台
密
教
主
義
概
論
(未
定
稿
)
清
水
谷
恭
順
大 山 公 淳 雅 兄 の 慫 慂 默 し 難 く 、 此 の 未 定 稿 を 呈 し て 先 輩 諸 師 の 叱 正 を 乞 ふ こ と ゝ な り ぬ 、 昨 秋 の 震 火 災 に 藏 書 及 び カ ー ド 等 全 部 焼 失 し た る 爲 に 、 今 推 敲 を 新 に す る 能 は ず 、 且 つ に 災 後 の 雑 事 未 だ 心 身 に 推 し 迫 る 、 止 む な く 奮 稿 を そ の 儘 に 出 す 、 約 を 破 す る は 雅 兄 に 背 き て 苦 し く 、 約 を 履 行 す る は 學 界 に 寄 興 す ろ な き を 耻 づ 、 此 の 苦 衷 を 憐 み 高 教 を 垂 れ 給 は ゞ 幸 甚 。 教 主 義 に 就 て は 東 家 に 於 て も 多 端 の 問 題 あ る を 知 る 、 余 年 少 若 輩 に し て 之 を 論 す る の 暴 な る を 悟 る 、後 日 稿 を 更 め て 相 見 ゆ る を 期 し 、 今 は 僅 に 台 密 人 師 の 一 部 代 表 的 の 諸 説 を 列 擧 し て 以 て 今 家 教 主 義 の 大 勢 を 伺 ふ の 一 貧 料 た ら し む る の み 。 義 釋 が 台 密 の 一 大 指 南 で あ り 、 善 無 畏 一 行 の 説 が 最 も 後 世 に 影 饗 せ る を 以 て 、 先 づ 善 無 畏 一 行 よ り 起 せ り 、 な ろ べ く 餘 論 を 避 け て 單 純 に 論 す る を 方 針 と な せ り 。 一 善 無 畏 一 行 説 両 者 の 説 は 全 同 で あ る 、 即 ち 善 無 畏 の 説 は 一 行 記 し て 義 釋 を な つ て を つ て 異 説 あ り と 認 む る 資 料 が な い 、 或 は 單 に 善 無 畏 説 と い ふ 方 が 穏 當 で あ る か も 知 れ な い 。 此 の 説 に 於 て は 初 に 自 性 身 教 主 説 、 次 に 他 受 變 化 身 教 主 説 を 見 ら る る の で あ る 。 義 釋 ( 一 ノ 四 a に ) 台 密 教 主 義 概 論 一台 密 教 主 義 概 論 二 経 云 薄 伽 梵 住 如 來 加 持 者 薄 伽 梵 即 此 畏 盧 遮 那 本 地 法 身 次 云 如 來 是 佛 加 持 身 其 所 住 處 名 佛 受 用 身 即 以 此 身 爲 佛 加 持 住 處 如 來 心 王 如 諸 佛 住 而 住 其 中 既 從 遍 一 切 處 加 持 力 生 即 與 無 相 法 身 無 二 無 別 而 以 自 在 神 力 一 切 衆 生 見 身 密 之 色 聞 語 密 之 聲 悟 意 密 之 法 隨 其 性 分 種 々 不 同 即 此 所 住 名 加 持 處 也 次 釋 歎 加 持 住 故 云 廣 大 金 剛 法 界 宮 。 此 の 文 に 依 る と 、 畏 盧 遮 那 如 來 は 三 身 四 身 の 中 に は 本 地 法 身 の 理 法 身 で 即 ち 能 加 持 身 で あ る 、 而 し て そ の 能 加 持 身 の 所 住 處 は 、 ﹁ 名 佛 受 用 身 ﹂ 、 で 受 用 身 を 以 て 前 の 能 加 持 法 身 の 所 住 處 ご な す 、 即 ち 所 加 持 身 と な す の で あ る 。 從 つ て 此 の 場 合 に 於 て は 法 身 ご 受 用 身 と を 相 對 し て 、 能 加 持 所 加 持 を 明 し 、 以 て 法 身 の 如 來 が 自 四 霞 の 眷 屬 の 爲 に 説 き し 處 の 自 受 法 樂 の 説 法 が 大 日 経 で あ る . 從 つ て 教 主 は 法 身 で あ る 。 更 に 此 の 受 用 身 中 に 如 來 の 心 王 は 住 す る の で あ る 、 然 し 遍 一 切 處 の 加 持 力 よ り 生 じ だ る 佛 身 な る が 故 に 無 相 法 身 ご 無 二 無 別 で あ る 、 而 し て 自 在 神 力 を 以 て 、 此 の 無 相 法 身 の 三 密 を 見 聞 覺 知 せ し む る の で あ る 、 そ の 佛 身 は 上 の 内 證 の 境 界 を 動 せ ず し て 外 用 を 起 し た る 、 他 受 變 化 の 佛 身 を 觀 じ て 説 法 す る こ と を 示 し た の で あ る 、 此 の 場 合 は 自 性 自 受 に 即 す る 他 受 變 化 は 、 能 加 持 能 住 の 佛 身 で あ つ て 、 等 流 衆 生 は 所 加 持 所 住 の 佛 身 で あ る 、 從 つ て そ こ に 両 重 の 能 所 が 成 立 す る 譯 で あ る 、 之 を 圖 表 す る と 次 の 如 く な る 。
