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仏教について教えてください : 講義によせられた3000の質問と回答,
1: 172-206
Issue Date
2010-03
Type
Others
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publisher
URL
http://hdl.handle.net/2297/23977
II. アジアのマンダラ(前期) 1. マンダラを知るための基礎知識 大乗仏教の教理を継承しながら、それでも上座部 に近いものがあるということが理解できなかった。 たしかにこの部分は説明が不十分でした。すこ し長くなりますが、補っておきます。 一般に密教は大乗仏教の中から生まれた(ある いは変質した)といわれるのですが、必ずしもそ れだけではありません。仏教を含めほとんどの宗 教は教えと実践という二つの要素を持っています。 教え(教理)の面からは、密教は大乗仏教の直接 の後継者であり、むしろ特別な発展をもたらすこ とはほとんどありませんでした。問題はもう一方 の実践面です。大乗仏教にとっての理想的な実践 をあらわすことばに「自利利他円満」があります。 自分自身の知的なレベルの向上と、他者への働き かけ、具体的には慈悲による救済がともにそなわ ることによって、はじめて悟りが可能になるとい うことです。「上求菩提、下化衆生」と言った場 合も同様です。これは悟りを求める努力と、衆生 つまり一般大衆を救済する慈悲を表すことばで、 菩薩がなすべきこととしてあげられます。上と下 という方向を表すことばが含まれているのも、こ のような菩薩の持つ二面性をよく表しています。 菩薩そのものの説明もしていなかったので、補 っておきますと、悟りを開くために(つまり仏と なるために)努力するものを意味し、本来は悟る までの釈迦を指していましたが、大乗仏教ではそ のような努力をするあらゆる仏教徒が菩薩とみな されます。「誰でも菩薩」というのが大乗仏教の テーゼなのです。そ して、すでに 述べたよう な 「他者への働きかけ」が、従来の仏教(つまり初 期仏教や上座部仏教など)よりもはるかに重視さ れました。このような実践はきわめて長い時間を 必要とするものでした。三阿僧祇劫(さんあそう ぎこう)と呼ばれる無限に近い時間、菩薩の実践 を行わなければ悟ることができないともよく言わ れます。極端な場合、理想の菩薩は他の人々がす べて悟りを開くまで、自分自身は悟りをあえて開 かないのだという経典もあります。誰でも菩薩に なることはできても、その次の仏になるのはほと んど絶望的な状況を大乗仏教は設定しているので す。その背景には仏の絶対性や超越性を押し進め られた仏陀観の変化もあります。 これに対し、初期の仏教経典は、釈迦から直接 教えを聞いた者たちが、釈迦と同じ悟りを開いた ことをしばしば伝えています。上座部仏教の場合、 釈迦と同じではありませんが、それにきわめて近 い阿羅漢(あらかん)という存在になることは可 能としています。そのためには戒律の遵守や高度 な瞑想、きびしい修行などが必要ですし、誰でも それができるというわけではありません。しかし、 大乗仏教のように、ゴールが見えない世界とは違 うのです。このような枠組みの中で密教の実践を 考えた場合、選ばれた者のみが瞑想やヨーガなど の神秘体験を通して、現世で悟りを開くことがで きる(即身成仏)というのは、救済の形式として は大乗仏教よりも伝統的な(あるいは保守的な) 仏教に近いのです。見方によっては、密教は大乗 仏教の枠組みを逸脱し、近道を見つけたようなも のかもしれません。ちなみに、同じ大乗仏教の枠 組みを別の方法で壊したのが、浄土教です。仏の 絶対性を究極にまで高め、その慈悲のみによって 衆生が救済されるという考え方をします。絶対他 力という言い方もしますが、大乗仏教一般から見 れば、一種の「開き直り」にも見えます。これに あわせて密教をとらえれば「おきて破り」とでも 言えるでしょうか。いずれにせよ、宗教の実践に 見られる二方向性、つまり自己自身への努力と、 他者への働きかけは、仏教の修道論や救済論を考 える上できわめて有効な枠組みとなるのではない かと思います。
論点は異なりますが、初期の密教の実践者たち が小乗仏教の伝統的な瞑想や修行をしていたこと を明らかにした次のような論文も最近発表されて います。 大塚伸夫 2001 「『蘇婆呼童子請問経』に見ら れる初期密教修行者像について」『密教学研究』 33: 37-74。 チベットのマンダラは文献の記述に基づいて作ら れるということですが、その「文献にもとづく」 ということの背景には何か理由などがあったので しょうか。(日本の「絵に基づく」というのとは 違って)また、その場合の文献とは、たとえばど のようなものなのでしょうか。 チベットやネパールにもインドから、絵画のよう な形でマンダラの作品そのものも伝えられたはず ですが、現存していません。それでも千年以上に わたってマンダラを描く伝統が維持されたのは、 マンダラの描き方を説いた文献も伝えたからです。 具体的には「マンダラ儀軌」とよばれるようなマ ンダラ制作のマニュアルです。それを読めば、わ れわれでもマンダラを描くことができます(少な くとも輪郭線を引くこと)。密教の経典にもマン ダラに関する記述はありますが、おおむね簡略で、 実際は口伝のような形ではじめは伝えられたので しょう。このような口伝は日本にもおそらく伝え られましたが、詳細なマニュアルは伝わっていま せん。そのかわりに、空海をはじめとする入唐僧 らによる請来本が規範となったのです。文献より も作品が重視されたというのはこういうことです。 密教の説明のところの「神秘体験」というのは座 禅 を 組 ん で 、 無 理 に 飛 び 上 が っ た の を 「 浮 い た!」とするあれだろうかと思った。 宗教における神秘体験の内容はいろいろですが、 密教の場合、仏と一体となることです。空中浮遊 はオウムで有名になりましたが、密教経典には修 行者が獲得する超能力のひとつとしてよく現れま す。本来は仏の神通力のひとつでもありました。 オウムが空中浮遊にこだわったのは、それが仏典 にも説かれる「正統的」な力だったからでしょう。 前回も気になったが、金剛界と胎蔵界は何がどう 違うのか。どんな人がこのようなさまざまなマン ダラを作るのか。 金剛界と胎蔵界の違いは、マンダラの歴史のとこ ろで詳しくお話しします。マンダラを作ったのは 日本の場合、プロの絵師だったでしょうし、チベ ットやネパールでもそのような職業の人がいます。 砂マンダラは通常の僧侶が協同作業で作るようで す。 高雄曼荼羅と子島曼荼羅の年代の差はたしかにあ ると思いますが、それだけであんなに違うものな のですか(あの鮮やかな子島曼荼羅も 200 300 年後にはああなって しまうのです か?それと も 「もの」の特徴や保存法などの違いによるものな のでしょうか) 両者の現状の差はご指摘のとおり、おもに保存法 の違いでしょう。子島曼荼羅が子島寺に厳重に保 存されていたのに対し、高雄曼荼羅はその由緒正 しさが災いして、寺宝としてさまざまなところを 転々とします。高雄曼荼羅は今から 40 年ぐらい 前に詳細な研究が行われ、その報告書が下記のよ うに刊行されています。現在では肉眼ではほとん ど確認できない細部の写真も含まれていて、その 美しさがよくわかります。 高田 修、秋山光和、柳沢 孝 1967 『高雄曼 荼羅』吉川弘文館。 時輪マンダラをじっくり見たのは初めてだったの ですが、一点透視というか、奥行きがあって吸い 込まれていきそう。塔を内部から見上げたときに も似ていると思いました。 時輪マンダラは三重の楼閣からなり、同じ形態の 楼閣が外から中に向かって順に小さくなるので、 たしかに求心的な印象を強く与えます。天井の構 造 で 「 三 角 隅 持 ち 送 り 天 井 」( ラ テ ル ネ ン デ ッ ケ)というのがあり、やはりよく似た印象を受け ます。インドのヒンドゥー教の寺院やラダックの 仏教寺院、中央アジアの石窟などでも見られます が、このような天井をマンダラに見立てて仏たち の絵を描いた例も、西チベットの方にあります。
