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造寺造塔活動について 高

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1

古代タキシラにおける 造寺造塔活動について

 古代都市タキシラは、現在のパキスタンの首都イスラマバードの北西30キロの地点にあり、

ラホール=ラワルピンディーからペシャワールに至る幹線道路上に位置する。広義の意味での ガンダーラ地方の東の端に位置する都市である。東にはマーリー山岳地帯が北から南に走り、

自然の要害を為し、近くに流れるタムラーナラー川とルンディーナーラー川が飲料水と灌滅農 耕用の水を供給し、この古代都市の発展を促したとされる。この古代都市は、BC 2世紀以前 のアケメネス朝ペルシャの時代から西暦紀元1−2世紀のクシャン王朝期までの長い時代、北 インドの重要都市として栄えた。この都市には、ビール・マウンド、シルカップ、シルスフと

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法華文化研究(第32弓)

いう3つの都市跡がある。ビール・マウンドはアケメネス朝ペルシャ時代からインド・ギリシ アの時代の都市跡で、主にパルティア時代から初期のクシャン朝にかけて栄えた都市がシルカッ プの遺跡とされ、シルスフはクシャン朝期の都市跡とされるが、発掘調査は城壁の・部が明ら かにされたにすきない。これらの都市遺跡の中でも、以下に検証するように、インド・ギリシ ア時代後期〜クシャン期のシルカップ遺跡1では特徴的な石積み法が行われ、更に周辺地域 の仏教遺跡も同様な石積み法が用いられており、その特徴的石積み法の違いで大まかな建立の 年代を知ることが出来る、とされている。この小論では、タキシラのシルカツブ遺跡とその周 辺地域における、仏教寺院における造芋造塔活動をSir John Nlarshallの報告書Tax/aを精 査することを通じ検証し、初期大乗経典の法華経に見られる造塔供養という供養法の物質的背 景について検証することを試みてみたい。

〈古代都市タキシラで用いられた石積み法〉

 タキシラで用いられた石積み法について、マーシャルは以下のような4種の時代の異なる石 積み法が用いられていることを指摘している。

 S前1世紀中葉頃以降の石積み法:野石積み(大きなゴロ石の問に小さな石を詰めて積む方

  法)。

 ②1世紀後半以降の石積み法:小ダイアパー積み(表面を平らにした比較的小さな玉石と玉   石の問に小さな板石を重ねて詰める石積み法)。

 ③2世紀以降の石積み法:大ダイアパー積み(表面を rらにした比較的大きな.E石と玉石の   間に重ねた板石を積む石積み法)。

 ④紀元3世紀から5世紀にかけて行われた石積み法:セミ・アシュラー積み(ダイアパー積   みと切石[アシュラー]積みを組み合わせて交互に配する石積み法。

 従って、タキシラとその周辺地域では、この石積み法から寺院や仏塔の一応の造営年代を推 測することが可能とされている一。

〈シルカップ〉

 シルカップの遺跡では、大型のチャイティヤ堂1基とストゥーパが9基発見されている。そ れらの中でも特に増広・再建の様相を顕著に示しているのは、メイン・ストリートを北門から 110メートルいった地点に位置するチャイティヤ堂(制底堂)である。前面が41メートル・奥 行きが69メートルある境内の中央に建ち、基壇はサカ時代後期の建造物の破片層のLに築かれ、

石積みはダイアパー積みが用いられている。このチャイティヤ堂は、紀元30年頃タキシラ市を 襲った大地震直後に再建されたものとされているL㌔

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占代タキシラにおける造寺造塔活動について〔高橋)

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図2

〈クナーラ塔〉

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      図3

は3〜4世紀のセミ・アシャラー積みの石積みで建てられているので、3〜4世紀の建立と考 えられる。しかし、調査途中で、その塔の北西部分から、高さが2.9m(基壇部1.35m、胴部 0.65m、伏鉢部が0.9m)で、荒い石積みの上に石灰のプラスターで覆った構造のサカ=パルティ

