商業資本の独自性と商業利潤 : 山口重克氏の所説 の検討
その他のタイトル The Characteristic Peculiarities of Commercial Capital and Its Profit
著者 加藤 義忠
雑誌名 關西大學商學論集
巻 19
号 3‑4
ページ 345‑359
発行年 1974‑10‑25
URL http://hdl.handle.net/10112/00021125
( 3 4 5 ) 1 1 9
商業資本の独自性と商業利潤
—ー山口重克氏の所説の検討—
加 藤 義 忠
日 は じ め に
(1)
山口重克氏は宇野シューレに属する。それ故に,山口氏の商業資本論は,
(2) (3) (4)
わ た く し が 以 前 に 検 討 し た 宇 野 弘 蔵 , 公 文 道 明 , 日 高 普 の 三 氏 の そ れ と 基 本
(1)
山口重克氏はつぎの論文において,氏の所説をのべられている。「商業資本と商業利潤_宇野教授の所説によせて一ー」,(一),(二),「電気通信大 学学報』(人文社会編),第1
6
号,第17
号。「商業資本と銀行資本」,(一),(二),新潟大学,『法経論集」,第1
6
巻第2
号,第17
巻 第1•
2 合併号。宇野弘蔵編,「資本論研究」, IV, 生産価格•利潤,筑摩書房,第一部〔解説〕と第二部〔問題点〕のうちの商業資本論部分。
(2)
宇野弘蔵氏の所説にたいする検討は,つぎの拙稿を参照ねがいたい。「純粋流通費用にたいする利潤の根拠ー一宇野弘蔵氏の所説の検討_」,関西 大学,「商学論集」,第18巻第 4•5•6 合併号。
「商業資本と貸付資本の関連について」,森下二次也先生還暦記念,「現代流通論 の論理と展開」,有斐閣。
(3)
公文道明氏の所説にたいする検討は,つぎの拙稿を参照ねがいたい。「マルクス主義商業論と宇野商業論の亜流ーー公文道明氏の所説批判を中心とし て一ー」,大阪市立大学,
r
経営研究」,第11 3
号。(4)
日高普氏の所説にたいする検討は,つぎの拙稿を参照ねがいたい。「商業資本の『資本論』体系における位置と商業資本の本質について」,関西大 学,「商学論集」,第1
7
巻第1
号。「商業資本の自立化の必然性について」,同,第1
7
巻第2
号。「商業利潤の根拠について」,同,第1
7
巻第3
号。1 2 0 ( 3 4 6 )
商業資本の独自性と商業利潤(加藤)的枠組において同一である。しかしながら,山口氏は宇野氏との理論的関連 において,公文,日高の両氏よりもより批判的であるという点に独自性をも
っている。これは,別言すれば,宇野シューレの内部において,山口氏の商 業資本論が『資本論』のそれにもっともちかいことを意味する。わたくし は,以下において,このような特殊性を有する山口氏の商業資本にかんする 所説を対象として,そのなかでとくに問題とおもわれる点につき検討をここ ろみたい。その論点は七つある。第ーは,商業資本の機能の独自性につい て,第二は,商業資本による一般的利潤率の補足,修正について,第三は,
商業資本一般にたいする利澗分与の根拠について,第四は,純粋流通費用の 機能,いわゆる逆相関の関係について,第五は,いわゆる流通費用の資本化 について,第六は,商業労働にかんする『資本論』における難解な箇所,ぃ わゆるスモール
b
の問題について,第七は,商業演本と信用との論理的関連 についてである。これら七つの論点の検討は,第一に,宇野シューレ内部における山口説の 位置を確定すること,第二に,宇野シュー•レの一人としての山口氏の所説の 誤りを明らかにすること,第三に,『資本論』における商業資本論の理解を より深め,豊富化することを課題とする。なお,本稿では,紙数の制約など もあり,第一と第二と第三の論点の検討に限定せざるをえない。その他の論 点は,別の機会をまちたい。
では,さっそく,第一の論点の検討にとりかかろう。
⇔
