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ゴットル=オットリリエンフェルトの技術論

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(1)

Hokuriku University

NII-Electronic Library Service HokurikuUniversity 1 L

'

'

rf

vt

F

7tx

=:: J6r

iy

F

V

'V

J

)z'

7

=. 7ti

F

CD

tilEfillith

pt

ff

E

ma

'

Gottl-Ottlilienfelds

Technolo'gie

'

Masaki

Hachino

Zusammenfa$sung

'

'

i

51.

Gottl-Ottlilienfelds

Syst6m・der

Wirtbehaft

besteht

aub .Grundh,

Formen-,

und

,

Gestaltungslehre."

Jede

Lehre

schlieBt .Problem,

Theorie,

und

Empirie"

in

sich

'

'

eln. .

S2.

Er

6eginnt

seine ""Grundlehre" mit

dem

Problem,."Was

ist

die

Technik?'`

Er

wor・tet

daftir

mit

.der

Theorie,

daB

die

Technik

eine

Ordnung

der

GYtersverfUgung・

sei.

'

Diege

Theorie

kldrt

die

Ernpirie

auch,

da,B

die

Technik

de,r

Wirtschaft

und

diese

'

dem

Leben

diene.

'

'

t

/

g3.

Die

.Formenlehre"

fSingt

mit'derri

?roblem

an, .Wie vertindert sich

die

Technik?"

Seine

Theori'e

sagt,

daB

es

in

der'

Geschiqhte

vier

Formen

der

Technik

gebe,

d.

h.

.Urtechnik,

Stammestechnik,

Handwerkertechnik,

und

Berufstechnik."

Diese

Theorie

weist auf

die

Empirie

hin,

wie

jede

Technik

sich.der

Reihe

nach au.f

Erwerb,

ion,

Qualittit

und

Quantitat

wende.

1 /

g4.

Die

.Gesta!tungslehre"

legt

folgendes

Problem

auf sich, "Welche

f6rdert

die

Technik

mehr,

die

Wirtschaft

oder,die

Wissenscbaft

?"Gottls

Theorie-antwortet

dafUr,

.Das

'

sei nicht

die

Wissenschaft,

sondern

die

Wirtschaft

!

"Daraus macht sie es

klar,

daB

'die

Technisghe

Vernunft

lieber

der

,Wirtsqhaftlichen

a,

ts

der

Wisse.nsebaftlichen

Ver-・

nunft

folge.

Nach

-ihm

forderq

die

.Wirtschaftliche-Vernunft

den

.dauerndsten

Einklang

''

der.Bedartgdeckung.'Die

Technische・Vernunft

strebe nach

den

gr6B,ten

VberschuB

dqs.Erfolgs

ttber

den

Aufwand:

Die

Wisser}qs)haflli6he

Vernunft.

suche nur

die

'

-

-

.

/

1ische

Beziehung

zwischen

Ursache

und

Wirkung.

125

(2)

Hokuriku University

NII-Electronic Library Service Hokuriku  University 2 鉢  野 正 樹

問 

  提   起

)  オ イケ ン の問 題提起   私は

昭 和三十 八年

故 酒 枝 義 旗 教 授の指 導の下に 「新 自 由主 義 経 済の理 論 と政 策に関 する 研究」 とい うテ

マ を授け ら れ

そ れ 以降

ほ ぼ

貫 し て この テ

マ の下で研究 を継

して

      i た。

1

は じめか ら意 識 的にそうして来たわ けで は ないが

今 か らふ りか えっ てみる と

こ の研 究 を二通 りのやり方で行 なっ て来たように思う。

つ は

自 由主 義 」 (

Neoliberalismus

);

会 的

場 経 済 」 (

Sozia1e

 

Marktwirtsehaft

「オル ド

学 派 」 (

ORDO

Schule

)など 様々 に呼

されてい る,

戦後

西 ドイ ツを

心に起っ た,

資本

に も

会 主

に も偏せ

, し か も 両 経済 体制 の長所 は これ を総合 し よ う と する 「第三 の 道 」 を 志 向する 学 者の 経済 学を

個 別に研 究 する とい うや り方で あっ た。 私は

こ の種の研 究によっ て

例え ば

オ イ ケン の経 済 学で は

オ イ ケ ン が経 済 学 体 系 を

1

)「経 済

程」(

WirtschaftsProzeB

2

〕「経 済 秩 序 」 (

Wirtschaftsordnung

3

}「与

連 環 」 (

Datenkranz

)か ら

想 して い ること が重

であ       〔1} るこ と

エ アハ ト の経 済 学

ハ ル トが経 済 政 策の 立 案には価 値の設 定が不 可 欠の条

で あ ること を認 識 し

「自 由 」

とい う価

に合せて経 済 政 策の

作成

を して いた こ と が重

で           ある こ と

プ ケの経 済 学で は

プ ケ が権 力 集 中の前 提 には 「大 衆 化 」 (

Vermassung

)が 先 行 して い るこ と を 明 ら かに し, これに よっ て

,第一

大戦

, 並びに第二 次 大 戦にお けるヨ

      [3}     

ロ ッ パ の国

主義の抬頭を

明 し たこ と

で あ ること な ど を

,私

な り に 発 見 し え たと思っ て い る。 私は

こ の種の研 究に よっ て

,.

いか な る学 者で も あ る程 度の業

が 認 め ら れてい る学 者の残 した研 究には

何 か

っ は

,.

その学 者な らではの

心的

業績

があること を知っ た。 私はt 各 学 者の学 問か ら

この ような中心 的 業 績 を抽 出 する ことに よっ て

「オ ル ド

学 派」のある 時 点にお け る学 派と しての 成果を, 集 大成 して みたい と 思っ て い る。

 

私が

己に授

ら れ たテ

マ の研究に 用 い たもう

つ の や り方は

こ の学 派

オ イ ケン の

経済学体

条件

け入れ て

オ イ ケ ンの

素描

し た

学体

系の指し示 す 方 向に研 究を 進 め る というもの で あっ た。 オ イ ケンの経 済 学 体 系は

あ くまで も

経 済 学の基礎で あっ て

経 済 学 者が経 済の研 究を進める上で の構 図を描いた もの にすぎ ない 。 例え ば

オ イケン は

経済

」 が

, 

産 ・消費

過 程,  

投資

,  

分配

、   技

,   立 地 過 程 以 上 五つ になる と言 うが

こ の 「経 済 過 程 」が

経 済に おける 「不 変な もの」

従っ て

「理論」の 対 象になる という以 上の こ と は言っ て い ない 。 こ こか ら言い うるこ と は

「理論」 と して の生 産 論

,投資

分 配論

術 論

立 地 論 が あ り うると いうにす ぎない 。 「与 件 連 環 」 につ い て も

これが

  欲 求 与 件

  資 本 与 件

  労 働 与 件

  自然 与

件 ,

 

