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H.R.Niebuhrの価値論 : 価値の中心 利用統計を見る

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(1)

Title H.R.Niebuhr の価値論 : 価値の中心 Author(s) 竹井, 潔

Citation 聖学院大学総合研究所, No.32, 2005.3 : 623-667

URL http://serve.seigakuin-univ.ac.jp/reps/modules/xoonips/de tail.php?item_id=4284

Rights

聖学院学術情報発信システム : SERVE

SEigakuin Repository and academic archiVE

(2)

‑ H

・ N Z 庁 σ ロ宵の価値論

価 値

の 中

L ¥  

竹 井

はじめに

価値という言葉は︑特に実社会においては経済的な意味で使われてきた︒ そして価値とは元来︑経済学における交換

価値を意味した︒しかし︑今日では︑価値は様々な領域で述べられている︒価値の概念は見田宗介が現代社会における

いろいろな価値の定義をまとめているが︑経済社会では︑

という概念は︑﹁目的に対する手段の適合性﹂を示すものである︒

﹁ 価

H 値打ち﹂と捉えるのが一般的であろう︒通常︑価値

そして価値は︑状況︑立場︑時間︑場所などによっ

て適合性が異なる︒このことは︑ コップ一杯の水でも炎天下における一杯と︑通常の一杯の違いを考えても理解でき

る︒このように︑価値概念は絶対的ではなく︑主体と客体(対象)との関係的な概念であり︑相対的なものであると言

﹀ え ヲ

Q ︒ したがって︑経済社会では︑相対的な値打ちとしての価値が語られていると言うことができる︒しかし︑近年︑

従来の企業中心から消費者中心へと主客逆転現象が起こってきた︒ そして︑価値を考える場合︑経済的な価値だけでは

なく︑たとえば︑企業倫理や情報倫理など︑社会的・倫理的な価値の必然性が出てきた︒このように価値を社会的な価

H .   R .   Niebuhr の価値論

62 3 

(3)

値へと拡大していくと︑倫理的価値理解は今後ますます重要性を帯びてくる︒

価値には﹁値打ち﹂などの経済的な意味と︑ ﹁よい︑尊ぶ﹂などの二つの意味合いがあるが︑哲学的な価値論では︑

価値は

﹁ ト

A

山身 C

の こ

と で

あ る

そ し

て ︑

H ・

R ‑

ニ !

l の価値論は︑哲学的な価値論の流れをくんだ価値論である︒

H ・

R ‑ ニ ! パ

1

は ︑

一九世紀以降の価値論の栄枯盛衰にもかかわらず︑価値思考と神学問の密接な関係の概念を決し

て諦めなかった︒ニ l パ 1 は唯一︑二 O 世紀で残った数少ない価値論者であるといえよう︒価値が多様化している現代︑

H ・

R ‑

ニ 1 パ l は現実の諸価値と哲学的・神学的な価値を洞察し︑関係付ける試みをした倫理学者であり︑神学者の

一人であると言える︒本稿では︑ H ・

R ‑

ニ !

l の価値論について︑特に価値の中心の概念についてとりあげたい︒

価値について

価値とは

まず︑価値について︑価値の定義や分類および歴史的な背景を概観することにより︑ニ 1 パ!の価値論の位置付けを

そこで︑まずあらためて価値とは何かということを確認しておく︒そもそも︑価値とは元来﹁経済学に

( 1 )  

おける交換価値のみ﹂を指した︒この交換価値の媒介として貨幣が用いられるわけであるが︑ジンメルは︑﹁貨幣は事

物が経済的である限りは事物の普遍的概念である﹂といっている︒このように貨幣は経済的な社会にあっては﹁諸事物

( 3 )  

にとっての中心﹂となるのである︒このように貨幣を中心とする価値論は経済的な領域である︒しかし︑今日では︑価 し

て お

き た

い ︒

値は様々な領域で述べられている︒価値論の一つの分類として碧海純一は経験科学的価値論と哲学的価値論に大きく分

(4)

価値論の分類 図 1‑1

( 4 )  

けている(図

1 1 1 )

碧海純一「事実と価値 J p . 8 0を参考に作成

見田も﹁価値の基本的な区別は︑主

体的ないし実践的アプローチと︑客観

的ないし経験科学的アプローチの区別

( 5 )  

であろう﹂と述べており︑碧海の見解

と一致しているといってよいであろ

う︒価値の定義について︑見回は

体の欲求を満たす︑客体の性能﹂と定

義している︒碧海は

﹁ 価

値 概

念 を

評 価

主体の態度と客体の相関関係を中心と

して定義すべきであ託﹂という︒した

がって︑価値とは︑評価主体と客体

(対象)との関係的な概念であること

は理解できる︒たとえば︑主婦が掃除

機 を

買 う

場 合

その主婦と掃除機の関

係で価値が決まってくる︒主婦の欲求

する掃除機の条件(価格︑性能など)

に対して︑掃除機が見合うかどうかで

価値の概念が決まってくるであろう︒

﹁ 主

H .   R .  N i e b u h r の価値論

6 25 

(5)

掃除機の機能とコストの関係から開発側が掃除機の価値を客観的に高めても︑ その価値を評価するのは︑主体側の主婦

である︒したがって価値は︑客観的な要素と主観的な要素を持ち合わせていると吾一守える︒この主体者側の主観的な価値

について︑特に価値意識という言葉が使われるが︑価値意識について城塚登は

( 8 )  

りにおいて生じるものである﹂とし︑さらに﹁対象を評価しようとする関心が︑われわれの対象への関わりを規定して

( 9 )  

いるとき︑対象に価値という属性が付与される﹂と述べている︒価値意識はその時の個人が置かれている状況や立場に ﹁価値が人間となんらかの客体との関わ

よって相対的なものである︒

価値の言葉をあらためて辞書により確認すると︑ ﹁①物事の役に立つ性質・程度︒値打ち︒効用︒②ょいと思われる

性質﹂(広辞苑)となっている︒ギリシア語の

ι σ Z は

来は天秤のはかりを引き下げることからきている︒また︑口三は

( 叩 )

尊 敬

Z D

︒﹃﹂などを意味する︒これらから︑価値には﹁値打ち﹂などの経済的な意味と︑ ﹁ 価 値 が あ る ︑ 重 さ が あ る ︑ ふさわしい﹂などを意味するが︑元

﹁ ①

価 格

︑ 価

値 ︑

代 価

︑ 同

︼ ユ

の め

② ほ

ま れ

︑ 名

誉 ︑

栄 誉

﹁ よ

い ﹂

︑ あ

る い

﹁ よ

い ︑

尊ぶ﹂などの二つの意味合いがある︒このことに関して︑金子武蔵は︑

( 日 )