ア時代の小塔が発見された。従って、このクナーラ塔では、サカ=パルティア時代の小塔が元々 あり、このサカ=パルティア時代の小塔を覆う形で3〜4世紀の頃にセミ・アシャラー積みの 石積みで拡張工事が施されていたことが判明している」。

 シルカップの遺跡の南端の パティヤール山塊の一部を為 す丘のhに建てられている塔 が、アショーカーEの息子ク ナーラに因んだ因縁潭を有す るクナーラ塔である。塔の基 壇部は、東西19.125m、南北 31.5mの規模で、3段から成 る基壇を有し、最下段が高さ 約lm、2段nが68.75cm、

総じて最上段の高さは最ド段 の3倍程の高さとなっている。

 この塔と塔に付随する僧院

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4 法華文化研究(第32号)

〈シルカップにおけるその他の仏塔〉

 ストゥーパ1Aは、メインストリートのAブロックにある9.82m四方の方形基壇を有するス トゥーパで、南北33m×東西28〜29mの境内域の中央に建立されている。このストゥーパの 内部からは、アポロドトスニLttの貨幣とアゼスニ世の貨幣3枚が発見されており、1世紀初頭 の後期サカ時代に建立されたものと推測されているi。

 メインストリートの右側に存在するストゥーパ1Eaは、野石積みの建物にカンジュール石の 覆いが施され、その上にストッコでアーカンサスのモチーフが描かれたストゥーパであった。

従って、このストゥーパは、元々は紀元30年頃タキシラをおそった大地震以前の建造物で、隣 のEbの建物が再建された第H地層の時代に、ストゥーパにアーカンサスの装飾が施された、

とされている1.。

 更に、シルカップの仏塔で有名なものは、双頭鷲のストゥーパとして知られるストゥーパ 1Fである。階段部を含めて、南」ヒ6.55m、東西7.8mの基壇ヒに円筒形のストゥーバが設けら れていたと考えられており、この基壇部は、サカ時代の石積みの上に、カンジュール石の覆い が施されている構造である。このストゥーパの周りの壁と、そのストゥーパ前に設けられてい る4つの部屋はサカ時代の石積みによって建てられたものである,カンジュール石の表面の彫 刻の上に当初は緻密なストッコのコーティングが付されていたが、後に粗いコーティングが施 されたと報告されている、一部は赤や黄色の色が施されていたことも見いだせる.。従って、

ここでも、ユ世紀初頭のサカ時代に創建されたが、後の時代に増広整備される、というプロセ スを経ている,

 その基壇が東西6m、南北4.125mのストゥーパ1Gからは、舎利室からサカllアゼスの銅貨 8枚が出土している、このことから、このストゥーパがサカ時代の創建であることが判明して いる。更に、ストゥーパ1C はダイアパー積みの基壇部の壁にカンジュール石の覆いを付けた 形のものであり、これも1世紀以降のサカ=パルティア時代の建立されたものである。そして、

ストゥーパ1EIは、東西10.8m、南北12mの基壇を有する仏塔であるが、その内部は菱形にト 字を組み合わせた支壁が設けられており、ダイアパー積みで積まれており、1世紀以降の成立

と考えられる/:

 以上、シルカップのチャイティヤ堂とストゥーパ群の代表的なものを概観したが、その殆ど が1世紀以前の建造物が紀元30年頃タキシラ市を襲った大地震によって破壊され、その直後、

あまり時間をおかずして再建されている様が伺えた。では、周辺地域に散在していた僧伽藍で は事態はどうであったのかを検証してみようと思う。先ず、西北インドにおけるインド式仏塔 の代表とされるダルマラージカー大塔の様子を検証してみよう。

