伊 東 静 雄
青 年 期 の 読 書 体 験
渡 部 満 彦
一 伊東 静雄 の旧 制佐 賀高 等学 校時 代の 日記 が彼 の遺 児と 旧制 大阪 府立 住 吉中 学の 教え 子に よっ て編 纂さ れ︑ この
(
平 成一 九年) 一 二月 に思 潮 社か ら発 兌の 予定 だそ うで ある
︒伊 東の 著作 とい えば
︑生 前の 詩集 四 冊と 周知 のよ うに 桑原 武夫 の慫 慂に よる 京都 人文 書院 の 伊東 静雄 全 集( 以 後 全集
と表 記) と大 塚 梓︑ 田 中 俊廣 編 伊東 静 雄青 春 書 簡
詩人 への 序 奏
(
本多 企画
︑ 平九
︑以 後 書 簡 と 表記) で
︑ 全集
と 書 簡 に依 拠 し なが ら 本稿 の テー マ「 伊東 静 雄 青 年 期の 読書 体験」 を 考察 する わけ だが
︑こ の未 刊の
「
日 記」 から どん な 伊東 静雄 の青 春と 読書 のど のよ うな 姿が 浮か び上 がっ てく るの だろ う か︑ 刊行 が待 たれ る︒
︽ 青春 と は︑ と ほ り すぎ れ ば済 ん で しま ふ 麻疹 で は ない
︒ 心 の美 し く 健全 なひ とほ ど︑ 自己 の青 春の 中に 見出 した 問題 から 生涯 のが れ得 な いや うに 思は れる
︒真 実な 人間 とは 自己 の青 春を 終へ るこ との 出来
ない 人 間だ
︾ と いっ た のは 伊 藤整
(
青 春 角 川 文庫
︑ 昭 二六
︑ 三
〜 四頁)
だ が︑ 広 辞 苑五 版 CD
R OM 版 に よれ ば
︑ 青春 と は︽
①( 五 行説 で春 は青 にあ てる) 春
︒陽 春︒
︿運 歩色 葉
︑
②年 の若 い時 代︒ 人 生の 春 にた と えら れ る時 期
︒「
時代」「
の 思い 出」
︾と あ り︑ 語句 とし て︻ 青春 期︼ が記 載さ れて いる
︒ 念 の ため
︻ 青 春期
︼ を検 索 し てみ る と
︑︻ 思 春 期︼ に 同 じと あ る の で︑ こ れ をた ど ると
︑︽ 二 次性 徴 があ ら われ
︑ 生 殖可 能 と なる 時 期︒ 一一
〜一 二歳 か ら一 六
〜一 七歳 まで ぐ らい の 時期
︒青 春 期︒ とし ごろ
︒ 春機 発動 期︾ と説 明さ れて いる
︒ 一 方
︑青 年 期 は同 じ 辞書 に よ れば
︑︽ 男女 の 一 四︑ 五 歳 から 二 四︑ 五歳 頃ま での 時期
︒性 的特 徴が 顕著 とな り︑ 自我 意識 が著 しく 発達 す る︾ とあ る︒ そこ で伊 東静 雄の 青春 期を 旧制 佐賀 高等 学校 入学 の一 九 二三 年か ら一 九三
○年
︑つ まり 昭和 五年
︑二 五歳 くら いま でに 広げ て 考え てみ たい
︒奇 しく も大 塚格 への 書簡 も一 九三
○年 まで が頻 繁で
︑ 五年 後に 一通 のみ が発 見さ れて いる
︒ 伊 東静 雄の 書簡 から 読書 リス トを 作成 する と左 の通 りだ が︑ 表記 は 彼の 書 いた と お りそ の まま に
︑ 全集
︑ 書簡
の 註か ら 出 版社 や 定 価を 補っ た︒ 大 正一 二年 一一 月〜 一二 月 徒 然草
創 作 家 に 取 つ て
︑ 勉 強 と か 努 力 と か 云 ふ 事 は 読 書 で は な い
︒ そ れ は 寧 ろ じ つ と 考 へ込 む 事 で あ り︑ 凝 視 る こと で あ る
︒し か し 其 思索 と 観 照 と が︑ 読 書 に よ つ て 助 け ら れ 補 は れ ね ば な ら ぬ 事 は
︑ ま た 言 ふ 迄 も な い 厨 川 白 村 十 字 街 頭 を 往 く 三 一
○
〜 一 頁
大正 一四 年 六月 二 日 一茶 九月 二二 日 トル スト イ 我が 宗教 一
〇 月 五 日 ジ ツ ケ ンス
ク リ ス マス
・ カ ロル
︑ 森 外
舞 姫
︑桑 木厳 翼 哲学 概論