技術

i  

度与件

以上六つ に な る と言 うが

これ が

,経済

に お け る 「

可変

なもの」

,従

っ て

「歴

」の対 象に な る とい以上の こ と は

っ ていない 。

オ イ ケ ン は

「歴 史 」 と して

欲 求 史

資本

,労

史 ,自

史 ,

制度 史 が あ り う る と予 想 していたと思 わ れる。 最 後

忙 ,

「経 済 秩 序 」につ い て も

  中 央 指 導 経 済

  流 通 経 済の 二つ が区 別さ れ る と言っ て い る が , 「経

秩 序 」は

経済

」 と 「与 件 連 環 」 とを二つ の

制 約

としつ つ

に と

っ てた だ

主体 的に選 択 し形 成 するこ と

可能な

「政策」 の対 象で あ るいう以 上の こ と は言っ てい ない。

126

N工 工

Eleotronio  Library  

(3)

Hokuriku University

NII-Electronic Library Service Hokurlku  Unlverslty

オッ ト リ リエ ンフェ ル トの技 術 論

3

 従

っ て

オ イ ケンの

これ を是認 し

継 承 する

にとっ ては

オ イケ ンが素 描し た 骨 格 を

内 容 的に肉 付 け するこ とが 必 要 と なっ て くる

私は

これ まで に

ル ッ ツ の

資本

    {4} の研 究

IC

よっ て

オ イ ケ ンの 「

経済

」 と 「

件連環 」にある 「投 資 過 程 」と 「資本 与 件 」       (5) の

両者

野の

きT 又

ウェ

労働

論  

に よっ て

同じ

く,

「経 済過程」 と 「与

連 環 」に あ る 「分 配過程」 と 「労 働 与 件」 の両 者を視 野の中に入 れな が ら

オ イケ ン の肉 付 けを 試み て

た。

回の ゴ ッ トル の 技

論の研 究 も

イ ケンが , 「

経済

」で 「

術 過 程 」と し

「与 件 連 環 」で 「

術 与

」と して い る骨 格 を

肉 付 け する目 的で 行 なっ た。 (二) 

般 的な問題提 起

 

昭 和 五 十 八 年 十

月 ,

近 畿 大 学で開催 された経 済 社 会 学 会 十 九 回 大 会において

、下

立 大

進 氏は

「資

主 義の運命 」とい う共 通 論 題の下で

「ケインズ

シュ ン ペ

ー,

      〔6】 そ して未 来 」 と題 して興 味 ある発 表 を行 なっ た。 氏 は

こ の発 表の中で

ケ イン ズはマ

シャ

シ ュ ンvxb ・

一・

はワル ラス を

承し た と し た 上で

ケ インズ とシュ ンペ

シ ャ ル とワル ズ ほどには

資 本 主 義の未 来につ い て楽 観 的では なかっ たとの見 解 を 発 表 した。

 

私 も

シャル とワ ル ラスカ

1870

年 代の いわゆ る限

界革命

ることに よっ て , マ ル ク スが 資本 主 義に向っ て つ きつ け た階 級 闘 争 を

限界理

に基づい て

本蓄積

子を低 下さ せ

金を 増 加さ せ るとと を論証するこ とで論破し

資 本主義へ 楽 観回 復 した と う意 味で

氏の見 解に賛成であっ た

更に

ケ インズ とシ ュ ンペ

の両 者が

ケ イ ンズ につ い ては 「投 資の乗 数 効 果 」が資 本の限 界 効 率の 低 下によっ て不 確 定と な る故に

シ = ンペ

にっ い て は 「技

術革新

」が企 業の カル テル

独 占などの

集 中化

に よ っ て

,企業

本来

の企

性 を 失 な うが 故に

いず れ も

本 主 義の未 来につ い て悲 観 的であっ たこ とに も氏 と同感であっ

k

 

しか し

私 はt 対 討 論 者 と して

氏の以 上の見 解に対 して

,敢

つ の 疑 義 を提 出 し た。 そ れ は

ケ イ ンズや シ ュ ンペ

資本

未来

につ い て悲観 的に適 用し て い た 「

資の乗 数 効 果 」や

f

技 術 革

」 は

,1930

年 か ら

1980

年に至 る半 世 紀の歴 史におい て

実 証 的 には

反 証 され たの で は な かっ た か とい うことであっ た。

投資

の乗

数効果

」 や 「技

術革新

」 を 反 証さ せ た要 因は

何で あっ た か ということで あっ た。 私は

この 要 因が

ケ イ ン ズ やシュ ン ペ

には充 分 予 測 し えな か っ た技 術 進 歩で な か っ たかと思っ て い た。 事 実

戦 後ア メ リカ で盛んにな っ た

経済成長論

投資

乗数効果

」や 「

技術革新

」 を 反 証 し た

技術

とい う

因 によ っ てt ケ イン ズやシ ュ ンペ

の理

正 し た もの と 思 わ れ る

 

オ イケン の 経 済 学 体 系に よれ ば

技 術の 研 究は

技 術 過 程 」 と 「技 術 与 件」 の 両 面 か らな されるべ き もの と な る。 「技

過 程」 は技 術の 「理

「技

」 は

技術

の 「歴

」を 要 求 すると も

える。 も し

戦 後ア メ リカ に起っ た経 済 成 長 論 を

技 術 を

心 と した研 究 と し て見る な らば

ハ V の 成 長 論は技 術の 「理論」

ロ ス ト ウの 段 階 論は技 術の 「歴

」 と

え るの では あるまいか ?       〔7}

 