を混同している︒価値論が混乱に陥るのは︑けだし当然である﹂と述べている︒そして哲学的な価値論では︑価値は

( ロ )

のことである︒このように︑価値には経済的な意味と哲学的な意味があるが︑本稿で述べる H ・

R ‑

ニ 1 バ l ﹁価値論は事柄としては異物質的な二つのもの

﹁ ト 4 m

与 パ ﹄ ﹂

の価値論は︑これからみるように哲学的な価値論の流れを受け継いでいる︒

哲学的な価値論の歴史的な背景

そこで︑まず哲学的価値論の背景について触れたい︒ ソクラテスやプラトン以来︑価値の探究は中心的なテ 1

マ で

っ た

と い

え る

そ し

て ︑

ヨーロッパの哲学者たちは︑価値を我々人間の生を評価する基準として規定してきた︒それは

(6)

価値論の系譜

ロッツェの系譜 ‑新カント学派……ウィンデルパント,リッカート,ラスク等│

‑現象学派…...・

H

・..プレンターノ,シエーラー,ハルトマン等│

ニーチェの系譜 ‑実存主義者……ハイデ、ッガーやサルトル等

‑精神分析学者…

H

H

・...フロイト等 表 1‑1

プラトンの﹁イデア﹂に始まり︑﹁神﹂︑カントの﹁定言命法﹂︑

﹁ 理

性 ﹂

︑ ダ

1 ウィン

主義やマルクス主義に見られる﹁進歩﹂︑ ベンサムの﹁最大多数の幸福﹂など︑様々

な概念で探究されてきた︒しかしながら︑価値論として哲学分野における姐上に乗

て は

一九世紀の後半にはいってからのことである︒当時のヨーロッパにおい

﹁伝統的な価値観の動揺と崩聴﹂がみられ︑価値に関する論議が噴出しだし

っ た

の は

たわけである︒こうした価値論には大局的に捉えると︑二つの対極する中心点がみ

られた︒その代表となる人物は新カント学派のロッツェとニ 1 チェの二人である︒

ニ l チェは︑キリスト教とプラトン主義から来る伝統的価値体系にたいして︑ラ

デイカルなアンチテーゼをつきつけた︒ ロッツェは︑自然科学の勃興以来く

一 方 ︑

りかえされてきた伝統的価値への攻撃に対する反撃を意図し︑伝統的価値体系を復

興ないし再興しようとする試みを行なったわけである︒このようにロッツェとニ!

チェの価値論は︑全く方向を正反対にしたものであった︒ロッツェの系譜としては︑

ウィンデルパント︑ リッカート︑ラスク等の新カント学派と︑ブレンタ 1

ノ ︑

ハルトマン等の現象学派の二つであった︒またニ l チェの系譜としては︑

( U )  

ハイデッガ 1 やサルトル等の実存主義者や︑精神分析学者フロイトであった︒価値 ーラ l ︑

論 の

系 譜

は ︑

ロッツェとニ l チェという互いに対立する二つの系譜を中心に︑

クス主義の系譜や G ・ E ・ムーアをはじめ広義の分析哲学の系譜が絡み合って現代

における哲学的価値論の状況に至っている(表

1 1 1 )

﹂ の

よ ﹀

つ に

ヨーロッパにおける﹁伝統的な価値観の動揺と崩壊﹂が起こったの

マ エ

ノ レ

H .   R .   Niebuhr の価値論

6 2 7 

(7)

は︑西欧的合理性︑実証科学的アプローチによる﹁脱呪術化﹂が背景にある︒キリスト教にもとづく伝統的価値観にお

いては︑あらゆる事象︑あらゆる人間の行動は意味や価値をもっていたが︑このような意味や価値といったものを︑実

証的な諸科学は︑対象から分離させてきた︒要するに︑目で見えないものではなく︑目に見えるもの︑量的に測定可能

なもの︑このような﹁事実﹂(皆民世︒

E B )

が科学的であり︑客観性を持つと主張され︑意味や価値は主観的なものと

見なされたのである︒このようにして︑ 一九世紀後半に﹁事実と価値﹂︑あるいは︑

﹁ 存

在 と

当 為

の分裂︑断絶が現わ

れた︒この二区分の原型は︑古代ギリシャの時代にまで遡り︑

( 日 )

そして︑碧海の見解から︑古代以来︑近世にいたるまでの主流は︑

﹁ 自

然 (

9 含

の )

﹂ と

﹁ 人

為 (

︿ ︒

ち の

) ﹂

と の

対 置

に 見

る こ

と が

で き

る ︒

﹁存在と価値﹂を基本的に一致してい

るとみなす傾向にあったといえよう︒尚︑

( 日 )

2 5

︒ E

B )

というスコラ哲学の有名な命題がある︒ ﹁存在と価値﹂との関係については︑﹁すべての存在は善である﹂

B ( ︒

D σ

σ ロ ω

﹁ 価 値 ﹂ を 感 情 の 機 能 と み な し ︑

ュ 1 ムとも言われていお︒ヒュ!ムについては︑﹁デカルト以来の主観│客観の図式をもって世界を捉えようとしてき

た近代哲学の基本姿勢を克服して︑もう一度主客分離以前︑精神と物質との二元的分離以前の所に出発点を再措定した

哲学都﹂と評価されているという︒ヒュ 1

ム は

近 世

に 入

っ て

﹁ 事

実 ﹂

と ﹁ 価 値

との異質性を明確に指摘した最初の思想家は︑ ヒ

﹁事実から価値への﹂推論が論理的に許されないものであることをはっ

き り

指 摘

し た

ヒ ュ

! ム

の 一

一 元

論 は

カントや J ・ S

・ ミ

ル に

影 響

し ︑

むしろ二 O 世紀に入ってから︑ 一部の新カント

主義者(マックス・ヴェ l パ 1 ︑ ハンス・ケルゼンなど)や︑現代分析哲学者

( R

・ カ

ル ナ

ブ ︑

A ・ J

・ エ

イ ヤ

1 ︑ C ・

L

・ ス

テ ィ

l ヴンソンなど)およびパ 1 トランド・ラッセルや K ・ R

・ ポ

︒ ハ

ー な

ど に

よ っ

て ︑

( m

m )

 

継がれるに至った︒ さらに徹底的な形で受け

一九世紀後半以降︑この ﹁事実と価値﹂における一元論と二元論との対決が急激な論議の対象となったわけである︒

その要因として︑碧海の見解(碧海純一

﹁ 事

実 と

価 値

﹂ 司

・ 三

' g )

を参考にすると︑まず価値を社会的・心理的な事実と

(8)

