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メイの公準観

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(1)

454 

現代の会計学においては︑会計原則

( a c c o u n t i n g p r i n c i p l e s )

ないしは会計基準

( a c c o u n t i n g s t a n d a r d s )

 

•を基

礎づける基本的仮定又は基礎的前提として基礎概念

( b a s i c c o n c e p t s

)

︑会計慣習

( a c c o u n t i n g c o n v e n t i o n s )  

公準

o s ( p t u l a t e s )

等と呼ばれるものが論議され︑検討されるにいたっていることは周知のとおりである︒思うに︑

これらの基本的仮定が盛んに論議の対象とされるのは︑これらの基本的仮定の意味を理解することなしに会計に関

する諸問題を十分に理解することはとうてい不可能であり︑これらの基本的仮定の究明が会計学的研究における出

発点をなすきわめて重要な問題であるからにほかならない︒

ところで︑ジョージ・オー・メイは前期においては公準について多くを論じていないが︑

表以後においては機会あるごとに公準に論及し︑最近において︑基本的仮定の再検討が今日の会計上の最大の課題

l l  

であると語り︑公準論研究の重要性を示唆している︒このような意味で彼の後期における公準論の吟味は重要であ

る︒しかして︑彼の後期における公準論の展開は次の三つの時期に区分することができると思う︒即ち︑第一の時

期は︑彼の公準論の成立期即ち一九四三年の主著の時期であり︑第二の時期は︑彼の公準論の整備期即ち一九四八

メイの会計公準論の展開

ィ の 会 計 公 準 論

展 開

一九四三年の主著の発

(2)

455 

年から一九五二年にいたるA.I.A企業利益研究会の活動を背景とした時期であり︑第三の時期は︑彼の公準論

の再検討期即ち従来彼がかかげてきた永続性︑実現及び貨幣単位安定の三公準全部の妥当性を疑問視している一九

五五年の時期である︒小稲は右のような展開過程を追跡し考察することを主題としているのである︒以下において

は︑便宜上︑まず︑彼の抱模する公準観の吟味から出発して︑永続性公準・実現公準ならびに貨幣単位安定の公準の

T a l k i   w t h   G e o r g e   0 .   M a y ,   T h e   J o u r n a l   o f   A c c o u n t a n c y

̲

0 . J .   A .

J u n e

19 55 , 

p . 

40

. 

まず予備的段階としてメイの公準観を把握することにしよう︒彼は公準そのものについて明確な慨念規定をほど

こしていないので︑具体的な用語例から推論することによって職念内容を把握するほかはないのである︒以下にお

はきっと事実と一致することが疑わしい︶にもとづいているという事実の一般的な認識が真の進歩に不可欠の予備行為であることが私にとって明白となった︒﹂と︒

次に︑彼の公準論が整備期に入る四八年の論文﹁損益計算の公準﹂は公準論に関するまとまった論攻であるが︑

ここでの次のような叙述を公準の性格及び根拠の説明として把握しうるだろう︒即ら︑

してはいないし︑完全に合理的な仮定をさえ示していない︒各々はよりよいものを欠くがゆえに認められるのであ

メイの会計公準論の展開 まず︑主著の時期において彼は次のように言っている︒﹁会計が実用主義的でかつコンヴェンション︵或るもの いて彼の論述の過程を追跡してみよう︒

( 1 )

順序で展開過程の考察に進んでいくという途をとりたいと思う︒

﹁どちらも科学的宴理を示

(3)

.4S6 

の公準観があらわれている︒ る︒これらの公準が引続き認められるかどうかは︑それらが有用性を持続するかどうかにかかっている︒﹂と︒ ②  メイの会計公準論の展開

さらに︑彼の公準論が最も盤備された時期とみられる五0年において彼は次のように言っている︒

の基本的公準と多数の副次的仮定とからなる仮定の体制

( f r a m e w o r k o f   a s s u m p t i o n s )  

らの諸仮定にもとづいて特定の項目が取り扱われるのであるという事実︑及び︑これらの諸仮定は証明できる真理

g l  

としてではなく有用なものとして承認されうるし又承認されているのであるという事実を隠蔽してはならない︒﹂

﹁これらの公準は︑有用なものとして現在承認されている仮説

( h y p o t h e s e s )