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古代タキシラにおける造寺造塔活動について(高橋) 5

〈ダルマラージカー大塔〉

  ダルマラージ  カー大塔とその僧  院群は、パティ  ヤール山塊の南面   とタムラーナラー  川との間に位置す  る。塔は、直径が  東西に約45メート  ル、南北に約43.5  メートルあり、高   さは13.7メートル  ある、大塔という  呼び名に相応しい  塔である。この塔        図4      は、アショーカ王 時代までは遡ることは出来ないものの、紀元前1世紀以前の時代に既に存在していた塔に、紀 元前1世紀中葉頃、大塔の周りに12基の小塔群が設けられた、という。更に、1世紀の初頭に あった大地震によってこの大塔が破壊された後に、大塔の内部の中央部分に16本の支壁を放射 状に配する構造で再建された、という。そして、フヴィシカ王〜ヴァースデーヴァ王の頃、セ ミ・アシュラー積みでテラスと四方に階段が付されている。また、4〜5世紀に大塔の胴部の 基壇に石細工の装飾の帯が加えられた、と報告されている(s)。

続 道

 大塔の続道には、主に4回の改修の跡が見受けられる。まず、最初期には、川砂に石灰を混 ぜた床に貝飾りで幾何学模様を描いて漆喰で埋め込んだ床が敷かれていた、という。その上に 漆喰の床が敷かれ、それが、多分1〜2世紀に25センチ四方で、厚さ約2.5センチの空色、黒、

黄色のガラスタイルの床に葺き替えられた、という(9)。そして、4〜5世紀にガラスタイル が取り除かれ、濃い灰色のスレートで再度敷き替えられているu%

続道の周囲

 紀元前1世紀半ばから1世紀の半ばにかけて、大塔を取り囲むように12基の小塔が設けられ たが、それらは、1世紀にタキシラを襲った地震によって崩壊したと考えられている。すると、

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6 法華文化研究(第32引

その小塔群の瓦礫の上に、初期ダイアパー積みの祠堂群が設けられた、という,当初は、祠堂 と祠堂との間にはスペースを十二分にとって建築が為されていたが、次第にその間の隙間にも 祠堂を設けるようになり、大塔を祠堂の輪が取り囲むという形態に変わっていった、とい

う1㌧

僧院群

 大塔に付随する僧院群に関しては、東西に一列に設けられた僧房群E1、 E2、 F1−F3、 T2−

T7は、1−2世紀に方形僧房が導入される以前のもの、とされている1∵僧院E1−E2、 F1−

F3、 T2−T7、 V1−V5、 W1−W5では後期サカ時代の野石積みが、ダイアパーで補修された ものi 3とされる。更に、ダルマラージカーの方形僧院は、タキシラで最初期のものとされ、

セミ・アシュラー積みで建築されている。従って、ダルマラージカーの僧院群は、1世紀以前 の僧院群と1世紀以前のものが1世紀に補修された僧院群と、3世紀頃建立された方形僧院か

ら成り、規模の拡大に伴い着実に増広されていた模様を示している。

大塔の周辺部

 ストゥーパK1の東には貯水タンクがあった。この貯水タンクはサカ時代のものであったが、

カニシュカ王〜ヴァースデーヴァ王の時代に埋められ、その場にストゥーパK2、 K3が建てら れている 14。更に、浬梁像が納められている祠堂Hは、紀元後一世紀初頭の地震の後に補強 され、二面に壁が設けられ、又、その回りに壁が設けられて饒道が作られ、そして玄関が設け られた、という 〜。1世紀の終わり頃から2世紀かけて、外側の祠堂群(Outer Ring Chap−

els)が設けられ、同時期にL、 R1、12、13、 G1−G7、 M2−M9、祠堂Hの増広部、ストゥー パM7、 M10、 M16、 P1、 N8、 N7、 D4の増広部が設けられた lu。3−5世紀には、祠堂N16、

