1 問題の所在
2012年の年の瀬に発足した第二次安倍内閣は,日本経済再生を最優先課題 に位置付け,その成長戦略の中核として「女性の活躍」を掲げた。そして具 体的に,上場企業の役員ポストへの女性登用,待機児童の解消,「3年育休」
と子育て後の再就職支援などを高らかに主張したわけだが,「何を今更」感が 否めない(1)。というのも,「女性の活躍」をあえて言わねばならないほど,2010 年代に入ってなお日本には女性雇用労働者が活躍できない社会的ならびに企 業組織的な状況があるということだからである。ならばそうした「女性」(2)が 活躍できない日本社会あるいは日本の企業組織特有の要因分析が必要だ,と いうことになりそうだが,実はそうした研究はすでに積み重ねられている(3)。 研究が積み重ねられ,問題が明らかにされていながら,それでもなお改善が 図られないのはなぜか,というのはさらなる重要な問いではあるのだが,本 稿では全く違った角度からなぜ「女性」が組織で活躍できないのかを考えて みたい。具体的には,日本特有の状況ではなく,組織過程に焦点を当てて,
なぜ「女性」が組織において活躍できないのかを(組織)理論的に検討する ことにする。このような検討の意義は最後に明らかになろう。
なぜ「女性」が組織で活躍できないのか
―J. Ackerの「ジェンダー化された組織」論を導き手として―
三 橋 弘 次
2 「組織構造問題」説
本節では,なぜ「女性」が組織で活躍できないのかを問題化した古典的な 組織研究をまずは確認していく。取り上げるべきは,やはり Rosabeth Moss Kanter の研究(1977)であろう。この研究は Kanter が当時のアメリカの巨 大オフィス組織で行ったフィールドワークにもとづいたものであるが,当時 は「当たり前」の,圧倒的に男性優位の組織的状況―換言すれば,「女性」
の活躍が文字どおり阻まれていた状況―を実証的に明らかにし,理論化し ようとした初めての体系的な論考と言ってよい(4)。そして,この研究の結論を 端的に言ってしまえば,そうした組織における男性優位の状況を Kanter は 構造的な問題であると結論付けたのである。つまり,組織構造の問題,より 具体的には数構造 ・ 機会構造 ・ 権力構造の不公正さが「女性」の活躍できな い組織的状況を作り出しており,それらの変革が組織の不公正なジェンダー 関係を解決する―より正確には,「女/男」の区別,経験の違いそのものを 消し去ってしまう―と Kanter は主張した。というのも「組織行動におい て『性差(sex differences)』に見えることは,構造的条件,すなわち組織に おいてどの地位にいるかを反映して,現れる」(Kanter 1977: 262)からだと いう。Kanter は当時,組織において「女性」が下位的地位に置かれ,活躍で きないことが,「女性」自身のパーソナリティに帰責させられ説明されてしま う傾向に対して,問題は個人特性にあるのではなく,組織構造にあると強く 訴えたのである(5)。
これに対し,Joan Acker(1990)は,Kanter がジェンダー―「女」「男」
があたかも自然的 ・ 固定的な二項対立的存在であるかのように性差に関して 意味を付与する知(の実践)のこと―そのものの問題を主題化したという よりも,組織構造に焦点を絞りすぎて,結果として組織自体はジェンダー中 立的であり,ジェンダーが構造の「外」に存在しているかのような議論を展 開してしまった,と批判している。確かに Kanter にとっての問題は,ジェ ンダーではなく,組織構造だった(6)。というのも,Kanter の考えでは,ある問
題的な構造が「女」であろうと「男」であろうと同じように否定的な経験を もたらすのであり,ゆえにジェンダー関係の不公正さの問題は,組織構造が
「不健康」であるために出てきた「吹き出物」のような扱いになっていたので ある。確かに,「女性」が組織で活躍できないことについて組織構造の問題は 間違いなく関係しており,その点を1970年代に実証的に主張した Kanter の パイオニア性は評価されるべきであるが,一方で,その要因がなくなれば
「女」も「男」もなく,同じ経験をするという主張はあまりにも構造的要因を 過大視しているようにしか思えない。
実際,Kanter 以後の実証的研究の成果を見ても,Kanter がジェンダーそ のものの問題を看過し,組織構造の問題に焦点を当てすぎたことが示唆され ている。上記の Kanter 説―本稿では便宜的に「組織構造問題」説と呼ん でおく―を裏付けようとしたその後の実証研究の結果は,程度の差はあれ 複雑なもの,つまり Kanter 説を必ずしも裏付けないものが多いのである。