③ る﹃仮定の体制﹄である︒﹂と︒

0年において公準の根拠及び性格について次のように言っている︒

であり︑会計決定の基礎をなしてい

﹁基本的コンヴェンション︵公準をさ

す⁝⁝筆者補注︶はその根拠を﹃真実﹄ではなく有用性及び実践可能性にみい出すにちがいない︒⁝⁝これらの基本

的コソヴェンションがすべての人々を拘束しなければならないのであるならば︑代表的な集団の間でこれらのコン

油 ゜

ヴェンションについて合意がなければならなし﹂と︒

彼の公準論が再換討期に入るごく最近において彼が基本的仮定の再検討を唱えて次のように言う時︑ここにも彼

﹁我々の古い仮定の体制が新しい諸事情に十分対処するとすれば実に不思議である︒

⁝⁝これら︵公準をさす⁝⁝筆者補注︶は最初はよき仮説であった︒哀実でない仮定でさえ︑そのような仮定がなかったとすれば生じてはいなかったであろうような或る棚念を生ぜしめるのに有用でありうる︒﹂と︒

いま︑彼の以上のような見解を綜合して私の理解する限りにおいてできるだけ短く圧縮すると次のように言えよ

(4)

457 

メイの会計公準論の展開 (4

)   ( 5 )  

( 1 ) ( 2 )   ( 3 )  

って実践上有用でなくなれば再検討される運命にある︒

(4

) 

公準即ち基本的コソヴェソションは︑会計の基礎をなす仮定の体制の一部である︒

公準即ち基本的コンヴェソショソは︑代表的集団の間で合意があることによってすべての人々を拘束する

公準即ち基本的コンヴェンジョソの存立根拠は有用性及び実践可能性にある︒それゆえ︑事情の変化によ メイの用語法を分析して彼の公準観を把握したのであるが︑このような公準観は各公準について論ずるさ

いにも当然現われてくるので︑ここでの論議はこのくらいにとどめて展開過程の考察にうつることにしよう︒

M a y , i n   F a n c i a l   A c c o u n t i n g ,  

19 43 , 

p .  

2.  

M a y , o s   P t u l a t e s   o f   I n c o m e   A c c o u n t i n g ,   J .   O .   A . ,   A u g .  

19 48 , 

p .  

1 0 8 .  

M a y , r   T u t h   a n d   U s e f u l n e s s   i n   A c c o u n t i n g ,   J .   0 .   A . ,   M a y  

19 50 , 

p .  

38 7.

ここに述べられたと同趣旨のことは

M a y , u   B s i n e s s   I n c o m e ,   T h e   A c c o u n t a n t ,   S e p t .  

3 0, 1  95 0.  

( M u r p h y , .   M  

E .

S e

,  

l e c t e d   R e a d i n g s   i n   A c c o u n t i n g   a n d   A u d i t i n g ,  

1 95 2,  

p p

328

.  

32 9. )

及び

A .

I .  

A . ,   C h a n g i n g   C o n c e p t s   o f   B u s i n e s s   I n c o

m e ,  

19 52 , 

p .  

19 .

も説明されている︒

M a y , h   T e   C h o i c e   B e f o r e   U s ,   J .   0 .   A . ,   M a r c h  

19 50 , 

p .  

20 7.  

T a l k   w i t h   G e o r g e .     0 M a y ,   J .   0 .   A . ,   J u n e  

1 95 5,  

p p

40

.  

41 .

く︑事実と一致することの疑わしい会計上の仮説である︒

(3

) 

(2

) 

公準即ち基本的コソヴェンショソは︑

証明されうる科学的真理でもなければ完全に合理的な仮定でもな

(1

) 

(5)

58 

メイの会計公準論の展開

﹁減価償却方法﹂の章では︑減価償却制度が継続性を

﹁ 継

メイの公準論の成立期である主著の時期における継続性

( c o n

t i n u

i t y )

の公準について倹討しよう︒

で公準にあげられている継続性は︑名称が他の論者のそれと同一であっても内容が異っており︑又︑彼がのちに公

準にあげている継続企業

( g o i

n g

c o n c

e r n )

ないし永続性

(p

er

ma

ne

nc

e)

その所論の主要部分を引用しておこう︒彼は次のように言っている︒

の公準とは同一のものではない︒

﹁会計を継続的な過程と考えるべきであると

いうことは︑殆んど根本的な会計公準である︒⁝⁝企業の生命は人間の生命と同様に継続的であり︑又︑或る一期

間の利益及び損失︑成功及び失敗は︑大部分過去の行為︑怠慢及び出来事の結果であり︑かつ︑到達せる結果は将

来を顧慮しないで成功又は失敗として評価することはできない︒会計の歴史的性格はどれほど強調してもしすぎる

ことはない︒だから︑或る点で現在を過去と分離しようとする企ては︑例えば︑原価の代りに価値を用いることに③ よってそれが実行しうるだろうような場合ですら︑往々にして不都合である︒﹂と︒以上の所論から察するところ

