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中央学術研究所紀要 第41号 053河﨑豊「猿が木から落ちる」

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(1)

1.はじめに

 白衣派ジャイナ教史上最大の知性の一人として、ヘーマチャンドラ(1089 1172)

1)

を挙げる事に反対する者は居ないだろう。「世界衰亡期の一切智者(kalikālasarvajña)」

と称えられた彼の多彩な諸著作は、疑いなく中世インド文化の解明に資し、個別文献

の緻密な研究が望まれるものである。と同時に、それらの研究を促進する工具書の整

備も有意義と考えられる。筆者は

Pariśist

4 4

aparvan[Pp]の詩脚・語彙索引を作成中

2)

だが、Pp 自体が本邦ではあまり紹介されず、また資料としての活用も少ない。

 そこで本稿では、Pp中の一説話を、その源泉資料の可能性がある諸文献と共に紹介

し、今後のヘーマチャンドラ研究の呼び水の一つとなる事を目標とする。

河     豊

1.はじめに 2.Pp と Jc 3.Pp 2.406 430 4.Jc 10.1 18 5.もうひとつの「猿が木から落ちる」話  5.1.Kot4yācārya on VĀBh 858  5.2.Malayagiri on BKBh 295 6.諸 version の異同と Pp 7.おわりに 1 )ヘーマチャンドラの著作については Narang(1972:6−14)を見よ。

(2)

2.Pp と Jc

Triśast

4 4

iśalākāpurus

4

acaritaがいわゆる“Universal History”

3)

を扱う雄編なのに対し、そ

の補遺篇として著された Pp は、Sthavirāvalīcarita『歴代長老行伝』なる別称の通り、

マハーヴィーラの孫弟子であるジャンブー以降の教団系譜を扱う小品で、教団史研究

資料の一つとされてきた。また、Monier-Williams の梵英辞典の増補時、協力者 Ernst

Leumann の依拠資料の一つが Pp だった事が示唆する通り、語彙研究の点でも興味深

い資料を含む。更に、Ppは豊富な説話を織り込み、マウリヤ王朝に関する詳細な伝説

を示す等、説話あるいはインド史研究において貴重な情報を提供する。

 Ppが全てヘーマチャンドラの独創とは考え難く、利用し得た諸資料を駆使して執筆

された筈である。それは、Pp の第二版(pp.viii-x)での Leumann による Pp 以前の諸

資料との対応箇所一覧の指摘からも明らかである。尤も、Leumann 当時、利用可能な

資料には当然限りがあった。彼の照合作業以降に出版された諸原典中、ヘーマチャン

ドラに先行するものとして注目されているのが、

Jam

4

bucariya[Jc]である。

 表題通り、Jc はジャンブー行伝を扱う、プラークリット語で書かれた単行作品で、

現時点ではJcに対する注釈などは発見されていない。僅か一写本に基づいて1959年に

校訂出版され、2009年に多くの pariśist

4 4

a が追加された上で再版された。内容は Pp の冒

頭4章 ― つまりジャンブー行伝を扱う章と対応する。著者グナパーラについて、Jcの

編者Jinavijayaによれば遅くとも11世紀以前だが、Kuvalayamālāで言及されるグナパー

ラがJcの著者のグナパーラと同一人物ならば更に遡り得る。年代論はなお難しい点を

残すが、当面の作業仮説として、Jc が Pp に先行すると見る事に問題はないだろう。

 とはいえ、Jc の研究が皆無の現状で、Jc を Pp 冒頭4章の immediate source と断言す

る事

4)

は危険であり、Jcが如何なる意味でPpのソースであ(り得)るのか、(あり得)

ないか、個別事例について緻密な検討が必要である。その一端を示すべく、Pp2.406

430とそれに対応する Jc10.1 18を取り上げ、その事情を追ってみたい

5)

 8人の妻といったん結婚したが出家の決意固いジャンブーに、妻らは例話を用いて

世俗生活に止まるよう促す。ジャンブーも、例話によって世俗生活の虚しさを説く。

以下は、Pp と Jc の双方共に、第二の妻が切り出す「猿が木から落ちる」話である。

3)この概念について、簡便には Wiley(2006:223)の“UNIVERSAL HISTORY”の項を見よ。 4)Fynes(1998:xxvii).Fynes がそう断言する理由は不明。 5 )以下、紙数の都合から、注記を可能な限り抑制し、議論も最小限度である事をご了承賜りたい。 言及し得なかった諸問題については、いずれ稿を改めて議論したい。

(3)

3.Pp 2.406-430

次に、パドマシュリーが言い出した:

「夫よ、私どもをうち棄てるなら、あなたは牡猿

の様に、酷い苦悩を得ることになりましょう。(406)

6)

つまり、この通りです ― とある森に、互いに愛情を抱く牡猿と牝猿がいました。ふた

りは常に、離れることを避けていました。(407)

7)

つがいのヴェーラーダラ鳥

8)