頼富本宏監修 1997 『西西蔵石窟壁画』集英社。 先週末、知人に誘われて「空海と高野山展」に行 って来ました。本来の目的は空海の書蹟を観に行 くことだったのですが、数ある展示品の中でもマ ンダラは印象深かったです。(「血曼荼羅」の対も 大きく迫力がありました)。その中には「種子曼 荼羅」も展示されていて、はじめて梵字のマンダ ラを見たのでおどろきおもしろく思いました。 じっさいに「血曼荼羅」や「種子曼荼羅」を見る ことができてよかったです。同展ではこのほかに も有名な作品を惜しげもなく展示しています。私 はとくに運慶の「八大童子像」がお気に入りです。 「空海と高野山展」は 5 月 25 日まで京都国立博 物館で開催中です。最近、招待券を入手できまし たので、観覧希望者は比較文化研究室までどうぞ。 マンダラは壮大な神々の世界を描いたものである となっていますが、日本の場合、「神様、仏様」 とお願いするように神と仏を区別しています。日 本の場合、日本の神道の「神」と仏教の「仏」を 区別していっているのだとは思いますが、仏教に おいてやはり仏は神なのですか。 「マンダラは壮大な神々の世界を描いたもの」と いった場合は、仏教のあらゆる神的な存在をさし ています。その中には仏も菩薩も明王も天もいま す。われわれの業界では「尊格」ということばを 使うことが多いのですが、あまり日常的な用語で はないので、私は授業では使いません(論文では 使います)。「仏」もわかりにくいのですが、釈迦 や阿弥陀、薬師のような狭い意味での仏(つまり 仏陀)を指す場合と、尊格一般を指す広い意味の 両者があります。「マンダラは仏の世界」といっ てもいいわけです。一方、おもにヒンドゥー教起 源の尊格をヒンドゥー教の神というようにと呼ぶ こともあります。伝統的には「天」というグルー プ名が用いられました(梵天、帝釈天、弁天のよ うに)。なお、「マンダラは壮大な神々の世界を描 いたもの」という定義とともに、神々を含めマン ダラに描かれている ものはすべて 、ひとりの 仏 (たとえば大日如来)が姿を変えたものというの も、マンダラの説明には必要です。一神教的で汎 神論的な性格を密教は持っているのです。 最初にマンダラを作った人はどうして二次元に対 応させたのだろう。二次元より三次元の方が仏の 世界の投影のような気がする。仏の世界が何次元 かはわからないからだろうか。 ひとつの理由はもともとインドに、神を招くため の「よりしろ」を平面的に作る伝統があったから です(『マンダラの密教儀礼』第一章参照)。また、 三次元よりも二次元のほうが、マンダラを瞑想す る者の創造力にゆだねる部分が多かったため、柔 軟に瞑想できたかもしれません。宗教美術一般に 言えることですが、具体的で写実的なものがかえ って対象の聖性を減退させることもあります。形 式的、象徴的な図像がむしろ好まれます。 マンダラははじめはどのような形であったのです か(絵か立体かで言えるならば)。立体マンダラ は儀礼に使われることはあったのですか。 経典には布に描くという記述がありますので、本 来絵画で表されたようです。中国や日本に伝わっ たマンダラもほとんど絵画形式です。今のチベッ トでも見られるような砂で描く方法も、儀礼のた めのマンダラとしてかなりはやく成立したと思い ます。12 世紀頃のインドの文献を読んでいると、 このような砂マンダラの他に、ブロンズなどの彫 像を所定の位置に配したマンダラもあったようで す。これも一種の立体マンダラですが、マンダラ の楼閣全体はおそらく作られなかったと思います。 立体マンダラそのものはやはりチベット仏教の発 明だと思います。灌頂のような儀礼で作られるこ とはほとんどないでしょう。中が見えないのです から 。チベットの寺院に行くと、お堂の中に立 体マンダラを安置していることがあります。これ はもっぱら礼拝用でしょう。 現在でも密教は信仰されているのですか。それと も絶えてしまったのでしょうか。 日本の真言宗、天台宗は密教系の仏教です。マン ダラも灌頂もあります。チベットの仏教はインド
の伝統をほぼ忠実に継承していますが、密教に関 しても世界中のいかなる国よりも多くの伝統を維 持しています。チベット仏教の宗派はいずれも密 教的な要素を濃厚に持っています。ネパールの仏 教もインド密教の伝統を継承しています。現在、 密教のサンスクリット文献はほとんどがネパール のカトマンドゥ市にのみ伝えられています。この ほか、中国、朝鮮半島、東南アジア(とくにイン ドネシア)にも密教は伝来しましたが、現在では 残っていません。 2. マンダラと密教儀礼 龍とあるがヘビの図を儀礼で利用することにはど のような意味があるのか。日本だと白蛇は神の使 いとかいうけど、あまりよいイメージの生き物で はないので。 ヴァーストゥナーガは文字どおりりには「敷地の ナーガ」という意味です。この儀礼ではナーガは 家を建てたり、マンダラを作る地面そのものを象 徴しているようです。一般にナーガや蛇はカオス (混沌)と結びつくことが多いのですが、ここで はむしろ、地面の浄化のための指標となるので、 秩序化された存在のようです(くわしくは『マン ダラの密教儀礼』の p. 84 以下参照)。ナーガはイ ンドの想像上の神で、古くから民間信仰の対象で した。そのような信仰は仏教が現れる前から有力 で、仏教が広まった理由に、このような民間信仰 と結びつくことができたこともあげられます。ナ ーガは伝統的に龍(竜)と翻訳されますが、中国 の龍は独自のイメージをそなえていて、インドの ナーガの造型表現とは異なります。ヨーロッパの ドラゴンも同様です。ナーガの項ををサンスクリ ットの辞書でひくと、蛇やドラゴンなどの意味の 他に、象もあげてあります。初期の仏典のひとつ 『スッタニパータ』(『ブッダの言葉』として岩波 文庫で翻訳されている)にも、そのような象とし てのナーガの用例があります。仏教も含め、ナー ガの研究にはさまざまなものがあります。なお、 シンボル辞典のようなもので蛇の項を見ると、他 のどんな動物よりもいろいろな意味があげてあり ます。日本でもヨーロッパでも蛇にまつわる神話 や迷信は数限りなくあります。旧約聖書のアダム とイヴの物語などは有名ですね。蛇がこのように 重視された理由のひとつはは、その両義的な性格 にあります。陸上生物なのにウロコがある、動物 なのに足がない、などは、蛇がいずれの範疇にも うまく収まらない境界上の生物であることの例で す。