〈
2019
年度 バイオ環境研究科〉博士学位論文の要旨及び審査の結果氏 名 森山 太介
学位の種類 博士(バイオ環境) ・甲(課程博士)第
6
号博士論文題目 コナダニ類由来炭化水素およびギ酸エステルの生合成に 関する研究
主調査委員 清水 伸泰
副調査委員 髙瀬 尚文 金川 貴博 試問委員 藤田 裕之 寳関 淳
論文の概要
本論文は無気門亜目ダニ(コナダニ)の多様な二次代謝物のうち、脂肪族化合物とモ ノテルペンのギ酸エステルに着目し、それらの生合成に関する酵素学的な解析と有機化 学的な手法を用いて生合成経路の解明を目指したものである。
コナダニ類のフェロモン研究は進展しており分泌物の知見が数多く報告されている。
コナダニ類の腹部後方には一対の後胴体部腺が存在し、その分泌物として炭化水素、モ ノテルペン、芳香族化合物など実に多様な化合物が同定されている。今から
45
年前にケ ナガコナダニの警報フェロモンとしてギ酸エステルneryl formate
が同定されたことを皮切 りに、これまで40
種以上のダニで警報・性・集合フェロモンが報告されている。コナダ ニ類に特有の炭化水素として(Z,Z)-6,9-heptadecadiene (以後 6,9-C17
と略す) が知られてお り、コナダニ科を中心に広く分布している。未同定種Tortonia sp.
においては警報フェロ モンとして機能することが分かっている。6,9-C17 はサトウダニの分泌成分でもあり、虫 体を刺激すると警報フェロモンと共に6,9-C17
の分泌量が増加する。6,9-C17 はフェロモ ンとしての機能のほかに多様な揮発成分を混合し、効率的に体外に放出するための溶媒 としての役割に加え、揮発成分の蒸散速度を制御する機能も兼ね備えていると考えられ る 。 コ ナ ダ ニ に 特 徴 的 な 分 泌 物 と し て ギ 酸 エ ス テ ル が 挙 げ ら れ る 。(Z,Z)-8,11-Heptadecadienyl formate (以後 8,11-F17
と略す) はネダニモドキ属の一種ササガワ ダニの新規化合物として近年、同定された。このようにコナダニのフェロモン研究は膨 大な知見が蓄積されている一方で、生合成やそれにかかわる酵素の研究は遅れをとって いる。第一章はサトウダニが分泌する
6,9-C17
の生合成に関する研究である。先行研究により リノール酸から6,9-C17
が誘導されることは分かっているが、その生合成中間体は特定さ れていなかった。キイロショウジョウバエの生合成研究の知見を踏まえて、前駆体をリ ノレイルアルデヒドと予想して研究を進めた。その結果、サトウダニ粗酵素液に基質と してアルデヒドを加え6,9-C17
に変換されることを直接的に証明した。第二章はササガワダニが分泌する
8,11-F17
の生合成に関する研究である。先行研究から、
8,11-F17
はサトウダニの炭化水素と同じくリノール酸から誘導されることと、生合成に
Baeyer-Villiger
酸化反応が関わっていることが示唆されている。第一章と同じ手法を用いて直接的に生合成中間体の特定を行った。
第三章は
neryl formate
分子を形成するギ酸の生成経路に関する研究である。コナダニ類のモノテルペンはメバロン酸経路を経由して合成されることが知られている。しかし、
neryl formate
などのギ酸部分の生合成経路は解明されていなかった。そこで、アミノ酸の代謝経路に着目し、13
C
標識化合物のトレーサー実験によってギ酸の由来について考察し た。その結果、アリで報告された生成経路とは異なるダニ特有の巧妙なギ酸生成経路が 存在することを突き止めた。審査の結果
森山太介氏はコ ナダニ類の後胴体部腺分泌化合物に着目し、それに関わる酵素と生合 成経路について生物有機化学的研究を行った。その過程で
,
コナダニ類が分泌する炭化水素
6,9-C17