のように、ふたりは一緒に食べました。そして競ってい

るかのように、ふたりは一緒に木々に登りました。(408)

9)

一本の綱で引っ張られたかのように、ふたりは一緒に走りました。全てのことを一緒

に、ふたりは常に、心がひとつであるかのようにしたのです。(409)

10)

ある日のこと、

〈ジャフヌの娘〉河(

i.e. ガンジス河)の岸辺に〔生える〕ロタントウ

11)

のところで、ふたりは遊んでいました。牡猿が跳びまわっておりましたら、うっかり

地面に落ちたのです。(410)

12)

その聖地

13)

の超自然力ゆえに、一瞬でその牡猿は、神々の子であるかのような、人間

の男になりました。〔そのさまは〕あたかも呪術の力のおかげのようでした。(411)

14)

牝猿は一方、人の容姿たることを得たその牡猿を見た後、人間の女の姿を求め、他な

らぬ牡猿のやり方でもって、命を捨てました

15)

。(412)

16)

6)atha provāca padmaśrīr asmān nātha samutsr9jan

  tvam4 vānara ivātyantam anutāpam avāpsyasi

7)tathā hy at4avyām ekasyām anyonyam anurāgin4au

  vānaro vānarī cāstām4 sadā virahavarjitau

8 )velādhara. Dave(2005:336, 398f.)によると、この鳥は Dromas ardeola(カニチドリ)あるいは Raphus cuculiatus(モーリシャスドードー)を指すという。

9)yugapad bubhujāte tau mithovelādharāv iva   yugapac cāruruhatuh4 spardhamānāv iva drus4u

10)ekarajjvākr9st4 4āv iva yugapac ca dadhāvatuh4

  yugapac cakratuh4 sarvam ekacintāv ivāniśam

11)vānīra. Calamus rotang.

12)remāte jāhnavītīravānīre tau paredyavi   plavamānah4 plavan

4

gaś cānavadhāno 'patad bhuvi

13)tasya tīrthasya. もしくは「〔猿が転落した、ガンジス河の〕当の渡し場の」。 14)prabhāvāt tasya tīrthasya ks4an4ād api sa vānarah4

  martyo 'marakumārābho 'bhavad vidyābalād iva

15 )jahau prān4ān. prān4ān は elliptischer Plural であり、彼が『ヨーガシャーストラ』5.13 47で説明する

(4)

そしてその後、牝猿は直ちに女神のような人間の女になりました。そして、新しくな

った愛情で、〔かつて牡猿であった〕その男を抱きしめました。(413)

17)

そして、その男女は前世でのつがいの猿のように楽しみました。夜と月のように、絶

えず離れないままでした。(414)

18)

ある時、人間の男になった猿の彼は、〔牝猿だった〕女に言いました:『前に人間にな

ったみたいに、今日、俺たち二人、神になろう。』(415)

19)

女は言いました:

『愛しいひと、もっと沢山の不満でいっぱいね。私たち二人は、もう

人間の姿をしているじゃない。〔このまま、感官の〕諸対象を楽しみましょう。神さま

であることなんて、やめなさいよ。だって私たちの幸せって、神さまであることより

凄いじゃない。いつも一緒で、自由で、邪魔されずに、楽しんでいるんだもの。』(416

417)

20)

こうやって彼女が止めているのに、その男は猿のように動き、前と同じくまさしく其

処で、ロタントウから高く跳びました。(418)

21)

其処で人間になった動物と、神になった人間は、聖地の超自然力のせいで、もし再び

転落した場合、そういう類のもの

22)

になる可能性があります。(419)

23)

ということで、まさしく其処、聖地で彼は跳んだのですが、前世が牡猿だったという

事のせいで、またもや牡猿になったのです。(420)

24)

16)vānarī vānaram4 tam4 tu dr9st4 4vā prāptam4 nr9rūpatām

  strīrūpecchur jahau prān4ān vānarasyaiva vartmanā

17)tataś ca vānarī nārī drāg abhūd amarīnibhā   navībhūtena ca premn4ā tam4 naram4 paris4asvaje

18)vilesatuś ca prāgjanmavānarāv iva tau narau   aviprayuktāv aniśam4 niśācandramasāv iva

19)vānaro yo narībhūto narīm4 provāca so 'nyadā

  āvām4 devībhavāvo 'dya martyībhūtau yathā purā

20)nāry ūce priya paryāptam asantos4en4a bhūyasā

  manus4yarūpāv evāvām4 vis4ayān upabhuñjvahe(416)

  devatvenāstu devatvād adhikam4 hy āvayoh4 sukham

  nityāviyuktau nirvighnam anighnau yad ramāvahe(417) 21)tayaivam4 vāryamān4o 'pi sa vānaracaro narah4

  vānīrād uccakair jhampām4 dadau tatraiva pūrvavat

22)tādr9ks4au. 再度元の姿に戻る、の意。

23)tatra tiryan4

martyībhūto devībhūtaś ca mānavah4

(5)

顔は満月の月のようで、首は巻貝のようで

25)