前 者 は 境 の 智 を 發 す る 義 邊 に 約 し 、 法 身 は 自 受 用 の 智 を 發 す る が 故 に 、 法 身 は 能 自 受 用 は 所 と 判 じ た の で あ る 、 之 は 境 智 相 應 の 義 邊 に 約 し て 能 所 を 分 判 し た の で あ る 。 後 者 は 妙 感 妙 應 道 交 の 上 に 、 能 加 持 所 加 持 を 明 し た の で あ る 。 斯 く の 如 く 佛 身 を 以 て 佛 の 所 住 處 と な す の 説 は 、 大 日 經 乃 至 義 釋 に 於 て 初 め て 見 ら る る 思 想 で 、 普 通 は 佛 土 を 以 て 佛 の 所 住 處 と な す 、 兎 に 角 義 釋 の 此 の 文 は 、 第 一 は 自 性 身 教 主 説 、 第 二 は 自 性 自 受 に 即 す る 他 受 變 化 教 主 説 で あ る 。 斯 く の 如 く 義 釋 己 に 教 主 論 の 多 岐 に 亘 る 原 由 あ る 事 は 頓 て 、 其 の 後 の 學 者 間 に 此 の 義 に 就 て 、 異 説 紛 々 し て 一 定 せ ぬ 所 以 ざ 思 ふ 。 以 下 今 家 に 於 け る そ の 概 觀 を 伺 ふ て 見 る 。 二 慈 覺 大 師 説 是 亦 一 律 に 判 す る 譯 に は 行 か な い が 、 大 體 に 於 て 眞 言 所 立 三 身 問 答 及 び 金 剛 頂 經 疏 に 於 て は 、 理 智 台 密 教 主 義 概 論 三
台 密 教 主 義 概 論 四 不 二 智 法 身 説 及 び 理 法 身 説 と 見 ら る る の で あ る 。 即 ち 眞 言 所 立 三 身 問 答 開 巻 第 一 に は ﹁ 佛 有 三 身 今 經 何 身 説 ﹂ と 問 へ ば 、 毘 盧 遮 那 法 身 説 也 と 答 へ 。 更 ら に 、 此 法 身 於 理 智 中 是 爲 何 法 身 、 と 問 ふ に 對 し 是 則 理 智 不 二 智 法 身 如 來 也 、 と 答 ふ 。 更 に 理 智 不 二 法 身 理 智 冥 合 恒 然 常 住 不 説 法 今 何 爲 説 注 。 と 問 へ ば 理 體 恒 然 常 住 不 説 法 者 是 爲 淺 略 機 所 説 名 爲 顯 教 義 也 。 若 理 法 身 能 爲 衆 生 説 者 是 爲 深 秘 機 所 説 以 爲 秘 教 義 也 。 と 答 へ て 理 智 不 二 智 法 身 の 説 法 な る こ と を 明 し て を る 。 故 に 捜 決 鈔 主 は 之 を 引 用 し て 此 釋 始 終 眞 盲 教 主 三 身 中 法 身 説 被 定 也 。 と い つ て お る 。 慈 覺 大 師 の 法 身 説 法 説 の 依 憑 は 、 大 日 經 の 爾 時 毘 盧 遮 那 如 來 告 金 剛 手 と い ひ 、 又 毘 盧 遮 那 一 切 身 業 一 切 語 業 一 切 意 業 一 切 處 一 切 時 於 有 情 界 宣 説 眞 言 道 句 法 と あ る の 文 で あ る 。 而 し て 理 體 の 正 説 と 、 理 法 身 智 の 爲 に 説 法 す る と の 両 義 あ り と な す の で あ る 。 前 項 に 掲 げ た る 義 釋 の 第 一 の 説 に 契 當 す る 。 但 し 大 師 の 法 身 な る 語 は 、 三 身 皆 爲 法 身 の 法 身 義 な る こ と は 三 身 問 答 に
問
所
言
理
體
常
照
名
爲
法
身
説
法
者
自
受
用
身
他
受
用
身
爲
是
何
法
身
耶
。
答
二
身
倶
得
也
。
問
若
言
自
他
倶
是
法
身
者
第
三
應
化
亦
是
應
爾
。
答
亦
爲
法
身
慮
無
碩
失
何
者
化
身
亦
是
理
内
常
照
用
故
。
と
あ
る
に
よ
り
て
も
明
了
で
あ
る
。
次
に
金
剛
項
疏
を
見
る
に
、
巻
一
(
佛
全
十
六
頁
)
に
問
如
來
内
證
寂
静
無
盲
心
思迥
絶
何
故
今
云
於
内
證
境
説
此
經
耶
。
答
如
汝
所
説
内
證
之
境
言
亡
慮
絶
何
以
故
非
諸
凡
夫
之
境
界
故
又
如
來
内
謹
但
是
寂
静
無
言
等
者
是
即
顕
教
所
説
也
。
彼
教
末
知
如
來
内
證
甚
深
義
故
。
今
此
秘
密
教
其
義
不
爾
寂
照
倶
時
寂
故
法
界
倶
寂
照
故
法
界
同
散
、
散
不
妨
寂
不
寂
不
防
散
、
如
來
内
證
其
義
如
是
。
と
、
之
は
秘
密
の
教
主
が
自
性
法
身
及
自
受
用
智
身
な
る
こ
と
を
示
せ
る
も
の
で
あ
る
、
之
に
就
い
て
諸
佛
の
説
法
は
必
ず
利
他
の