︑岩 城準 太郎 明 治大 正の 国文 学
︑厨 川白 村 十字 街道 を行 く 一 一月 八 日 国木 田独 歩︑ 北村 透谷 大正 一五 年 一月 島 崎藤 村 新生
︑ 海へ 一月 一七 日 島崎 藤村 新 生
︑ 海 へ
︑ フ ラン ス便 り
︑ 桜 の実 の熟 する 頃
︑ 春 二月 国 木田 独歩 恋 愛日 記 二 月 一
〇 日 島 崎 藤 村 春
︑ シ ヨ ウ ペ ン ハ ウ エ ル 宇 宙と 人生 三月 四 日 島崎 藤村 三 人の 訪問 者 五月 七 日 トル スト イ アン ナカ レニ ナ 五月 一 五 日 カ ン ト︑ 出 隆 哲 学以 前( 大 村書 店
︑ 大正 一〇 年)
︑三 井芳 太郎 科 学と 宗教(
警 醒社
︑大 三) 五月 二五 日 正岡 子規
︑ス トリ ンド ヘル ヒ 七月 国 木田 独歩
︑ゲ ーテ
の“Herman
とDorothea”
(HermannundDorothea)
九月 二 二 日 ル ソ ー 懺 悔 録
︑ ホ イッ ト マ ン︑ 滝 沢 馬琴 日 記 一
〇月 一八 日 トル スト イ全 集︑ 正岡 子規 全集
︑有 島武 郎 迷路
︑ ルソ ー 懺悔 録 昭和 二 年 二月 四 日 岡田 三郎
︑谷 崎潤 一郎 潤 一郎 喜劇 集 六月 一〇 日 万葉 の書 写 一 一 月 前 田 夕暮
緑 草 心理
︑ 梁 塵秘 抄
︑ ツ ルゲ ー ネフ 父 と子 一 一月 二三 日 ルソ ー 懺悔 録
︑ 万 葉集
︑ 歎異 抄
︑
子 規︑ 良寛
︑荻 原井 泉水 遍 路と なり て 昭 和 三年 三 月二 三日 武 者小 路実 篤全 集︑ 芥川 龍之 介全 集 三 月 三一 日 藤沢 古 実 国原(
昭 和 二 年岩 波 書 店︑ ア ララ ギ叢 書第 三一 編) 六 月一 四日 正 岡子 規 昭 和 四年 六 月 七日
戦旗 九 月一 二日 マ ルク ス 一〇 月二 二日 芥 川龍 之介 全集
︑蕪 村全 集 一二 月 一 一日
チ エー ホ フ の全 集( 独 逸 語)
︑ パ ル ザ ッ ク︑ ス トリ ンド ヘル ヒ︑ ボ ード レー ル︑ ハウ プ トマ ン︑ ツ ルゲ ニエ フ︑ ゴー ゴリ
︑ゴ ーリ キー 一二 月一 一日 チ エー ホフ 全集
︑芥 川龍 之介 一二 月二 一日 ツ ルゲ ニエ フ フリ ュー リン クス
・ボ ー ゲ ン
︑ツ ルゲ ニエ フ ブー リン とブ バリ ン( 岩波 文 庫
︑二
〇銭)
︑ 有島 武郎 宣 言一 つ
︑ プロ レタ リア 文 学
︑ツ ルゲ ニエ フ フェ ター
・ウ ント
・ゾ ーネ 一二 月二 六日 独 逸語 によ るロ シア 文学 研究 一二 月二 七日 チ エホ フ︑ ツル ゲニ エフ
︑有 島武 郎︑ 芥 川 龍之 介︑ 田辺 元「 所謂 科 学の 階級 性 に就 いて」
(
改造 一 二巻 一号) 昭 和 五年 二 月一 七日 ス トリ ンド ベリ
︑有 島武 郎 宣言 一つ 三 月 一日 モ ーパ ッサ ン 女の 一生 三月 七日 有島 武郎
︑プ レハ ノフ
︑フ リー ドリ ッヒ
・ エ ンゲ ルス
︑堺 利彦 訳 社会 主義 の発 展( 改 造文 庫︑ 一
〇銭)
︑ 中河 与一 形 式主 義芸 術論 三 月 一七 日 ギイ
・ ド
・モ ウ パ ッサ ン
︑J.Renard
を 世 界文 学で
︑パ ルザ ック 人 間喜 劇
︑ 改 造 二月 号 広 津和 郎「 文芸 雑感」
︑ 木村 毅「 大衆 文学 論」
︑ 兼常 清 佐「 音 楽の 階級 性」
四月 七 日 トー マス
・マ ン 六月 一三 日 シユ ニツ レル
︑ス トリ ンド ベリ
︑岩 野泡 鳴「 毒薬 女」 六月 一八 日 シユ ニツ レル 九月 二四 日 エド アル ト・ メリ ケ プラ ーグ への 旅路 のモ ーツ アル ト 一 一月 ル ッソ ーの 伝記 広辞 苑に
「
春 機発 動期」 と いう 字句 が見 られ たが