、胸は大きく、お腹は細く、いい腰つき

で、手足は赤蓮に似、ガンジス河の土で作ったティラカをし、髪を蔓でまとめ、野生

のアダンの髪飾りをつけ

26)

、ターリカーの葉の腕飾りをつけ、喉に蓮の茎の首飾りを

つけた、鹿のような目の彼女を、ある日、逍遥中の王の従者たちが目にしました。

(421 423)

27)

その男たちは彼女を攫って、王に引き渡しました ― 主のいないものは何であれ、全て

王に属するものとなります。(424)

28)

神々しい容姿の彼女を、王は後宮の筆頭

29)

としました。美質を具えた美貌にとっては、

ご承知の通り、諸々の吉祥の証は客人たちですから

30)

。(425)

31)

かの牡猿も、そこにやって来た或る男たちによって捕獲されました。彼らは、息子〔に

する〕ように、様々な種類の舞踊を〔牡猿に〕教え込みました。(426)

32)

そしてある日のこと、他ならぬその王の面前に彼ら舞踊家たちは赴きました。踊りな

がら、その牡猿を〔王が〕じっくり見ることができるようにしました。(427)

33)

24)iti tatraiva hi tīrthe sa jhampām4 dattavān api

  prāgjanmavānaratvena vānarah4 punar apy abhūt

25)kambukant4 4hīm. 首に三本の条があること。

26 )aran4yaketakottam4sām4. マジュプリア(1996:191f.)は「アダンの葉で未婚の少女の髪を飾る」民

話がよく出るとし、グジャラート南部で特にこの植物の崇拝が強いとする。ketaka / ketakī の網羅 的な文献上の情報については、Syed(1992:230 237)を見よ。

27)rākāniśākaramukhīm4 kambukan4t4hīm urūstanīm

  tanūdarīm4 varārohām4 padmopamakarakramām(421)

  gan4

gāmr9tkr9tatilakām4 latāsam4yatakuntalām

  aran4yaketakottam4sām4 tālikādalakund44alām(422)

  kant4 4hasthanalinīnālahārām4 harin4acaks4us4īm

  tām īks4ām4cakrire 'nyedyur bhramanto rājapūrus4āh4(423)

28)rājñe samarpayāmāsus tām upādāya te narāh4

  yad yad asvāmikam4 tat tat sarvam4 bhavati rājasāt

29 )śiroman4i. ティアラ(=後宮)に埋め込まれた様々な宝石(=宮女たち)のうち、最も主要な宝 石(=元牝猿の娘)、といった含みか。次註も参照のこと。 30 )「完全な美女にとってみれば、諸種の美質は付随的なものだ(だから他の宮女たちは王冠に埋め 込まれる群小の宝石たちの如く、この元牝猿の美女の周囲に配置される、という意味?)」(2012 年7月4日付、笠松直博士の私信)。あるいは、別の可能な訳として、「美質ある女の諸々の吉祥 の証は、美貌にとっての客人たちなのですから」。

31)rājñā divyākr9tiś cakre sāntah4puraśiroman4ih4

  laks4myo laks4an4avatyā hy ākr9ter atithayah4 khalu

32)vānarah4 so 'pi jagr9he kaiścit tatrāgatair naraih4

  nāt4yam4 vividhabhan 4

(6)

牡猿は、王の半座に、かの愛する女がいるのを見とめて、慟哭しました ― 落涙によっ

て、サットヴァ的演戯術

34)

を顕わにしつつあるかのようでした。(428)

35)

〔かつて牝猿だった〕王妃は言いました:『牡猿、運命がどうあろうと、それにそのま

ま従うがよい。ロタントウから落ちた汝は、今の落ちぶれ様を〔くよくよ〕思い起こ

しているのを、止めなさい。』(429)

36)

ですからあなたも、かの牡猿のように、

〔既に〕得た〔感官の〕領域にある安楽を捨て

てから、後で後悔極まってはなりません。」(430)

37)

4.Jc 10.1-18

そしてその間に、思考が愛情に満ち、恥じらってうつむいているダッタシリーという

名の妻が興奮して述べた。⑴

38)

「仲間の愛おしい奥様方

39)

、私たちのこの夫は、十中八九、牡猿と同じ様になりかねま

せん。そ〔の牡猿〕が後悔を得たのと同様、この人も〔後悔を〕得るでしょう。」⑵

40)

  その後、この事を耳にして、花開いた蓮の如き顔のジャンブは言った:

  

「無邪気な女よ

41)

、その牡猿は何だ?あるいは、どのようにして後悔を得ることに

33)te nat4āś cānyadā jagmū rājñas tasyaiva sannidhau

  vānaram4 nartayantas tam4 cakruś ca preks4an4īyakam

34 )sāttvikābhinayam4. 船津(2001:465)によれば、「内面的な感情が生理的変化として発現してくる

もの」を、付随する感情(anubhāva)/サットヴァ的感情(sāttvikabhāva)と呼び、「役者が完全に 役柄に感情移入することで、実際にそうした生理的変化をもコントロールすること」がサットヴ ァ的演戯術である。