商 業 資 本 の 機 能 の 独 自 性マルクスは『資本論』第
3
巻第4
篇第1 6
章商品取引資本の箇所において,商業資本の機能について,つぎのように述べている。 「流通過程にある資本 のこの機能が一般に特殊な資本の特殊な機能として独立化され,分業によっ て一つの特別な種類の資本家に割り当てられた機能として固定するかぎり
商業資本の独自性と商業利潤(加藤)
( 3 4 7 ) 1 2 1
(5)
で,商品資本は商品取引資本になるのである」といわれているように,商業 資本(商品取引資本)の社会的機能は商品価値実現という商品資本の機能を 集中的,専門的に代行することである。いうまでもなく,このような機能は 商業資本によって遂行されなければ,産業資本自らがおこなわなければなら ない。それでは,商業資本のこの機能に独自性,特殊性を付与する条件はな んであろうか。それには二つある。まず,第ーは, 「商品資本が,その生産 者とは別な担当者の手によって貨幣へのその最終転化,つまりその第一の変 態,すなわち商品資本としてのそれに属する機能を市場で行なうというこ と,そして,商品資本のこの機能が商人の操作によって,つまり彼の行なう 売買によって媒介されており,したがってこの操作が,産業資本の他の諸機
(6)
能から分離されて独立させられた特別な営業として,形成されること」であ る。すなわち,商品資本の機能が分業によって,商業資本の特殊な活動にな ることである。だが,これは販売出張員というような産業資本内部の分業に よっても,ある程度可能となる。したがって,この条件だけでは不十分であ る。そこで,第二の条件が必要となる。つまり,それは「独立の流通担当者 である商人が貨幣資本(自分のかまたは借り入れたそれ)をこの立場で前貸
(7)
しすること」である。
このような二つの条件によって,商業資本の機能は特殊性,独自性を付与 されるわけであるが,これにたいして,山口氏は商業資本の独自の機能につ いて独特な考え方を呈示されている。しばらく氏のいわれるところをきくこ とにしよう。 「産業資本の運動の内部で商品ないし貨幣形態をとるいわゆる 流通資本と,その少くとも一部分が独自の仕方,形態で独立して運動するも のとしての商業資本とは,いずれも抽象的には『産業資本の再生産過程の一
(5) K. Marx, Das K a p i t a l , D i e t z Verlag B e r l i n 1964,][.Bd., S . 2 7 8 .
,訳, マルクス,「資本論」,④,3 3 6
頁,大月書店普及版,(以下,原書, 訳本はすべて この版をもちいる)。(6) Ebenda, S . 2 8 3 .
,訳,同,3 4 1
頁。(7) Ebenda, S S . 283‑4.
,訳,同,3 4 2
頁。1 2 2 ( 3 4 8 )
商業資本の独自性と商業利潤(加藤)段階をなす』ものとして,いわゆる流通的機能を果たすものとして,共通の 一面をもつものであることはいうまでもない。そして,それらはいずれも共 通面を含むその流通的機能にもとづいて,資本として利潤を要求し,利潤率 の均等化に参加する。しかし,それらは共通の一面をもつからといって,寵 ちに全く同じ機能を果たすとはいえない。少くともその機能の果し方を異に する。産業資本の流通資本部分の運動は,個々の産業資本の使用価値的特殊 性,とくにその回転の個別性によって制約されざるをえないのにたいして,
商業資本は多数の回転を媒介し,必ずしも個別的な産業資本の運動に制約さ れないというその独自の運動形態から,追加的な独自の機能内容を受けとる のであって,この点で個別的な産業資本の販売部と決定的に異なるのであ る。したがって,利潤を要求しうる根拠も,仕方も,かかる独自性を中心に して解明されなければならないと考えられる。また,かかる観点から『商業 資本と商業利潤』を解明することが,資本家的生産の現実的な過程において 商業資本が産業資本にたいしてもつ実質的な意義を確定する方法であると考