まず数構造に関して,Kanter は,職場において圧倒的マイノリティである
「女性」が「トークン(token,見世物的な人/ある人種や性別の代表として 扱われる人)」として多大な「パフォーマンス ・ プレッシャー」を受けるため 能力を十分に発揮できないことを主張した。Kanter の考えでは,「男性」が
「トークン」状態の場合でも同じように否定的な体験をするはずで,それゆえ 数構造の是正が男女ともが活躍できる組織作りの最適な方策になるはずだっ た。ところが,例えば Christine Williams は,Kanter の想定とは異なり,女 性が圧倒的マイノリティの場合と,男性が圧倒的マイノリティの場合とで,
男女の経験が異なることを実証的に示している(Williams 1989, 1992)。具体 的に,職場において圧倒的にマイノリティ状況に置かれている男性看護師は むしろ肯定的な注目を浴びることがあるし,(女性看護師よりも職場におい て)数が少ないにもかかわらず相対的に高い割合の男性看護師が上位ポジショ ンに就いていたりすることもあった。その一方で,ときには「女性的な仕事
(看護職は従来女性によって担われてきたので)」に向いていないのではない かと否定的な目を向けられることもあり,男性看護師の「トークン」状態が
彼らにとって必ず否定的,または肯定的に作用するわけではないことを Williams は指摘している(7)。また,機会構造(例えば Markham et al. 1985)や 権力構造(例えば Ely 1995)に関する研究でも,Kanter 説の一部を支持しな がらも複雑な結果が出ている。したがって,組織構造の問題だけが「女性」
が組織で活躍できない状況を作り出しているわけではなく,ゆえに組織構造 の変革(の必要性は間違いないことなのだが,それ)だけでは,必ずしも男 女の組織における経験の差ならびに男女の支配関係が完全になくなるわけで はないことが既存研究では明らかにされている。
3 「ジェンダー化された組織」論
前節では,なぜ「女性」が組織で活躍できないのか,という問いに関して,
組織構造の問題を指摘した Kanter の古典的組織研究を確認した。Kanter は 実証的な事例研究にもとづいて,組織構造が適正化されれば男女の組織経験 の差はなくなる,したがって「女性」も組織で活躍できると考えたが,反面,
組織構造の問題を強調しすぎて組織自体をジェンダー中立的な存在と想定し,
ジェンダーそのものの問題を見過ごしてしまっていた。結果として,「女性」
特有の―あるいは,同じ意味で「男性」特有の―組織的困難状況は明ら かにされないまま残されてしまった。とはいえ,「女性」の活躍を阻む組織構 造の問題は間違いなくあった(依然として在る!)わけで,そのことを1970 年代に実証的に指摘した Kanter の功績は否定されるべきではない。また,
殊更ジェンダーを問題視するのではなく―別言すれば,男性中心的な組織 と「男性」を糾弾するのではなく―,構造的条件が同じであれば「男性」
だって同じように否定的な経験をしうるのだから,という男性個々にも受け 入れられやすい議論を展開して,少しでも組織構造的な悪状況を改善しよう と Kanter はしていたのではないかと好意的に解釈するのならば,そうした
「政治的」姿勢についても Kanter は評価されるべきであろう。
それでもなお,Kanter の考え方―つまり,「組織構造問題」説―では,
組織が呈するジェンダー自体の問題が見過ごされがちなってしまったことは 否定し得ない事実である(Acker 1990; Hall 1993)。つまり,なぜ「女性」が 組織で活躍できないのか,という問いに対しては,Kanter のようなジェン ダー中立を所与のものとした組織観に代わる分析視角から取り組む必要があ るということであり,本節では Acker(1990, 1992a)の分析枠組みをその代 替として提示してみたいと思う。
3.1 ジェンダー化された組織
すでに見たように,Acker は組織がジェンダー中立であるという前提にも とづいた分析視角(つまり Kanter)を批判する。さらに,社会の男性中心的 なありようを批判し,官僚制的な組織における階層制が女性を抑圧する男性 支配構造であると責め立てたフェミニズム(例えば Ferguson 1984)ですら,
どのようにして組織の男性支配構造が構成されているのか,その過程 ・ 力学 を深く追求することがなかったとも批判するのである。こうした批判を踏ま えて Acker は,ジェンダー化した個人がジェンダー中立の組織にジェンダー 関係を持ち込むのではなくて,むしろ組織そのものが「ジェンダー化の過程