このようなものに、人間は宗教的、象徴的な 意味をしばしば見いだします。 入澤 崇 1988 「ナーガと仏教」『密教図像』6: 68-50。 定方 晟 1972 「仏典に於けるナーガ」『印仏 研』20(1): 53-59。 平岡 聡 2001 「インド仏典に出没する龍(ナ ーガ)」『アジア遊学』28: 14-22。 マンダラを制作する 際、まず「土 地の選定と 検 査」を行うそうですが、どのような方法でそれは 行われ、またどのような条件の土地が選ばれたの でしょうか。 方角や高さ、まわりにあるもの、水が近くに流れ ていることなどのいろいろな条件があげられてい ます。検査には、穴を掘って、中に水を入れたり、 土をもう一度埋めもどすという方法がしばしばあ げられています。水を入れた場合、一定の時間が 経った後でも水が減っていないことや、土を入れ た場合、もとの状態よりも高くなることが求めら れます。地盤沈下を避け、地面が密な状態である ことが求められたのでしょう。くわしくは『マン ダラの密教儀礼』の第 3 章「マンダラを作る」を 参照して下さい。 京都国立博に行って来ました。八大童子がとても よかったです。見れてよかった。図版などもしあ
ったら見せて下さい。 「空海と高野山」展は 5 月 25 日までで、かなり 盛況なようです。不動明王の眷属の八大童子像は、 出品された中でも、とくに有名な作品で、一体だ けで、あとはたいした作品がなくても、展覧会を 開くことができるほどの傑作です。それが八体全 部(うち 2 体は後補で、レベルは落ちますが)そ ろって展示されるのは、おそらく高野山以外では 初めてでしょう。図録は高野山霊宝館が刊行した 『運慶作 国宝八大童子像』に詳細な写真があり ます。研究室にありますので、関心のある人はど うぞ見に来て下さい。 それぞれの仏のシンボルは、インドでも日本でも 同じ仏を指しているのでしょうか。それは密教じ ゃなくて、浄土教や他の宗派でも仏のシンボルは あるんですか。 同じ仏を指す場合もありますし、そうではない場 合もあります。密教のマンダラの場合、仏をあら わすためにどのシンボルを用いるかは多くの場合、 経典などの文献に定められています。そのため、 異なる文献で同じ仏に別のシンボルを対応させる こともあります。たとえば、大日如来は胎蔵マン ダラでは仏塔、金剛界マンダラでは法輪になりま す。このようなシンボルは、適当に決められたの ではなく、多くの場合、インドにおける図像学の 伝統にしたがっています。仏が手にする持物など がシンボルに選ばれるのは、そのわかりやすい例 で、観音と蓮華、文殊とお経などがあります。浄 土教はあまりシンボルを用いることはありません が、阿弥陀来迎図の観音が蓮台を持つのは、この ような観音とハスとの結びつきによるものですか ら、無関係ではないでしょう。密教のシンボル体 系の起源をさかのぼれば、インドの仏教美術の初 期に見られた、仏塔の装飾や釈迦の象徴的な表現 にまで行き着くでしょう。 大乗と小乗の話はとてもよくわかった。家の龍の 話はもう何度も聞いたけど、何度も先生が話すの だから、重要なのだろうと思いつつ、どう重要な のか、今までよくわからなかったが、今日あたり、 わかったような気がした。 どうも、何度も同じ話で恐縮です。ヴァーストゥ ナーガはマンダラ制作儀礼の中でも、私にとって 興味を引かれるプロセスのため、つい何度も取り 上げてしまいます。昨年、集中的にこの儀礼を調 べて、論文をいくつか書いたことも、影響してい ます。この儀礼はこれまでほとんど本格的に研究 されたことがないテーマですが、マンダラ制作儀 礼や建築儀礼の象徴性をよく表しているので、つ い紹介したくなります。スライドでお見せしたよ うな図が他にも何点か残っているのも、おもしろ いところです。 イメージの均一化によって、シンボルが重要視さ れていったことが、図像学的にわかっておもしろ かった。もう少し、どんな菩薩が何を持っている か、それはどうしてかということが詳しく知りた かった。 仏像や仏画を含め、芸術作品が持つ意味を解明す るのが図像学(イコノグラフィーあるいはイコノ ロジー)と呼ばれる分野で、キリスト教美術やル ネッサンスの芸術などでさかんに行われています。 仏教美術についても研究の蓄積がありますが、密 教のように神々の体系が複雑になり、そのシンボ ルも多様化した宗教の研究には、とくに有効です。 菩薩とシンボルの対応はたとえば、すでに上で述 べたように、観音とハス、文殊とお経や剣、弥勒 と龍華あるいは水瓶、金剛手と金剛杵、虚空蔵と 宝珠などがあげられます。このような特徴につい ては、つぎのような図像辞典を見れば詳しく書い てあります。ただし、たんなる対応だけを知るだ けでは「物知り」で終わってしまいます。なぜ、 そのようなシンボルを持つのかという問いを発す ることも必要です。 佐和隆研 1962 『仏像図典』吉川弘文館。 頼 富 本 宏 ・ 下 泉 全 暁 1994 『 密 教 仏 像 図 典 インドと日本のほとけたち』人文書院。 大乗仏教では信仰があれば誰でも(出家僧でも在 家信者でも)菩薩になれるとありましたが、年齢 も問わないのですか。マンダラに描かれているの
は神(人)だけだと思っていたが、龍も描かれて いておどろいた。 何歳でもなれるはずです。性も身分も関係ありま せん。ただし『法華経』のような大乗教典では、 仏になる前に女性は男性に変わると説かれていま す(変成男子)。大乗仏教の中には如来蔵思想と いうのがあり、あらゆる生類はすべて仏となる素 地をそなえているという教えも有力になり、これ は中国や日本の大乗仏教に大きな影響を与えまし た。マンダラに描かれているものについては、基 本的には「聖なるもの」のみが登場しますが、今 回取り上げる胎蔵マンダラのように、外金剛部に 「やおよろずの神々」が現れたり、もう少し先に 紹介する母タントラ系のマンダラに「屍林」とい う墓場の光景が含まれたりします。 仏をシンボルで表現したマンダラがあり、先生は 何かこうしなければならない積極的な理由があっ たのだろうとおっしゃっていましたが、それは聖 なる存在である仏を、仏の形で表現することがタ ブーと考えられていたからということかなと思い ました。何か他にも理由は考えられますか。 インドにおける初期の仏教美術に見られる釈迦の 象徴的表現(仏陀不表現)の伝統が、密教におけ るシンボル重視にも受け継がれていることはたし かですが、むしろ、仏像そのものを描くよりもシ ンボルを描くことの方が「合理的」だったからだ と考えています。その背景には、仏の種類の増加 にともなう仏のイメージの画一化があるからです。 密教のパンテオン(仏の世界)にはきわめて多く の仏が含まれますが、仏、菩薩、明王などのグル ープ内部では、ほとんどイメージに違いがありま せん。そのため、それぞれのほとけがもつシンボ ルを変えることによって、区別を付けます。シン ボル以外が共通であれば、それぞれ固有の特徴で あるシンボルのみを示した方が、よく似たイメー ジ(クローン人間のようなもの)を並べるよりも 機能的・合理的だと考えられるからです。マンダ ラは「儀礼の装置」であるというのが基本的な考 えなので、「使い勝手のよいもの」をめざした結 果がシンボルによる表現ではないかと思っていま す。