爲
で
あ
る
、
今
内
證
眷
屬
の
爲
に
法
を
説
い
て
何
の
利
益
が
あ
る
か
と
の
問
に
對
し
、
之
は
自
受
法
樂
の
説
法
で
あ
つ
て
、
轄
輸
王
が
自
の
眷
屬
と
大
快
樂
を
受
け
て
も
、
國
内
萬
民
の
知
る
所
で
な
い
が
如
し
と
答
へ
て
お
る
。
斯
く
の
如
く
慈
覺
大
師
は
密
教
の
教
主
を
法
身
の
如
來
と
立
て
、
以
て
顯
教
の
教
主
と
揮
ん
で
を
る
、
前
記
二
箇
處
の
大
師
の
釋
に
よ
れ
ば
、
法
身
の
理
内
に
寂
照
の
二
徳
あ
り
て
互
に
妨
碍
せ
す
、
故
に
法
身
の
如
來
に
説
法
の
義
あ
り
台
密
教
主
義
概
論
五
台 密 教 主 義 概 諭 六 と 釋 す る の で あ る 。 五 大 院 の 倶 體 倶 用 の 佛 身 義 も 亦 之 を 根 底 と し て 發 展 せ る 思 想 で あ る 。 斯 く て 法 身 理 内 に 法 爾 と し て 無 相 皆 室 、の 寂 體 、 有 相 三 密 の 照 徳 と の 両 面 が あ る の で あ つ て 、 從 つ て 法 身 の 内 證 に 、 無 相 平 等 な る と 同 時 に 自 ら 形 聲 説 法 の 化 儀 が あ る の で あ る 、 次 の 如 き 關 係 に な る 。 自 性 と 自 受 と は 佛 自 内 證 内 の 能 所 と な り 、 一 重 の 關 係 を 成 じ 、 更 に そ の 内 證 が 他 受 變 化 の 外 用 に 對 し て 、 能 所 の 關 係 を 成 じ て 茲 に 両 重 の 能 加 持 所 加 持 を 致 す の で あ る 、 内 證 は 寂 外 用 は 照 、 斯 く 寂 照 の 分 別 を な す け れ 共 、 無 相 平 等 の 理 と 有 相 三 密 の 事 と は 、 本 來 不 離 の 關 係 を 有 し 、 内 證 と 外 用 と は 全 く 一 紙 の 兩 面 の 如 く に し て 其 體 は 一 で あ る 。 故 に 内 證 法 樂 の 墳 界 を 動 ぜ ず し て 外 用 對 機 の 説 法 を 起 す の で あ る 。 即 ち 大 日 の 内 證 は 常 恒 に 外 用 の 益 を 起 す の で あ る と 説 く の が 、 義 釋 を 受 け た る 慈 覺 大 師 の 上 來 の 教 主 諭 の 出 る 源 由 で あ る 。
三
智
証
大
師
説
大
日
經
疏
抄
(智
證
大
師
全
集
︱
佛
全
六
七
七
頁
)
に
薄
伽
梵
を
釋
し
て
薄 伽 梵 即 毘 盧 遮 那 法 身 者 自 性 身 也 、 受 用 身 者 自 受 用 身 也 。 と 抄 記 し て あ る 、 是 れ 即 ち 自 性 身 自 受 用 身 教 主 諭 と 釋 せ ら れ た る も の と 見 て 宜 し か ら ふ 。 山 王 院 大 師 の 教 主 觀 は 比 較 的 不 明 了 で あ る 、 或 は 前 記 の 處 以 外 に 於 て は 餘 り 論 ぜ ら れ て を ら な い の で は あ る ま い か と 思 ふ 。 要 す る に 慈 覺 大 師 の 説 を 一 歩 も 出 て を ら ぬ と 申 し て よ か ら ふ 。 四 造 玄 説 胎 藏 を 法 潤 に 金 剛 を 元 政 に 相 承 し た 血 脉 の 権 威 造 玄 は 、 密 教 の 教 主 を 應 身 の 如 來 と 判 ぜ る 由 、 捜 決 抄 に 出 て お る 。 即 ち 同 抄 一 の 三 左 に 、 ﹁ 大 唐 造 玄 阿 闍 梨 血 脉 毘 盧 遮 那 如 來 に 釋 迦 如 來 也 と 注 を 付 た り ﹂ と あ る 、 是 大 日 を 以 て 釋 迦 應 身 と 判 ぜ ら れ た も の と な る す べ き で あ ら ふ 。五
三
井
流
灌
頂
血
脉
台 常 教 主 義 概 論 七台 密 教 主 義 概 論 八 前 の 捜 決 抄 の 同 じ 處 に ﹁ 三 井 流 灌 頂 血 脉 等 に も 即 如 然 書 た り と 申 す 人 あ り 。﹂ と 記 し て あ る 、 之 は 三 井 流 の 血 脉 に か く 書 き 入 れ で も し て あ つ た の が あ り し も の と 思 へ る 。 か く て 上 來 の 説 を 一 先 づ 統 一 す る 、 中 に は 一 師 に 二 説 を な す も の も あ る 。 即 ち (一) (二) (三) (四) に な る 、 慈 覺 大 師 は 自 受 用 智 身 説 も あ る が 其 の 中 心 思 想 は 法 身 説 で あ る 、 智 證 大 師 も 亦 然 り 、 造 玄 は 簡 單 に し て 要 を 得 ず 、 但 大 日 釋 迦 二 佛 一 體 説 の 荘 嚴 と な る 位 の も の 最 も 古 く し て 、 而 し て 尤 も 後 世 に 影 響 の 多 い 、 即 ち 究 寛 せ る 論 は 、 善 無 畏 三 藏 の 説 で あ る 、 彼 は 自 性 身 と 共 に 他 受 變 化 身 を も 、 教 主 た る 意 義 を 認 め て を る の で あ る 、 五 大 院 の 教 主 義 が 何 人 に 多 く 影 響 せ ら れ し や を 考 ふ る に 、 慈 畳 智 證 等 に あ