35)arodīd vānaro rājño 'rdhāsane preks4ya tām4 priyām

  aśrupātaih4 sāttvikābhinayam4 prakat4ayann iva

36)rājñy ūce yo yathā kālah4 kape sevasva tam4 tathā

  mā vañjulaparibhrast4 4ah4 sāmpratam4 patanam4 smara

37)tasmāt tvam api sam4prāptam ujjhan vais4ayikam4 sukham

  paścāttāpaparah4 paścān mā bhūh4 sa iva vānarah4

38)ittham4tare ya bhan4iyam4 saharisam an4urāyanibbharaman4āe

  lajjon4ayavayan4āe dattasirīnāmabhajjāe

39)piyasahio. Skt. priyasakhī と見做した上で、韻律上の要請から piyasah o とあると理解した。 40)piyasahio es' amham4 hojja pio nūn4a vānarasariccho

  jaha so pacchāyāvam4 patto taha pāvihī eso

41 )muddhe. Cf. Ingalls(1962:95f.).単に“charming, beautiful”の意味とも考えられるし、世俗とい う苦を理解せず出家を阻む女、が含意されるなら、“innocent”“charmingly innocent”“silly, foolish” もあり得る。

(7)

なったのだ?」

  彼女は言った:「更に ―

42)

「発情中の巨躯の

43)

象のこめかみから〔出る〕分泌液の付与によって水は揺れ動き、巨

大な野牛の群が喜んで遊んでいるので波が立ち、⑶

44)

多量の水で満たされ、多くの水棲動物が馴染み、極めて広大で、悪女の如く多々湾曲

している、〈バギーラタの娘〉という河(

i.e. ガンジス河)がありました。⑷

45)

[そして]

46)

その岸辺に、勝れ、直立し、枝と小枝で満たされ、巨大な幹を持ち

47)

、多

量の果実と花とを具えたヴァンジュラ樹

48)

がありました。⑸

49)

とある猿のつがいが、遊びながらそれにどうにか登りました。そして、その牡猿はそ

こから、不注意ゆえに偶々転落しました。⑹

50)

しかし、転落したことに基づく超自然力により、その〔牡猿〕は神々しい容姿を持つ

優れた人間の男に生まれました。そして牡猿は、神々しい光輝を放つその優れた若者

の男を見ました。⑺

51)

その〔牝猿〕{もそこから}

52)

己を投げました。その〔牝猿〕は優れた容姿の、人間の

娘に生まれました。神の子に似た容姿を見た後、〔二人は〕興奮しました

53)

。⑻

54)

42 )tao imam4 ca nisāmiūn4am4 viyasam4tavayan4akamalen4a bhan4iyam4 jam4bun4āmen4a ko so muddhe vānaro kaham4

vā pacchāyāvasam4patto tti / tīe bhan4iyam4, avi ya ―

43)thora. Shriyan(1969:75)を見よ。

44)majjam4tathoravāran4akavolamayadān4asam4caliyasalilā

  gurumahisavam4dapamuiyakīlam4tucchaliyakallolā

45)atthi jalaniyarapunnā bahujalayaraseviyā aimaham4tā

  bhāgīrahi tti sariyā bahubham4gā dutt4 4hamahila vva

46)写本には ya があるが editor は削除を要請する。韻律の点からすれば妥当である。

47 )mahappā. ここのappa-(Skt. ātman)は「胴体」を意味すると理解した方が文脈に適うと判断した。 48 )vam4jaladumo. グナパーラがこれをもって「ロタントウ」を意図したか不明。Monier-Williams や

Apte の梵英辞典は Skt. vañjuladruma に Aśoka tree の訳語を与えるが、その根拠も不明。 49)tīe[ya]tad4e 'tthi varo tum4go sāhāpasāhapad4ipunno

  vam4jaladumo mahappā kalio phalakusumaniyaren4a

50)ekkam4 vānarajuyalam4 kīlam4tam4 kaha va tam4 samārūd4ham4

  pad4io ya pamāen4am4 kaha vi hu so vānaro tattha

51)jāo ya divvarūvī pad4an4apabhāven4a so varo puriso

  ditt4 4ho ya vānarīe divvaruī so varajuvān4o

52)写本には vi tao とあった様だが、韻律の点からすると削除した方が望ましい。

53 )harisiyāim4. 「つがい」を意味する中性の語彙(mithuna や yugala など)を背後に予想するものか。

54)tīe {vi tao} khitto appā jāyā sā itthiyā ya vararūvā   datt4 4hūn4a harisiyāim4 divvakumārovamam4 rūvam4

(8)

牡猿〔だった〕男は、自分の恋人である彼女に言いました:

『見目麗しい女よ、もう一

度、木から己を投げないか?― そうやって、神の状態を得るのだ。』⑼

55)

次に彼女は彼に言いました:

『人間の姿で諸々の享楽を享受しなさいよ。いくら神々し

くても〔なれるかどうか〕疑わしい神の容姿で、あなたに何があるっていうの?』⑽

56)

この様に止められているのに、次に彼はその瞬間、己を投げました。まさに再び、落

下しただけで猿の姿を持つ者に生まれました。⑾

57)

そして、その娘は狩りから帰還している王に見初められました。〔王は〕『よい容姿を

具えた女だ』と思いなし、彼女は正室として選ばれました。⑿

58)

苦悩で思い悩み

59)

、一人きりで、神々しい容姿から脱落し、自分の恋人を欠いた哀れ

な者に、その牡猿はなり変わったのです。⒀

60)

『私は、これをどういう類のものとして行なったのか?』と省察し

61)

『〔身体を〕振り

払わなかった女よ、下劣な〔私〕は、どうして〔自分の身体を〕[完全に]捨て

62)

、振

り払ってしまったのか?』と省察した後、彼は〔己を〕罵りだしました。⒁

63)

見目麗しいお方、たとえこの物語が、あなたが自分の考えで案出して語ったものだと

しても、今は耳を傾けなさいな。この、

〔譬えがどう現実に〕適用〔されるか〕を、次

に私は言いましょう。⒂

64)

牡猿が、優れた幸運を希求しつつあると、人間の状態から脱落した様に、この様に、

55)vānaranaren4a bhan4iyā sā niyadaiyā pun4o vi attān4am4

  khippau suyan4u dumāo devattam4 jen4a pāvemo

56)aha bhan4io so tīe mān4usarūven4a bhum4ja varabhoe

  kim4 te sam4saien4am4 divven4a vi devarūven4am4

57)evam4 nivārien4a vi khitto aha ten4a takkhan4en4' appā

  jāo vānararūvo nivad4iyametto pun4o ceva

58)pāraddhiniggaen4a ya ditt4 4hā sā itthiyā narim4den4a

  rūvakaliya tti kāum4 nirūviyā sā mahādevī

59)att4 4ajjhān4ovagao. att4 4ajjhān4a(Skt. ārtadhyāna)は禅定論における術語だが、意味を取って訳した。

60)att4 4ajjhān4ovagao egāgī divvarūvaparibhatt4 4ho

  niyadaiyāi vihīn4o kalun4o so vānaro jāo

61)peccha. pra-√īks4の Imperative 2nd singular とも、Gerund とも理解し得る。

62)写本に pari- はなく editor による補足だが、韻律の観点からすると存在したほうが望ましい。 63)so nim4dium4 payatto peccha mae kerisam4 imam4 raiyam4

  adhuyakae[pari]cattam4 peccha dhuyam4 kaha nihīn4en4a

64)niyamaivigappiyam in4am4 akkhān4am4 suyan4u jai vi tuha kahiyam4

(9)

最愛のお方、あなたも宗教的完成による諸々の安楽な事柄を希求しつつ、⒃

65)

財産や穀物や取り巻き連中、そしてこれらの、容姿と若さを具えた神々しい女たち

66)

から移動してしまうと

67)

、あなたは後で苦しむでしょう。⒄

68)

ですから見目麗しいお方、あなたはまずこれら美女たちと共に、諸々の享楽を享受な

さいませ。そして後に、老いたら、あなたは出家なさいませ、賢いお方。」⒅

69)

5.もうひとつの「猿が木から落ちる」話

 Jc と Pp が同一伝承上にある事は明らかだが、両者に若干の相違がある事も確かで

ある。では Pp のみに見られる諸点は、ヘーマチャンドラの独創なのだろうか。ここ

で注意すべき事は、この物語が Jc 以前に白衣派内で流布していたという事実である。

その痕跡は、既に指摘される通り

70)

、VĀBh 858=BKBh 295

71)

に見られる:

   牡猿よ、運命のまま、それにお前は従うがよい。ヴァンジュラ樹から落ちたお前

は、転落を思い出すのを、やめなさい

72)

BKBh の年代確定は難しいが、VĀBh の著者ジナバドラは6∼7世紀の人であるから、

遅くとも Pp の数世紀前には本話が成立していたと言える。そして、断片的引用であ

る本詩節が Pp 2.429と並行関係を示す一方、Jc に類似詩節がない事は注目される。実

際 VĀBh / BKBh では、当該説話はジャンブーと一切関係しない。bhāva-adhika「状態

65)jaha man4uyattan4abhatt4 4ho patthim4to vānaro ahiyalacchim4

  evam4 tumam4 pi piyayama patthim4to siddhisokkhāim4

66)vilayān4am4. Shriyan(1969:292)を見よ。

67 )cukko. 実質上 cyuta- の意味で使用される。Oberlies(1993:72)及び Bollée(1998:96)を見よ。 68)dhan4adhannapariyan4assa ya imān4a taha rūvajovvan4adharīn4a

  divvān4am4 vilayān4am4 cukko tappihisi tam4 pacchā

69)tā suyan4u bhum4ja bhoe imāhĩ saha sum4darīhĩ tam4 tāva

  parin4ayavayo ya pacchā pavvajjam4 kun4asu tam4 dhīra

70)Hetrel(1908:234).