(8)
えられる」。
このように山口氏は,商業資本の機能には二つあるといわれる。第ーは,
産業資本の再生産過程の一段階をなすものとしてのいわゆる流通的機能で,
これは産業資本の段階における流通資本のそれと共通する。つまり,商品価 値を実硯することである。第二は,個別的な産業資本の運動に制約されない という独自の運動形態から生ずる追加的な独自の機能である。これは,具体 的には,上記にいわれている流通時間と純粋流通費用の節減だけではなく,
さらに,流通時間と純粋流通費用の乎均化,客観化がある。この平均化,客 観化について,山口氏はつぎのようにいわれている。 「しかし,商業資本の 独立によって生ずる新たな関係の独自の意義は,もちろん、この節約の問題に とどまらない。剰余価値の生産に直接関係のない流通上の諸費用,(流通時間
=流通資本と純粋流通費用_加藤)が,商業資本として独立することによ
(8)
山口重克,「商業資本と商業利潤」,(一).「電気通信大学学報」,第1 6
号,(人文社会 編),8 5
頁。商業資本の独自性と商業利潤(加藤)
( 3 4 9 ) 1 2 3
って剰余価値の平均的分配を受けることになる点に独自の問題があるのであ る。つまり,流通上の諸費用が集中,節約され,間接的に産業資本の生産性 と蓄積が促進されるという第一六章末で総括されていたような関係の展開の なかで,生産過程に直接関係のない,したがって偶然的,個別的な相遮を示 し一般的に規定することのできない売買費用や期間がはじめて客観化され,はじめて平掏利潤に参与しうる要因となる点で独自の関係が生じているので あるが,この点は第一六章においても商業資本の独自性として明確にされて
(9)
いなかったのである」。
山口氏が商業資本の機能の一つとして,商品価値実硯の機能をあげられて いるが,この点は問題はない。だが,それ以外に,独自の機能として流通時 間と純粋流通費用の節減,およぴ乎均化・客観化をあげられている点は問題 である。すでに述べたように,商業資本一般の論理段階における商業資本の 機能は,商品価値の実硯(素材的には社会的質料変換)であり,この機能の 独自性,特殊性は,それが社会的分業によって集中的,専門的におこなわ れ,しかも,そのために貨幣資本が前貸しされることにあった。わたくしは 商業資本の機能とその独自性はこのように理解されるべきであり,山口氏の あげられている流通時間と純粋流通費用の節減,および,それらの乎掏化・
客観化は,商業資本一般の段階における機能とは別個の次元のことがらであ ると考える。まず,流通時間と純粋流通費用の節減についてであるが,これ は商業資本の自立化そのものによってもたらされる効果,利益である。換言 すれば,商業資本が産業資本から分化,独立化し,商品販売を集中的に代行 すること自体の必然的産物である。商業資本が乎均的状態のもとで,平均的 に商品価値実現の機能を遂行することによってもたらされるものである。し たがって,商業資本がそれらの節減を意図的になさなくてもはたされる効果 である。商品価値の実現の集中的代行そのものが,このような社会的効果を 生みだすのである。
もちろん,個別的商業資本の競争の論理的段階において,商業資本は特別
(9)
同,「資本論研究」,I V , 227‑8
頁。1 2 4 ( 3 5 0 )
商業資本の独自性と商業利潤(加藤)利潤を取得するために商品販売競争を展開し,その結果,社会的に流通時間 と純粋流通費用がいっそう節減される。そして,これは商業資本の競争論段 階における商業資本の機能の一つといえよう。しかし,これは商業資本一般 の論理段階における商業資本の機能とみなすわけにはいかないことは,明白 であろう。さて,つぎは,流通時間と純粋流通費用の平均化・客観化の問題 である。
他の宇野シューレの人々と同じように,山口氏も,産業資本が自ら売買す る論理段階においては達成されなかった流通時間と純粋流通費用の平均化・