してとらえようとする社会科学の諸分野における実質的研究の進歩が挙げられる︒第二の要因としては︑科学的・実証

的な事実探求によって一定の客観的評価基準が得られるという﹁科学万能主義﹂的な見解︑すなわち自然主義的一元論

が勢力を得たという事情である︒当時の思想は︑科学の発展と人類の進歩との﹁予定調和

( B

S 包号恥)﹂に対する楽

観的な信仰が特徴的であるが︑ その最も代表的な形態として現われたのが︑適者生存︑生存競争の概念を正当化した︑

いわゆるスペンサ 1 の

﹁ 社

会 ダ

ー ウ

ィ ニ

ズ ム

ロッツェを中心とした新カント主義の運動は︑こうした

で あ

ろ う

然科学万能﹂思想に対する反省︑伝統的価値に対する攻撃への反撃から出発したと言えよう︒第三に︑自然主義的一元

論に対する﹁価値情緒鵡﹂があげられる︒この

﹁ 価

値 情

緒 説

は A

‑ 1

エ イ ヤ

l らによってまず精力的に提唱され︑

それに対する反対と反省の過程において︑ C ・ L ・スティーブンソンらにより価値判断の正当化における事実について

の認識役わりの慎重な検討が行われるようになった︒以上のような状況のもとで︑価値論は︑ ﹁事実と価値﹂問題に直

面したわけである︒ そしてニ 1 パ!の価値論は︑このような哲学的な価値論の流れを受け継いでいるのである︒

価値論の可能性

( 辺 )

ところで︑価値論に対してティリッヒは庁価値に関する学は可能か H という問いかけを行ない︑価値哲学に対して否

定的な見解を持っているようである︒

そ こ

で ︑

P 価値に関する学は可能か H において︑ティリッヒの見解を確認してお

( お )

くことにする︒ティリッヒは︑彼自身を価値論の犠牲者の一人だと述べている︒そして︑彼によれば︑まず︑

ロ ッ

ツ エ

﹁人間の尊厳を唯物論的自然主義による であるが︑彼は一九世紀の半ばから︑当時の哲学的論議ヘ価値概念を導入し︑

破壊から守ろうと試みか)﹂のである︒そして多くの価値哲学学派がロッツェの原理を受け入れたのであるが︑彼らは結

果として﹁高価な犠鵬﹂を払わねばならなかったという︒彼らは︑ ロッツェの二区分原理により︑ ﹁出会っている世界

H .  R .  Niebuhr の価値論

6 2

(9)

を価値の世界﹂ から根本的に分離せねばならなかった︒彼らにとって

( お )

である︒すなわち﹁価値は存在をもたず︑また存在は価値ではない﹂ということである︒

( 幻 )

﹁存在と価値とに共通するものは何もない﹂

﹁ 存

在 す

る も

の ﹂

と ﹁

存 在

とのあいだ︑言い換えれば︑﹁存在するもの﹂と﹁善なるもの﹂との聞には深淵が大きく口をあげていると

( m

m )

 

いうことである︒このことは︑﹁存在のうちに価値を見出すことによって存在と価値とのあいだの深淵を埋めようとす

( ω )  

るあらゆる試みが挫折﹂せざるをえなかったことである︒ティリッヒ自身が価値哲学に出会ったのは哲学の領域ではな

( 況 )

く︑神学の領域においてであるが︑ティリッヒはこの価値哲学を H 情熱的に拒否 H

し た

と い

う ︒

べ き

も の

また︑ティリッヒによれば︑ アルプレヒト・リッチュルは︑神学において﹁古典的神学の言表を価値判断に還元﹂し

( お )

アメリカの多くのプロテスタントの神学校に大きく影響した︒し ヨーロッパの諸大学︑ た︒そして︑リッチュル派は︑

か し

﹁私たちは形而上学の敗北と︑価値論の防衛線への逃避とを最後的なものとして受け入れなかった︒私たちは存

在 を

欲 し

た ︒

そして存在ー力としての存在の経験は実存的経験となった︒ その後の私の思惟の最大の部分はそこから生

( 鈍 )

ヨーロッパの哲学部および神学部においては︑昔日の価値論の跡が僅かに見出されるにすぎない﹂と じ て き た ︒ 今 日 ︑

ティリッヒは述べ︑価値論が一九世紀後半から二 O 世紀に掛けての一時的なブ l ムであったに過ぎないことをうかがわ

せ る

一般に価値が主観的で相対的な性格であり︑評価する主体にかかわって

( お )

いることが指摘されるが︑価値論者たちはその弱点を克服する努力をしてきた︒そして︑価値評価については﹁諸価値

の序列を判定する規準となるべきアプリオリで絶対的な性格をそなえた根本価値﹂が要請された︒したがって︑価値は ティリッヒによれば︑価値論の主な弱点は︑

されるのである︒ティリッヒによれば︑価値を存在論的な間いから導き出

すことに啓発的であった価値哲学者はマックス・シェ 1 ラ!とニコライ・ハルトマンであるとい旬︒そして彼らによれ

ば︑﹁価値の真理性を︑生に対する価値の関係に依静)﹂させることもできないということである︒生はそれ自体︑

﹁ 絶

対 価

値 が

発 見

創造されるのではなく︑

﹁ 価

(10)

の 位

階 ﹂

のなかに組み入れられており︑

( 鈎 )

その頂点に立つものではないという︒

イ・ハルトマンが︑ と こ ろ で ︑ H ・

R ‑

ニ 1 パ 1

( ω )   はニコラ

﹁価値を抽象的な仕方で本質とし︑生への依存なしにあるべきものとして規定するとしている﹂と

シ ェ

1 ラ 1 は価値と存在の関係において︑

両者の完全な分離には反対している﹂という︒シェ

l ラ l

自 身

は ︑

( 必 )

の で

あ る

﹁価値の存在からの独立を説きながら︑他方では︑ いう︒また内山によれば︑

ハルトマンの ﹁理念的自存﹂に真っ向から否定する

このような価値哲学者たちの努力を考察するとき︑ティリッヒが到達した結論は︑

﹁評価に還元されうる相対的価値

と︑評価を支配するものであるがゆえに別の根拠づけを必要とする絶対的価値との区別の必然性において学説全体が挫 折し鳩﹂ということである︒そもそも﹁絶対的価値﹂の概念は︑徹底的なプラグマテイズムが受け入れえないものだか らである︒しかしティリッヒはコ価値に関する学は可能か

H は ︑

H 価値への存在論的接近は可能か

? H

という問いと同

( 斜 ) ( 必 )

義である﹂と述べ︑﹁存在論的接近は存在論そのものの限界内において﹂可能であるという︒しかしながら︑この接近

( 必 )