継続性の公準の中には二つのものが含まれている︒一っは企業の生命の継続性であり︑他は会計記録の歴史的継続

的性格である︒しかして︑企業の生命の継続性ということが︑会計記録の歴史的継続を要請するのである︒

ところで︑継続性の公準と原価主義との関係はいかに考えられているかをみるに︑③ 続性の公準の承認は当然原価に重点をおく結果となる︒﹂とのべ︑叉︑﹁原価﹂の章では︑原価数値の意義が限られ

かかる原価数値を統一的基準に調整せんとして部分的修正を行うことは︑統一を達成することにはな

らないで︑継続性を犠牲にすることとなると説き︑さらに︑

仮定しているという理由で︑通常の会計目的のためには原価にもとづく償却が適当であるという趣旨のことを主張

している︒要するに主著の時期では継続性の公準が歴史的原価主義と結びついていると思う︒

(6)

459 

さて︑継続企業の公準が一個独立の公準として打ち出されてくる時期は四六年である︒四六年の論文では︑会計

記録の継続性が継続性の公準の内容から離脱するとともに継続性の公準という名称も解消をとげ︑継続企業の公準

が公準視されている︑彼はこう言っている︒﹁会計公準のうち最も基本的な公準は︵企業の性格のために永続性が

限定されている企業の場合を除き︶︑企業の生命が通常無期限であると仮定することができるという公準である︒﹂

と︒そして彼は︑この公準の採用の顕著な例として減価償却会計をあげ︑﹁すべての減価償却制度は︑その企業が⑦ その企業の使用するどの償却資産単位よりも長く永続するであろうということを仮定している︒﹂とのべている︒

ところで︑ここで特に我々の興味を惹くのは︑無形資産の償却問題を取り扱うさいには︑企業が経済的に旧式とな

りかつ廃業される危険を無視しうるという仮定に会計がもとづいている事実に留意することが大切であるいしてい

る点である︒無形資産の償却に関する彼の見解にはここで深く立ち入る余裕はないが︑彼の見解では︑継続企業公

準にもとづいて償却を行うならば︑存続期間の限定されている無形資産は償却するべきではあろうが︑存続期間の

限定されていない無形資産は償却する必要がない︑と考えられている︒つまり︑企業が経済的に旧式となり廃業さ

れる危険を無視しうるという仮定︵継続企業公準︶が︑彼ののれん償却不要論の一論拠となっていると思う︒⑧ 次に︑彼の公準論が盤備期に入る四八年に継続企業公準をいかに考えているかをみよう︒彼は︑今日の標準的会

計公準として継続企業公準をあげ︑﹁期間的な会計が継続企業基礎

( g o i n g c o n c e r n   b a s i s )

にもとづいて計算され

るべきであるという公準﹂或るいは﹁営業活動の継続に自然的な制限をおく要因がない場合には︑企業は無期限に⑨ 永続する生命をもっと仮定されうるという公準﹂としていわれていると言っている︒そして減価償却を例にとって

この公準を説明している点︑及び︑継続企業公準が一般ののれんのなし崩し的償却費を損益計算から除外すること

メイの会計公準論の展開

(7)

60 

メイの会計公準論の展開

n u  

を正当化すると説いている所は︑四六年の所説そのままである︒けれども︑四六年にみられなかった所説がみられ

る︒即ち︑固定資産の原価主義評価が︑継続企業公準からの系論

( c o r o l l a r y )

として考えられているということが

これである︒勿論︑四八年にはまだ明瞭にこのことが指摘されているわけではないが︑﹁企業の生命が無期限に永

e "

r  

続するとみなされうるがゆえに︑企業の継続に必要な資産の年々の価値は重要でないという公準﹂という彼の言葉

から察して︑彼の見解では︑継続企業公準の系論として固定資産の原価主義評価が考えられていると解すべきであ

次に︑同じく整備期における見解を四九年のモノグラフによって検討しよう︒ここでは︑会計記録の継続性を意

l l  

" 3  

の公準が︱つの独立の公準として打ち出され︑継続企業公準と並立されている︒だか

ら︑主著の継続性の公準が︑ここでは︑継続企業公準と会計記録の継続性を意味する継続性公準とに分立せしめら

れるにいたっている︒そして︑前者には永続性

( p e r m a n e n c e )

