瞭に表現 し たもの の一
つ と 思う。「ところで経 済は全 人間共同生 活の ひ とつ の 強 大 な秩 序 様 式であ る から
,
か か るもの と して の経 済は,例
へ ば生計
配 慮として,
或ひ は たゴ物 財 的 給養
と して,
乃 至 は単に財の運 動 すな はち財の生 成・
流 転・
消 滅 として 現実的
で あ る にす
ぎ ない,
といふ や うな
こと と は雲 泥の相
違 が ある。一
体
経 済は本
当に財の生産・
流通
・
分 配お よ び消 費の総 括たる こ とに盡 きて しま尋
も の で あら うか。 既に古へ の支 那の聖 典の教へ は まつ た く異つ ていた。 すな は ち経済
はい つ の時
代で も 「平 和な共 同生 活の 実現 』 とい ふ深
い意味をも
つ もの である と説い た。 ま こ とに経 済は・
・
・
…
闘 現 実 的 な もの として平 和へ の 秩序
た る資格
を もつ もの である。」 三、 技術
の形
態論
(一
) 形 態は実在規 定を可能にする技 術の
.
「基 礎 論」 が,
「問 題」 の提起 には じ まり,
「理 論」の 形 成にす すみ,
「事 実 」の説 明で終るとされて い る よ う に,
ゴッ トル の方 法論
で は,技術
Q
「形 態 論 」 も同じJI
厦序
で展 開さ れ ね ば ならない。 ゴッ トル の技 術 論 は,
必 ずしも,
こ の型 通 りにはなっ て いないが,
私 は,
ゴッ トル の方
法論
に即 して その技 術論
を再構
成 して み たい。
「
そ れ は,
以下
の よ う に な るであ ろ う。
技
術の 「基 礎 論1
のは じ めに 「技 術と は何か ?」の問 題が提 起さ れ た ように,
「形 態 論」 の は じめに も 「技 術 は どの ように変っ て来 た か ?」の問 題が提 起 され ね ば ならない。 そ して,
「基 礎論 」1
が,
「技術
と は物
財 調達 の秩序
で ある。」 とい う技 術の本
質規定
を 可能
に した よ う に,
「形
態論」 も,
物 財調 達の秩 序が,
どの よ うに実 現さ れて き た かそ の 形態 の 実 在 規定 を 可 能 に し な くて は な ら ない。
こ こ で実 在 規 定と言っ たりは,
技 術の形態 をそ の本 質が実 現さ れ る 形 態に即 して記 述 するということで,
決っ して,
「認識
論 」にお けるモ デル の ように,
認 識 主 体 が 認識
対象
と は無関係
にこれを作
成 して現 実にあて は め ることを しない ということである 。 もし,
形
態の実 在 規 定を可 能にする 「理論」 が形 成さ れ れ ば,
これ に よっ て 「事 実」の説 明へ・
と進 むべ きことは 「基 礎 論 」の展 開 と 同 じで ある。技 術の 形 態を論
ず
る前
に, 技術
の 生 成に関 する こ とを若 干 述べ ておきた い。 物財
の調達に,・
人 間が技術
を 必要 とす
るこ と は昔
も今
も変
りが ない。.
し か し、
技 術の 生 成 する時 代に おい て,
人 間の物 財 調 達には,
「獲 得 」,
(Erwerb
)とい う方 法があっ たのみで,
「生 産 」 (Prbduktion
) という方
法は用い ら れ てい な か っ た とい うことは注 意す
べき
ことだ と思 う塑
とい うの は,
原始
時
代に は,
果 実の採 集に せ よ,魚
介の捕獲
に せ よ,
鳥 獣の捕 捉に せ よ,
「獲
得 」という物 財
調 達の方法
に よっ たの で あ り,
これ らを 飼育
し,繁殖
させ,
その後
で食
用 にす
るとい う 「生 産」 という方 法 は 用い られ ていな かっ た から
で ある。 しか し,
旧 石 器 時 代の釣 針,
弓矢,
用 具な ど が 示 して い る ように,
人 間は,
物 財 調達に技術
を用い て いた こ と は明らかで あ る。 いか に素 朴 で あっ ても,
素 手の技術
よ り は道 具の技術
の方が,
人 間の 「生活 困 窮」の緩
和に は役立っ た はず
で ある。
但 し,
こ の段 階では 人 間 は まだ,
物 財 調 達 を 安 定 させ,
「手か らロへ の1
生 活を脱 却 す る までに は 至 らず,
欲 求 を制限 して充足 との調 和 を 計る経 済の 実 現に は達 して いない。 こ の よ うロ
ロ
ロゆ
り
な
状態
では,
生 産 力に優る種族
では なく,
獲 得力
に優
る種族
が生活能力
を発揮
したと思 われる。 (二 )技 術は 四つ の形 態に分 け ら れ る134
N工 工一
Eleotronio LibraryHokuriku University
NII-Electronic Library Service Hokurlku Unlverslty
ゴ ッ
・
トル=
オッ トリ リエ ン フェ ル トの技 術 論 11人 間の 物 財 調 達に用い て 来た技 術は
,
四つ の 形 態に分け ら れ ると,
ゴ ッ トル は言、
う。
そ の 四 つ の形 態と は,
「原 始技
術」(Urtechnik
),
「部 族 技 術 」 (Stammes ・
technik ) 「手工技
術 」 (