71)jo jahā vat4t4ae kālo tam4 tahā seva vān4arā

  mā vanjulaparibhatt4 4ho vān4arā pad4an4am4 sara

72 )BKBhM(p.89f.)は2行目を「ヴァンジュラ樹から一度転落した〔つまり〕落ちた状態の〔あな た〕に、私がその時『これ以上、ヴァンジュラ樹から池の中に跳び降りるのをしてはいけないわ。 元の状態に戻るでしょう』と言ったこの事を、あなたは思い出しなさい」(vañjulavr9ks4ād ekavāram4

paribhrast4 4ah4 patitah4 san mayā tadā bhan4itah4 mā bhūyo vañjulavr9ks4āt sarasi patanam4 kuru prakr9tim4 yāsyasi

iti etat smara)と解釈するが、無理がある。尤も、2行目をこう理解することは BKC(p.81)も同 様 で あ る(tumam4 tadā mae bhan4ito mā vam4jularukkhāto saram4 pad4āhi, bitiyam4 vāram4 pad4ito pagatim4

(10)

面での過剰」を示す実例として引かれ、マラダーリ・ヘーマチャンドラ(VĀBhMH)

の説明による限り、過剰な貪欲(adhika lobha, atilobha)を持つものの末路を示す話な

のである。

 説話の全容はジナバドラ自註では言及されず、⑴VĀBhK(8世紀)⑵BKBhM(12

世紀)⑶VĀBhMH(12世紀)で語られる。これら3つの内容は、僅かな差異を除けば

基本的に一致する。ここでは、最古の⑴と、ヘーマチャンドラと同時代・同地域で活

躍したマラヤギリ

73)

の⑵を訳出し、⑵と内容が殆ど変わらず、ヘーマチャンドラより

若干年長者であるマラダーリの⑶

74)

については必要に応じ注記で言及する

75)

5.1.Kot

4

yācārya on VĀBh 858(276.12-277.4)

カーミヤ池

76)

の傍に、巨大なヴァンジュラ樹があった。そしてそこに登った後

77)

で水

中に落ちるのが動物だと⑴

78)

それは人間となり、人間が落ちるとその時は神となるそ

うだ。次に、二度も落ちると

79)

、その時は他ならぬ以前の〔姿〕となる〔そうだ〕。⑵

80)

そしてこの様である時、牝猿と共に牡猿が他ならぬそこにやって来た

81)

。そしてそこ

で、一組の人間がその木から落ちるのを見た

82)

。⑶

83)

そして〔彼らは〕一組の神に生まれた。二匹〔の猿〕も木から落ち、一組の人間に生

73)マラヤギリの年代及び著作については、Mehtā(1967:385 408)を見よ。 74 )マラダーリ・ヘーマチャンドラの年代については、宇野(2005)を見よ。また著者・年代共に 不明の BKC にもこの説話があるが、⑵と微細な読みの相違を示すのみであるため、省略する。 75 )⑵は Mette(2010:122f.)が訳出し、また Mette(2010:333)は Ingeborg Hoffmann の未出版の

博士論文に基づき、Kathākośaに並行話が存在する事を示すが、筆者は同論文と同文献を確認し得

ていない。

76 )VĀBhMH(p.205)は「ひとつの優れた池」が或る森林地帯にあり、世間で「カーミカティール タ」と称されていたとする(kasmim4ścid at4avīpradeśe sarovaram ekam āsīt, tac ca laukikes4u kāmikatīrtham

ucyate)。

77)cad4iūn4a. See Oberlies(1993:70).

78)kāmiyasaraāsann44e vam4jularukkho mahālao atthi /

  tattha ya cad4iūn4a jale jo pad4ai tirikkhao sam4to //1//

79 )VĀBhMH(p.205)は「過剰な貪欲から二度も跳び下りると、以前の姿に戻る」(yas tu lobhādhikyād dvitīyam api vārām4 nipatati sa yādr9śah4 prāg āsīt punar api tādr9śa eva sam4padyate)とする。

80)so hoi kila man4ūso aha man4uo pad4ai hoi to devo /

  aha bitiyam4 pi pad4ejjā puvvillo ceva to hoi //2//

81)āo. 恐らく、āgata > āaa > āa.