という名称を時々用いている︒

には継続企業公準の内容に展開ないし整備がみられるが︑このことは︑企業利益研究会の研究顧問として個人的意

見を述べることを求められるという地位にあった彼がようやく顕著となってきたインフレの経済地盤の下で筆をと

った影響であると思う︒ここに継続企業公準の内容の展開ないし整備とは︑収益と費用とが同一の購買力単位によ

って表示される実質利益の計算が継続企業公準からの系論として考えられるにいたっているということが即ちこれ

である︒無論︑四九年にはまだこのことが明言されてはいないが︑鉄道その他の公益企業の会計が永続性読念にも

とづいた結果︑収益に賦課される費用は企業の能率を維持する費用であったということを説くディクシーの説に論

砂 u 

及している点からみて︑又︑貨幣単位の一般的購買力の低下指数にもとづく減価償却費でもって原価にもとづく減 味する継続性

( c o n t i n u i t y )

四九年

(8)

61

﹁実際の反証がない限り企業の将来の生命は無期限に永続する 価償却費を補足することにより後入先出原理の固定資産への適用が可能となり︑収益と費用とが同一の購買力単位

^ a  

U  

で表示される利益計算が行われうると考えられておる点から察して︑収益と費用とが同一の購買力単位によって表

示される利益計算を行い企業の維持を計ることが継続企業公準からの系論として考えられていると思う︒ところで︑

四八年において継続企業公準からの系論として固定資産の原価主義評価が考えられていると我々が把握した点がい

かに考えられているかは必ずしも明瞭ではないが︑資産の評価引上げは物価変動時の減価償却問題の解決としては

t  u 

望ましい措置ではないとして専ら減価償却費計算の面にのみの︑しかも購買力単位による修正を提唱している所か

ら推察して︑四八年と根本的には同一の見解に立っていると思われる︒

さらに︑彼の公準論が最も盤備された時期である五0年には彼は︑現在認められている三つの最も基本的な会計公

準の一っに永続性

(p

er

ma

ne

nc

e)

^ u

 

H "

 

μ  

とみなすことができるという公準﹂としてのべておる︒四九年のモノグラフにおける継続性の公準はもはや公準視

せず︑又︑従来用いてきた継続企業公準という名称をすて︑永続性公準という名称をつねに用いるにいたってい

る︒そればかりでなく︑彼は一八九二年のディクシーの説にしたがって永続性公準からの二つの系論を今までにな

く明確に論じている︒即ち︑︵一︶収益に賦課するべき費用は企業の永続性をできる限り保証する費用であるとい

U  

︵二︶継続に必要な資産の価値の変動は無関係とみなしてさしつかえないということ︑がこれである︒そ

して︑彼の次のような叙述を我々は右の第一の系論に関する説明として把握しうるだろう︒彼はこう言っている︒

﹁永続性公準が適用される企業の場合には︑収益と費用とが同一の購買力単位によってできるだけ密接に測定され

da~

る損益計算書が理論上最も健全でもあり実践上最も有用でもあると思う︒﹂と︒ここにのべている所は︑収益と費用

メイの会計公準論の展開

(9)

462 

メイの会計公準論の展開

﹁特定企業に関して永続性公準が妥当でないことを証 とが同一の購買力単位によって表示される利益計算を行い企業の維持を計ることが継続企業公準からの系論として考えられていると我々が把握した四九年の所説と同趣旨であり︑又︑第二の系論としてのべている所は︑継続企業

公準からの系論として固定資産の原価主義評価が考えられていると我々が把握した四八年の所説と同趣旨である︒

さらに︑彼は企業の結末から生ずる損失は利益算定に加わらない資本的損失と考えねばならないということが第三⑰ の系論に加えられてもよかったのだとしており︑こうして彼の考える永続性公準からの系論が五

0

年になって出揃

なおついでながら︑五0年の所説に関連して五四年に永続性公準をいかに考えているかを検討しておきたい︒こ

こでは︑三公準の一っに永続性公準をあげ︑五0年と全く同じ言葉で之を説明している︒しかして︑五0年に永続

性公準からの系論として考えられていた事柄は︑ここでは︑永続性公準の含蓄的意味

( i m p l i c a t i o n )

として考えら

﹁永続性公準の︱つの重要な含蓄的意味は︑当該企業の継続のためには維持叉は取替が必要不可

"

欠であるような資産の﹃価値﹄の変動は企業利益の算定には全く無関係であるということこれである︒﹂と︒

叙述は一層表現が洗錬されている観があるが︑固定資産の原価主義評価が継続企業公準からの系論として考えられ

ていると我々が解してきた所説部分に外ならない︒けれども︑永続性公準の含蓄的意味として彼が明言しているこ

とはこれだけであって︑五0年に︑彼がディクツーにしたがって永続性公準からの第一の系論として認めていた事

柄には全く論及していない︒尤も︑企業利益研究会の報告書が︑永続性公準からの第三の系論に加えられてもよか

ったとのべた事柄と同趣旨のことを論じてこう言っている︒

明するような出来事の起る時には︑継続企業の利益の算定はもはや不必要である︒即ち︑その時には︑企業の廃業

(10)