を﹁学﹂と呼ぶのは妥当ではないという︒

以上︑価値論に対する懐疑主義的な主張をティリッヒにみた︒

一 方

H ・フライによれば︑ H ・

R ‑

ニ i パ 1

は ︑ 九世紀以降のこのような価値論の栄枯盛衰にもかかわらず︑

( 灯 )

なかった﹂のである︒そして︑

( 必 )

記憶にとどめる﹂︒かくして︑

﹁彼は価値思考と神学問の密接な関係の概念を決して諦め

﹁我々は︑後に倫理的価値がニ i パ 1

にとって新しい位置付けとして現われ出たことを

( 必 )

﹁価値論はニ l バ 1

の神学から消え去ることはなかった﹂のである︒

ニ 1

バ!は唯

O 世紀で残った数少ない価値論者であると言えよう︒

H .   R .   Niebuhr の価値論

6 3

(11)

H ・

R ‑

ニl バ!の価値概念の背景

価値概念の形成││トレルチとバルトの結合

ニ 1 パ l の価値概念がどのように形成されていったか︑ その背景を確認しておきたい︒ H ・

R ‑

ニ !

1 は︑トレル

チ︑バルトの影響を受けていると言っている︒ このことは︑﹃啓示の意味﹄ の序文においてニ 1 パ 1

が ︑

﹁神学生たち

エルンスト・トレルチとカ l ル・バルトの著作を通してだが︑彼らがわたしの教師であることに気づくであろう︒

二 O 世紀の宗教思想における︑この偉大な二人の指導者は度々正反対の位置に置かれている︒わたしはこの二人の主要

な関心事を結合しようと試みた︒なぜなら︑わたしにはトレルチの批判的思想とバルトの建設的作業とは一体であると

( 1 )  

思われたからである﹂と述べていることから伺い知れる︒しかしながら︑﹃啓示の意味﹄の本文において︑

ノ 1

﹂のことについて︑具体的に何も触れていない︒

﹃ 啓

示 の

意 味

の訳者である佐柳文男は︑ バルトの結びつけに関して︑

( 2 )  

﹁不可能な可能性とするもの(吉否︒

ω ω 号

﹃ 可

︒ 25

邑 守

) ﹂

( W

・ ︒

ハ ウ

ク )

ニ 1 パ l

の ト

レ ル

チ ︑

﹁まったくの不可能事と

す る

も の

﹂ ( F

・ ブ

l

リ ) ︑

﹁図式的にトレルチの

の ﹂ ( H

・ フ

ラ イ

)

バルトの関心を﹁キリスト﹂とし︑

( 3 )  

の三つの見解を挙げている︒ ニ 1 バ!が

﹁ キ

リ ス

ト と

文 化

の問題に取り組んだとするも 関心を﹁文化﹂とし︑

﹃ 啓 示 の 意 味

﹄ に お い て

﹁ 神 学 は キ リ ス ト 教 史 の 中 か ら

( 4 ) ( 5 )  

ない﹂と述べ︑しかも﹁神学は啓示から出発する﹂以外に選択枝の余地はないと言う︒

ノ 1

キリスト教史と共に始められなければなら

﹁ 啓

示 と

は 歴

史 的

信 仰

) ﹂

ここで

(12)

を 意

味 す

る ︒

そして︑﹁歴史的相対性を確信させられた神学﹂が啓示について語るとき︑ その啓示は︑﹁人が歴史的に規

定されているということだけでなく︑歴史的キリスト教信仰の制約された視点に対して自らを顕わされ幻﹂ということ

を意味している︒この部分から見ても︑ ニ 1 パ 1 が言うトレルチの批判的思想としての歴史的相対主義とバルトの建設

的作業としての啓示の意味を結合した啓示神学を指し示するものであると理解できる︒

のような啓示の神学は客観的に相対主義的である︒ ニ l パ 1 はさらに﹁そ

( 8 )  

つまり︑視点を同じくする人々に対してのみ意味あるものである﹂

そ し

て ︑

と述べている︒これが︑ ニ l バ 1 が我々に示す現代における歴史的相対主義と啓示の意味の重要な関係であろう︒すな

わち︑このことは︑現代を生きる我々にとって︑啓示の意味するところが︑歴史的相対的に自分自身の現実の問題とな

ってくることを意味することであると解釈できる︒

ま た

ニ 1 バ l は︑﹃キリストと文化﹄ ﹁わたしは︑神学者であり歴史家であるエルンスト・トレ の序文において︑

( 9 )  

ルチに対するわたしの恩義を最も強く意識するものである﹂と述べている︒ H

・ フ

ラ イ

は ︑

( ω )  

通りの仕方で相対主義を受け継いでいるとしている︒まず第一に︑ ニ l バ!がトレルチから

ニ 1 パ 1 はトレルチから﹁キリスト教史における︑

人々や運動の多様性と個性とに敬意をはらうことを︑ またその豊かな多様性を︑あらかじめ作りあげられた︑概念的な

枠組みに無理にあてはめることを嫌うことを︑さらにミトスの中にロゴスを︑歴史の中に理性を︑実存の中に本質を追

究すること﹂を学んだ︒第二に︑トレルチは︑ニ 1 バ l に︑単に歴史的対象の相対性ばかりでなく︑﹁歴史的主体︑観

( ロ )

察者と解釈者のもつ相対性﹂を強調した︒そして︑ニ l パ!はトレルチの歴史的相対主義を﹁神学的︑神中心的相対主

( 日 )

義の観点から理解しようと努力﹂した︒ニ l パ l は︑相対的な歴史に関し︑﹁有限なものを絶対化することは︑理性と

同様︑信仰の錯誤である︒しかし︑私は︑すべての有限な人間や運動の相対的な歴史は︑絶対的な神の支配の下にある

( M )  

ということを信じている﹂と述べている︒

以上のことからニ!パ l が 言 う よ う に ︑

﹁ 啓

示 の

神 学

﹁ 宗

教 的

相 対

性 ﹂

は︑神学の および﹁歴史的相対性﹂に対す

H .   R .   N i e b u h r の価値論

6 3 3  

(13)

という観点から﹁神についてのあらゆる思想の歴史的限

界が︑神学は意識的に歴史的共同体とともに︑歴史的共同体の中で出発することを要持﹂し︑ る理解の帰結であるといえる︒ し た が っ て ︑

﹁ 歴

史 的

相 対

性 ﹂

﹁宗教的相対性﹂の観点

( 日 )

から﹁信仰の対象の本性を探求する学としての神学の限界は特定の信仰に出発点をおくことを要求﹂する︒それ故に︑

( げ )

﹁キリスト教神学は今日啓示から始めなければならない﹂とニ 1 バ l

はいう︒なぜならば﹁人が歴史的︑共同体的存在

( 時 )