と脂肪族ギ酸エステル8,11-F17
の前駆体をコナダニ粗酵素液を用いた実験で証明することができた。また、安定同位体標識化合物を用いたトレーサー実験で、モノテ
ルペン
neryl formate
のギ酸部分の生合成経路に関する新たな知見を得た。第一章では、サトウダニが分泌する
6,9-C17
の前駆体がアルデヒドであることを明らか にした。炭化水素の合成酵素は様々な生物から発見されており、それらは脂肪族アルデ ヒドを基質としている。一方、アメリカマツノキクイムシから同定されたCYP4G55
では 脂肪族アルデヒドに加えてアルコールも生合成に利用することが報告された。今回,サ トウダニの6,9-C17
生合成においては、アルデヒドが直接の生合成前駆体であることを実 験的に証明した。昆虫由来aldehyde decarbonylase
とサトウダニの炭化水素合成酵素を比較 し て み る と 、 両 酵 素 と も 膜 タ ン パ ク 質 で あ る こ と は 共 通 し て い る が 、 ダ ニ の 場 合 はNADPH
やNADH
などの補酵素を要求しないことが示唆された。よって同定を目指す目的酵素は昆虫のものとは異なり、コナダニに特有のものであることが推察された。
第二章では、ササガワダニの分泌する
8,11-F17
の前駆体がアルデヒドであることを明 らかにした。さらに本種で新たに見つかったBaeyer-Villiger
酸化反応はこれまで動物では 報告例のない反応形式を示していた。第一章と第二章で確立した酵素学的手法は、コナ ダニ類のタンパク質探索において有効であることを実証した。これらの結果から8,11-F17
と
6,9-C17
の前駆体は共にアルデヒドであり、ササガワダニは基質であるアルデヒドを優先的にギ酸エステル
8,11-F17
の合成に利用していることが示唆された。8,11-F17 と8-C17
の生物活性は明らかではないが、分泌量を調節する生成機構は生物有機化学的な観点か ら解明すべき非常に興味深い課題と言える。第三章ではクヌギジュエキダニが分泌する
neryl formate
のギ酸の生成経路を解明した。アミノ酸の代謝からテトラヒドロ葉酸の炭素源供給の経路を経由してネロールとギ酸が 縮合することが判明した。検討できなかった
histidine
も同様にアミノ酸代謝によってテト ラヒドロ葉酸の炭素源供給の経路をたどるため、ギ酸生合成に関わると推測できる。先行研究においてコナダニ類からギ酸エステルが数多く見つかっているが、生合成の 観 点 か ら 第 二 章 で 明 ら か に し た よ う に 、 ア ル デ ヒ ド が 基 質 と な っ て 一 段 階 の
Baeyer-Villiger
酸化反応で合成されるタイプと、第三章のようにダニ特有の生成経路で合成されたギ酸とアルコールとがエステル化反応により合成される2つのタイプに分類さ れる。酵素学的な諸性質を網羅的に明らかにすることによって、この2つのタイプの差 別化および進化学的な知見が新たに得られると考えられる。
近年、害虫を選択的に駆除できる殺虫剤の研究が行なわれており、昆虫
P450
の特異的 な阻害剤の研究が進められている 。コナダニ類由来の炭化水素合成酵素やギ酸エステル 合成酵素が同定できれば、酵素の阻害剤研究に発展し将来、農業やアレルギーを誘発す ることで問題になっているコナダニを選択的に駆除できる新たな作用機序をもつ殺ダニ 剤の開発に繋がる。さらにバイオテクノロジーやグリーンケミストリーの視点から、炭 化水素やギ酸エステルの合成に関わる有用な酵素遺伝子が見つかれば、バイオ燃料や有 用物質の工業的な製造に寄与できる可能性もある。本研究の成果を基盤として、ダニの 生物有機化学的研究がさらに発展していくことが期待できる。よって、本論文は博士(バイオ環境)の学位論文として価値あるものと認める。なお令 和