463 

( 2 )   ( 3 )   ( 4 )   ( 5 )   ( 6 )  

( 7   )

四九 これは当然のことを言ったにすぎないが︑この言葉は我々を

して︑彼が︑企業の廃業から生ずる損益の測定を考慮しなくてよいということを永続性公準の含蓄的意味と考えて

最後に︑彼の公準論が再検討期に入る五五年に永続性公準をいかに考えているかをみよう︒ここでも彼は三つの

最も重要な会計公準の︱つに永続性公準をあげているが︑新時代の新事情に対処するために他の公準とともに之を⑳ 再検討するべきであると語っている︒それでは︑永続性公準の再検討の必要を彼に感ぜしめた事情は何であるか︒

^

この点に関する彼の見解をみるに︑原子力時代における試験研究費支出の急増による技術上の進歩のために古い産 n  

業が旧式化しかつ破壊しつつある事態が彼に永続性公準の再検討の必要を感ぜしめたと解せられる︒

( 1 )

例えばペイトソ︑リットルトソは基礎概念として企業活動の継続性をあげ

(P at on an d  L i t t l e t o n ,  

An 

I nt r o du c ,   t io n   t o   Co rp or at e  A cc ou nt in g  S ta nd ar ds ,  p .   9 .

E

g

2

A

A .

八年会計原則は基本的条件及び仮定として継続企業としての営業の継続性をあげ Aの一九四

( A.

A .  

A . ,   Ac co un ti ng   Co nc ep ts   an d  S ta dn ar ds   Und er ly in g  C or po ra te F   in an ci al   Stateme

nt s,   p .  

f oo t n ot e  ‑ ! H 島宕二吾叩Ei

A . A . A

原則︑六七頁︶︑又︑カーマソ・ブラウは甚本的仮定として企業単位の継続性をあげている

(C ar ma

G .

n

 

Blough,  Ac co un ti ng   Pr i n ci p l es   an d  T he ir   Ap p l ic a t io n .  ( A

.  I .  

A . ,   C .   P

.   A•Handbook,

V ol .  

n ,  

Ch .  1 7 ,   p p. 1 3

1 5 . )

)

Ma y, i   F na nc ia l  A cc ou nt in g,   p .   4 9 .   Ma y,   ib i d . ,   p .   8 6 .   Ma y,

 ibid••p.117.

Ma y,   ib i d . ,   p .1 4 7 .  Ma y, u   A th or it at iv e  F in an ci al   Accou t n in g,

  J

. 

0 .  

A . ,   Au g.   19 4 6 ,   p .   1 0 3 .   Ma y,   ib i d . ,  

p .   1 1 6 .  

メイの会計公準論の展開 いるのではないかという推測を強いるのである︒ から生ずる損益を測定することが問題となる︒﹂と︒

(11)

‑464 

四八年には︑会計記録の継続性について簡単に次のように言っている︒即ち︑﹁同一の購買力単位によって利益が算 定される結果になるように現在の手続を変更することは︑一層の進化を伴うであろうが︑会計記録の歴史的継続を損 うごとき伝統︵原価主義原則をさす:・筆者補注︶からの離脱を伴わないであろう︒﹂

(M ay , Po st ul at es   of   In co me   Ac co un ti ng ,  J .  

0 .  

A . A,   ug .  1 9 48 ,   p .   1 0 9 . ) と ︒ (9 )M ay ,  i b i d . ,   p .   1 0 8 .   (1 0) Ma y,   ib i d . ,   pp .1 10 1 11 . 

(11)

拙稿『メイ「企業利益と物価水準に関する会計学的研究」』(関西大学商学論集、第一巻•第一号)。

(1 2) Ma y, u  B si ne ss   In co me   an d  Price

  Le v e ls ,   a n  A cc ou nt ing   St ud y,  1 9 4 9,   p .   3 .   (1 3) Ma y,   ib i d . ,   p . 4 4 .   p .

器 .

p . 6 2 .  

(1

4)

我々のこのような見解は︑彼の次の言葉によっても又その裏付をうるであろう︒即ち﹁企業の生命が無期限に永続す るであろうという仮定の下に利益が計算されるとすれば︵今日そのように利益が計算されている︶︑完全な維持が企 業利益の創出にまずもつて必要である︒﹂

(M ay . i b i d . ,   p . 6 2 ) と ︒ Ma ỳ ib id .,   p.   5 7 .   Ma y, T  ru th  a nd  U se fu ln es s  i n  Ac co un ti ng ,  J .  

0 .  

A.