客観化が,商業資本が自立化し,商品売買を集中的に代位することによって達 成されるといわれるが,もちろん,商業資本が自立化する論理段階においても 流通時間と純粋流通費用の平均化・客観化が達成されることは事実であろ う。しかし,このことはそれ以前の産業資本が自ら売買する論理段階におい て,流通時間と純粋流通費用の平均化・客観化が達成されていないというこ とを意味しない。けだし,流通過程は資本制的生産の本質に規定されて,無 計画的で,値別的であるにもかかわらず,特定の生産部門の特定種類の商品 について,その販売技術的条件を一定とすれば,個別的産業資本の商品価値 実現競争の結果として,そこに流通時間,あるいは,「流通資本」と純粋流通 費用の社会的乎均化・客観化傾向が生ずるからである。この種の関係は,生 産資本の大きさが資本間競争に媒介されて平均化・客観化されることと,基 本的に同一の内容をもっている。そして,商業資本が自立化した論理段階に おいては,商業資本が平均化・客観化の起動力となって,以前の段階と基本 的に同じ過程が展開されるのである。したがって,わたくしは,山口氏のご とく,商業資本が出硯してはじめて平均化・客観化が達成されるといわれる ことには, うなずけない。
以上は,第一の論点の検討である。さて,つぎに,第二の論点の検討に論 をすすめよう。
商業資本の独自性と商業利澗(加藤)
( 3 5 1 ) 1 2 5
(三) 商 業 資 本 に よ る 一 般 的 利 潤 率 の 補 足 , 修 正
マルクスは, 『資本論』第
3
巻第4
篇第17
章 商 業 利 潤 の と こ ろ に お い て,それまでは産業資本相互間の競争によって形成されていた平均利潤,す なわち,一般的利潤率の論述を,商業資本をくわえることによって補足,修 正している。 「科学的分析の進行のなかでは,一般的利潤率の形成は,産業 資本とその競争から出発して後にはじめて商人資本の介入によって訂正され( 1 0 )
修正されるものとして現われる」。そして,この補足,修正の内味は, 商 業 資本は剰余価値を生産しないにもかかわらず,商品価値実現(素材的には社 会的な質料変換)の機能にもとづいて,一般的利潤の形成に規定的に参加し て,その大きさに応じて平均利潤としての商業利潤を分与されることであ る。 「商人資本は,それが総資本のなかに占める割合に比例して,一般的利
( 1 1 )
潤率の形成に規定的に参加するのである」。
この論証は,つぎのような算式をもちいておこなわれている。
1
年間に前 貸しされる産業資本の総額は72 0 C + 1 8 0 v = 9 0 0
で,剰余価値率( m)
は10 0
彩だ とすれば,生産された商品資本(W)は7 2 0 c + 1 8 0 v + 180m = 1 0 8 0
になり,利 潤率( p '
)は20
彩となる。ところで,これに1 0 0の商業資本がくわわるとしよ
1 8 0
う。そうすれば
P '
は,2 0
彩からXl00=18
彩に低下する。そして,産1 0 0 0
業資本家はこの
W
を商業資本家に7 2 0 c + 1 8 0 v + 162m = 1 0 6 2
の価格で売り,これを商業資本家は消費者に
1 0 8 0
でうる。両者ともその資本の大きさに応じ て18
%の平均利潤を入手する。このようにして,生産価格のいっそう詳しい 規定がなされるのである.0以上のようなマルクスの説明にたいして,山口氏は,『資本論』第 3巻 第
4
篇第16
章において展開された商業資本自立化論の考え方が,第1 7
章 商 業 利潤論においては生かされておらず,そこに断絶がみられるとして, つ ぎ( 1 0 ) K . M a r x , E b e n d a , S . 2 9 8 .
,訳,同,3 5 9
頁。( 1 1 ) E b e n d a , S . 2 9 6 .