S3、 S10、祠堂P2、 P2a、 P4、 P5、 P7、祠堂N6、 N15、 N17、 N27、 N28が建立されている。

 以上、ダルマラージカーでは紀元1世紀から3世紀にかけて、活発な造寺造塔増広活動が見 受けられ、この大塔を中心とする仏教遺跡群の維持管理に莫大な富が動いていた様子を確認す ることが出来た。では、タキシラの町を取り巻く寺院群や山岳地帯に散在していた寺院群では 如何なる様子であったのか?次にこのことを、検証してみようと思う。

〈チール・トープA−D>

 ダルマラージカー大塔の付近にあるのが、チール・トープ(Chir Tope)A−Dという仏教 遺跡である。これらは、いずれも、紀元40年から150年頃のダイアパー積みで建立された建造 物である、という.17.。チール・トープAは、南北約30メートル、東西約40メートルの僧院と、

(7)

古代タキシラにおける造寺造塔活動について(高橋) 7

その西側に存在する基壇部が約10メートル四方のストゥーパから成る。ここでは、すべてがダ イアパー積みの構築物であると報告されているu8)。チール・トープB(Akhauri)では、東西 50メートル、南北約42メートルの僧院がクシャン時代のダイアパー積みで建造され、北側の内 庭Court Eは、後にセミ・アシュラー積みで増広された部分である⑲。チール・トープBの ストゥーパAは2世紀の粗いダイアパーで造られ、北側のストゥーパA6、祠堂Bl−B5も同 時代のもの、とされている。チール・卜一ブCのストゥーパはダイアパー積みのものであるが、

僧院は、南北約42メートル、東西51メートルの規模で、ダイアパー積みによって構築されたも のが後に3−4世紀の粗いセミ・アシュラー積みで建てかえられているω。最後に、チール・

トープDには、2つの僧院が存在し、両者とも2世紀頃の粗いダイアパー積みで出来ている。

この遺構からは、323枚の貨幣が発見されているがヴァースデーヴァ以降のものは一枚のみで あることから、この遺跡は、クシャン初期からヴァースデーヴァ王までの間に栄えた遺跡であ ることが知られている⑳。

〈カラワーン〉

 タキシラで最大、北インドでも最大級 の規模の僧伽藍といわれるのが、ダルマ ラージカーから南南東に約2キロ、ビー ル・マウンドから3キロの地点にあるカ ラワーンの伽藍である。ハティヤール山 塊の南に平行してはしるマーガラ山脈の 北面の急な山腹につきでた3つの岩のテ ラス上に建てられている。基本的な構造 として、北側に塔院が設けられ、南側の 3つの異なったレヴェルに僧院が建てら

れた形式から成っている(za)。

       図5 塔 院

 塔院における主塔A4は、約11メートル四方の規模の方形基壇を有する。石積みは、当初、

塔の壁は小ダイアパー積みで作られていたが、その後3世紀頃に大ダイアパー積みで補修され ている。更に、4−5世紀にカンジュール石で出来たコリント式壁柱を配したセミ・アシュラー 積みの土台が基壇の回りに築かれている㈱。

 主塔の東隣のストゥーパ12は、小ダイアパー積みの上に、カンジュール石を張り付け、その うえに石灰の漆喰を塗り付けたもので、主塔と同時代のものとされる偽)。

(8)

8 法華文化研究(第32号)

 更に、主塔の西隣のチャイティヤ堂A14は3回もの増広を経ている、という。先ず、ストゥー パ室とポーチと階段が建てられた、という。次ぎに、その階段を取り囲むように、新たなポー チが小ダイアパー積みで設けられた。そして、最後に内陣の外にセミ・アシュラー積みの祠堂

がつけ加えられている(25)。

 塔院の東の角には、チャィティヤ堂A1、 A13、祠堂A15、 A16、 A17が存する。優婆夷チャ ンドラビーの寄進によって建立された八角形の内陣を有するA1は、主塔と同じ小ダイアパー 積みで建てられている。崩れた瓦礫の上に直接に壁が建てられていることから、この特徴的な 制底堂は建立された直後に一度地震のような大きな力で破壊され、再び建て直されていたこと