M

ay   19 5 0 ,  p . 3 8 7 . ;   Ma y, u  B si ne ss  I nc om e,   Th e  Acc ou nt an t,   Se p t .  3 0 ,   1 95 0 .   ( Mu rp hy ,  M .  E . S ,   el ec te d  R ea di ngs n     iAc co un ti ng n  a d  A ud it in g,  1 9 5 2,   p . 3 2 9 . )  

y"

i bid.

(M ur ph y,   ib i d . ,   p .   3 3 0 . ) なお︑企業利益研究会の報告書もメイと全く同様︑一八九二年におけるディク シー説にしたがって︑永続性公準からの系論を二つあげ︑さらに﹁企業の結末から生ずる損益の問題は考慮しなくて よいということが︑第一︱一の系論に加えられてもよかった﹂と述べており

( A. I .   A . ,   Ch an gi ng   Co nc ep ts   of   Bu si ne ss   In co me ,  1 9 52 ,   p p .   2 21 23 .)

︑メイの音心目名かつよく坤がし出されていることがうかがわれる︒

Ma ỳ ib id .  ( Mu rp hy ,  i b i d . ,   p .   3 3 9 . )   Ma y,   Co nc ep ts f     o Bu si ne ss   In co me   an d  Th ei r Im pl em en ta ti on ,  Th e  Q ua rt er ly  J ou rn al o   f  Ec on om ic s,   Fe b.   19 5 4 ,  p .7 .  

Ta lk   wi th   Ge or ge

0 .

 

 

M

ay ,  J .

O .

 

 

A . ,   J un e  1 9 55 ,   p .   4 0 .  

( 2 0 )  

( 18 )  

(1

9)

 

( 1 7 )  

( 1 5 )   ( 1 6 )  

(8

) 

メイの会計公準論の展開

(12)

465 

彼は五四年には試験研究費支出の見績りが一年に一1一十億ドルであると言っているが︑五五年には一年に約四十億ドル

であると言っているのである︒

彼の公準論の成立期である主著の時期では︑実現公準は︑公準の章に﹁公準﹂としてあげていないが︑

ェンション﹂として説いていると思う︒いま︑彼が述べている所をみるに︑彼はこう言っている︒

定の各期間に配分するという問題は明かに非常に困難である︒即ち︑実にそれはコンヴェンション的な処理がどう

コンヴェンションの中には事実と殆んど一致しないものがあることを

認めねばならない︒製造及び販売という労力を要する過程が︑最後に生産物の引渡しをもって完了し︑利益を得る

コンヴェンションにもとづくことなしには︑販売又は引渡しが行われた時に帰属せしめえない

ことは明白である︒利益が販売又は引渡しに帰属するという会計コソヴェソショソは︑それが実践において証明し

た有用性によってのみはじめて正当視されるのである︒﹂と︒この叙述によれば︑主著の時期では︑実現公準を公② 準と断定していないだけのことであって︑基本的コンヴェンツョンとして理解しているように思われる︒けだし︑

これらの言葉の中に︑収益を販売又は引渡しの時に帰属させることはコンヴェンツョンにもとづいていて︑それは③ 生産過程における収益発生︑収益源泉という経済的事実を無視する仮説であるとする見解がうかがわれるからであ

さて︑継続企業公準が明確に公準視されている四六年に実現公準がいかに考えられているかは興味のある点であ る ︒

メイの会計公準論の展開 場合︑その利益は︑ しても必要になってくる点であり︑

( 2 1 )  

﹁利益を短い特

(13)

466  るが︑実現公準には全然論及していないのである︒乍然︑損益計算書が単純に事実の報告であるという考え方を排

④ 

﹁販売﹂という見出しの下に示される金額を単純に事実的であると考えることは誤りであるとしている点か らみて︑販売収益の認識という会計過程がコソヴェンション的であり︑利益の算定がコンヴェンションにもとづい て行われうるものであるということを考えているように思われる︒

彼は実現公準がときどき原価主義原則

次に︑彼の公準論が盤備期に入る四八年に実現公準をいかに考えているかを検討しよう︒ここで実現公準が明確

に公準と断定されたのであるが︑このことは︑

A.I.A

の企業利益研究会が創設されるという当時の会計的地盤 にあって彼が従来より以上に期間的損益計算の見地から思考しかつ著述せんとした態度のあらわれとみてよかろ う︒しかして︑彼は標準的会計公準として実現公準をあげ︑次のように言っている︒

﹁今日の標準的会計公準の中

には︑利益は﹃実現せる﹄利得であり︑それゆえ︑利益の源泉である収益が実現する時に利益があらわれる︑

う公準がある︒この公準からの系論と往々考えられるものは︑生産において消耗又は使用されるはずの資産は原価

以上で計上するべきではないということこれである︒﹂と︒さらに︑

(c

os

t 

p r i n c i p l e )