82 )VĀBhMH(p.205)で も 同 様 : evam4 cānyadā vānaramithunasya paśyato naramithunam4

vañjulavr9ks4aśākhāto nipatitam4 tatsarovarajale, sam4jātam4 ca bhāsvaraśarīram4 devamithunam, tato

vānaramithunam api tathaiva tatra patitam … 83)evam4 ca t4hite saha vānarīĕ tatth' eva vānaro āo /

(11)

まれた。〔牡猿だった〕彼は言った:「もう一度、俺たちは落ちよう ― そうすると、俺

たち、一組の神になるらしいぞ」⑷

84)

〔牝猿だった〕その優れた娘が逆らっている間に、その男は水中に落ちた。彼だけが美

麗さを超え行きつつ、またもや猿に生まれた。⑸

85)

女は王に捕えられ、そしてその〔牡猿〕も見世物師たちに〔捕えられた。彼らが〕踊

っている際に、その牡猿が王の面前に解き放たれた。⑹

86)

優れた首飾りや宝珠で飾り立てられた彼女を見て、

〔牡猿は〕己の女として求めた。〔そ

こで〕賢明な彼女によってこの〔件の〕シュローカが述べられたのである。⑺

87)

5.2.Malayagiri on BKBh 295(p.89, 19-29)

 カーミヤ池の岸辺に極めて巨大なヴァンジュラ樹があった。そこで〔ヴァンジュラ〕

樹にしがみついた後、池に落ちた者がもし動物ならばその時は人間となり、人間が落

ちればその時は神となる〔が〕、二度落ちるとその時は、まさしく元々の状態に至るそ

うである。其処には、妻を伴った牡猿が、水を飲むために降りたものだった。別の時、

水を飲むために〔猿は〕やって来た。その〔牡猿〕は、元々の状態に至る〔話〕を抜

きにした〔ヴァンジュラ樹の奇蹟〕譚を聞いた後、妻と一緒に考えた ―「木にしがみ

ついた後、池に落ちよう。そうして、一組の人間になろう」と。〔二匹は〕落ち、素晴

らしい一組の人間に生まれた。彼は「また落ちよう ― それで、一組の神になるんだ」

と言った。女は「もしなれなかったら〔どうなるか〕誰が知っているっていうのよ?」

と制止した

88)

。男は「なれないとして〔も〕、どうして俺たちの人間の状態まで消える

んだ?」と言った。〔男は〕制止されているのに落ち、牡猿に生まれた。後に、その女

は王家の者たちに捕えられ、王妃になった。一方〔の牡猿〕も見世物師たちに捕えら

れ、諸遊技

89)

を教え込まれた。別の時に、彼ら見世物師たちは王の面前で興行を打っ

84)jāyam4 ca devamihun4am4 pad4iyān4i due vi narajuyam4 jāyam4 /

  so bhan4ati pun4a pad4āmo jā devajuyam4 kila bhavāmo //4//

85)tīe varajuvatīe pad4iŏ dharem4tīĕ so naro salile /

  jāo pun4o vi so cc' eva makkad4o sirim aticcham4to //5//

86)nārī rannā gahiyā so vi ya māim4dajālapurisehim4 /

  rann44o purao n4accam4taesu so vānaro mukko //6//

87)tam4 datt4 4hūn4am4 varahārarayan4aparimamd44iyam4 niyam4 juvaim4 /

  patthei tīĕ bhan4io esa silogo tti niun4āe //7//

88 )VĀBhMH(p.205)は「過度の貪欲は、あらゆる教典の中でも禁止されているんだから」(nis4iddho

hy atilobhah4 sarvaśāstres4v api)という制止理由を付加している。

(12)

た。王は〔牝猿だった〕王妃と並んで見物した。その時、その牡猿は王妃を注視しつ

つ、熱望した。その時に彼女は同情して

90)

牡猿に言った〔のが件の詩節である〕。

91)

6.諸 version の異同と Pp

 以上の説話を Jc 及び Pp と簡単に比較すると、

⒜ジャンブー行伝中の挿話として語られない ⒝場面がガンジス河ではない ⒞猿のつ

がいは、

「落ちれば人間に生まれ変わる事」を知った上で跳び落ちている ⒟過剰さ(こ

の場合は、過度の貪欲)を戒める話として用いられており、世俗の快楽を追及する事

を推奨する例話ではない

といった諸点で Jc 及び Pp との相違を示す一方、

⒠一度変身した動物あるいは人間が再び跳び落ちると元に戻る、という説明を含む(←

Pp 2.419)⒡見世物師に牡猿が捕えられて芸を仕込まれ、王の面前でかつての妻と再

会する(← Pp 2.426ff.)

といった点は、Jc は有さないが Pp には含まれる。この様な事実は、ヘーマチャンド

ラが Jc の如き version の説話を基本としつつ、更に VĀBh / BKBh の version から、適

宜補って(しかし細部の改変は加え)、新たにPpのversionを作成していた状況を予想

させるものである。ヘーマチャンドラが Āvaśyaka 文献の主要な注釈である VĀBh や

VĀBhK、また戒律文献の注釈であるBKBhに無知だったという事は殆どあり得ない話

である。また、彼と同世代人で、同地域で活躍したマラヤギリや、マラダーリ・ヘー

マチャンドラが知る説話を ― 全く同一のものか否かは兎も角、少なくとも同系統の

version を ― ヘーマチャンドラも素養として充分に知っていた、という推定も、確度

は高いものだろう。

90)an4ukam4pāe. 「同情した」事は、VĀBhMH の version には存在しない。

91 )kāmiyasarassa tad4e vam4jularukkho mahaimahālao / tattha kira rukkhe vilaggium4 jo sare pad4ai so jai