(gendering process)」であると主張し,つまるところ組織過程を通じて男性 優位のジェンダー関係が生産,維持,再生産されている,という革新的な見 方を展開する。この分析枠組みを Acker は「the Gendered-Organizations Approach」―訳が難しいのだが,「ジェンダー化された組織」論としてお く―と呼ぶ。
この枠組みでは,「女性」が組織で活躍できない状況は―あるいはそうし た組織における「女性」のあり方は―,まさに組織のジェンダー化過程に おいて生産,維持,再生産されているということになる。組織はジェンダー 中立ではなく,男性優位の形でジェンダー化されており,ジェンダーは組織 のあらゆる実践──イメージやイデオロギーといった文化的側面から,権力 分配といった構造的な側面までの──において根本的な要素である,と Acker は主張する:
組織が……ジェンダー化されていると言うことは,男性と女性,男性的 と女性的を区別することを通じ,そしてそのように区別した点において,
有利な立場と不利な立場,搾取と支配,行為と感情,意味とアイデンティ ティ,が様式化されていることを意味している。ジェンダーは,ジェン ダー中立と理解され継続している過程に付け加えられたものではない。
むしろそれは,それらの過程の不可欠な部分で,ジェンダーを分析する ことなしにそうした過程は理解できない。(Acker 1990: 146)
つまり,Acker の言う「ジェンダー化過程としての組織」とは,組織過程 を通じて男性優位のジェンダー関係/秩序が構成されることを指摘したもの なのだ。このように組織を捉えると,組織そのものが男性優位の形でジェン ダー化されており,組織過程を通じて「女性」は組織で活躍できない従属的 ・ 補助的存在として作り上げられている,ということになる。
Acker はつづけて組織のジェンダー化が少なくとも5つの形式で起こると 指摘する(Acker 1990: 146-147)。ただし,5つの形式はあくまでも分析のた めに明確にしてあるだけで,実際の組織的状況では判別できないこともある という。まず第一に,日常の実践を通じて性別に沿った区別が作り上げられ るという。例えば,組織上の役職や職務の割り振りにおいて上位=支配職は
「男性」,下位=補助職は「女性」という区別が作り上げられるのである。
第二に,シンボルやイメージが作り上げられる,つまりイデオロギーを通 じたジェンダー差異の正当化(説明 ・ 強化)がなされるという。例えば,「理 想のリーダーはどんな場面でも動揺せず,論理的に行動できる人である=男 性」,といったイメージの一般化がなされるのである。
第三に,男女,男男,女女の間での(性別をもとにした支配 ・ 従属関係を 明確にするような)相互行為を通じたジェンダー関係の維持がなされるとい う。例えば,会話において「男性」が話し手,「女性」が聞き役になるといっ た日常的な相互行為によってジェンダー関係が維持されるわけである。
第四に,上述した性別の明確化,イデオロギー的なジェンダー差異の正当
化,相互行為による支配関係の維持を通じて,自分のジェンダー ・ アイデン ティティの意識化 ・ 明示化がなされるという。例えば,自分のジェンダーに 合った職種 ・ 職業,言葉使い,ふるまい,服装の選択によって,自分のジェ ンダー ・ アイデンティティが意識化されるのである。
最後に,性別に沿った組織化が,ジェンダー化された組織の基礎構造(社 会構造)によって維持されるという。例えば,組織外で「女性」が負う生殖 役割のために,パートタイム職は主に「女性」によって担われることで,そ のように組織が維持されるのである(8)。
このように日常の組織活動,組織生活そのものがジェンダー化されていて,
ジェンダー関係の生産,維持,再生産過程になっているという見方―つま り,「ジェンダー化された組織」論―を Acker は示したわけだが,この見 方からすれば,男性中心的な価値観によってジェンダー化された組織では「女 性」は(その数が多かろうが少なかろうが)「なるべくして」活躍できない,
ということになるわけだ。
3.2 組織のジェンダー化とセクシュアリティ
続いて Acker は,組織のジェンダー化を促す重要な要素として,セクシュ アリティや感情,生殖を挙げる。具体的に,組織において「セクシュアリティ や感情性(emotionality),そして生殖(procreation)が欠けていることは,
〔組織の〕基礎をなすジェンダー関係を覆い隠し,再生産する手助けをする付 加的な要素である」(Acker 1990: 151)と Acker は述べる。つまり,組織か らのセクシュアリティや感情,生殖の排除が組織をジェンダー中立に見せか け,他方では男性優位のジェンダー関係を生産 ・ 維持 ・ 再生産しつづけるこ とに荷担しているというのである。言い換えれば,排除されたセクシュアリ ティや感情,生殖に光を当てれば,組織のジェンダー化のありようが見えて くるはずである。