も知られているt26)。

 塔院Aの南側のテラスと祠堂A18−A26と小ストゥーパA23でも、主塔と同時代の建造物が、

その後の粗いダイアパー積みやセミ・アシュラー積みで補修されている、という。

僧院群

 僧院CとFは、主塔と同時代の小ダイアパー積みの構造物とされている(27)。更に、39m×

40mの規模を有する僧院Bは、後の時代のセミ・アシュラー積みで建てられている(2s 。

 以上のように、カラワーンの塔院は主塔A4と同じ頃の1世紀頃建立され、その後3世紀頃 に増広され、4−5世紀に再び改築を経ていることが明らかである。僧院も、1世紀頃の小ダ イアパー積みの僧院が二つあり、後に4−5世紀になってセミ・アシュラー積みの僧院Bが建 立され、増築されている。更に、優婆夷チャンドラビーが寄進したチャイティヤ堂のケースの ように、社会の浮遊者がその

富を十二分に仏塔再建に用い たケースも見受けられ、その 経済基盤の豊かさを想像する

ことが出来る。

〈ギ リ〉

 カラワーンから東へ約2キ ロの地点に、クッラム・プ ラーチャーとクッラム・グ ジャールという村があり、そ の間の谷を遡って行くとギリ

の谷に至るが、ギリの谷の泉 図6

(9)

古代タキシラにおける造寺造塔活動について〔高橋) 9

のすぐ上方の山のスロープのテラス上に僧院BとストゥーパAがあり、その谷間の西側にストゥー パC、僧院D、僧院Eが設けられているL Y。ストゥーパAは、1世頃の野石積みの回りをカ ンジユール石で覆い漆喰で仕上げ、コ1」ント柱の装飾を施した18m四方の方形基壇のみ残る.

ストッコの装飾はない n。僧院Bは、セミ・アシュラー積みの建造物であることが確認され ている11。そして、ストゥーパC、僧院Dと僧院Eは、パルティア或は初期クシャン時代の ダイアパー積みで最建てられ、後期のセミ・アシュラー積み(4−5世紀)で大規模に再建さ れている㌔

〈ガ イ〉

 ガイの僧院は、クナーラ塔 から更にヒ方に登ったところ に位置する僧院跡で4−5世 紀のセミ・アシュラー積みで 作られた僧院である、時代的 には、クナーラ塔の僧院と同 時代のもの、と考えられてい る』:また、ルンディーナー ラー川の北岸で、ギリシア寺 院ジャンディアールから200 メートルほどいったところに

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図7

あるマウンドAとBに仏教の僧院と塔が存する。マウンドBの塔は、最初、南側に階段のある 約10メートル四方の方形基壇を有していたものであったが、後に直径約10メートルの円形の基 壇に改築された.サカ;パルティア時代に建設されたものが、3−4世紀に改築されたもの、

とされているSス。         辮購響写  糊嚥゜ぷ灘

〈モーラ・モラードゥー〉

 クシャンの都シルスフから東南に 1.6キロに位置し、山中に少し入っ た谷間にある山寺がモーラ・モラー ドゥーである。この遺跡は、西の塔 院と東の僧院から成る。その大塔は、

東西20メートル、南北78メートル、

高さ約5メートルの方形基壇を有し、 図8

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10 法華文化研究(第32号)

その中心部は玉石を詰めたもので表面の壁は2世紀のダイアパー積みで建てられていた。それ が、多分、ストゥッコ像の装飾が為された頃に、後にセミ・アシュラー積みで再築されてい る⑮。その塔の南に、小型のストゥーパがあり、これも紀元2世紀頃のダイアパー積みのも ので、後に大塔同様のストッコの装飾がほどこされた、という㈹。僧院に関しては、最初期 は大塔と同じ紀元2世紀頃のダイアパー積みで建てられ、4世紀頃にセミ・アシュラー積みで 修理拡張が為されたことが顕著である、とされる(37)。