私は

こ の ことに関 連 して

技 術の 「歴 史 」の

と して , 難 波田春 夫 教 授の 段

階論

に若

      CB} 言 及 して おきたい

こ の

段階論

三つ の 産

業革命論

と して

,野

武敏教授

技術論

で も 紹 介さ れて いる。 私 は

その概 略のみを以 下に再 録してみたい 。 難 波田春

教 授の 段 階 論によ れば

近 代 技 術は

まず 第

段階

と して

,1760年

代イギリス

心 }こっ た

繊維

時代

に は じ ま る。 これ は

常 ,

産 業 革 命と呼 ばれ る時 代で あ る

第二段 階は

,1860

年 代 ドイツ を中 127 N工 工

Eleotronlo  Llbrary  

(4)

Hokuriku University

NII-Electronic Library Service Hokuriku  University 4 鉢 野 正 樹 心 に 起 っ た

化 学工

の時 代で ある そ して

,第

段階

,1950年

ア メ リカ を中心 に起 た 原子

電子工業の時代 とな る。

 

教 授 の段 階論は

これに コ ン ドラ チ ェ フ の三つ の波 動を 重 ね合せる と

第三 の 波 動 (

1897−

1930

)の第二 の産 業 革 命とも呼

れる電 気

化 学

自動 車 の時代 力

見えに く くな る欠

は あ る が

何よ り も

戦 後ア メ リカ に起っ た

学 技 術の発達が

野の 中に収め られ る点がす ぐれて い ると思われる。

こ の段

階論

最近

富 永 健

教 授 がパ

ソ ツ ズを 援 用 して発 表 した       〔9} 「近代 化理論 」の三局 面 図 式に符 合 してい る点 を 注 目したい 。

授はt 「近代 化理論 」 の第

局 面 を代 表

と して ロ

ス ミス

コ ン ドル セ

サ ソシモ ン

コ ン ト

ス ペ ンサ

を挙

げ,

の中 心 地がイギリスで あっ たと し

第二局面の 代 表

にマ ル

テ ン ニ エ ン ス

ウェ

その

心 地 が ドイツで あ る と し

第三局 面の代 表 者にロ ス ト ウ

ン ズを挙 げ

そ の中心地を アメ リカと して い るが

こ の 三 局 面 図 式は

難 波 田教

の技 術の段 階 論によ く符 号 して い ると思う

私は

こ のよ う な図 式に

イ ギ リス の古 典

派 ,

ッ パ

用 学

経 済

長 論 を あ は め るも可 能か と思 う

 

いず れに せよ

最 近

わ が国の 貿 易 摩 擦 問題の解 決

法 とし て貿 易 立 国か ら技 術 立 国へ の転 擲 腿 案された り

l

°「 エ ・ク トve ・・ テ ク

噺 素材

な ど

発 力

れ たり

今 年 度 (昭 和

61

年 度 )の経 済 白書が

地 方の活 性 化

中 小 企 業の活 性 化 と並ん で

の活性 化を提 唱 して い る の も, 技 術の発 達が経 済の沈 滞 を 打 開 して来たとい う印 象が

つ よ く抱か れて い る

果であ る と 思 わ れ る。

最も

日的な問 題で あ る と思 う。

      一

   、

      

(三)

 

ゴッ トル の 問題提 起

 

私は

今 回の技 術 論を オ イ ケンが その骨格を素 描 した に と ど ま る 「技 術過程」 と 「技 術 与 件」 を

肉付

けする目的でや っ て い る しか し こ こ に避 けて通るこ との出来ない

つ の 問 題が あ る。 それ はt 私が

何 故この 肉 付け をオル ド

学 派の学 者に よ っ て行な わず

イ デ オ ロ ギ

上は自 由主 義に対 立 して 国 家 主 義に立つ と目 さ れる ゴ ッ トル

 

it

ト リ リエ ン フ ェ ル ト によっ て 行う のか ということであ る。 こ の問い に対 する

の答 え は

消 極 的に は

私の知る限 り

オル ド

学 派の

に技

術論

のま とまっ た研 究が

見当

らない こ と

,積極 的

に は

ヤ人であり

プロ テ ス タン トで あり

社 会主義 者であり

トル と は極めて対 照 的 なエ ル ド

マ ンが

その 著 書 「経 済 体 制の 社 会理 論 」 (

S6ziale

 

Theorie

 

der

 

Wirtschaftssyste

皿e

,1963

)の

で ゴ ッ トル の

術 論を高 く評 価 してい ることであ る。

 

序いでの こ と な が ら

ゴ ッ トル は

ナ チス時

ヒ トラ

に重 く用い ら れ たこ とに よっ て

国 家主義 者と目 されやすいが

私は

今 回の技 術 論の研 究によっ て

トル のイデオ ロ ギ

を仮に論 ず

るな らば

国 家 主 義 と言 うより

社 会 主 義 と言 うの が 適 切では ないか と思っ て い る。 勿

論 ,

マ ル クズの

社会

と は

成 する

因につ いて

厳格

一線

を画

るもの が ある が

分 業 化 と機 械 化によっ て著 る しい変 化 を みた労 働 者 階 級に深

同情 を

せて い ること を見 る と

トル の イ デ オロ ギ

国 家主

よ り

会主

に近いように 思 わ れ る。  ゴ トル の経 済 学 は

その体 系が階 層 秩 序を形 成してい た り

生 活の有 機 性

あるいは全 体

を 主張 し たり

方 法 論上 対 象との

一体

求し たりするの で

ドイツに固 有なル タ

義,

浪 漫主

義 ,

国 家主義の 流れ を想起 さ せ る が

,本来

カ トリッ ク主義

伝 統主義

,社

会主

の 流 れに立つ の では ない か と思

学 問 が 自然 科 学で あ れ ば

学 者の イ デオロ ギ

学 問 128 N工 工

Eleotronio  Library  

(5)

Hokuriku University

NII-Electronic Library Service Hokurlku  Unlverslty トル

オ ッ トリ リエ ンフ ェ ル トの技術論

5

と は直 接 何の関 係 も もたないが

学 問が社 会 科 学 とな ると

学 者 と学 問 とがイ デ オロ ギ

ば れること が珍 ら し く ない。 問題は

イ デ オロ ギ

のみ を もっ て

学 者と学 問と を批 判 す ることであ る。 社 会 主 義の故を もっ て学 者と学 問 を 批 判 す ること も

自由 主 義の故 を もっ て批 判 すること も

国 家主義 を もっ て批 判 するこ とも正 し く ない

従っ て

ゴ ッ トル と その学 問も

を もっ て

るの も正 し くない と 思う イ デオロ ギ

を明 らかにするこ とは

た だ

そ の学 者と学 問と をよ りよ く理

するた めの前 提にす ぎない。

に,

社会科学

におい て

これ は無 視 しえ ない作 業で ある

しか し

作 業は こ こで とど ま るべ きあ る とい うのが

,私

の 意 見で あ る。

 