実際,Acker はセクシュアリティを例にとり,それがどのように組織のジェ ンダー関係の生産 ・ 維持 ・ 再生産を促す要素なのかを示している(Acker 1990:
151)。概要は次のとおりである。すなわち,積極的な性活動は組織の生産性 にとって否定的に見られたため,セクシュアリティの抑止は官僚制的な組織 にとっては重要な任務となり,「女性」を組織から締め出していった。ホモセ クシュアリティはヘテロセクシュアル規範を標準化し禁欲意識を高めること で統制した。性活動はますます組織から排除され,他方それは私的領域に移 され,結果として公的/私的の区別が強化された。組織に残ったのはセクシュ アリティのない「人」であり,「それ」にはジェンダーもないと想定され,組 織におけるジェンダー関係そのものが隠蔽されてしまった。しかし,すでに
「女性」が排除された組織=公的領域における「人」とは必然的に「男性」の ことであり,これによって,男性優位の組織構造 ・ ジェンダー関係が再生産 されつづけている,と Acker は説明する。こうして男性優位の形でジェン ダー化された組織において「女性」が活躍できるはずがない,ということに なろう。
3.3 組織のジェンダー化と感情
では,感情や生殖の場合はどうか。実は,Acker は上記のように組織のジェ ンダー化を促す要素としてセクシュアリティや感情,生殖を挙げつつも,感 情や生殖については具体的な議論を展開していない。そこで,ここでは感情 を取り上げて,Kanter の実証的な事例研究から示唆される点を用いて,感情 が如何なる形で組織のジェンダー化を促す要素になっているのか―もっと 言えば,感情が如何に組織で「女性」が活躍できない状況を作り出すことに 荷担しているのか―を検討しておきたい(9)。なお,なぜ Kanter の実証的な 事例研究から得られる示唆を用いるのかと言うと,彼女の研究は,焦点を構 造的問題に絞る一方で,組織における感情(性)についても様々な示唆を残 しているからである。
まず Kanter は,感情(性)が「女性(性)」と結び付けられているステレ オタイプに着目し,それがもとになって性別のラインに沿った形で組織内の 職務が峻別されてきたことを次のように見事に描き出している:
20世紀の大半の間,合理性という「男性的倫理」が経営管理の精神を支 配し,経営者役割に決定的なイメージをもたらしてきた。……そのよう な男性的なイメージはまた,経営管理における女性の位置を決める根拠 を提供してきた。たとえ少しでも経営管理に女性の位置がある場合,そ れは,女性に付いたステレオタイプに従って,意思決定に関連する職務 よりも,感情的に細やかな調整をする人事のような人を扱う職務であっ た。(Kanter 1977: 25)
このように,「女性(性)=感情(性)」というステレオタイプの影響を強 く受け,日常の組織過程を通して,組織構造は性別によって二項対立化して いく。感情(性)を排除した合理的判断を求められる上位職は「男性」に,
そして「女性」は感情性を帯びた職務に配属されれば,それによって「男性
=合理的役割」,「女性=情緒的役割」というイメージがいっそう強固になり,
これが翻って組織における男女の職務区別を正当化することになる。実際 Kanter は,「組織において最も浸透している女性のステレオタイプは,女性 が『感情的すぎる』というものである」(Kanter 1977: 25)と述べ,その対極 にいる男性のみに「合理的である」というイメージが付き,この「感情説」
(とあえて呼んでおくが)はイデオロギー化していることを示唆している。男 性的価値観にもとづいた合理的組織における「合理的な管理者」イメージ,
それを情緒的にサポートする役,これらは男女の区別から始まり,「感情説」
によって正当化され強化されたものである。結局,情緒性のイメージと結び ついた「女性」は感情とともにいっそう支配中枢から除外され,常にそのサ ポート役に回るようになる。例えば,重役は「男性」でその秘書は「女性」,
医師は「男性」で看護師は「女性」,パイロットは「男性」で客室乗務員は
「女性」といった日常化した組織の職務構造は,いずれも合理的意思決定者は
「男性」,その情緒的サポート役が「女性」という構図になっている。「女性」
は組織では従属的 ・ 補助的な存在であり活躍できないことが,ここでもわか る。
また,「女性」が情緒性を期待される職務に配属されることは,人の話をよ り聞かなくてはならない,サポートしなければならないことを意味し,毎日 の相互行為を通じて「男性=話し手 ・ 主行為者(上位)」,「女性=聞き手 ・ サ ポート役(下位)」というジェンダー関係が維持されることになる。例えば,