〈ジャウリアーン〉

図9

 モーラ・モラードゥーの東 北1,6キロ、高さ90メートル ほどの山の山頂にある伽藍で、

クシャン朝の2世紀以来の塔 院と僧院がセットになった、

タキシラで唯一の中院を有す る形式の寺院である。正門を 入ると祠堂の取り囲む中院に 至り、2世紀の大ダィアパー 積みで建てられ、補修部分が セミ・アシュラー積みで為さ れている。塔院の床は3回敷 き変えられた跡がある。主塔 は2世紀のクシャン初期のもので、後に、セミ・アシュラーで補修されている。奉献塔は塔院 に21基、中院に5基、西側に1基あり。ほとんどがセミ・アシュラー積みの基壇を有すが、A 15のみは主塔と同じ大ダイアパー積みである。祠堂群は総てセミ・アシュラー積みで建立され ている。また、僧院は、最初セミ・アシュラーへの過度期を表す大ダイアパー積みで建てられ ていたが、4−5世紀頃、セミ・アシュラーで補修された(3s)。

 ジャウリアーンは2世紀に建立を見、その後数回の増広を経ている。大ダイアパーやセミ・

アシュラー積みという石積みが見受けられ、2世紀から4−5世紀に至るまで、徐々に封建塔 などが増築された様が顕著に見受けられる。

〈ピッパラ〉

 モーラ・モラードゥーとジャウリアーンとの間の丘にある僧院で、最初の伽藍は後期のパル ティアからクシャン初期のダイアパー積みで作られていた。中庭を30の僧房が囲み、中心にス

(11)

占代タキシラにおける造寺造塔活動について(高橋)

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Hが僧院に取り組まれて、最初期の僧院のストゥー パ(A、B、 C)とその僧院の外壁を残して塔院 とし、更にストゥーパGを新築した。そして、ス

トゥーパKに外壁を設けた、という。

トゥーパを建て、石積みの周壁で囲んだ塔院 とが組み合わされたプランから成る遺跡であ る㌔この僧院について、次のような増広 が確認されている。先ず、後期のパルティア=

初期クシャンの僧院とストゥーパA−E、僧 院の北側のストゥーパK、初期ダイアパー積 みのストゥーパHが存在した。次に、伽藍が 4−5世紀に一時廃娃となる。その後、その 僧院の瓦礫のヒに西側にセミ・アシュラーの

2階建ての新たな僧院が作られ、ストゥーパ      。、seA−.で堺戸ぷ、

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〈ラールチャク〉

      さ  石灰岩のブロックのセミ・アシュラー積みの塔 熱、

院。クナーラ塔の僧院と同時代の4世紀頃のもの。

 5世紀にフン族の進入によって滅

びたらし・・フン繊貨・枚が発r

見されている%

〈バマーラ〉

 シルスフの東16キロ、マーリー山 麓のハロー谷にある塔。4−5世紀 の塔㌔

図11

図12

11

(12)

12 法華文化研究(第32号)

〈おわりに〉

 以上、シルカップの制底堂やストゥーパ群とタキシラ市の周辺にあった仏教伽藍を検証した。

シルカップの仏教遺跡や、ダルマラージカーやカラワーンなど、紀元前のある時期に成立後、

紀元1世紀の初めに地震による破壊を経て再建され、その後の数世紀の間に幾度かの改修・改 築を経ている遺跡や、1−2世紀に成立し3−4世紀に改修・増築・補修工事が施されている 寺院、そして4−5世紀に新たに成立したガイのマウンドA、ラーチャック、バマーラなどの 寺院が認められた。タキシラ市とその周辺地域では、1世紀頃から4−5世紀まで仏教寺院に おける造寺造塔増広活動が頗る顕著であったことが確認された。このような仏教寺院の改修、

