比 較 の 中 の 二 つ の 憲 法
︱ ︱ ド イ ツ と 日 本
*初 宿 正 典
は じ め に
︱︱ ドイ ツ憲 法史 にお ける
︽九
︾の 偶然
? どの
学問 分野 にも
︑あ る程 度ま で通 じる こと であ ると 思わ れる が︑ 二つ また はそ れ以 上の 人や 物を 相互 に比 較す るこ とに よっ て︑ そう しな けれ ば見 えて こな かっ たよ うな
︑そ れぞ れの 人や 物あ るい は事 柄の もつ 特色 とか 特異 性と かい っ たも のを 浮き 彫り にす るこ とが でき るこ とが ある
︒わ が国 の﹁ 国の かた ち﹂ につ いて も事 情は 同じ であ り︑ 他の 国の そ れと 比較 研究 して みる と︑ わが 国の
﹁国 のか たち
﹂が もつ 特色
︑独 自性 ある いは 特異 性と いっ たも のが 見え てく ると い える 本 ︒ 稿の 標題 は樋 口陽 一の 著書 のひ とつ()1 に倣 った もの であ るが
︑そ れは さて おき
︑樋 口は 十年 後の 一九 八九 年に 書か れ た別 の著 書の 中で
︑﹁ 四つ ʼ89の 年と いう 歴史 の物 差し の刻 み﹂ につ いて 述べ てい る()2
︒す なわ ちそ こで は︑ 一六 八九 年 (イ ギリ スの 権利 章典 )︑ 一七 八九 年 (フ ラン ス人 権宣 言)
︑一 八八 九年 (大 日本 帝国 憲法 )︑ 一九 八九 年 (フ ラン ス革 命二
〇〇 年) とい う︑ 偶然 とは いえ あま りに も見 事な 百年 刻み の出 来事 に注 目し つつ 叙述 を展 開し てい る︒ 本稿 の筆 者に とっ て は︑ 一九 八九 年は 同時 に︽ ベル リー ンの 壁︾ の崩 壊 (一 一月 九日 )と いう
︑ド イツ 現代 史を 画す る年 でも ある のだ が︑
30 (342) 産大法学 47巻 3・4 号 (2014. 1)
樋口 の前 記の 著書 が江 湖に 問わ れた 時期 (同 年一 一月 二〇 日発 行) から 考え ると
︑こ のこ とに 触れ られ なか った のは 当然 のこ とで ある
︒ 本稿 では
︑と くに ドイ ツの 近代 憲法 史に 注目 して
︑さ らに これ ら﹁ 四つ ʼ89の 年﹂ の間 にあ る︑ 一八 四九 年︑ 一九 一九 年︑ 一九 四九 年と いう 年に 注目 した い︒ すな わち
︑一 八四 九年 のフ ラン クフ ルト 憲法
︑一 九一 九年 のヴ ァイ マル 憲法
︑ そし て一 九四 九年 の現 行憲 法と いう
︑近 代ド イツ の主 要な 三つ の憲 法典 の成 立と
︑そ れに 上記 の一 九八 九年 一一 月九 日 の︽ ベル リー ンの 壁︾ の崩 壊を 加え ると
︑数 十年 ごと に四 つの
︽九
︾の 年が あり
︑さ らに これ らに
︑た とえ ば一 九二 九 年の 世界 大恐 慌と か一 九三 九年 のナ チス
・ド イツ によ るポ ーラ ンド 侵攻 など の大 事件 を付 け加 えれ ば︑ 何ゆ え︑ 偶然 と はい えか くも 見事 に︽ 九︾ のつ く年 に︑ 今日 のド イツ にま で至 る大 きな 出来 事が 起こ って いる のか
︑大 変興 味深 いと こ ろで ある
︒以 上を あら ため て一 覧す ると
︑次 のよ うに なる
︒ 一六 八九 年︱
︱イ ギリ ス・ 権利 章典 一七 八九 年︱
︱フ ラン ス・ 人権 宣言 一八 四九 年︱
︱ド イツ
・フ ラン クフ ルト 憲法 一八 八九 年︱
︱日 本・ 明治 憲法 一九 一九 年︱
︱ド イツ
・ヴ ァイ マル 憲法 一九 二九 年︱
︱世 界大 恐慌 一九 三九 年︱
︱ド イツ
・ポ ーラ ンド 侵攻 (第 二次 世界 大戦 の勃 発) 一九 四九 年︱
︱ド イツ
・基 本法 (現 行憲 法) 一九 八九 年︱
︱ド イツ