︑伊 東静 雄の 青年 期 も不 条理 な性 欲と の戦 い︑ 生き るこ との 意味 の模 索で あっ た︒ 伊藤 整 は次 のよ うに も書 いて いる
(
前 掲書
︑三 頁)
︒ 人の 生涯 のう ち一 番美 しく ある べき 青春 の季 節は
︑お のづ から 最 も生 きる に難 しい 季節 であ る︒ 神が あら ゆる 贈り 物を 一度 に人 に 与へ てみ て︑ 人を 試み
︑そ れに 圧し 潰さ れぬ もの を捜 さう とで もし てゐ るか のや う に︑ その 季 節は 緑 と花 の洪 水に なつ て氾 濫 し︑ 人 を溺 らせ 道を 埋め てし まふ
︒生 命を 失ふ か︑ 真実 を失 ふか せず に そこ を切 り抜 ける 人間 は少 ない であ らう
︒ 静雄 の青 年期 の読 書は 宗教 から 哲学 へ︑ 哲学 から 文学 へ︑ そし てそ れが 京都 帝 国大 学 文学 部国 文科 卒 業論 文 子規 の俳 論 へと 結晶 す る︒ 静 雄 が論 文 作成 で 引用
・ 参 考に し た文 献 は
︑「 芭 蕉 雑談」
︑「 獺 祭書 屋 俳 句帳 抄」
︑ 古今 集
︑ 俳 諧 一葉 集
︑ 去 来 抄
︑ 芸 術の 二 道( 長 与 善郎)
︑「 一茶 の俳 句を 評す」
︑「 俳人 蕪村」
︑ 文学 論( 夏 目漱 石)
︑ 笈日 記
︑ 芭 蕉雑 記( 室生 犀星)
︑ 俳句 提唱(
荻原 井泉 水)
︑ 明治 三 二年 香取 秀真 宛書 簡︑ 文 学論(
竹 友藻 風)
︑「 病 床六 尺」
︑「 明 治二 十 九年 の俳 句界」
︑「 松蘿 玉液」
︑「 俳諧 大要」
︑ 俳句 の作 り方 と味 はひ 方( 荻原 井 泉水)
︑「 新派 俳 句の 傾 向」
︑ 詩 の原 理( 萩原 朔 太郎)
︑
「
俳句 の初 歩」
︑「 俳 句問 答」
︑「 仰 臥漫 録」
︑「 配 合論」 で あっ た︒
昭 和 五 年 に は 旧 制 大 村 中 学 校 の 同 窓 蒲 池歓 一
︑ 福 田 清 人 の 同 人 誌 明暗
に 参加
︑ 五月 号 に「 空 の 浴 槽」 を 発表
︑ 昭 和七 年 六 月青 木 敬 麿等 と 呂 を創 刊︑ 詩人 への 道を 歩み 始め るが
︑書 簡︑ 書籍
︑雑 誌 で静 雄が 言及 した 書物 名や その 感想 を通 して 静雄 の詩 作品 の内 実や 詩 想︑ 生活 の実 態を 闡明 した いと いう 筆者 の意 図の 手は じめ とし て青 年 期の 読書 を見 てみ よう
︒ 静 雄が 最初 に報 知す る書 物名 は 徒然 草 で︑ 大塚 宛大 正一 二年 一 一月 ある いは 一二 月頃 と編 者が 推定 する 書簡 に現 われ る︒ つま り︑ 自 分の 勉強 態度 は 徒然 草 風に 記載 すれ ば︽ いに しへ の古 きこ とど も 書き 侍り たる 文の いみ じう 厚う して
︑夜 深く なる に︑ 見あ きて きて
︑ 文机 にか ゝり たる まま にて
︑う ち伏 して
︑夜 半ば かり に目 醒め
︑お ど ろき
︑床 につ き はべ り ぬ︾( 書 簡
︑一 三頁) と戯 れ てい る
︒ 徒 然草 への 静雄 の述 懐が ない ので 推測 の域 を出 ない が︑ 旧制 大村 中学 の授 業 で取 り上 げら れた か︑ ある いは 佐賀 高等 学校 受験 のた めに 詳解 徒 然 草 の類 に目 をと おし てい ただ ろう か︒ 国 木田 独歩
︑島 崎藤 村︑ 有島 武郎
︑岩 野泡 鳴の 名前 がリ スト とさ れ てい るが
︑田 山花 袋が 静雄 の関 心外 であ った のは なぜ なの だろ うか
︒ 曠 二
野 の歌 わが 死せ む美 しき 日の ため に 連嶺 の夢 想よ
! 汝な が 白雪 を 消さ ずあ れ 息ぐ るし い希 薄の これ の曠 野に ひと 知れ ぬ泉 をす ぎ 非時
と きじ く
の木 の実 熟う る る 隠れ たる 場し よを 過ぎ 伊 東 静 雄 青 年 期 の 読 書 体 験