ついでながら、「こうでなければならない積 極的な理由」というのを強調したのは、一般に、 何か新しい説を立て る場合に「た ぶんこうだ ろ う」では説得力がないからです。 曼荼羅ができる前に仏が降臨してしまうのですか。 それでできるまでのあいだ、その仏は灌頂瓶の中 で待機しているということなのでしょうか。だと すると聖なるものに対する扱いにしては丁重さを 欠いている気がします。それとも「丁重に扱う」 といった概念は、仏にはあてはまらないものなの でしょうか。 灌頂瓶に降臨する仏は水の中に溶け込んでしまう ようです。マンダラができた後で行う灌頂で、こ れを弟子の頭にそそぎ、仏の智慧を与えます。ま た、基本的に儀礼の場に神や仏を招くのは「賓客 接待」をモデルにした儀礼であるため、「丁重に 扱う」ことが求められます。ところで、儀礼の場 に仏を呼び寄せるのは、これ以外にもマンダラ制 作と灌頂の中で何度も行われ、そこに一貫した筋 書きを求めることは困難です。歴史的に見て、儀 礼全体が重層的に形成され、人と仏の関係だけで、 合理的に儀礼の構造が決められているのではない からです。 即身成仏という話で即身仏を想起しました。即身 成仏という思想(?)を体現したものが即身仏な のでしょうか。 即身仏はいわゆる日本のミイラですよね。即身仏 については私はほとんど知識を持ち合わせていま せん。必ずしも密教系の寺院に伝えられているだ けではないので、日本独自の民俗信仰、他界観や 苦行法と関連するような気がしますが 。どなた か詳しい方は教えて下さい。 五蘊と無我との関係がよくわかりません。無我と は文字どおり解釈すると「我」がないという意味 になります。認識する主体としての「我」まで否 定されてしまうのでしょうか。 五蘊は授業で説明したように、存在物一般あるい は認識の対象である「色」と、認識のありかた 4
種である「受」以下に分けられます。これは、釈 迦が問題としたものが、この五種ですべてであっ たということです。そこには、伝統的なインド思 想が対象とする「ブラフマン」のような宇宙原理 は登場しません。われわれの認識とその対象のみ を問題にして、それらがすべて「我ではない」あ るいは「我がない」と結論づけたのです。この我 は、ブラフマンの対極にあるアートマンのことで す。 講義とは関係ないので失礼ですが、仏教儀礼では 香油を使う(身体に塗ったり)ことがあるそうで すが、香油というアイテムはやはりもとをたどれ ばインドに行き着くのでしょうか。『日本書紀』 の記述にあったのですが。インドの習慣か何かで。 香油そのものではありませんが、塗香といって、 香水のようなものがあります。香水も仏教用語に ありますが、「こうすい」ではなく「こうずい」 と読みます。これらは香料であるとともに、清涼 剤のようなもので、身体に塗るとひんやりした感 触があったようです。本来は高貴な人や客人に使 ってもらったようですが、「プージャー」という インドで広く行われている儀礼では、神々に対す る供物のひとつに登場します。プージャーについ ては『マンダラの密教儀礼』の第 2 章「インドの 宗教儀礼」を読んで下さい。 3. マンダラの歴史(1):初期のマンダラと胎蔵マンダラ 神々と一体となることを瞑想するための神聖なマ ンダラではあるが、諸行無常の精神から、儀式が 終わるとすぐに破棄してしまうというのは、思想 的におもしろかった。以前にテレビで、バターで 作られたチベットの神々が太陽の光で溶ける場面 を見たことがあるが、それも同じであるように感 じた。 マンダラを壊すのはインドの文献でも見られ、そ の伝統がチベットにも受け継がれたようです。イ ンド密教の歴史は、少なく見積もっても五百年ぐ らいありますから、マンダラの制作と破壊は、イ ンドの僧院などで幾度となく繰り返されたのでし ょう。現在、インドの僧院跡の遺跡に行っても、 その片鱗も残っていませんが 。チベットでは砂 で作ったマンダラは壊されますが、壁画や絵画、 あるいは立体マンダラのようなものは、壊さずに とっておきます。バターで作った神の像も、お寺 の中でずっと飾られていることも多いようです。 ラダックなどには 11 世紀頃の非常に古いマンダ ラの壁画もあります。マンダラは早くから装飾的 な目的でも描かれていたのです。マンダラを壊す のは、タテマエでは「諸行無常」つまり、形ある ものがはかないものであるということですが、他 のどの国の仏教徒よりも、チベットの人々は仏像 や仏画などの形あるものを生み出すことに精力を そそいだようです。 マンダラを作るときに土地を浄める儀礼がいろい ろありますが、マンダラ作成に従事する人々や灌 頂に従事する僧たちも、たとえば斎戒沐浴などし て、身を清めるというようなことをするのでしょ うか。 身体を浄化することは、儀礼で一般的に見られま す。実際に身体を清潔にすることもありますが、 むしろ、日常的な空間や時間から、そのような手 続きを経て、儀礼という非日常的なところへ移行 することが可能となるからです。このような儀礼 を「通過儀礼」の一種とみなすこともあります。 日本では、ご指摘のような斎戒沐浴やみそぎ、潔 斎などの水による「浄め」(清め)が重要です。 水の持つ浄化機能とともに、水のもたらす再生や 刷新のイメージも含まれているのでしょう。密教 儀礼を含め、インドの儀礼でも水は重要な位置を 占めます。灌頂では水そのものが儀礼の中心を占 め、弟子などが水をそそがれることによって「再 生」します。キリスト教の洗礼で使われる水も、
このような機能を持っています。『マンダラの密 教儀礼』の第二章で紹介した「プージャー」とい う儀礼では、水は礼拝の対象である神々に捧げら れることもあります。その一方で儀礼を行う人が、 自分自身を清めるためにも用います。ただしその 方法は手や口を洗うだけの簡単なものです。日本 のような前身に対するものではありません。 前回の質問に対する回答の中で、空中浮遊が仏典 に説かれる「正統的な」力だったと書かれていま すが、その仏典の名前がわかりましたら教えて下 さい。 たとえば『金剛頂経』のような密教経典の中には、 神通力のひとつとし て現れます。 たしか「五 神 通」という五種類の中のひとつにあげられことが 多いはずです。そもそも、釈迦が行った神変のひ とつである「双神変(そうじんぺん)」(舎衛城の 神変のひとつ)でも、釈迦自身が空中を飛び回る という奇跡を示します。このエピソードはさまざ まな仏典に説かれています。 胎蔵曼荼羅の「外金剛部院」は「金剛手院」と何 か関係があるのですか。 外金剛部院はサンスクリットで bāvyavajrakula と いい、「外側の金剛の部族」という意味です。一 方の金剛手院は金剛手 Vajrapāṇi という尊格を中 心とした区画です。金剛は同じことばですが、顔 ぶれはまったく異なり、外金剛部は基本的にヒン ドゥー教の神々で構成され、天体の神々や阿修羅 などの下級神も含まれます。外金剛部は胎蔵マン ダラ以外のマンダラにもしばしば現れ、仏教のマ ンダラを周辺から支えるものだったのです。 胎蔵界と金剛界で知っているほとけが、胎蔵界の 方が多いとおっしゃっていましたが、胎蔵界と金 剛界の両界マンダラは、どのように対応している のですか。 日本の密教ではこの二つのマンダラはセットで扱 われますが、本来は典拠となる経典も、構成原理 も異なるマンダラです。まったく無関係というわ けではありませんが、両者が厳密に対応すること は、もともとはありません。