・ベ ルリ ーン の壁 崩壊
31 (343)
しか し今 ここ でこ の歴 史の 全体 に触 れ始 める とあ まり にも 紙幅 を費 やす ので
︑詳 細は 略す るこ とと し︑ ここ では ただ 一八 八九 年と 一九 四九 年の みに 関連 して 論を 進め るこ とと する
︒ 注
* 本稿 の前 半部 分は
︑二
〇一 二年 秋に 京都 大学 名誉 教授 懇談 会で の三
〇分 の講 演で 語っ たこ とを 基に 書き 直し たも ので あり
︑ また 第三 節の
﹁基 本権 規定 の特 色﹂ に関 する 部分 は︑ 二〇 一一 年七 月に 聖学 院大 学総 合研 究所 での 講演 で語 った もの であ る︒ 後半 につ いて はす でに 公表 され てい る (聖 学院 大学 総合 研究 所紀 要五 三号
︑二
〇一 一年
︑一 五頁 以下 )が
︑こ れに は筆 者の 不注 意等 によ る脱 落や 誤字 が散 見さ れる ため
︑こ れを 修正 した り文 章を 追加 した りし て︑ 改め て本 誌に 掲載 する こと とし た もの であ る︒ この よう な事 情の ため
︑叙 述に 一部 重な る点 があ るが
︑い ずれ にせ よ︑ 本稿 は︑ わが 国の 一般 人 (非 専門 家) 向け にド イツ の現 行憲 法に つい て概 説し たも ので あっ て︑ 日本 とド イツ の憲 法に 関し て専 門的 知識 を有 する 読者 を想 定し た もの では ない
︒ (1 ) 樋口 陽一
﹃比 較の 中の 日本 国憲 法﹄ (岩 波新 書︑ 一九 七九 年)
︒ (2 ) 樋口 陽一
﹃自 由と 国家
﹄( 岩波 新書
︑一 九八 九年 )三 九頁
︒
第一 節 日本 憲法 の系 譜概 観 一
明治 憲法 とド イツ
・オ ース トリ ア 一八 八九 年制 定の 明治 憲法 は︑ その 七年 前の 一八 八二 (明 治一 五) 年の 伊藤 博文 らの 立憲 制度 導入 取調 べに 端を 発し
︑ 帰国 後の 伊藤 や井 上毅 らを 中心 とす る人 たち の作 業に よる もの であ るこ とは 衆知 のと おり であ る︒ そも そも
﹁憲 法﹂ と いう 語が 今日 のよ うに 国家 の根 本法 とい う意 味で 用い られ るよ うに なっ たの は︑ この 時以 来で あっ て︑ それ まで は﹁ 憲
32 (344)
法﹂ とい う語 はむ しろ
﹁法 律一 般﹂ の呼 び名 であ った とさ れて いる()3
︒そ れは さて おき
︑伊 藤ら は︑ ベル リー ンの グナ イ スト (R ud ol fv on Gn ei st ,1 81 6- 95 )お よび モッ セ (A lb er tM os se ,1 84 6- 19 25 )︑ ヴィ ーン のシ ュタ イン (L or en zv on St ei n, 18 18 - 90 ら) に学 び︑ 帰国 後︑ 帝国 憲法 典の 制定 作業 に取 り掛 かる こと にな るの であ るが
︑当 時の ドイ ツは ビス マル クに よっ て統 一さ れた いわ ゆる 第二 帝政 の時 代で あっ て︑ ビス マル ク憲 法と 俗称 され てい る一 八七 一年 のド イツ 帝国 憲法 (V er - fa ss un gd es De ut sc he nR ei ch sv om 16 .A pr il 18 71 が) 通用 して いた が︑ この 憲法 には 国民 の︽ 権利
︾と か︽ 自由
︾に 関す る 規定 がま った くな かっ た︒ この こと もあ って
︑当 時の 明治 政府 に雇 われ てい た︽ お雇 い外 国人
︾の 一人 であ った ロェ ー スラ ー (K ar lF ri ed ri ch He rm an nR oe sl er ,1 83 4- 94 の) 強い 示唆 など を受 けて