ゴッ トル 経 済 学の 注目すべ き点は

4

何よ りも

ゴ ッ トル が 「認 識 論」 を基 礎にする経 済 学を

根本

的に批 判して

これ と は全 く異な る 「存 在 論」 を基 礎にする経 済 学の構 築を目ざした こと       a助 にある。 ゴ ッ トル は

その学 問 的 精 力の大 半 を

「認識 論 」の批 判 と 「存 在 論」の確 立に

や し た。 従っ て

ゴ ッ トル の 経 済 学は

その重 要な

分が

経 済 学

法 論と 呼ばれ る研 究 領 域に

と ど まっ て い る。 わ ず かに

ゴッ トルが 「存在 論 」の基 礎の上に構 築 しは じめ た建 物の

部 が

技 術

であっ たと言

。私

先に

オ イケ ン の

済 学

体系

が, 「経 済過程」, 「経済

序」

「与

連 環」の三 つ か ら

る と 述べ

た が

ゴ ッ トル の経 済 学

系も

「基 礎 論 」 (

Grund 一

      働

lehre

態 論」(

Formenlehre

「形 成

」 (

Gestaltungslehre

)の三つ か ら成 っ て い る

トル の経 済 学 体

で は

技 術の理論は 「基 礎 論」

技 術の歴 史は 「形 態 論」

技 術の政

は 「形

論 」の それぞ れ問 題と な る。 ゴッ トル の経 済 学 体 系が

「存 在 論」 を基 礎にすることに 留 意 しつ つ

技 術の問 題を追 求 する。 二 、

技 術

の 基

礎 論

)  技 術は 自 然 現 象で な く体 験 事 象である  ゴ トル の技 術 論 を解 明 するにあ た り

私 は

経 済 学 をラ イフ

クとし た故 酒 枝

義旗

経済

学にお ける

方法論

と技

術論

関係

じ た

紹介

し たい

昭 和三 十 三年に早 稲田大 学 政 治経済学雑誌 に発 表 した 「構成体 論 的 経 済 学の生成」 の

教 授 は以 下の ように述べ て い る。 「認 識 論 上の

努力

応 結

を つ けた上で

ゴッ トル は

さ きに 引 用 した

M ・

ウェ

の 疑 問に対 して解 答せ ね ば な ら な かっ た

す な わ ちウ ェ

「まだこう した研究が果し て内 容 的に

ある効 果 を 生 ずるか どう かは疑問で あ る に せ よ

……

』 と書い た

そこで ゴ ッ トル は

自分の 認識 論 的 苦心の 中か ら

た し かに内

的 効 果が

ずるこ とを立 証 せ ねばな ら ない の で あ る

か くして ゴ トル の関心 は

経 済 生 活の最も現 実 的な問 題 で あ る 『経 済と技 術 』との根 本 関 係の把 握に立 ち 向っ たの で あ る。」

 

以 上

t

明に よっ て 明 ら か な よ う に

ゴ ッ トル の

術 論は

ゴ ッ トル が二十 九 才で 「

価値想

」 (

Wertgedanke

1897

)の

表 と と もに

開始

した

方法論

にわた る研

現 実の問 題に適 用し よ うと し た もの で あっ た

従っ て

トル の技 術 論の解 明の た めに は

これに先 行 した

法 論 を 概 説 す る必 要 が あ る。 以

で, そ の

概要

を示そう。

 

私は

トル の処 女 論 文 「価 値 想 」 か ら技 術 論の主

「経 済 と技 術」 (

Wirtschaft

 und

Technik ,

1923 年 )に 至 る

五 年

の経

法 論 的

経 済

学 的 あ るい

認識 批 判 論 的 研

,結

すで に述べ た ように 「認識 論 」の

批判

「存 在

」の確 立に尽 きると思 う。

129

N工 工

Eleotronlo  Llbrary  

(6)

Hokuriku University

NII-Electronic Library Service Hokuriku  University

6

鉢 野 正 樹 ゴ トル の言 わ ん と

ること は,

のよ うになろう。 「認

識論

」 の ように , 認

と認

識対

象との 間に範 疇

設 定して 認 識を可 能にする方 法 論は

そ の認 識 対 象が自 然のよ うに不 可 知 論

立 場を と らざるをえ ない

場合

されるべ で ある

こ の よ う な

自然

」 (

Erscheinungen

)を対 象にする 「

然 学 」 (

Naturlehre

)に のみ適 当で ある。 これに対 して T

     .

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

認 識 対 象 が 自然でな く人 間

あ るい は自然の 運動によっ

る 「

然現 象」 (

Erscheinungen

) で な く

人 間の行 動に よっ て起される 「

験 事 象 」 (

Erlebungen

)の 場 合に は

不 可 知 論 的

場を とる必 要 は な く

,苛

知 論 的 立 場 を とることが可 能にな る

何故な ら

「体 験 事 象」 が

行動

果である限 り

その行 動の原 因である意 欲 は

同 じ人 間で ある認 識 主 体には 理 解 が可 能だ か らである。 従っ て

この よ う な場 合には

この よ う な 認識 対 象に 適合し た方法論と して 「認

論 」 に 代 わ る 「存 在 論」 が 適 用 さ れ るべ あ る 。 ゴ ッ トル は

これ を 「自然学」       個 (

Naturlehre

)に対 して   「生 活 学 」 (

Lebenslehre

)と名づ けて い る。

 

と ζろ で t 認識対 象をゴッ トル の よ うに

「自然 学」の対 象とな る 「自然現象」 と

「生 活 学」

        ■

 

 

 

 

の対 象 と なる 「体 験 事 象 」 とに分 類 すると

今こ こで問 題に してい る技 術は

ず れ対 象 と

な るの だ ろ う か ?技 術は

自然 現 象で あ ろうか ? そ れ と も体 験 事 象で あろ うか

仮 りに

「自 然 現 象 」 が

,本

性→ 運

現象

い う

生 成 し

体験事象

」 が

→ 行

事象

とい       の   

系列 で 生 起する もの とすれ ば

技 術は

れの系列に位 置づけ られ るであ ろうか ? お そ ら く

少の 体 験の反 省 さえ あ れ ば

人 間に

より速 く

よ り遠 く

より多 くとい っ た技 術 的 意 欲の あ るこ と は容 易に分か る はずで あ り

た めの方 法を求める技 術

行 動や

その 結 果と し て の発 明

発 見とい っ た技 術 事 象の あること も容 易に分 かるは ずである

技 術 がこ の ように

自 然 現 象で な く

体 験

事象

で あ る と

結論

さ れ れば

,当

然の

果と して

,技術

「生 活学」の

象と な り

そ の研 究 方 法は

「存 在 論 」に依るべ ことにな る

こ の説 明に入る前に

「自 然 現 象 」 と 「

象」 を図 示して

その

違を 比較 して おこ う。

本性

法 則

! !万 ! 「 1 塵 ! 「 ! !        