日本ではこの二種類 のマンダラのみが特別な位置を占めたため、両者 のあいだに密接な関係を作り出します。「金胎不 二」とか「両部不二」などといわれます。胎蔵マ ンダラで「知ってる仏のチェック」をしてもらっ たのは、一般の人でも知っている仏が現れるのは、 このマンダラぐらいだからです。今週からは「見 たことも聞いたこともない仏」が登場するように なります。 触地印仏坐像は文字どおり、地に座っている像と ありましたが、以前、地に横になっている仏像を 見ました。何か特別な名前が付いていたりします か。 触地印仏は釈迦が悟りを開く前の「降魔」に由来 するポーズです。横になっているのは「涅槃」を 表す像だと思いますが、地面に直接ではなく、台 座の上に寝ているはずです。東南アジアには「寝 釈迦」と呼ばれる、ほんとうにただ横になってい る仏像(それもずいぶん大きな)があるようです が、それのことでしょうか。 砂マンダラは壊してしまうとおっしゃいましたが、 具体的にはどうやって壊すのですか。壊すときに は大げさなきまりとかないのですか。 『マンダラの密教儀礼』の第 6 章のはじめに、簡 単に説明しています。金剛杵を使って、まわりか らくずしていくだけで、壊すのは作るのと違って、 ずいぶんあっけないようです。結界の時にまわり に打ち込んでおいたキーラも、このときに抜いて、 それまで動けなかった悪鬼なども解放します。壊 した後に残った砂は、瓶に入れて象などに乗せ、 行列を作って川まで流しに行くことも説かれてい ます。むしろその方が大げさだったでしょう。 プルブを打つダライラマが、左手(右手?)に持 っているのは何ですか。プルブの顔は仏ですか。 仏だとすると、悪魔は見えるものとして表されて いないのでしょうか。 おそらく右手の道具のことだと思いますが、かな づちです。キーラは金属製の釘のようなものなの
で、それを地面に打ち込むためには鎚が必要です。 ダライラマが持っているのは儀礼用の装飾された ものです。キーラ(プルブ)の上の部分は、仏教 のほとけで、忿怒尊と呼ばれる恐ろしい者たちで す。日本密教の明王に相当します。たしかに、キ ーラで固定されてしまう悪魔たちは表現されてい ません。儀礼を行うものは瞑想の中で、自分自身 が忿怒尊となり、悪魔たちに突き刺します。悪魔 といっても、帝釈天などのヒンドゥー教の神々で、 本来は彼らが各方角を守る「護法神」と呼ばれて います。密教徒たちは、彼らの仕事を忿怒尊に与 え、逆に儀礼を妨害する者たちとして彼らを「悪 者」に位置づけます。 ヴィシュヌの横たわる蛇がカオスの象徴であり、 ブラフマーのすわるハスが宇宙、ブラフマー自身 がまた宇宙であるという世界の起こりを見て、さ らには人体のチャクラとマンダラの話を聞き、マ クロコスモスの中にミクロコスモスという観念に 非常に興味を持った。今まで自分の中に漠然とし ていた宇宙というものに対する感覚に近いものが あったのか、入りやすい話だった。それにしても 仏教というのは「宇宙」なくしては成立しない概 念だということを痛感した。曼荼羅についてもも っと勉強したい。 一般の日本人にとっ て、仏教とは 「ありがた い 話」や「悪いことをすると地獄に堕ちる」といっ た単純な倫理観と結びついていることが多いため、 マンダラや密教が「世界」や「宇宙」を問題にす ることがなかなか実感できないのですが、興味を 持ってくれてうれしく思います。マンダラ、ハス、 人体、神のすがた、家、寺院、仏塔などは、いず れも「宇宙」に重ね合わせることができるもので す。インドの思想は、古代のウパニシャッド哲学 以来、このようなマクロコスモスとミクロコスモ スの同一性を主張するところに特徴があります。 これは「梵我一如」という言葉に集約されていま す。その中で、釈迦が開いた段階の仏教は、五蘊 に代表されるような「私とそのまわりのもの」の みの探求をする、きわめて特異な宗教でした。し かし、時代が進むにつれて、インド本来の思想や 宗教と同じように、「世界」と「自己」との関係 に関心を向けていきます。 五色線に使われている色にも何か宗教的な意味が あるのか。 五色は白、青、黄色、赤、緑で、仏の五種の知恵 を象徴すると、日本密教では説明されます。これ らの知恵は、今回登場する金剛界の 5 人の仏に対 応します。ただし、インドでは結界のためのキー ラを、五色線でつなぐという方法は、一部の文献 では見られますが、あまり一般的ではなかったよ うです。キーラそのものに除魔のような呪術的な 機能があったからでしょう。 釈迦の話の中で、悟りということばが出てきたの で、ふと思ったのですが、悟りの定義って何でし ょう。悟りを開くって具体的にはどういうことを 言うのでしょう。俗世との、その「境」みたいな ものがよくわかりません。 「悟り」ということばは、仏教ではよく用いられ ますが、これに対応するのは bodhi というサンス クリットで、「覚」と訳されたり「菩提」と音写 されます。「目覚める」を意味する動詞√budh か ら作られた名詞で、本来の意味はそのまま「目覚 めること」です。また「涅槃」ということばもよ く現れます。これは悟りの境地にあたるのですが、 本来の意味は「炎が消えた状態」と通常では説明 されます(ただし、パーリ語のある著名な研究者 は、この説明に疑問を呈しています)。この他、 瞑想のレベルとして、いろいろなことばも用いら れます。「悟る」ためには何が必要かは、同じ仏 教でも時代によって異なります。たとえば、初期 仏教では四諦八正道、十二支縁起などが重要です が、大乗仏教では「空」が中心になります。いず れも、単に観念的に理解するのではなく、瞑想や ヨーガなどの実修を必要とします。悟りの内容は そのまま仏教思想史の流れに相当します。 今さら初歩的な質問で申し訳ないのですが、仏教 において「神」ということばは何を指しているの ですか。菩薩を「神」とおっしゃっていたような
気がするのですが 。 おそらく、そのときは「神格」という意味で使っ たのだと思います。仏教では「仏」ということば は、本来は釈迦のようにすでに悟りを開いたもの に用いるのですが、密教のように菩薩や明王など を指すときにも便利なので使います。仏像といっ た場合、観音像や不動明王像が含まれるのも、そ のためです。しかしそれでは混乱するので、他の 宗教の「神格」にあたる「尊格」ということばを 用いることも多いのですが、あまり普及していな い の で 、 授 業 で は 使 わ な い よ う に し て い ま す 。 「神」ということばをヒンドゥー教などの仏教以 外の神に使う場合もあるので、さらにややこしい ことになります。梵天や帝釈天、弁天のように、 伝統的には「天」という名称を用います。 地鎮祭は神道の儀式だと思っていたのに、密教が 由来かもしれないと聞いて意外でした。あと、世 の中にはきれいな花がいっぱいあるのに、その中 で、なぜあえてハスを特別なものとして選んだの かなと思いました。あと、釈迦は実在の人物だけ ど、その他大勢の仏は実在した人物なのですか。 釈迦のお弟子さんをモデルにしたんですか。それ ともあの大勢の仏はすべて釈迦が違った姿で現れ たものなんですか。 地鎮祭の起源は詳しく調べたわけではありません ので、断言はできないのですが、たぶん、密教儀 礼が関与していると思います。