ら ず し て 寧 ろ 善 無 畏 で あ る 、 是 等 か ら 考 ふ る も 善 無 畏 の 密 教 史 上 に 於 け る 地 位 は 、 實 に 高 い も の で あ る 。
六
五
大
院
説
初 に 師 は 受 用 身 の 如 來 と 判 じ て を る 、 即 ち 教 時 問 答 一 ( 叢 二 六 頁 ) に 私 謂 尼 陀 天 宮 天 冠 大 日 即 他 受 用 亦 是 自 受 用 身 。 と い へ る に 見 て も 、 大 日 如 來 を 自 他 受 用 身 と 、 判 ぜ ら れ し を 知 り 得 る 。 然 し 他 受 用 の 時 は 化 他 、 自 受 用 身 の 時 は 自 受 法 樂 で あ る が 如 く 、 又 此 文 上 に 己 に 内 外 體 用 同 時 の 趣 き を 表 示 し て を る 如 く に 、 五 大 院 の 受 用 身 觀 な る も の は 、 單 な る 受 用 身 で は な い 、 故 に 教 時 問 答 ( 二 四 頁 ) に 今 眞 言 宗 一 切 諸 法 皆 爲 眞 如 故 彼 迷 位 諸 法 尚 名 眞 如 况 此 果 地 諸 法 豊 非 眞 如 以 此 眞 如 名 爲 法 身 故 諸 經 論 所 説 諸 身 即 今 皆 名 法 身 皆 名 報 身 皆 名 受 用 皆 名 變 化 の と い ふ て 、 皆 法 身 乃 至 變 化 と 稱 す べ き 佛 身 な る が 故 に 、 受 用 身 と い ふ も 單 に 自 受 他 受 用 と 考 ふ べ き で な く 、 四 身 一 體 の 自 受 用 で あ り 、 他 受 用 で あ る 。 而 し て 胎 金 両 部 の 諸 尊 に 對 し て 、 師 は 、 胎 藏 界 會 の 中 臺 八 葉 を 自 性 身 、 三 部 春 屬 は 自 受 用 身 、 第 二 台 密 教 宝 義 概 論 九台 密 教 主 義 概 論 一 〇 重 中 の 諸 大 心 衆 は 他 受 用 身 、 第 三 重 の 釋 迦 佛 等 を 變 化 身 、 九 界 の 眷 屬 を 等 流 身 と な す 。 次 に 金 剛 界 の 五 部 の 諸 尊 に 於 て は 、 佛 部 は 浄 妙 法 身 、金 剛 部 は 金 剛 堅 固 自 性 身 、 寳 部 は 福 徳 荘 嚴 身 、 蓮 華 部 は 受 用 智 恵 身 、 羯 磨 部 は 作 變 化 身 で あ る 、 此 の 四 身 は 自 受 用 身 、 賢 劫 眷 屬 は 他 受 用 身 、 二 十 天 等 は 等 流 身 な り と な し て 、 次 の 如 く 結 ん で あ る 。 即 ち 教 時 間 答 ( 二 五 頁 ) に 大 日 如 來 内 證 是 等 諸 身 諸 經 論 中 名 法 如 如 智 如 如 法 身 。 大 日 如 來 自 以 諸 身 更 受 法 樂 諸 經 論 中 名 自 受 用 身 。 大 日 如 來 以 此 諸 身 令 諸 具 惑 菩 薩 見 受 法 樂 諸 經 論 中 名 他 受 用 身 。 大 日 如 來 以 此 諸 身 随 諸 凡 夫 所 感 普 現 諸 經 論 中 名 應 化 身 、 如 是 三 身 大 日 一 體 、 故 羂 索 經 説 三 身 一 體 皆 手 等 毘 盧 遮 那 自 性 身 金 剛 仙 論 云 即 三 而 一 帥 一 而 三 言 三 不 傷 一 言 一 不 壊 其 三 。 と 論 じ て を る 、 隨 つ て 大 日 如 來 を 一 應 は 受 用 身 と 分 別 し た け れ ご も 、 其 の 受 用 身 た る や 元 來 大 日 法 身 に 即 す る 受 用 身 な る が 故 に 、 或 は 理 法 身 、 智 法 身 、 應 化 身 等 と 同 體 な る 受 用 身 で あ る 、 前 に 述 べ た る 四 身 一 體 の 受 用 身 で あ る 。 眞 言 宗 は 、 迷 悟 一 切 の 法 を 眞 如 と な し 、 其 の 眞 如 を 以 て 法 身 と 名 づ け 、 而 し て そ の 法 身 は 三 身 四 身 に 通 ず る の で あ る 、 從 つ て 海 會 の 諸 尊 は 悉 く 三 身 に 通 ず る こ と は 勿 諭 で あ る 。 此 の 義 に 就 て 大 日 經 の 中 に は