,訳,同,357
頁。1 2 6 ( 3 5 2 )
商業資本の独自性と商業利澗(加藤)のように疑義をのべられている。 「マルクスは,しかし,この商業資本がそ の利潤を『取得』する『仕方』の問題を,第16章で明らかにされた商業資本 の独自の『機能』にそくして,いわば機構的に,あるいは動態的に解明しよ うとするのではなく, 『総剰余価値』の『産業利洞』と『商業利潤』とへの 量的分割の単な計算問題として形式的に処理し,しかも,それを従来の平均 利潤ないし生産価格論の前提を修正する補論のごときものとして設定し,そ
( 1 2 )
の意味でも分化独立の問題とは全く断絶する方法で展開するのである」。 あ るいはまた,つぎのようにもいわれている。第
1 7
章においては,「『縮小』す ることによって『有効に代位』するどころか,『単に代位』するという観点 すらなく,生産資本としての産業資本に,その『流通過程そのものを代表し て担当するもの』としての商業資本を外的に対立させることによって,従来 の一般的利潤率は低下するとされるのであって,その説き方は産業資本の内 部からの分化独立の問題とは何のかかわりもないものとなっているのであ翡 。 )
みられるように,山口氏は他の宇野シューレの論者と同様に,『資本論』
第
3
巻第4
篤第1 6
章と第1 7
章の間に,論理上の断絶があるといわれている。だが,はたしてそうであろうか。周知のごと<,第16章において,商業資本 は産業資本の商品資本が分化,独立化したものであり,その分化,独立化に よる商品販売の社会的集中の効果として流通時間と純粋流通費用が節減さ れ,資本の価値増殖に寄与することが説かれている。これにたいして,第
1 7
( 1 2 )
山口重克,前掲論文,8 2
頁。( 1 3 )
同,84
頁。なお,山口氏は,別の箇所において,ほぼ,同じ内容のことをいわれている。第
1 6
章商品取引資本の考察は「要するに,商業資本は一面では産業資本の分化形態 以外のなにものでもないが,同時にそこには,個々の産業資本の流通過程を集中 し専門的に担当している点で・「産業資本の単なる形態』が独立したにすぎないも のとはいえない独自の性格と機能が生じているとしているわけである。ところ が,・つづく第1 7
章『商業利潤』の考察にさいしては,このような商業資本の独自 な性格と機能の問題は必ずしも十分明確に受けとめられていない」(宇野弘蔵編,『資本論研究」. IV, 生産価格•利潤, 227頁)。
商業資本の独自性と商業利潤(加藤)
( 3 5 3 ) 1 2 7
章においては,このようにして自立化した商業資本にたいして,どのような 仕方で,平均利潤が分与されるかが説かれ,一般的利洞率および生産価格が 補足,修正されている。わたくしの理解によれば,第1 6
章と第17
章に論理上の断絶があるようにはおもわれない。その理由は三つある。
第一の理由はこうである。商業利潤とは産業資本から分化した商業資本と いう独立の資本カテゴリーにたいして与えられる平均利潤である。したがっ て,第1
7
章で商業利潤を考察するためには,その前の第16
章で,産業資本か ら分化,独立した商業資本が説明されていなければならない。この意味にお いて,第16
章の商業資本自立化の考察は,第17
章の商業利潤の考察のための 不可欠の論理的前提をなすものといえよう。上記は第一の理由であるが,第二のそれについてのべよう。 『資本論』第
3
巻第4
篤以前においては,上述のごとく,一般的利潤率は産業資本のみが 存在し,それら相互の競争過程のなかで形成されるものとして展開されてい たが,ここでは,商業資本を介入させることによって,一般的利潤率を補足,修正し,説明をより具体化している。これは抽象的なものから具体的なも のへとすすむマルクスの叙述方法にとって,当然の説き方であろう。問題と されるのは、叙述を具体化するさいに,一般的利潤率が低下するものとして 説かれている点である。だが,産業資本のみの存在する論理段階において,
一般的利潤率の形成を説いた算式を継承し,それを修正する形で商業資本の 一般的利潤率への参加を述べているのであるから,一般的利潤率が低下する のはあたりまえのことである。なぜならば,剰余価値量は増大しないのに,
その分配にあづかる資本量は増大するからである。したがって,このような 説明の仕方は,全体像をいっきょに解明できないかぎり,合理的なものだと いえよう。
以上のように,ここでの理論的課題は,商業資本の自立化の一般的利潤率に 与える影審の分析ではなく,商業資本も商品価値実現という社会的機能にも とづいて,生産資本と同様に,平均利潤の分配にあづかることを解明するこ とである。したがって,さしあたり,商業資本の自立化の効果とは別個に,