ハスについては、 インドだけではなく、かなり広い範囲で宗教的や 文化的に重要な位置を占めています。エジプト、 西アジア、中国などです。下記のような、美術史 家によるおもしろい研究書も出ています。仏につ いては、実在した、あるいは実在するかどうかは、 信仰によるものですから、どちらとも言えないで しょう。ただ、さいごのような「一人の仏から姿 を変えて他の仏となって登場する」という解釈は、 大乗仏教で有力となります。その場合の一人の仏 は、歴史上の釈迦ではなく、大日如来のような仏 です。これを「法身」(ほっしん)といい、仏教 の真理そのものが、すべての仏の根源的な存在と してたてます。複数の仏の関係についての考察は 「仏陀観」といって、仏教学の大きなテーマのひ とつです。 若桑みどり 1984 『薔薇のイコノロジー』青土 社。 宮治 昭 1999 『仏教美術のイコノロジー イ ンドから日本まで』吉川弘文館。 立体的な「釈迦と八大菩薩」のマンダラでは、菩 薩たちが皆釈迦を見ていますが、絵画の「蓮華に 乗った女神と従者」はそのようなことがないのは、 マンダラではないからでしょうか。平面のマンダ ラを立体のマンダラの展開図としてみたとき、釈 迦を見ているのとそうでないのとがあるような気 がしますが、釈迦に視線が集まっているように見 えるというのは、さほど重要ではないということ でしょうか。 『マンダラの密教儀礼』の中でも取り上げていま すが、マンダラの仏がすべて放射状、すなわち、 中心の仏から外に向かって広がるように描かれて いるのは、本来、まわりのすべての仏が中央を向 いているからでしょう。このことは、マンダラが 何を表しているか、あるいはマンダラの機能は何 かを考える上で重要なことなので、とくに注目し ています。「蓮華に乗った女神と従者」や、前回 紹介した「補陀洛山マンダラ」では、通常の絵画 のように、すべて同じ方向に頭を向けています。 「叙景型」と呼んだように、仏たちの世界を客観 的に眺めた場合は、むしろこちらの方が自然です が、その場合、マンダラの中心の仏に自己を重ね 合わせることや、マンダラ全体が自分の身体とパ ラレルであることを確認するなどは、おそらく不 可能でしょう。 原子力発電所の名前に「もんじゅ」(高速増殖炉 だけど)「ふげん」がありますよね。 その通りで、仏教の好きな科学者が付けたのでし ょう。日本の釈迦像はこの 2 尊の菩薩を脇侍つま り従者としてともなうことが多いので、あわせて 使ったようです。文殊の場合、知恵の仏でもある わけで、現代科学の粋ということも意図されてい ます。「こんごうしゅ」(金剛手)とか「ふどう」
(不動)などと名付けたら、かなりあぶない施設 になりそうです。実際そうなっていますが 。 4. マンダラの歴史(2):金剛界マンダラ 本でマンダラを見る と「西院本」 とか「伝真 言 院」とか書いてありますが、どういう意味でしょ うか。 授業出よくお見せする東寺の国宝の両界曼荼羅は、 かつては「伝真言院曼荼羅」と呼ばれていました。 これは、東寺の僧侶たちが中心になって行ってい た「後七日御修法」(ごしちにちみしほ)という 儀式で用いられたと伝えられていたからです。真 言院とはこの儀礼専用の宮中の建物です。この儀 礼は現在でも東寺で行われていますが、他の真言 密教の儀礼と同様、両界曼荼羅を東西に向かい合 わせになるように懸けます。しかし、最近の研究 で、このマンダラはどうも真言院に懸けられてい たものではなく、「西院」という別の建物にあっ たという説が有力になってきました。そのため、 最近の本などは「西院本」という呼称を用いるこ とが多くなりました。 柳沢 孝(監修) 1994 『東寺の両界曼荼羅 ---- 連綿たる系譜・甲本と西院本』東寺宝物館。 菩薩が水牛に乗っているというのは、ハスの花と 同じように、水牛という動物に何か特別な意味が あるのですか。また 、サンスクリ ット語で「 宝 石」だと紹介された「マニ」は、どこかの国の言 葉で「手」だと聞きましたが(「マニキュア」な ど)、両者の間に語源的な関連はありますか。 水牛はインドでも重要な家畜で、農作業などでし ばしば用いられます。仏像に現れる水牛はおそら くヒンドゥー教の神々から取り入れられたもので す。有名なヒンドゥー教の女神に「マヒシャース ラマルディニー」という神様がいますが、「水牛 の悪魔を殺す女神」というのがその意味です。実 際に水牛を殺す姿でしばしば描かれます。しかし、 さらにさかのぼれば、西アジアの古い時代の宗教 で、水牛と女神に対する信仰があったようです。 仏教では文殊が水牛と結びつきますが、この起源 も同じあたりにまでさかのぼることができます。 詳しくは私の『インド密教の仏たち』の第三章を お読み下さい。手を表す「マニ」については、ラ テン語の manus と、その流れを汲むフランス語 の main 、イタリア 語の mano、 スペイ ン語 の mano などが関係するようで、祖語として*m n-が想定さ れている ようで す(風 間喜代三 1990 『ことばの身体誌:インド・ヨーロッパ文化の原 像へ**−』平凡社)。サンスクリットでは「手」を 表す語彙は hasta か pāṇi なので、系統が異なりま す。なお「宝」を表す maṇi は mani と若干、 発音が異なります(ṇa は反舌音)。 胎蔵界では部屋を院、金剛界では会という違いが 興味深かった。また、金剛界の仏のほとんどが人 工的に作られたということにたいへん驚いた。 金剛界の会というのは、部屋とは少し異なるよう で、曼荼羅のひとつの単位のようなものです。実 際、チベットなどでは、成身会などのそれぞれが 単独のマンダラとして作られ、それが正統的です。 ちなみに、金剛界のマンダラの中に見られる井桁 で区切られたところが「部屋」に相当します。建 物内部は個室に分かれていて、五仏や十六大菩薩 がすわっているようです。ただし、壁はないよう で、柱だけです(井桁のデザインは柱です)。金 剛界の仏が人工的なものというのは、先回の授業 で強調したところですが、実際はすべて新しく発 明するのはむずかしかったようで、伝統的な仏た ち(観音や文殊)が名前を変えて登場することも あります。また賢劫十六尊や賢劫千仏のように、 マンダラの外側には、大乗仏教の仏たちをあてま す。そこまで徹底できなかったのか、あるいは伝