として︑また信ずる者として以外には神について考えることができない﹂からであり︑そして ﹁キリスト者がその歴史

と信仰における限られた視点から見るものを分析することによってのみ︑神学の探究が可能となる﹂のである︒

﹂ の

﹀ つ に ︑

キリスト教神学は

﹁ 宗

教 的

相 対

性 ﹂

および﹁歴史的相対性﹂ の観点により︑啓示から出発することが要求される

の で

あ る

ま た

ニ l パ 1 は彼自らが認めるように︑ シュライエルマッハ!とリッチュルの一九世紀の伝統的な神学から出発す

る︒すなわち︑ ﹁神学の自己批判から生じた情況認識は現代の神学にふたたびキリスト者共同体の信仰から︑ したがっ

て啓示から︑出発することを要求している︒ シュライエルマッハ l やリッチェルが出発した点から︑彼らをそうさせた

( 却 )

のと同じ理由によって出発することが必要である﹂とニ 1 パ l

は 言

う ︒

﹂ の

よ ﹀

つ に

ノ 1

一九世紀の伝統的な

神学から出発するのであるが︑ H ・フライは︑もし︑ ニ 1 バ!がこの一九世紀の伝統に背反するならば︑ それはトレル

チよりもむしろバルトの初期の思想によるという︒トレルチは一般における歴史に関する知識を樹立しようとして︑認

識論的な文化の哲学を適応させた︒他方︑

た︒このような意味において︑ バルトは絶えず啓示の客観性と啓示の意味のための歴史の依存を示そうとし

( 幻 )

ニ 1 バ 1 はトレルチよりバルトの取り組みに従ったといえる︒

H ・フライによれば︑ キリストと文化に関して考えてみると︑ ニ l バーへのトレルチの影響は確かに最高のものであ

っ た

し か

し ︑

一 方

で は

︑ トレルチの相対主義とバルトの初期の二元論は一九世紀自由主義的伝統の擬人観

( S

﹃ F

3 5

号 }

同 町

田 )

と 自

己 の

前 成

( ω

巳 H

Y O R 8 0 5

8 同)をブレイクスルーするために必至で努力した結果であった︒両者は

(14)

﹁不可知論者﹂やキリスト者の文化からのキリスト者の信仰の分離という関係的理解を克服しようとした︒ ニ 1 パ 1

は ︑

( 泣 )

キリストと文化における彼の二重の取組みをトレルチの批判的な考えとバルトの建設的な作業から学んだのである︒

ニ l バ!神学におけるバルトとトレルチの結合を︑

( 幻 )

して指摘している﹂と言っている︒ 佐柳文男は︑ ﹁ H ・フライがニ l バ l の神学のきわだった特徴と

つ ま り ニ 1 パ 1 が神学的分析と社会学的分析とを自然な綴り合わせ方をしているこ

とである︒そしてバルトから︑学問としての神学の論理的厳密さ︑神学の学問としての内的完壁さ︑神学の学問として

一方ではトレルチから宗教の社会的政治的文化的機能を︑この両者を結合することがニ!バ 1 の意図すると

の 統

合 を

ころであるという︒そして︑このトレルチとバルトの結合は

( μ )  

ない仕事﹂であるとニ l バ l は言う︒しかし︑

﹁ 不

可 能

な 可

能 性

で は

な く

それは ﹁なさなければなら

﹂のトレルチとバルトの結合を︑ ニ l バ 1 はバルトの教義学としての神

学と考えているわけではなく︑ シュライエルマッハ 1 やリッチュルの伝統的な神学を継承し︑出発点としている︒この

ように︑建設的な神学の再建と︑社会︑文化に対し客観性を持つこと︑ それがニ l バ l の言うトレルチとバルトの結合

を の 形 意 成 味 し す た る と と え ろ

る§と 。 で

あ る

ニ 1 パ 1 はトレルチとバルトの結合において︑ H ・フライがいうように回心神学の枠組み

リッチュルの影響

ニ!パ!の価値論は︑ 一九世紀の価値論の流れを受け継いでいるといえる︒ 一九世紀の神学において大きな分岐点と

なったのがカントであった︒

二九世紀に︑カントの思考がプロテスタント神学の

( お )

ための重要な区分ポイントであったということは何ら疑問の余地がない﹂という︒カントの考えはプリズムのごとく︑ ﹂ の こ と に つ い て ︑ H

・ フ

ラ イ

は ︑

それを通して︑以前のすべての哲学に関する反省が為されなければならなかった︒ そして︑すべての道筋がカントに通

H .   R .   Niebuhr の価値論

6 3 5  

(15)

( 幻 )

じ た

ニ l パ l はカントを﹁全ての哲学者の中で︑最もプロテスタント的であった﹂

と い

﹀ つ

︒ ま

た ︑

﹁カントは神のリ

アリティについて語る方法を見いだした︒ それは理論的理性よりもむしろ実践的理性における道徳的的価値分野におい

てであった︒神のリアリティへのカント自らの主張は︑神の格率が人間の道徳的な経験を明瞭にする実践的な必要性に

一九世紀のプロテスタント神学では︑多くの作業が神の道徳的リアリティという︑このカント学派の問

( m )  

題に焦点を合わせた︒リッチュルは︑宗教的な陳述を彼が価値判断と呼んだことと完全に同一視すると提言した﹂︒ 基

づ い

て い

る ︒

このようにカントがプロテスタント神学に多大な影響を及ぼしたのであるが︑ とりわけカントの流れを汲んだロッツ

エの二元論は︑リッチュルに影響を与えた︒ カントは︑存在と価値を同一視︑あるいは︑価値を存在で定義しようとす

る自然主義的な傾向に対して︑価値と存在の分離を企てた︒

( 鈎 )

る (

巧 0 3 0 ω

山 口 弘 ロ

目 ︒ F F

︒ ω E

O B

向 ︒

‑ 件

︒ ロ

) ﹂

と 価

値 と

存 在

を 区

別 し

た ︒

こ う

し た

二 元

論 は

ロ ッ

ツ ェ

は ︑

﹁価値は存在するのではなく妥当するのであ

ロッツェの同僚であったリッチ

ユルにも影響を与えた︒

そ し

て ︑

ニ 1 バ 1 の価値論はカントからリッチュルヘ︑ そしてニ l パ!という流れにおいて形成されていったと言

え る

ニ 1 パ 1 はリッチュルが関係論的価値神学を一般によく知られている形にまでもってきたという︒彼の論述は︑

﹁神︑罪︑キリスト︑救いなどについてのキリスト教の主張が︑

( 但 )

認識﹂に基づくのである︒ キリスト教の文脈の中でのみ意味を持つことに対する

( ロ )