能 加 持 清 浄 法 身 住 所 加 持 自 受 用 身 一 切 内 證 法 身 眷 屬 示 現 自 受 用 身 集 會 遍 十 方 界 示 現 無 盡 海 會 荘 嚴 佛 藏 與 此 會 同 。 と い ふ に あ る 、 是 に よ れ ば 皆 同 法 身 の 大 日 が 大 日 經 の 教 主 で あ る 、 但 し 自 受 用 身 を 所 住 處 と す る 法 身 な る が 故 に 、 自 受 用 身 に 位 す る 法 身 、 從 つ て 自 受 用 身 と も 見 ら れ 得 る 。 又 是 の 身 が 十 方 界 に 普 現 し て 、 普 賢 等 の 諸 菩 薩 身 と な り 眞 言 を 説 く の で あ る 、 從 つ て 十 方 界 會 悉 く 因 位 の 佛 身 で あ る 、 如 斯 一 切 海 會 の 諸 佛 は 皆 因 地 の 心 心 所 法 で あ る 、 九 議 心 王 が 注 性 身 を 成 す る の 時 、 一 切 心 所 等 の 法 一 轉 し て 果 界 に 入 り て 、 法 門 の 眷 屬 と な る を 法 身 と 稱 し 、 共 に 法 界 宮 に 集 會 し て 法 樂 を 受 く る は 自 受 用 身 、 十 方 に 普 現 す る は 他 受 用 身 、 菩 薩 身 を 現 ず る は 變 化 身 で あ る 。 斯 く し て 曼 荼 海 會 の 一 切 の 諸 尊 は 、 法 門 の 眷 屬 と な れ る 三 身 の 顯 現 で あ り 、 其 の 三 身 の 各 々 悉 く 清 浄 法 身 に 即 す る 佛 身 、 帥 ち 眞 如 の 顯 現 で あ る 、 法 身 を 主 と し て 考 ふ れ ば 、 迷 悟 一 如 の 三 身 、 三 身 を 主 と し て 考 ふ れ ば 、 九 識 心 王 轉 し て 法 門 の 眷 屬 と な れ る と 否 と が 問 題 で あ る 。 然 も 此 の 三 身 倶 體 倶 用 義 に 明 す が 如 く 常 に 一 體 で あ る 、 故 に 教 時 間 答 ( 二 五 頃 ) に 然 此 大 日 三 身 常 一 體 故 衆 生 隨 機 即 一 聞 三 教 門 分 張 亦 復 不 同 。 と い ふ の で あ る 、 斯 く て 曼 荼 海 會 の 三 十 七 尊 皆 法 身 皆 同 大 日 互 體 具 融 す る こ と を 瑜 祇 經 、 禮 懴 文 等 を 引 證 し 、 出 生 義 、 分 別 聖 位 、 必 要 等 を 助 證 と し て 示 し て を る 。 台 密 教 主 義 概 論 一 一
台 密 教 主 義 概 論 一 二 夫 れ 等 の 諸 書 に 説 く 所 に 依 る と 大 日 如 來 内 證 三 十 七 尊 三 摩 地 法 遍 満 法 界 自 受 法 樂 己 意 爲 令 菩 薩 受 用 法 樂 成 諸 尊 身 住 諸 教 今 。 と 、 此 等 の 文 は 大 日 を 他 受 用 と 見 做 せ る の で あ る 、 其 の 他 或 る 文 に は 大 日 は 自 受 用 、 四 佛 及 諸 尊 は 他 受 用 、 外 衆 は 變 化 と 説 き 、 或 文 に は 、 大 日 は 法 身 、 四 佛 は 自 受 、 諸 尊 は 他 受 、 外 衆 は 變 化 身 な り ご 説 く と あ る 、 而 し て 五 大 院 は 此 等 諸 説 を 結 ん で 、 教 時 問 答 ( 二 六 頁 ) に 此 是 皆 即 法 身 亦 説 自 受 即 自 受 用 亦 説 他 受 即 他 受 用 亦 説 變 化 。 と い ふ て 三 身 即 一 を 述 べ て を る 、 天 臺 圓 教 で は 一 切 諸 佛 の 色 究 竟 天 の 成 佛 は 別 教 の 義 、 菩 提 樹 下 八 相 の 釋 迦 は 變 化 身 又 是 れ 法 身 と 説 く の で あ る 、 斯 く て は 釋 迦 即 大 日 二 佛 一 體 で あ る 、 故 に 教 時 義 ︱ ( 二 六 頁 ) に 故 知 眞 言 大 日 住 他 受 用 以 此 爲 門 開 顯 内 證 、 顯 教 釋 迦 住 變 化 身 以 此 爲 門 開 顯 内 證 若 從 外 迹 證 入 内 證 即 於 一 身 具 足 四 身 不 同 顯 教 三 身 各 別 分 量 差 別 。 と 結 論 し て あ る 、 之 は 明 か に 大 日 を 他 受 用 と 判 じ た の で あ る 、 但 し 四 身 一 體 の 他 受 用 な る こ さ は 断 る 迄 も な い 。 斯 く の 如 く 或 時 は 法 身 の 如 く 、 或 時 は 自 受 用 の 如 く 説 い て あ る 、 是 五 大 院 の 取 れ る 普 通 の 態 度 で は