(「女性」がマジョリティを占める)看護師だが,(「男性」がマジョリティの)
医師の決定を聞かずに職務をおこなうことはできないわけで,日常の相互行 為が男性優位のジェンダー関係の維持 ・ 強化につながっている。
そして,これらの過程を通じて,「男性」は意思決定的 ・ 合理的,「女性」
は情緒的というアイデンティティ形成へとつながり,職種選択/コース選択 の時点で,女性/男性個々で自分のジェンダー ・ アイデンティティに適した4 4 4 仕事を自ら選択するようになっているかもしれない。客室乗務員や看護師が
「女性」のあこがれであり矜持を覚える職になっていることからも,男女の区 別,イデオロギーによる正当化,相互行為による強化によって作り出された 男性優位のジェンダー関係は,個人のアイデンティティ形成にまで浸透して いることがわかるだろう。
さらに,組織を支える基礎構造において,「女性」は生殖 ・ 育児役にまわる ことが多いゆえ,組織によりコミットしない形,すなわちパートタイム職の ような最も下位の職を埋めることになる。
以上は,イデオロギー,あるいは文化的価値観としての(「女性(性)」と 結びついた)感情が組織のジェンダー化を促す要素であると考えられること を試み論的に示したものである。「女性(性)=感情(性)」があまりにも自 然に見えるため,それに従って二項的性別に沿った区別ができ,組織活動が なされ,そのことが結局アイデンティティレベルにまで浸透している。そし て,感情が合理的組織において,合理性と比べ価値が貶められていたため(ゆ えに排除されていたため),構成される組織のジェンダー関係も,「女性」が 低められる形になるのである。だから,「女性」は「なるべくして」組織で活 躍できないと言える。主に「女性」が「感情労働」職(Hochschild 1983)で ある客室乗務員や看護師,スーパーのレジ係などに就いている事実―言い
換えれば,「女性」が組織において補助的な役割にとどまっている事実,「女 性」が組織において活躍していない事実―は,一見すると,私的領域にお ける男女の支配関係の焼き写しに見えるが,このような組織のジェンダー関 係は上記で見てきた複雑な組織過程 ・ 日常の組織実践を通じて達成されてい ることなのである。セクシュアリティや感情は(そして恐らく生殖も),そう した組織のジェンダー化を促す要素として重要な役割を果たしている。なぜ
「女性」が組織で活躍できないのか,という問いは,こうした組織自体がジェ ンダー化過程であるという事実を認識するところから考えていかねばならな いのである(10)。
3.4 「ジェンダー化された組織」論の実証的成果
Acker が理論的な整理をし,ジェンダー中立を想定した組織観に代わる分 析枠組みとして提示した以上の「ジェンダー化された組織」論は,その後少 しずつ実証的成果を生み出し始めており(例えばHall 1993; Lewis and Morgan 1994; Williams 1995; Britton 1997; Ollilainen 2000),いっそうの理論的な精緻 化も進められている(Britton 2000)。本項では,そうした成果の中でも,最 初の本格的な実証的組織研究といえる Jennifer Pierce(1995)の成果を確認 しておきたい(11)。
Pierce は Acker の枠組みを参照しつつ,男性優位の形でジェンダー化され た組織構造がそれぞれの職務のありようをかたちづくると同時に,そうした 職務を日々行うことが性別で分離された構造を再生産することを,巨大法律 事務所における参与観察と聞き取り調査にもとづいて実証的に示している。
具体的に,訴訟を専門にする弁護士は「ランボー(Rambo Litigator,映画
『ランボー』の主人公のようにマッチョということ)」と称され,「男の仕事」
とみなされているのは,単にそれが「男性」によって占められているからで はない―確かに,訴訟弁護士の多くは「男性」ではあるが,Kanter の想定 とは異なり,それは数の問題ではないと Pierce は言うのである。むしろ訴訟 弁護士が訴訟に勝つために説得的であることの演出として怒りや攻撃性の感
情を巧みに表出するというマッチョな演技を日々職務として行うことを通じ て,訴訟弁護が「男の仕事」として暗に呈示され,その「男の仕事」として のステータスが再生産されるからだという。こうした訴訟弁護に要求される マッチョな感情労働は「男らしさ」に結びついているため,訴訟弁護士には
「男性」が好まれ,この領域を選択した女性弁護士は男性弁護士が経験しない 困難に直面し,結果として「女性」は活躍できないのである。