﹁ 宗

教 的

判 断

( 5 ‑ f z g

E

m g

g 円

) は

価 値

判 断

( g ] 5

E

m B g C

﹂であって︑﹁価値判断は単に経験だけで

( お )

はなく︑感情と意志と欲求とを持つ人間の全的な応答が込められている価値経験(︿巴 50 与

q w R O )

を語る﹂というこ

( 4 5 5 2 鵠 ) を ﹁ 存 在 判 断 ﹂ ( ∞ 巳 ロ ミ

E )

と 対

立 さ

せ ︑

す な

わ ち

の ﹁

価 値

判 断

﹁宗教的な判断は とである︒リッチュルは︑

価 値

判 断

H ・

R ‑

マッキントッシュによれば︑

( お )

﹁我々が︑事実と価値︑存在命題(ゆ也件︒忌包胃

8 2 5 ︒

ロ )

と 道

徳 的

判 断

( 自

︒ s ‑

g t g m w 件

︒ )

を 区

別 す

る の

に 慣

ら さ

れ る

であると主張したのである︒ そして︑リッチュルの二元論的区分は︑

(16)

の で

あ る

リッチュルは信仰が価値判断をする際に︑

( お )

﹁キリストにおける神の啓示という救い﹂を基本的な前提で進めた︒

て︑リッチュルは︑哲学において神学の基礎として見出される観念的合理主義の主張に対して︑

( 幻 )

関する知識が︑啓示で喚起される価値判断における形を取るという視点について明確に主張﹂をしたのである︒ ﹁キリスト教徒の神に

こうしたリッチュルの価値判断の概念は︑ ルタ!やカントの影響を受けているといえる︒熊沢義宣によれば︑リッチ

ュルの価値判断はルタ l の

﹁ 神

が 存

在 し

キリストが受難したと信ずるだけでは不充分である︒人は自らの至福のため

に 神 が 存 在 し ︑ キリストが彼のために苦しみ︑死に︑十字架にかけられ︑酷借り︑彼のために彼の罪を担ったことを確

信しなくてはならない﹂といった意味するところと同じ動機であるという︒したがって︑リッチュルは︑﹁彼の同世代

( 扮 )

を(ルタ!の)宗教改革の光に照らして聖書を読むことを思い起こさせる﹂のである︒ルタ 1 は︑リッチュルにとって

﹁使徒の時代以来為されてきたことよりも︑はるかに福音を鎖から自由にし世界に述べ伝えることを為しえた偉大なる

( ω )  

英雄﹂なのである︒そして︑リッチュルはルタ!の

(HU) 

とに至上の喜びを感じたのである︒ ﹁キリスト者の自由﹂というメッセージのリバイパルをしていくこ

﹂ の

よ ﹀

つ に

リ ッ チ ュ ル は ︑

ル タ

l に絶大なる敬意を表しながら︑ その価値判断

の根本的な動機をルタ 1 に負うたといえるのである︒また︑ H ・

R ‑

マッキントッシュが︑

( 位 )

生活に変えることができる思考の慎重な限界は︑リッチュルがカントから学んだ﹂こととし︑

( 州 知 )

決して信仰の第一義的な関心事ではない﹂といっているように︑ ﹁実践的経験と︑活動的な

﹁ 道

徳 的

価 値

そ れ

自 体

は ︑

﹂の一面からもリッチュルがカントに負っていること

は窺い知れる︒価値判断は単なる哲学的な領域における道徳的価値ではなく︑信仰による宗教的判断であり︑

こ の

よ ﹀

に︑リッチュルの価値判断の概念は︑

( 必 )

に負っている﹂と考えられる︒そして︑熊沢義宣によれば︑ ﹁その内容的動機において︑

ル タ

i

に 負

う と

共 に

その形式自体においてカント

﹁カント的な価値概念の中に︑

( 必 )

する形態を見出したときにリッチュルの価値判断説が生まれた﹂︒

ル タ

l 的な信仰概念を表現

﹂の価値判断は宗教的判断であるわけであるが︑

易 ﹂ 1 レ

H .   R .  Niebuhr の価値論

637 

(17)

﹁神の約束に基づいて人聞が追求する祝

( 日 叩 ) '

福と︑神の創造の目的と調和するように支配されている世界との関連を取り扱う故に独立的価値判断﹂であるという︒ ッチュルにおいては︑存在判断とは区別された判断である︒ その価値判断は︑

つまり︑神と人間との間の宗教的認識に基づく価値判断である︒リッチュルによれば︑宗教的認識と哲学的認識との違

} 中 ﹂ 品 ︑ l;  その主体面において見出されるのである︒この主体面における宗教的判断が宗教的生の領域における独立的価値

判断と言えよう︒哲学的認識は︑存在論的形而上学上︑対象を客観的な所与として捉えるのであるが︑

( 灯 )

認識主体にとってそれ自体が独自の意味を持っている価値に対して独立的に評価することを意味する﹂

﹁ 宗

教 的

認 識

は ︑

の で

あ る

以上リッチュルの宗教的な価値判断の特質を見たが︑リッチュルは神と人との倫理的な関係による ﹁関係論的価値神

に固執したことは︑ ﹁キリスト教の概念や判断の価値評価的性格

(同日)

キリスト教の思想における多くの混乱していた点や混同している点をはっきりさせる﹂のに役立つ ニ 1 パ l は︑リッチュルがこのように︑ 学﹂の前提を築いたといえよう︒

シュライエルマッハ 1 が彼の前に行なったように︑

宗教的見方と非宗教的な見方との聞の不一粥﹂を明らかにした︒そしてこのような神学における信仰の方法の更新は今 たという︒またリッチュルはこの方法で︑ ﹁同じ出来事についての

一つの重要な結果を生んだという︒

そ れ

は ︑

﹁キリスト教信仰の歴史的検証﹂ への動きが与えられたことである︒

と し h

うのは︑神学はキリスト教信仰の基礎を︑観念的︑あるいは他の哲学的教理に求めるのではなく︑

( 閃 )

のものに求める﹂ことが促進されたからである︒ ﹁キリスト教的生そ

し か

し ︑

ニ l バ 1 はシュライエルマッハ!やリッチュルの関係論的価値神学を認めつつも﹁もし方法の検証がそのも

たらす結果によって見出しうるというのであれば︑ シュライエルマッハ l やリッチュルの経験論的信仰の神学は︑

' ‑ A V ' ‑

中 J 争 t

その良い結果によって賞賛されるだけでなく︑同時にそれが教会の経験の中でひき起こした虚偽とその虚偽が露呈した

彼らの誤謬のゆえに責められねばならな吋﹂という︒

H

・ フ

ラ イ

は ︑

ニl パ 1 がシュライエルマッハ 1 やリッチュルという偉大な二人の一九世紀神学者を批評するのは︑

(18)