1 〆 1 麌 鏖 i !ヨ ! 〆 ‘   ! Ψ

支 配

(現象の 世 界 )

技 術

1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

I

 

 

 

 

 

 

 

I

 

 

 

 

 

 

I 「  

      / − lll Ψ ! 「 !   !     ノ     !       !         !         !

適 用

(事 象の世 界 )

 

以 上の図 表 は

が 運 動に移 される時

法 則の支

を 経 由すること

意 欲 が 行

に移 され る時

技 術の

用 を経由するこ と を 示 してい る。 更に

現象の世 界に

象の 世 界 を 重ね れば

事象

の 世界が

現 象の 世 界に制 約さ れ る

子も示 し う る。

      (二 )  技 術とは物財 調達の秩 序で ある

技術

以 上で述べ た ように

,自

然 現 象では な

く体

験 事 象で あ る こ と が認め られ れ

ば,技術

130 N工 工

Eleotronio  Library  

(7)

Hokuriku University

NII-Electronic Library Service Hokuriku  University 1 ゴ ト ル

オ ッ ト リ リエ ンフ ェ ル トの技 術論

7

の研 究は

「認識 論 」でな く 「存 在 論 」で

「自然 学」 と して では なく 「生

活学

」 と して行な わ れな くては な ら ない

題 は

の研 究 を

「認識 論」で な く 「存 在 論」 で 行 うことは具

にいか な ることかとい うことである。 私は

今 まで

「認 識 論 」 は対 象に

疇 的

kategorisch

}・

「存 礁

,, 。

bi

,m 。、

f

、ch・

i

る・ と だ と言。 て来た カ

ius

 c の内 容を

トル の方 法 論に即 して も う少 し具 体 的に説 明し よう。

 

学 問 がいかに

,方

「認

論 」 と 「存 在

」に二 分され よ う と も, 学 問

が 認

識対

象の解 明 を 目的にする限 り

両 者は共 通の基 盤に立つ と言える。 こ の点につ い て私は

昨 年 行っ         た ポパ

に よっ て

ゴ ッ トル とポパ

とは

,方法論

全 く対立する 立

に立 ち な が ら

研 究を 進 める形 式が あ まりに よ く似か よっ て い る のを 知 っ て

いた。 何 故なら

ゴッ トル が 「存 在 論 」の方 法 を

「問 題 」 (

Problem

)の提 起には じま り

次に 「理 論 」 (

Theorie

)の 形 成 に

すみ

,終

りに 「事 実」 (

Empirie

)の明 をすべ あ る と しい る

に 対 して

ポパ

「認識 論 」の方 法を

同 じ ように

「問題 」の発 見

「理論 」の設 定

「事 実 」によ る反 証へ と

す すめ るべ

と しい るか らである。

く と も形 式 上は

両 者の方 法 論 が 酷 似 してい る と

は 思 う。 しか し

そ れ にも

両者

に は

,無

視 する こ との

出来

ない相違 が あ る と 思わ れる。 それは

何であ るか ?私はそ れ が

両 者の 「理論 」 (

TheQrie

)に最も明 自に 認め られると思 う。

故な ら

「存 在 論」 が

「問 題 」

「事 実 」の いか

る段 階におい て も対 象に即 して 研究 を 進め よう とするの に対して

「認 識 論」は 「理論」の 設 定

     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おい て対

を離れ る か らであ る。

こ こに

の 方法 論 上の 根

的 相違が あ る と思 う

     

   の   従っ て

技 術 を対 象として 「存 在 論 」の方 法で研 究を進め るとい うことは

「問 題 」の提 起

        ロ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「理

」の 形

成 ,

「事 実」の説明 , い

れの 段 階に おか て も

対 象に即 するこ と が忘れ ら れ て は な らない こ と に な る。

  私

は以 下で

トル の方 法 論に従 うな らば

そ の

技術

論が どの ように形

さ れ るか を

技 術の 「基

礎 論

Gfuhdlehre

ら検 討してみ たい

ゴ ッ トル の 「基 礎 論」 は

t

オ イ ケ ンの 「経 済過程 」に相 当し

経 済の 「不 変な もの」 に 志向 する。 従っ て

こ の結 果は

経 済の本 質 を

規定す

る は

で ある。 まず

ゴ ッ トル の 「

存在論

」 に

づ い て

「問 題」 の

起か ら は じ め ることにする

問 題 提 起の最 も

般 的 な 形 式に従 っ て

「技 術 と は何 か?」 と問 うことにす る。 こ の問いに対 して

いか な る答え が予想 さ れ る だ ろうか ? お そ ら く

技 術と は1 目 的に対 する

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手 段で あるというのが

般 的な答えで は な かろ

か ?し か し

これでは

目的も手 段 も

そ の 内 容があま り に漠 然と しす ぎてい る。 こ の内 容 を

具 体 的に示 すた めに

私 は

ゴッ トル が し ばしば行っ た ように

生活と経 済

経 済と技

を 比

して みる ことにする。 今

仮りに

「意 欲 を 充

さ せ るこ と」を 生 活

こ の ために 「欲 求 を 充 足さ せ るこ と」を 経 済 として み ると

t

生 活と経 済 との 関 係 は

「意 欲 充 実 」の 目 的

「欲 求 充 足 」の 手 段となる の で はあるまいか ?同 じくt

経 済

技 術 を比較 する

ど う なるだろ うか ? それは t 「欲 求 を 充 足させ る こ と 」を 経 済 とし た

このた めの 「

物財

調

ること」が 技

で あると

る ことが

出来

る の で は あ る まいか?そ うす れ ば

経 済 と

術 との関 係は

「欲 求 充 足 」 を 目的 とし た 「物

調 達 」の手 段 と な る はずで あ る。 こ の ような

係 を 図

示す

れ ば

以 下の よ うになる。

       