︑明 治憲 法の 模範 とさ れた のは
︑む しろ プロ イセ ンの 一八 五〇 年の 欽定 憲法 (V er fa ss un gs ur ku nd ef ür de nP re uß is ch en St aa tv om 31 .J an ua r1 95 0) であ った とさ れて いる こと も︑ ここ では 詳述 しな い︒ 二
日本 国憲 法の 成立 とア メリ カ これ に対 して
︑現 在の わが 国の 憲法 であ る一 九四 六年 一一 月三 日公 布の 日本 国憲 法の 場合
︑そ の制 定作 業は
︑実 質的 には 連合 国総 司令 部G HQ の内 部で
︑同 年二 月上 旬の 一週 間と いう 短期 間の 突貫 作業 で起 草さ れた 総司 令部 草案 を基 礎 とし て作 成さ れ同 年四 月一 七日 に公 表さ れた
﹁帝 国憲 法改 正草 案﹂ が︑ その 後︑ 一言 一句 の細 部に 至る まで HG 側Q と の文 言の 調整 をし なが ら︑ 約半 年に わた る国 会で の審 議を 経て 作ら れた ので ある が︑ その 作業 は (右 の草 案の 標題 にも あ るよ うに )一 貫し て一 八八 九年 の明 治憲 法の 全面 改正 とい う形 で進 んで いっ た︒ その ため もあ って
︑憲 法典 の構 造自 体 は︑ 明治 憲法 のそ れを 基本 的に は維 持し てい る︒ すな わち
︑第 一章 に天 皇に 関す る規 定を 置き
︑そ のあ とに 第三 章と し て国 民の 基本 的人 権の 章を 置き
︑そ れに 続い て︑ 国会 (第 四章 )︑ 内閣 (第 五章 )︑ 司法 (第 六章 )︑ 財政 (第 七章 )と いう
33 (345)
よう に︑ 国の 仕組 みの 規定 を置 くと いう 形に なっ てい る︒ もち ろん
︑現 行憲 法に は︑ 戦争 放棄 に関 する 第九 条 (第 二 章) とか
︑地 方自 治 (第 八章 )の 規定 のよ うに
︑明 治憲 法に はな かっ た章 も含 まれ てい るが
︑構 造的 には
︑い わば
︑﹁ ド イツ 流の
︽器
︾(構 造) にア メリ カ産 の︽ 果実
︾(内 容) を盛 り込 んだ もの
﹂と いう こと がで きる であ ろう
︒ (3 注
) 穂積 陳重
﹃法 窓夜 話﹄ (岩 波文 庫︑ 一九 八〇 年) 一七 六頁 以下
︒
第二 節 ドイ ツの 現行 憲法 (一 九四 九年 )の 全般 的特 徴
︱︱ 日本 国憲 法と の比 較の 観点 から 一
基本 法の 特徴 概観 以下 では
︑日 本国 憲法 と比 較し て︑ ドイ ツの 現行 憲法 であ る一 九四 九年 の﹁ ドイ ツ連 邦共 和国 基本 法﹂ (G ru nd ge se tz fü rd ie Bu nd es re pu bl ik De ut sc hl an dv om 23 .M ai 19 49 )〔 以下 では 単に 基本 法と 略称
〕に つい て︑ その 特徴 を︑ 日本 国憲 法と 比較 しな がら
︑や や順 不同 で︑ 列挙 する こと とす る︒ (一 ) 憲法 典の 名称 まず
︑ド イツ の現 行憲 法で ある 基本 法は
︑そ の成 立の 特殊 事情 から 特殊 な名 称を 有し てい るこ とで ある
︒す なわ ち基 本法 は︑ 第二 次大 戦後 の米 英仏 三国 と当 時の ソ連 の厳 しい 対立 から
︑と りあ えず は米 英仏 の管 理下 にあ った 西側 にだ け 通用 する 暫定 憲法 とし て成 立し たと いう 事情 があ って
︑︽ 憲法
︾(V er fa ss un g) とい う伝 統的 な名 称を つけ ず︑ 意識 的に あえ て﹁ ドイ ツ連 邦共 和国 基本 法﹂ とい う名 称に した こと も周 知の 事柄 に属 する
︒︱
︱も とよ り日 本に も﹁ 基本 法﹂
34 (346)