1 2 8 ( 3 5 4 )
商業資本の独自性と商業利潤(加藤)商業資本の機能にもとづいての利潤取得が取扱われているのである。したが って,また,さしあたり,一般的利潤率が上昇しようが,逆に,低下しよう が,どちらでも説明の意図は十分達成されるのである。
そして,その後,このような説明をふまえ,商業資本の自立化の一般的利 澗率に与える影響について,マルクスはつぎのように述べている。周知のと ころだがあえて引用しておこう。 「産業資本家は流通過程であまり多くの時 間を費やさなくなるが,そのかわりに商人がそれを前貸しすることになる。
……商人資本が,それの必要な限界のなかに制限されているかぎり,相進は ただ次の点だけである。すなわち,資本機能のこのような分割によって,た だ流通過程だけに費やされる時間が少なくなり,流通過程のために前貸し される追加資本が少なくなり,そして,総利潤中の,商業利潤の姿で現われ る損失分が,この分割のなされない場合に比べてより小さくなるということ だけである。前にあげた例で商人資本1
0 0
のほかにある7 2 0 c + 1 8 0 v + 180m
が 産業資本家に1 6 2
すなわち18
%の利潤を残し,したがって1 8
の控除をひき起 こすとすれば,もしこの独立化がなければ必要な追加資本はおそらく200
と なり,そうなれば産業資本家の総前貸は90 0
ではなくl l O O
となり,したがっ( 1 4 )
て剰余価値1
8 0
にたいしてはたった16%1の利潤率となるであろう」。以上は第二の理由である。つぎに,第三の理由について述べることにしよ う。 『資本論』においては,産業資本が自ら売買する論理段階における一般 的利潤率の補足,修正を考察せず,いきなり商業資本を自立化させ,これに 代表させて,それを説明している。山口氏の意にそって,その中間に産業資 本が自ら売買するばあいをいれたとしても,ことの本質は変わらない。つま り,そのわけはこうである。産業資本が自ら売買するばあい,そこに流通期 間中の生産継続の準備金と純粋流通費用という追加資本が必要となる。これ らも資本として投下されるのだから,それにたいして平掏利潤が分与されな ければならない。だとすれば,従来の算式に従えば,一般的利潤率は低下す る。けだし,分配される剰余価値量は培加しないのに,分配にあずかる資本
( 1 4 ) K . M a r x , E b e n d a , S . 3 0 2 .
,訳,同,3 4 3
頁。商業資本の独自性と商業利潤(加藤) (
3 5 5 ) 1 2 9
量は増加するからである。そして,さらに,商業資本が商品売買を集中的に 代行するばあい,流通時間,純粋流通費用は節約され,したがって,一般的 利潤率は上昇する。このような説明の仕方をすれば,山口氏は納得されるか も知れないが,産業資本が自ら売買する論理段階においては,やはり,一般 的利潤率の低下がひきおこされる。このことは,従来の算式を基礎にして説 明を具休化しようとすれば,どうしてもさけられないことである。ところで, 『資本論』においては,商業資本に代表させて一般的利潤率の 補足,修正が説かれているが,これが原因して,山口氏は商業資本による一 般的利潤率の補足,修正と商業資本の自立化の効果を混同されることになっ たものとおもわれる。そこで,上記のように,商業資本によるその補足,修 正を説く前に,産業資本自らによる売買という中間項をいれて考えれば,両 者は別個の性質の問題であることが,一目瞭然となるであろう。
しかも,このように商業資本自立化の問題と商業利潤の問題を混同される 山口氏の考え方は,この第二の論点だけではなく,つぎにみる第三のそれに いっそうはっきりと現われている。では,つぎに,第三の論点に論をはこぽ
う。
四 商 業 資 本 一 般 に た い す る 利 潤 分 与 の 根 拠
マルクスは『資本論』第 3巻第 4篤第16章商品取引資本の箇所において,
商業資本一般にたいする乎均利潤分与の根拠について,つぎ.のように規定し ている。 「商品資本は,商人が貨幣資本を前貸しするということによって,
商品取引資本として一つの独立な種類の資本の姿をとるのであるが,この貨 幣資本が資本として増殖され資本として機能するのは,ただ,それがもっば ら商品資本の変態,商品資本の商品資本としての機能,すなわち商品資本の 貨幣への転化を媒介することに携わるということだけによるのであって,そ
( 1 5 )
れはこの媒介を商品の不断の売買によって行なうのである」。すなわち, 商
( 1 5 ) E b e n d a ; S . 2 8 5 .