131

N工 工

Eleotronio  Library  

(8)

Hokuriku University

NII-Electronic Library Service Hokurlku  Unlverslty 8 鉢  野 正 樹

欲 求

/刀 i ! 1 / 1 ! / 量 ! 1 「 L ! 万 1 / i   ! 遇

(生 活と経

充実    

欲 求

物財

/ 可 II ! 1 ! ! 1 ! 1 ! ! 11iI ! !7 宦 ! V

  調 達

(経 済 と技 術 )

足   以土の図 表は

意 欲が充 実される時には欲 求の充 足 を 経 由するこ とを

その 欲 求が充 足され る時には物 財の調 達 を経 由する こと を示 して い る。 こ の図 表 を

生 活 と経 済 との関 係で 見 ると

済 は 生

的と し た

,経済

技術

との関

で 見る と

,技術

は経 済を目 的と し た時 の手 段 と なる。 更に

二っ の図 表 を重 ね 合 わせれ ば

生 活 とい う上 位の 目的に

経 済 という上

の手 段で あると 同時に下 位の 目的が仕え

この 両 者 に

位の

で あ る技 術が仕え る とい う       i 関 係が読み と れ る。

っ て

経 済 も

技術

ともに

生 活という上

の 目的には手 段 と して仕 え

これ を支えて い る と言え る。 こ のような関 係の中で

経 済が欲 求 充 足の秩 序と言 うな らば

技 術 は物 財 調 達の

序 と

え るので はあるまいか ?もし

そ う な らば

,技術

質 は

,物

     

      (IT 達の

序 と規 定さ れ る。 ゴ ッ トル が

技術を経 済の腕 (

Ar

皿 )で あ ると言 うのは

ζのような 意

に おい て で ある。 (三 )  技 術は経 済に奉 仕す る

 

以 上

ゴッ トル の

技術

の 「基

礎論

」を

技術

か?」の 「

題 」 か ら

発 し

「技

と は

財 調 達の秩 序である。」 とい う 「理 論 」に到 達 するまで 論じて来た。 技

の 「基

論」 で残 された問 題 は

「理 論 」に よっ て 「事 実 」が どの ように 説 明される か とい うこ とにな る。 ゴ ッ トル の 「基

論」 に お け る 「理

」を, 「技

術 と

物財

調 達の

秩序

で あ る。」 と

る な ら ば

こ の 「理

」 は果 して

「事 実 」の説 明にとっ て どれほど有 効であろ うか ?以 下

この点 を論じて み たい。

の 「理

」に いか な るものが

にある かは別 と して , ゴ ッ トル の 「理

」 も

くの 「事 実」 を意 味

る ように思 っ て い る。 その

略 を示せ ば

,例

えば

原 始 時 代の三大 発 明 と呼 ば れる道 具や

火 や

言 葉の 発 明 な ど は

「技 術は物 財 調 達の 秩 序で ある。」 という 「理論 」に よっ て意

味深

明さ れ るので は な いだろ う か ?

近 代の三大 発 明 と呼 ば れる火 薬や

盤や

印 刷 術の発 明につ い て も同 じことが言 え るの では ないだろ う か ?最後に

革 命以降の

して い る 軽 工

業 ,

化学

業 ,

電 子 工業に係わ る あ ら ゆる 発 明につ い て も同 じことが 言 え るの で はあ る まいか?

 

しか し

「理 論 」という ものは

あまりに全ての 「事 実 」を説 明しすぎ る とい の は

tt

も言 うよ うに

っ て , 「理 論 」の価 値を低める ことにな

のか もしれない。 ゴ ッ トル の 「理 論」に関して も

あ まり大 風 呂

敷す

ぎて

多 くの 「事 実」を 説 明 し

ぎるとい う批 判 が あるか も しれない。 こ の ような批 判に対して私は

ゴッ トル の 「理論 」につ いて重

なこ と は

いか に

多 く

の 「

事実

」 を説 明 する か ということより も

,今

まで

及さ れ な かっ た

ら し い 「

事実

」 132 N工 工

Eleotronlo  Llbrary  

(9)

Hokuriku University

NII-Electronic Library Service Hokurlku  Unlverslty ゴッ トル

オッ トリ リエ ンフェ ル ト の技 術 論 9 を明 らか に して い ることで ある との指 摘 を もっ て答 えたい 。 私 は 以 下で

その よ う な 「事 実」 を三点 挙 げて お きたい。       圃

 

済に

行して い た とい う事 実

 

こ の事 実は

,先

に示 した生 活 と経 済

経 済と技 術の図 表に よ る と

明しやすい の で , これ を 利 用 するこ とにする

こ の 図 表に よ れば

生活 と

経済

と技

との関 係は

「意 欲

実」→ 「欲 求 充 足 」→ 「物 財 調 達 」の順 序に描 き うる が

ゴ ッ トル は

農 耕 が は じまる以 前の原 始 時 代に おいて

人 間の生 活は

な しで

生 活 と技

関係

の み で 展開 してい た と主

張す

る。

っ て

上の関 係は

「意 欲 充 実 」

「物 財 調達」と描きうる。 何 故

農 耕 以 前の人 間の生 活が

こ       【1鋤 のように短 絡 化されなけれ ば な らなかっ た か とい うと

「意 欲 充 実 」が

厂外 界 」 (

AuBenwelt

)           と 「偶 然 」 (

Zufal1

) とに左 右され ることは今 も昔 も

り ないが, 原

のよ う に

「外 界 」         と 厂偶 然 」へ 依存 性つ よす ぎる場 合には

「手か らロへ 言 わ れる よ

調 達」 に よ っ て しか 「意 欲 充

」の 方 法はな く

,従

っ て

厂欲 求充足」の

で あ る経 済は生 ずる余 地 が な かっ た と

トル は言 うの で ある。 技 術が先 行し た とい う事

を , ゴッ トル が主 張

る の は

以 上の理 由によ る

1鸚

トル の指 摘 したこ の事

,単

IC

過 去の

で あるばか りで な く

人 間の生 活が

「外 界

と 「偶然 」へ 依 存 性つ よ め る時には必 ず 再 生 する とい う意 味で

現 在の

そ して 未 来の事 実で も あ る と思っ て い る。

  