あ る が 又 共 に 其 の 義 あ り と い ふ べ き で あ る 、 就 中 前 來 記 述 せ る 點 に 於 て 考 ふ れ ば 、 他 受 用 と 判 ぜ る 點 が 最 も 明 了 に 出 て を る と 見 る べ き で あ る 。 更 に 師 の 自 受 用 兼 説 他 受 變 化 身 説 と な せ る 處 も あ る 、 即 ち 教 時 問 答 ( 九 九 頁 ) に は 両 部 及 瑜 祗 は 大 日 如 來 自 受 用 の 説 、 蘇 悉 、 蘇 磨 両 經 は 金 剛 手 菩 薩 自 受 用 説 こ な し て あ る 、 然 も 自 受 法 樂 中 他 受 變 化 身 の 事 を 兼 説 す と な す の で あ る 。 文 に 云 く 問 若 爾 大 日 經 金 剛 頂 經 瑜 祗 經 蘇 悉 地 經 蘇 磨 胡 經 等 何 是 自 受 用 心 何 是 他 、 受 用 身 説 何 是 應 化 身 説 。 答 大 日 經 金 剛 頂 十 八 曾 瑜 祗 經 是 大 日 如 來 自 受 用 身 説 蘇 悉 地 蘇 摩 胡 經 是 金 剛 手 自 受 用 身 説 然 自 受 法 樂 説 法 之 中 兼 説 他 受 變 化 身 事 以 爲 自 受 法 樂 之 相 。 と 、 之 恐 ら く は 五 大 院 獨 自 の 説 で あ ら ふ 、 五 部 の 秘 經 の 一 々 の 教 主 を 別 示 し た も の で 、 尤 も 明 了 で あ る 。 金 剛 手 は 結 集 主 で あ り 又 大 日 如 來 の 分 身 で あ る 、 前 に も 揚 げ た る が 如 く 、 大 日 經 に 、 一 切 時 一 切 處 に 荘 嚴 藏 を 現 じ 、 又 金 剛 手 等 の 身 を 現 し 、 十 法 界 に 於 て 眞 言 道 を 説 く 、 之 は 自 受 法 樂 也 と い ふ て あ る 、 即 ち 自 受 用 身 の 説 法 で あ る 故 に 、 金 剛 手 の 自 受 用 は 大 日 の 自 受 用 と 別 な い の で あ る 。 若 し 十 地 の 菩 薩 此 の 法 を 受 け る 時 は 、 他 受 法 樂 と な し 、 佛 身 は 他 受 用 身 で あ る 、 若 し 六 道 の 凡 夫 此 の 法 を 受 く る 時 を 、 變 化 身 の 説 法 と い ふ の で あ る 。 台 密 教 主 義 概 論 一 三
台 密 教 主 義 概 論 一 四 斯 く 對 機 次 第 で 同 一 の 佛 身 に 自 性 身 自 受 用 身 他 受 用 身 應 化 身 の 名 が 付 せ ら る ゝ の で あ つ て 、 決 し て 大 日 如 來 の 本 體 が 一 々 別 に あ る の で は な い 、 究 竟 じ て 論 す れ ば 宇 宙 の 存 在 の 一 々 に 應 じ て 大 日 如 來 あ り 、 そ の 存 在 を 主 と し て 考 察 す れ ば 、 四 身 十 身 乃 至 無 量 百 千 億 身 と な る で あ ら ふ が 、 大 日 の 本 體 は 一 體 で あ り 、 從 つ て 四 身 一 體 百 千 萬 億 身 一 體 な の で あ る 、 四 身 と い ふ も 大 日 に 四 身 あ る 譯 で な く 、 機 に 約 す る が 故 に 且 ら く 三 身 四 身 等 と な る の で あ る 、 故 に 四 種 法 身 と い ふ 尤 も 道 理 あ る 事 で あ る 。 然 る に 此 の 五 大 院 の 説 に 對 し て 、 明 導 上 人 は 少 し く 賛 せ ざ る 説 を な し た 處 が あ る 。 七 明 導 上 人 照 源 の 説 上 人 は 自 受 用 身 説 で あ る 、 從 つ て 五 大 院 に も 自 受 用 身 説 も あ る の で あ る か ら 、 強 ち 安 然 説 に 反 對 こ い ふ 譯 で は な い が 、 安 然 の 他 受 用 身 説 に 反 對 な り と い ふ べ き か 。 即 ち 捜 決 抄 一 の 三 の 二 十 一 一 丁 左 己 下 に 五 大 院 釋 義 趣 内 證 自 受 法 樂 説 な る 事 を ば 定 此 内 證 説 十 地 菩 薩 聞 方 且 他 受 用 言 六 道 凡 夫 所 聞 約 此 變 化 身 説 言 分 別 セ ラ レ タ リ 、 打 任 外 用 出 ツ レ ハ 内 證 化 儀 ト ハ 不 可 被 言 所 説 法 門 機 縁 出 對 シ ツ レ バ 随 他 意 語 説 コ ソ ナ ル ベ キ ニ テ ア ル ニ 自 性 自 受 内 證 會 座 不 動 爲 十 地 菩 薩 説 之 未 斷 惑 凡 夫 爲 令 聞 知 之 也 所 化 機 位 高 下 從 フ テ 且 能