と呼ばれていることを附言している︒ここでは︑公準親はさほど明瞭にあらわれているとは思えず︑実 現公準を公準としてあげていない主著及び四九年モノグラフにおいて公準観があらわれていることは皮肉である︒

しかして︑ここで我々の興味をひくのは︑原価主義原則が実現公準からの系論と考えられていると言っている点で ある︒なぜ︑そのように考えられているかについては彼は明言していない︒しかし︑いろいろな箇所における彼の

⑥ 

論述から判断して︑かつての価値での会計処理︑自己資本増加による利益の検証から︑原価での会計処理︑実現によ

る利益の検証への発展に着目して︑彼自身も実現公準からの系論として原価主義原則を考えているのではないかと

メイの会計公準論の展開

(14)

467 

ところで︑彼は当時の一般的実践である原価にもとづく減価償却に変更を加えることを論ずるさいに︑原価主義 原則に論及し︑減価償却費が貨幣の一般的購買力の変動をあらわす結果となるように実践を変更することは︑原価

主義原則の放棄を伴わないが︑

現在使用されている資産に類似する特定の資産の時価にもとづいて消耗が計算され る結果となるように実践を変更することは︑原価主義原則からの離脱となるということを説いている︒右に指摘し たように︑原価主義原則は実現公部からの系論と考えられているので︑減価償却費が貨幣の一般的睛貿力の変化を あらわす結果となるように原価にもとづく減価償却の実践に変更を加えることは︑原価主義原則からの離脱とはな らず実現公準に立脚する実践変更であると考えられているように思われる︒ところで︑既に考察したように︑継続 企業公準からも原価主義評価が導き出されているから︑右のような実践変更は継続企業公準にも立脚しうるように 思われるが︑貨幣単位安定の公準には立脚しえないのであり︑この点は後述しよう︒

次に︑同じく盤備期における実現公準を四九年のモノグラフによって検討しよう︒四八年に実現公準を明確に公 準として認定した彼は︑四九年には態度を改め︑会計公準を取り扱った第二部では実現公準に論及せず︑第一部で

﹁財貨の販売収益は通常実現が起ると認められる時に帰属せしめら れるのであるが︑普遍的にそうであるわけではない︒これは︑収益の発生

( ac c r ua l ) を無視する便利ではあるけれ

ども明かにコンヴェンツョン的な処理であが〜︒﹂と︒

実によく現われているし︑実現公準は継続企業公準とともに財産計算上原価主義の基礎となっているように思われ るから︑四九年においても継続企業公準とともに実蜆公準としてあげるべきであったと思う︒企業利益研究会の研

メイの会計公雖論の展開

ごく簡単に次のように言っているにすぎない︒

ここでは実現公準を公準と断定していないが︑彼の公準観は

(15)

468 

るだけである︒彼はこう言っている︒

究顧問として独自の見解をのべるという地位の下で︑企業利益の算定と密接な関連をもつ公準を考察せんとしてい

るだけに︑特にその感がふかい︒四八年に整備期に入った彼の公準論が実現公準についてはここで退歩していると

会計公準の一つに実現公準をあげ︑ さらに︑彼の公準論が最も猿備された時期である五0年には彼は︑現在一般に認められている三つの最も基本的な

g l  

﹁すべての販売収益は実現が起ると認められる時に発生する公準﹂として説明

している︒前節に指摘したように︑

の系論についてはなぜか何れの論文においても明言していない︒原価主義原則が実現公準からの系論として考えら

れているという叙述は四八年にあらわれるだけでその後は姿を消しているのである︒しかし︑私見では︑彼が明言

しないにせよ︑彼の公準論の盤備期を逝じて︑実現公準は継続企業ないし永続性の公準とともに財産計算上原価主

義の基礎をなしているから︑たとえ四九年及び五0年のように継続企業ないし永続性の公準から︑同一購買力単位

によって表示される実質利益の計算といった思考が導き出されてきても︑実現公準は継続企業ないし永続性の公準

と共立しうると思う︒

なおついでながら︑五

0

年の所説に関連して五四年に実現公準をいかに考えているかをみておこう︒ここでは彼

ほ三公準の︱つに実現公準をあげ︑五

0

年と全く同一の言葉でこれを説明している︒実現公準の含蓄的意味につい

て彼がいかに考えているかは明かでなく︑唯︑彼が実現公準の存在価値を十分に認めている点︑

に関連して契約上の収益の認識及び未完成契約についての収益の認識に論及していることに若干の興味をつなぎう メイの会計公準論の展開

0

年に彼は永続性公準からの系論を明確に述べたのであるが︑実現公準から

とりわけ実現公準

﹁利子及び賃貸料のような或る型の定期的な支払に関しては︱つの例外が認

(16)