統的な仏を含むことで、正当性を示したかったよ うです。ヒンドゥー教の神も同様に登場します。 マンダラを見てみると、四角と丸の組み合わせだ と思うのですが、四角、丸という形に意味はあり ますか。丸に関して言えば、日輪、月輪、perfect なイメージがあるのですが。儀式に用いる物も仏 (菩薩)にしてしまうのですね。 四角や丸にはもちろん、意味があります。しかし、 それは何かひとつだけではなく、さまざまなレベ ル、つまり仏教の教理的なものから、人類が持つ 普遍的なものまでさまざまです。あげておられる 「完全性」のようなものもその中に含まれます。 マンダラが基本的に丸と正方形で表されるのは、 マンダラに表されている「仏の世界」が、「完全 なもの」でなければならないからでしょう。マン ダラに現れる仏には、このあといろいろなものが 出てきます。なかには、たとえば「音」を仏にし たようなものもあります。マンダラを新しく作る ためには、顔ぶれも一新しなければいけないので たいへんです。 先生は展覧会などでマンダラを見るときに、どの ような点に注目して楽しみますか。参考までに教 えて下さい。 とくにマンダラにかぎって特別な見方をすること はないと思いますが、自分の専門のものと、そう ではないものでずいぶん違います。よく知ってい る作品、とくにインド、チベット関係のものは、 細部にまで目を向け、これまで知らなかったこと がないか、気を付けてみます。写真と実物との印 象の違いなども重要だと思っています。専門外の 作品は、一般の人とそれほどかわらないと思いま すが、できるだけ図録やキャプションの情報を身 につけてから見られるといいですね(図録はたい てい見てから買うことになりますが)。一番いい のは、その分野の専門の人といっしょに、ポイン トを教えてもらいながら見ることでしょう。金沢 ではあまり展覧会がないのが残念です。広坂にで きる新しい美術館に期待したいところです。 東西南北がいつも東が上になってるのはどうして ですか。 胎蔵では上が東ですが、金剛界は上が西になりま す。180 かわっているのはマンダラを見るもの の視点が違うからという説もあります。胎蔵まで はマンダラは礼拝の対象としての性格が強いので、 それを見るものは対面していたが、金剛界以降で は、マンダラの中尊と一体となる観法が主流にな ったので、視点が逆になるというのです。ただし、 壁画や絵画の場合は上下がありますが、地面の上 に作る場合は、実際の方角にあわせればいいので、 関係ありません。 梵字のマンダラは胎蔵界のものしか存在していな いのか。 金剛界もあります。基本的にどのマンダラでも、 仏を文字で象徴したこのようなマンダラがありま す。ただし、日本以外ではあまり現存作例はあり ません。マンダラの仏たちを象徴するこのような 梵字は「種子」(しゅじ)と呼ばれます。授業で は省略してしまいましたが、マンダラを瞑想する ときに、はじめにこのような種子を生み出し、そ れをもとに仏たちを生み出します。瞑想のときの 「核」のようなもので、「種」と呼ぶのもそのた めです。 金剛界曼荼羅はおおざっぱに言うと、胎蔵曼荼羅 のパズル版と言うことですか。一切如来智印が描 かないものには、ものを生み出す何かは描かれた のでしょうか。マンダラの中に突然「ものを生み 出すもの」が現れるのは、場違いな気もします。 パズル版というのではなく、胎蔵と金剛界は時代 的には近いのですが、まったく異なる原理ででき ています。日本の金剛界は 28 種類の金剛界のマ ンダラのうち、8 種類を取り出して組み合わせた ので、それ自体は、ジグソーパズル的に見えるか もしれません。一切 如来智印に相 当するよう な 「万物を生み出す源」は「法源」(サンスクリッ トで dharma-udaya)と呼ばれます。マンダラを 瞑想するときには、最初に「場の設定」のような ものをしますが、何もない空間にこの「法源」や
「蓮華」などを生み出します(種子などはその後 です)。実際のマンダラには蓮華は外周部に表さ れますが、法源はよくわかりません。インドの文 献では蓮華の部分とその内側の境界線が、法源を 表すというような説明が見られます。たしかに、 日本の胎蔵界のように、世界全体を生み出す母胎 が、マンダラの中、つまり世界の内部にあるのは 変ですね。 なぜ金剛部と蓮華部のランクが逆転したのですか。 そもそも何を基準にランクづけをするのですか。 金剛部の仏たち、とくに金剛手やその流れを汲む 金剛薩埵が仏教の中で重要な位置を占めるように なったからです。もともと、金剛手は夜叉のグル ープに含まれ、菩薩でさえなかったのですが、密 教の時代、とくに『金剛頂経』以降は菩薩以上の 地位にまで上りつめます(『金剛頂経』という経 典名そのものからも、それはわかります)。仏教 の仏たちの世界の内部は、このような一種の下剋 上が頻繁に起こります。 胎蔵マンダラにおける「星宿」の中には土曜や水 曜、蠍虫宮や秤宮などといった名前が見えるよう ですが、土曜や水曜は惑星(土星や水星)だとし て、蠍虫宮や秤宮は占いなどでもよく見る星座の さそり座や天秤座に相当するものなのでしょうか。 これらは西洋が由来だと思っていたのですが、本 当はインド?それともインドと西洋で星座の見方 に共通した原型があったということでしょうか。 インドの天文学(占星術も含む)も、ヨーロッパ のそれも、起源はアラビアあたりです。天体や星 宿を神とみなすのも共通で、英語の曜日を表す語 のいくつかは、神の名前からつけられたものです。 インドでは太陽から土星までの七曜に、彗星の神、 日蝕や月蝕を起こす神を加え、九曜でグループに なります。占星術でおなじみの十二宮は、ほぼわ れわれの知っているものと同じです。このほか、 星宿のグループに二十八宿もあります。インドで は古くから天文学や数学が発達した国で、われわ れが想像する以上に高度なレベルに、紀元前から 達しています。インド学ではこの分野の研究もさ かんで、次のような入門書も出ています。 矢野道雄 1986 『密教占星術』東京美術。 矢野道雄 1992 『占星術師たちのインド』(中 公新書)中央公論社。 林 隆夫 1993 『インドの数学:ゼロの発明』 中公新書 中央公論社。 金剛部の法マンダラ以降の、残り十六マンダラは、 また別のマンダラ絵として描かれるんですか。 そのとおりです。九会のように組み合わされるこ とはなく、それぞれ単独で描いたものが、チベッ トに残っています。今回の授業で一部を紹介しま す。残念ながら、日本には存在しないようです。 なお、四部で 6 種のマンダラなので、全体は 24 になるのですが、金剛部のみはさらに四種のマン ダラを説くので、全部で 28 種のマンダラがあり ます。今回の授業でお話します。 金剛界はややこしいです、個々の仕組みと種類、 その組合せさえ理解すれば、何とかなりそうです が、それだけ理解するのにも骨が折れそうです。 暗記するのは到底無理なので、大まかにでも理解 することをめざしたいです。賢劫千仏と賢劫十六 尊どっちでもいいということですが、数に開きが ありすぎです。何か理由があるのですか。僕なら 間違いなく十六の方で。千も描くのはやっぱり修 行なのですか。 たしかにややこしいですが、お書きのように、別 に暗記する必要はなく、原理を理解すればいいと 思います。しかし、原理を理解すれば、あとは機 械的に掛け合わせるだけなので、28 種類のマンダ ラというのはそれほど覚えにくいものではありま せん。逆に、何のまとまりもない 28 種のマンダ ラを覚えるのは、なかなか困難です。また、その 内部の三十七尊も、いくつかのグループに分解で きるので、自然に覚えられます。賢劫十六尊と賢 劫千仏は、どちらも同じ「賢劫」が付いています が、中身は違います。賢劫十六尊は弥勒を筆頭に、 観音、文殊のような伝統的な大乗仏教の菩薩たち で構成されます。一 方の賢劫千仏 は、この時 代 (これを賢劫といいます)に現れる千の仏のこと