厂経

的理性 」 (

Wirtschaftliche

 

Vernunft

) と 「

術 的理性」 (

Teehnische

 

Vernunft

   は異な る とい う事 実

 

が意 欲の充実にあ る とす

上の図

には示さ な か っ た が

意 欲の充 実は

権 能の

囲によっ て制 限 され ることにな る。 何 故なら

意 欲の充 実 は

「外 界 」 か らの 客 体の 提 供 を 受 けながらも

「偶 然」によっ て その客 体の提

を左 右 さ れ る か ら である

こ の よ う に

充 実が

権能

よ っ て

限さ れ る

時,

ゴッ トル の言 う 「生活 困 窮」(

Lebensnot

)が生 じ て来 る。 意

の充 実 を 目的に行なわ れ る行 動の展 開 を

,欲

求の充 足 を

める

済 と

,物

財の調 達 を

め る

技術

と に分 ける な らば

,両者

は と も に

厂生活 困 窮」 を緩 和 さ せ

生活を救 済 する 点で は酷 似 す る。 しか し

それにも拘 らず

すで に述べ たよ うにジ 経 済 と技 術 との 間には

目 的と手段 との相違 がある。

 

とこ ろで

最少

用に よ る

,最大

の成

」 とい

い わゆる

経済

欲求充足

」にあ て はまるの か

それ と も 「物 財 調 達 」にあては ま るのか?効 用 学 派の 効 用 極 大 化

利 潤 極 大 化 は

こ の

経済原

則 を

欲求充足

」 にも

財調達」 にもあ て は め てい る

し か し

これ は

効 用 学 派が 「欲 求 充 足 」を消 費過程

「物 財 調 達 」を生 産 過 程と して

両 者 を 同 じ経 済 過 程 と して

取扱

うか ら で あ る。 こ の

結果 ,私

は,

学派

で は

ゴ ッ トル の言 うように経 済と

術の 区別 が は っ き り しないと思 う。 私はこ の 点

欲 求と充 足の 調 和 を 求めるのが 「経 済 的 理 性 」

成 果 と費用 との

を求め るの が 「技 術的 理性」 と し て 区 別 した ゴ ッ トル の指 摘 に意味が あ る と思 う

  

経 済は生 活に

,技

術は経 済に奉 仕 する という事 実。   こ の点につ い ては

これ まで に説 明 して来たの で

多 くを加 え る必 要は ない。 先に示 した、 生

と経 済

及び経 済と

技術

の図

こ の

事実

を表わ した もの で あ る

ゴッ トル が

調して 止 まな か っ たこ と は

経 済が

単な る 「物 財 調達 」以 上の もの で あ りな が ら

決 して

「意欲 充 実」を も超え るもの で もない ことであっ た。 以 下の

文は

ゴ ッ トル の生 活

経 済

技 術の

133

N工 工

Eleotronlo  Llbrary  

(10)

Hokuriku University

NII-Electronic Library Service Hokuriku  University

10

鉢   野  正  樹 関 係 を最 も明瞭に表現 し たもの の

つ と 思う。

 

「ところで経 済は全 人間共同生 活の ひ とつ の 強 大 な秩 序 様 式であ る から

か か るもの と して の経 済は

,例

へ ば

生計

配 慮として

或ひ は たゴ物 財 的 給

と し

乃 至 は単に財の運 動 すな はち財の生 成

流 転

消 滅 として 現実

で あ る に

ぎ ない

といふ や う

こと と は雲 泥の

違 が ある。

経 済は

当に財の生産

分 配お よ び消 費の総 括たる こ とに盡 きて しま

も の で あら うか。 既に古へ の支 那の聖 典の教へ は まつ た く異つ ていた。 すな は ち

経済

はい つ の

代で も 「平 和な共 同生 活の 実現 』 とい ふ

い意味を

つ もの である と説い た。 ま こ とに経 済は      

 

 

 

      闘 現 実 的 な もの して平 和へ の

た る資

を もつ もの である。」 三、 技

) 形 態は実在規 定を可能にする

 

技 術の

「基 礎 論」 が

「問 題」 の提起 には じ まり

「理 論」の 形 成にす すみ

「事 実 」の説 明で終るとされて い る よ う に

ゴッ トル の方 法

で は

,技術

Q

「形 態 論 」 も同じ

JI

で展 開さ れ ね ば ならない。 ゴッ トル の技 術 論 は

必 ずしも

こ の型 通 りにはなっ て いないが

私 は

トル の

に即 して その技 術

再構

成 して み たい

そ れ は

の よ う に な るであ ろ う

  技

術の 「基 礎 論

1

のは じ めに 「技 術と は何か ?」の問 題が提 起さ れ た ように

「形 態 論」 の は じめに も 「技 術 は どの ように変っ て来 た か ?」の問 題が提 起 され ね ば ならない。 そ して

「基 礎論 」

1

「技

と は

財 調達 の

秩序

で ある。」 とい う技 術の

質規

を 可

に した よ う に

態論」 も

物 財調 達の秩 序が

どの よ うに実 現さ れて き た かそ の 態 の 実 在 規定 を 可 能 に し な くて は な ら ない

こ こ で実 在 規 定と言っ たりは

技 術の形態 をそ の本 質が実 現さ れ る 形 態に即 して記 述 するということで

決っ して

「認

論 」にお けるモ デル の ように

認 識 主 体 が 認

と は

無関係

にこれを

成 して現 実にあて は め ることを しない ということである 。 もし

態の実 在 規 定を可 能にする 「理論」 が形 成さ れ れ ば

これ に よっ て 「事 実」の説 明へ

進 むことは 「基 礎 論 」の展 開 と 同 じで ある。

 

技 術の 形 態を論

の 生 成に関 する こ とを若 干 述べ ておきた い。 物

の調達に

,・

人 間が技

を 必要 と

るこ と は

りが ない

。.