469 

る ︒

( 3 )  

( 1 ) ( 2 )  

このように述べているだけで︑実

められている︒⁝⁝契約が完成する以前に或るいは含まれる原価が最終的に決定する以前に長期請負契約からの収

益が漸次的に認識されることを許すように実現の概念を拡張せんとする傾向が幾年にも亘って着実にあ汽だ︒﹂と︒

この叙述によれば︑彼は︑契約上の収益が発生主義によって認識されることをもって実環公準の例外と解しており 叉︑長期請負契約について工事の進行に応じて収益が認識されることをもって実現概念の拡張と解しておるのであ 最後に︑彼の公準論の再検討期である五五年には彼は︑新事情に対処するために実現公準をも再検討するべきで

﹁実現公準には多くの破綻がすでにこれまでにあったし︑将来もっと多くの破綻があるだろう︒この

l l  

U  

事実のみが実現公準の妥当性について疑問を提出するだろう︒﹂と述べている︒

現公準の妥当性について疑問を提出するような破綻とは何であるかについては全く語っていないのは残念である︒

前記の如き︑実現公準に対する例外のみをさして破綻と言ったとみるのは少し狭すぎるようである︒

Ma y; i  F na nc ia l  A cc ou nt in g,   p,   3 0 .   このことは︑メイが原案作成にあたった企業利益研究会の報告書が︑メイが実現公準を論じているとして筆者が本文 中に引用した箇所を主著から引用していることからも明らかである

( f , . .

l .   A . ,   Ch an gi ng  C on ce pt s  o f  Bu si ne ss   In co me ,  p p .2 6

2 7 . )

彼は比較的初期に︑利益の派泉と利益の実現とに関して次のようにのべている︒﹁販売完了は利益獲得の時を決定す るけれども︑販売完了が利益の源泉を決定するということにはならない︒製造企業における利益の真の源泉は︑商品 への転化における資本と労働との使用であり︑阪売は︑利益の源泉であるよりはむしろ利益の実現である︒﹂

Ma y, Tw en ty

︐ 牙

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Ye ar s  o f  A cc ou nt in g  R es p o ns i b il i t y,   1 93 6 ,  V o l . 

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p p 2 .   65

‑ 2

6 6 . ;

Th e  S ou rc e  o f   P r o f i t s ,  

J.  

0 ,  

A . ,   Ma rc h  1 9 22 ,   p .   1 9 6 .   メイの会計公準論の展開

(17)

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OLT 

("") 

May,  Authoritative  Financial  Accounting,  J.  0.  A

,Aug.  1946,  p.  106. 

(in) 

May,  Postulates  of  Income  Accounting,  J.  0.  A.,  Aug.  1948,  p.  108. 

("') 等廷底垣州蒸墜蚕茶忙今岨垢や吐投‑v‑',..J,‑(''

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(May,  ibid.,  pp.  108‑109.;  May,  Business  Income  and  Price  Levels,  an  Accounting  Study,  1949,  p,  4.; 

May,  Business  Income,  The  Accountant,  Sept.  30,  1950.  (Murphy,  M.  E.,  Selected  Readings  in  Accounting 

and  Auditing,  1952,  p.  331.);  May,  Limitations  on  the  Significance  of  Invested  Cost,  The  Accounting 

Review,  Oct.  1952,  p.  438.) 

(~)

May,  Postulates  of  Income  Accounting,  J.  0.  A.,  Aug.  1948,  pp.  109‑ 110. 

(oo)  May,  Business  Income  and  Price  Levels,  an  Accounting  Study,  p.  12. 

>J >Jや廷心和心n入ふH入,〉"這投或剃石桜酋砂兵心麒丑』⇒1--'思{叫A二心則岳如料~I--'今心茶'柑搬や廷'豚棗起以押正や戎Sふ0裡脈柏捉晰祁赴1

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(May,  Financial  Accounting,  p.  30.) 

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4

Q咀眺&索母ヤ心心熙娯冴全今(

A. I.  A.,  ibid.,  pp.  46‑47.

)゜

(oi)  May,  Truth  and  Usefulness  in  Accounting,  J.  0.  A.,  May  1950,  p.  387.;  May,  Business  Income.  (Murphy, 

ibid.,  p.  329.) 

(~)

May,  Concepts  of  Business  Income  and  Their  Implementation,  The  Quarterly  Journal  of  Economics, 

Feb.  1954,  p.  6. 

(口)

A Talk  with  George  0.  May,  J.  O.  A.,  June  1955,  p.  41. 

参照

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