,訳,同,364‑5
頁。1 3 0 ( 3 5 6 )
商業資本の独自性と商業利潤(加藤)業資本一般にたいする平均利潤分与の根拠は,商品価値の実現(商品資本か ら貨幣資本への資本の姿態変換)という社会的に客観的な機能をはたすこと にある。
これにたいして,山口氏は商業資本にたいする平均利潤分与の根拠とし て,二つのものをあげられている。第一のものは,「流通的機能にもとづい
( 1 6 )
て,資本としての利潤を要求し,利潤率の均等化に参加する」といわれてい るように,商品価値の実硯を遂行することである。第二のものは,商業資本 の自立化によって,流通時間および純粋流遥費用の平均化と節減という「独 自の機能内容を受けとり……したがって,利潤を要求しうる根拠も,仕方
( 1 7 )
も,かかる独自性を中心にして解明されなければならないと考える」, あ る いは,また,「流通資本も流通費用も,一休として,多数の個別的資本の流 通過程を集中代位しつつ促進し,促進しつつ平均化する独自な独立の資本と
なるのであって,その独立化の根拠はとりもなおさず独立の資本が資本とし
( 1 8 )
て独自の利潤を得る根拠でもあるといわなければならないのである」といわ れているように,商業資本の自立化の根拠と同一のものである。
山口氏が商業資本一般にたいする平均利潤分与の根拠として,第一のもの のみをあげられるにとどまられていたならば,わたくしは全面的に賛成であ る。ところが,そのうえに,第二のものをもちだされている点は,まった<
理解できない。まず,第一に,流通時間と純粋流通費用の平均化・客観化と いう根拠について考察しよう。すでに述べたように,山口氏は認められない けれども,これらの平均化・客観化は産業資本が自ら売買する論理段階にお いて,すでに事実として達成されているものである。したがって,商業資本 にたいする平均利潤分与の根拠とするわけにはいかない。それでは,この乎 均化・客観化と商業利潤分与の根拠はいったいいかなる関係にあるのであろ うか。つぎに,この関係を分析してみよう。この平均化・客観化とは平均利
( 1 5 )
山口重克,前掲論文,8 5
頁。( 1 7 )
同,8 5
頁。・
( 1 8 )
同,9 7
頁。商業資本の独自性と商業利潤(加藤)
( 3 5 7 ) 1 3 1
潤分与の根拠ではなくて,硯実の売買競争の結果,たとえば,社会的なもの のみに平均利潤が,平均以上のものにはそれ以下が,あるいは,平均以下の ものにはそれ以上が分与されるという平均利潤分与の量的基準をなすもので はなかろうか。別言すれば,流通時間と純粋流通費用の平均化・客観化は,平均利潤法則の貫徹のための硯実的な基礎条件の一つである。したがって,
これらの平均化・客観化は平均利潤としての商業利潤分与の考察のための論 理的前提をなすものといえよう。第二に,流通時間と純粋流通費用の節減の 問題について考えてみよう。すでにみたように,商業資本の自立化による流 通時間と純粋流通費用の節減は,商業資本の機能ではなく,その自立化の効 果,利益といえるものであり,産業資本から分化,独立化するための根拠を なすものである。このように,山口氏は,他の宇野シューレの論者と同様 に,商業資本の自立化の根拠と商業利潤の根拠を混同されるわけであるが,
両者は別個のものである。というのは,商業資本の自立化の根拠は,流通時 間と純粋流涌費用の節減によって剰余価値生産の拡大化に寄与するのにたい して,商業利潤の根拠は,すでに形成されている剰余価値の分配にかかわる 問題だからである。
以上によって,山口氏のように流通時間と純粋流通費用の平均化・客観化 と節減を商業利潤分与の根拠とすることは正しくないということが明らかに なった。なんどもくりかえすようだが,平均利潤としての商業利潤分与の根 拠は,商品価値実現という客観的機能を商業資本が遂行することにあるとい
'えよう。