また,Pierce が調査した巨大弁護士事務所において弁護士を補助する職で あるパラリーガルは「母親業 mothering paralegal」と称され,「女の仕事」
とされていた。ただし,それは単にパラリーガルが「女性」によって占めら れているからではなかった―確かに,多くのパラリーガルは「女性」であっ たが,Knater の想定とは異なり,それは数の問題でないと Pierce は言うの である。むしろパラリーガルが,まるで献身的で愛情あふれる母や妻のよう に弁護士の感情に気を配ることも職務として期待され(12),実際にその職務を日々 行うことを通じて,それを「女の仕事」として再生産しているからだという のである。
このように,弁護士事務所という組織はジェンダー化過程であり,イデオ ロギー的に男性優位のジェンダー関係が正当化され,日々の相互行為によっ て男女の支配関係が生産 ・ 維持 ・ 再生産されていることを,Pierce は実証的 に明るみに出した。こうした Acker の見方を支持する実証的な成果が積み上 げられつつある。では改めて問おう。なぜ「女性」が組織で活躍できないの か。それは,組織構造だけの問題ではない。そもそも組織は男性優位の形で ジェンダー化されており,組織過程を通して「女性」が従属的 ・ 補助的な存 在として作り上げられていることも考慮しなければ,その解は見出せないの である。
4 結語に代えて
以上,なぜ「女性」が組織で活躍できないのか,という問いに関して(組
織)理論的に検討してきた。まず Kanter が示した「組織構造問題」説と呼 べる枠組みでは,組織構造の問題,より具体的には数構造 ・ 機会構造 ・ 権力 構造の不公正さが,「女性」が組織で活躍できない要因として見出されたもの の,その後の実証的な検証によって組織構造の問題(は確かに重要だが,そ れ)だけで「女性」が組織で活躍できないことの全てを説明し切ることは難 しいことを確かめた。別の言い方をするならば,Kanter が想定したとおりな らば,数構造 ・ 機会構造 ・ 権力構造を男女公正にすれば―例えば男女の数 を同じにすれば―組織における男女差はなくなり,当然「女性」も組織で 活躍できるようになるはずなのだが,現実としてそうはなっていなかったの である。次に,Kanter の「組織構造問題」説を批判的に乗り越えるべく Acker によって提示された「ジェンダー化された組織」論という枠組みによって「女 性」が組織で活躍できない要因を理論的に検討した。端的にまとめるなら,
組織はジェンダー化過程と見なすことができ,イデオロギー的に男性優位の ジェンダー関係が正当化され,日々の相互行為を通して男女の支配関係が組 織において生産 ・ 維持 ・ 再生産されていることが見えてきた。つまるところ,
組織過程を通じて,「女性」は組織で補助的な存在として(活躍できない存在 として)作り上げられていることになるわけだ。この見方からすると,単に 組織構造を変革すれば―例えば女性管理職の数を増やせば―「女性」が 組織で活躍できるとは限らないことになる。必要なのは,組織が日々組織過 程を通じてどのようにジェンダー化されているかを分析的に明るみに出し,
最終的には「ジェンダー化過程としての組織」を相対化することである。な ぜなら,現状の男性優位の形でジェンダー化された組織では,「女性」は活躍 できないことが「運命付けられている」からである。
第二次安倍内閣が「女性の活躍」を掲げたことをきっかけにして,本稿で は,「女性」が組織で活躍できてこなかった要因を「ジェンダー化された組 織」論を導入して考えてきた。上場企業の役員ポストへの女性登用,待機児 童の解消,「3年育休」と子育て後の再就職支援といった安部内閣の具体的な 方策の一つ一つを「ジェンダー化された組織」論から見直してみると,女性
雇用労働者の数だけは増えそうであるが,組織で彼女たちの力が発揮される とはとても思えないことがわかる。だとすると,安部内閣はどのような意味 で「女性の活躍」を主張しているのだろうか。女性雇用労働者の数がただ増 えただけでは「活躍」とは言えないはずだ。「女性」が組織で活躍できるよう にするための方策を心から望みたい。そのためにも,なぜ「女性」が組織で 活躍できないのかという問いをこうした(組織)理論的に検討することには 意義があるのだ。
注
(1)ここで挙げられている「女性の活躍」のための具体的方策が呈する問題に ついてはあえて指摘しない。というのも,「3年育休」など,偏見をベースに した方策に対していちいちその問題性を指摘するまでもないように思われる からだ。