造寺造塔増広活動の背景には、寄進者の熱烈な宗教的な熱意と信仰が存在したことを物語って いる。そして、このような造寺造塔増広活動は、概して、古代タキシラにおける仏教信仰を支 えた社会基盤・経済基盤の確立を明示するものでもあると考えられる。社会の富裕者層をして このような造寺造塔増広活動に動か占めた宗教的熱意が、初期大乗仏教に影響し、法華経の方 便品に見られるような「乃至童子戯 聚砂為仏塔」[41・というような造塔供養のエピソードとし て表現されるに至ったのではないか、と考えられるのである。然して、そのような活動に動い た巨額の浄財の存在、即ちサカ=クシャン時代の富裕な社会層の物質的繁栄を基盤とするもの であることは、紛いもないことである。

(1)Sir John Marshall, Taxitα, vol./, reprint, Indological Book House, Delhi,1994, p.79.

  シルッカプの地層

 インド=ギリシア以前  (地層W)

 インド=ギリシア時代  (地層V・VI)

 初期サカ時代      (地層IV)

 後期サカ〜パルティア時代(地層H・皿)

 クシャン時代      (地層1)

(2)Ibid.,Vo1.L pp.137−138.

(3) Ibid., vot./, P.150.

(4) lbid., vol.1, p.350.

(5) Ibid.,vol.1, p.144.

(6) Ibid., vol.1, P.158.

(7) Ibid., Vol.1.,pユ63.

(8) II)id.,vol.1, PP.236−237.

地下5.4m〜6.6m 地下3.9m〜5.4m 地下2.7m〜3.9m 地下0.6m〜2.7m 地表〜地下0.6m

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古代タキシラにおける造寺造塔活動について(高橋)

(9)ガラス・タイルは、一部がダルマラージカーのRoom F1やKalawan遺跡のチャイティ   ヤ堂A1の後室に敷かれ、再利用されている。

(10) lbid.、vol.1, p.239.

(11) /bid,,voLI、, PP.248−249.

(12) Ibid.,voLI, p.246.

(13) ノ bid.、vol.1. P.247.

(14) Ibid.,Vol.1, p.246.

q5) fbid.,VolJ, p.247。

(16) it)id.、vol.1, p.250.

(17) 1bid., voLI, p.315.

(18) lbid.. vo1.1, pp.315−316,

(19) ∫bid.. vol.1, P,317.

(20) Jbid., vol.L p.318.

(21) Ibid., vol.1, PP、319−320.

(22) 1b・id., vol.1, P.323,

(23) /bid., voLI、 p.323.

(24) Ibid., vol.1, p.325,

(25) Ib ild., voLI, p.325.

(26) Ibid., vol.L P.326.

(27) Ibid., vol.L pp.333−334.

(28) lbid., volJ, p.334,

(29) Ibid., vol.1,, pp.343−344.

(30) ノ bid., voLI,, p.343.

(31) Loc. cit・

(32) fbid., vol.1,, p.345.

(33) Ibid.,vo1.L、 PP.353−354.

(34) Ibid., voLI, p.355.

(35) 」「bid., vol.1, P.359.

(36) Loc.cit.

(37) ノ bid., vol.1, P.362.

(38) /bid.. vol.1, PP.369−371.

(39) Ibid., voLI, p.365.

(40) ノtbid., vo1.1, p.388

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(14)

14 法華文化研究(第32号)

(41) ノ『bid., vol.1, p.391.

(42)坂本幸男・岩本裕訳註「法華経』岩波文庫p.115,

図1 図2 図3 図4 図5 図6 図7 図8 図9 図10 図11 図12

Sin John l工arshal

/bid, vol.IH、PL9.

Ibid, vol.皿.pl.86.

乃i∂,vol.nI,pL45,

1bid, vol.皿、pl.72.

Jbid, vol.皿,pL82.

Ibid. vol,皿,pl.89.

fbid, vol.皿.pl.93.

Ibid, vol.m、pl.101.

Ibid. vol.m、pl.98.

∫bid, voLm.pl.112.

Ibid. vol.皿、pl.114.

,Tαx la, voL皿,pl.1.

参照

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