ところが,山口氏のように商業資本自立化の根拠と商業利潤分与の根拠を 同一視されることには全く理由がないわけではない。それは,個別的な商業 資本の競争のなかにある。硯実の個別的商業資本の商品価値実硯競争におい て,平均よりも流通時間および純粋流通費用の節減度の低い資本,いいかえ れば,商品価値実現量の平均より少ない資本は,それだけ商業利潤量が少な く,逆のばあいには,特別利潤を入手することができる。このように,現実
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商業資本の独自性と商業利潤(加藤)の競争過程においては,商業利潤の平均的水準を重心として,特別利潤取得 をめぐって売買競争が展開され,そこでは,流通時間と純粋流通費用の節減 の大小が優劣を決するようにみえるが,これは商業利潤量の多少を規定する 量的根拠であって,商業利潤を入手するための質的根拠とはけっしていえな いものである。
さて,第三に,山口氏が産業資本が自ら売買する段階における商業利潤の 一般的形態たる売買利潤分与の根拠と商業資本が自立化した段階における 商業利潤分与の根拠にちがいのあるとされる理由について検討してみよう。
山口氏によれば,商業資本によって「流通上の諸費用が集中,節約され,…
…偶然的,個別的な相進を示し,一般的に規定することのできない売買費用
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や期間がはじめて客観化され,はじめて乎掏利潤に参与しうる」といわれて いるように,売買利潤は乎掏利潤とはいえないが,商業利潤となってはじめ て平均利潤となるのである。いいかえれば,産業資本が自ら売買する段階に おいて,商品価値実硯という「流通的機能」ははたされているけれども,流 通時間と純粋流通費用は個別的で,平均化されておらず,平均利潤分与の客 観的基準が形成されていないが, 商業資本が自立化すれば,「流通的機能」
は相変わらずはたされ, しかも,客観的基準が形成され流通時間および純粋 流通流通費用がいっそう節減されるので,平均利潤としての商業利潤が分与 されるといわれるのである。すでにのべたように,わたしの考えでは産業資 本が自ら売買する段階における売買利潤も平均利潤である。そのわけはこ うである。つまり,資本の一部を形成しながら,平均利潤ではなく,個別的 に相遮する利潤に満足する資本がはたして存在するだろうかということであ る。個々の具体的なばあいを考えればこういうこともあろうが,平均的 な,もしくは,主要な傾向を問題とする一般理論においては,少なくとも 資本として投下されれば,その大きさに応じ七平均利潤が分与されるもの として論理を構成しなければならないのではなかろうか。それだけではな
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同.「資本論研究」,I V , 2 2 8
頁。商業資本の独自性と商業利潤(加藤)
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い。産業資本が売買する段階における流通時間および純粋流通費用は,十分 に平均利潤を取得しうる条件をもっている。つまり,一方では,流通時間と 純粋流通費用は売買競争の結果として平均化・客観化され,平均利潤法則が 作用する形式が整備され,他方では,再生産過程の一契機としての流通過 程における商品価値実現のために,流通期間中の生産継続のための準備金お よび純粋流通費用はそれぞれの機能をはたし,平均利潤法則の作用する内実 が形成されているのである。かくして,山口氏のごとく,産業資本が自ら売 買する段階において,売買利潤は平均利潤でないといわれることは,流通過 程を平均利潤法則の作用しない特殊の領域としてとらえられることになり,この法則そのものを否定する危険性を多分にはらんでいるということができ よう。