( 臼 )

﹁彼らの価値神学の仕方が間違っていることではなく︑彼らが然るべく最も高い価値を構成することから出発した﹂こ

とであると指摘する︒すなわち︑ ﹁神は︑信仰においては︑最も高い価値を創り︑他の場合は︑単に自然的創造物でな

く︑霊的な創造物としての人間の価値を創る︒両者はまさに︑他の価値における信仰のために︑神の信仰の観点を放棄

( 日 )

した﹂と H

・ フ

ラ イ

は い

う ︒

一 方 ︑

﹁ ニ

l パ 1

が 信

仰 ︑

宗 教

知 識

( 百

出 向

日 ︒

5 W 8 4

己 注 m σ )

︑ および価値評価

( g ‑ S E S )

同一視するというのは︑多少事柄を単純化しすぎるようであるように思われるが︑ ニ l パ l が神学の方法において︑同

( 日 )

じ観点から信仰や宗教知識そして価値評価という用語を使用したということは何ら疑いの余地がないことである﹂と

H

・ フ

ラ イ

は い

﹀ つ

ニ 1 バ l の言葉からも理解できる︒すなわち︑ ﹁宗教的な知識は独自なものとして示

そ の

こ と

は ︑

さ れ

て き

た ︒

一 種

の 価

値 知

識 (

︿ 巳

5 8 w g

三 a

m o )

あるいは価値評価

( g ‑ s

︒ z

ロ )

で あ

る い

う 事

そして︑この独自性は︑

( 応 )

実のために示されてきた﹂と︑

ニ !

1 は述べるのである︒ここにニ 1 パ 1 は信仰の方法の手がかりとして価値評価の

仕方をリッチュルから受け継ぎ︑ ニ 1 パ!の価値神学を形成してきた背景が見られるのである︒

﹂ の

よ ﹀

つ に

ニ i パ l の価値概念の背景には︑ カントからリッチェルとその流れを継承し︑リッチェルによる﹁宗教

的な判断は価値判断である﹂ という価値論の影響を受けてきた︒ ニ 1 パ 1 は︑価値評価を信仰の手がかりとして︑

チェルやシュライエルマッハ i の関係論的価値神学を認めつつもクリティカルに︑独自の関係的価値論を形成してい

っ た

H .   R .  Niebuhr の価値論

6 3 9  

(19)

価値の中心

信仰と価値の中心

ニ l パ!の価値論は︑先に述べたように︑ カント︑リッチュルを受け継いで︑トレルチとバルトの結合︑すなわち歴

史的相対主義と啓示︑言い換えると文化とキリストの統合を試みた独自の関係的価値論を展開したと言える︒リッチユ

ルの価値判断とは︑宗教的な判断であったが︑ ニ 1 パ l の価値論は信仰と密接な関係がある︒ C ・

D ‑

グラントによれ

﹁ ニ

l バ 1 の信仰の論議は彼が価値分析における論理的段階を展開する多くの観念の実存的で実用的な側面なので

ある︒これは信仰と価値評価がニ l パ l にとって︑同じ人間活動であるということではない︒ ニ1 パ 1 は人間の価値評

価に対する信仰の減少が価値評価のひずみであることを主張するのに慎重である︒

析と彼の価値理論は互いに非常に密接に依存している﹂という︒ それにもかかわらず︑彼の信仰の分

そ こ

で ︑

ニ 1 パ l において人間の信仰が一体どのように価値と結びつくのか信仰と価値の関係についてみていきた

い ︒

H

・ フ

ラ イ

に よ

れ ば

ニ 1 パ 1 は彼自身一九世紀の伝統を受け継いでいるが︑神学の問題は N 信仰 H が際立った観

点であると確信していた︒信仰は神との関係を結ぶ重要な要素なのである︒信仰は︑まったく偶然に作られた事実とい

( 2 )  

うよりもむしろ︑神との現春の価値関係として理解されるのである︒ ニ 1 パ l は神と信仰の関係について︑

ル タ

l

の 有

名な大教理問答の言葉(十戒のうちの第一戒)を引用する︒

ル タ

l は 二つの神宮向︒仏)を所有するということは何を

と 二 一 日

﹀ つ ︒

ノ 1

意味するか︑あるいは︑神(︒︒仏)は何であるか?﹂ という質問に答えて﹁信仰と神は共にある﹂

(20)

ルタ 1

の大教理問答を参照して

( 4 )  

﹁神と信仰はともに一体である﹂ と述べるのである︒

ニ 1 パ l

は﹃徹底的唯一神主義と西洋文化﹄の序文において︑神学の二重の課題は

﹁神の理論﹂と ﹁人間の信仰﹂を

あきらかにすることであると述べている︒この二重の課題は存在と価値というリッチュル以来の二元論からくるものと 推察できる︒神とは︑客観的存在であり︑また︑信仰は主体的活動である︒

﹂のように﹁もし︑神学が信仰を理解し ょうとするならば︑神学は信仰の神に注目しなければならない︒同様にもし神学が神を理解しようとするならば︑神に

( 5 )  

おける信仰に注目しなければならない﹂︒そして︑ ニ 1 パ 1 は︑﹁神学は︑究極的関心

2 5

巳 E

σ g D 8 5 )

が神にある

( 6 )  

としても︑常に信仰の活動に参加しなければならないのである﹂と述べ︑彼自身は後者の

﹁ 信

仰 ﹂

の課題の探究に専

ニ 1 バ 1 は ︑ ﹁ 信 仰 ( 出 庶 民 σ

己 目

︒ 丘

口 問

) と

は 信

( E 5 5

可 5

件 )

と 忠

( 7 )  

( 屋

E 色

m F 3 ‑ q 2 E o

‑ ‑ q )

との相互作用からなる現象である﹂と述べ︑人間の信仰における普遍的構造の洞察を行な

うのである︒ 念するのである︒人間の信仰とは何であるか︒

C ・

D ‑

グラントによれば︑

﹁信仰にはそれぞれ価値を参照することにより定義される信頼と忠誠という二つのモ

l

メントを含む︒信頼は価値づけられているという自己の感覚と互いに関連する信仰のコンポーネントである︒価値の源

( 8 )  