し か し

技 術の 生 成 する時 代に おい て

人 間の物 財 調 達には

「獲 得 」

Erwerb

)とい う方 法があっ たのみで

「生 産 」 (

Prbduktion

) という

法は用い ら れ てい な か っ た とい うことは注 意

ことだ と思 う

とい うの は

代に は

果 実の採 集に せ よ

,魚

介の捕

に せ よ

鳥 獣の捕 捉に せ よ

得 」という

物 財

調 達の

方法

に よっ たの で あ り

これ らを 飼

,繁殖

させ

その

用 に

るとい う 「生 産」 という方 法 は 用い られ ていな かっ た か

で ある。 しか し

旧 石 器 時 代の釣 針

弓矢

用 具な ど が 示 して い る ように

人 間は

物 財 調達に技

を用い て いた こ と は明らかで あ る。 いか に素 朴 で あっ ても

素 手の

技術

よ り は道 具の技

の方が

人 間の 「生活 困 窮」の

和に は役立っ た は

で ある

但 し

こ の段 階では 人 間 は まだ

物 財 調 達 を 安 定 させ

「手か らロへ の

1

生 活を脱 却 す る までに は 至 らず

欲 求 を制限 して充足 との調 和 を 計る経 済の 実 現に は達 して いない。 こ の よ う      

   

   ロ       

   

   

 

状態

では

生 産 力に優る種

では なく

獲 得

る種

生活能力

を発

したと思 われる。 (二 )技 術は 四つ の形 態に分 け ら れ る

134

N工 工

Eleotronio  Library  

(11)

Hokuriku University

NII-Electronic Library Service Hokurlku  Unlverslty

トル

オッ トリ リエ ン フェ ル トの技 術 論 11

 

人 間の 物 財 調 達に用い て 来た技 術は

四つ の 形 態にけ ら れ ると

ル は言

そ の 四 つ の形 態と は

  「原 始

術」(

Urtechnik

  「部 族 技 術 」 (

Stammes ・

technik )  「手工

術 」 (

Handwerkertechnik

  「専 門技 術」(

Berufstechnik

)であ る

年 表と照

する と

  厂原 始 技 術 」は

旧 石 器 時 代 (

B .

C

 

50 ,

000 − B .

C

 

10 ,

000

  「部 族 技 術」 は

新 石 器 時 代 (

B .

C

 

10 ,

000 − B .

C

 

3 ,

000

)}こ

  「手工技 術 」は

金 属 器の使用 が は じ まっ た

明時

から, ギ リシ ャ

u

古 典 古 代

中 世る ま

B

C

 

3 ,

000

A

D1 ,

500

  「専 門 技 術 」は

近 代か ら現 代に至るまで (

A ,

D

 

1 ,

500

以 降 )に相 当する。

 

「原 始 技 術」の時 代に は

の物 財 調 達の技

獲得

」(

Erwerb

)に限 定さ れ

「生 産」(

Produktion

) は起っ ていない

。更

獲得

」 は

物に分 けら れ る か ら

前 者 に

従事す

狩猟

種 族と

,後

者に従 事 する

採集

と は

この 時 代

かれて生 活 して い のか もしれない。 ア レキ サ ンダ

ー ・

リュ ス ト

の言 う 「高文化」 (

Hochkultur

)は牧 畜 民 族が

民族を

服 する 過程で成 立 し た とする仮 説が正 しけ れ ば

その前 段 階 と して

狩 猟 種 族 と採集

の独 立 した 生

が あ

え たよ うに思 わ れる。

 

こ の時 代の重

な 発明は, しばしば言われるよ うに

道 具 と火と言 葉で あっ た。 これ ら三つ の発 明は

単に

物 財 調達に役 立っ た だけでは な く

形 成にも役立 っ たはずである。

に ,       t 言 葉が物 財調達だ けで な く種 族 形 成に役 立っ たで あろうこと は 想像に

くない 。

にt

を保 存 するこ

トル の言 うよ うに

現 在の ことに のみ 拘 束 されて い た原 始 人に

未 来へ の 目 を 開いた と言え る かも しれ ない。 火の保 存は

種の貯 蔵に似て い るか ら

「原 始

術 」か ら 「部 族 技 術」へ の 橋 渡 しの 役割を担っ たと見 ること も 出来るだ ろ う。

 

「部

族技

術 」は

に よっ て開

始す

る。

農耕

は、t 元

, 植

採集

栽培

とに

事 して い た種

の発 達 させ たもの で ある。 何 故な ら

動 物の狩 猟と牧 畜と に従 事し た種 族か ら は

につ いて の

は起 りえな か っ た か らであ る。 但 し

穀 物の生 産には

灌 漑と

排水

を備え た

地 を必

と し

こ の

作業

の た め に は

リュ ス ト

の 「高 文 化 」の 仮 説 が 言 うよ

うに

重 層 構 造 をともなう社 会CD

成 立が前 提と な る か ら

,農耕

に従

し たのは種 族を超え た

族と見るの が 正 しい 思 わ れ る。

 

「部 族 技 術 」の重 要 な 点は

人 間の

財 調 達が

「獲 得 」 という 「

界」 と 「

偶然

」 とにっ よく左 右 さ れる不 安 定 な 状 態 か ら解 放されて

「生 産 」とい う安 定した状態へ

し たこ と で あっ た。 「生

」 が

安定

した物 財 調 達の

法で あ ること は

の場

合 ,

播 種か ら繁 殖を経 て 収 穫に至る投 入 と産 出の 関 係 が

計 測 可 能で ある こと を見 れ ばよ く分か る。 物 財 調 達が

こ の ように安 定し た状態 と なっ ては じ め て

の意 欲充 実は

,物

財調達とい う技 術の支えと と もに

欲 求 充 足とい う経 済の支え を受 けること に なっ たの で あ る。 何

,穀物生産

に とっ て

,今年

収穫

を全て

消費

,欲求

を 制

して , 来 年の生 産に備え ることが 重要 と なっ たか らである。 農 耕の時 代になっ て

物 財 調達 だけでな く, 欲 求 充 足に よっ て意欲 充

が実 現さ れ る よ う に なっ た。

 

「手工

術 」は

石 器か ら陶 器を

金 属 器が使 用される過程で成 立した。 「部 族 技 術」 が

これ を担っ た

層の存

を 示 すように

「手工 技 術 」 もt これ を 担っ た職 人 階 層の 存 在を示 す。 こ のよ うな新しい階 層が存 立 する た め に は

穀 物 生産 に

事 する農民階層 が

その 労 働の再 生 産に必 要 以 上の余 剰 生 産を あげること が

提 と な る。 リュ ス ト

に よ れば,

牧畜

民と

農耕

民との重 層 構 造によっ て成 立 した 「高 文 化 」 が

黄 河

イン ダス 川

135

N工 工

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参照

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