です。これらのほとけは順番にこの世に現れ、釈 迦はその四番目になります。マンダラに描かれる のは五番目の弥勒からで(弥勒は今から一番近い 未来仏です)、千仏といいつつ、実際は 996 尊し か描かれません(チベットの場合は千仏すべて描 く)。典拠となる『金剛頂経』では「弥勒などの 偉大な者たちを描け」とのみ説かれるので、弥勒 を筆頭とする賢劫十六尊と賢劫千仏のいずれかが 描かれるのです。このような説明は注釈書や儀軌 類に見られます。 5. マンダラの歴史(3):秘密集会マンダラと法界語自在マンダラ なぜ、ヒンドゥー教の神を敵とみなすのか。仏教 とヒンドゥー教はそんなに仲が悪いのか。 たぶん、そんなに仲が悪くなかったでしょう。仏 教はインド内部においては「異端」とも呼ぶべき 宗教ですが(たとえば神の実在を認めない)、外 来のイスラム教などとくらべれば、仏教もヒンド ゥー教も同じ仲間とみなすことができます。もっ とも、ヒンドゥー教徒にとって仏教はすでにライ バルではなかったでしょう。密教の時代、仏教は 長期凋落傾向にあり、一般の信者もつぎつぎとヒ ンドゥー教徒に変わっていったと思われます。儀 礼や図像にみられるように、仏教のもつイメージ そのものがヒンドゥー教とかわりがないものにな っていったことや、一般信徒にとって重要な人生 儀礼に仏教が関与していなかったことなどが、そ の理由にあげられるでしょう。密教文献の中でヒ ンドゥー教の神を敵とするのは、仏教がこのよう な「仮想の敵」を作らなければ、やっていけなく なったことのあらわれです。さらに時代が下って、 11 世紀頃に成立した『時輪タントラ』では、仏教 徒とヒンドゥー教徒が連帯してイスラム教に対抗 しようと説いています。事態はさらに切迫してい たからでしょう。 八十一尊マンダラは天台宗を中心に伝わっている ということですが、真言密教と天台密教では、マ ンダラにかなり違いがありますか。 あります。もともと、日本にマンダラを本格的に 伝えたのは空海ですが、同じ時期に唐にわたった 最澄は、マンダラについての知識も、その実物も 日本にもたらすことができませんでした。そのた め、後年、空海から灌頂をうけたり、重要な文献 を借用したりしています。もともと、最澄が関心 があったのは法華経とそれにもとづく天台教学で、 密教という存在そのものもほとんど意識していな かったようです。天台内部で密教が体系的に学ば れるようになったのは、次の世代の円仁、円珍以 降です。八十一尊マンダラは基本的には真言の九 会曼荼羅の成身会に相当します。真言にも同じ形 式のマンダラは伝わっているようです。日本にお けるマンダラの独自の展開に「別尊曼荼羅」があ りますが、これはマンダラごとにさまざまな修法 が定められ、平安時代の皇族や貴族のために、し ばしば行われました。真言と天台で得意とする修 法があり、それに応じて、マンダラの種類も両者 で異なります。日本のマンダラのところでくわし くみるつもりです。 仏教は全体や世界という概念に対し、無関心とい うことでしたが、それはどういうことですか。 インドでは、宇宙をひとつの生命体と考え、さら に そ れ は 唯 一 な る 原 理 (「 ブ ラ フ マ ン 」 つ ま り 「梵」といいます)が展開したものであると考え ました。しかも、それがわれわれ一人一人が持っ ている自我(アートマン)と、本質的には異なら ないと主張しました。これが、古代インドの思想 を代表する「梵我一如」の考え方です。その後、 この唯一なる原理が神格化されて、絶対神とみな されるようになり、それに対し、そのような存在 を認めず、さらにわれわれの自我のようなものも 存在しないとみなす仏教が現れました。釈迦が開 いた悟りの内容の根幹に、世界全体を「五蘊」と
してとらえる考えがあります。授業でも言及して いますが、五蘊の内容は存在物全体を表す「色」 と、それを認識する側の「受」以下の四種で構成 されます。そこにはブラフマンも神も登場しませ ん。 ひとつの砂マンダラを作るのにはたいへん手間が かかりそうですが、どのくらいの時間がかかるの でしょうか。 現在のチベットでは数週間というのが普通のよう です。マンダラの種類によって、単純なものから 複雑なものまでありますので、それによってかな り違いがあるようです。また、日本密教が伝える 伝統的なマンダラの制作法は「七日作壇法」と呼 ばれ、土地の選定から完成まで一週間で行われた ようです。これは、インドの文献からも確認され ますので、インドでは、もう少し早く作ったので はないかと思います(記録があまり残っていない のでよくわかりませんが)。 胎蔵マンダラにくらべると金剛界マンダラは非常 に複雑であると感じた。結局、日本の金剛界マン ダラは『金剛頂経』の二十八種類のマンダラをま とめたものであると解釈しいいのかという疑問点 が残った。金剛界マンダラは経典の中にその図像 が記されていないという話があったが、それなら ば、どのようにして金剛界マンダラは制作され、 受け継がれていったのかを教えてほしい。 はじめの疑問はたしかにそうですね。なぜ九会曼 荼羅のような形式が現れたのかは、授業でも言っ たように、よく分かっていません。中国で成立し たのはたしかですが、だれが、何を根拠に考えつ いたのかは謎です。システムとしては四大品(四 部族)と 6 種のマンダラというのは、確固とした ものですが、これが突然できたわけではないこと も分かっています。はじめは金剛界品のみが経典 として成立しました。このテキストは不空(ふく う)による漢訳経典として残っています。6 種の マンダラというマンダラの多様化がはじめにあっ たということです。その後、降三世品以下の三つ の部分が増広されていったことになります。降三 世品のはじめの部分(つまり、大マンダラと三昧 耶マンダラのみを説く)ができたところで、九会 曼荼羅が考え出されたという可能性もありますが、 降三世品においても六種のマンダラというセット が重要であったはずなので、むずかしいかもしれ ません。また、そのような文献も現存していませ ん。後半については、密教経典全般にいえること ですが、マンダラや儀礼についてのすべての情報 が文字化されているわけではなく、「口伝」とい う形で、その多くが伝えられてきました。重要な ことであればあるほど、文字には表さないという 傾向があります。これは仏教だけではなく、古代 のヴェーダの宗教以来の伝統です。しかし、それ では複雑な儀礼やマンダラのようなものを扱うの に支障があるので、根本経典に説明を加えた釈タ ントラや続タントラのような経典や、儀軌、注釈 書が多数現れるようになります。口誦伝承と文字 文化がせめぎ合っていたようです。 今こうしてみているマンダラ(壁に描かれたマン ダラ)と、壊してしまうマンダラは、意味・作ら れたいとは違うのでしょうか。これから見ていく マンダラは、あまり日本に伝わっていないという ことですが、なぜ伝わらなかったのですか。日本 の密教世界ではチベットと同じような発展の仕方 をしなかったということですか。 たしかに、壁画のマンダラを儀礼のためのマンダ ラは、制作の意図が違うでしょう。前者は装飾、 後者は儀礼の装置と見ることができます。壁画と してのマンダラは、それが描かれた建造物全体の プランにも関係します。寺院のような建造物は、 それ自体がしばしばコスモスを表します。そのよ うな象徴性を強固にするために、マンダラが「素 材」としても使われるのです。このような発想は インドの仏教寺院ではほとんどなかったようです が、チベットでは主流になります。しかも、まだ インドに仏教が残っていた時期に、ラダックのア ルチ寺のように、すでにマンダラをこのような素 材として使った寺院がチベット文化圏では建立さ れています。インドとチベットでは建造物内部の 空間をどのように処理するのかという考え方が、