泉や価値の中心がこのモ

1

ドにおいて実存的に忠誠に優先して個人を価値付けるものとして経験されるのである﹂とい

﹀ つ

︒ こ

﹁彼自身の意味に依存するのではなく︑彼が出会うすべてのも ﹁価値の源泉や価値の中心﹂は︑人間にとって

のの価値のために依存する)﹂のである︒

人間の信仰は︑ ﹁ある実在を価値の源泉や忠誠の対象として確信し︑忠誠を誓う態度と行為である﹂︒この人格的態度

と 行

為 は

﹁自己が方向付けられる価値﹂にかかわる︒

で ー あ 方

る!Qに 。 お

そ い

て 、 し て

、 そ 信 れ

﹁自己に付与する価値﹂にかかわり︑また

l ま

﹁自己を価値づけるものへの信頼﹂ であり︑他方において︑ ﹁自己が価値づけるものへの忠誠﹂

仰の二面性はトルストイと宗教哲学者ジョサイア・ロイスの二人の思想家を探究することにより明らかにされるとニ

l

H .   R .   Niebuhr の イ 面 イ 直 言 命

64

(21)

バーは言う︒すなわち︑ トルストイから信仰を ﹁自己を価値づけるものへの信頼¥ つまり﹁生にとっての価値の中心

へ の

確 信

として︑またロイスから信仰を﹁自己が価値づけるものへの忠誠﹂ として解釈するのである︒ ニ 1 パ 1

は こ

のように信仰を価値論的に捉える︒

( U )  

ー は

説 明

す る

そして前者の信頼は信仰の ﹁受動的側面﹂︑後者の忠誠は

﹁ 能

動 的

側 面

と ニ

l パ

トルストイの告白は︑ ﹁生きている自己が価値の中心から価値を得︑ そのために生きる︑価値の中心に依存﹂

し て

ることである︒トルストイの信仰理解では︑ ﹁価値の源泉における確信が強調﹂

さ れ

る が

ロ イ

ス の

﹁ 忠

誠 の

哲 学

QZ E

口 ︒

ω ︒ u s

︒ 同 円 ︒ ヨ 犀 可 ) ﹂ は ︑ こ の 信 仰 ( ト ル ス ト イ の 信 仰 ) の 他 の 側 面 が 重 要 で あ る と さ れ る ︒

は︑二つの議論がなされている︒第一は︑道徳的生の本質は原因

( g 5 0 )

への忠誠であり︑第二は真実の原因が忠誠

( ロ )

自身であるということである︒しかしながら︑

( 日 )

係 な

い ﹂

と い

う ︒

ロイスの忠誠の哲学で

ニ !

1 は第一の議論は認めながらも︑ ﹁第二の議論は我々にとって関

ノ 1

( は )

﹁信仰ー忠誠の分析がいかにジョサイア・ロイスの忠誠の哲学に近いかを認める﹂︒ ロ イ ス は ︑ ﹃ 忠 誠 の

哲 学

( 吋

Z E ‑ ‑

︒ g

芸 可

︒ 同

円 ︒

ヨ }

円 守

) ﹄

の ﹁

忠 誠

に 対

す る

忠 誠

( 円

︒ 吉

q 田

S F 3 ]

門司)﹂において︑原因が自分だけでなく人

類にとって善であり︑本質的な﹁忠誠に対する忠誠﹂である限り︑これは︑自分の仲間における忠誠の目的であり促進

であるという︒また︑自分に起こる忠誠を軽蔑する限り原因は悪であり︑私の仲間の世界における忠誠の破壊的なもの

( 日 )

である︒人間の原因は︑このような何らかの﹁忠誠に対する忠誠﹂を常に含んでいるという︒

ニl パ 1 は二つの容在問における三番目の存在(岳山

E g t q

│ │

この三番目の存在に基づいてともに

他の存在が互いに忠実である)が忠誠自体の原理であることを提唱するロイスの観点から離れるのであ弱︒

し か

し な

が ら

ニ l バ 1

は︑忠誠の三構造が常に三つの存在を関係させる構造であると主張する︒価値︑忠誠あるいは信仰は何らかの存在では

なく︑存在聞の関係である︒

し た

が っ

て ︑

ノ 1

﹁我々はロイスが行ったように︑忠誠それ自体で超越した忠誠

(22)

の対象を結びつけることができなぺ﹂と述べるのである︒

ニ 1 パ 1 は︑忠誠的な人間について︑ ロイスの言葉を引用しながら説明す訴︒ ﹁忠誠的な人間は︑愛したり憎んだり

する個人的仲間だけではなく︑ また単なる慣例や風習︑従わなければならない法律ではなく︑ある社会的な原因︑ある

いは原因の体系を発見し︑見つめている人である︒﹂

と い

﹀ つ

そして︑忠誠的な人間は︑原因に向かって次のように語

るという︒﹁あなたの意志はわたしの意志︑ わたしの意志はあなたの意志である︒あなたのなかに自分を失うのではな

( 印 )

く︑わたしを見いだす︒あなたのために生きるにつれ︑わたしは熱心に生きるのである﹂︒しかしながら︑忠誠的な人

聞については必ずしも善の原因ではなく︑悪の原因に忠誠を壁一一白うことが歴史の中でしばしば起こった︒ そしてニ l パ

ーは次のことも考慮されるべきものであるという︒﹁献身した人間は︑非常に悪い原因に忠誠を誓うことがよくあった︒

( 初 )

また︑ある人々は相互に決死の戦いをしなければならないような原因に忠誠を誓ったりした﹂︒何故︑献身した人間は︑

悪い原因に忠誠を誓うということになるのであろうか︒ ニ 1 パ l は︑このような忠誠の欠点についてロイスの主張を引

用 す

る ︒

﹁これらの忠誠の欠点はまだ偉大な事実に触れていないからであろう︒偉大な事実は︑もし︑あなたが懐疑を

乗り越えて︑生きるべき道を探そうとし︑あなたの力を集中しようとするなら︑人々のあいだに第一の忠誠が知られ

( 幻 )

て以来︑すべての忠誠が共通に歩んできたような道になるにちがいない﹂︒このようにロイスが主張しているが︑

( 忽 )

パ 1 は︑もっとはっきりと簡潔に﹁自己であることと忠誠とは共に歩む﹂と言う︒このような忠誠的人間は︑

﹁ 自

己 の

忠誠が混乱し︑彼らの原因が多様化し︑それへの裏切りが多くなっても︑彼らは︑まさに忠実性(虫色守)によって生

き硲﹂のである︒この忠実性は︑﹁彼らの実存に価値を与えてくれる価値の中心

( 8 E q

え g Z

)

への確信とまったく

( M )  

同じ﹂である︒ニ l パーがいう価値の中心と原因は同じ事を指し示すものである︒すなわち︑

( お )

自己が価値づけられたり価値づけたりする同じ客観的実在の二つの名称である﹂︒ ﹁ 価 値 の 中 心 と 原 因 は ︑

ニ 1 パーはこのように人間的自己と

忠誠の信仰関係が普遍的であり︑

﹁ 信

仰 ﹂

と か

﹁価値﹂という用語の意義について二重の信仰関係が表現されていると ニ

1 I

H .   R .   Niebuhr の価値論

643 

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