化 佛 身 相 ヲ 自 他 受 用 變 化 等 流 一 往 分 別 ス ル 様 ニ ハ ア レ ド モ 於 所 聞 法 體 大 日 如 來 三 世 常 恒 内 證 説 菩 薩 聞 凡 夫 聞 ア ル 故 在 法 界 宮 四 身 同 説 自 受 法 樂 之 相 ト テ 四 身 説 通 ズ ト ハ 言 ヘ ド モ 今 ノ 如 來 内 證 ノ 法 門 ヲ 説 ク ト 言 事 ハ イ ッ モ 只 法 界 官 中 目 受 法 樂 ノ 相 ニ テ ア ル ベ キ 也 。 と 記 し て 、 他 受 變 化 兼 説 の 義 に 對 し て 、 其 の 義 が な い で は な い が 、 内 證 の 説 な る 以 上 自 受 用 身 の 説 な り と な す べ き で あ る と い ふ の で あ る 。 他 受 變 化 と い ふ の は 機 に 對 す る の 一 應 の 説 で 、 極 説 と い ふ べ か ら ず と の 意 見 で あ る 、 之 に 依 り て 余 は 今 照 源 を 以 て 自 受 用 説 を 取 れ り と な す の で あ る 。 但 し 師 と て も 亦 臺 家 の 棟 領 な る 故 に 、 山 門 の 大 師 光 徳 の 御 所 立 の 趣 は 、 還 つ て 他 受 變 化 の 説 に 垂 れ 下 つ て 、 自 性 自 受 の 説 な る 本 意 を も 思 ひ 極 む べ き に て あ る 也 、 故 に 高 野 大 師 の 御 所 立 の 分 を ば 山 門 よ り は 、 眞 言 の 初 門 と 申 す 也 と 斷 じ て 、 偏 に 自 性 法 身 の 説 ご す る 東 密 の 判 を 眞 言 の 初 門 と 疑 し て 居 る 點 は 自 受 用 身 説 に 執 着 し て お ら ぬ 證 據 で 、 他 受 變 化 を も 認 む る が 、 其 の 本 處 が 自 受 用 で 、 今 は 内 證 の 説 法 な る 故 に 、 自 受 用 と い ふ べ き で あ る と い ふ 覧 見 で あ る 。
八
覺
超
之
説
覺 超 は 他 受 用 身 説 を 取 る 。 台 密 教 主 義 概 論 一 五台 密 教 主 義 概 論 一 六 捜 決 抄 一 ノ 三 三 十 三 丁 裏 に 五 大 院 眞 言 大 日 住 他 受 用 釋 都 率 先 徳 東 曼 荼 羅 抄 等 施 設 任 眞 言 教 先 他 受 用 ベ シ ト 言 義 ヲ 可 申 也 。 と い ふ な 見 る に 、 師 も 先 づ 臺 密 の 互 匠 五 大 院 の 判 に 任 せ て 他 受 用 義 を 依 用 せ ら れ た も の と 見 て よ か ら う 。 九 覺 苑 之 説 覺 苑 は 或 は 應 身 と い ひ 、 或 は 推 功 歸 本 し て は 法 身 の 説 と な す の で あ る 、 即 ち 演 密 鈔 二 ノ 十 六 丁 に 如 一 切 諸 佛 説 法 儀 式 皆 住 於 應 身 即 本 地 身 爲 教 主 也 約 別 就 勝 唯 是 眞 身 故 經 言 應 化 非 眞 佛 亦 非 説 法 者 推 功 歸 本 言 法 身 説 。 と 、 故 に 説 法 す る 當 處 に 就 て 考 ふ れ ば 、 應 身 で あ る が 、 應 化 は 眞 佛 で も な け ば 説 法 者 で も な い 推 功 歸 本 す れ ば 法 身 な り と す る の で あ る 、 之 に 依 り て 考 ふ れ ば 、 一 應 は 應 身 と 立 つ る が 實 は 法 身 と 離 れ ざ る 應 身 で 、 實 尅 す れ ば 法 身 と 斷 ず べ し と な す も の ゝ 様 で あ る 。 然 し ﹁ 言 次 言 如 來 是 佛 加 持 身 者 即 廣 身 他 受 用 也 ﹂ と い ふ を 見 れ ば 、 他 受 用 説 の 如 く に も 見 へ る 、 故 に 廣 身 及 び 他 受 用 報 身 が 能 説 の 教 主 で 、 而 も 法 身 に 即 す る 佛 身 な る を 忘 る べ か ら ず と 主 張 す る も の と 思 ふ 。
十
結
論
上
來
列
擧
せ
る
諸
師
の
説
を
一
括
圓
表
す
る
と