tirikkhajon4io to man4ūso bhavai, aha man4ūso pad4ati to devo bhavai, aha biiyam4 vāram4 pad4ai to prakr9tim eva

gacchai / tattha vānaro sapattio pān4iyam4 pāum4 oyarai / annayā pān4īyapāyan4att4 4hāe āgao / so sam4lāvam4

prakr9tigamanavirahitam4 śrutvā sapatnīkaś cintayati:rukkham4 vilaggium4 sare pad4āmo jā mān4usajuyalam4

bhavāmo / pad4iyān4i / urālam4 mān4usajuyalam4 jāyam4 / so bhan4ai:pun4o pad4āmo jāva devajuyalam4 homo / itthī

vārei:ko jān4ai jai na hujjā? / puriso bhan4ai:jai na hujjāmo kim4 mān4usattan4am4 pi amham4 nāsihii? /

vārijjamān4o vi pad4io vānaro jāo / pacchā rāyapurisehim4 gahiyā sā itthī ranno bhajjā jāyā / iyaro vi

māyāraehim4 gahio khedd44āo sikkhāvio / annayā te māyāragā ranno purao peccham4 dim4ti / rāyā devīe samam4

(13)

7.おわりに

 以上の極めて短い説話の検討のみによっても、Ppの成立過程はそれほど単純ではな

い事が、多少は垣間見えるだろう。ジャンブー行伝部分を著すにあたり、ヘーマチャ

ンドラがJcを主資料とした可能性は当然想定すべきである。しかしその場合でも、彼

は決して Jc のみに依拠したのではなく、ある物語について Jc 以外に複数の version が

存在する場合には、それらを適宜折衷して新たな物語を紡いだ可能性を、常に考慮し

た方が良さようである。今回は限られた紙幅でその一端を素描しようと試みたもので

ある。今後、同様の事例についての調査を、地道に積んでいく必要があろう。

【謝辞】

藤永伸博士(都城工業高等専門学校教授)からは貴重な蔵書をお借りし、笠松直博士

(仙台高等専門学校准教授)からは拙訳に対し多くのご示唆を賜った事を感謝致しま

す。

【一次文献および略号】

BKBh

Br

9

hatkalpabhās

4

ya

       Caturvijaya & Pun

4

yavijaya, Br

9

hatkalpasūtram

4

vol.1,

Bhāvanagara:Śrījaina-Ātmānandasabhā, 2002(first published:1933).

BKBhM

Malayagiri's commentary on BKBh

      ⇒ See BKBh.

BKC

Br

9

hatkalpacūrn

4

i

       Vijayaśīlacandra & Rūpendrakumāra Pagāriyā, Br

9

hatkalpasūtram

pīt

4

hikāh

4

bhāga 1

, Ahamadābād:Prākr

9

ta Grantha Paris

4

ad, 2008.

Jc

Jam

4

bucariya

       Jinavijaya, Mun

4

ivara-Gun

4

apāla-viraiyam

4

Jam

4

bucariyam

4

. Revised with

appendices by Candanabālā. Ahamadābād:Bhadram

4

kar Prakāśan, 2009.(first

published:1959)

Pp

Pariśist

4 4

aparvan

       Hermann Jacobi, Sthavirāvalīcarita or Pariśist

4 4

aparvan: Being an Appendix of

the Triśast

4 4

i-śalākāpurus

4

a-carita by Hemacandra, Calcutta:The Asiatic Sociey,

1932(2nd edition).

VĀBh

Viśes

4

āvaśyakabhās

4

ya

       Dalsukh Malvania, Ācārya Jinabhadras Viśes

4

āvaśyakabhās

4

ya with

(14)

VĀBhK

Kot

4

yācārya's commentary(Vr

9

tti)on VĀBh

       Ānandasāgarasūri, Śrī Viśes

4

āvaśyakasūtram, vol.1, Ratlam:R

9

s

4

abhadevjī

Keśarīmaljī Śvetāmbara Sam

4

sthā, 1936.

VĀBhMH

Maladhāri Hemacandra's commenatry(Br

9

hadvr

9

tti)on VĀBh

       Bhuvanabhānu Sūri, Viśes

4

āvaśyakabhās

4

ya vol.1, Mumbai:Divya Darśan Trust,

1982(first published:1911 15).

【二次文献および略号】

Bollée, Willem B.

(1998) Bhadrabāhu BR

9

HAT-KALPA-NIRYUKTI and Sanghadāsa BR

9

HAT-KALPA-BHĀS

4

YA

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【補注】

 本稿の補遺として、Pp 2.431 443とそれに対応するJc 10.19 56を和訳した、「癒えな

い渇き」

『ジャイナ教研究』18(2012)を発表したので、合わせて参照されたい。(2012

参照

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