(2)女性を「 」で括る理由は,あくまでも女性雇用労働者を集団(女性と いうカテゴリーで括られる人々)として見た場合の意味で用いたいからであ る。個々に見れば活躍している女性ももちろんいるわけだが,集団として見 た場合,やはりまだまだと言わざるを得ない状況がある。
(3)例えば木本喜美子(2003)や乙部由子(2010),武石恵美子編(2009)など 多数ある。
(4)Kanter の研究は実証的な意義だけでなく,組織論に対する批判的な意義も 持ち合わせている。というのも,Kanter は,組織論が「女性」の非活用を正 当化してきたことを次のように批判しているからだ。すなわち,「初期の合理 的〔筆者注:組織〕モデルおよび人間関係論は,経営管理における卓越した 職をほとんど独占的に男性が占めている事実と合致して,『男性的倫理(mas- culine ethic)』としての潜在的な機能を持っているように見ることもできる 経営的視点を支持する傾向があった。経営的合理性に焦点を合わせることは また,権力的地位に女性──すなわち感情的な人種(the bearers of emotion)
―がいないことも正当化できたのである」(Kanter[1975]1981: 407)とい う。なお,「男性的倫理」とは,管理者の資質で,男性に備わっていると考え られていたもので,例えば,論理的に状況を分析把握し計画する能力,問題 が出てきても動揺せず的確な意思決定による問題解決ができる能力,個人的,
感情的な考えを排除する能力,などが挙げられる。これは一種の理念型であ
るにもかかわらず,女性が管理職に就こうとするとこれらの資質が実際に求 められ,なければ排除の理由にされるという,排除原理になっていたと Kanter は主張する(Kanter 1977: 22-23)。
(5)組織構造のみにジェンダー関係の不公正さの原因を負わせた理由はもうひ とつあるように思われる。それは(読み込みすぎかもしれないが),支配者側 の頑固な男たちを責めないことで,組織にジェンダー問題があること自体を もみ消されないように配慮した,という理由である。組織論では Max Weber の根強い影響による合理的組織観が強固であり,組織を「普遍的,性別中立 の道具」であるとみなす力はかなり大きく,ここではとにかく男性(研究者)
に受け入れられやすい形で,組織におけるジェンダー関係の不公正さを示す ことに Kanter(1977; [1975]1981)の力点は置かれていたような気がする。
(6)Kanter は組織文化が男性優位なものであると示唆するものの,それが組織 において男性優位の状況を作り出す強い要因とは考えていない。組織文化が 不公正なジェンダー関係構成の要素であることは現在では様々な研究者によっ て指摘されているが(Morgan 1997),この点でも Kanter は構造上の要因に 執着しすぎたと思われる。
(7)なお,男女雇用労働者のこうした組織経験を部分的には職業 ・ 職務の特性 という要因から説明することもできると思われるが,それだけの問題として 考えてはならない。というのも,後述する Acker の理論でもわかるように,
そうした職業 ・ 職務特性自体が組織過程を通じて作られている側面があるか らだ。
(8)なお,第5形式は組織論の外に位置付けられるだろう。実際,Acker(1992a)
では第5形式をはずして理論化している。
(9)本稿では生殖については検討しないが,近年問題化された「マタニティ ・ ハラスメント」(杉浦 2009)はまさに組織からの生殖の排除が表に出てきた ものと考えられる。「マタニティ ・ ハラスメント」を「ジェンダー化された組 織」論と関連づけて検討することには大きな意義があると考えられ,これは 今後の課題としたい。
(10)やや余談になるが,ここまで展開していた議論とは異なる視点―すなわ ち,感情社会学の視点―を援用して,組織における感情実践(感情を表出 したり隠したりすること)が男性優位のジェンダー関係の生産 ・ 維持 ・ 再生 産を促し,結果として「女性」が組織で活躍できなくなっているのではない か,という仮説を試論的に示し,検討しておきたい。
Donald Gibson(1997)は自身の実証研究によって,1)組織において「怒
り」の感情表出がより許容される傾向があることを指摘した。これは男性的 価値観(masculine values)からすると「怒り」=「強さ」を表し,攻撃的 に主張する能力として肯定的にみなされるためである,と Gibson は解釈 ・ 説 明する。一方で,Theodore Kemper(1978)の構造的感情生成モデルでは,
