コメント2‑2資料2の図の説明 : 近代欧米法文化の 受容と翻訳言語 (日中学術シンポジウム) (中村和 夫先生・古口章先生退職記念号)
著者 ?木 喜孝
雑誌名 静岡法務雑誌
巻 8
ページ 198‑200
発行年 2016‑04‑28
出版者 静岡大学法科大学院
URL http://doi.org/10.14945/00009673
静岡法務雑誌 第 8号
(2016年4月
)資 料 2
近代 にお け る中国文化 と日本文化
―現代の「中幸文化」とは ?―
秦・ 漢以前 〜清 まで
「 中華」 日本文化総体 」
1重
(重心 )文 化 二重言語
I 明治 。日清戦争〜
日本文化総体 」
2=重
(重′ D文 化
現代中国文化
198
― ― コメ ン ト
2…2
静岡法務雑誌 第 8号
(2016年 4月)資料 2の 図の説明――
近代欧米法文化 の受容 と翻訳言語
1、
広 く漢宇 =中 国語 による西洋文化の受容
近代 における西洋の法体系の受容 に関 し、 日本語への翻訳 による受容 と翻訳漢字の 日中の共有 は、 日本文化を二重重心 または二重重心文化 と想定 して、広 く漢字 =中 国 語による西洋文化の受容 と総括で きる。
日本文化 は大局的に観察す ると、有史以来中国文化の影響 を大 きく受 けてお り、特 に漢字 =中 国語の影響 は、 日本語の成立 自体 にかかわる。 日本文化 はまず一重重心 と
して中国文化 =「 中華」を取 り入れ、 これ との関係 によって「国風」文化が束 1激 され 育 まれて きた。 「 日本文化」 と して統一 されたというより、常 に二重重心 の文化 と観 察 したほうが実態 に近 い。
しか も、中国文化 は、江戸末期〜明治前期に幕藩高等教育体制〜明治中等教育体制 の強化 によ り、 日本士族 。知識層 に深 く中国文化を尊崇す る風潮を築いた。 その文化 基盤が、近代欧米文化の受容 と翻訳言語 に大 きな貢献があった。 (日 清戦争以後、睛
りにより急速 に衰退 した。
)近 。現代 の欧米文化・ アメ リカ文化・ グローバル「文化」化の中で も、二重重心文 化の伝統 は、 日本文化の特性を発揮 している。
2、
西洋語の漢字を用 いた翻訳一 日中間で交流する漢字による翻訳事業 (1)中 国 と日本の翻訳文化の交流
ドイツ人宣教師のロプシャイ ド『華英・ 英幸辞典』 (1865〜 69)が 先行 し、 日本人 が これを学ぶ。次 に李鴻章 の翻訳事業 (京 師同文館 )な どで も 2漢 字の訳語が打ち出 され、柴 田昌吉『英和字彙』 (1873)は 、 2語 漢字の訳語を全面採用、且つ新訳語を 打ち出 した。
(2)近 代中国 と日本 は基本的に漢字共通の文化圏
中国にあ っては、 日清戦争以後欧米文化の翻訳 は日本語 よ り導入 し、 それ までの
「科挙」制度 に深 く影響 された「 漢文」
(「之乎者也」 )力 )ら 「 白話」の成立 に至 る。 (魯 迅『孔乙己』
)漢字 による翻訳 。社会科学用語全般、特 に法律用語では、二漢字 による造語 ;法 律・
権利 。自由 。人権 。社会 。主義なギは、古典中国語にはなく、あっても意味が異なる。
近代において、日本 と中国は、基本は共通の漢字文化圏を成立させているといつて よい。つまり、 日本文化を、二重重心または二重重心文化 と想定 して、広 く漢字 =中
国語及び中国文化による西洋文化の受容とも総括できる。
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