戦前期「北の新地」街並みの復原: 竹本住大夫氏、
田村富子氏、肥田晧三氏、西川梅十三氏の聞取り記 録と文献史料をもとに
著者 笠井 純一, 笠井 津加佐
雑誌名 金沢大学日本史学研究室紀要: Bulletin of the Department of Japanese History Faculty of Letters Kanazawa University
号 3
ページ 29‑63
発行年 2017‑03‑25
URL http://hdl.handle.net/2297/48273
l株屋さん⁝中之島とか一杯ありました︒昔はお米ですよね
﹁お米はね⁝お米の相場してはる人は︑うちらはご縁がないです﹂ お客様が見えたというのです︒個人会社が多かったと.:南は﹂︵補 注M︶
l大阪の地元のお薬屋さんとか⁝
﹁はい︑そうです︒個人会社の⁝ま⁝ものすどう大きくやっては
るお金持ちのボンボンとか︒⁝ね︑そういうのが多かった⁝それ
でね︑北の新地は株式会社が多かった・・・﹂
lそうですか⁝かたいところのお客様が多かったと⁝
﹁ですから株式会社⁝堅かったわけです﹂
﹁やっぱり⁝個人会社の若旦那など︑無茶遊びされますやろ:・北
は少なかったです﹂
l社長さんとか︑役員の方⁝︑堂島とか北浜とか︑いろいろありま
すから⁝ ﹁そうです﹂
lそういうところの方も多いのですか︒
﹁はい︑そうです﹂
﹁北浜も皆さん戦後⁝こんなんやってはった方が出世してきはっ
たら⁝おちて︑あの⁝落ちましてな⁝言うてたら怒られまして︑
何言うてるいうて︑﹁落ちる﹂いう言葉は絶対ご法度⁝上がる話
せい言うて怒られました︒何かもの言うたら落ちる⁝あかんあか
ん言うて︑そういう気疲れはものすごうありました︒株屋さん⁝ん言うて︑そういう気疲れは
あ⁝いややわ⁝言うてました﹂
︵補注妬︶ l会社が一杯あり⁝
﹁宝永元年︵週から︑堂島新
地詞︶から始まってね︒そん
な時代から米相場から︑お役
の町になってしもた⁝﹂︵補
注船︶
l蔵屋敷とか一杯あったようで
すから⁝
﹁それで⁝皆︑追いやられた
⁝立ち退きさされて⁝ほいで
北へ北へとほいで⁝曾根崎新
地と堂島と⁝そこで北の新地になったんです︒それが歴史やいう
て聞いてますけど︒それでお女郎さんばっかりであまりにも⁝官
僚的な⁝あの⁝お役所とか出来て︑だから廃止になるんですよね﹂
l火事で焼けて⁝
﹁火事からでも店はありましたんですけど︑そのうちに廃止になっ
て︵g⁝あ⁝お女郎さんたちは⁝﹂
lなくなりますね
﹁はい⁝その時に芸妓さんだけは残そと⁝ということは︑すごく
取引の関係のときに努力をした︒お役にたったそうです﹂
写 真 6 大 阪 高 麗 橋 「 吉 兆 」 本 店 に て
(湯木貞一社長を囲んで。
右から梅十三氏、十三野氏、小琳氏)
− 4 3 −
図3−1北新地の芸妓扱店と席貸の配置図(東側)(大正11年)
N
北新地席貸及藝妓扱店案内①
大江橋筋市電線路
⑤
一
| │ │ H : │ : │ │ : │ 剛 │ ; │ : 旧 雲 │ :
ロ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ①目 2
丁一⑥七回番付では﹁泉■﹂
I 丁 目
⑦七回番付では﹁辰巳家﹄︒ ⑤七回番付では﹁松本﹂と﹁桝家﹄の間に
小路があり︑北側の小路と繋がっている︒ ④七回番付では﹁とよ田﹂︒
︻注記︼
①第八回浪花踊番付︵大正二年︶による︒
②第七回浪花踊番付︵大正一○年︒以下︑
七回番付という︶では空個.
③七回番付では﹁高梅﹂︒
濱の家 末廣 北都* 柳家 山城* 笹の家⑥ 梅家 河野 喜代川
時家はなれ 瀧柳はなれ松葉や* ふくや 豊田家*
千馬
︑1Jノ川
北まつ 富田■席 中島 平松
川
里
谷浦 金屋 時家 麓柳 琴家 杉の家 松糸 大西席 山福 江戸家△ 房繁
京
升富 京谷
長濱 さぬと 千どり* 元家 徳田家 京糸 川うの中 彌生* 西出 常盤* 三木家 升家 松本* 春の家△ 津川席 伊勢久 勝家* 初家△ 鍵春△ 灘福* 玉屋 加古川 みなと 大榮△
おぽろ 河内家 飯杏席 古源席 きぬ家 さくや⑦ 近江家△ 増菊 磯田家△
森