2)地位が不当に低められると「怒り」の感情につながるとしている。ここ で1)と2)を合わせて考えると,次の仮説にたどり着く。すなわち,地位 が不当に低められたことで「怒り」の感情を覚えたとき,「怒り」の巧妙な表 出は「強さ」を表すものと解釈されるため,「怒り」の感情をうまく表出する ことで,むしろ望ましい組織的地位を得ることにつながるかもしれない(Tie- dens 2000),というものである。
しかしながら,この仮説は恐らく「男性」の場合にしか当てはまらないだ ろう。なぜなら,組織的文脈が男性的価値観によって構成されている―換 言すれば,組織がそのようにジェンダー化されている―ため,組織におい て「怒り」の表出が許容されるのはあくまでも「男性」に対してだけである ことが推論できるからである。むしろ3)規範的に「女性」は「怒り」を表 に出すべきではないとされ,「女性」の「怒り」の表出はサンクションの対象 になりうるのである(Ollilainen 2000)。ちなみに,Marjukka Ollilainen は,
組織的文脈では「泣き出す」という感情表出は許容されていないことも指摘 している。これも,男性的価値観からすると「泣く」=「弱さ」を表し,そ れが許されないということは,組織が男性的価値観によって構成されている ことを端的に示しているだろう。
他方,「女性」は組織構造上,下位に位置することが多い──たとえ同じラ ンクであっても,(下位的な)サポート役にまわされることも多い。地位が不 当に低いと解釈できると「怒り」の感情につながると予測する Kemper モデ ルからすると,4)「女性」のほうが(「男性」よりも)頻繁に「怒り」の感 情を持つことが予測できる。ここで3)と4)から示唆される仮説は非常に 興味深い。すなわち,「女性」は構造的により頻繁に「怒り」を感じながら,4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 規範的にはそれを抑制しなくてはならない4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4──「女性」は,「感情の二重危険4 4 4 4 4 4 4
(double jeopardy)」に晒されていることになるのではないか,ということで ある。Ollilainen は,次のように主張する:
ある種の感情を適切なものとして含み,ある種の感情を不適切であると 排除することは,適切な感情を表出する人々を優位にし,不適切な感情 を表出する──と思われる──人々を無力にし,周辺的な地位に追いや
るのである。ジェンダーはまさにこの過程の不可欠な部分であり,だか ら我々はジェンダーを分析することなしに,感情を完全に理解できない だろう。(Ollilainen 2000: 85)
Ollilainen は,感情がジェンダーによって「色づけ」されていて,同じ感情 でも,男性的価値観にもとづいて構成された組織的文脈においては,表出す る人の性別によってその意味が異なり──特に「女性」の感情表出は否定的 に解釈されがちで──それが翻って組織的文脈に適切な4 4 4ジェンダー関係を作 り出すことを,チーム作業集団を対象にした実証的な研究で発見した。実際,
Ollilainen が観察したチーム作業集団では,「女性」はできるだけ自分をおさ え,聞き役にまわっていたのである。感情そのものがジェンダー実践である4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4
──換言すれば,感情を表出したり隠したりすることがジェンダー関係を構 成する──ことが,明らかに見て取れる。組織的文脈が男性的価値観によっ て構成されているため,例えば「攻撃性(aggressiveness)」=自信の表れ,
のような感情は「男性」にとっては許されるものであっても,規範的に攻撃 的になることが許容されていない「女性」にとっては,自分の地位を脅かす ことにもなりかねない。すなわち,有能なビジネスパーソンであることを示 すために,「攻撃性」=自信感情を表出すべきだが,一方で「攻撃性」を表す ことで「人として」―ただし,「人」ではなくこの場合「女性」なのだが─
─信頼を失う可能性もある。Kanter(1977)は,20年以上も前にこの事実を 示唆していた──女性管理者は,感情の表出が男性管理者に許されていなが ら,自分たちには許されないことに不満を述べている事実を挙げているので ある。いずれにせよ,だから「女性」は組織で活躍できないのだ,という推 論を感情社会学からも導き出せるのである。
(11)詳細な紹介は三橋(2006)を参照のこと。
(12)こうした職務期待から,雇い主はパラリーガル職に「女性」を好むという。
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(2014年1月24日受理,2014年2月8日採択)