1 2 3 4 5 6 7 8 9 以 上 の 如 く 自 性 法 身 説 五 、 自 受 用 説 四 、 變 化 身 説 又 四 、 他 受 用 説 三 、 理 智 不 二 法 身 説 一 、 外 に 自 受 用 兼 説 他 受 變 化 身 説 一 の 統 計 と な る わ け で あ る 。 從 つ て 自 性 身 説 が 一 番 多 く 續 い て は 自 受 用 身 等 で あ つ て 、 五 大 院 の 主 と し て 取 ら れ た 他 受 用 説 は 、 台 密 教 主 義 概 論 一 七台 密 教 主 義 概 論 一 八 比 較 的 少 數 で あ る 、 特 に 他 受 用 説 は 五 大 院 の 前 に は 善 無 畏 一 人 で あ る 、 そ れ も 善 無 畏 の 本 意 は 自 性 身 で 他 受 用 説 は 裏 の 意 を 示 し た も の と 見 て よ い の で あ る 。 故 に 慈 覺 智 證 の 両 大 師 は 、 善 無 畏 の 表 意 た る 自 性 身 説 に 專 ら 依 憑 さ れ た 事 と 想 察 す る 、 然 る に 五 大 院 は 善 無 畏 の 創 説 た る 他 受 用 第 二 義 説 を 第 一 義 と し て 先 輩 の 取 ら れ た る 第 一 義 を 第 二 義 と せ ら れ た 點 は 、 兎 も 角 も 一 創 説 で あ る 、 所 以 あ る か な 、 台 密 教 相 の 大 匠 覺 超 は 、 五 大 院 の 此 説 を 依 用 し て を る 、 五 大 院 と 兜 率 の 先 徳 と は 誠 に 台 密 教 相 の 二 大 碩 學 で あ り 、 然 も 二 人 な が ら 大 日 如 來 他 受 用 身 説 を 取 ら れ た る も 、 亦 台 密 所 立 の 歸 趨 を 知 る べ き か と 惟 ふ 。 而 し て 其 の 他 受 用 身 の 背 景 と し の 四 身 一 體 を 忘 る べ き で な い 事 は 敢 て 附 言 を 要 せ ざ る 所 で あ る 。 但 照 源 の 外 用 に 出 づ れ ば 内 證 化 儀 と い は る べ か ち す ご の 説 は 、 多 少 東 密 に 影 響 せ ら れ た る 所 な る べ く 、 又 そ の 他 に あ る 同 師 の 説 ご 比 較 す べ く し て 、 決 し て 此 の 一 句 に 拘 泥 し て は 眞 言 の 特 長 を 失 す る は 勿 論 で あ る 。 教 主 論 を 立 す る 以 上 他 受 用 ご い ふ が 尤 も 妥 當 な る べ く 、 而 も 四 身 一 體 の 他 受 用 な れ ば 自 性 自 受 の 内 體 を 離 れ ず し て 、 外 用 他 受 に 出 で た る 教 主 こ そ 大 日 經 の 説 主 た る べ き で あ ら ふ 、 法 華 の 教 主 と の 會 通 も 滞 ら ず 、 誠 に 台 密 の 特 色 を 發 揮 し て 餘 薀 な き 處 と 考 へ る 、 五 大 院 は 矢 張 り 台 密 に 於 け る 、 獨 歩 の 天 地 を 占 め て を る 二 と を つ く ぐ 思 は し め ら る ゝ の み で あ る 。
台 密 に 於 て 師 は 大 成 者 た る の 位 を 占 め て を つ て 、 爾 後 そ の 後 嗣 た る も の な き は 惜 し い こ と で あ る 、 覺 超 皇 慶 等 あ る も 聊 か 懸 隔 あ り 、 爾 來 千 餘 載 よ く そ の 後 繼 た る に 耻 ぢ ざ る 人 師 な き は 誠 に 台 密 史 上 の 寂 寞 で め る 。 乍 然 師 の 碩 學 は 遠 く 東 密 に も 影 響 し て を る こ と を 深 く 思 は ね ば な ら ぬ 、 今 師 の 教 主 論 た る 四 身 一 體 の 他 受 用 身 、 即 ち 自 性 身 を 離 れ ざ る の 他 受 用 身 は 、 根 山 新 義 の 唱 主 た る 、 頼 瑜 の 加 持 説 に 影 響 せ る を 考 へ し め ら る の で あ る 、 元 よ ら 頼 瑜 の 加 持 説 が 經 疏 に 因 由 す と 説 く と 雖 、 五 大 院 の 倶 體 倶 用 の 佛 身 義 及 自 性 身 に 即 す る 他 受 用 身 説 注 の 如 き が 、 頼 瑜 に 影 響 せ り と す る も 、 張 ち 無 理 の 觀 察 で も あ る ま い 、 影 響 さ れ た と な る と 無 力 の 如 く な れ と 、 史 上 後 人 は 前 人 の 爲 に 程 度 の 影 響 を 受 く る は 寧 ろ 當 然 で あ る 。 况 ん や 頼 瑜 の 如 き 博 覧 多 識 の 碩 匠 が 、 五 大 院 の 遺 著 を 讀 ま れ た る こ と の 當 然 な る に 於 て を や 、 上 來 の 人 師 の 出 世 年 代 を 列 擧 し て 、 之 を 結 び 、 傍 ら 其 の 思 想 的 系 統 を 辿 る 一 助 と も 致 し た い 。
善
無
畏
(
日 暦 一 二 九 七 ︱ 一三 九 五 ) 慈 覺 (日 暦 一 四 五 四 ︱ 一 五 二 四 ) 智 証 ( 日 暦 一 四 七 四 ︱ 一 五 五 一 ) 造 玄 ( 日 暦 一 四 一 五 ︱ 年 前 後 ノ 人 )安
然
(
日 暦 一 六 ○ 一 ︱一 六 七 五 ) 台 密 教 主 義 概 論 一 九台 密 教 主 義 概 論 二 〇